13.草食、華の女子校に行きます!



 □ ■ □



 最近、悩み事が多くて困っている。

 たとえば御堂先輩の婚約者として、見合うだけの知識やマナーを身に着ける。とはいえ、幼少から英才教育を受けている財閥の令嬢令息に勝てる気はまったくしない。


 たとえば美人でお金持ちお嬢様のために、なるべくケチじゃない、倹約する心は抑える。ちぇ、なんだよ。なんで紅茶のティーパックを一回で捨てるんだよ。ワケわかんねぇやい。


 たとえば財閥の婚約者として、庶民の大好物は控え、それ相応の好物を答えられるようにする。鮭の皮美味いじゃんかよ、お金持ちは食べないのか? ごちそうなのに。


 あとは。


「どうやったらテクニックって身に着けられるんだ? キスの練習ってどうすればいいんだよ。恋愛マスターは遠いんだけど」


 婚約者同士のスキンシップを上達する。

 所謂、触れ合うだけのキスやディープキス等々やらしー悩みを抱えている。

 受け男なのだから大人しくヤラれろ、と言われたら、返す言葉も見つからない。そりゃあテクニックも何もねぇ男なんですけど、諦めて受け入れていたんですけど……最近それが嫌で仕方がない。


 何故なら、王子がこれを調教のネタにするのだ!


 キスが下手なら、上手になるまで練習しましょうという建前でキスにあっぷあっぷ。

 レベルを落として触れ合うだけのキスでもいいよ、と言われようが、あの先輩が素直にキスをさせてくれるはずもなく。

 手を繋ぐにしても、抱きしめるにしても、何にしてもへたれる俺をからかったり、意地悪をしたり、と散々な目に遭わせてくる。家庭教師で時間が割いた分だけ、ものすっごいことをしてくる。


 あれが王子の愛情表現なのかもしれないけど、さすがに! これは由々しき事態! 俺の精神がいくつあっても足りない!

 そこで俺は思い立つ。ひとつくらいテクニシャンになってやろうじゃねえか! と。

 受け男だって少しは下手くその汚名を返上したいのである。


「とはいえ、練習はひとりじゃできないし……俺一人でも出来るものってなんだろう」


 唸りながら思考を巡らせ、めぐらせ、王子の仕置きレベルの内容を思い出す。

 レベル1は触れるだけのキス、レベル2はキスマーク、レベル3はディープキス。そうだ、キスマークだ!


 これなら一人でも練習ができるし、他人の肌を吸うだけだからテクニックも少ない。練習すれば上達するに違いない。

 よしよし、これで意地悪王子を少しは赤面させてやろうではないか。

 俺の経験上、自分からキスマークをしたことは……やめよう。しょっぱい別れ話の思い出が出てくる。


「意外と吸われるのって痛いんだよな。でも、強くないと痕は付かないし」


 浴衣の捲って練習を試みる。

 吸いやすい腕に痕を付けてみるけど、ちっともキスマークにならない。テクニシャンたるもの、一発でつけてこそ、だろう。


「もっと強くか?」


 更にテクニシャンたるもの、キスマークをいつ付けるかによってその腕が際立つ。

 俺は脳内でシチュエーションを想像してみる。王子にキスマークを付ける場面か。やっぱ布団の上かな。俺が攻められていて、焦らされていて、我慢が限界……なんで自分の攻められている情けない姿を想像しないといけないんだよ。むなしくなってきたんだけど。ついでにキモイんだけど。


 悩みのひとつとして、最近の俺はMに属しているんじゃないかと思ってならない。

 だってよ? あーんなことや、こーんなことをされた後に、うっふーんされているんだぜ? それを受け入れているんだぜ? ヤラレ系男子って散々馬鹿にされているけど……俺は例の親衛隊と同じMなんじゃ……嫌だ。それだけは絶対に受け入れられない。


 いやいや、情けなくともシチュエーションはちゃんと考えておこう。じゃないとテクニシャンの道は遠いぞ。


「あとは痛みすら感じさせず付ける。うん、これで少しは王子をぎゃふんと言わせることができる」


 見てろよ、腹黒王子。

 いつも俺のへたれを弄ってくれちゃって。たまには反撃を食らって、羞恥心を噛みやがれっす。

 それにしても、一発で痕が付かないな。


「最初は二の腕で練習するといいらしいぞ」


「あ、そうなんですか。じゃあ、二の腕でやってみます」


 二の腕まで袖を捲ったところで石化してしまう。

 ぎこちなく視線を流せば、「豊福は本当に勉強家だな」笑いを堪えている王子が隣に座っているという。いつの間に座って、へ、部屋に入る時、声は掛けました? ちょ!

