01.君は誰を想っているの?



 □ ■ □



 前略、今日も不況という波に抗おうと汗水垂らして働いている父さん母さん。


 あなた方の息子は最近の事態についていけず、ひとり途方に暮れています。

 毎日が急展開、毎日がハプニング、毎日が奇想天外。おかげさまで激流にでも呑まれたかのように日々が目まぐるしいです。


 事の発端は元カノの婚約式からですかね。

 元カノの婚約式に呼ばれ、鈴理先輩と別れ、借金を負い、婚約者ができ、そして“三ヶ月”という期間を見守ることになったのですから。


 “三ヶ月”という限定された期間で鈴理先輩は大雅先輩と婚約を破談すると宣言しました。

 元カノが自分の人生を自分で選びたいからと、ご両親や俺の想いを一蹴して行動を起こし始めた彼女には複雑な念を抱いています。


 約束された幸せより、自分で幸せを掴むことを選んだ彼女。

 そのために物心つく前から結ばれていた幼馴染との関係を変えるなんて、果たしてできることなんでしょうか。


 父さん、母さん。

 あなた方ならナニが正しいと思いますか? 彼女の起こしている行動が正しいのか、それとも。


「はい豊福。これに、鈴理とやったことを全部書いて」


 まずは目の前の問題から、解決しようかそうしようか。

 深い溜息をつき、俺はルーズリーフとシャーペンを交互に見やる。此処は自室だよな。間違っても、取調室じゃないよな。なに、この重い空気。

 「あの先輩」恐る恐る婚約者に目を向けると、「なあに?」こてんと首を傾げる王子が一人。そのあざとさが、逆に恐怖を煽るんだけど。


「や、やったことって?」


「例えばデートをしたことあるとか、キスしたことがあるとか、そういうことを書いて欲しいんだ。細かく聞くつもりはないよ。ただ参考程度に聞いておこうと思って。敵を知っておくのも、恋の戦術だからな」


「鈴理先輩との思い出を聞いても、それは御堂先輩にとって気持ちが良いものじゃないと」


 普通に考えても、過去の恋人の思い出を聞いて気持ちの良い人はいないと思う。いまいち御堂先輩の考えが読めない。

 この人なら、思い出を塗りつぶしそうな強い行動力を起こしそうだけど。


「君は甘いね。獰猛な鈴理がまた本気を出して来たんだ。ある程度の行動パターンを把握しておかないと、いつ食われてもおかしくないじゃないか。僕は悲しくも他校生、その場で君を守れないからね。仕置きもできないし」


 怖い単語を聞いた。気のせいにしたい。

 シャーペンを取ってはみるけど、鈴理先輩と何をしたのか、思い出のページをめくってもパッとは浮かばない。出てくるのは、そう、ふふ、失恋と平手打ちかな。しょっぱい。

 『平手打ち』走り書きした単語が、あっという間に二重線で消される。そういうことを聞きたいんじゃないんだよな。分かっているけど。


「じゃあ誘導尋問するよ。そうしたら書きやすいだろう? まずはキスから」


 あー……しましたね。

 告白された時も、公開ちゅーだったな。


「手を繋いだり、デートは? 正直にお願いするよ」


「どっちも、あります。最初のデートは、失敗気味でしたけど」


「失敗したの?」


「俺の家は貧乏でしょう? だから、お金の面とか服とか行く先々で相手を気遣わせてしまって。余所行きの服も持っていませんでしたし。あーそうそう大雅先輩に、その時初めて会って喧嘩を吹っ掛けられましたっけ」


「お泊りは?」


「……サバイバル。これに尽きます。あれはサバイバルでした。く、く、食われるかと」


「じゃあ、その時に触れ合った? ねえ?」


「せんぱっ、目が据わって……ほっらぁ気分が悪くなるじゃないっすか! だから止めようって言ったのに。御堂先輩と鈴理先輩は違うんですから、やっていることだって違いますよ。元カノとはしていないことを、御堂先輩はしているんですよ」


 そう、うそは言っていない。

 御堂先輩と過ごした時間と、鈴理先輩の過ごした時間はまるで違う。

 確かに俺は元カノとデートをした。日々学院でカレカノの時間を過ごした。学校のイベントだってそうだし、誘拐されて一緒に逃げた時間もあった。それは二人だけしか知らない時間だ。

 同じように御堂先輩の家で居候をしている、この時間は二人だけしか知らない時間だ。

 比べちゃいけないんだよ、こういうのは。俺が御堂先輩の立場だったら、普通に嫉妬しちまうもん。

 だから、だからさ!


「押し倒そうとするくらいなら、比べないで下さいよ!」


 詰め寄ってくる王子も、ぷうっと脹らませる頬を何度も突く。

 ぱく、その指が食われるのは間もなくのこと。ねろっと、舐められ、悲鳴を上げそうになった。一々やることが艶めかしいんだよ、この人!


