03.ヘタレが女を食えるとは思えない、のであるが、しかし



 ◇ ◇ ◇




「うっわっ、嫌な天気だなぁ。雨降りそう。あー頭痛いし」




 それは午前十時を回った曇天模様日和のこと。 

 深夜遅くまで仲間内と飲酒をしていたハジメは、軽い二日酔いに悩まされながら起床。完全に登校時間を過ぎてしまっているのだが、遅刻など日常茶飯事のハジメにとって時間を見ても驚くことはせず、取り敢えず自室のカーテンを開け、空の顔色を窺っているところだった。

 頭痛がすると愚痴りながら、ハジメは窓の向こうに広がっている曇天模様にゲンナリ。頭痛によって気鬱になっている気分が、天気によって更に鬱々と気分を落ち込ませた。


「サボりたい」


 けど、あんまり休むと欠課が増えて進級できなくなる。 

 進級できなかったらエリート両親がなんと言うか……まあ、どうせ不良になった時点で見切られているのだから彼等に思うことはないが、皆と進級できなくなるのは心苦しい。ハジメは小さな吐息をつく、カーテンを閉めた。家に篭っているより、素の自分を受け入れてくれる仲間の下で二日酔いに苦しんでいた方がマシだった。

 洗面をするために廊下を出たハジメは、まずリビングに入り親がいないかどうか確かめる。

 どちらとも弁護士をしているため、今日も早朝から出勤しているようだ。その姿は見受けられなれない。


 昔と変わらず、台所にはラップの被せられた昨晩の夕食と朝食。 

 母親が用意してくれたのだろうが、ハジメは食す気分にならなかった。親が作ったものを、今は食べる気になれなかった。食べただけで胃が拒絶反応を起こしそうだとハジメは苦笑。

 聞いてしまったのだ、昨日の両親の会話を。息子を従順にエリート弁護士に育て上げたかった両親は、今の息子に嘆いている。毎日のように。


 夜な夜なリビングで話し合いをしていらしく、昨晩もハジメは聞いてしまった。

 酔って帰宅した自分が廊下にいることも気付かず、夫婦で熱心に愚息を更生させる方法を。

 今からでも間に合う、息子と話し合って不良達と縁を切らせるべきだ。遅れた分の学力は塾なり何なりで取り戻させればいい。真摯に将来のことを考えさせるべきだ、と両親は息子の存在に気付かず熱弁し合っていた。


 それほどまでに、不良になった息子に羞恥心を抱いているのか。

 完璧でなければ気の済まない両親の固定観念のおかげ様で、こちらは随分と苦しめられてきたのだが、まだ両親は完璧に固執している。優秀な学業で卒業する完璧な息子、エリート道を進む完璧な息子、勝ち組弁護士となった完璧な息子。両親はそんな完璧息子を欲している。


 しかし、大変に遺憾な事に自分も一端の人間。

 欠点だらけだし、弱い部分も多々あるし、自分にも心があり意志がある。好きな事を自由にしたいし、夢だって見たい。彼等の望む完璧息子になどなれないのだ。その息子を恥と呼ぶのならば、自分は恥のままでいい。恥でい続けよう。

 素の自分を受け入れてくれない親に溜息をついて、ハジメは用意されていた食事を生ゴミ入れに放り込んでいく。向こうの手料理を食べない、それは親に対する些少の反抗だった。


 二日酔いを治すために軽く水を飲んだ後、ハジメは洗面をし着替えを済ませ、身支度を整える。

 携帯を確認すれば、新着メールが三件。クラスメートでありチームメートでもある弥生、ケイ、それからリーダーのヨウ。自分が学校に姿を現さないことを心配してくれているらしい。学校に来ないのかと似たり寄ったりのメール内容を寄越してきてくれている。

 こうして仲間が自分の存在を心配してくれている。素の自分を受け入れ、仲間と呼んでくれている。捻くれたことばかり思っている自分を必要としてくれている。ハジメにとって心の拠り所だった。救いの居場所、というべきかもしれない。


 そうこう思っているうちに、また新着メール。今度はワタルからだ。

 『二日酔いで死亡中?(笑)』という茶化した内容のメール。昨晩、自分と飲んでいたメンバーの内の一人だ。笑声を漏らしつつ、『死亡中(笑)』と返してハジメはブレザーを羽織る。中身のない通学鞄を肩に掛けると、携帯を再び確認。

