15.五財盟主、柚木園


 □ ■ □



 御堂先輩と合流した初っ端からハプニングはあったものの、俺は無事に彼女と文化祭を回り始めることができた。

 昼ご飯に買ったホットドッグを食べてしまうと、王子が張り切って学院を案内してくれる。

 ご機嫌に模擬店を紹介した後は各クラスの催し物をのぞこうと背中を押したり、部活動生が催している教室をのぞこうと腕を引いたり、少し目を放したら俺のために飲み物を買っていたり。いつも以上に活発的な彼女を見ることができた。


 なにせ、俺と御堂先輩にとって初デートになる。

 居候という形でひとつ屋根の下にはいるものの、お互いに部活やら、家庭教師やら、俺の遠慮やらのせいで、こうした“普通のデート”をすることはできなかった。王子は普通の高校生が送るような生活や、純粋な関係に、羨望を抱いているというのに。

 だからこそ今日の文化祭を楽しみにしていたようだ。積極的に模擬店に誘ってくる。少しでも、借金の有無で築き上げた関係を忘れたいがために。


 これは俺の憶測。王子は何ひとつ、胸の内を語っていない。

 でも、分かっているんだ。彼女のはしゃぎようを見ていたらさ。分かっているからこそ、少しでも応えたい。


「御堂先輩。お化け屋敷があるみたいですよ。行ってみません?」


「ああ、それ。僕も行きたいと思っていたんだ。楽しみだな、豊福が怯えて僕の腕にしがみついてくれる姿」


 なにより笑顔が見たい。

 俺も積極的に王子を誘い、模擬店や教室を回った。残念なことに多くのファンの目やら、ガードマンやら、友人を装った召使が傍にいて、ふたりっきりの時間とは言い難いものはあったけど、有意義のあるデートの時間を過ごすことができた。


 まあ、お化け屋敷は二回目だったし、王子の腕にしがみつくことはなかったけどね。

 それにつまらないと不満を唱えた御堂先輩のために、お嬢様主義の博紀さんが満面の笑みを浮かべると、


「お嬢様のためにも、空さまには腕にしがみついてもらわなければ困ります。さあ、空さま」


「へ? ちょ、博紀さっ、タンマタンマタンマっす! 俺は高い所はっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ! ゆるじでぐだざい! いやだー!」


まともに二階の景色も見ることのできない高所恐怖症を、窓辺に連れて行こうとした。

 半べそを掻いた俺は、博紀さんの手を逃れ、王子の腕にしがみつく。「これでよし」それに満足気に笑ったものだから、彼は鬼である。生粋の鬼である。人の皮をかぶった悪魔だといっても過言ではない。


「博紀。君ってさり気なくエスいところがあるな」


 こういう展開は望んでいないと呆れる御堂先輩の手が、ヒトの腰に回っていたのだから、まったくもって説得力がなかった。




「あと、二十分で店番に戻る時間か。早いな」


 携帯を起動した御堂先輩が、物足りなさそうに唇を尖らせる。

 もう、そんな時間か。早いな。それだけ濃厚な時間を過ごしていたってことだよな。途中で半べそを掻くこともあったけど……。


「二十分あるなら、もう一教室くらい回れません?」


 俺はぎりぎりまで見て回ろうと、王子に提案する。

 えっと、今は北棟の三階。このフロアの教室に入るのも手だと思う。ボーリングに輪投げ、被服部のファッションショー。うーん、映画鑑賞は二十分じゃ足りないな。

 でも、近くに時間を潰せそうな教室はありそうだ。


「あ。珍しい、人形部ってのがある。この斜め前の教室に、人形部の作った人形を展覧しているみたいっすよ。行ってみません?」


 すると、それまで肯定の返事をしていた御堂先輩から、はじめてノーが出た。

 人形に興味がないのかと思いきや、「あそこは危ない」意味深長に眉を寄せている。危ないってどういう意味だろう。珍しい部活だし、ちょっとのぞいてみたい気持ちがあるんだけど。


