Chapter9:陰謀

XX.天気予報、幸せ時々迷子



【竹之内家・母屋の第一書斎にて】



 竹之内家。

 只今の天気模様、暴風警報。



 ぐったりと一人掛けソファーに腰掛けている鈴理の父、英也は困った事態になったとこめかみに手を添えていた。

 同じく鈴理の母桃子も深い溜息をついている。


 一方で竹之内四姉妹の長女咲子と次女真衣は何処吹く風で茶菓子を口元に運んでいた。

 只今、竹之内家では非常に困った事態が起こっていた。この場にいない三女の鈴理がなんと婚約破棄を申し出てきたのだ。しかも相手方とタッグを組んで。既に内輪婚約式は終えてしまったというのに、婚約を破棄したいとは。


 勿論簡単に破棄できるとは思っていない。

 鈴理達は結婚以外の手段で財閥の存続を約束すると告げてきたのだ。結果を出したいから、両親に自分達のできる業務はないかと聞いてきた。


 突拍子もない。

 英也や桃子は少なからず、ショックを隠しきれなかった。今頃二階堂家も揉めていることだろう。三女を自室に戻らせ、既に成人を迎えている娘二人と話し合っているのだが、はてさてどうしたものか。

 また我が儘を、英也の独り言に真衣がピシャリと反論した。「先に酷なことをしたのはお父様達ですよ」と。


 思春期の青春を意図も簡単に奪った罪は重い。

 三女の肩を持つ真衣に、咲子が苦笑を零しながら「確かに性急だったわ」鈴理が反感を持っても仕方がない、と肩を竦める。


 「だからって!」桃子は声音を張り、婚約を破棄にするなんて二財閥の面目を潰すのも同然だと嘆いた。


 これが正式じゃなかったから良かったものの、二人の内輪婚約式は終えている。

 祝ってもらった直後に婚約破棄なんて赤っ恥も良いところだと桃子は眉を下げた。


「やっぱり鈴理を納得して理解してもらいましょう」


 桃子は言葉を重ねる。


「鈴理は庶民の子に恋をしています。その子のために、きっと……考えが甘過ぎますわ。貴方、鈴理をとめないと」


 悲痛な眼を夫に向けた。

 英也が答える前に、「無駄です」真衣が冷たく返す。今の鈴理は誰にもとめられない。それこそ家族でさえ。妹を止める理由もない。好きにさせたらいいのだと台詞に棘を巻いて真衣が親に言い放った。


 「どうして楽観的なの?」桃子の非難に、「お母様は何も知らないんです!」真衣が感情的に返す。


「鈴理がどれだけ涙を流したか、ご存知ですか?! 婚約式の夜もあの子、控え室で大泣きしていたんですよ!

 大雅さんが慰めていましたが、それはそれは見ていられないほど痛々しい姿でした。

 お姉さまと私が大雅さんに呼ばれた時は、あの子、『令嬢なんてやめてしまいたい』と、『空を傷付けてしまった』と、『消えてしまいたい』と泣き崩れていましたよ!

 結局あの夜は大雅さんが鈴理さんの分まで式に出席して事なく得ましたが、あの子はボロボロでした!

 部屋に行っても鈴理は家族を拒絶して泣き崩れていました。お松さんが鈴理を介抱してくれましたが、私達姉妹でさえ拒むほど、あの子は傷付いていましたよ。


 瑠璃がお父様、お母様に不信感を抱いていました。「どうして鈴ちゃんの嫌がることばかりするの?」と。

 まだ幼いあの子でさえ、そう思うのですからお二方のしたことは相当酷なものですよ。何が面目ですか! 娘の傷付く顔しか作れないのに、面目をお気にするなんて少々驕っていませんか?! それにお父様。お母様のせいでっ、私はっ、私はあの子と」


「真衣。落ち着きなさい。貴方の言いたいことは分かるけれど、お父様、お母様の言うことも一理あるのだから」


「いいえ。いいえっ。黙っていられません、もう我慢の限界です」


 真衣が声を上擦らせる。

 咲子は次女の背中を軽く擦り、気を落ち着かせると両親に苦笑を浮かべた。


「お気持ちは分かりますが」


 鈴理の気持ちを無視し、強引に物事を決めてしまった末路ではないかと咲子は意見する。


「強くは言いませんでしたが、やはり今回の一件は鈴理にとってマイナスでした。大雅さんにしても同じ。二人は婚約など望んでいなかった。昔から家族のように接していた二人ですからね。結婚なんて兄弟同士でさせられているような気分なんじゃないかと思いますよ。

 それにお二人は知らないでしょうけれど、私達姉妹は随分長いこと四人で“遊ぶ”ということをしておりません。

 あの頃は毎日のように一緒に遊んでいたというのに、気付いたら家族評価が付きまとっていた。お父様もお母様も、無自覚に姉妹間でランク付けを始めたんです。


 鈴理は劣等感を抱き始めました。あの子は型破りな性格をしていますからね。

 少々令嬢に合わないところもあり、いつも叱られてばかり。あの子は思ったのでしょう。両親から期待されていない。一握り分しか愛されていないのだと。


 誘拐事件の一件で物の見方が少しは変わったようですが、劣等感は今も尚あの子の中に息を潜めている。

 劣等感を抱くようになってから、鈴理は私達と一緒にいたがらなくなりました。笑わなくなりました。能面が当たり前でした。


 しっかり者ですが、誰よりも無口な子になってしまいました。昔はわんぱくで活気ある子だったのに。 


 そんな彼女の笑顔を再び見るようになったのは、庶民の子との付き合いが契機です。

 鈴理にとっては生き甲斐だったんですよ。恋という魔法が。庶民の子とのお付き合いは悪くなかったと思いますよ。私は彼のこと、とても良い子だと思っていましたし。大雅さんとも仲が良いとお聞きしました。鈴理は嬉しかったでしょうね。自分の許婚を知っても尚、側にいてくれる人がいて」


 だから簡単には諦められないんじゃないですか?