 まさかの事態に耳まで赤く染めてしまう。さ、さ、さ、最悪だ!


 とんずらするべく四つん這いで高速移動。押入れの襖を開け、その中に避難するも、帯を掴まれて引きずられてしまう。


「は、離して下さい! 先輩、俺はたった今、押入れで暮らしていくって決めたんっすよ!」


「え? キスマークの練習だけじゃ飽き足らず、押入れでスリルあるプレイをしたいの? 豊福はマニアックだね。なら僕も頑張らないと」


 これだよこれ。

 簡単にひとの行動は見越しているくせに、俺の羞恥を煽る。まさしく意地悪な戦法が最近強いんだ。王子は俺を発狂させたいのか!

 しかも、だ。これで終わる筈もなく、「お姫様の可愛いお願いだしね」俺と向かい合った王子が浴衣の襟を捲り、どーぞと鎖骨を出してくるという。

 「は?」目を点にして綺麗な鎖骨を見つめる俺に、「付けたいんでしょ?」さあどうぞと笑顔を煌めかせた。


「練習するくらいなんだから、欲求不満だと思って。豊福は恥ずかしがり屋だから、行動でしか示せないんだね」


「おぉおおお俺はべつに欲求不満じゃ!」


 とんでも発言に飛び上がってしまう。

 欲求不満よりも先に、身の危険を感じる日々なんだけど!


「じゃあなんで練習していたの? まさか僕を襲うつもりだった?」


 こてんと首を傾げる王子の目が笑っている。

 うへー、ばれてる。ぜってぇばれてるよ。俺の悪巧み。


「襲うなんて、そんなそんな」


 滅相もないと誤魔化し笑いを浮かべるも、「なんで?」王子は疑問を投げかけてくるばかり。


「もしかして豊福は僕に変な対抗心を向けていたんじゃ。例えば、仕返しとして恥ずかしい思いをさせてやる、とか。だとしたら、僕はそれ以上に恥ずかしいことをして可愛がってあげないといけないな。そうだね、(放送禁止用語)をして、(放送禁止用語)をしたり……あとは(放送禁止用語)かな……おっと、今のは下品だった。冗談だよ」


 じょ、冗談じゃない、目が冗談じゃないと言っている。


「で、なんで練習していたの?」


 繰り返される質問に追い詰められてしまう。

 くそ、なにが恋愛マスターだ。こちとら、いつも襲われかけても逃げ切る、エスケープマスターじゃい。常に我が身可愛さに、安全な道に逃げ込む受け身男だ馬鹿野郎。

 ニコニコと微笑んでくる王子に、俺は視線を流し、「実は、よ、欲求不満で」と答えた。答えてやりましたとも。

 俺はいつだって自分が可愛いんだよ。えぐいことなんてされたくないんだよ。


「なら、付けていいよ。キスマークの練習の成果をここで見せて。それともお手本が必要かい? そうだよね。豊福は下手くそだから」


 ああ、もう、恋愛マスターなんて二度と目指すか!