「そんなに怖い人形でも飾っているんっすか?」


 人形部のある教室の前に立つ。

 中をのぞこうにもカーテンで遮られている。ぐぬぬ、怖いものは好きじゃないけど、中を隠されるようにカーテンがしてあると、のぞいてみたくなるのが人間のサガでして。


「ばか! 近づくな!」


 戻って来いと御堂先輩が手招いた、次の瞬間、その教室の扉が半分ほど開き、ほっそりとした白い手が伸びた。


「へ?」


 間の抜けた声と共に、俺は中に引きずり込まれる。ちょっとしたホラーである。

 教室は真っ暗だった。遮光カーテンを閉め切られているせいだろう。それでも中が確認できるのは、スタンドライトが点っているからだ。

 おかげで俺は背筋を凍らせてしまう。たくさんの人形が並んでいる。どれも人の容をしたお人形で、ゴスロリから着物まで多種多様。ライトの当たる光と影によって、同じような表情が一つひとつ違って見える。


「こ、こえー。早く出よう」

「そんな悲しいことを言わないで下さいまし。殿方」


 ひっ。

 首にひんやりとしたものが巻きついてくる。それが、人の手だと気づくのに時間が掛かった。

 ぎぎぎっ、首を動かすと真っ白な肌を持った少女が微笑んでいた。それこそ日本人形のように、長く美しい緑の黒髪を揺らすパッツン前髪少女。もしや、この人形の生み出した親玉か。貴様、その正体は人形だな? ええい、悪霊退散! ……さて、そろそろ馬鹿はやめよう。


「ようこそ。人形部のお茶会へ。お席はすでにご用意していますよ。“豊福空”殿」


 こわいこわいこわい。

 なんでこの子、俺の名前を知っているの?! んでもって、いつまで人の首に両手を絡めているんだい。妙に危機感を覚えるでしょうが!


「ああもう、やっぱりかおるに捕まっていた。はあ、厄介な子に見つかってしまったよ」


 後を追って来た王子の姿に、どっと脱力してしまう。安心したからだろう。


「やっぱり、薫を避けていましたのね。ひどい王子様」


 つ、と細い十本の指が首を滑り、背中に落ちていく。

 しゃきんと背筋を伸ばした俺は警鐘を鳴らす本能に従って、その手を振り払うと急いで王子の後ろに隠れた。情けない? へたれ? おおう、どうと言え。俺は男の矜持より、身の安全を取るバカタレさ。


 人形、じゃない、彼女を改めて観察する。

 異様な空気を放つ、その身なりは無地の黒着物、帯まで真っ黒だ。あれはどう見ても喪服にしか見えない。

 名前は柚木園ゆずきぞの かおる。俺と同い年の16らしい。


「玲お嬢様。空さまは見つかっ……あなた様は」


 遅れて入って来る博紀さんの表情が険しくなった。さと子ちゃんは、きょとん顔を作るばかり。この反応からして、彼女は財閥関係者か。


「うふふ。そう警戒しなくても、大丈夫ですよ。今日の薫は“何も”いたしません。そう何も。ただ、そこの空殿をお茶会にお誘いしているだけですので。玲殿も、どうぞご一緒に」


 ただし、部外者は出て行ってもらいたい、そう柚木園さんは形の良い唇を口角を持ち上げた。

 な、なんだ。この人の取り巻く空気が恐ろしくもあり、危険でもあるような気がしてならない。身の危険を感じる。いつも性的に感じる危険じゃなく(言ってて虚しい……)、命に係わる、そんな危険が全身をめぐる。


「まさか、薫のお誘いを断るなんて無粋なことはしませんよね。同じ財閥界に身を投じる五財盟主の人間同士として、ぜひ談笑をしたいのですが」


 五財盟主。

 彼女は今、そう口にした。

 ということは、この人は御堂財閥と同じように、財閥界の頂点に立つ一族のひとり。


「分かった、可愛いお嬢さんの誘いを断る理由なんてないしね。ただし、目安は十分だ。それ以上は長居するつもりないよ。僕は茶屋に戻らないといけないからね」


「空殿だけお残りなられては如何でしょう? 悪いようにはしませんよ」


「悪いけど、僕は心底嫉妬深い女でね。豊福を他のお嬢さんに預けたくないんだよ。特に五財盟主の中で、最も危険と称されている“柚木園”財閥の人間にはね――単刀直入に聞くよ。何が目的だい? 彼をずっと監視している理由を聞こうか」


