13.いざ勝負を申し込まんと
【3F某空き教室にて】
―――十分と四七秒後。
「うっし。こんなもんだろ……一応ボタンは二、三個、外すべきか? チラリズムって重要なんだろう?」
「恨みますからね。先輩達ッ! この落とし前は必ずっ……鈴理先輩の目が据わっているっす!」
「でぇーじょうぶだって。こいつ、こう見えて我慢できるから」
「味見……くらいは許されるよな」
「我慢がなんですって?」
「あ、安心しろ。ぜってぇ俺が止めるから!」
―――二十分と三秒後。
「二十分過ぎたけどよ……玲。一時間以内に来れるか些か不安だな」
「ひぃっ! す、鈴理先輩! お触り禁止っ、禁止!」
「あ゛、鈴理テメ! 俺の見ていない隙になあにやってやがる! イデデデッ、俺を噛むな!」
「あたしは悲鳴ではなく嬌声が聞きたいのだよ。大雅」
「欲求不満の攻め女っ、クソメンドクセェなおい!」
―――四十五分と二二秒後。
「空、タイムリミットまであと十五分だな。そうっすね、十五分っすね。十五分後にはセックスだぞ! キャッ、楽しみっす! どんなプレイが好みだ? やっぱり俺的にはー」
「……鈴理先輩。俺に成りすましてケッタイな会話を成立させるのはやめて下さい」
「む、これくらいの自由は許されるだろう? あたしはとてもとてもとても我慢しているんだ。空は思考の自由すら奪うのか!」
「妄想の間違いっすよね! あーもう、じゃあお口を閉じて妄想して下さい」
「仕方が無い。承諾しよう」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………ふっ」
「…………」
「……ふっ、ふふ」
「……大雅先輩、頼みますからお家に帰して下さい。鈴理先輩のおめめが怖いっすよ」
「……許せ、そして耐えてくれ豊福。俺もあれが婚約者だと思うと泣きたい」
―――五十七分と十秒後。
ガンッ、前触れもなしに教室の扉が開いた。
顔を上げて音の方角を見やる。そこにはお行儀悪く足で扉を開けている男装少女、言わずも麗しき王子系プリンセスである。両手が塞がっているのはどうやら鈴理先輩の親衛隊を途中でボコしていたらしい。たんこぶを作って目を回している柳先輩と高間先輩が襟首を掴まれていた。
ゼェハァと息をつき、両手を開いて大股で歩んでくる御堂先輩の姿は学ランだった。スマホで見たセーラー服じゃない。残念だ、ちゃんと拝んでおきたかったんだけど。
「すーずーり。来てやったぞ。豊福をよくもっ……椅子に縛り付けているなんて随分といいご趣味だな」
そう、俺は大雅先輩と鈴理先輩、二人の手によって椅子に縛り付けられている状況下なのだ。腕も足もネクタイで一くくりにされている。
二人曰く、逃走防止策らしい。俺の逃げ足の速さに先手を打った策らしいけど、こっちはとんだ災難だ。しかも。
「豊福のその姿はなんだ! カッターシャツのボタンを外して、今まさに食われんばかりの姿はなんとも美味しい。じゃない、不謹慎な!」
一時間以内に来れなかったら、本当に頂くつもりだったな!
ぐつぐつと煮えた感情を表に曝け出す王子。「そのつもりだった」あっさり白状する鈴理先輩によって御堂先輩のボルテージが上がったという。
「御堂先輩! 俺は浮気なんてしていませんからね!」
ガタガタと椅子を鳴らして、まず言うべきところは言っておく。
でなければ、仕置きをされそうな気が……俺は被害者っすからね!