 咲子が同意を求めると、英也が小さな吐息をつく。


 「分かってはいたつもりなんだ」鈴理に酷なことをした自覚はある、けれどこれは必然なことだったのだ。


 何よりそうすることが鈴理の幸せだと思っていた。


「あれだけ泣かせたことが、幸せに繋がるのですか?」


 真衣は詰問した。



「いつもそうです、お父様もお母様も私達を見てくださらない。娘をなんだと思っているんですか。どうしてお二人が娘の幸、不幸を独断で決めるのですか。今回の一件は独善ではないですか。理解している素振りだけで、ちっとも理解してくれない。

 ご自分がなにをしたのか、よく現実を見てください。好きな人を自分の気持ちとは関係なく奪われた瞬間、心構えなしに恋人と別れた瞬間、理解者を失ったその瞬間、鈴理さんは幸せそうでしたか?


 私には絶望の淵に落とされた妹の哀れな姿しか目にしていません。幸せどころか心に深い傷を作っただけですよ。

 友人として側にいて欲しい。空さまにそう頼んだそうですが、鈴理さんは彼と友人ではなく、恋人でありたかった。


 いえ、現在進行形です。あの子の恋の魔法は解けていない。

 何より、鈴理さんのことを空さまは理解していました。あの子の寂しさを分かってくれる人だったからこそ、鈴理さんは好きだったんだと思いますよ。


 空さまに出逢って、やっと鈴理さんは笑ってくれました。あの子が久しく私達に声を掛け、恋愛話をしてきてくれた時の嬉しさッ、お父様達には分からないでしょうね。

 誰より仲が良かった鈴理さんと、昔のように和気藹々とおしゃべりできた時間は何よりも輝きに満ちた宝石でした。

 令嬢として気品があると周囲から褒められるより、あの子やお姉さま達と四人で隔たりなく時間を過ごした方がわたくしにとって嬉しい」


 次女は怒りで震え、今にも物を投げ散らかしそうな恐ろしい形相を浮かべる。


「お二人があの子の笑顔を奪ったんです。お二人が私達の仲を裂いたんです。どうしてそれを分かってくださらないんですか。

 何故、鈴理の気持ちを簡単に“甘すぎる”などと言えるのですか。どうしてあの子の気持ちと向き合ってくれないんですか。あの子は財閥を見定めたわけじゃない。結婚とは別のやり方で存続させようと申し出ているのに、耳さえ傾けない。

 この期に及んで面目を気にする心理が私には分かりません。

 こんなことなら私も鈴理と同じように型破りな性格が良かった。一般の家庭に生まれたかった。私達は財閥の糧じゃないんです。財閥の娘なんてっ、不幸せ極まりないです。

 財閥の娘じゃなかったら四姉妹……いつまでも仲良くいられたのに」


 堰切ったように自分の感情を吐き出した真衣は、逃げ出すように腰を上げて書斎から出て行ってしまった。

 「真衣!」桃子が呼び止めても次女は振り向きもしなかった。誰より物おとなしい次女の憤りに桃子は困惑する他ない。それは英也も同じことだった。


 苦笑を零す長女は、「イエスの良い子ほど感情を溜めやすいものなんですよ」目を伏せる。



「真衣も鈴理とは別の理由でずっと家庭環境に苦しんでいたんです。

あの子は誰より期待された子、プレッシャーは勿論、姉妹間の仲がぶれてしまうのではないかと不安がっていました。一番仲の良かった鈴理が一緒にいたがらなくなったのですから、当然の不安でしょうね。だからこそ今回は感情的になってしまった。真衣もまだ子供なんでしょうね」



 気持ちを爆発させたからって現状が変わるわけじゃないけれど。

 ソーサーから紅茶の入ったカップを取り、咲子は音を立てながらそれを啜る。


 静まり返る書斎。

 ふと桃子が一呼吸置き、「咲子は今の現状をどう思っているの?」と質問する。


 家庭環境について尋ねられた長女は目で笑い、「秘密です」言ったところでどうしようもないからとおどけた。


 

「ただ、そうですね。あの頃よりは姉妹の関係は褪せた気がします。瑠璃が寂しがってますよ。姉の私達がちゃんと遊んでくれないって。おかしいですね。お父様もお母様も私達の幸せを願っている筈なのに、理想と現実は反比例している。常に相反するものなのかもしれません。けれどできることなら、私もあの頃に」



 その先を言わない長女に、英也は口を閉ざして書斎の天井を仰いだ。

 長女の言うとおり、理想と現実は常に反比例している。親としては幸せになって欲しい。ただそれだけなのに、気付けばこうも擦れ違っている。


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