「おやおや。どこにそのような根拠が?」


「言ったろう? 僕は嫉妬深い女だと。彼が他のお嬢さんに取られないよう、それなりに手配しているんだ。“柚木園”財閥はあのくそジジイと深い繋がりがあるしね」


 微笑みを深める柚木園さんと御堂先輩の、目は含みあるものが宿っている。

 俺には、双方が肚の読み合いをしているように思えた。互いの関係の詳細は知らないけれど、これだけは分かる。俺は厄介な沼に足を突っ込んで、王子に迷惑を掛けてしまったようだ。とほほ、ごめんなさい、御堂先輩。止めてくれたのに。


 柚木園さんに誘われるまま俺達はお茶会とやらに参加した。

 どう見ても、断れる雰囲気じゃない。柚木園さんがそれを許してくれなさそうだ。ああ、廊下で待機している博紀さんと、さと子ちゃんが心底羨ましいな。王子を一人にするつもりは毛頭ないけど、でも、こんなお茶会に参加する身にもなって欲しい。


(うへえ。ゴスロリお人形も一緒かよ。勘弁してくれって)


 グループを作る時のように机をくっ付け合っただけの、簡素なお茶会テーブルには、不気味な人形達も参加するようだ。お行儀よく椅子に座っている。わざわざカップまでセットされちゃって……やだもう、夢に出てきそうなんだけど。

 俺は斜め前に座る人形に目を細め、身震いをしてしまった。


 おどろおどろしい雰囲気のせいだろうか。

 出されたティーカップに、毒でも仕込まれているのでは? と被害妄想を抱いてしまう。だってありがちなパターンだろ? これで俺が飲んだら血を吐いて倒れるとか、よくあるミステリー展開だろ?!


「それで薫。目的はなんだい?」


 俺の心配を余所に、御堂先輩は平然とカップに口をつける。ならって、カップに口を付ける。

 ストレートティーのようだ。ちっとも甘くない。おいしくない。カップをソーサーに置くと、角砂糖を三つ入れる。


「ふふ、警戒されていますね。薫が談笑をしたい、という言葉に偽りはありませんよ。同じ五財盟主の人間として、貴方様の婿養子をお目に掛かりたかったのです」


「疑っているつもりはないよ。ただ、それだけでもないだろう? 君は好意を抱いた人間に、執着する傾向がある」


「執着、なんて素敵な響きでしょう。ですが、ご心配なく。薫が好意を抱く人間はたった一人。あの方だけ」


 幸せそうに、うっとりと頬を崩す柚木園さんだけど、御堂先輩は一抹も信じていないようだ。眉を寄せたまま、紅茶を啜っている。


「玲殿もご存知の通り。薫の想い人は、二階堂財閥にいますので」


「え。二階堂って」


 つい、口を挟んでしまった。

 誤魔化すように咳払いをするけど、好奇心は抑えられない。

 だって二階堂財閥といえば、真っ先に出てくるのは俺様何様大雅様である。彼を想い人にされては、俺的に困るんだけど。あの人には鈴理先輩を守ってもらいたい。

 それを理由に身を引いたってのもあるんだし……まあ、複雑な気持ちにはなるけど、あの頃よりは思うことが少ない。御堂先輩を強く意識しているせいだろう。借金からの“諦め”も入っているのかもしれない。


「空殿もご存知ですの? 二階堂楓さまを」


 あ、そっち? そっちなの? 長男の方なのね。


「いえ、次男の方は知っているのですが、長男の方は一度しかお会いしたことがなくて」


 同い年なのに敬語になるのは、相手も敬語だからだろう。


「ああ。確か空殿は、大雅さまと同じ学院でしたね」


 ……話したっけ? エレガンス学院に通っていること。いやいや、細かいことを気にしても仕方がない。


「よく一緒にご飯をする仲なんですよ。色々お世話になる、いや、お世話していることがありまして」


「そうですか。大雅さまは良き弟様ですよね。さすが、楓さまの遺伝子が入っているだけあります。欲しい、ああ、欲しい。楓さまのものなら、なんでも欲しい。楓さまの髪も、爪も、遺伝子も。御兄弟も御家族も」