「はあ、他校生の恋愛は前途多難だよ。苦労する。なにせ、あの鈴理が相手だからね。君は押しに弱いヤラレくんだし」


「ひ、酷い言われよう。ちゃんと逃げますよ。今の俺は貴方のものですから」


「なら、もっと好きにさせてくれる筈だ。挨拶のキスをしようとすると逃げるし、口説こうとすると耳を塞ぐ。一緒にお風呂に入ろうとしたら悲鳴を上げられ、耳を軽く触れば怒る。これでも僕のものと言えるかい?」


「……未遂風に言っていますけど、既にしていますからね!」


「とにかく僕と君は他校生だ。行動力ある鈴理がいかに、"白紙にするまで触らない"と約束していても、いつ理性を切らすか分からない。豊福は破廉恥担当だから、所構わず誘うし」


 誰が所構わず誘う破廉恥担当?!

 顔を引き攣らせる俺の頬を両手で挟み、「ちゃんとガードしておくんだよ」王子がむちゃむちゃと押しつぶしてくる。

 「じゃないと」恥ずかしいことをして躾ける、彼女は脅しをかけて鼻先を舐めてきた。


 鈴理先輩と賭けを始めてからというもの、御堂先輩の露骨な恋心が表に出るようになった。あたし様の復活は、王子のライバル心を擽っている様子。おかげで俺にしわ寄せがくるという……この人は優しい。賭け事に乗らなくとも、遅かれ早かれ俺は彼女に落ちていただろう。

 なのに誠実な姿勢で鈴理先輩の賭け事を受ける。本当の意味で友人を助けるために、俺を吹っ切る契機を掴むために。そしてなにより、自分のために。


 王子の短髪を軽く指先に絡める。

 長かった髪が、こんなにも短くなって。決意をこんな風に意思表示するなんて、この人は本当に雄々しい。


「鈴理は君にちょっかいを出してくる。うん、絶対に出してくる。今の思い出話からしても、鈴理はギリギリのラインまで手を出してくる筈。だから、ちょっかい出されて、少しでも触れられたら、君に恥ずかしい思いをしてもらう」


「え゛? それ、俺が悪いんっすか?!」


 俺と鈴理先輩が付き合っている頃は、貴方様が過度に触っていたような気がするんだけど! 逃げても逃げても逃げきれない攻めを発揮した、貴方様がそんなことを言いますか言うんですか理不尽じゃないっすか!

 「触れられた回数によって内容を決めよう」しかも、勝手に話を進めるよ、この人くさ。


「一回目は触れるだけのキス。君から僕の口にちゅーをする」


「ファ?!」


「二回目はキスマーク。君から僕の首に痕を付ける」


「おぉおお俺が、先輩に?!」


「三回目はディープキス。君から僕に深いキスをしてもらうよ。あはは、固まっているよ豊福。僕から何かすると思った? それじゃあ躾直しにならないじゃないか。君が恥ずかしい思いをするからこそ仕置きと呼ぶんだ。精神的にクるだろう? そっちの方が豊福には有効的だろうし。目に浮かぶよ、狼狽えながら半泣きになる君の顔が。そそるんだろうね」


 既に相手はサド王子モードらしい。

 死ぬ気で逃げないと、俺の精神が崩壊することだけはよく分かった。

 鈴理先輩にちょっかいは出されない。出されそうになったら逃げる。必死で逃げる。よし覚えた。きっと御堂先輩のことだ。俺から恥ずかしい思いをさせて、終わりじゃない。攻めの立場を譲る気なんてないから、きっと……攻め女こわいんだけど。


「三回目以降は、僕の呼び名を変えて一日過ごしてもらうからね。タメ口で過ごしてもらおうかな」


「へ? なんで三回目以降の方が軽いんっすか?!」


「何を言っているんだい。一番恥ずかしい罰じゃないか。君だけじゃなく、僕もむず痒くなるし」


「キスの方が二百倍も恥ずかしいっす! まだ名前呼びにしてもらった方がいいです。ね? 一回目は名前呼びに」


「いーやーだ。僕も恥ずかしい思いをするんだから、それは三回目以降だ」


「ディープの方が恥ずかしいでしょう!」


「"先輩。許して。できません"という顔が見れるから、僕的にはやっぱり名前呼びの方が恥ずかしい」


 やだこの人! 本当に腹黒い!

 仕返しに、今すぐにでも名前呼びにしてやろうか。


 密かに反撃を目論んでいると、王子が前触れもなしにキスをしようと言い始めた。間の抜けた声を出す男を余所に、深いのが良いと彼女。


 頬が熱くなってくる。

 慣れないな。御堂先輩とのキス。王子は、悪戯気に人の唇を奪うことはあれど、真面目なキスは必ず予告するんだよ。困ったことに。


 さっき比べるな、と言った手前、こういうはなんだけど……鈴理先輩は真面目なキスでも人の意見も聞かず唇を奪っていた。だから羞恥心よりも先に驚愕が優って、あれよあれよと流される。

 対して、王子は予告制。驚愕よりも羞恥心が優る。死ねそう。恥ずかしくて死ねそう。

 攻防相性的に俺達は最悪だと思う。俺の性格上、強引に奪ってくれた方が羞恥も噛み締めずに済む。これも王子なりの攻めなんだろうけどさ。

 はぁああ、精神攻撃はまじつらい。王子はわざと、恥ずかしさを煽る言葉攻めばかり選ぶし。


「可愛いお姫様とキスをしたい。だめかな?」


 くっ、あざとい上目遣いは反則ですよ! どこまで俺を苛めれば気が済むんですか!


