07.君と感じ合いたい、なんて甘い夢をみる



 悪ノリかましてくれた光喜のおかげで大切な事に気付いた俺は幾分、肩の力を抜くことができた。



 また学校で生活を送っている間はオフモードになろうと決める。そりゃあハジメのことや日賀野達のこと、そして健太のこと、色んな思いはあるけれど、始終ピリピリしても俺の方が持たない。俺らしさもなくなる。光喜が態度でそのことを教えてくれたから、俺も気を抜くところは抜く、気を引き締めるところは引き締める。気持ちにメリハリを付けようって改めた。


 地味友は俺の切迫していた心情を見抜いてくれていたのかもしれない。

 授業の合間あいまに声を掛けてくれて、他愛もない話題を振ってきてくれる。光喜の部活苦労話も聞かせてもらった。利二のバイト愚痴話も聞かせてもらった。透が今度展覧会に出品する絵の下書きも見せてもらった。学校の風景を描いているらしいんだけど、これまた上手いのなんのって……いやぁ、磨ける才能あるって羨ましいと思ったね。


 蛇足として、透と交わした会話の一部。


「今度さ、人物画を描くんだけど圭太くん、モデルにならない? あ、荒川くんと一緒だといいかも! タイトルは勿論“舎兄弟”にするからさ! 我ながらナイスアイディア。凄くいいかも! 不良と地味っ子の夢のタッグ! 描いてみたい! 燃えてきたっ!」


「……あの、透さん透さん」


「圭太くん、是非とも荒川くんに頼んでみてよ。モデルになってくれませんか? って。お礼はうんとするからさ!」 


 俺には到底縁の無いであろうモデル話も振ってきてくれた。

 勘弁しろって透。そういう話はイケメンくんのヨウだけにしてくれよマジで。

 俺がモデルになっても、有り触れた絵にしかならないんだぞコノヤロウ! ヨウと俺のツーショット? バッキャロ、俺の存在を霞ませるつもりか! 俺がヨウと並んでもなぁ、向こうの容姿を引き立たせるだけなんだぜ! 霞む俺、超絶可哀想だろうよ!


 こんなどーでもいいやり取りがあってくれたおかげで、随分と息抜きができた。充電できたっつーの? 不良とも友達だけど、俺は地味友とも友達だ。それぞれ俺に必要な存在だって思っている。

 学校にいる間はヨウ達も、あんまり日賀野達の話題、そしてハジメの話題は出そうとしない。

 昼休みは他愛もない話で盛り上がった。そうすることでオフモード、言い換えると充電期間を設けている。ハジメは絶対に戻って来ると信じている俺達だ。過度には心配をしないことにした。あんまり心配をしすぎると、あいつを信じてないような気分にもなったしな。



 沢山充電した後は放課後、たむろ場に赴いてオンモード。

 緊張感を持ちながら日賀野達の実力、行動、個々人の把握を急いだ。奴等一本に絞るために、他の喧嘩は極力控えている。主に喧嘩をしているのはヨウ、ワタルさん、タコ沢辺りだから、俺には直接関係のないことなんだけどさ。あー……喧嘩をよく吹っ掛けられているけど、そりゃ舎兄が喧嘩ばっか売るわけで? それが俺に飛び火しているわけで? ……喧嘩のことは俺には関係ない。一切関係ないんだぞ。控えてくれて助かっている。うん。


 とにもかくにも、眼中には日賀野チームだけを置く。

 俺達は向こうチームを解体する勢いで集会を開いていた。因縁を断つために、小競り合いを終わらせるために、これ以上犠牲者を出さないために。


「みんなー! 聞いて聞いて聞いて! 情報っ、手に入れてきたよ!」


 今日もたむろ場で日賀野達のことについて集会を開いていると、遅れてたむろ場にやって来た弥生が情報を仕入れてきたとばかりに駆けてくる。

 一日学校をサボって情報を掻き集めていたと言う弥生は、興奮気味に、そしてやや不機嫌に声音を張る。


「ハジメを襲った奴等の一部が分かった!」


 途端に俺等は日賀野達の話題から、ハジメの襲った話題に話を切り替える。

 いっちゃん知りたかった情報を弥生が仕入れてきた。集会は日賀野達中心だけど、間接的に関わっているであろうハジメを襲った輩は俺等にとって最重要視しないといけない話題だ。ヨウは早速、弥生に話を聞かせて欲しいと頼む。