 その想いは健気を通り越して、狂気すら感じる。

 怖い、こわいこわいこわい。楓さんに繋がっているものを、すべて欲しがるこの子が怖すぎる。安いB級ホラー映画に出てきそうなキャラである。

 けれど目は本気だった。彼女は本気で二階堂楓を欲しがっていた……だけど、確か楓さんは宇津木先輩の婚約者だったような。


「楓さんへの溺愛っぷりも、相変わらずだね」


「ええ。楓さまに対する愛に嘘偽りはありませんので。そう楓さまが一番なのです。何にも勝る殿方なのです。愛おしい殿方なのです。楓さま、嗚呼、薫は楓さまにお会いしたい。まだあの蛆虫は彼に纏っているのかしら。なら駆除しないと駆除しないと駆除しないと駆除しないと駆除しないと駆除しないと駆除しないと駆除しないと駆除しないと駆除しないと駆除しないと駆除しないと」


 柚木園さんは真顔になると、呪文のように駆除を唱え、カップを握り締める。

 あの、えっと、恐いのレベルを越しているんですけど。五財盟主の一族の中で、最も危険な一族だという意味が、ほんの少しだけ分かってきたような。


「欲しいものは何が何でも物にしたい。さすがは柚木園の血を引いているだけあるよ。あのくそジジイと馬が合うはずだ」


「玲殿のおじいさま嫌いも相変わらずですね。淳蔵さまは、素晴らしい考えの持ち主だと思いますよ。この世には強者と弱者しかいない。支配する者とされる者しかいない。あの方はそういう考えの持ち主です」


「だから嫌いなんだ。だから」


 嫌悪感を丸出しにする御堂先輩に、臆することもなく彼女はゴスロリ人形を抱っこする。


「分かりかねます」


 飄々と返事をする柚木園さんは、再三淳蔵さんの考えを賛美した。どうやら淳蔵さんに肯定的な見方をしているようだ。

 人形の手足を上下に動かしながら、彼女は続ける。


「この世界は支配する、されるで成り立つ。それに善も悪もなく、ただ物事の通りして成り立つもの。強者が偉いわけでもなく、弱者が愚かなわけでもなく、そう区別されるものだと薫は思っております」


 そして自分達はたまたま支配する強者と区別され、この世界で生きている。それを幸運だと思うべきだ柚木園さんは妖艶な笑みを浮かべる。

 もし、己の行動ひとつで支配される弱者と成り下がってしまうのならば、それこそ愚者と罵られる。反対に支配される者が強者に成り上がるのなら、それは偉人なのだろう。そう主張した。


「玲殿、空殿を手に入れられて良かったですね。さすがあの方の血筋を引いているだけあります。あなた方の“関係”に薫は羨望すら抱きます」 


「君はどこまで知っているんだい?」


「さあ。ただ、あなた方が薫の思い描く理想の世界で生きていることは知っています。決して、裏切ることのない愛。忠誠にも服従にも似た関係。とても美しいものだと――空殿は、貴方のためなら死ねる。違いますか?」


 くつりと喉を鳴らすように笑う語り手は、きっとすべてを知っているのだろう。

 隣を一瞥すると、片眉をつり上げる王子がむっすりと腕を組んでいた。重くなる空気を散らすために、「無理っす」俺はおどけ口調で諸手を上げた。


「御堂先輩のことは大切ですけど、生死を問われると、たぶん自分を取ってしまいます。誰しもそういう選択をするものだと」


「うふふ。空殿は、本当に玲殿が大切なのですね。彼女の望む答えを口にして、空気を換えようだなんて」


「いや、えっと……大切っちゃあ大切ですけど。我が身も可愛いっすよ。特にある場面になると。あ、これまじっすよ!」


「……豊福。後でナかすからな」


「はい?! ちょ、なんで。その流れでナかされるのか意味が分からないんですけど! え、ナかすってどっちの意味です?」


 素っ頓狂な声を上げると、柚木園さんがまた一つ笑う。


「癒されますね。薫は羨ましい。空殿はまったく好みではなく、意中の対象にすらなりませんが」


「ど、どうも。酷評が胸に突き刺さりました」


「その代わり、貴殿には“愛玩の素質”がありそうですね。そういう意味では興味がありますよ」


「愛玩の素質……っすか」


「だって貴方は絶対に玲殿を裏切らない。盾突くこともない。彼女のためを第一に考える」


「だったら、豊福はとっくに抱かせてくれるんだけどな……はあ、お預けもつらいよ。僕を第一に考えるなら、どうして一緒にお風呂に入ってくれないのか。肌を触らせてくれないのか。おねだりをしてくれないのか」