「好きにすればいいよ。王子は玲なんだから」


 ヤケクソで先輩の嫌がる名前呼び(タメ口調)で反撃。

 彼女の動きが一時的に止まった。成功か? 内心で細く笑うも、相手の含み笑いを目にした途端、この作戦は地雷だったと気付く。


 「好きにしていいんだ」「うそです、ごめんなさい」「一日一回ディープキスをしようね」「一日一回?!」「だって好きにしていいって言ったじゃないか」「じょ、じょうだ……先輩。ちょっと赤い?」「一日三回に変更」「ゲッ、うそでしょ?!」「生意気なお姫様にはこれくらいしないとね」「謝りますから!」「好きにしていいもんな?」「申し訳ございません!」「豊福。予行練習だ。ここにちゅー」「む、むりむり」「ちゅー」「う゛っ」「ちゅー」「こんなの練習するもんじゃないっすよぉおおおおお!」



 ◇ 



「空、迎えに来たぞ! 昼食を……む? なんだ、やけに疲れているようだが」


 昼休み始まりのチャイムが鳴った頃合を見計らい、元カノが1年C組に襲撃してきた。

 気軽に飯を食えるような立場じゃなくなったのにも関わらず、彼女は開き直ったかのように俺の名前を連呼しておいでおいでと手招きしてくる。なるほど、王子の言う通り。本調子になった鈴理先輩は、我が道まっしぐらだ。

 傍には大雅先輩がいるんだけど彼女を止めてくれる気はサラサラないらしい。寧ろ、「とっとと来いよ」とご命令してくるという……二人とも勝手過ぎる! 嗚呼、もう、クラスメートがこっちを見ているじゃないか。


「約束していましたっけ。先輩方」


 疲労による溜息を零し、勉強道具を片付けながら彼等に疑問を投げかける。


「今誘っている。何か文句でも?」


 首を傾げてくる鈴理先輩に、大有りだと突っぱねたところで相手はめげない。一友人として誘っているのだが? あんたから言ったよな、良き友人でいると。あたしは良き友人として、先輩として誘っているのにまさか断るのか断ってしまうのかああん? みたいなオーラを出された。

 文字通り、脅されている気分である。


 俺も負けてはいられない。こちとらぁ仕置きが掛かった身の上じゃい。

 丁重にお断りしようと口を開いた、が、彼女がすかさずたたみかけてきた。


「まさか、友人と食事をするのに玲の許可がいるのか? では問おう。いつも空と一緒に食事をしているであろう彼等は玲の許可を取っているのか? ん? 取っていなさそうだな? ならばあたしの主張は通る筈だ。つまるところ、あんたは誘いを断る理由などないのだ」


 あっさり負けた俺をどうぞ笑い飛ばして欲しい。

 ええ、おりゃあ負けましたよ。反論する術もねぇ!

 さすがに俺一人じゃ気まずかったから、無理やりフライト兄弟を巻き込んだ。二人には本当に悪いと思ったけど、元カノやその婚約者と俺だけじゃ気まずいにも程があったんだ。


 学食堂では宇津木先輩や川島先輩と合流した。

 よって俺の懸念は杞憂だったみたいだけど、この面子で食事は些か居心地が悪い。

 なにしろ俺と鈴理先輩が付き合っている頃から仲良くしていた面子だ。あの頃ならまだしも、俺と鈴理先輩は破局し、彼女と大雅先輩は婚約。俺も別の相手と婚約している。接し方に困るものだ。


 幸いにも皆、普通に挨拶をして会話を繰り広げてくれた。

 周囲は俺と鈴理先輩の同席に、え、なに、あいつ等、よりを戻したの? みたいな顔をしてきたけど。


 蘭子さんお手製の弁当を口にしつつ、俺は先輩達の会話に耳を傾けていた。

 それは他愛も無い日常だったり、ドラマの話だったり、これからの進路だったり。フライト兄弟も率先して会話に入っていたけれど、俺はもっぱら聞き手に回っている。


 きっと意識しているんだろうな。

 元カノと席が斜め前三つ分離れているとはいえ、居た堪れない気持ちを抱いていたのだから。

 変に意識している方が態度に出てしまうと分かっているのだけれど……。


 もしゃもしゃとエビフライを咀嚼していると鈴理先輩が声をかけてきた。

 無視したら感じの悪い男に成り下がってしまうだろうから、「なんですか?」短く返事する。不敵に笑う彼女は今もちゃんとケータイ小説を読んでいるか? とケッタイなことを聞いてきた。顔を引き攣らせてしまう。やっべぇ、彼女と別れてから一切手をつけてねぇや。


「今のあたしは少女漫画でいう8巻あたりの展開に立っていると思う。ケータイ小説でいえば中盤あたりだ。空、この中盤はどういう展開が多い?」


「え、あ、男の子が女の子に意地悪しちゃって泣かせる……展開っすかね」


「不正解」


「じゃ、じゃあ。告白とか! あれは胸きゅんっすよね」


「馬鹿者。告白は序盤、もしくは終盤がテンプレだ! まったく、ちゃんと読んでないな?