 うんっと一つ頷く弥生は、事細かに説明を始めた。



「あの日、ハジメは家を出てから真っ直ぐ学校に行くつもりだったみたい。でも途中で不良の群に絡まれて、四丁目10番地にあるマンション一室に拉致されてたみたいなの。

 多分、不良の群の中の誰かのマンションの一室だと思うけど、何号室にいたかまでは分からなかった。不良がいるマンションならすぐに何号室か把握できたと思うし、主犯も割り出すことができたと思うんだけど……どうも不良と繋がりを持った一般人の部屋を奴等は借りてたみたい。ハジメが何号室に拉致されていたのか分からなかった。14階建マンションだから部屋も多くて……ごめんね、力不足で。


 取り敢えず、ハジメはマンションで軟禁されていたみたい。

 室内でフルボッコにされてたみたいなんだ……私達がどんなに外を捜し回ろうとも見つからない筈だよ。ハジメは室内にいたんだから。舐められているよね、ほんと。逃げ場所もなくハジメは悪意あるフルボッコ……ううん、リンチに耐え続けていたんだと思う。

 解放されたハジメは、その体で私達の下に戻って来た。足を引きずって歩くハジメが歩道を通る姿が目撃されている。ハジメを襲った奴等の繋がりや素顔までは分からなかったけど、連中は最近、私達を見張っていたみたいなの。

 ケイ、五木って子から情報を貰ってなかった? ヤマト以外にも不穏な不良グループがいるって」



「そういえば、言っていたな。利二が日賀野チーム以外にも不穏な動きをしている不良がいるから気を付けろって。けどそれは随分前の話だしなぁ……ヨウに報告はしたけど、それっきりだし。まさかその不良グループが?」



 「可能性は大だと思うよ」弥生は力強く相槌を打って、チームの中心人物のヨウとシズを見つめる。

 これが自分の仕入れてきた情報だと言わんばかりの強い光を眼に宿している弥生は、決定的に一人、素性を暴いた輩がいるとブレザーのポケットから一枚の写真を地面に勢いよく叩きつけた。その動作に誰もが怖じるけど(怖いってもんじゃない! オーラが禍々しい!)、弥生は不敵な笑みを漏らして見つけてやったもんねと息遣いを荒々しくする。


「あはは、あははははははっ! この女がハジメに近付いた奴! 私、頑張って見つけちゃったもんね! 女の怒りは怖いんだよ! なにさ、この女、胸はでかいくせして、化粧がケバイケバイ! 厚化粧女め。ハジメの仇ぜぇえったい取ってやるもんね! この手で一発、絶対かますんで夜露死苦リーダー!」


「お……おう。頑張って見つけたな。お手柄だぞ弥生」


 弥生怖ぇ……ヨウの心の声が弥生を除く俺等にはバッチシ聞こえた。

 同感です兄貴、マジで怖いよ。弥生。見つけたと高らかに笑う我等が情報係りさん、ものすげぇ怖いっす。

 弥生さん、弥生さんやい。これはもはや女の怒りじゃなく、女の執念で犯人を焙り出してきただろ。十中八九、ハジメと一緒にいた女を探し出すために奔走してただろ。学校をサボってまで……頼りになるけど、女って怖っ! 怒らせると真面目に怖っ! 女の執念に恐ろしさを抱いて、思わず背筋が凍るんだけど!


 やや弥生に怖じながら、俺は彼女が叩きつけた写真を拝見してみることにした。

 ハジメと同じようにシルバーに染まった髪、一つに束ねてある長髪は腰辺りまで伸びている。お洒落さんなのか化粧は濃いめ、顔立ちは可愛いと思う……それに胸がでかいな。ほんと。Dカップはありそう。浮気じゃないぞ。これは一般的見解だからな! 俺にはココロがいる! 見惚れてるわけじゃなく、女の一般的見解を心中で述べているだけだからな!

 それにさ、仕方が無いだろ、胸を見るのは。男のサガって奴だ。うむ、形は良いと思われまする。


 あ、ほら、俺以外の男達も「胸でけぇやべぇ」ヨウ、「何カップだろ」モト、「……マシュマロ」シズ、「ボインっスね」キヨタ、「巨乳は嫌いじゃないぴょん」ワタルさん等など反応をしている。その他女の子達の反応が白けている気がするけど仕方が無いんだ。

 男のサガでどーしても見ちまうんだよ、胸。巨乳スキーじゃないけど、見ちまうんだよ。



「男共―――ッ!」



 弥生は地団太を踏んで胸を見てる男達を一喝。

 こいつがハジメを弄んだのに、なんで胸ばっかり見ているんだと怒声を張ってきた。

 フルフルと握り拳を作ってくる弥生の怒りに、男の俺等は情けなく揃いも揃って両手を合わせた。だから仕方が無いんだって、俺達も男だから! 男のサガってもんがあるんだよ、おっぱい興味あるんだよ!