「なっ、なっ、そこ煩いっすよ!」


「薫にもそういう人間が欲しいものです。恋ではなく、可愛がるような人間が。絶対に裏切らない人間が。それこそ自分にだけ懐く、愛犬のような人間が」


 それを人は愛玩動物ペットと呼ぶのだろう。


「貴方達の関係はそれにどこか近い」


 支配するされる関係であり、可愛がる可愛がられる関係であり、主従のような関係なのだと柚木園さんは謳った。


「十分経った」


 もう時間だと御堂先輩が腰を上げる。慌てて紅茶を飲み干し、俺も席を立った。ついでに、クッキーも一枚口に入れておく。いや、出してもらったからには、食べておかないと勿体ないし。


「もうお時間ですか。残念、もっとお話をしたかったのですが」


「僕もだよ。結局、君の目的が何だったのか、これっぽっちも見当がつかなかった。ただ、おおよそジジイの差し金だということだけは分かった。彼の周りにいる、君の手配した監視は解いてもらおうか。僕は独占欲が強くてね。姫の行動を把握していいのは、王子の僕だけさ」


「大切なのですね。だったら、薫は貴方に助言しましょう。好きな人なら束縛してしまいなさい、と。そうすれば誰にも取られない」


 首輪、手錠、小さな部屋を用意することで、それは成立する。

 自分も楓さんのために準備しているのだと柚木園さんは、今日一番の笑顔を見せた。恐ろしい子である。それはいわゆる、軟禁という準備をしているのでは? いやいや、首輪に手錠に小さな部屋だろう? もう軽いもんじゃない。普通に監禁だってそれ。

 「玲殿になら可能でしょう」それだけの力があるのだから、と言う柚木園さんに、御堂先輩は「プレイとしてなら興味はあるよ」と言った。言いのけた。


「一度でいいから、ご主人様と呼ばれてみたいしね」


 俺は血相を変える。嘘でしょ。そこは興味ないと言って下さいよ。


「それにもう、僕は彼を束縛している。不要な助言だよ」


「だとしたら、非常に甘い束縛なのですね。薫なら、心配でなりません。もし自分と別れた後、彼は誰かに取られてしまうのではないか、と。それが必ずしも、彼に好意を寄せている人間とは限らない。憎悪からくるものだってある。利用するためかもしれない――だって彼は五財盟主に直結している人間ですから」


 貴方の甘い理想はどこまで、この財閥界で通用するのでしょう?


 ほの暗い微笑みを浮かべる柚木園さんに目を細め、「忠告をどうも」御堂先輩は不愉快そうに鼻を鳴らし、俺の腕を引いて歩き出す。


「あ、あの、ごちそうさまでした」


 礼儀として挨拶をしておく。

 会釈をする柚木園さんは、俺達が出て行くまで見送ってくれた。視線が合うと、一度たりとも振り向かない御堂先輩に肩を竦め、俺に助言らしき言葉を投げる。


「庶民出の空殿に、薫から一言申し上げますね。どうぞ、賢い支配される生き方を」


 ああ、やっぱりこの人は俺達の婚約の表裏をすべて知っていた。油断のならない人だ。


「財閥界は支配するされるの世界で成り立っている。玲殿、貴方が思っているほど薫たちの住む世界は甘くないですよ。だって、もし彼が求めているような理想の愛玩だったら、薫もまた欲しがる人間――癒されるために何が何でも求めてしまうでしょうね。

 ああ、でも愛が欲しいのは楓さま、ただ一人。楓さま。楓さま。楓さま。楓さま。楓さま。楓さま。楓さま。楓さま。楓さま。楓さま。楓さま。楓さま。楓さま。楓さま。いつか、必ず宇津木財閥を滅して、この柚木園薫がお迎えに上がります」