 閑話休題、御堂先輩が俺の部屋に訪れた理由は練習相手を頼むためだった。

 それはキスマークの練習、ではなく、演劇の練習。先輩曰く、もうすぐ公演が近いらしく、家にいる間も練習に時間を費やしたいそうだ。今度の役は準主役で、しかもお姫様役だとか。男役ばかりしていた先輩にとって、この役は凄く難しいんだって。


 だから一人で練習するよりも、二人で練習して、お姫様の役をこなしたいらしい。

 家にいる大半は、劇団に所属しているさと子ちゃんに練習相手を頼むのだけれど、生憎彼女は仕事中。そこで俺に相手を頼んできた。


 とはいえ、俺の演劇力は皆無。練習相手といえど、せいぜい台本の台詞を読むことくらいだ。大したことはできてやれない。

 それでも良いと言ってきたので、俺は快く引き受ける。


 さっきまで散々ヒトの肌に痕を散らしたとは思えないほど、王子は熱心に練習をしていた。つたない言葉で台詞を紡ぐのに、彼女はそれに気にすることもなく、台詞を返す。本当に演劇が好きなんだな。感心したよ。

 練習に一区切り終えたところで、先輩が台本を閉じ、おもむろに話題を振ってくる。


「豊福。今度の土日は……バイトかい?」


 基本的に土日はバイトを入れている。お金は稼いでおいて損はないし、実家に帰るついでにもなるから。

 今週の土日の予定を聞かれ、俺はバイトがあると答えた。


 すると御堂先輩がうん、そうだよね、うん、うん、と意味深長に頷く。目が泳いでいた。何かあるのか、と聞くと、「いいや」なんでもない、王子は台本をパラパラと捲り、そこから紙切れを取り出していた。

 あからさまに何かある態度なんですけど。


「失礼します。お嬢様、練習の追い込みは如何でしょうか?」


 仕事を終えたさと子ちゃんが部屋に入って来る。

 順調だと答える王子に、「今週が楽しみですね」と、彼女が微笑む。


 途端に御堂先輩が人差し指を立てるも、俺は頓狂な声を上げてしまった。

 はい? 公演は今週なんっすか?! ちょ、聞いていないんですけど先輩! 俺が聞いたところで、今度しか言わなかったじゃないっすか!

 じゃあなにか? さっきの質問は誘うための探りか?


「それならそうと言って下さいよ。バイトは代わってもらいますから」


「べ、べつに、無理しなくてもいいぞ。僕は気にしないし」


 ありゃ、いつもの先輩らしくない。消極的だ。


「お嬢様。昨日まで空さまを文化祭にお呼びすると、張り切っていたじゃありませんか。一緒にお店を回ったり、自分のクラスのお店にも来てもらいたいと」


「さ、さと子。余計なことを」


「あ、分かりました。恥ずかしいのでしょう? 空さまにお姫様のドレス姿を見られることが。今日でしたよね、衣装の納品」


 うぐ、御堂先輩が言葉を詰まらせてしまう。

 図星だったらしく、王子はその場に座ると膝を抱えてぼそぼそと呟いた。

 思った以上にお姫様なドレスだった。自分には似合そうにない。あれを着て演劇をするだけでも恥ずかしいのに、婚約者に見られるなんて、絶対に無理だと彼女。

 「皆見るじゃありませんか」さと子ちゃんが慰めるも、「皆はいいんだ」御堂先輩は半狂乱に叫んだ。


「豊福に見られることが恥ずかしいんだ。その、普段の僕……好きな人の前では……男だし」


 開いた口が塞がらない。え、なんつった、この人。


「ぼ、僕は豊福の王子だ。うん、やっぱり、うん。お姫様な僕は……み、見られたくない。だから無理なものは無理なんだ! 話は終わりだ!」


 馬鹿みたいに心臓が鳴って止まらない。

 は、反則だ。いつもあーだこーだやーんするくせに、意地悪ばっかするくせに、そういう時だけ女の子らしい羞恥心を出すとか! これをギャップ萌えと言わずになんと言えば。

 ええい、絶対話は終わらせないっすよ! ったくもう、なんなのこの人。攻め女のくせに、女の子の一面は消極的とか。


「今週の土日で間違いないですよね? 俺、バイト先に連絡してくるんで」


 善は急げ。

 俺は御堂家に借りているスマホを片手に部屋を出る。

 「あ、豊福」来なくて良いと声を上げる先輩も、大概で往生際が悪い。俺が諦めるとでも? いやいや、例えどんな仕置きが待っていようと、それこそ嫌がられても行ってやる。これこそ仕返しだ!


