【最も危険人物:豊福空】
【某タワーホテルのcafe & barラウンジにて】
某タワーホテルの12階フロアの一角で運営している珈琲ラウンジは夜八時にて閉店する。
しかし店自体は閉店するわけではなく、それ以降の時間をバーラウンジとして再開店。昼間は客にあった珈琲を提供し、夜が訪れるとお好みの酒を出してくれる≪cafe & bar≫ラウンジとして運営している。
床から天井まで伸びきっている大きな窓ガラスの側らのテーブルで珈琲を啜っていた竹之内財閥次女・竹之内 真衣は店員に声を掛けられ、一笑を交えながらメニューを注文する。
飲みかけの珈琲は片付けられ、彼女の前にパッションフルーツカクテルが用意される。
並々と注がれているオレンジ色に染まったカクテル・グラスを取り、それを口元に運んだ。店内に耳を澄ますと心地の良いバラードのBGMが流れている。昭和に流行った洋楽名曲ソングらしいのだが、何の曲なのか、真衣には分からない。
爽やかなパッションフルーツに味を占めていると、「此処。空いていますか?」前方から声を掛けられた。見ずとも相手が分かっていたため、「遅刻ですよ」相変わらず時間通りに来ない人ですね、と肩を竦める。
「これは申し訳ない」
悪びれた様子もなく、前方の椅子に腰を下ろす彼は自分と待ち合わせていた人物。
店員を呼ぶと、「マティーニを一つ」酒を注文した。数分も経たず、運ばれてくる無色透明のマティーニには装飾として丸いオリーブが浸かっている。
「マティーニ。通称カクテルの王様。マティーニを制す者は、すべてのカクテルを制す。ふふっ、そのようなお酒を好むようになったなんて、貴方もわたくしも歳を取りましたね。楓さま」
向かい側に座っている待ち人、改め二階堂財閥長男・二階堂 楓に向かって真衣は綻ぶ。
「まだお互いに二十代前半でしょう? せめて大人になったって言ってくれないかい?」
綻び返してくる楓がカクテル・グラスを持ち、此方に向かって差し出してきた。意図を察した真衣は同じくカクテル・グラスを傾け、縁を合わせる。甲高いガラス音はすぐにBGMによってかき消された。
マティーニを口元に運んでいる楓に、今日の遅刻の弁解はしないのですか? と、真衣は茶々を入れた。
「今回は正当な理由があるんだよ」
ウィンクする楓は、弟達の企業分析の様子を見ていたのだと肩を竦めた。
「また嘘を仰って」
本当は別のことをしていたのでしょう? と真衣。
何故なら妹達は今日、各々習い事があっているのだから。
「鈴理さんが言っていましたもの」
したがって企業分析を見てやる余裕などない筈だ。
二人分のスケジュールを把握している真衣に、ちぇっと舌を鳴らし、楓は降参だと言わんばかりに両手を挙げた。
「相変わらず手厳しいね。真衣ちゃん。少しは
「私に優しさを求めることが間違っていますから。それで、どうなのでしょう?」
別のことをしていたことを薄々察している真衣は、早速話題を切り出した。
「んー。財閥界は腐ってるね」
一にも二にも三、四をすっ飛ばして五にもこれに尽きると楓は溜息をつく。彼は肘を机上に置き、マティーニに入っているオリーブに目を落とした。
「財閥界の頂点近場にいるご老人方は、相手を追い抜け追い越せ蹴落とせの精神で、虎視眈々と他の財閥を“共食い”しようと目論んでいるみたい。皆、もーちょっとおてて繋いで仲良くしようとは思わないのかな? ま、これまではそうやって他の財閥を貪って存続してきた節もあるだろうし、所詮ビジネス社会なんて弱肉強食だから、頭ごなしに否定もできないんだけどさ。それにしたってやり方が気に食わないなぁ」
両親世代はまだ実力を見せれば、どうにか納得してもらえるレベル。
けどそれ以上の世代は頑固頭のツワモノばかり。いつまでも財閥の頂点に居たがる輩ばかりなのだ。そろそろ次世代に譲っても良いだろうに。
「いつ僕達は彼等の椅子に腰を据えることができるんだろうね」
意味深に一笑を浮かべる楓に、笑みを返し、「敵は多そうですよ」真衣はパッションフルーツカクテルを飲み干した。
