14.俺にはお姉ちゃんがいたらしい


 さと子ちゃんの指摘どおり、一時間なんてあっという間。

 約束の時間はすぐそこまできていた。

 普通なら、さて茶屋で働く婚約者でも見てやろうかなゲヘヘ。と、下心見え見えにしつつ、教室へ向かうところ。


 けど俺の今の気持ちはファンに殺されるかもしれない。いや、逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ、でもやっぱこえぇえ! である。

 どうしたって怖いんだよファンクラブ! どう足掻いても俺はファンにとって敵でしかない。一番に抹消対象だろう。相手は女の子を虜にする美人王子(♀)なんだから、嫉妬の嵐は目に見えている。男よりもやばそう。殺されそう。


 広いひろい学院の南棟までやって来た俺は、茶屋の場所を確認する。

 パンフレットによると南棟の中庭で茶屋を開いているらしい。行けば分かるのかな? 博紀さんとさと子ちゃんに意見を仰ぎながら一階まで下りる。


 ギョッと目を削いでしまう。

 長蛇の列が廊下に続いていた。並行して黄色い悲鳴が聞こえてくる。まさかと思いつつ、その列の先を目で辿るとそれは中庭まで続いていた。

 並んでいる生徒の大半は聖ローズマリーの生徒のようだ。


 「玲先輩。甚平姿なんですって」「まあ素敵ね」「私は沙織先輩目当てだけどね」「あの方も素敵よね」「ね!」「ね!」……そうか、そうか、お目当ての生徒ばっかりなのか。アイダダ、急に胃の調子が。


「空さま。並びましょうか。そうでなければ、お嬢様と合流は難しそうですから。さと子、空さまを僕達の間に。何か遭っては大変だ」


 そうですよね。逃げられませんよね。

 俺は重たくなる胃を無視して、最後尾に並ぶ。二十分は並びそうな勢いだな。そんなに人気なのか。王子。

 でも女子生徒の話を聞く限り、“沙織先輩”という生徒の声もよく耳にする。どんな生徒なんだろう? 興味は湧く。同じ茶屋をしているということは、御堂先輩と同い年なのかな?


 十五分ほど並んでいると、ようやく中庭が見えてくる。

 赤い敷物に長腰掛の縁台、紫の和傘。そこで茶を嗜む客達と、着物姿の女子生徒。既視感を抱くのは、俺も茶屋でバイトをしているからだろう。


 忙しなく動きまわっている生徒の中に、甚平姿の御堂先輩を見つける。彼女が通る度に黄色い悲鳴が上がっていた。

 それに応えるようにウィンクしては、「ありがとう子猫ちゃん達」と笑顔を向けている。


 なあにが子猫ちゃん! 女の子を胸トクンさせてどうするんっすか!

 俺はその場でしゃがみ込み、頭を抱える羽目になった。あの中に行くのか。まじか。まじっすか。死ぬしかないじゃないか。俺の人生終わったんだけど。


「キャー! 沙織先輩!」


 御堂先輩と同じくらい人気を湧かせている生徒がひとり。

 顔を上げて観察する。そこにはセミロングヘアの女子生徒がいた。

 桜色の着物がよく似合う人で、鶯(うぐいす)色に茶を交えた髪の色をした彼女が一たび生徒に微笑むだけで歓声が湧く。


「玲先輩とお似合いだわ。さすがは王子の姫よ」


 ふらっと体を倒すファンであろう生徒の発言により、なんとなーく王子と彼女の関係性を察する。


 つまり、なんだ。

 学院の王子と姫って関係かい? 初耳なんっすけど……姫なんているの? ヒトを散々姫と呼んでおいて、真の姫がいるとか俺の敗北決定じゃんか! いやいや、姫で張り合うつもりは毛頭ないけどさ!


 思った傍から、御堂先輩と例のお姫様のパフォーマンスが始まる。

 うっかり躓いてしまいそうになるお姫様を、王子が片手で助けるというナイスな一面。おかげで空がかち割れそうなほどの悲鳴の嵐。


 ますます逃げたくなった俺を余所に、列は進んでいく。

 ついに順番が回ってくると、心臓がド緊張のあまりバクバクしてきた。この緊張は恐怖からである。

 どうにか、こっそりと御堂先輩と合流する手を考えれば良かった! お、俺は今学院の全女子生徒を敵に回しそうで恐れおののいている。


「そ、空さま……僕を盾にされても」


 苦笑いを零す博紀さんの背にかっちりしがみつく。

 もうこの手しかない。情けなくても良い。俺は他の生徒から顔を見られたくないんだ!