 ワタルから『死亡でもおいでよんサマ』とメールが来たため、『這って行くよんサマ』と返し、メールをくれた皆にも一斉送信で昼前には学校に行くことを伝え、家を出た。


 二階建一軒家に住んでいるハジメは、新築のように綺麗な我が家に背を向けると、ビニール傘を片手に早足で歩き出す。

 早く皆に会ってこの気鬱を晴らしたい。特に弥生と、早く顔を合わせたいものだ。彼女と顔を合わせるだけで二日酔いなど吹っ飛びそうだとハジメは心なしか表情を崩す。綻ばれるだけで、こっちも綻びたくなる。

 と、まあまあ、ここまで彼女を意識する自分も重症のようだ。


(弥生のことを好きって自覚もあるし、意識してるのも分かっている。弥生が僕のことを好いているのも知っている。向こうも気付いていると思う。皆が僕の気持ちを察していることも分かっている。だけど……だけどなぁ……)  


 最近、弥生の期待を含む瞳がこちらに向けられる。

 もしかしたら……いや、そろそろ気持ちを伝えてくれるのではないか。

 話し掛ける度に、話している合間合間に、そう期待の宿った瞳がよく自分の胸を締め付けてくる。困ったものだとハジメは溜息をついた。自分はその気が一切ないのに、その目にやられて思わず……危うく気持ちを漏らしそうになることがあるのだ。


 弥生がやけに期待の眼を向けてくるのは、仲間内にカップルが誕生したからだろう。 

 チーム内に誕生した地味っ子組の初々しいカップル。こちらが思わず羨んでしまうほど幸せそうに会話している姿を、よく目にしている。

 あの引っ込み思案だったケイが舎兄か響子辺りに助言され、後押しされてココロに告白。そうして誕生したカップルの影響の波に乗ってくれるのでは、弥生は自分に大きな期待を寄せてきているのだ。痺れて向こうから気持ちを告げてくるかもしれない。


 そうしたら自分は……。


 足を止め、ハジメは道に転がっている潰れかけのペットボトルを爪先で小突いた。

 ケイが羨ましい。弱さというネックを乗り越えてココロに告白する勇気を持っていたのだから。

 それに引きかえ、自分ときたら、あの時の袋叩き事件が尾を引いているために彼女へ気持ちを告げることに怖じている。もしも告げて、そういう関係になったとしても…、袋叩き事件のように彼女を守れなかったら。仲間の手を煩わせてしまったら。足手纏い、落ちこぼれ、劣等感という名の呪縛が自分を支配する。


 こんなにも自分を許せないのは、本当は劣等感からではなく、彼女をあの時、自分の手で守れなかったことにあるのかもしれない。

 不器用でも不恰好でも無様でも、あの時、彼女を自分の手で守る事ができたならば……彼女だけでもあの現場から逃がすことができたならば……仲間達の下に送り返すことができたのならば……自分をここまで卑下することはなかったかもしれない。劣等感に苛むこともなかっただろう。

 好きな女を守ることが出来なかった現実を悔やんで、自分をいつまでも責め立てているのだ。そうハジメは自身を分析した。


 「負けず嫌いなのかも、僕」頭部を掻き、いつの間に止めていた足を動かす。


「(もしも弥生を守ってやれていたら、僕は堂々告白をしていたんだろうな。過去に囚われる男だよな、僕って)ん? あれは……」


 下り坂をおりているハジメの足が再び止まる。坂の最後尾に不良の群らしき軍団。


「不良が群をなすとカラフル集団だなぁ」


 不良の自分が、人サマのことは言えない立場じゃないけど。

 片方の眉根をつり上げ、目を眇めるハジメの本能は警鐘を鳴らしていた。関わらない方がいい。おりることをやめ、別のルートで学校に行こうと踵返す。


 すると向こうからニコッと笑顔を零して自分に歩んでくる女不良が一匹。  

 自分とお揃いの色を持つシルバーの長髪を一束にし、尾のように束を揺らしながら自分に向かって来る。

 随分と胸のでかい女だと思いつつ(男としてそこを見てしまうのは本能的。仕方が無いことである)、自分に用事があるという足取りだが、気付かぬ振りをしてハジメは坂をのぼり始めた。関わるだけ無駄だと自分に言い聞かせ、早足で女の脇をすり抜ける。


 次の瞬間、しなやかな腕が伸びて自分の腕に絡んでくる。

 嗚呼クソッ、捕まった。多分来るとは思っていたが現実として起こってしまうと気鬱と苛立ちが増す。軽く舌を鳴らし、「ナニ?」その手をぞんざいに振り払う。気安く触るな、お前誰だよ、馴れ馴れしい、でかい胸しやがって、内心で嫌悪感を募らせていた。