 いいか空。中盤といえばまさしく修羅場ヒロインを取り合う男二人が火花を散らすところだ。展開的にいえば盛り上がるところで、読者からしてみれば『面白くなってきた!』というところだ。

 むっ、やはりこういう場合の勝負は先に付き合っていた奴が勝つと思うのが王道だ。これで負ければ、邪道で茨道。ブーイングの嵐。万人受けにするならば是非王道展開を狙うべきだと思うんだが……どう思う? 空、大雅、その他の皆の衆」


「俺様は受け男にならないに一票だ」


 返答に困ることもなく大雅先輩が明言した。

 それほど受け男になりたくないらしい。なったら最後、俺は哀れでかわいそうな男の娘だと泣き言を漏らしている……それってつまり俺が哀れでかわいそうな男の娘だと見ていると解釈しても宜しくて?


「んー、そうだねぇ。うちとしては一夫多妻制に一票かな」


 川島先輩! ここはジャパーン!

 一夫多妻制度はありません。俺のお婿さんはひとり、じゃねお嫁さんはひとりと決まっているんっす!


「空が新たな女を作るに一票」


「それに仕置きを受ける空くんに一票」


 フライト兄弟よ、本当に俺のお友達? 今をもって君達の見る目が変わったんだけど。


「そうですね。わたくし的に言えば、大雅さんがこっそり空さんを口説くという展開に一票」

 

 イッチバン残念な展開がきたよこれ。

 腐ったお嬢様が恍惚に妄想を始める。きっとあーんなことやこーんなことをしてドキドキする展開を起こしてくれる筈!


「殿方の絡みは神秘ですわね」


 興奮したように頬を両手で包み、期待した眼を向けられた。そ、そんな目で俺や大雅先輩を見ないで下さいよ。俺達はノーマルです。女の子大好きです。女の子バンザイ。


「俺ってかわいそう。受け男にならなくとも哀れな立ち位置にいるんじゃないか?」


 哀愁を含んだ溜息をつく俺様が直後、イヒッと変な悲鳴をあげた。

 どうしたのかと視線を流すと、彼はぎこちなく隣に座る婚約者を一瞥。


「おまっ、なんでそこ触るんだよ」


 思いっきり青褪める俺様にあたし様は攻め不足なんだと肩を落とした。ついでに腰をお触りお触り。べろっとシャツを捲って腹部を観察する始末である。


「面に似合わず可愛いヘソをしているな、大雅。頑張れば欲情したくなるぞ」


「さ、最悪だテメッ! 何してくれるんだ!」


 「何ってセクハラだが?」悪びれた様子もなく真顔で答える鈴理先輩に、「俺にすんじゃねえよ! 豊福にしやがれっ!」と大雅先輩。無理やりシャツを下ろして唸っていた。


「そうしたいのは山々だが玲と約束をしているものだからな。あんたで我慢するしか……」


 あたし様はのたまった。

 後輩や好意を寄せている女性等などがいる目の前でセクハラをされた大雅先輩は、柄にもなく赤面して最悪だと嘆く。

 次いで「お前畜生だ」と悪態をつかれた。なんで俺っすか?! 俺はなにも悪くないのに!


「豊福が鈴理の我が儘を許していたのが悪い。女に攻められていたお前なんて死刑だ!」


 しかも極刑を言い渡された! WHY?!


「くっそう。元気になった途端、鈴理の攻め不足のとばっちりが俺にきた! こんなの俺じゃねえ!」


 定食についている味噌汁を箸でぐーるぐるかき混ぜる大雅先輩に、「大袈裟だぞ」鈴理先輩が呆れ顔で肩を竦める。


「少しでも攻め不足を補いたいから、あんたを使っただけじゃないか。十二分に充電しておかないと、勝負には勝てない」


 当然の如く胸を張る鈴理先輩に、「男にするか?!」俺は幼馴染をやめたくなったと大雅先輩が喝破する。


「昨日だって俺をエスコートしやがっただろう?! 赤っ恥掻いただろうが!」


「レディーファーストという言葉があるだろ? よって車に乗る際、あんたをエスコートしただけじゃないか。一応婚約しているんだ。今、攻めをぶつけられるのはあんたしかいないし」