 目まぐるしい忙しさなのか、御堂先輩は気付く様子がない。

 でも、どことなく落ち着きもないようで、「玲。時間ばかり見ていないで、ちゃんとお客様にもてなして」例のお姫様から注意を受けている。

 途端にぷうっと脹れてしまう。あーあーあーすぐ機嫌を損ねるんだから。


「博紀さん。こっそり御堂先輩と合流しましょう。悪目立ちは避けたいので」


 小さく耳打ちすると、博紀さんは快く頷いた。


「はい、畏まりました。玲お嬢様。ご案内をお願いします」


 ぜ、前後の台詞が噛みあっていない! 俺はこっそりって、ああもう、来たよ!


 呼ばれた御堂先輩が俺達の姿を捉えた。

 約束の時間から二十分も過ぎていることに気付き、落ち着きを失くしていたようだ。三人の姿を見るやホッとした表情を作っている。

 一礼する博紀さんとさと子ちゃん、そして身を隠している俺に笑顔を見せて「いらっしゃいませ」


 どうやら王子も大ごとにしたくないようだ。

 軽く片目を瞑ると、他のお客さんと同じように接待をしてくれた。

 それにより難なく縁台に座ることができる。ちょっと拍子抜けかもしれない。大ごとになって欲しいわけじゃなかったけどさ。周囲の生徒達も俺達の様子に気付いていないようだ。


 王子、気を遣ってくれているのかもしれないな。ちょっと悪いことをしちゃったかも……と思った俺の反省は見事に消えてしまう。

 メニューを持って来た御堂先輩がお客の博紀さんとさと子ちゃんににそれを渡すも、俺には渡してくれない。差し出されたメニューを取ろうとすると、上へ下へ右へ左へ。なんでだよ!


「先輩。これはなんの意地悪っすか? クレームを出しますよ」


 だけど御堂先輩は悪びれた様子もなく、「可愛いね」笑声を上げて俺にメニューを渡すと頭をくしゃくしゃに撫でまわして去って行く。


 思い出して欲しい。

 御堂先輩の性格を。彼女は生粋の男嫌いとして有名だ。

 その彼女が野郎の頭を撫でたのだから、しかも可愛いと言ったのだから、周囲のざわつきは半端ない。客も茶屋の生徒も視線を向けてくる。


 更に渡されたメニューには、付箋紙が貼られ『君のメニューは僕が決めた』と、走り書きされていた。嫌がらせ……じゃないよな。きっと。


 これで話は終わらない。

 ちゃっちゃかと品を運んできた先輩から、妙に不格好なおはぎを渡される。双方ふたりの品は綺麗なのに、俺だけ形が歪。だけど、王子の落ち着かない様子に察してしまう。ははーん、これ、御堂先輩が作ったな? 彼女は家庭科が苦手だもんな。

 フォークで半分の半分に割り、「美味しいです」それを口に入れて感想を述べる。

 すると王子が饒舌になった。


「そ、そ、それは良かったね。けど豊福は運が悪いよ。そんなおはぎを渡されるなんて。まあ、僕が意地悪をして選んだわけだけど」


「そうですか。なら、その意地悪に感謝ですね。これを作った人は、一生懸命にもち米を餡子で包んで丸めたんでしょうし」


 意地悪を意地悪で返してやると、「君は本当に生意気になったな」両頬を抓られた上に引っ張られた。

 素直に美味しいって言ったのに、なんで抓られるんだよ。先輩、照れ隠し下手くそですよ!


