10.女の子の“ありがとう”は男の勲章




 少しずつ落ち着きが戻ってきた。


 俺はゆっくりと息を吐いて生徒手帳をブレザーのポケットに仕舞う。気持ちに静寂が戻ってくると、今度はドッと疲労が襲ってきた。四時半に電話で叩き起こされた上に、朝から緊張しっ放し。その緊張が昼間で継続してゲーセンで一騒動、喧嘩で二騒動、疲労が襲って来るはずだ。

 チャリを全力で漕ぎ過ぎたせいか、結構足にキている。ヤバイわけじゃないけど、明日は筋肉痛かもしんねぇ。


「か……帰りてぇ……」


 家に帰ってシャワー浴びてそのままベッドにダイブしたい。夕飯は要らない、とにかく俺に安息の時間を与えて欲しい!

 帰ろうかな。中はまだ取り込んでいるだろうし、此処で暇を弄んでも仕方ないし……勝手に帰っていいかな。勝手に帰ったら怒るかな、ヨウ。怒ったら恐そうだしな、殴られたらヤダもんな。

 不良に蹴りを入れたりはしたけど(今思うとスッゲーゾッとする)、あれとこれは別件だ。

 唸り声を上げて俺は悩む。


「ケイ、ケーイ。どこだ」


 俺を探している声は舎兄のものだ。中から出てきたヨウは俺の姿を見つけると、顔を顰めて「何してやがるんだよ」と文句をつけてきた。帰る選択肢を早々と決めなくて良かった。あの不機嫌そうなヨウの顔を見て俺は引き攣り笑い。歩み寄ってくるヨウは此処で何しているのか聞いてくる。


「此処で休憩してた。あの中、埃っぽいっつーか何か休憩する気になれなかったから」 


 ヨウ達の話に参加するのは不味いと思ったから、そうストレートに言っても良かったけど何か気が引けた。「そんな理由かよ」ヨウは脱力してきた。


「だったらヒトコト言って外に出ろって」


「ごめんごめん。さっきの人、大丈夫なのか?」


「ハジメなら大丈夫だ。響子と弥生、あとタコ沢が今から病院に連れて行く」


 響子さんや弥生は分かるけど、タコ沢って……。

 工場から出てきたタコ沢の背には、しっかりとハジメと呼ばれた不良が背負われている。

 顔面に数箇所殴られた痕があるのは、まさかヨウの仕業か。哀れタコ沢は学校でもパシリくん、今もパシリくんされているんだな。お前、ファイト精神で此処まで追い駆けて来ただけなのにな。

 けどしっかり病院に連れて行けよ。じゃないと今度はお前が病院行きになるだろうから。弥生と目が合う。はにかんで弥生がこっちに手を振って走ってきた。


「ケイ、此処にいたんだ。帰ったかと思った」


 帰ろうとしていました。なんて口が裂けても言えない。休憩していたんだと言えば、弥生が「そっか」と言いながら照れたように笑ってきた。


「さっきは助けてくれてアリガトウ。ケイって、ヨウが言っていた舎弟だったんだね」


「ま、まあ……ね」


「これから宜しくね。ケイ。本当にアリガトウ、カッコ良かったよ。あ、そうだ。今度メアド教えてね」


 ふんわりと笑って弥生は響子さん達のところに戻って行く。

 病院に行く為、三人は一足早く廃工場を後にした。タコ沢は「なんで俺が」って嘆いていたけど、ちゃんと病院に連れてって行くみたいだった。

 三人、いや怪我人を合わせた四人の背を見送りながら、俺は口元を緩めてしまう。

 俺、女の子からあんな風に笑いかけられて「ありがとう」とか「カッコイイ」とか言われたこと無かったな。面と向かって言われると、少し照れた。けど悪いもんじゃない。俺の中で宝物になりそう。ああいうこと一生言われないような気がするし。


 照れ隠しをするように頭の後ろで手を組むと、ヨウが意地悪く笑ってきた。


「素直に表情に出しても良いんだぜ? 俺、優しいからお前の顔を見ないようにしてやるよ」


「う、煩いな」


 ヨウに言われて顔が熱くなった。

 もしかして俺、飛び跳ねて喜びたかったのかも。どんだけ俺、こういうことに縁がないんだよ。

 なんか嬉しさ半分、虚しさ半分になっちまった気分。だけどやっぱ嬉しさが勝った。嬉しいもんは嬉しいしな。表情には出さないよう努力するけど、素直に嬉しさを噛み締めておこう。


 あ、これからどうするんだろう。


 ヨウに聞けばゲーセンに戻るらしい。ココロをゲーセンで待たせているし、全然ゲームできなかったから。ってあれ? ゲーセンに戻る? そりゃココロがゲーセンで待っているだろうから戻らないといけないだろうけど、俺まで戻る必要ないんじゃね?