「俺は男だ!」


「阿呆か。あたしは攻め女だぞ。ポジションは男だ。となれば必然的にあんたが女役になるのだから、エスコートしても良いじゃないか! ナニがおかしい!」


 熱を入れて主張する鈴理先輩に最悪だと大雅先輩は苦虫を噛み潰したような顔を作った。

 他にも唐突に横抱きをされたり、アリス服を持ってきたり、カメラを構えられたりしたらしい。

 容易に想像できてしまい、俺は誤魔化すように咳を零す。

 どうしたって唇が歪曲になってしまうのは、俺の性格が意地悪いからか? だって美形男が俺と同じようなことをされているとか、ちょ、笑えてしょうがないんだけど。


 なるべくお茶を飲む振りをして口元を隠すんだけど、「おい豊福! テメェ笑っているだろ! そうだろう!」テーブルを叩いてギッと彼に睨まれてしまう。


「いやいやいや、滅相もないっすよ」


 返事して俺様と視線を合わせる。

 ぶはっ、お茶を噴出したのはこの直後のこと。

 だ、駄目だ。元カノであろうとなんだろうと、攻め女と受け男(予定)のやり取りは笑っちまう。悲惨だ。目に毒。自分がされているからこそ、笑いのツボを押される。

 か、か、可哀想に。美形が台無しだ。


「豊福テメェ!」


 悔しそうにテーブルを喧しく叩いている大雅先輩に、俺は満面の笑顔を作って助言を送ることにした。


「先輩。受け男になるには些少のプライドを捨てることです。そしたら、ある程度のことは許せるように「冗談抜かせ!」


 えー、これが一番だと思うっすよ。じゃないとやっていけないし。

 折角助言してあげたのにと肩を竦める俺に、


「大体テメェが鈴理の攻めをとことん許していたからこうなっているんだぞ!」


 元カノの婚約者が責任を擦り付けてきた。

 そうは言っても、そんな攻め、超序の口ですし。

 ほら、目を閉じれば思い出す。あーんなことやこーんなことをされた挙句、人様の前でっ、あああっ、羞恥が込み上げてきた。爆死しそう。


「大雅さん。駄目ですよ、攻められては!」


 と、此処で大雅先輩の想い人が意見する。


「貴方様はカッコイイ人なんですよ」


 攻められては折角のカッコ良さが褪せてしまうと宇津木先輩。当然、大雅先輩は褒められてちょっち照れたわけなんだけど。


「わたくしは大雅さんが楓さんや空さんを押し倒している姿の方が好ましいのです!」


 ふふんと弾んだ声音と共に両手で拳を作って熱弁している宇津木先輩。「だと思った」大雅先輩ががっくり肩を落とす。

 ぬか喜びになった俺様、哀れ。同情しますです。


 大雅先輩は早く勝負を終えたい。終わらせたい。勝ちたい。勝たないと俺は男をやめてオカマになる、なーんて俺の台詞をパクッて嘆いている。


 それに関しては何も言わなかったし言えなかった。

 当事者であり、部外者の俺には発言権なんてないのだから。思うことはあるし、正直セクハラをされても堂々と傍にいられる大雅先輩には羨望を抱く。俺は向こうの御両親に良くは思われていなかったからな。


 けれど戻りたい関係とも言い難い。

 御堂先輩の気持ちは本物だ。蔑ろにするつもりはない。あの人の傍にいるだけで、本当に元気が出るのだから。


「ま、先輩方が婚約を白紙にできたとして。果たして空との関係が本当に修復できるものですかねぇ。俺は今のまま、御堂先輩に託してしまう方がお互いのためだと思いますけど?」


 珍しくアジくんが意地の悪い意見を口にする。

 びっくりしてしまった。彼はキング・オブ・男前のアジだ。無暗に人を傷付けるような言動は起こさないのに。

 「本多」エビくんが肘を語り手の横腹に入れるも、「普通にそう思うだろ?」向こうの口は止まらない。


「それぞれ親公認の関係だぞ。反対される未来より、今の方がずっと幸せだと思うよ。お前ぼろぼろだったじゃん」


「いや、それは」


「うむ。アジ、お前は知らないようだな」


 「へ」間の抜けた声を出すアジくんに、鈴理先輩が勢いよく立ち上がり、片手で顔を覆った。あれは俗にいう、カッコイイポーズとやらでは。


「恋は障害がある方が燃えるのだ。なあに大丈夫。空が一時的に、玲の所有物になろうが奪い返せばいい。ぼろぼろ? ならば全身全霊を懸けて癒してやろう。そう、手とり足取り。最後に笑うのはこのあたし。精神攻撃など利かん!」


「やばい。良心に訴える作戦が見事に失敗した。侮っていたぜ、竹之内先輩」


「ふっ、覚醒した鈴理は、良心が消えあたし様度が増した。残念だったな、本多」


 たらたらと汗が流れてくる。恐怖がこみ上げてきた。


「まあ、あたしが負ければ大雅を調教しなければならなくなる。万が一にも、そんなことはないが……ふむ、せっかく手錠と首輪を用意しているのに。部屋で飼っているというエッチなシチュエーションもしたいのに」


「たたたたた、大雅先輩! 鈴理先輩おかしいっす!」


「そら元々だ。お前、いっそ俺のために飼われてこい。俺のために」


「そんなことしたら、俺が御堂先輩にお仕置き食らうでしょ!」


 青褪めていると、「えー例えばどんなこと?」川島先輩がニヤニヤと質問を飛ばしてきた。

 彼女は確信犯だ。鈴理先輩の機嫌を悪くさせると知っておいて、どんなお仕置きを食らっているのだと追求してくる。

 一変して顔を赤らめてしまう。そんなの言えるわけが。


「ほっらぁ言っちゃいなさいよ。ヤラレくん。鈴理の闘争心に火が点くよ? 楽しいでしょ」


 それは川島先輩だけだ。


「んじゃあ質問を変える。イケメン王子と同居している感想は?」


 どこまで彼女は俺の家事情を知っているのだろうか?