「先輩。俺達学校別々なんっすよ。こういうイベントでもないと、一緒に学校で過ごすなんてできませんよ。舞台は絶対に観に行きますからね。女の子な先輩めっちゃ楽しみっす」


 振り返って意地の悪い笑みを浮かべてやると、「へたれがよく言うよね」御堂先輩が拗ねたような、でもなんだか嬉しそうな顔をして、小さく頷いた。

 諦めたらしい。後で文化祭の来場チケットを渡すと笑みを返した。


「豊福。土日どっちも来てくれるかい? 土曜は店番くらいで、他に用事はないんだ。回るなら土曜日一緒に回ろう」


「日曜が公演なんっすね。OKっす。どっちも空けておきますよ」


「舞台が成功したご褒美は、豊福のキスでいいよ。あ、キスマークでもいいや。練習していたんだろう?」


「……いづ屋のおはぎを買ってきますので、それで勘弁して下さい」


 それじゃあ、バイト先に電話してくる。

 軽く手を挙げて障子を閉めると、向こうから女子トークが聞こえた。電話を掛けようと思っていた俺の耳がつい、そっちの会話を聞こうと耳をダンボにしてしまう。


「お嬢様、良かったですね。空さまが来て下さりますよ! 念願のおデートじゃないですか」


「ああ。まさか、豊福が積極的に来ると言ってくれるなんて。舞台は恥ずかしいけど、でも嬉しいな」


 俺をなんだと思っているんだよ、先輩。

 これでも婚約者なんだから、そら行くよ。先輩が舞台に出るって言うなら、尚更。

 それに、こういった日常が少しでも、王子の望むの純粋な関係に近付けるような気がするんだ。借金も世継ぎも考えない、ただの学生の時間を過ごせる。そんな気がする。


「だけどさと子、僕はやっぱり不安なんだ。豊福が文化祭に来ることに……」


「何かご不安でも」


 不安? 何が不安なんだ? 場合によっては、それを改善しないといけない。


「ほら、僕の学校は女子校だろう? 僕は始終彼の傍にいない……もし、店番で戻らなくなったらあいつをひとりにしてしまう」


「それくらいで空さまは怒らないと思いますが」


 そうそう、怒らないよ。店番はしょうがな「襲われるかもしれない」…………なんだって?


「豊福はいじめたくなる可愛さがある。ひとりにしてしまったら、見知らぬ女子生徒に襲われるかもしれない。女子校は可憐さがある一方、陰で凄まじい妬みがある。豊福の可愛さに嫉妬する女子生徒がいるかもしれないし、逆にS心を目覚めさせる可能性も」


「えっとお嬢様……それはないかと」


「なにより、僕の女子校には、御堂財閥と同じ五財盟主がいる。“彼女”に目を付けられないとも限らない」


 五財盟主。

 御堂財閥を筆頭に、財閥界を統べる財閥のひとりが先輩と同じ学校にいるのか。


「僕の存在は財閥界では大きい。そして男嫌いだということも有名になり過ぎている。その僕が婚約者を作っていることも話題の渦中――さと子、お願いがあるんだけど」



 □



 聖ローズマリー学院文化祭当日(Sat.)。

 婚約者が通う聖ローズマリー学院は、都内の私立校でも名門と呼ばれる学校だ。俺の通っている私立エレガンス学院と肩を並べる偏差値、そしてブランドを誇っている。


 なんでも幼稚舎から大学までの一貫教育をしているとか。

 特にお金持ちの親御さんは幼稚園から此処に入れさせてより品の高い女性になってもらおうとしているらしく、倍率は目ん玉が飛び出るほど高いんだって。


 リムジンから降りた俺は名門校を見上げ、正門向こうの世界に感嘆の声を上げる。


 さすがは名門校。

 エレガンス学院に負けないくらいの敷地を誇っている。乙女の可憐さを際立たせる花壇の彩られた数と、正門から見えるレンガ造りの校舎はレトロな雰囲気を醸し出す一方で、厳かな空気を放っており、通う女子の気品を高めようとしている。