 人形部を後にした俺は、これでもかってくらい御堂先輩に文句をぶつけられた。

 どうしても紹介したくない人間だったようで、「僕の努力が台無しだよ」と何度もデコピンを食らう。それに関しては不可抗力でありながらも、ごめんなさいとは思っているよ。御堂先輩が止めたのにも関わらず、自分から教室をのぞこうとしたんだから。

 とはいえ、五財盟主の人間とは遅かれ早かれ関わることになるんじゃないか。まがりものでも、俺は財閥の婿養子候補なんだし。あくまでも候補、だけど。

 五財盟主の中で最も危険と称される一族、柚木園か。


「御堂先輩。五財盟主って、財閥界の中でもトップに入る財閥を指すんっすよね?」


 デート中に財閥の話をするのも、彼氏として如何なものだと思うけど、無知は追々泣きそうだ。俺は不機嫌に隣を歩く王子に疑問を投げる。

 「そうだよ」ぶっきらぼうに返事をする彼女は、名前の通りだ五つの財閥がトップに立っているのだと右の五本指を立てた。


「財閥にも資産によってランク付けされている。それは想像ができるよね? どこの世界も、ピラミッド型の組織は存在するから」


「はい。それは勿論。御堂財閥はてっぺんにいるってことも、なんとなく想像はついています」


「簡単に言えば五財盟主は、財閥界を取り仕切る幹部だ。それが御堂。丹羽にわ大路おおじ水前寺すいせんじ柚木園ゆずきぞのの五財閥。当主が代表で集まって、財閥界の行く先をどうするのか断を下す」


 そこに俺様あたし様電波財閥が入っていないのだから、驚きである。

 竹之内財閥も、二階堂財閥も、宇津木財閥も、俺から見たらすげぇお金を持った家に見えるんだけど。五財盟主は単に資産だけで形成されている組織じゃなさそうだ。

 率直な意見を述べると、「さすがだね」御堂先輩はその通りだと頷く。


「今、君が挙げた財閥は、資産だけの観点から言えば、五財盟主と殆ど大差はない。ただ決定的に違う点がひとつある。それは支配力。要は五財盟主は、ガバナンスの運用が上手いんだよ」


「ガバナンス? ガバメントなら分かりますけど」


 ガバメントは日本語で、国の政府とか、統治者とかを指すんだよな。英単語でその意味は覚えた。


「まあ、俗にいうビジネス用語だよ。ガバナンスは統治のプロセスを指すんだけど、五財盟主はそれが徹底している。財閥をまとめるだけのカリスマ性があると思ってくれていい。あのくそジジイも、人間としては最低のクズだけど、財閥の人間としてはカリスマ性がある」


「なら、柚木園が危険だと言われているのは」


「五財盟主を務めるだけあって、五つの財閥にはとても癖がある。たとえば御堂財閥は、五財盟主の中で最も冷血だと言われている。なにより不利益を嫌う財閥で、一たび怒りを買えば、資産をすべて搾り取られる。その財閥は一夜で破産するそうだ」


「うわ……俺って、そんな恐ろしい財閥の婿養子候補なんっすか。源二さんは、とても温厚な方なのに」


「言っただろう? 五財盟主は財閥の当主が集まるって。御堂財閥の当主はジジイだ。あいつのやり方なら、そう言われても仕方がない」


 確かにな。

 淳蔵さんは、世継ぎ目的で俺を買った。それは利益になるからだと思ってのこと。御堂家のために生き、そして死ねという命令も、口悪く言えば恩を売ったんだからそれだけの働きをしろって脅しているようなものだ。

 あの人は一見温厚そうだけど、怒りを買うと凄まじいことになりそう。うう、逆らいたくないし、目を付けられたくもない。


「柚木園が最も危険だと言われているのは、その人間性の異常さが際立っているからなんだ。見ただろう? 薫の楓さんに対する執着心を」


「え、ああ……怖いってレベルを超していましたね。犯罪者になりそうな勢いでしたけど」


「正直、それに近いことを起こしている。自分の利益になるもの、欲するものは、どんな手段を使ってでも手に入れようとする。それで、いくつもの財閥が滅び、蒸発した人間がいたか。なにより、そこの当主は狂った性癖の持ち主でね。壊れゆく人間関係を見ることが大好きなんだ」