 話を戻し、弥生は改めてこいつがハジメと一緒にいた。弄んだんだと怒りを見せる。

 名前もバッチリ入手してきた。そう意気込む弥生が名前を紡ぐ。


「ふ……古渡(ふるわたり)……さん?」


 否、弥生が名前を教えてくれる前に、ココロが名前を紡ぐ。

 まさかココロが彼女の名前を知っているなんて、しかも相手の名を口にするなんて思わなくて、一同は目を削いで彼女を凝視。

 でも一番凝視していたのはココロだった。写真を凝視して、相手の顔を確かめるココロは見る見る血の気をなくしていく。確信を持ったのか、ココロは古渡って女の写真から急いで目を背いた。目に見えるほど震え始めるココロを案じた響子さんが、そっと声を掛けた直後、「吐きそうです……」ココロは嘔吐を訴えた。



 吐 き そ う ?



 それってもしかして、カウントダウン入っ「う゛ぇっ」ちょぉおお、タンマタンマタンマ! ココロっ、タンマ! 後数十秒タンマ!


 ココロの訴えに、チーム内は大慌て。

 倉庫内で吐かれちゃ困るから、急いで響子さんはココロを連れて倉庫の外へ。弥生も持参していたビニール袋、そしてミネラルウォーターの入ったペットボトルを片手に二人の後を追う。俺もついて行きたかったけど、幾ら彼氏彼女とかいえ、そういう姿を見せたくないと分かってたから(俺もそういう姿は見せたくないしな)、大人しく中で待機。


 でも彼女が心配だからあっちへうろうろ、こっちへうろうろ、そわそわしながら帰りを待っていた。

 仲間内に大人しく座ってろと注意されたのだけれど、居ても立ってもいられず、倉庫内をうーろうろ。ゼンッゼン落ち着かなかった。

 あー遅い。いや時間の経過が遅いのかもしれない。大丈夫かなココロ。写真を見た途端の、あの顔色の変えよう……尋常じゃなかった。

 もしかしてココロは古渡って女と何かあったんじゃ。それもココロの過去の傷と直結に結び付く相手なのかもしれない。小中時代は苛められていたと言っていたし。何か関係のある人物なのかもしれない。それにしても遅いなぁ。


「遅いなぁ……大丈夫かな」


「ケイ。疲れるぞ。座っとけって」


 モトに言われても気持ちは落ち着かない。俺の足は意識に反してあっちへこっちへ動く。

 そうしてあっちこっち足を動かして待っていると、ようやく弥生が戻って来る。弥生だけ戻って来たってことは、まだ響子さんとココロは外、なのかなぁ?

 「ケイ」入って来るや否や、ご指名してくる弥生は俺の腕を取って、ちょっと来てくれるよう頼んできた。


「ココロ、体調の方は落ち着きを取り戻したんだけど。気が動転しているの。ケイが傍にいてあげて。私や響子じゃろくに話も聞こうとしないの。すっごく自己嫌悪しちゃって……」


「自己嫌悪?」


「うん。お願いケイ。ココロを落ち着かせてあげて」


「ケイ、行ってやれ。こっちはこっちで話を進めておくから」


 ヨウの後押しもあり、俺は弥生と共に倉庫の外へと出た。

 向かうはいつも俺がチャリを止めている倉庫裏。俺の目に飛び込んできたのは、積み重ねている古木材に背を預け、膝を抱えて顔を埋めてしまっているココロと、胡坐を掻きながら慰めの言葉を掛けている響子さんの姿。


 ほとほと響子さんは困り果てているようだった。

 ココロの頭を撫でながら声を掛けているけど、ちっとも彼女は話を聞こうとしないようで、しきりに首を振っている。姉分の響子さんの言葉を拒絶しているなんて……それだけココロの気が動転しているのかな。


 ガクガクと身を震わせているココロを落ち着かせようとしている響子さんは、俺と弥生の姿を捉えて腰を上げた。

 「頼んだぜ」すれ違う際、響子さんは俺の肩を叩いて弥生と一緒に倉庫に戻って行く。頼んだぜと言われても、姉分の響子さんを拒絶しているくらいなのに、付き合いの浅い俺がココロにできることなんて。してやれることなんて。