 所謂、意地悪慣れをしていない王子は顔を真っ赤にして、「後で覚えておいてよ」めいっぱい甘えてやる恥ずかしい思いをさせてやる攻めてやる、と物騒なことを念仏のように唱える。

 そしてトドメのように、俺にだけ聞こえる声で耳打ち。


「たくさんお触りするから。豊福は声を我慢することが上手だしね」


 満面の笑顔で宣言されると普通に恐い。

 え、冗談ですよね。先輩、学院でお触りとか冗談ですよね。ガタブルと震える俺に、「本気だけど?」御堂先輩はきょとん顔で返事した。


「普段、鈴理から学校でちょっかいを受けていると思うと、腸煮えくり返りそうでね。今日明日は学院で触ると決めているんだ。せっかくのイベントだしね」


「え、えぇ? これは青春イベントじゃ」


「スリルも青春じゃないかい?」


 反撃のように意地悪い笑みを浮かべ、御堂先輩は俺の青褪めた顔を楽しむ。

 女子という生き物は大変察しが良い。俺達のやり取りを見守っていた王子のクラスメイトや、ファンの子達はただならぬ関係に気付いた。


 好奇心旺盛な目を総無視する王子はファンの子達に手を振ると、クラスメイトに着替えてくる旨を伝えていた。交代の二時半までには帰って来ると告げて。


 程なくして、王子が見慣れた学ランに着替えてきた。

 すると優秀な召使達が人二人分の空間を開けてお茶を啜る。いやいや、空気を読んでくれるなら、さっきも読んでくださいよ。俺にどんだけ気を遣わせていたと……。


「セーラーじゃないんっすか?」


 苦し紛れに会話を出すと、「文化祭なんだ」どんな格好でも許されると御堂先輩が頬を崩す。


 会話終了。

 え、なんだ、このどぎまぎ?! 甘酸っぱい青春か! あ、これは健全な青春。俺の望む青春の姿じゃん。エッチもなにもないし……ないし……ないよね? ね?


「あー駄目だな。いつものように口説けないや。色々考えていたのに」


 ふと空気を裂くように御堂先輩が肩を竦める。

 緊張でもしているのか、からかいがてらに言えば、「するよ」斜め上の返答をされた。


「僕にとっては初めてのデートなんだから。どうやって君を喜ばせようかで頭が一杯だよ」


 わ、わああああああああイケメン! なんかイケメンがいる!


「豊福と学校違うし、どう可愛がろうか、それも頭が一杯だよ。空き教室や人が少なくなる時間帯も調べたんだから」


 げ、げええええええええケダモノ! なんかケダモノもいる!


 なに、俺はキュンすればいいの? それともトクンと顔を赤らめばいいの? はたまた泣きべそを掻けばいいの? なんなの?

 少女漫画のヒロインになればいいの?! わっかんないんだけど! 男ですから?!


「ファンに俺、殺されないっすかねぇ。ほら見て下さいよ。周りがすーっごい目で俺達を観察していますけど。貴方のクラスメイトも含めて」


 あっちこっちも視線ばかり、動物園にでも放り込まれた気分だ。


「大丈夫だよ。僕に婚約者ができていることは、既に学院でも知れ渡っているし、それが一般人なのも宣言しているから。豊福に惚れたことも、僕の口で話しているよ」


「は、え? 話したって! うえぇえ?!」


「ファンがいてくれるのは嬉しいよ。彼女達のおかげで演劇も頑張れている。でも、僕は君じゃないと駄目になるから、ファンクラブにお願いしているんだ。文化祭にくる婚約者と僕を見守って欲しいって。それが無理なら、ファンクラブは解散して欲しいって」


「先輩……女の子好きでしょ。そうやって無理しなくてもいいんっすよ。子猫ちゃんを傷付けることは嫌でしょ」


「君に対する気持ちは、いつだって本気だ。僕は胸を張って豊福と歩きたい。君の王子になるって決めたからね」


 そのために自分の我儘を通しただけ、だけなのだと王子がはにかむ。

 イケメンに反則イエローカード、いやレッドカードなんだけど。王子の一途な気持ちが切ないような、嬉しいような。

 どうしようもなく御堂先輩を意識してしまう。俺の幸せ馬鹿野郎者。


「堂々と豊福と空き教室に行きたい。学校で色々できるなんて、滅多にない機会だ。制服姿であれこれは、学校だからこそと思わないかい?」


「……感動していた俺の気持ちを返して下さい。どうしてそう、空気を壊すんっすか」


「え? 期待した?」


「なわけありますかい!」


 けろりと笑っている王子を睨むも、彼女は素知らぬ顔をするばかり。

 俺はおはぎを咀嚼して、小さく息をつく。良い雰囲気を作りたいのか、それともいつも通りに振る舞いたいのか、彼女の意図がまったく分からない。俺が雰囲気を壊したら容赦なく仕置きするくせに。