 俺、マジ疲れたんだけど。


「ゲーセンに戻って、少しは鬱憤晴らさねぇとな。マジ今の出来事のせいで腹立った。ケイ、戻ったらエアホッケーしようぜ」


 きちゃったぜ、エアホッケー。

 意外とカラダを使うあのエアホッケーきちゃったぜ。俺、クタクタなんだけど。バリ疲れたんだけど。


 だがしかし、遺憾なことに断る勇気が無いから愛想笑いで承諾。さっきの俺だったら断れたのかな。いや断れないだろうな。ヨウ、やっぱ不良で恐いし。小さく溜息をついているとモトが俺の前に現われた。疲れている時に疲れる奴が現われちまったよ。勘弁して欲しいって。どうせ嫌味とか皮肉とかそこらへん言いに来たんだろ?

 キッと睨んでくるモトに俺は心の中で溜息。俺の心中を知ってか知らずか、俺を指差して声を張ってきた。


「活躍したからって天狗になるなよ! オレはお前のこと舎弟だなんて認めてねぇえんだからな!」


「はいー……了解です。天狗にならないよう肝に銘じておきます」


「け、けけけどな! じー……自転車のッ、う、腕は認めてやるよ。な、ななな仲間としてもな!」


 腕を組んで鼻を鳴らしてくる。光栄な言葉ばっかだけど……モト、お前さ。俺が先輩だってこと忘れているだろ。俺、一応お前より一年早くこの世に生まれたんだぜ。一年先輩だぜ。分かっているか? そこら辺。


「で! でッ……でー……お前の名前ッ、何っつった! オレの名前は分かるだろ!」


「貴方様は基樹。俺はケイ。これで宜しいですかね?」


「ケイか。ケイね……オレのこと、モトって呼ばせてやるバッカヤロ! 宜しくもしてやるよ!」


 バッカヤロ……おまっ、バッカヤロはあんまりだろ。


 俺的には宜しくしたくない。初対面で殴り掛かってきた奴だもん。出来ることなら宜しくしたくない。まあ不仲になるよりはマシか。

 「どうぞ宜しく」言葉を返すと、フンと鼻を鳴らしてそっぽ向いてきた。

 ヨウが溜息をついて「何でそんな挨拶になるんだか」と呆れている。慕っているヨウに呆れられたことが少しならずショックだったのか、シュンと表情が落ち込んでいた。


 モトの気持ち、分からないわけでもないんだ。

 尊敬していた奴に舎弟ができて、しかもその舎弟が弱そうでフッツーの奴だったら、やっぱ抵抗があると思う。俺がモトの立場だったら殴り掛かってはいかないけど不満は抱くと思うし。舎弟は認めてないけど、自分達の仲間としてなら迎えてくれると本気で言ってくれているようだから、今の挨拶で殴りかかってきたことは許すとしますか。


 ゲーセンに戻る為、俺はチャリに跨る。俺以外は途中まで徒歩。バイクは適当に近くのコンビニの前に置いてきたらしい。「歩きダルイ」シズが欠伸を噛み締めて眠そうな顔をしていた。ワタルは俺に乗せてって頼んできたけど、ヨウが「俺の特権だから」って後ろに乗ってきた。

 ニケツは違反なんだけどな。俺は心の中でツッコんだ。


「ケイ。帰りも裏道な。早くホッケーしてぇ」


「りょーかい。行きみたいに荒運転にはならないから安心しとけよ」


 とはいえ、裏道か……また坂を上ると思うと俺は気が滅入ってしまう。しゃーない、裏道使った方が早いから頑張って坂は上ろう。明日は絶対に筋肉痛だろうな。覚悟しておこう。俺はペダルに足を掛けた。