 だけど――このままじゃ俺がヤだ。何も出来ないで突っ立っているなんて絶対にヤだ。


 俺は震えながら膝を抱えているココロに歩むと、彼女の前で片膝を折って名前を呼ぶ。

 ブルッと身を震わせるココロは膝に顔を埋めたまま。ちっとも顔を上げようとしない。「大丈夫?」まずは当たり障りも無い、体調のことを尋ねる。小さく首を縦に振るココロは無言を貫き通してくれた。おかげで会話が全然続かない。そっと肩に手を置いて、「どうした?」どうしてそんなに落ち込んでいるんだと声を掛ける。反応なし。

 気にすることなく、「写真のこと……?」ちょっとだけ彼女の心に踏み込んでみる。大きく肩が震えたけど、顔が上がることはなかった。目を細めて、俺は肩に置いていた手を頭にのせる。


「言いたくないなら言わなくてもいいから。少し、此処で休んだら皆のところに戻ろうな。皆、心配しているから」


 するとココロがようやく言葉を発してくれた。

 申し訳ないことに声が小さ過ぎて最初は何を言っているのか分からず、「ご……ごめん、ワンモア」台詞を繰り返してくれるよう頼む始末。俺の申し出に、ココロがモゴモゴボソボソ……んーっと、まだ聞こえないっす。ココロさん。

 「うん?」焦って耳を近付けたら、微かな声で彼女は告げてくる。


 写真の中の相手は小中時代、自分を弄ぶように苛めていた相手なんだという。

 高校が変わって縁が切れたと思っていたのに、縁が切れてももう大丈夫だって思っていたのに。写真を見ただけで吐き気に襲われた。それが嫌だった。ココロは自己嫌悪を俺に吐露してくる。

 少しだけ顔を上げる彼女は、ギュッと自分の二の腕に爪を立てて目尻に涙を溜めた。

 

「被害妄想が出てきて……苛められると……思ってしまって、卑屈になる私がいて。情けなかったんです……強くなる……決めたのに。ケイさんと全然……釣り合わない」


 ちっとも変われていない自分に自己嫌悪、卑屈になる自分に自己嫌悪、過度な被害妄想を抱く自分に自己嫌悪。

 ココロは堰切ったように俺に自己嫌悪をぶつけた。もしかしたら、そうやって自分を卑下することで俺に嫌われようとしてるんじゃないか? 今のココロはちょっと自暴自棄が入っている。釣り合わないなんて口にして、鬱々と卑屈になっている。


――残念だったな、ココロ。そんなんじゃ俺の気持ちを変えることはできないよ。


 「それで?」俺はココロにもっと言いたいことがあるんじゃないかと気持ちを尋ねた。

 グズッと洟を啜るココロは、「それで……」言葉を詰まらせて、じんわりと目を潤ませて、自分は弱い、何も変われていないと嘆いた。心配を掛けている響子さんや弥生、皆にも、迷惑を掛けてる性格なんだって卑屈になった。俺はそれをただ黙って聞く。うん、うん、一つひとつに相槌を打ってココロの気持ちに耳を傾けた。


 暫くすると吐き出す嫌悪もなくなったのか、ココロは口を閉ざして俺の反応を窺ってくる。

 まるで拒絶されることを恐れているような態度だ。自暴自棄になってたわりに、俺に怯えているようにも思えた。柔和に綻んで、「吐けるだけ吐けたか?」ココロに改めて気持ちを尋ねる。こっくりと頷くココロに、「よしっ」俺は一つ頷き返してココロの頭をくしゃりと撫でた。

 ちょっとばかし驚いている彼女に「楽になったろ?」綻んでやる。


「吐けば何かと楽になるしな。吐けるだけ、今の内に吐けばいいさ」


「ケイさん……」 


「なあココロ。誰だってさ、最初から強くなれるわけじゃないって。釣り合わないとか心にもないこと言っちゃって」


 まず俺を強いと賛美してくれている彼女だけど、遺憾なことに俺だって日賀野というトラウマがある。日賀野を見る度に『フルボッコタイム開始?!』とあの頃を重ねて被害妄想を抱くんだ。動悸は変に激しくなるし、冷汗はダラダラだ。これを俺は“日賀野不良症候群”と命名している。

 キャツを見る度に、心中大絶叫! アウチ、あいつと顔を合わせるとかないんだぜ。足が竦むんだぜ。眩暈も少々。ついでに頭痛も少々。

 ココロと大して差のない反応だと俺は思う。こんな俺をどうして強いと言ってくれるんだ? ココロは。もし強く見えるのなら、俺もトラウマを克服しないといけない。いつまでもあいつに怯えるのは格好悪いから。


