XX.天気予報、おにゃのこ警報



【御堂家・大間にて】



 御堂家。

 只今の天気模様、快晴のち曇り。



 何事もそうだが、物事を円滑に進めるためにはまず外堀を埋める必要性がある。

 訳アリ婚約を交わしたならば、相手の遠慮や罪悪、負い目を埋めればいい。

 愛娘が好意を寄せている相手に、元カノであろうと財閥の翳りが残っているなら、それを埋めるために行動を起こせばいい。

 向こうの親御に息子に対する憂慮があるなら、今の生活を見せて安心を植え付ければいい。


 行動は慎重かつ丁寧に、迅速に、それが御堂源二のモットーである。

 そして今回の行動も非常に上手くいったと自画自賛する他ない。


 源二は隣に座る妻に目を向ける。視線を受け取った彼女が綺麗に微笑んだ。いつ見ても絵に描いたように美しい女性だと恍惚に思う。

 妻の一子と出逢ったのは自分が24の時である。

 彼女はまだ14だった。父が連れてきた見合い相手には驚愕したものだ。

 十も歳の差がある、まだ少女を相手として連れて来たのだから。ロリとまではいかないものの(いや思いたくない)、相手は中学生。犯罪に片足を入れているような気がしてならなかった。


 しかし、父の命令は絶対だったため、結婚前提のお付き合いを始めたあの日。

 恋に落ちるまで時間は要したものの、互いに尊重して将来を誓い合ったあの日々が懐かしい。彼女にとって自分は親父だったろうに、「何処までもついて行きます」と言ってくれた時の健気さには感銘を受けたものだ。


 子供も授かることができ、家庭としては申し分なかった。

 父が娘の誕生に憤慨していたこともあったが、自分は娘を授かって心底よかったと思っている。

 人を愛するとは素晴らしいことだ。是非娘にも味わって欲しい。



 閑話休題。

 源二は妻一子と共に、豊福家との食事会を計画した。


 理由は単純。娘の彼女防止のためである。

 玲はまた一段と雄々しくなった。

 娘の容姿を見た時の衝撃を忘れることが出来ない。帰ってきたら娘が短髪になっていたのだから。大切なことなのでもう一度、愛娘が短髪になっていた。

 どこぞの美少年が我が家に転がり込んでいるのかと思った。唯一乙女らしい長い髪をバッサバサに切ってしまった娘の心境が読めない。本当に男にでもなりたいと思っているのではないだろうか、そう思わざるを得ないほど容姿が美少年化した。女の子なのに!


 嗚呼、これを機に娘が彼女を作ったら……想像した源二は畏怖の念を抱いた。


 娘と婚約者の関係は非常に良好だ。

 双方なるべく共に食事を取ろうとするし、お互いの部屋を行き来していることも知っている。玲に至っては彼の部屋に根付いているようで、しょっちゅう一緒に寝ているようだ。健全的な意味で。

 空はホトホト困っている様子だが嫌悪感等は垣間見えない。当然だ、自分の娘は世界一可愛い。拒む男などいないだろう。もし拒むようなら、その目をくりぬいて綺麗に洗浄してやらねば気が済まない。娘は可愛い。世界一可愛い。例え男装少女でも。


 はてさて、このように今は睦まじい仲にありつつある二人だが、本当の意味で上手くいくかどうかは本人次第。

 親としてはなんとしてもこのまま仲を取り持って欲しいところ。もしも破局してしまえば、あの子は二度と男に好意を寄せず、女の子を連れてくるであろう。

 まんま見た目が美男子なことをいいことに、女の子にナンパするかもしれない。玲ならありうる。


 言い知れぬ危機感を抱いた源二は、なんとかならないだろうかと妻に相談する。

 一子も同じことを思っていたようで、二人の関係は深めなければならないと意見した。が、母親として子供達を見守っていると、どうしても訳アリの壁が彼等に立ちはだかっているように思える。どうにかそれを解消すれば、より良好な関係になるのではないか。

 あれこれ妻と意見を出し合い、時に目付けの蘭子を呼び、助言を仰いで出した結果が、この食事会だった。


 源二は知っている。婚約者は根からの両親至上主義だということを。

 ならば、近未来で親族になるべき者達と縁を深めておくべきだ。それが婚約者の心を射止め、より娘に好意的になることだろう。

 彼が愛娘を意識していることは既に把握済み。娘のためにも、より意識してもらおうではないか。破局なんて到底認められない。娘にカノジョができてしまう!


