02.バストパニックと人は呼ぶ




 □




“遊びに行く? いいじゃないか。行って来ればいい。僕達の許可なんて不要だぞ。大体豊福は真面目すぎる。僕が許可を出さないとでも思っているのかい? 言っただろ。君の心は縛らないと。ああ、だがナンパには気を付けろよ。いつ何処で襲われるか分からないからな。なにせ豊福は魅了ある体でしかm(強制終了)”



 はい、長ったらしい注意はさておき。

 お電話したところ、無事御堂先輩に許可を頂きました! 良かった、御堂先輩が寛容ある人で。

 ナンパやら連れ込み宿に連れ去られるなやら、変なことを言われてしまったけれど(俺をなんだと思っているだろう。先輩。)、俺の気持ちを酌んでくれた彼女の言葉は嬉しかった。


 俺、真面目すぎるのかな。

 だって借金を踏み倒さないよう人質として御堂家に居候しているんだぞ? 下手に行動したら疑うたぐられないかなぁっとか心配するじゃんか? 迷惑掛けたらヤダし。

 ま、でも無事許可を貰ったんだ。心配は無用か。


 久々にフライト兄弟と遊べるんだし、今は目の前の楽しい現実に集中しよう。

 アジくんの言うとおり、怒涛の日々が続いている俺には息抜きが必要だった。


 ということで放課後、俺はフライト兄弟と一緒に寄り道。

 ストレス解消にはやっぱ此処だとアジくんに連れて来られたのはカラオケだった。が、俺が全力で無理だと言ったため、場所を変更。


 近場のバッティングセンターに足を運んだ。

 なんでカラオケを全力で拒否ったかって、そりゃ、俺が絶大な音痴男だからだ。


 まーじ芸術系は駄目なんだよ。真面目に音楽と美術の成績は悪い。

 中学校の時からそうだった。努力が認められて4は取ったことあっても、大体は3ちゃんたぬきだった。副教科の得意科目といえば体育や家庭科だったしさ。


 カラオケとかストレス発散って言うけど、世の中にはストレスを溜める奴もいるんだよ。

 音痴な俺がそうだ、うん。音楽が嫌いなわけじゃないけど歌う行為がダメダメ。音程取れないし。鈴理先輩の前で一度歌ったことあったけど、大爆笑されたという……俺にとって音楽は聴くものだよ。歌うとしても、それは鼻歌程度で充分だ。少なくとも俺はそれでいい!



 閑話休題。


 生まれてはじめてバッティングセンターに入った俺は、機械から発射されるボールを快調に打ち付けていた。

 さっきも言ったとおり、基本的に体育は得意な俺だ。走る系と球技系は大得意だから、最初こそボールのスピードについていけなくても徐々に飛距離を伸ばせるようになった。アジくんほど上手くもなかったけどさ。 


 いやぁ、ただ球を打ち付けるだけなのに気持ちがスカッとする。お金を払っているからには元を取らないとな(1ゲーム200円、だと?)。


 こうして俺とアジくんが飛距離を伸ばす中、エビくんだけが空振っていた。

 エビくんって勉強は出来ても、運動はイマイチ。絶対ワンテンポ遅いんだ。ボールが通り過ぎてはバットを振るエビくんに、俺達は苦笑。苦笑。その内、呆れ顔になって溜息。

 ボールをよく見ようよ、エビくん。なんでバットを振る度に目を瞑るの。


 ついにはエビくん、「バットに不具合でも?」と眼鏡のブリッジを押し、持っていたバットを観察していたという。


「笹野頑張れって。ちゃんと狙って打たないとストレス溜まるぞ」


「分かってるよ、煩いな。あーあ、あの的に当ててやりたいよ。そしたら景品がもらえるのに」


 エビくんが遠い目で的を眺めている。

 のほほんと聞いていた俺に衝撃が走った。


 え、なに? 景品がもらえる? どゆこと?


 俺の問いにエビくんが的を指差した。「あそこに的があるでしょ」あれに当てると、景品がもらえる仕組みになっているとエビくん。

 ポイント制のところもあるらしいんだけど、この施設は当てるごとに景品がもらえるらしい。しかも場所によってもらえる景品が変わるらしい。


 それを聞いた瞬間、俺の中の何かが爆ぜた。


 1ゲーム200円というお金を払っているんだ。

 だったら戦利品の一つでも持って帰らないと、元が取れたとは言わない。金を払った代価は頂戴する。じゃないと割に合わない!