「ココロ、卑屈になりたい時はなればいいさ。そうやって弱音を吐いて、吐くだけ吐いたら、前を向けばいい。ココロはひとりじゃない。前を向けば、俺や響子さん、仲間が待ってる。皆、ココロを必要としている。忘れないでくれな、ココロは必要とされているんだ。何よりも……あー俺にな」


 ちょっと照れ臭くなって視線を逸らす。

 にあわねぇな俺がこんなクサイ台詞言うと。漫画の読み過ぎ、アニメ・映画・ドラマの見過ぎ、とか思われたらどうしよう。ヨウみたいなイケメンになりたいと思うよ、こういう時ほどさ。

 でも本音だし、ちゃんとココロに知っておいて欲しい。


「……ケイさん…どうして卑屈っ……なる……私をそこまでっ、やさしく」


 しゃくり上げるココロは、今度こそ顔を上げて俺を見上げ見つめてくる。視線をかち合わせて一笑を零した。


「俺は優しい人間じゃないよ。人様の卑屈を聞くと、『ちょいこら待て勘弁しろ!』になるさ。でもココロは不思議とそうならない。きっとひっくるめて好きだからなんだろうなぁ。言っただろう? 俺はココロじゃないと駄目だって。ココロの卑屈なんかで、簡単に俺の気持ちを変えられるわけがない。簡単に変えられません。残念でした。それとも簡単に変えられると思った? そりゃ無理だって絶対に。ココロでも無理だよ」


 おどけ口調でココロに微笑んだ。

 ぽろりっ、ぽろりっ、伝い落ちる大粒の涙をそのままに彼女は肩を震わせて嗚咽を漏らす。随分と辛い思いをしてきたんだな、ココロも。

 独りじゃない、仲間がいる、そして自分の卑屈ひっくるめて好き、俺の送った言葉を反芻しては忙しくしゃくり上げている。だから俺は安心させるように、ココロを落ち着かせるために言うんだ。


「仲間も、そして俺もどんなココロを知っても傍にいる。俺、ココロの傍にいるから……好きだよココロ」


 それは瞬く間もない刹那単位。


「う゛ぁっ。ぅぁあ……ああっ……ケイざんっ! 圭太さん――ッ!」


 紡いでくる名前が鼓膜に届くと同時にココロの柔らかい体が俺に飛びついてくる。

 驚く暇もなく反射的に彼女の体を受け止めた俺は、その場に尻餅をついてしまう情けない現状に何かを思う余裕はなかった。

 しなやかな腕が首に回されて鼓動が大きく高鳴る。肩口に埋められる感触に肌が脈打つ。感じる彼女の体温に俺の体温も上昇する。ぎこちなくココロを見やれば、ガクガクと震える彼女の姿。一呼吸、二呼吸、間を置いてワッと声を抑えることもせず泣きじゃくる。

 それは彼女の脆い姿だった。怖かった、辛かった、死にたい日もあった、そんな過去の傷を俺に見せ、その儚い姿を惜しむこともなく曝け出してくれている。


 何度も俺の名前“ケイ”というあだ名じゃなく、本名を紡いで涙を流すココロの悲痛な叫びに、縋りつく腕に、本能が大きく揺さぶられた。

 迷うことなくその小さな体を抱き締めるために、右手を後頭部、左手を背中に回してキツク彼女を腕に閉じ込める。するとココロも、もっと俺に縋ろうと体を密接にしてきた。互いの体さえ境界線に感じ、それを邪魔だとばかりに強く縋っている彼女の腕。俺も応えるように腕の力を強くする。

 名前を呼ぶココロに返事をして、俺もココロの名前を呼んだ。


「大丈夫だよ、ココロ。俺は傍にいるから」


 密接している俺より一回り小さな体、名前を紡ぐ度に震えているココロの細い声音、仄かに感じる首筋の湿った感触。

 すべてを守ってやりたいと思った。馬鹿みたいに彼女を支えてやりたいと思う俺がいる。理屈じゃないんだと思う、こういう守りたいって思う感情。ドラマだからこそ言える台詞、思える感情なんだと今までは思ってうたけど、そうじゃない。守りたいと思う気持ちは理屈じゃなくて、本当に自然と芽生えてくるものなんだと思う。