「今宵はよくぞお集まり下さいました。皆さん、遠慮なく食べて下さい」


 長テーブルを挟み、右の陣御堂家。左の陣豊福家。

 簡単な挨拶と共に源二はぱちんと手を叩き、食事会の始まりを知らせる。

 それによって御堂家の人間は早々に箸を取るも、豊福家の人間は誰一人箸を取らない。

 おや、どうしたのだろうか。不都合でもあったのか。源二は向かい側に座る裕作に声を掛けた。引き攣り笑いを浮かべる彼は、しきりに息子を見やり一言。


「少し見ない間に……立派なお召し物を頂戴していると思いまして。か、可愛い着物だな空。玲さんに見繕ってもらったのか?」


 視線がよろよろと斜め前に流れていく裕作に、赤面している空は小声で「浴衣なんだけど」


「は、花柄なんてお洒落だな。水仙か。今どきの浴衣は洒落ているよ。女性が好みそうな柄だ」


「……女物だからね」


「………そうか。女物、か。うん、いいんじゃないか。うん。うん。大きくなったな空。久仁子、空は物腰柔らかい息子になったな」


「そうですね、裕作さん。いつの間にか、可愛い息子になりましたね」


「も、いっそ罵って欲しいんだけど。中途半端な優しさの方が堪える。変なの見せてごめんって。似合わなくてごめんって。女物を着てごめんって」


 穴があったら入りたい、彼は頭を抱えてしまう。

 どうやら空は己の身なりを両親に見せたくなかった模様。

 向こうの家族も、大層戸惑っているようだ。男装趣味がある娘のおかげさまで、ジェンダーに関して多少ならず寛容が広くなっている源二は気にしなくてもいいのに、と内心で思う。格好などどうとでもなる。大切なのは男と女が付き合うことなのだから。


 ようやく豊福家側が箸を取ったため、食事会が始まる。

 向こうの親は息子の生活を一から十まで知りたいらしく、普段は何をしているのか、一日の流れはどうなっているのか、財閥界には溶け込めそうか、と話題を切り出してくる。

 やはり親として庶民の子が財閥界で上手くやっていけるか、生きていけるか、それが心配で仕方がないのだろう。良い親だ。


「財閥界に身を置くことについては、きっと大丈夫です。玲もついていますから。普段の生活は、そうですね……もう少し、部屋から出てきてくれたら嬉しいものです」


 いつも自室に籠って勉強ばかりしている。

 それが預かる身として寂しいと伝え、「やんちゃな方が嬉しいな」妻に同意を求めた。小さく頷き、一子はもっと元気よく家を駆け回って欲しいと要望をした。


「ああ、だけど、玲と一緒の時は、よく走り回っていますね。それはもう、床板が軋むほど」


「豊福が悪いんですよ。せっかく僕が可愛く鳴か……可愛くしてあげようとしたのに照れるから」


 源二も目にしている光景の一つだ。

 なにかと彼は部屋を飛び出し、娘から逃げ回っている。他愛もないスキンシップだと、微笑ましく見守っているが、何度か空から助けを求められたことがあったっけ。それも結局玲に捕まり御用となるのだが。本当に仲の良いと思う。

 「逃げているのか?」父親に尋ねられた空は、「ま、まあ」決まり悪そうに苦笑い。


「玲さん。空はどうだい? こいつはあまり女心が分かっていないと思うけれど」


 裕作が標的を婚約者に絞った。

 さすがは愛娘、臆することもなく「可愛い子猫です」と答えた。

 ぶはっ、吸い物を啜っていた空が咳き込む姿など目にくれず、何をするにも照れて逃げてしまう可愛い婚約者だと口角を持ち上げる。


「(キスの)挨拶ひとつで、顔を真っ赤にして逃げようとします。(女物の)浴衣を着せてあげようとしたら、押入れに隠れようとしますし、(寝込みを襲うために)布団に潜り込めば飛び上がります。すっごく照れ屋さんなんですよ。そこがまた、(いじめ甲斐があって)いいんですけど」