 父さん、母さん、俺は打つよ。ホームラン商品を貰うために、お金を払った分まで打つよ! 狙うはホームラン! 的に当てると景品がもらえるんだぞ? 必ずゲットする!


 人知れず闘争心を滾らせた俺に気付かないフライト兄弟は、能天気に会話していた。



「馬鹿だな。簡単に景品が手に入るわけないだろ? ホームランとかムリムリ。まず笹野はバットに当てないと」


「絶対このバットがおかしいんだって。僕のスウィングは完璧だったよ」



「完璧なら当たるだろ。なあ、空ー……って」



 軽快な音と共にボールを飛ばした俺は、「チッ。逸れたか」的からちょい逸れたことに舌を鳴らして構えを取る。

 「お金を払ったからには」向こうの画面に映っている投手が投げ、「絶対に」一球を放たれ、「元は取る!」俺はそれを打った。飛距離は伸びるものの、的の真隣を掠めて俺は地団太を踏む。


 チックショウ、どーして逸れるんだ。あとちょっとで景品っ、俺の景品!


「1ゲーム200円! バイトで200円稼ぐのに、約17分の労力を要する。その労費をこれに懸けてるんだからっ、景品くらいゲットしないと元が取れない! ホームラン商品ッ、待ってろよ!」


「……空って金銭面に関しちゃ手厳しいよな」


「……というより、ケチで金にがめついというか」


 二人の言葉なんぞ俺の耳に届かない。

 バットを持って景品ゲットにひたすら燃えていた。


 勿論、現実は甘くなく遺憾なことに景品はゲットできなかった。

 的がある距離までは飛ぶのに、ちーっとも的に当たってくれなかったんだよ。必ず逸れちまう。なんだよ、細工でもしてあるのか?!


 俺はバットが悪いんだとエビくんと同じことを言い、ぶすくれながら休憩所のベンチに腰掛けていた。

 燃えちまってつい600円も使っちまったよ。楽しかったけど、景品は欲しかったな。


 悔しがる俺に、「君はいいじゃないか」まだバットに当てられたんだから、とエビくんが眼鏡のレンズを光らせる。



「僕なんて三球しか当たらなかったんだけど」



 いや、それはエビくんが目を瞑ってフルスイングしていたからじゃないかな。

 一変して苦笑を零していると、俺はふとアジくんがいないことに気付く。

 まだバッティングをしているのかと思いきや、手洗いに行っているらしい。エビくんが教えてくれた。手洗いならすぐ帰って来るだろう。そう踏んで俺達はアジくんの帰りを待つ。


 でもいつまで経っても帰って来ない。エビくんと談笑して十分は経つのに、ちっとも帰って来ない。


 迷子じゃないだろうから、きっと。



「大きい方だろうね。偏った栄養を摂取すると、便秘になりやすいって言うからきっと」


「それ以上言わなくていいよ。便器とお友達になっているって言いたいのは分かってるから」



 クサイ話をして更に待つこと五分。アジくんが戻って来た。

 俺達は開口一番に彼に聞く、ちゃんと手は洗ってきたか? と。


「なんだよその疑いの眼は。ちっげぇぞ、俺は小便だったんだって!」


 「でも悪い悪い」知り合いに会っちまって、片手を出すアジくん曰く、どうやら駄弁っていたらしい。

本当か、と白眼視する俺達に「ほんとだって!」ほら、そこに知り合いがいるから! あいつが証人だと親指で背後をさす。アジくんの向こうに視線を向けた俺は、「あ!」と声を上げて立ち上がった。


「やあやあ、どもども」


 そんな能天気な挨拶をしてきたのは、他校の制服を着た男子生徒。


 学ランを来た短髪の男子高生に俺は手を振る。



「イチゴくんじゃん!」



 イチゴくん。本名は花畑翼くん。 

 近隣町に住んでいる彼は俺とかつて隣人さん関係にあった。実親と住んでいた頃のアパートの隣人さんで、とても仲良くしていた(らしい)。

 当事者同士は覚えていないけれど、縁があってまたこうして仲良くしている。あんま会えないけどメールのやり取りはよくする方だ。ちなみになんでイチゴくんかっていうと苺飴をくれたのがきっかけだったり。