 あ、そうだ。まだ落ち込み気味のモトに声を掛けた。

 俺に声を掛けられた途端、気丈になって「何だよ! 話し掛けんな!」突っ返してくる。お前、本当に仲良くしてくれる気あんのかよ。気を取り直して話を持ちかける。



「あのさ。パーフェクトストーリー。やるなら貸「煩いな! 話し掛けるな! って、え?」さなくていいみたいね。分かった、ごめん。もう話し掛けない」



 遠目を作って俺は前を向くと、ヨウにしっかり掴まるよう言ってペダルを踏んだ。うん、やっぱ俺、モトとはお友達になれない。これ、不良とかそれ以前の問題。

 前進する俺達の前にモトが飛び出してきた。

 驚いて俺は急ブレーキを掛ける。俺もヨウも前屈みになって、危うくチャリを倒すところだった。ヨウが「危ねぇだろうが!」って怒声を張ってくるけど、今のモトには聞こえていないようだ。目を輝かせて俺に纏わり付いてくる。


「なあなあ! 貸してくれるの⁈ なあなあ!」


「ちょッ、纏わり付くなってッ……モト、今、断っただろ」


「断ってねぇよ! 舎弟は認めてねぇけど、アンタの自転車の腕は認めたし! なあなあ、さっきの話! ケイ、ケイ先輩!」


「……ケイ先輩って」


 今更。お前、今更。


「おい、ケイ。モト。その話は」


「オレ、ゲーム大好きなんだって! 金ねぇから買えねぇけど、ゲーム大好きなんだって!」


「大好きっつーのは分かったけど、今」


「断ってねぇって! 先輩の意地悪!」


 男の脹れ面に俺は萌えないからなモト。


「おい……ケイ、モト」


「なあー今貸してくれるって言ったよな。な」


「うわっつ、ゆ、揺らすなって! チャリ倒れるだろ!」


「テメェぇええ等、俺をシカトしてんじゃねえ! ゲームの話はゲーセンでしやがれ! モト、邪魔だ! ケイ、さっさと出せ!」


 ヨウの怒りにモトはサッとチャリから退き、俺は素早くペダルを漕ぎ始める。

 怒られた。不良からッ、舎兄から怒られた。やっぱ不良恐ぇえええって! ビビる俺を余所にモトはヨウの怒りよりも、ゲームを貸してくれるかどうかの方が気になるらしく「ゲーセンで話そうな! センパーイ!」後ろから声を掛けてきた。

 モトって調子がイイっつーか、ご都合主義者だろ! 先輩とか、どの口がそんなこと言っているんだ?


 俺達の様子にワタルさんの笑い声が、シズの欠伸が聞こえた。



 ◇ 



「荒川が舎弟を作るとは面白じゃねえか。しかもアイツとは正反対のプレインボーイ、か」


 あの荒川がプレインボーイを舎弟にするなんざ、どういうジョークだろうな。

 ま、あいつのことだ。 深い意味はないんだろうがこっちとしてはオモシレェ。プレインボーイが不良の舎弟、しかもあの荒川の舎弟がプレインボーイ。見たところチャリ以外は何の取り得も無さそうな奴だったがオモシレェ奴だとは思った。


「田山圭太。通称ケイ。荒川に関わった以上、俺とも関わっちまうことになるラッキープレインボーイ」


 口角をつり上げ、動かしていた足を止めると小さく点にしか見えない廃工場を振り返る。


 

「近いうちに会おうぜ、プレインボーイ」

 


 ふわり、と青の混じった黒髪が風に靡いた。



 ◇



 エアホッケーをしているワタルさんとモトを眺めながら、俺はグッタリとスロットマシーンに備えられている椅子に座っていた。

 さっきまで俺とワタルさんがエアホッケーをしていたんだけど、やっぱ疲労した体にエアホッケーは辛い。しかもワタルさん強過ぎ。瞬く間にスマッシュを決めて来るんだもんな。守ることで精一杯だったよ。

 その前はヨウとしたんだけど、やっぱりスマッシュが凄いのなんのって。

 シズはホッケーをせず、椅子に座ってうたた寝をしている。ホント寝ることが趣味なんだな。


 そうそう、モトとやった時は互角だったんだ。


 いやモトとした時は、向こうの一方的にゲームがどうのこうので試合に集中してなかったからかもしれない。

 打ってくる度に「ゲームのことだけどさ!」って言ってくるんだぜ? モトのゲーム好きに俺はある意味感服。やりたがっていたソフトを貸すことにした。貸すって言った瞬間のアイツの顔、ホント子供のように輝いていた。