「なんだ。空、羨ましいことをされているじゃないか」


「でも、たまには逃げるんじゃなくて受け止めて欲しいなぁ。寂しいぞ」


「まあ。駄目ですよ空さん。女の子から逃げるなんて失礼ですよ」


 これは娘の作戦だな、源二は玲の心理戦を読む。

 見事に彼の両親を味方につけた娘が細く笑う中、言葉を詰まらせた彼は小声で「ヤラれた」箸を握り締めて身を震わせていた。

 「わ、我儘は聞いてあげているでしょ!」このままでは分が悪いと思ったのか、空が反撃の姿勢を見せる。


「毎朝先輩の髪を整えてあげていますし……魚の身をほぐしてと言われたらしていますし……一緒に寝て欲しいと言うから、俺の、布団に入れていますし」


「それは我儘じゃないよ豊福。僕が君に甘えたいだけ。好きな子に甘えたいのは、当然の心理じゃないかい? 豊福も甘えて欲しいな」


「くっ、お、親の前で卑怯な」


「甘えてくれないの? 僕は寂しい」


「うっ……わ、我儘は聞いてあげますから」


「僕のこと嫌い?」


「卑怯っす。ほんっとうに「空さん。女の子には優しくですよ」こ、こ、今夜にでもお願いします」


 よしよし、この勝負はやはり娘に軍配が上がったようだ。

 逃げ道を綺麗に塞いだ玲は、今夜の約束だと微笑み、軽く口角を舌で舐めた。それを目にした空が物の見事に石化していたが、これも御堂家安泰のため。どのようなスキンシップが待っているかは詮索しないが、少しでも心に触れ合い、早く結ばれることを願う。


 でなければ、世継ぎを望む父が焦れて、何かアクションを起こすやもしれない。

 源二の心配事だ。身をもって経験しているからこそ、父の存在は脅威だ。娘にとっても、あれは傷付ける存在でしかない。


「良かった。空さんと玲さんは上手くやれているのですね」


 久仁子が胸を撫で下ろしたように息をつく。

 誰よりも子供の安否を心配していた彼女は、彼等のやり取りに良好な関係は本物だと信じてくれたようだ。


「空さんから、よく玲さんのお話は聞いていたのですよ。いつも支えてくれる、優しい人だと。傍にいるだけで元気が出る人なのだと」


 「母さん!」人差し指を立てる息子に一笑を零し、久仁子は娘に教えるのだ。彼に愛されていることを。心理戦として寂しいと口にしていた玲だが、これは不意打ちだったようだ。いつになく頬を上気させると、空に向かって満面の笑みを浮かべ、「これは卑怯だぞ」調子に乗りそうだと眦を和らげる。

 既に真っ赤っかな婚約者は、ダンマリになって刺身を口に入れている。許容範囲がオーバーしたようだ。



 食事会が中頃になると、オトナの時間が始まる。

 酒の飲めない子供達は食事を終えると、手持ち無沙汰となり大間から退室。オトナは熱燗を傾けた。酒の力を借りて、本音を言える時間でもあった。

 豊福側の胸の内を聞くべく、まずは御堂側から胸の内を明かす。娘の恋愛観や男性観について苦労が絶えないこと。異性を好きになれないのではないかと、悩み続けたことを。

 すると向こうも、するりするりと子育ての苦労を明かすのだ。本当の親子ではない、その悩みを。


「常に子供に気遣われる。それが親にとってどれだけ寂しいことか、空は分かっていないでしょう。あの子は家庭の空気を読み過ぎる」


「それは、玲も同じですよ。父は世継ぎの孫は男だと断固として譲らず……いつしか、あの子は男装を始めた。家庭の空気を読んだ結果が、男として振る舞う、でした」


「玲さんは空さん相手に大丈夫なのでしょうか? どのような振る舞いをしても、あの子は男ですから」


「受け入れられない点も当然ありますでしょう。ですが、異性として意識している点もあります」


 まさしく先程の反応は、空を男として意識していた。

 男嫌いの娘が婚約者を女として見るのではなく、あくまで一男として見ている。反面、女物の浴衣を着せるなど、男として振る舞い、相手を女扱いをしているのは、玲の中で許せない部分があるのだろうが。