「まず今回の敵は自分達の両親なのですから」
真衣が軽く告げると、「ありがとうね」僕の提案に乗ってくれて、と楓が一変していつもの笑顔を作る。
「いいえ。可愛い妹達のためですもの」
手を貸さないわけがないと真衣は目尻を下げた。
「鈴理さんの泣き崩れた姿、見たこともありませんでしたから。勿論大雅さんも素敵な男性だと思いますよ。ですが、あの子は」
「大雅だって鈴理ちゃんが不満ってわけじゃないよ。ただ二人は望んでいなかった。彼は別の子が好きだからね」
「分かりやすい弟だよ」不在の弟をからかう楓に、「百合子さまですね」真衣はストレートに物申した。ご名答だと言わんばかりにマティーニに浸っているオリーブを指で小突く。
「大雅は優しいからね、兄の顔を立たせてくれているんだよ」
楓は出来た弟だと苦笑いを零した。
「僕達兄弟は同じ物を好きになる傾向がある。ただいつも譲ってくれるのは大雅。まるで兄弟が逆転しているみたいだ。僕ってそんなに弟気質なのかな?」
「ご自身の性格に問題があるんですよ。少しはその電波な性格をなおしては如何でしょう? 貴方様のような兄を持つ大雅さんの苦労には心の底から同情しますわ」
「ホンット手厳しいね。真衣ちゃん」引き攣り笑いを浮かべる楓に、「本当のことですから」クスリと真衣が笑みを零した。
店員を呼びつけると、空になったカクテル・グラスを渡しておかわりを頼む。
今度はチェリーカクテルを注文した。トレイに載ったカクテル・グラスを真衣の前に置くと、店員は一礼して去っていく。それを脇目にしながら真衣は冷たいグラスに指を絡めた。
「大雅さんはご存知なのですか?」
半分ほど飲み干したマティーニを見つめ、「ナニを?」彼が白々しい問いかけをしてくる。分かっているくせに。
「楓さまの夢についてですよ」馬鹿丁寧に返事すると、「勿論知るわけないさ」言ったら危険の一言で止められるからと彼。
「勿論親にすら言ったことはないよ。僕の野望を知っているのは真衣ちゃんくらいさ」
ぱちっとウィンクしてグラスの中を回す。
「二階堂財閥長男は頼りない優男。財閥を引っ張っていけるかどうかすら危うい。これが周囲の評価さ。そんな男が野望を持っているなんてお笑い種だろ?」
「けれど貴方は揺るぎない野望を持っています。ふふっ、貴方らしい野望です。保守的な財閥界を内側から崩す、本当に貴方らしい」
伏せた睫を震わせて笑みを零す真衣に、楓は今日一番の微笑みを浮かべた。
「おかげさまで敵も多いよ」
楓は楊枝に刺さっている薄緑色のオリーブを口に入れる。
渋味にしかめっ面を作りながら、「僕と君は似ている」保守的な財閥を嫌う面とか、決められたレールを走りたくないエゴを持つところとか、だから話せたのだと彼はオリーブを咀嚼する。
「出来が良ければ財閥の将来を背負い、悪ければ財閥の存続補佐として人生を捧げる。そうして財閥界の歴史は繰り返されてきた。面白味がないでしょ? そーろそろ財閥界に革命が起きてもいいかな? って思ってさ。僕は人と違うことをするのが好きな性分だから」
「それを変わり者と呼ぶのですよ」
変人呼ばわりされても楓は動じることがない。
「馬鹿と天才は紙一重って言うじゃない。んーっ、ご老人達がどーしても邪魔なんだよな。凝り固まったご老人の脳みそは保守思考しかない。だから“共食い”が起き易くなっている……真衣ちゃん。これは僕の憶測であり、単なる杞憂かもしれないけど、鈴理ちゃんの元カレには気を付けてね」
「え?」
真衣の方が動じてしまった。
三女の元カレ。というのは現在御堂財閥一人娘の彼を指しているのだろうか。
瞠目する真衣に対し、「彼は危険だ」下手すると僕達は彼にしてやられる可能性がある。楓は眉根を顰めた。面持ちからして冗談では無さそうだ。
「それはどういう意味ですか?」
説明を促すと、「彼自身が危険というより」バックにいる大物が危険なのだと楓は苦言した。
いつもへらへら笑っている彼から苦言交じりの台詞が出るなんて希少である。事は深刻なようだ。