 「おひさ」ひらひらっと手を振るイチゴくんは、「おはつ」エビくんに簡単な初めまして挨拶をして奇遇じゃんかと綻んできた。



「まさか空達に会うなんて思いもしなかった。マジラッキー! ちょ、仲間に入れてもらっていい? 丁度暇してたんだ、俺」



 連れはいるんだけどさ、意味深に肩を竦めるイチゴくんにはどうやらワケがあるらしい。

 折角会ったわけだし、俺は即答でOKを出した。アジくんは勿論、エビくんもOK。


 早速場所を移動して、Mの付くファーストフード店で駄弁ることにした。




「―――…まーじなくね? 俺、クラスの奴と数人で来たんだけどさ。どいつもこいつもバッティングじゃなくて、ゲーセンに行ったんだ。

ほら、上の階にあるじゃん? 俺はバッティングしたかったのに、全員が全員ゲーセンに行っちまって。気付けばぼっちにさせられてさ。メールをしても返事なーし。むっちゃ腹を立てながらぼっちバッティングしていた時にアジに会ったんだ。助かった。ぼっちとかムナイもんな。あいつ等は知らん、もう知らん。メールが来てたけどシカトしてやる」



 相当不満が溜まっていたのか、イチゴくんは着席早々俺達に愚痴を零してきた。

 てりやきバーガーにかぶりついて鼻を鳴らすイチゴくんは口の中の物を嚥下すると、「お前らもバッティング?」と質問を飛ばしてくる。


 首肯すると、「今度俺も仲間に入れてくれよ」あいつ等じゃ駄目ってことが分かったし、お前等となら楽しそう。と、期待の眼を向けてくる。

 相変わらず強引ゴーイングくんだな、イチゴくん。勝手に一人で話を進めるんだから。そこがイチゴくんの良いところなんだけどさ。


「あ。そういや、眼鏡の奴とは初対面だっけ。俺、イチゴ。お前、噂のエビだろ。宜しく」


 ぐふっ、俺の斜め前に座っていたエビくんが飲んでいたプレミアム珈琲を噴き出す。

 盛大に咽るエビくんは「なんで君が僕のあだ名を」しかも自分イチゴって…、眼鏡のレンズを外して汚れを拭いていた。


「本多から色々聞いてるんだぜ」


 俺達おな中だったし、得意げな顔を作るイチゴくんは二人がどうしてエビとアジになったのかも知っていると満面の笑みを浮かべた。

 大きく溜息をつくエビくんは、「イチゴって空くんでしょ」ジロリと俺を睨んでくる。


 だーって親切に苺飴くれたんだぜ? 彼をイチゴくんと名づけないでどうするよ。


「空くんだけ名前なしとか不満なんですけど」


「じゃあ俺、これから英語で名乗るよ。スカイって呼んでいいから!」


「中二くせぇ空! それ、呼ぶ方がつらいハズイ!」 


 俺の真正面に座っているイチゴくんが大笑いしながらツッコんできた。

 いやだってエビくんが不満を漏らすんだもの。これでも平等に考えたあだ名だよ? ソラマメでもいいけど、それは呼び難くそうだ。俺の意見に三人もそりゃそうだと笑った。


 和気藹々と話しているうちにすっかりイチゴくんが輪に溶け込む。

 まるでクラスメートのように場を盛り上げ、面白い話を聞かせてくれるもんだから、ついつい時間も忘れて駄弁りに夢中になってしまう。

 暫くイチゴくんの近状を聞かせてもらっていたんだけど、話題のネタが尽きたのか、はたまた喋るのに飽きてしまったのか、バトンを俺に向けてきた。



「なあなあ。例の彼女とどうなっているんだ? 最近アジから聞かないんだけど」



 ほら、雄々しいって噂の彼女。

 ニンマリ笑ってくるイチゴくんに、「え。あ」俺はしどろもどろになった。

 イチゴくんの指す彼女って鈴理先輩のことだよな。いや、どうなったかって言われると、その、別れたとしか言いようが。


 冷え始めたポテトを口に入れて咀嚼する俺に、「あー」ちょっと複雑なことになってるんだよな、とさり気なくアジくんがフォローしてくれる。


「ナニ? 喧嘩でもしてるの?」


 まったく事情を知らないイチゴくんが興味を示してきた。