「とてもご機嫌ね玲。貴方と私の王子と姫物語も幕引きなのかしら」


 面白おかしそうに声を掛けてくるのは、噂のお姫様だ。


「沙織。君はまだ店番だろう? ひと時を邪魔するんじゃない」


 御堂先輩が唇を尖らせる。

 お姫様のこと、小野寺おのでら 沙織さおり先輩は悪びれた様子もなく、やわらかな微笑みを浮かべた。姫と呼ばれるだけあって、本当にお姫様のような可憐さを持っている。

 なんというか、目の前に立たれるだけで、空気がきらきらしていた。見えない光が、彼女の美を引き立たせる。


「話には聞いていたわ。貴方が玲の彼女さんで、お姫様なのね」


 いいよ、いいよ。彼女お姫様扱いにはもう慣れっ子だよ。

 だから泣いていない。初対面の人に言われたって泣いていない。泣いていないって言っているでしょうが。


「私は小野寺沙織。玲とは同級生で、幼稚園からの付き合いなの。豊福空ちゃん、で良かったかしら」


 さすがに、ちゃん付けには慣れていない。

 やや戸惑いを覚えながらも、俺は挨拶を返した。幼稚園からの付き合いってことは、それだけすごく仲が良いんだろう。


「よろしくお願いします。小野寺せ「お姉ちゃん」はい?」


 先輩と呼ぼうとしら、彼女は首を横に振り、お姉ちゃんだと訂正を入れてくる。なぜに? 確かに一個年上のお姉ちゃんだども。


「私ね。ずっと、玲から貴方のことを聞いていたの。相談にも乗っていたわ。へたれているところも、可愛いところも、全部」


 聞かないぞ。

 御堂先輩からなにを聞いているのか、なんて聞かないぞ。隣であくどい顔をしている王子にだって聞いてやらねぇからな!


「だからかしら。なんだか、初対面な気がしなくて」


「あははは……そう言われても、初対面なんですけど」


「私も玲のお姫様、貴方のお姫様。だったら、貴方は私の弟になると思うの。ほら、私達ってお姫様繋がりでしょ? だから、今日から私とあなたは姉弟。遠慮なくお姉ちゃんって呼んでね」


 なにが? え、なにが? どうして、そういう考えに至ったの?!

 さも生き別れの姉弟が対面するようなシーンになっているけど、普通に貴方とわたしは初対面! 俺は一人っ子! お姉ちゃんなんてものはいない!


「ご、ご冗談が上手で」


 引き攣り笑いを浮かべると、小野寺先輩はしゃがんで「お姉ちゃん」と繰り返した。意地でもお姉ちゃんを貫いてくる。


「み、御堂先輩。なんっすか、この人……助けて下さいよ」


「この人じゃないわ。空ちゃん。沙織お姉ちゃん」


 小野寺先輩は、お姉ちゃんと呼ばれるまでは手を放す気がないらしい。どんなに両手を振っても、握りしめてくるばかり。

 それを見た御堂先輩は笑声を漏らし、「沙織らしいよ」と肩を竦めた。助けてくれないんかい。


 「先輩じゃだめなんっすか?」「お姉ちゃん」「な、なら沙織さん」「お姉ちゃん」「わ、分かりました。沙織お姉さん」「お姉ちゃん」「沙織姉とか」「お姉ちゃんでしょ?」「…………」「お姉様も嫌よ」「…………」「お姉ちゃん」「…………」「お姉ちゃんが可愛いもの」「…………」「呼んでくれない?」


 くっ、もはや打つ手なし。観念するしかない。


「……さ、沙織お姉ちゃん」


「はい、あなたの沙織お姉ちゃんですよ」


 何なんだ。この羞恥プレイは……どうして俺は公衆の面前でお姉ちゃんプレイをしているんだい?!