 ここに通えば、誰もが恥ずかしくない淑女になれるそうだけど……御堂先輩は、あれな性格であれな姿であれだもんなあれ。うん。誰もが、というのは誇大な表現だとみた。


 あ、豆知識だけど俺の元カノも本当は此処に通うつもりだったんだって。前に御堂先輩が言っていた。


「まだ十時半なのに、すごい賑わいだな。さすが名門の文化祭、一般公開もされているんだな」


 既に正門前は一般人であろう人達がチケットを買っている。

 その傍らでは複数の警備員が立っていた。多くの財閥の子達が通う学院だもんな。事前対策もバッチリのようだ。


「良いですか。時期御堂財閥のご子息となる空さまの御身を守ることが、我々召使の務めです。お嬢様はこの日を楽しみにしておりました。ゆえに、今日明日の時間を崩すようなことはしてはなりません」


 ……こっちの事前対策もバッチリのようだ。

 俺は人目を気にしながら、蘭子さんの演説を一瞥する。彼女は部下であろう召使、そしてボディーガードに命令していた。そらもう、ご大層な命令をしていた。

 おかげで悪目立ちしているんだけど。通行人からチラチラと視線を配られるんだけど。早々に帰りたくなってきた。


「特にさと子、博紀。貴方達の役割は重要です。空さまをお一人にしてはいけません。この二日は友人として振る舞い、空さまのお傍にいなさい。お嬢様のご要望でもあります」


「はい! 頑張ります!」


「必ず。この身に代えてもお守り致します。防犯ブザーもカラーボールも持っていますので、ご安心下さい」


 私服姿の世話役二人が切れの良い返事をしている。

 文化祭ひとつで、この警備。大袈裟ってレベルじゃないんだけど。


 大体嫌だったんだよ。リムジンで送られるのもさ。

 俺は一般人にまぎれながら、のほほんと文化祭を楽しみたかったのに。

 バスで行こうとしたら、蘭子さんを筆頭に源二さん達に危ないだの、車で行けだの、なんだの……過保護にもほどがある!


 私服が面倒だったから、制服でいいやとズボラをしたらさと子ちゃんに、「おデートなんですから!」と注意は受けるし。

 いいじゃん、制服の方が楽なんだから。大した私服も持っていないし。


 大袈裟な警備に溜息をついていると蘭子さんから声を掛けられ、チケットを手渡される。


「どうぞ楽しんできて下さいませ」


 なんなら一夜のためにホテルの準備もできる、愛想の良い笑顔で言われてしまい、俺は引き攣り笑いを返す。

 それ、どーゆー意味なのか考えたくもないんっすけど。


 一般人に紛れるボディーガードを見送った後、俺は博紀さんとさと子ちゃんを従えて正門を潜る。


 正門入り口から、クレープやたこ焼きの模擬店の生徒に声を掛けられた。

 うんうん、文化祭って感じがする。お祭りはいいもんだよな。小さい頃は見るばっかりで、出店で買い物とかできなかったから、実は今日という日を楽しみにしていたんだよ。


 こういう時のためのバイトだよな。お金を気にせずお祭りに参加できるんだから。

 あ、向こうに揚げアイスってのがある。フランクフルトも捨てがたい。イチゴ飴? もう行くしかないじゃん。わ、模擬店の子達は女の子でいっぱい。女子校ってだけあるよな。可愛い子がいっぱいとか、花園としか言いようがない。ほんと。

 上機嫌で模擬店を眺めていると、「空さま。これを」博紀さんがパンフレットを差し出してくる。


「この学院の見取り図と、出店の場所が書かれています。お嬢様と合流するまで、空さまの行きたい場所へ行きましょう。ちなみにお嬢様は」


「まさか執事喫茶店でもしているんじゃないでしょうね? ありえそうなんっすけど」


「似たようなものなのですが、茶屋をしているそうですよ。お茶を淹れて出しているようです」


 ええ、茶道がてんで駄目な先輩が茶屋をしているの?

 あの人の茶道は豪快且つ、おおざっぱだから大丈夫かな。着物を着る点に関しては、家でも着ているから大丈夫だろうけど。


「楽しみですね。お嬢様は美人ですから、ファンの子も多いそうですよ。私、デジカメ持って来ちゃいました。後で空さまとお嬢様のツーショットを撮ってあげますね」


 ファン? ……ふぁ、ファン?!