 試合終わってもモトはさっきまで執拗にどんなソフトを持っているか聞いてきたんだから、ホント好きなんだな。ゲーム。俺も好きだけど、モトまでじゃない。

 膝に肘を付いてボンヤリと試合の様子を見ていると、ココロが俺に何か飲むかと話し掛けてきてくれた。


「何か飲むなら、買って……来ましょうか?」


「いやいや、そんな悪いよ」


「そ、騒動でお疲れ……か……と思って……わ、私、何も役に立ててないし。せ、せめて何か飲み物をと…思って」


 「でもみんな要らないって言うんです」と落ち込んでいるココロは、目を泳がせながら手遊びをしている。

 これは罪悪感を抱く。断って罪悪感を抱くのも変な話だけど罪悪感がヒシヒシ。ココロは「何か用があれば……」と口ごもっている。

 こうやって気遣ってくれるココロは凄く優しいんだと思う。俺が飛び出した後、ずっと気にかけてくれていたみたいで戻って来た時、「怪我はありませんか?」って心配してきてくれたし。他の皆に怪我は無いか聞いていたし。仲間のひとりが病院に行ったってことを聞いて、慌てて電話をかけていたし。

 ココロって名前のとおり、心優しい性格なんじゃないかと思う。


 まだ今日会ったばっかだからハッキリとは言えないんだけどさ。喧嘩騒動の手助けを出来なかったから、自分の出来る限りのことをやりたいんだよな。俺は鞄から小銭入れを出して200円をココロの手に押し付けた。


「サイダー。ペットボトルで宜しくな」


「え。あ……は、はい!」


「じゃあ、俺も同じのな」


 いつの間にやって来たのか、ヨウが五百円玉をココロの手の平に落とした。

 パァと顔を明るくしてココロは小銭を握り締めると、小走りで階段に向かって行った。可愛らしいよな。ああいう顔をする女の子。見ていてほのぼのしちまう……そう思うのは男として普通だぞ? 俺は断じて変態じゃない。

 ココロの背を見送った後、ヨウに目をやる。


「エアホッケーはいいのか?」


「休憩だ。ワタルとしていたら、体力消耗しちまった」


「ワタルさん強いもんなぁ」


「俺ほどじゃねえけどな」


 その自信、是非俺にも分けて欲しいぜ。断言できるヨウに羨ましさを感じた。


「ハジメがあの程度の怪我で済んだのは、あの時俺を追い駆けてきたケイ、テメェのおかげだ」


 突然の言葉に、俺は目を皿にしてヨウを見る。ヨウは目を細めて試合を眺めていた。遠回し礼を言っていることが分かった。

 仲間思い、ワタルさんはヨウのことをそう言っていた。本当にそう思うよ。じゃないとこんな風に遠回し遠回し礼なんか言ってこないだろ。義理や人情を大切にする不良だとは思っていたけど、ホント大切にする奴だよな。俺も試合に目を向け、そっと口を開いた。


「舎弟って舎兄の後を追うもんだろ。違うか?」


 こっちを見てくるヨウと視線をかち合わせ、俺は笑ってやった。

 不意を突かれたように目を丸くしていたヨウは、俺につられて笑うと背中を叩いてきた。


「もう一戦しようぜ」


「ちょ、それは俺」


「おい、ワタル! モト! そろそろ交替しろ!」


 まーじーかーよー。 

 俺、まだ休憩しておきたい。出来ることならこのまま座っておきたい。

 だけどヨウに意見するなんて大それたこと出来ないから、俺は渋々椅子から下りることになるんだよな。そうやってヨウの後を追うから、俺、どんどん厄介事に巻き込まれていくんだろうな。

 自分の起こす行動に一理原因があると分かっていても、追わないわけにはいかないじゃないか。

 あの時のヨウの必死な顔を見たら、仲間がどうのこうの不良を見たら、尚更だ。不良は恐いけど、舎弟の話を白紙にしたいけど、後悔するような選択肢はしたくない。


 だから、取り敢えず俺は舎弟として舎兄の後を追うことにするんだ。


「ケイ、早くしろよ」


「おー。今、行く」


 椅子から下りて俺は台に向かう舎兄の後を追った。


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