 人間は金ひとつで、善にも悪にも動く。

 そこに火種を放り込んだら、人間はどうもがき苦しむのか。浮気、不倫、借金、地位の降格、それによる家庭崩壊。あらゆる方向から火種を放り込み、築き上げてきた信頼や関係を壊していくのが好きなんだそうな。

 大変よろしくない悪趣味な思考の持ち主である。もはや人間として最低とか、最悪とか、そういった言葉では済まされないぞ。金持ちは暇なの? ねえ、暇なの?!


「柚木園の当主はくそジジイと馬が合うらしく、この二財閥は親しい。下劣な思考が合ったのかもしれない。そういうこともあって、薫とはよく顔を合わせるんだけど……あの子はとても妄想癖が強くて困った子なんだ。なにより、百合子を敵視している。隙あらば背中を刺しそうな勢いだ」


 王子が疲労の色を顔に滲ませた。

 女の子には努めて優しい人なのにカッコ一部のぞくカッコ閉じる、珍しい反応だ。


「楓さんのことが、本当に好きそうですもんね。あー……それこそ監禁したいくらいに。でも、どうして溺愛しているんです? あそこまで入れ込むなんて」


「それは薫から聞いたことがある。あいつは人形が好きなんだけど、その昔、交流会で財閥の子に壊されたことがあったそうだ」


 あんな怖い子の人形を壊した猛者がいるのかよ?

 どんな勇者だよ、その財閥の子。


「手足を引っこ抜かれた上に、ドレスを破られたようでね。前者はすぐ嵌めて直すことができるけど、ドレスはそうもいかない。薫は声を上げて泣いていたそうだ。そこに楓さんが声を掛けたらしい」


 彼はハンカチを取り出すと、「その姿じゃ風邪をひくから」と、柚木園さんの持っている人形を包んであげたそうだ。そして泣いている柚木園さんの手を引き、控室で遊び相手になったそうな。

 人形をこよなく愛する柚木園さんは、その優しさに一目惚れ。また楓さんも、顔を合わせる度に遊び相手になった。ますます彼女はトリコになり、心から欲するようになったという。


「柚木園の血を引く薫だ。その異常性はすぐに現れた。父母、当主の祖父に彼のところに嫁ぎたい。もしくは婿入りさせて欲しいと頼み、そのためなら集めた大切な人形も捨てると言った。それほど愛しているのだと。そして本当に集めた人形を燃やしてしまった」


「お、重い……子どもながら彼女の愛は重すぎません?!」


「一番印象に残っているのは、薫が十二歳になった誕生日会だったかな。僕は楓さんと共にお呼ばれしたんだけど、彼が人形好きの薫のために、アンティーク・ドールを贈ったんだ。『名前はカオリ、妹のように可愛がってね』と添えて。そしたら、彼女は人形を本当の妹として扱い始めたんだ」


 妹カオリのために専門の部屋を手配すると、服や家具を用意し、毎日その人形とお茶をするようになった。それに不気味だと思う人間は多いけれど、大雅先輩曰く、究極の電波人間の楓さんは報告を嬉しそうに受け取った。

 そして、遊びに行った時は三人でお茶をして、カオリと柚木園さんを可愛がった。

 おかげで楓さんの株はうなぎ上り。彼女はこの人なしでは生きられないとすら思い込んだそうだ。


「だから百合子のことを知った時はすごかったよ。嫉妬のあまり、彼女の服をハサミで切ってしまったんだから。しかも薫は頭がいい。楓さんの前でやれば嫌われることを知っている。だから、誰がやったのか分からないように召使を使い、水面下でやったんだ。僕には一目で彼女が犯人だと分かったけど」


「……なんか、どんだけ彼女が危険なのか分かるお話で。宇津木先輩、大丈夫なんです? ほんっと、いつか刺されそうなんですけど」


「取りあえず、はね。ただ、薫は時期五財盟主の代表になるだろうと言われている。それだけ頭は切れるし、財閥を統括するだけの力もある。一方で残忍性も備えている。危険な子には違いない」