 そんなハジメに気にすることもなく女不良はニヤッと口角をつり上げ、グロスの引いた唇を動かす。


「ハジメサーン、私達と遊びましょう」


 まったくもって面識がないのだが、向こうは自分のことを存じ上げてくれているようだ。

 しかも私“達”って私とじゃなく、複数でのお誘いですか。ありがた迷惑なお誘いだ。背後に感じる複数の気配に冷汗を流しつつ、「間に合っているから」ハジメはお誘いを丁重に断った。勿論、それで逃れられるとは露一つ思わないけれど。


(さてとこの雰囲気は利用……されるのかな。だったら僕は――)


 真上の曇天は近未来を予測しているように、雲の層を厚くしていた。




 ◇




「――ハジメ、遅いなぁ。何してるんだろう」


 

 昼休み。

 どんより曇天模様の下、体育館裏で昼食を取りつつ談笑してた俺達は、ふと漏らした弥生の独り言に話を打ち切った。


 そういえばハジメの奴、昼休みくらいには学校に来るとメールで言っていたのに……遅いなぁ。

 昼前には着くと言ってなかったか? まあ、ワタルさんとシズで夜通し飲んでたみたいだから、二日酔いで死んでるのかもしれないけど。まったく未成年が飲酒とかありえないんだぜ! お酒は二十歳から、それを守らないからハジメのように地獄を見るんだ。うん。

 飲み過ぎは体に毒だっつーの。俺は二十歳過ぎても飲み過ぎないよう気を付けるんだぜ。

 

 つまらなさそうに唇を尖らせる弥生は、早くハジメが来てくれるようグチグチ。

 ほんと、弥生はハジメが好きだな。そんなに好きなら告っちゃえばいいのにな! ……まあ、最近まで告ろうかどうか悩んでいた俺が強く言えることじゃないけど。


「随分と飲んでたしねぇ。ハジメちゃーん。死亡中かもよんさま」


 ワタルさんはヤキソバパンを頬張りながら、そのうち来るでしょうと興味なさ気に答えた。

 ンー、というか飲み過ぎて二日酔いバッタンキューなら今日は来れないんじゃないか? 強がっても、体が不調なら……なあ?

 だけど来ると言ったからには待つ人もいるわけで、弥生はさっきから来ないかな来ないかな来ないかなぁ……もはや口癖になってらぁ。

 あんまりにも口癖になっているもんだから、「電話してみりゃいいだろ」ウンザリしたのかヨウが打破策を出す。耳にたこができる、なんてヨウは愚痴を零しながらあんぱんにかぶりついていた。何処も春だねぇ、なんて嫌味垂れながら。


 ……なあヨウ、俺、カンケーなくね? ここで俺を出すのはおかしいだろ?


 確かに春です。 田山圭太には春が来てます。そりゃもう人生薔薇色。これまでにない恋愛経験をしてますが、ここで俺に嫌味を飛ばすのもどーかと……いいじゃんかよー! 散々お前の我が儘と思いつきに振り回されてきた俺なんだぜ?! 俺だって幸せになる権利くらいある善良な一般市民! 苦労を重ねた分、幸せになりたい! 春の幸せを噛み締めてごめーん!

 俺の心中反論を余所に、「電話してみる」弥生はイソイソと携帯を取り出す。機器を耳に当てて、向こうの反応を待っていた。どーせ弥生が電話したら、二日酔いでも飛び起きて出るんだろうな。だってあいつ、弥生のことが「貴方、誰?」


 ん? 弥生さん? 声音がめっちゃくちゃ低いんだけど。


 揃って俺達は弥生に目を向ける。

 そこには幾分時を纏った弥生の姿が。どうしたよ、弥生、一体全体ナニが……「お楽しみ中失礼しました!」フンッと鼻を鳴らして電話を切る始末。えええっ、ナニ? どうした? 弥生さん、なんでそんなに「ヨウ! 私と付き合って、彼女にしてー!」


 はああ? そこで告白っすか?! 何がどーなってそうなった?!

 事情もロクに呑み込めていない俺等は、弥生の突拍子もない発言に目が点。弥生以外の男共は大層間抜け面を作っていると思う。

 一方、「あんな奴知らない!」フンッと鼻を鳴らし、ジタバタと足をばたつかせて苛立ちを見せているのは弥生。「ワタルでもいいや!」フリーになっている男に対して、積極的に彼女してくれアピール。


「こうなったらケイ! 私と!」


 そして俺に飛び火してくるというね! 俺は自他共に浮気許さない派だぞ!