 おいちょっと待て。今、ファンと言ったかい? それってあれかい? 鈴理先輩でいうところの親衛隊って奴かい?


「もしかして親衛隊、というものは」


「ファンクラブがあるそうですよ。玲お嬢様は女子モテしますから。いやはや、男よりも王子らしく振る舞うせいでしょうが。あ、ご安心を。僕からして見れば、空さまとお嬢様はお似合いの王子と姫なので」


「そんな慰めいらないっすよ! まじっすか、ファンクラブ?!」


 うげ、女版親衛隊がいるの?! まじで?!

 いや、薄々は分かっていたけど、でも、でもだ! 今まで学校が違ったから、他人事のように聞いていたんだ。

 ファンクラブか、そっか、そっかぁ。良い思い出がねぇーなー。女子は男子より怖いだろーなー。茶屋に集まってるんだろうなーファンの人。


「? 空さま、如何しました」


 俺はまじまじと博紀さんを観察する。

 爽やかオーラを醸し出す好青年、それが七瀬博紀さんだ。御堂先輩とつり合いが取れる顔だろうし、お似合いって感じがする。

 そうだ、こういう時のために博紀さんがいる!


「…………博紀さん。今日一日、俺の振りをしてくれないでしょうか? 博紀さんなら、立派な婚約者に見えますから。俺は召使として一日頑張ります」


「何を仰るかと思えば。お嬢様が愛しているのは空さまですよ? 僕が空さまの振りをしたところで、お嬢様はお喜びになりません」


「そ、そ、そーですよ! 急にどうしたんです?」


 俺は俺が可愛くてしょーがないんっすよ!

 嫌なんだよ、ファンクラブの人に目を付けられるとか! 親衛隊でどれだけ痛い目に遭ったと思うんだい。男よりも女の方が怖そうじゃん? えぐいことされそうじゃん? 後ろから刺されそうじゃん? ……し、し、死にたくない。


 きっと俺を見て、おい、あれが婚約者だってよ。とか、陰口叩かれて白眼視するんだ。ぎゃー! 怖い逃げたい死にたくない!


「空さま、博紀さんを身代わりにしたら、さぞお嬢様がお怒りになるかと思いますよ」


 あ。


「言わずと“僕”がデートをすることになるのですから、それはお怒りというレベルではありませんよ。“どんな”お仕置きをされるのでしょうね?」


 優しい顔をして悪魔のスマイルを向けてくる博紀さんと、オロオロと天使のように心配してくれるさと子ちゃんを交互に見やる。

 あーっはははは、俺は俺が可愛いんっすよ。王子のお仕置きか、ファンクラブの辛らつかを選べって言われたら、そりゃもちろんファンクラブの辛らつでしょう! 一日二日の辛らつどうってことねぇべ。普段は別の学校にいるんだからさ。


「じ、時間まで見て回りましょうそうしましょう。約束まで一時間はありますから」


 俺はパンフレットに視線を戻し、いそいそと場所を確認していく。

 へえ、模擬店以外にも出し物があるのか。御堂先輩の舞台は明日。今日体育館で行われるのは音楽関係の出し物みたい。教室に行けば、映像部の上映とか、手芸部のお手軽マスコット作りも体験できるんだ。ふーん。