 そりゃ俺以外の二人は知っていて、イチゴくんだけ知らないとなると、疎外感も出てくるだろう。フライト兄弟の気遣いも見え見えだし。


 教えてくれてもいいじゃないか、イチゴくんの表情が渋くなった。

 俺、他校だから誰かに喋りようもないし、不機嫌に鼻を鳴らす。


 折角仲良くなったんだから、輪に入りたいってのが念頭にあるんだろうな。

 その気持ちはすっげぇ分かる。仲良くなったらなっただけ、身近な情報とかも共有したいもんな。

 なによりイチゴくんなら喋っても大丈夫な気がした。彼とは気が合うんだ。幼少期に仲良くしていた記憶が、どっかで根付いているのかもしれない。


「例の彼女とは別れたんだ」


 俺は話題を切り出した。気が合う合わないで別れたんじゃなくて、身分の違いで……、と小声で説明する。


「向こうは令嬢だし、俺は庶民だったから。ご両親から別れて欲しいって言われちゃって。元々彼女には許婚がいてさ。婚約するからって」


「ゲッ、なにそのヘビーな話。お前、そんな重たい恋愛してたのか? 噂を聞く限り破廉恥極まりなかったけど」


 ……アジくん、イチゴくんにどんな話をしてくれていたんだよ。


「それで、その別れて今は取りあえず、友人関係に落ち着いているんだ。取りあえず。ただその、俺、まだ未練を持っちゃって。だから俺の」


「あー、そりゃあな。未練になるわ。で? だから新しい彼女を作っても想いが断ち切れないと?」


 ズズッとコーラをストローで飲んでいるイチゴくんに、ある程度は当たっているけど彼女じゃない、婚約者がいるんだと訂正した。

 飲み音が止まる。数秒の間を置いた後、「は?」イチゴくんが間の抜けた声を上げた。


「え? だってお前、俺と同い年じゃん……え、婚約者? はあ?」


 大パニックに陥っているイチゴくんはどういうこっちゃとカップを握りつぶす。


 どういうこともそういうことも俺には婚約者がいるだって。

 最近できちゃったんだって、婚約者。


 大声では説明できないから、極力声のボリュームを小さくしてかくかくしかじか。

 簡単に経緯を説明する。フライト兄弟が知っている程度の情報を彼にも提供すると、事情を知ったイチゴくんがうはーっと声を上げた。


「劇的な恋愛じゃんかそれ。すげぇな……なんかこれしか言えないけど。空ってさ。誘拐されたり、入院したり、婚約したり、めっちゃ忙しいよな」


「全部本意じゃないんだけど、イチゴくん」


 「いやでもさ」なんか波乱万丈な人生だよな、とイチゴくんが感心してくる。


 確かに傍から見ればそうかもしれないけど、俺自身、それまでは普通の人生を歩んでいたんだ。

 俺がこんなに忙しい人生を歩み始めたのはしごく最近のこと。鈴理先輩と関わり始めてからなんだ。彼女との出会いが悪いなんてこれぽっちも思わないけど、鈴理先輩に出逢ったことで沢山のことが変わったのも事実。人生ってどこで転機を迎えるか分からないよな。


「んじゃあ、空、明日にでも結婚しちまうのか?」


 イチゴくんの問い掛けに、「あ。そうだな。まさかの高校生結婚か?」と、アジくんが便乗して質問してくる。


「あのね。俺はまだ結婚できないって」


 憮然と肩を竦める。

 エビくんも呆れて男は18まで結婚できないでしょうと指摘。女は16で結婚できるけど、そう説明するとアジくんがそうだったそうだったと笑声を漏らした。


「いやさ。つい、空はもう結婚できるんじゃね? と、思っちまって。立ち位置は女ポジションだし。イチゴ、空の新しい彼女っつーか、婚約者も超攻め女なんだぜ。美人だしさ。何より、元カノの好敵手で今、取り合われている状態だという」


「おまっ、なんでそんなに美味しい立ち位置にいるんだよ?! 俺も立ってみてぇ!」


 言ったな? 言っちゃったなイチゴくん? 俺の立ち位置に立ちたいって?

 よーし、君は逆セクハラされたり、押し倒されてヤーンであーれーなことをされても大丈夫なんだな? 俺や大雅先輩が精神的にダメージを負っても無事でいられると?