 唸り声を上げて顔を赤らめると、小野寺先輩がクスクスと笑ってくる。


「玲の言った通り。とても可愛がりたくなる子ね」


「だろう? 豊福には、いじめたくなる可愛さがあるんだ。けど、いい子なんだ。へたれだけど」


「へたれは余計っす。小野寺先ぱ「お姉ちゃん」ぐっ、さ、沙織お姉ちゃんも、勘弁して下さい……からかわないで下さいよ」


 くそ、何度お姉ちゃんと呼べば解放されるんだい。

 恥ずかしさのあまり、わなわなと震える俺を余所に、小野寺先輩はこう返事する。自分は本気でお姉ちゃんと言ばれたいのだと。

 何故なら自分は御堂先輩の姫、王子に年下の姫(♂)ができたなら、その姫の姉になるのは当然だと言った。さも当たり前のように言った。

 なによりも弟か妹が欲しかった、と小野寺先輩は恍惚に見つめてくる。


「ほら、お姉ちゃんってなによりも魅力的な言葉だと思わない? 年下の子から呼ばれたら、なんでもしてあげたくなる魔法の呪文。それがお姉ちゃんだと思うの。絶対にときめくと思っていたのだけれど、これは想像以上。空ちゃん、もう一回」


「……ファンの子に呼んでもらう手はなかったんっすか」


 周りを見てごらんなさい。可愛い妹が山のようにいるじゃあアーリマセンか。


「だめよ。ファンの子はファンの子だもの。私の理想の姉弟像は、明確に何か繋がりがあってこそ姉弟なのよ。玲の婚約者の貴方なら、私と姫繋がりがあって、姉弟になれるじゃない」


 俺は遠目を作って思う。

 この人はまごうことなき御堂先輩のお友達だと。この変わった一面といい、へんてこな持論といい、すーっごく御堂先輩と近い物を感じる。


「君のそういうところは、いつ見ても変わっていると思うよ」


 そこ、人のこと言えないっすからね。


 ため息を零していると、小野寺先輩を呼ぶ声が聞こえた。御堂先輩と違い、彼女はまだ店番の最中。クラスメイトの皆様は仕事に専念して欲しいんだろう。

 俺の腹の虫も鳴ったことだし、模擬店を回る約束も兼ねて昼ご飯へ行こうかな。


「あらら、残念。せっかく可愛い弟ができたのに……」


「ふふ、彼は今日と明日は学院に来てくれるよ。時間を見つけたら、三人でお茶でもしよう」


「それは楽しみ。約束よ」


 こうして、たくさんの視線を浴びながら茶屋を後にする。

 その際、大きな声で「空ちゃーん」と呼ばれるので、ぎこちなく振り返る。そこには、「いってらっしゃい」きらきらと期待を含んだ眼差しを向け、手を振る小野寺先輩の姿。


 目が訴えている。お姉ちゃんと呼んで、と……。


「豊福、頼むよ。沙織は本当にお姉ちゃんに憧れているんだ」


 片手を出して、頼んでくる御堂先輩に言われるとなんとも。

 俺はへらっと作り笑いを浮かべて、手を振り返す。


「いってきます。沙織お姉ちゃん」


「はい。あなたのお姉ちゃんですよ」


 それはそれは蕩けるような笑顔で、小野寺先輩はお見送りしてくれたのだった。




「さあて。何を食べようか。豊福、好きなものを言ってくれ。模擬店の場所はある程度、覚えているから……って、なんだい。疲れた顔をして。まだ一つも見ていないぞ」


「疲れもしますよ。なんなんですか、貴方のお友達は。どうして、俺は来て早々にお姉ちゃんができるんです? 聞いていないんですけど」


 南棟一階廊下。

 召使のさと子ちゃんと博紀さんを後ろにつけ、適当に学院をさまよっていた俺は、御堂先輩の不満にげっそりとしながら反論した。

 おかしい。本当におかしい。文化祭を楽しみに来ただけなのに、なんでこんなに疲れるんだ。どうして俺にお姉ちゃんができるんだ。あの人は一体なんなんだ。

 疲れたと嘆くと、御堂先輩が一変しておかしそうに笑う。


「あいつは見た目に反してキャラが濃いからね。可愛いだろう? 彼女は、僕の自慢の親友なんだ」


「ええ、ほんと。貴方のお友達だと聞いて納得する俺がいます」


 皮肉もなんのその。

 御堂先輩はあれがまた可愛いのだと、片目を瞑ってくる。


「沙織は本当に良い奴だよ。僕の男嫌いも理解してくれているし、男装についても寛容がある。そんな僕が恋をしたと聞いた時は、自分のことのように喜んでくれた。まあ、ちょっと弟妹に憧れを抱き過ぎているところがあるけど、そこも沙織のいいところだと思っているんだ」