 蚊の鳴くような声で傍にいてと甘える彼女に応えるために、彼女の体を抱きつぶした。

 胸が痛い。ただただ胸が痛かった。締め付けられそうな胸の痛みは呼吸さえ支配してくる。とてもとても息苦しい。

 縋ってくるココロの泣き声と彼女を支配している負の過去に、俺自身も泣きたかった。どうしたら彼女を過去の呪縛から解放してやれるのだろう。苛められた記憶、彼女を苦しめている負の感情そのものが涙と一緒に掻き消えればいいのに。一緒に悲しみや苦しみを抱ければいいのに。

 改めて守る意味を考えさせられる。ココロをどうやったら守っていけるんだろうって。俺にはまだ、恋愛に対する“守る”という気持ちが幼過ぎてどうしていけばいいか分からない。何をどうしたらいいのか、何も分からない。

 でも一つ、はっきり分かっていることがある。今の俺が彼女にできること、それはこうやって傍にいてやることだ。


 ココロ、卑屈になりたければ、なればいいさ。  

 弱音を吐くだけ吐いて、自己嫌悪もして、沢山自分を卑下して。

 心の中が空っぽになるくらい吐き出したら、面を上げて前を向けばいいんだ。過程より結果だろ? 過程が悪くても結果が良ければよしじゃないか。終わり良ければすべてよし。それでいいじゃないか。終わりをよしにするために、俺もココロを支えるから、俺なりに守ろうと努力するから、一緒に頑張ろう。


 ココロはもう、ひとりじゃない。ひとりじゃないよ。

  




「――落ち着いた?」



 どれだけ倉庫裏で時間を過ごしていたんだろう、五分なのか、はたまた一時間なのか。

 時間の感覚はまったく分からないけれど、青空に浮かぶ雲はゆっくりと変形しながら流れて消えている。ゆらり、ゆらり、と揺れているような時間を肌で感じながら、俺はまだ体に縋っているココロの背中を軽く叩く。

 落ち着いたのか、もう体は震えていなかった。耳元で小さな吐息をつくココロは、「大丈夫です……」迷惑を掛けた詫び、そして傍にいてくれる礼を紡いでくる。

 スンッと洟を啜って、上体を起こすココロは目元を制服の袖口で擦りながら小さくはにかむ。


「すっごく……見っとも無い姿を見せちゃいましたね。も、大丈夫です。スッキリしました」


「そっか、なら良かった」


 笑みを返して、ぽんぽんとココロの頭を撫でる。

 振り払うこともなく、擽ったそうに行為を受け止めるココロだったけど、ふと俺と視線を合わせて頬を紅潮させる。最初こそ、その意味が分からなかったけど、忘れかけていた鼓動が高鳴って現状に俺も顔を火照らせる。

 至近距離にココロがいる。しかも体が密接。くっ付いているとも言えるこの現状。


 惜しみなく抱き合った仲ですが、今更ながら緊張している阿呆な俺がいます。

 これは離れた方がいいよな。ちょい、冷静になってみると体勢的にも……煩いぞ俺の心音。ドックドックいってきた俺の心臓、今更じゃないかと、取り敢えずツッコミたい。くっ付いているせいか、向こうの心音も体を媒介に伝ってきた。きっと向こうにも俺の心音が伝い始めていると思う。


「なあ」「あの」

 

 なんで、こう、俺等ってタイミングが良いんだ。ハモるとか、マジどんだけ!

 「先にどうぞ」レディーファーストだと言わんばかりに俺は彼女に発言権を譲る。「いえ、ケイさんからお先に」自分は後でいいと遠慮するココロ。おかげで俺達はお互いの首を絞めるように、沈黙を作り上げてしまった。沈黙ほど気まずい雰囲気はないんだけどな。

 そのままの体勢で目を泳がせる俺達だったけれど、気持ちを引き締めて俺から話を切り出した。


「なあココロ、前にも言ったけど、その……笑った方が好きだからさ。落ち込んでもいいし……卑屈になってもいい……でも最後は笑って欲しいんだけど」


 ぎこちない手付きでココロの顔に手を伸ばして、ちょっとばかし腫れた目元を親指でなぞる。 

 あ、どうしよう。触れなきゃ良かった。心がざわめいている。ココロに触れて、気持ちがざわめいている俺がいる。

 早く手を離さないと、思う反面、体は勝手に動く。半分自制は働いてはいるのだけれど、半分暴走気味の体は、ゆっくりと彼女の頬をなぞって、視線をかち合わせて、目と鼻の先まで顔を近付けて。


 動作は自然だったと思う。  

 真っ赤に頬を染めているココロに気付いた俺は、ぎりぎりのところで自制を働かせることに成功。心中は大荒れとなった。

 アッブネ! めちゃめちゃアッブネ! 俺、ココロになあにしようとしているんだよ! いきなりはいかん、いかんでしょーよ! まだ初デートもしてねぇよ、俺等! 地味野郎田山コノヤロウ! お前はそういう常識を弁えていないのか! お前、イケメソでもないくせに畜生め! 俺のド畜生め!