 取りあえず、小腹が減ったから何か食べたいところだ。御堂先輩とお昼ご飯の約束はしているけど、つまむ程度の間食なら許してくれるだろう。


「揚げアイスを食べてみたいな。さと子ちゃん、博紀さん、俺ちょっと揚げアイスを買いに」


「お任せ下さい。私が買ってまいります!」


「え、いいよ。自分で買いに」


 聞いちゃいない。

 さと子ちゃんがダッシュで向こうに見える揚げアイスの模擬店に向かってしまう。博紀さんは止めるどころか、「お味はイチゴにするんだよ」と言っているし。

 こういうのって自分で買って食べるのが醍醐味なんじゃないのかな。召使に世話を焼かれている財閥の令息令嬢も大変だな。


「お待たせしました。アイスを、ぎゃっ!」


 ど派手にすっ転んで持っていた揚げアイスをすべて投げてしまう世話役が、目をうるうるさせて鼻を啜っている。あーあーあー、またドジ踏んで。走るから。

 「さと子ちゃん大丈夫?」しゃがんで揚げアイスを拾うと、「どうかお仕置きを」彼女はとんでも発言で俺を見つめてくる。


 そういう趣味はない、ない、ないから。ちなみにされる趣味もないから。


「揚げアイスはまた買えばいいよ。さきに別のものを買おうか。あ、チョコバナナとかおいしそうだな」


「私。汚名挽回のために行って来ます!」


 それを言うなら汚名返上なんだけど。

 止める暇もなく、さと子ちゃんがチョコバナナの模擬店にダッシュ。「さ、さと子。走るんじゃないよ」博紀さんが心配で見守る中、今度は無事に買えたようで、足軽に戻って来る。

 走ろうとする彼女を二人がかりで止めると、向こうも学んだらしく、笑顔でチョコバナナを持った手を振った。


「三本ちゃんと買えました。お味はホワイトチョコと、ミルクチョコ、どちらに」


「だ、だめだよ。さと子。そんなに振ったら」


 ぽと。

 串に刺さっていたチョコバナナが落ちた。すごい三本綺麗に全部落ちている。もうドジとか、そんなレベルじゃない。もはや奇跡と呼ぶべき光景だ。

 地面に視線を落とした俺と博紀さんの前で、「ドジ亀でごめんなしゃい」さと子ちゃんがグズグズと涙ぐむ。

 最近見なくなったと思っていたけど、やっぱりさと子ちゃんはドジっ子ちゃんである。


 このままでは何も食べられない。危機感を募らせた博紀さんが、「今度は僕が」率先して前に出る。


「あそこにワッフルがありますね。それを買って来ますので、少々お待ちを」


 今度は大丈夫だろう。博紀さんなのだから。

 安心して背を見送り、彼の帰りを待つ。程なくして、ワッフルを両手に博紀さんが戻って来た。何事もなく差し出されるワッフルを受け取る、筈だったのだけれど問題発生。


 俺の隣で、ワッフルを受け取ったさと子ちゃんの食べるそれに鳥の糞が落ちてきた。うそだろ? ドジというか、これは不幸のレベルだろ。


「ううっ、わ、わだじにきにぜずだべで」


「半分しようね。半分っこ! ね? ね?」


「ぼ、ぼ、僕の分がありますので。ほら、さと子」


 半分に分けられたワッフルは、「それでさ」「うわ?!」「あ、ごめんなさい!」文化祭に訪れていた女子高生達の集団に踏まれ踏まれて無残な姿に。

 博紀さんにぶつかった女子高生が謝り倒している中、「半分っこ。はい、半分っこ」俺はボトボトと涙を零すさと子ちゃんにワッフルを割って差し出したという。

 それでも落ち込んでいるから、博紀さんに頼んでイチゴ飴を買ってきてもらった。これを舐めることにより、ようやくさと子ちゃんの気が落ち着く。


 結論、自分で買った方が良かった。絶対に。


「どっちが世話役なんでしょうか。ああもう、さと子。頼むよ。これじゃあ、空さまをお守りできないじゃないか」


 俺の右隣でこめかみを擦る博紀さんに「まあまあ」、左隣で身を小さくしてイチゴ飴を舐めているさと子ちゃんには「お、俺は気にしていないから」

 それでも双方の空気が妙に重いもんだから、校舎の中にあるお化け屋敷に目を付け、この雰囲気を一掃しようと計画する。


「俺、後で御堂先輩と入ろうと思うんですけど、実は怖いのは得意じゃなくて。先に入って、こっそり感想を教えてくれません? さすがに彼女の前でへたれるのは格好悪いので」


 適当な口実をつけて、二人に潜入捜査を頼む。

 うんうん。これはいいことをしているんじゃないか? さと子ちゃんは博紀さんに片思いしているから、こういうイベントでグッと距離を縮めればいいと思うし、博紀さんもここでドジっ子ちゃんの守りたくなる可愛さに目覚めれば一石二鳥! 素晴らしいじゃない!