 「お。俺は遠慮するけどな」アジくんが空笑いで視線を流し、「僕は普通の女性と付き合いたい」エビくんがきっぱりと断言。


 二人の引き攣り顔と俺の意味深な笑みに不安に駆られたんだろう。

 イチゴくんはすぐさま前言撤回した。普通の女の子なら取り合われてみたいけど、普通じゃない女の子なら遠慮する……と。


 ふっ、ふふふ、いいんだぞ。

 そう遠慮しなくても。俺と一緒に受け男の道に来ても。一緒にプライドを傷付けられようぜ! ちょっちプライドを捨てれば、少女マンガのヒロインのような胸きゅん(キャハッ)でアッマーイ(ウフン)な日々が送れるぞ。

 ただしプライドを捨てないと、その都度男として築き上げてきたものが失われていくから注意!


 「イチゴくん。一緒に受け男になろうか?」俺の誘いに、「いえ。ポク、これからも男したいんで」とキメ顔を作ってくるイチゴくん。


 遠慮しなくてもいいのにな。俺的には仲間ができた方が嬉しいし。

 イチゴくんに受け男になれだの、なんだの言って四人で盛り上がっていると、「楽しそうだな」と声を掛けられた。




「だが僕のメールに気付かないのはいただけないぞ、豊福」




 ガッチーンと固まってしまうのは声の主を知っているフライト兄弟と俺。唯一初対面のイチゴくんは、「おおっ。美形くんだ」王子の姿に声を上げていた。

 ぎこちなーく視線を流せば、にこっと綻んでいる美少年! じゃね、男装少女! 俺の婚約者が腕を組んでいる。スマホを片手に握っている御堂先輩はメールに気付かないとはどういうことだ? とご機嫌スマイル。目は脅してくるばかり。


 俺が大慌てで御堂家から借りているスマホを取り出すと、ウゲッ、新着メールが三通も。


「す、すんません! ちっとも気付かなくて」


 すぐさま謝罪すると笑みが濃くなった。

 これはナニやら良からぬことを考えているな。


 ドキドキハラハラしている俺を余所に、「おはつです」空達のオトモダチです、とイチゴくん。

 眉根をつり上げてくる御堂先輩は素っ気無く挨拶を返した(ああっ、彼女は男嫌いだからなぁ)。

 感じの悪い挨拶だと能天気に笑うイチゴくんは、あまり態度を気にしていないらしい。それどころか、こいつは誰だと先輩を指差す。雰囲気で俺達の知り合いだろ? 先輩か? と質問してきた。


 すかさず答えてやる。


「紹介するよイチゴくん。今話していた、俺の婚約者。御堂玲先輩だよ」


「へえー。お前の婚約者……はあ?! 空の婚約者?! だってこいつっ、男じゃん!」


 ナニ、お前はそっちの道に走ったのかと言わんばかりの眼をイチゴくんが向けてくる。

 確かに女っぽい華奢な体をしているし超美形だけど、まさかそっちに……絶句するイチゴくんに、「ち。違うよ」先輩は女の子だよ、と慌てて否定。彼女の趣味は男装なんだと付け加えて説明する。

 まったく信じていないイチゴくんはこれの何処が女なのだと立ち上がり、御堂先輩に歩んで彼女の体を叩いた。


 うっわぁああああ! 御堂先輩のボルテージが上がっていくのが分かる! 早くイチゴを止めないと!


 「ちょっ!」青褪める俺を余所に、「短髪だし」頭をパンパン。「学ランだし」肩をパンパン。「おっぱいあるし」胸をパンパン。「え?」胸をパンパン。「え゛?」胸をパン…、モミモミ。


 ビシっとイチゴくんが硬直する。

 男だと信じて疑わなかったイチゴくんの手、手、手がぁああああ?! ちょ、どっこ触ってるの!

 あろうことかイチゴくんは現実が受け入れられなかったのかその手を二、三度開閉。なんて羨ましいんだ。俺だってまだ女性の胸を揉んだことなんてないのっゲッホゲホ! ……なんてことをしているの、君は! セクハラだよそれ!


「お、おっぱいがあるんですけど……」


 千行の汗を流すイチゴくんにだから言ったじゃないかと俺はツッコミ、その手を放すよう指示。

 電光石火の如くイチゴくんは手を引き、


「や。やべ、結構でかかった。柔らかかった。ボインだった。大きいマシュマロ……」


 ストレートすぎる感想を述べている。


「女のおっぱいを掴んじまったっ! やっべぇどうしよう。……でもいい夢みている気分」


 どーしてそんな感想を此処で言っちゃうかな、イチゴくんよ! 気持ちは分からないでもないけどさ!