 

 あああっ、でもこの至近距離と桃色空気、どーするよ、俺!


 内心、大焦り。

 だけど表ではどうにか誤魔化し笑い。「戻ろうか」そっと綻んで、頬に添えていた手で前髪を掻き分けて額に唇を落とした。これくらいは許される気がしたんだ。

 呆気に取られていたココロが軽く赤面するのを見て、我に返った俺も大いに赤面。

 おぉおおっ、許される気がすると思った数秒前の俺乙! なんて大胆なことをしたんでごぜーましょうか! 女の子に、で、でこちゅーとか! でこちゅーとかっ、俺がやるって絵にもなんねぇ! 下書きどころか構図にすらなんねぇ! 嫌がられなかっただけマシかもしんねぇけどマジ、ないって俺。


 ちょっとばかし自己嫌悪しつつも、「よし行こう」皆、待っている、俺はココロに声を掛けて行動開始。

 彼女を膝から退かして、立ち上が……ココロが動いてくれない。ちっとも動いてくれない。膝から退いてくれない。ココロさん、お膝から退いてくれないと俺、立ち上がれないんですが。もしかして怒った? 怒っちゃった? やっぱしこういうのは突然やるべきじゃないよな! うんっ、ごめんココロ!


 これは謝らなければいけない、そう思った俺が口を開く前に、ココロが俺のブレザーの裾を握り締める。

 あーとかうーとか唸るココロは、「…で…す」何やら発言。残念なことに声が小さ過ぎて聞こえない。さっきと同じパターンだ。「ん?」俺は耳を近付けて、もっかい言ってくれるように頼む。するとココロはギュッと裾を握り締めて「これじゃヤです」不満を訴えてきた。


 これじゃヤです。これじゃヤです。これじゃヤです……?

 

 思考回路がフル活動するんだけど、「これじゃヤです」の意味が俺にはサッパリ……いや薄々分かっているけど、まさかそんな……まさかなぁ……色々混乱に陥っている。

 

「そ……それともケイさん……や……やっぱり胸ある女性の方が嬉しいですか?」


 ポクポクポク、ちーん。

 なんて言った? ココロ。ちょ、この子ったらぁ、ますます俺を混乱に落とす! もう、俺の思考回路をショートさせたいんっすかね!


「……はい? なんでそこでそうなって胸が出てくるんデスカ、ココロサン」


「だ、だ、だってさっきは気が動転していましたけど、ケイさん、ふ、ふ古渡さんの胸……う゛ー私、小さいですもんっ。ぺったんこですもんっ」


 そそそそそ、そりゃあ、見てしまうのは男のサガってもんだけど。

 だからって別に俺は胸重視で女の子を選んでいるわけじゃないぞ! てか、気が動転していても、そこはしっかりと見てくれているのねココロさん! スルーして欲しかったんだけどな!

 「違うって!」全力否定する俺に、「だって」腫れた顔で脹れ面を作ってみせるココロ。唇を尖らせて、「期待したんです」小声も小声で俺を見つめてきた。何を期待していたのか、言わずとも分かる。分かっちまった。

 


――おかげで折角忘れようとしていた触れたい気持ちが、無遠慮な言葉によって目を覚まそうとする。



 なあ、ココロ。

 どうしてそんな風に俺を煽るのかな。地味っ子でもさ、フツーっ子でもさ、俺は男だよ。人並みの欲は持っているんだよ。どうしてそうやって煽るかなぁ。すっごく困るんだけど。

 無意識に口に出してたみたいで、ココロは心外だとばかりに口をへの字に曲げてくる。


「ケイさん、私だって女です。人並みの欲くらい持ってます。言われるほど……いい子じゃないですし……清楚な性格でもありません。ケイさんのことだと我が儘にもなります。期待しちゃ駄目ですか?」


 皺が寄るくらいブレザーを握り締めて見上げてくるココロに、俺は目を細めた後、小さく苦笑した。

 勘弁してくれよ、ココロ。そんな風に言われてさ、地味っ子さんも平然としてられるほど大人じゃないんですよ。俺も男、オトコなんだよココロ。好きな女に触れたいって思う、一端の男なんだよ。