 どうやら小野寺先輩が、弟妹に憧れを抱いているのには、それなりに理由があるらしい。王子曰く、彼女の家は司法を行使する裁判官一家だそうだ。超エリート一家の長女として生まれ、何ひとつ不自由なく暮らしている。傍から聞いたら羨ましい限り。

 けれど、ひとつだけ。たったひとつだけ。彼女の家には複雑な点がある。それは異母姉妹の不仲。彼女には二つ違いの姉がいる。双方馬が合わないのか、毛嫌いし、顔も見ない口も利かないそうだ。


「こんな姉の下になるくらいなら、自分が姉になりたかった。可愛い年下の弟妹が欲しかった。それが彼女の口癖でね。それゆえにお姉ちゃんに憧れているんだ」


「んー、お金持ちの家って、みんなそれなりに事情を抱えていますね」


「まあね。地位を築く代わりに、なにか大切なものを代償にしている。金持ちの事情あるあるだと僕は思っているよ」


「で? なんで初対面の俺が、彼女の弟にされているんっすか。あの流れで弟にしてくるって、事前に準備していたとしか……まさか、御堂先輩」


 じと目で王子を見つめると、彼女は口笛を吹いて肩を竦めた。


「夢を見させてあげるのも、親友の務めだと思ってね。君のことを話した際、気に入ったら弟にもしていいよって言ったんだ。ほら、豊福っていじめたっ、じゃない。可愛がりたくなるからね。沙織にぴったりだと思ったんだよ。まさか、本当に弟にするとは思わなかったけど」


「あー!!! やっぱり先輩が余計なことを言ったんっすね!」


「あははは、可愛かったよ。君のうろたえる姿。親友の喜ぶ顔も見ることができて、一石二鳥だね。予想はしていたけどね、豊福が困るってことは」


「こ、この腹黒王子……」


「褒め言葉として受け取っておくよ。あ、僕にも言って欲しいな。お姉ちゃん」


「絶対に言ってやらないっす」


 舌を出すと、生意気だと御堂先輩がまた一つ笑い声を上げた。

 後ろからも笑い声が聞こえる。一瞥すれば、やっぱりさと子ちゃんと博紀さんが笑ってくれちゃっている。

 すると不機嫌を慰めるように、御堂先輩が自分の唇に人差し指を当て、それを俺の唇に押し当ててくる。間の抜けた声を出せば、こう一言。


「間接キスなら、目立たないだろう?」


 ああもう、いやもう、ほんともうッ…………。

 悶絶してしまう。どうして次から次に、この王子は俺に意地悪ばっかりしてくるんだろうか。こんなことをすれば、俺がどういう反応をするか分かっているくせに。

 と、御堂先輩が後ろを振り返って目を細めた。その表情に笑みはない。


「先輩?」


「あ、いや、なんでもないよ……」


 誤魔化し笑いを浮かべる王子に、疑問を抱いてしまう。今のは、なんでもない表情じゃないだろ。

 なのに、彼女は俺に何も言わず、博紀さんに視線を流す。


「博紀。数は」


「はい、現在周りに20ほど手配しています」


「少ない。もう20増やして。ここには資産家もちろん、財閥も集う学院。そして今日は一般人も数に入る。それを忘れないでくれ。僕は“五財盟主御堂の長女”であり、豊福はその婚約者だ」


「かしこまりました。高槻さんに一報を入れます」


「え、先輩。今の数って」


「豊福、行くよ。早く食べたいものを決めてくれ」


 さっさと先を歩く御堂先輩と、博紀さんを交互に見やる。おろおろとしているさと子ちゃんの様子を見る限り、彼女には伝わっていないようだ。

 周りに20ほど、ね。予想するにガードマンの数かな。周りは俺の範囲を指しているんだと思う。それは分かった。

 ただ、さっき見せた御堂先輩の表情の意味は分かりかねる。


(単なる杞憂だといいんだけど……『僕は“五財盟主御堂の長女”であり、豊福はその婚約者だ』の台詞も気掛かりだな)


 思考を巡らせながら、駆け足で俺は王子の隣に並んだ。






「僕が気づかないとでも思ったか。あのくそジジイ」

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