「御堂淳蔵。財閥界のカリスマと謳われている彼が、豊福空くんのバックにいる。そして豊福くんは鈴理ちゃんの元カレであり、鈴理ちゃんは彼との復縁を切望している。しかも大雅とも仲が良い。二人にとって警戒心を抱くべき相手じゃない」
御堂淳蔵がそこを狙わないわけがないのだ。
なにせ、オソロシイほど情報通な老人であり、財閥界で恐れられている実力者。とっくに彼等の関係なんて洗ってあるだろう。
「復縁狙いの婚約破談すら耳にしているかもしれない。あのご老人はね、幾度となく“共食い”を成功させている覇者なんだ。陰でどれほどの手ぐすねを引いているか分かったもんじゃない。なんでも彼は御堂家に逆らえない立場らしいね。鈴理ちゃんと大雅の話を盗み聞きしたよ。なんでも多額の借金があるとか」
「…………」
「僕は彼自身の人格をよく知らない。ただ頑張っている鈴理ちゃんの気持ちは尊重したいし、大雅が仲良くしたいと思うなら、これからもうしていけば良いと思う。玲ちゃんだって僕自身大好きだ。男だからって一蹴されることは多々だけど、あの子も悪い子じゃない……杞憂で終わって欲しいんだけど、あのご老人、また何かをしたいみたいで水面下で複数の企業とやり取りをしているようだ」
「それって」
「もしかしたら二階堂財閥と竹之内財閥をいっぺんに手玉に……企業分析が終わるまで二人には豊福くんに近付かないよう言うべきかもしれない。それが双方傷付かない策かも。仮に豊福くんを使ってくるようなら、あの二人が回避できるかどうか」
回避できないようなら、それだけの策を取るしかない。
楓の言葉に真衣は憂いを抱いた。「それだけ、と言いますと?」真衣の不安と疑念に、
「僕は大雅と鈴理ちゃんが可愛いんだ。そして豊福くんって子をよく知らない、つまりそういうことだよ」
楓は険しい面持ちで答える。
「そんな……それではあの子のしていることは」
言葉を失ってしまう真衣に対し、「これは極論だよ」ネガティブな方に考えないで欲しいと楓は力なく笑った。
「鈴理ちゃん、本当に豊福くんのことが好きなんだろう? 僕だって、彼女の好きな人を……貶めるようなことはしたくないし、極力は話し合いに持ち込みたい」
もっと言えば、本当はこちら側の人間にしてやりたい。それが本音だ。
「僕が予想するに、彼はとても良い子だと思うんだ。ちょっと調べさせてもらったけど、すごく両親想いみたいだし、財閥の婚約者でありながら、バイトだって頑張っている。あの男嫌いな玲ちゃんですら守りたいと想う存在で、友達の少ない大雅ですら心を許している。本当に良い子なんだと想像ができるよ」
「ええ。本当に良い子ですよ。いつも鈴理を心配してくれて。だからお父様の意向を汲み、鈴理から身を引いて……」
「人の気持ちを優先できる子なんだね」
「だからこそ、鈴理は恋をしたのだと思います。そして玲さんも」
「じゃあ、なおさら傷つけあう光景なんてみたくないよ。ほんと、これだから保守的な財閥界は嫌いなんだ。露骨に誰かの心を傷付けてまで、上へ上へ伸し上がる。誰かの幸せを砕いてまで存続の道を歩む。そんなやり方、間違っているに決まっているじゃないか。昔はそれでよかったかもしれない。だけど、今の時代はそれで済まされない。これからは共栄の時代なんだ」
「楓さま……」
「若いからって屈していたら終わりだよ。真衣ちゃん、僕は胸に誓っているんだ。財閥の固執を打ち砕いて、新しい風を吹かせるって。多くの敵を作ったとしても、僕はこの信念を譲る気はない……何より僕達のためだ。ご老人なんてあと僅かな人生だしね」
早く引退して余生を楽しんでもらいたいよ、大袈裟に肩を竦める楓はからになったカクテル・グラスを見つめた。
「マティーニ。通称カクテルの王様。マティーニを制す者は、すべてのカクテルを制す。だったら僕はマティーニになるよ。いつか必ず他のカクテル達を制してやるさ」
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