 それこそ個人差はあるし、触れたいという意味合いも個々人で違う。不良達からしてみれば俺の思う触れたい気持ちなんてお子ちゃま同然かもしれない。いや、お子ちゃまなんだろうな。触れたいのレベルは極めて低い。

 だけど触れたいには違いないんだ。


 「知らないぞ?」取り敢えず、最後の防波堤を張ってみる。

 「期待をしたいんです」簡単に防波堤を崩すココロに、もう知らないんだと俺は心中で呟いた。

 こんなにも防波堤を張ったのに、簡単に崩してくれちゃってさ。ココロも同罪だからな。俺だけの責任じゃないんだからな。責任は折半なんだからな? 後でウダウダ言われても、俺、怒るだけなんだからな?


 ゆっくり、というよりは無造作で荒々しい動作だったと思う。焦っているわけじゃない、昂ぶりがそうさせているんだ。

 細い腕を引き、片手を柔らかな頬に添えると、ちょっと勢いづけて、薄い肉付きの唇に重ね触れる。爆ぜた欲望は留まる事を知らず、無意識に逃げようとする頭を固定して彼女の呼吸を奪う。彼女の華奢な手が伸び、背中に回った。

 距離がなくなる。角度を変えると、どちらつかずの吐息が漏れた。


 まるで夢のような時間。


 相手のやさしいぬくもりを感じ、酔いしれ、甘い吐息を漏らす。

 ただ唇を重ね合うだけの行為は一瞬だったのか、それとも数秒の間があったのか分からない。

 でも俺達は確かに倉庫裏で互いの唇を重ね合わせていた。馬鹿みたいに緊張して、互いの温度を共有するように唇を重ねていた。遠くから聞こえる風の音、真上を通り過ぎる飛行機の音、倉庫内で話しているであろう仲間達の微かな声を耳にしながら。


 離れる際に視線がかち合う。

 気恥ずかしそうに笑う彼女に笑みを返し、俺は再び前髪をかき分けて唇を落とした。赤面する顔を隠す彼女は、猫のように甘えて肩口に顔を埋めてしまう。

 初めてのキスの味はちょっとしょっぱかった。うん、ココロの流した涙の味がした。誰かが言っていた、初キスはレモン味……じゃあ俺達はなかったけど、これはこれで思い出に残りそうな初キスだと思う。


 「ケイさん」顔を上げた彼女とおでこをくっ付けてじゃれ合う。

 恋人となって初めて“恋人”らしいスキンシップを楽しんだ。意味深な視線を送られる。気持ちを察した俺は羞恥をそっちのけにして言葉を紡いだ。


「好きだよココロ。大好きだ」


 決着がついたら彼女ともっと、スキンシップを楽しみたいな。



 今度こそ皆のところに戻るためにココロを立たせて、自分もすくりと立ち上がる。

 「もう大丈夫です」綻ぶココロは立ち上がった俺の腰に抱きついて、「ありがとう」再度礼を告げてきた。沢山元気を貰ったと見上げてくる彼女は小さく目尻を下げる。


「焦らず……強くなっていきたいと思います。古渡さんにも……負けたくないです。でもヒトリじゃむりだから、傍いて下さい」


 今更だよそれ。俺も目尻を下げる。


「頼まれなくてもいるよ。ココロの傍にいる。だから、俺がどうかなった時は傍にいてくれな」


 「はい」ココロは強く頷いて、はにかんで見せた。

 本調子を取り戻すココロに嬉しさを噛み締めつつ、俺はさっきの初キスの味が忘れられなかった。

 ココロを恋人にするだけでも、すごいことだと思うのに、満足だと思うのに、恋人になった途端これだ。彼女に笑っていて欲しい、泣いて欲しくない、傍にいて欲しい、守りたい、触れたい。次から次に欲が出てくる。

 人を好きになるってこういう感情に苛んだりするのかなぁ。人を好きになるって難しいな、ほんと。


 ただ一つ、どんな気持ちに苛んでも断言できることがある。


「ココロ、みんなが待っている。元気になったことを一番に報告しろよ。特に響子さん、誰よりも心配してたんだからな」


「はい……ちゃんと謝りたいと思います。メーワクお掛けしましたし」


「また落ち込む。謝るんじゃなくて、元気になったことを笑って報告すればいいんだって。皆、それで十分だよ」


 俺は誰よりもココロのことが好きだ。例え本人を前にしても、胸を張って言えることができるよ。



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