 平和的な解決は宇津木先輩が柚木園さんに楓さんを渡すことなんだろうけど、果たしてそれでおさまる話なんだろうか。


「君も気を付けてくれよ」


 御堂先輩が俺を一瞥してくる。


「くれぐれも、薫には気に入られないように。あいつは好意とは別に、興味を持った人間に対して執着心を見せる。一度気に入られたら最後、気が済むまで追いかけ回してくるよ」


「こ、怖いこと言わないで下さいよ。ま、まあ、酷評を頂戴しましたし」


「“愛玩の素質”があると言われていただろう? 愛玩動物ペットにされないか、僕は心配でならないよ」


「あははは。まさか、彼女もそんな非人道的なことは」


「薫は救えないほど歪んでいるよ。過去に三度、人間を自分のペットにしようと監禁したことがあるから。それこそ絶対に裏切らない“愛犬”を作ろうとした。ああ、言えば言うほどフラグになる。豊福が危ない。薫の愛玩動物ペットにされる」


「誓います。俺は今後一切、柚木園さんに近付きません。絶対に!」


 だから棒読みで台詞を言うのも、こっちを見つめるのもやめて下さいよ! 俺だって愛玩動物ペットにされるとか、そんなのごめんなんですけど! 受け男ですら情けないのに、人間から降格される男とか、それこそ救いようがない。

 出来る限り、柚木園薫には近付かないようにしよう。


(ん? でも、彼女は俺の名前を知っていた。そして、あのやり取りで俺は柚木園さんに監視されていることが分かった。その目的は分からない……)


 談笑目的だとは到底思えない。

 御堂先輩は淳蔵さんとの繋がりを気にしていた。また、柚木園さんは御堂先輩と俺の関係に憧れを抱くと告げていた。俺達の婚約事情を知っている彼女は、意味深に“好意以外にも俺に近付く人間がいる”と助言めいたことを口にしている。

 すでに俺の知らないところで、五財盟主が動いているのか……深く考え過ぎかな。


「うーん、それにしても僕はとても今、迷っている」


「なんの話です?」


「(いや、なんでもないよ。気にしないでくれ)僕はさっきまで、空き教室で豊福にお姉ちゃんと呼んでもらうために攻めようと思っていたんだけど、主従というのもしごく魅力だと思って。(ちょっと考え事をしていただけだから)豊福に首輪とか、背徳感がたまらなくドキドキする」


「…………気のせいっすかね。隠すべき心の声と、表に出す声が反対になっている気がするんですけど」


「あれれ? 豊福はエスパーかい? 僕の考えを読んだような顔をして」


「わざとっすか。それは、わざとですかね」


「あはは。もちろん、わざとだよ。豊福の百面相が面白くてね」


 「先輩!」ムキになって怒鳴る俺に、「君はからかい甲斐があるよ」王子は声を上げて笑い、人の頭をわしゃわしゃと撫でまわした。


「いいかい、君はそのままの君でいてよ。これは僕からの命令だよ」


 怒りがしぼんでしまう。

 御堂先輩はハッキリと言わないけれど、内心じゃすごく気にしているんだな。俺達の関係。不純で成り立った、どこか主従のあるこの関係を。

 悲しい顔を見たくなくて、俺は話題を替えた。そうすることでしか、彼女を元気づけることはできないから。


「さっきの話になりますけど、御堂先輩が首輪をしてもいいんじゃないっすか。似合そうっすよ」


「それって豊福が僕を飼いたいってこと? それでもいいよ。ちゃんと可愛がってね」


「げっ、なにその斜め上の返事! うそでしょ、そこは普通嫌がるところっ、あばばば! 抱きつくのは、その人のいない場所で!」


「ご主人様。頭を撫でて」


「ぎゃー! やめて、ファンの人が近くにいたら誤解されます! 俺殺されるじゃないっすか!」


「あ、僕が愛玩動物ペットならぺろぺろしても違和感はないよね」


「ひっ……どこ舐めて」


「耳。問題ないだろう?」


「ありますあります大ありです。まじ、勘弁して下さいぃいい!」


慌てふためくへたれを見た王子から、間もなく大きな笑い声が上がったのだった。



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