 おろおろとしていると殺気を感じた。禍々しい殺気に生唾を飲んでチラッと婚約者を一瞥。頬を紅潮させている彼女は、青筋を立てて握り拳を作っていた。見たまんま怒ってらっしゃる。いや激怒してらっしゃる。


「イィイチィイゴォオ! 謝れ、土下座して謝れ!」


 アジくんがイチゴくんの頭を鷲掴みにすると無理やり真下にさげさせる。

 俺はといえば、「ごめんなさいっす!」御堂先輩の憤りに自分がちゃんと説明しなかったのが悪かったのだと何度も謝罪。エビくんも一緒にごめんなさいしてくれた。


 それでも彼女は大爆発しそうだったから、俺は捨て身で「俺の体に触っていいっすから!」じかでも超OKっす! 御堂先輩に訴えた。ついでに(セックス以外)のお願いも聞いちゃいますっす! 必死に訴えると、御堂先輩が一変してニコッと笑顔を作った。


「それは良いことを聞いた。何をされても文句は言わないね?」


 言葉に嘘偽りは無いな、無いよな、なー? と聞かれてしまい、俺は大後悔。


 だがしかし、言ってしまった以上腹を括らなければならない。

 涙を呑んで俺は頷く。好きにして下さい。この際、ある程度の羞恥は我慢します。


「じゃあ、たとえば今此処で僕が、豊福の甘えている姿が見たいと望めば、見せてくれる?」


 !


「みんなの前でキスのおねだりをしている、寂しがり屋な君の姿を見たいと言ったら?」


 !!


「そして最高に恥ずかしがっている君を見たいと言ったら?」


 !!!


 もうすでに羞恥の許容を超えてしまったのだけれど、俺はどうすればいいんでっしゃろう? なんの罰ゲームだよ。


 半泣きになりつつ、フライト兄弟やイチゴくんの存在に視線を流す。

 アジくんとエビくんが頑張れ、と無言の声援を送ってきた。イチゴくんは未だに頭を押さえつけられている。


「先輩。その俺……」


「なに?」


 ええい、設定はなんだっけ?

 甘える? 寂しがり屋? 恥ずかしがる?! アドリブなんてやったことないんだけど! 先輩みたいに演劇部じゃないんだけど!


「き、き、きぃ……き」


 脳みそが沸騰しそうである。

 目の前がぐるぐるしてきた。キスのおねだり、おねだりをするんだ。何度もやったことがあるだろ、うんある、だけどみんなの前ではない! 死にたい!


「きぃ、きぃ、きぃ、きぃりーぱにゅぱにゅをした、した、」


「落ち着け空! それは歌手だ。そして言えていない」


 ド緊張のあまりに大混乱。沸騰した脳みそが噴火した。

 お、おねだり。おねだりしないと。寂しかったからキスをして下さい。さあ言え!


「しゃしぃみにしたかったから、きぃしゅ」


「空くん。刺身は関係ない。キスだよ、キス。ここでヘタレちゃだめだ!」


「は、はい。き、きすをして」


「ばか、御堂先輩に言うんだよ。僕に言われてもドン引くだけだから!」


 グイグイっとエビくんから背中を押され、御堂先輩と向き合う。

 心臓がバクバクしている。喉が乾いた。気持ちが悪いくらい緊張している。みんなの前でキスされたことはあっても、自分からねだったことなんて。いっそ殺してくれ。

 「きぃ、き」すっかりポンコツになってしまった俺の背中をフライト兄弟が叩きまくる。


「空。ここで言わなきゃ男じゃない。いいか、女の子の望みを叶えてこそ男前は上がるんだ」


「男を見せるなら今なんだ。空くん、さあおねだりをして」


「”寂しかったんです。キスして下さい”。ちゃんと上目遣いで、だぞ」


「”寂しかった先輩。ちゅーして下さい”の方が可愛いかもしれない」


 積極的にアドバイザーを買うアジくんとエビくん。

 様子を見ていたイチゴくんは「く、狂ってやがる」この状況にわななき、「僕の想像していたものと違う」御堂先輩はこめかみを擦った。


「忘れていた。豊福は姫の前にヘタレだったことを。うん、過度な羞恥を与えるとポンコツになる。僕は学んだ。しかたがないな。先にこっちから済ませるか」


 王子は指の関節を鳴らすと、イチゴくんに満面の笑顔を浮かべた。「へ?」間の抜けた声を出す彼に次の瞬間、ゴン―――ッ!


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