 鈴理先輩が一友人に話している可能性もあるけれど、きっと川島先輩はそれを表に出さないだろうな。それが大人の対応だろうし。

 同居ではなく御堂家に居候をしていると訂正する。具体的にどんな生活を送っているのかと尋ねられたため、勉強ばかりしていると答えた。


 もっと面白い話題は無いのかと聞かれたため、頬を掻いて思い出のページを捲る。

 プライベートのことを下手に喋って御堂家に迷惑がかかったらヤなんだよな。先輩たちが迷惑を掛けるとは思わないけど、気持ち的に喋りたくない。


「如いて言えば、御堂先輩が男物の浴衣を着させてくれない、ということでしょうか」


「え。あんた、女物を着ているの?」


 あ、ドン引いた! 今のは傷付いたんだ!


「どうしても御堂先輩が着させてくれないんっすよ。私服はともかく、部屋着用の浴衣は絶対に女物です。最初は嫌がらせだと思っていましたけど……たぶん、男の婚約者に嫌悪しているからだと」


 豊福空としては好意を寄せてくれている彼女だけど、男となると別なんだろうな。


「原因は淳蔵さまだろうな。玲の男嫌いは、男尊女卑からくるものだから」


 鈴理先輩が腕を組む。

 それは知っている。御堂先輩と暮らしてよく分かった。


「だからって女物をねぇ。豊福、嫌なら嫌って言えば?」


「嫌と言って通じる相手じゃないですよ。誰かさんとお付き合いしていた時だって、無理やりアリス服を着せられそうにゲホ、ゲホ……ま、浴衣だから許せるところもありますし。御堂先輩がそうして欲しいなら、我慢して着ますよ」


「それでいいの? あんた。サービスし過ぎじゃない。なんっつーかさ、鈴理と付き合っていた時も潔くない? 前のあんたなら、どんなことがあっても男物を」


「俺は御堂先輩の家にいるんですよ。彼女の味方はた、た、沢山……そりゃ男物を着ることができたら、どれだけ幸せか」


「あ。ごめん。なんか、苦労を察したわ」


 ずーんと落ち込んでいると、どこからともなく頭に丸められた紙くずが投げられた。

 ハテナと首を傾げる俺はなんでその紙を拾う。中を広げてみると、殴り書きで【Nのくせにアイドルと親しくメシを食っているお前殺す】と脅し文句が。しかも赤文字で……うん、これは、あれだな。あいつ等のブーイングだな。すぐ分かっちまう。


 こつんとまた紙くずが頭に投げられた。

 一度目は誰にも気付かれなかったけど、二度目は数人の目に留まる。

 「なんですの?」宇津木先輩に質問されてしまい、俺はさあっと肩を竦めた。で、さり気なく紙を広げてみる。そこには【フラれたくせになんで一緒にいるんだよ!】と罵声が。


 つ、痛烈。

 胸を抉る言葉だけど、フラれたというより別れたと言って欲しかったな。


 「この!」何処からともなく聞こえて来る声とこつん、頭に当たる紙くず。中身を開けば【Mの敵!】

 「畜生!」四度目からは体を捻って、キャッチすることに成功した。投げている犯人はやーっぱり出やがった、鈴理親衛隊。

 「滅べ!」憎しみを込めて紙を投げてくるのは親衛隊副隊長の高間先輩だった。


 隊員が素早くルーズリーフを破り、そこに彼の気持ちを代筆して丸めると副隊長に手渡している。


 いやぁ、今日も『I love Suzuri !!』の鉢巻が眩しいくらい痛々しいっすね。

 紙くずをキャッチしながら俺は、「あの近所迷惑になるんで」やるなら余所でしませんか? と相手に声を掛ける。


 「ウルサーイ!」余裕ぶってるんじゃねえぞ、この悪霊スケコマシ! ギリギリと奥歯を噛み締め、持っていた紙を握りつぶした。


 

「1年C組豊福空! お前は既にアイドルの傍にいることは許されない男だ! なのに何故っ、そうやって一緒に飯をっ、めしをっ……、一々癪に障る奴だな! こっちとらぁっアイドルから総無視されるは、詰られないは、睨んでくれないはっ。前はしてくれたのに。ええいっ、退散! 悪霊退散!」


「ふ、副隊長。あまり彼を罵ると、あの方から怒られますよ」


「ウルサイウルサイウルサーイ!」


 闘争心をむき出しにしてくる高間先輩は、


「しかもアイドルが、見た目畜生な奴と婚約している。なんだこの地獄図。所詮此の世は弱醜強美なのか。イケメンが絶対なのか」


 いや、アイドルは永遠にアイドルなんだ。なんびとも男が近寄ってはいけない、女神なんだと高間先輩は紙くずを大雅先輩にも投げ始めた。


 いやいやいや大雅先輩は良いでしょうよ。

 親が決めた結婚相手っすよ。二人が肩を並べれば美男美女カップル。俺よか釣り合うでしょうに。疎ましそうに紙くずをキャッチした大雅先輩は、「なんだあの変態」お前の取り巻きか? 婚約者に視線を流す。