 こんな娘だが、どうか温かく見守って欲しい。彼に意地悪をして、女物を着せているわけではない。娘なりの事情があるのだと旨を伝える。


「空くんも分かっているのでしょう。文句を言いながら、あの子の我儘に付き合っていますから。さすがに奥さんと呼ばれたくはないようですが」


「親としては不甲斐ない理由で、婚約させてしまいましたが……今は上手くいけば良いと思っています。あの子は恋となると、結構一途になるのですよ。少し前に、失恋したようで、随分落ち込んでいたようですから」


 実はそれが不安の種だとは、決して口に出さない。

 源二は蘭子から話を聞いている。竹之内財閥の三女が、愛娘に賭け事を持ち掛けていることを。三女は婚約者の元カノ。契約も何もない、まっさらな状態で結ばれた関係だ。純粋に恋に落ち、結ばれ、そして大人の計らいで別れた。

 三女の好敵手をしている娘がそれを知らないわけがない。否、失恋した彼を支えたのは娘だ。その娘が、三女の存在を気に掛けている。婚約者も面には出さないが、きっと。


 複雑な気持ちだ。

 娘の望む恋を成就して欲しいと願う一方で、父から娘を守るために婚約者の存在を利用している現状。親として正しいであろう判断も、ヒトとして、これが正しい判断なのかは分からない。

 財閥の人間とは嫌なものだ。人三倍損得で考えてしまう。


「豊福さん、ひとつ。もしも、父が連絡を寄越したら、必ず我々に一報を寄せて下さりませんか? 正直、あなた方の借金を肩代わりした父は、息子の私でも読めないところがありますので」


 不安を煽るようで申し訳ないが、これも現実なのだ。向こうには知ってもらっておかなければ。

 物わかりの良い裕作は小さく頷き、連絡することを約束した。

 同じように何かあれば自分達にも一報をくれるよう頼む。親として、これ以上息子に負担は掛けたくないのだろう。


「実は腕の良い弁護士を探しているのですよ。婚約を解消する意図ではなく、借金の肩代わりとなった息子のために。娘さんも、気兼ねなく恋ができると思いますから」


「御協力しましょう。私も妻も、彼等には気兼ねなく恋をして欲しいものですから」


 と、廊下の向こうから笑声が聞こえてきた。

 障子を開けてみると、縁側に腰掛けて談笑している子供が二人。話に盛り上がっているのだろう。積極的に娘が語り手となり、婚約者が聞き手となっては声を上げていた。

 いつまでも和気藹々として欲しい。それこそ、父の損得な考えに巻き込まれないで。


「わわわわっ、先輩! なんでいきなり押し倒して」


「甘えてくれるんだろう? ほら約束を守って」


「うそでしょ今ですかたった今までほのぼっ、やめ、くすぐた!」



「あらあら。また玲が空さんを押し倒して。やんちゃで元気のいい子ですね」


「まったくだ。あの子の雄々しいところは私に似てしまったのかね。若い頃の私達にそっくりだ」



 瞬く間に押し倒し始めた娘の、おてんばなところに笑う御堂夫妻を余所に。



「久仁子……空は妻に敷かれるタイプなんだな。精神的だけでなく、物理的にも」


「今からでも娘、として育てるべきなのでしょうか。本当に三年以内に孫が見られるかもしれませんね」


 

 息子の知らな一面を知ってしまった豊福夫妻は、やはりこの婚約は正しくなかったのではないかと思いなおすのだった。


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