「じょ、ジョーダン言うなって! 俺にはココロがいるから……昼ドラな展開はごめんだぞ! 響子さんにも殺される!」


「ううっ~! ケイの馬鹿! 勝手にココロとイチャイチャしときなさいよ!」


「完全に八つ当たりだろ、それ!」


「うっさい! ……ヨウ、ワタル~!」


 ちょ、ちょちょちょ、待ちなっせ弥生さん。

 アータにはハジメというボーイがいるじゃアーリマセンカ! そんな自棄を起こして告白しても、男はときめきませんわよ! ……本当にどうしたよ。

 キィキィ喚き声を上げている弥生をどうどうと宥め、ワタルさんはどうしたのと苦笑。もしかして女の子でも電話に出た? ワタルさんはジョークで言ったつもりなんだけど、「馬鹿ぁあ!」煩いとばかりに弥生はバシバシとワタルさんを叩く。


 うっわ、痛そう……ワタルさん、本気で叩かれているよ。


 「お、落ち着いてってばん!」さすがにワタルさんも堪えかねたのか、真面目に女の子が出たのかと聞く。


「ドヘタレハジメなんて嫌い!」


 声音を張って、そっぽを向いてしまう弥生は、知らないもんと階段隅っこに移動。スンスン洟を啜った。仕舞いには、「もうやだぁ」涙声で失恋じゃんかとブツブツ。


 俺達は顔を見合わせて、重々しい空気に暫し沈黙。

 その内、空気を裂いたのはヨウ。膝を抱えている弥生に歩み、「女が出たのか?」努めて優しく彼女に問う。頷く弥生は、「お楽しみ中だって」だから邪魔するなって……涙声のままヨウの問いに返答。

 おいおいおい、お楽しみ中って……あいつ、二日酔いでぶっ倒れてるんじゃないのかよ。

 もしかしてアダルティーワールド展開中? ……なあにしてるんだよ、ハジメ。それはおまっ、弥生に対する裏切りだろ。いやでも、あいつ、ああ見えて一途そうだから、そんなことする奴じゃないだろ。


 ヨウもおんなじことを思ったらしい。


「ちったぁ落ち着け」


 今までのハジメを思い返してみれば、ありえないだろと弥生を慰めた。


「今度は俺が掛けてみっから。何かの間違いかもしれねぇだろ? だいったいあのヘタレが女を食えるタマかよ。童貞だろ? あいつ」


「そーそー。童貞ちゃんだって言っていたよ~ん。ケイちゃーんと同じだよ。良かったね! あ、ケイちゃーんもその内、ガオーッと」


 そういうデリカシーのないお話に慣れていない俺は、どう反応すればいいんでしょうかね?  

 少なくとも今の俺はココロとそういう行為をやるつもりないよ! 興味があるなしに関わらず、今はココロを大切にしたいんだ! と、心中ではありますが胸を張って言ってみる! 口に出したらバカップルと言われかねないし……落ち込んでいる弥生の傍で、そんなこと言えるかよ。KYだろ。


 俺の心配を余所に、ヨウは弥生の頭に手を置いてぽんぽんっと気を落ち着かせるように一撫で。

 携帯を取り出すとハジメに電話を掛け始める。舎兄がコールを待つ間、俺とワタルさんはアイコンタクトを取ってダンマリと昼食を胃に収めていくことにした。

 こういう時、女の子になんて慰めの言葉を掛けてやればいいんだろう。女の子がいてくれたらなぁ……弥生を慰めてくれるであろうココロや響子さんは他校生徒だから。


 重々しい空気に圧死されるそうになりながら、ヨウの反応を待つ。


「出ねぇ……」


 ポツリと投下された発言によって、その場の空気は鉛以上の重量感を増す。

 ハジメのドチクショウ、超空気が重いぞ。いや重たいってもんじゃない。本当に圧死されそうだぞ。早く出ろって。

 この空気の元凶なっている弥生は思い人に馬鹿と一呟きして、身を小さく丸める。ヨウが気を利かせて何度も電話を掛けるんだけど、コールが繋がるだけ。出る気配は無い。


「もういいよ」


 弥生の言葉でヨウは諦めたように携帯を閉じる。


 暫く様子を見よう。ヨウが俺達に目でそう訴えかけてきたから、俺達は頷くしかなくて……昼休み途中から俺達の間で一切会話が飛び交わなくなった。

 曇り空の顔色が一層濃くなり、淀んだ空気が俺達をいつまでも取り巻いていたのだった。


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