 約束破りな奴等など知らん、鈴理先輩はつんとそっぽを向いた。


 途端に高間先輩が絶叫した。


「詰ってくださいよー! 貴方に虐げられる。それが生き甲斐なんですぅうう!」


 さすがの鈴理先輩もM発言に鳥肌が立ったのか、「キショイ」と、つい悪態をついてしまう。


 すると久々の悪態だと歓喜する高間先輩。

 涙ぐんで、ここ数ヶ月、悪態という悪態を付かれてなかったのだと感動に浸っている(殴られたことはあったらしいけれど)。隊員さん方とハイタッチしていた。うん、俺も言いたい。キショイ。俺が言ったら怒られそうだけど。


 直後のこと、高間先輩のブレザーのポケットから携帯らしき音が聞こえてきた。

 しかも着メロがダース・ベイダーのテーマ曲だと? 映画・スターウォーズに出てくるアンチヒーローの曲を着メロが聞こえた直後、高間先輩や隊員の顔が強張った。

 大慌てで高間先輩が電話に出ると、人が変わったように「あ。どうも」と、その場で会釈。

 取引先とやり取りしているリーマンのように丁寧口調で喋っている。


「はい、今日もばっちりですよ! 貴方様の婚約者殿は我々が全力で見守っています! なんたって応援団なのですから! ……え? ゴミなどを投げていないか? 罵声を送っていないか? ま、まさかっ。そんな大層なことできませんって!」


 電話の相手が分かったのは俺だけじゃない筈だ。

 親衛隊にとってあの人の存在はダース・ベイダーなんだろうな(俺的にはジョーズなんじゃないかって思うけど)。



「お前の婚約者って怖いよな」



 どっかで見てるんじゃねえ? アジくんが周囲をぐるっと見渡した。

 いやぁ、多分自分の学校にはいるんだろうけど、誰かに見張らせているってところだろう。


 ははっ、慣れたよ! 鈴理先輩の時から俺、どーっかでいつも見られていたみたいだから! 俺のために愛情と金をかけてくれてどうもっす! 開き直らないのやってらんねぇイェーイ! 


「今日の婚約者様は一段と、か、か、可愛いですよ。今、ご飯中でして。ぐ、具体的には……そう、激しく喜んでいます! 大はしゃぎです!」


 無理やり状況を説明しようとした高間先輩が、俺に近づくと強引に立たせて、がくがくと体を揺すってくる。あまりにも激しく揺すってくるものだから、タンマをかけるも、相手は知らんぷり。

 へろへろになる俺を余所に、こんなにもはしゃいでいると口頭で教えている。伝わるわけがない。

 「わたくし、お水を」宇津木先輩が立ち上がる。

 「大しゃぎも大しゃぎですね!」ドーンと俺の体を押してきた高間先輩のタイミングは一緒だった。


 ふらっと倒れる体は、「あら」宇津木先輩の間の抜けた声と共にすってんころりん。

 「ゲッ」高間先輩が顔を引き攣らせる中、俺は宇津木先輩と目が合い、瞬く間に絶句する。なんで、俺、先輩の腕の中に。

 尻餅をついた彼女は「あらあらあら」困ったように笑い、頬に手を当てた。


「空さん。わたくしは攻め女ではないのですが。よしよし、お怪我はありません?」


「ギャァアァアア?! ご、ごめんなさいぃいいい! 申し訳ございません! 死んでお詫びしますからぁあああ!」


 頭を撫でられても嬉しくないというか、うわ、宇津木先輩の腕の中は柔らかい(語尾にハート)を付けるべきなのか!

 おむね結構おっきいっすね! ボインっすね! 鈴理先輩や御堂先輩よりも感触に弾力がありますね! うへーい幸せ、じゃね、三回地獄に墜ちるべきだろこれ!


「ありえねぇええええ! てめ、豊福! 鈴理や玲だけじゃ飽き足らず、百合子まで手玉にっ、うそだろまじかよ俺は信じねぇぞアァアアアアアア!」


「本来ならば、あたしも発狂するところなのだろうが……大雅の動揺っぷりに、寧ろ冷静になるあたしがいる」


「え、あー……豊福空。おい豊福空。御堂さんが、お仕置きレベル2だって」


「それって二回目のお仕置き内容?! これは事故っ、事故ですよ王子ィイイイイ!」


「いつまでくっ付いてやがる! 離れやがれヘタレクソ野郎がァアアアア!」




 昼休みも終盤。

 教室に戻るために学食堂を出ると、エビくんに苦笑いを零した。


「痛そうなたんこぶだね」


 彼は頭にできたたんこぶを指さす。

 「嫉妬される身もつらいよ」俺は不機嫌に返す。

 ちぇ、なんだよ。大雅先輩。羨ましかったなら、自分も強引に宇津木先輩にやーんすりゃいいじゃん。俺様だろ? 天下の俺様で、しかも美形キャラなら押し倒しくらい許される行為なんじゃねーの?