 ……なんで気を遣われるはずの俺が、ここまで気を遣わなきゃいけないんだ。


 主人って立場も堅苦しいけど、これはこれで気苦労するんだけど。俺はフツーに文化祭を楽しみたいんだけど。


 だがしかーし! 俺の計画を狂わせてきたのは、やはりトラブルドジっ子のさと子ちゃんだった!

 受付の女子生徒が「何名様でしょうか?」と聞いた時だ。彼女は俺の、何故か俺のブレザーの裾を握って「二人です」

 おいおいおい。聞いてなかったの俺の話? 後で御堂先輩と入るつもりなんだけど。


「さと子ちゃん。博紀さんと入っておいでよ」


「空さま。おひとりにできません。わ、わ、私は空さまのボディーガードですもの」


 きっぱり言い切るさと子ちゃんのおかげで、俺は彼女とお化け屋敷に入る羽目になった。

 まあ、俺と博紀さんの野郎二人で入るよりかは、さと子ちゃんと入った方がマシなんだろうけどゼンゼンコレジャナイ感デス。


「申し訳ございません」


 俺の気遣いを軽く読んでいた博紀さんに見送られ、いざさと子ちゃんとお化け屋敷へ。

 暗い教室、張りぼてで作られた雰囲気あるお化け屋敷を歩くだけの、簡単な道のりだったのだけれど、自称ボディーガードは驚かされる度に悲鳴を上げまくり。


 てんでお化け屋敷が苦手な子だったようで、五分で終わるホラーツアーですら半べそ。

 何度も彼女に腰をタックルされ、その度にこけそうになり、仕舞にはしがみつかれて盾にされた。ボディーガードとは? な気分である。

 さっきも言った通り、俺は怖いのは得意じゃない。だけど不思議なもんで。人が怖がりまくっていると冷静になれる。

 うぇーい受け男、女の子に頼られているのは美味しい! と、思ったのは俺だけの秘密だ。


「空さま。ごめんなさい。私……」


 お化け屋敷から出るや、さと子ちゃんは俺に謝ってきた。


 初っ端からの失態を引きずっているようで、役に立っていない自分に嫌気が差している様子。多分、気合が入り過ぎて空回りしているんだろう。傍に博紀さんがいるってのも一因として挙げられる。さと子ちゃんってそういう子だもんな。


 頑張ってくれるのは嬉しいけど、でも、さと子ちゃんにボディーガード宣言されるのは嫌かな。


「さと子ちゃん。俺と君は屋敷じゃ主従関係、でも外じゃどういう関係って言ったっけ?」


 身をかがめて視線を合わせる。

 「お友達、です」細い声で答えてくれるさと子ちゃんに、「うん。そう言ったね」大正解だと頬を崩す。


「だからさ。無理してボディーガードとか考えなくていいよ。蘭子さんも言ったでしょ? さと子ちゃんと博紀さんは友人の振りをしろって。俺は振りじゃなくて、素直に友人として文化祭を回ってくれたら嬉しいな」


「空さま」


「ほら、俺達庶民出だから、こういう時ほど気が合いそうじゃん? 気軽に遊ぼうよ。滅多にない機会だしさ」


 萎んでいたさと子ちゃんの表情がパァっと輝きを取り戻す。

 分かってくれたようで、もうボディーガードとは言わないし、気張らない。気軽に遊ぶと返事してくれる。

 それでいいんだよ、さと子ちゃん。俺もその方が嬉しい。


「そろそろ茶屋に行きましょうか? お嬢様をお迎えしないと」


 元気になった途端、飛び跳ねてやんの。

 可愛いねぇ。つい猫かわいがりしたくなる。彼女の場合は異性っていうより、妹って感じだけど。俺には兄弟がいないから、兄ちゃんって気分が分からないけどさ。


「あ」


 向こうで、べしゃっとこけているさと子ちゃんに遠目を作る。あの子、いつか詐欺にでも遭うんじゃないかな。彼女のドジに不安しか生まれない。

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