 そりゃ……まあ、幸せな感触だったけどね。俺が体験した中で宇津木先輩は一番胸がでかいとみた。


「スケベな顔になってんぞ空。御堂先輩に仕置きされても助けねーからな」


「こ、これは男としてのちょっとした出来心で……同じ立場になったら、アジくんも同じことを思うに違いない」


「俺は受け男じゃねーもん。ヤラレでもヘタレでもねぇし。女物を着せられるとか、論外だろ」


 だから、好き好んでしているわけじゃないんだって。

 反論しても、フライト兄弟はまったく信用していないようだ。ジト目で見つめてくるばかり。俺は咳払いをして、誤魔化す。何を言っても分が悪くなるだけだ。


「でも、驚いたよ。君に女装趣味があったなんて」


「誤解を招くからやめてくれないかな。女装までいっていないし、浴衣は王子の趣味だからね。彼女が望むから」


「じゃあ、御堂先輩に女になれ、とか言ったら、女になるのか? さすがに言いなりばっかなるわけにもいかないだろ?」


 アジくんの素朴な疑問に、「さあ」俺は曖昧に笑う。

 強く否定はできなかった。男の娘じゃないから、肯定する自信もないけれどさ。

 「おい。冗談だぞ?」アジくんが顔を覗き込んでくる。「分かっているよ」俺は肩を竦める。


「ただ、否定できないと思っただけ。俺は御堂家のものだから」


「だから君は女になれるって? 空くん、君はそれで幸せなの?」


「うん、幸せ。売られるより、ずっとマシだし。可愛くなれるか、自信はないけどさ」


「ごめん。軽率だった。君にも立場があったよね」


 この日常に慣れていた、とエビくん。借金の一件を忘れていたという。

 俺だって忘れていたから大丈夫だ。久しぶりに、先輩達と過ごしたからだろう。当たり前になっていた。平和な学院生活が。


「まあよ。すべての発端は向こうの婚約式だよな、あの婚約式さえなかったら、先輩もお前も複雑な関係にならなくて済んだのに」


 アジくんが頭の後ろで腕を組む。


「それがなくても空の家事情で……別れていたのかもしれないけど。借金なんて向こうにはメリットねぇしな」


「本多。今のはデリカシーが無いよ」


 エビくんが強い口調で注意を促す。「あ、ごめん」アジくんが眉を下げて謝罪した。


 喧騒している廊下、俺達の間には沈黙が流れ、それが遠い音に聞こえる。


 借金問題、か。

 そうだよな。仮に鈴理先輩が大雅先輩と婚約しなくとも、俺の家が借金を負ってしまったら遅かれ早かれ別れは訪れていた。俺が鈴理先輩の親の立場だったら別れて欲しいと思うだろう。借金を抱えた家庭の息子が娘の傍にいるだなんて、ほぼ金目当てにしか見えない。

 決まっていたのかな。俺達の破局は。

 今となってはどう考えても変わることのない未来だけどさ。


「アジくんが言うこともご尤もだ。メリットなんてないよねぇ、借金なんて」


 湿気た空気を作りたくなくて、俺は明るくメンドクサイ関係だよね、と話に便乗する。

 

「俺と鈴理先輩は元カレカノ。御堂先輩とは婚約者で、大雅先輩は俺の元カノの婚約者。大雅先輩に他に好きな人がいて、俺と鈴理先輩もまだ吹っ切れていない。御堂先輩は俺を好きでいてくれる。俺達が吹っ切れたらもっと話はスムーズに終わるんだけどさ。人間って単純そうで複雑な生き物みたい」


 女々しいってのは分かっているんだけど、いかんせん他人から強制されて別れを決めちまったもんだからどっかで踏ん切りをつけられない。


 言い聞かせても言い聞かせても、気付けば鈴理先輩を目で追っている。

 そう、気付けば彼女の靡く髪を目で追い、すれ違う鈴理先輩を見つめている。わざわざ足を止めてさ。


「けど、王子も無視できないんだよな。普通に惚れているというか」


「だって破局した後に慰めてもらって。しかも助けられちゃ、なあ? 姫さんも大変だな。恋多き年頃で」


「誰が姫だって?」


 俺のツッコミもスルーしてアジくんが「よっしゃ」今日は何もかも忘れてパァッと遊ぶか、そう言って俺とエビくんの首に腕を絡めた。


「放課後、寄り道しようぜ、寄り道」


 男前に綻んでくるアジくんの誘いは嬉しいけど、俺、一応人質として御堂家にいないといけないし。勉強もあるし。


 「バッカ!」少しくらい自由にしたって大丈夫に決まってるだろ、アジくんが俺の首を絞めてくる。


「あーんま家に閉じこもって勉強していると、ノイローゼになるぜ? 少しは息抜きしないと。な? エビ。俺達と遊ぶもんな?」


「はぁぁあ。君って唐突だよね。ま、いいけど。あと君からエビって呼ばれるのは頂けないよ、アジフライ」


「あ、言いやがったな。じっぶんはエビフライのくせに! とにかくさ、空、遊ぼうぜ。たまには恋愛以外の日常を楽しむのもありだと思うぜ?」


 うーん、そう言われても。

 結局、俺は迷いに迷って御堂先輩に連絡してみる。許可を得られたら遊ぶ、と彼等に伝えた。御堂家には大きな恩があるため、無断で行動はできなかった。


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