俺の心配を余所に、「何を考えている?」人の婚約者を人質にして何を目論んでいると御堂先輩が首謀者二人の前で仁王立ちした。
「わざわざ部活を休んできたんだ。それなりの理由があるのだろうな?」
悪質な悪戯で済まそうものなら、ごめんなさいだけでは許さないと王子。クダラナイことで呼び出したならぶっ飛ばすと眉根をつり上げた。
纏うオーラに怖ぇっと感想を漏らしたのは大雅先輩である。
彼があたし様をチラ見するけど、彼女は堂々とした態度で腕を組んでいた。
「そう急かすな、ちゃんと事情は説明してやる」
せっかちな女だと悪態をついたために、御堂先輩の怒りが絶頂に達したようだ。
彼女は沸点に達すると感情が爆発するタイプではなく、冷然と態度が変わるタイプらしい。
「鈴理、君は自分のしたことがどういうことか分かっているのかい? ある意味、一財閥に喧嘩を売る行為だったんだぞ。互いにお遊びで婚約しているわけじゃないんだ。軽率な行動は控えてもらいたいものだね」
地を這うような声音。
臆することなくあたし様は言葉を返す。
「そうだな。確かにあたしの行動は軽率だった、が、これくらいしないとあんたは此処にはやって来ないと思ったのだ」
廊下が若干ざわつく。
フライト兄弟をはじめとする野次馬が様子を窺っているせいだ。
そりゃそうだろう。人様の教室であんな騒動を起こしたのだから。教室を移動しても、野次馬は好奇心を持って追い駆けてきた。
居た堪れない気持ちになっていると、「この場で宣言したいことがある」まずはそれを聞け。鈴理先輩がウェーブのかかった髪を背中に払い、真顔で告げた。
「竹之内財閥三女、竹之内鈴理は二階堂財閥長男の二階堂大雅と三ヶ月以内に婚約を破談する」
――なにを言って。俺の中で、すべての時が止まった。
鈴理先輩の宣言も、大雅先輩の仕方が無さそうな笑みも、御堂先輩の黙然とした態度も、野次馬の声も、なにもかも制止して見える。
この人は何を言っているのだろう? 破談ってどういう意味合いを持っているのか、ご存知なのだろうか?
とんでもない発言のせいで、脳内が大パニックを起こしてしまう。その間にもあたし様は言葉を続けた。
「既に大雅は承知している。元々望んだ婚約ではなく、親が勝手に決めた関係だ。あたし達では上手くいかないと話し合った。かと言って二財閥を見定めるわけではない。結婚とは別のやり方で繋がりというパイプを強化するつもりだ。
それを指し示すために、あたし達は親を説得しようと思う。行動というあり方でな。
もっと早くからこうしておくべきだった。おかげさまで散々な目に遭った。
あたしがヘタレていたのも一理、原因に挙げられるだろう。正直に言おう。あたしは家族評価に恐れをなしていたんだ。抱いていた劣等感ゆえ両親との対峙に慄き、なるべく避けていこうとしていた。強く行動に出られなかったんだ。それが仇になった。
しかしこれからはあたしらしく行くぞ。親から決められた人生など真っ平ごめんだ。それは大雅と常々話していたことだ。
ここ最近、親の強引さが際立って成されるがままになっていたが、もうやめだ。そんなヘタレな態度。
今日から三ヶ月内に必ずあたし達は婚約を白紙してくる。そして」
視線が俺に流された。
心臓を鷲掴みにされたような錯覚に陥る。気のせいであって欲しかったけれど、あたし様は容赦がなかった。
「正式にあたしと勝負をしろ。空を賭けて。これはあたしからの宣戦布告だ、玲」
脱力と眩暈が俺を襲った。足元の感覚が無くなる。
鈴理先輩は何を言っているのだろう。
彼女が日本語を言っているのは分かるけど内容がちっとも頭に入ってこない。婚約を白紙? 俺を賭ける? 宣戦布告? 何言っているんだ。この人は。感情任せの発言だとしても、これは軽率過ぎる。
それまで静聴者だった御堂先輩は、「へぇ」面白い提案をしてくるんだね、と笑みを深めた。
「あれほど大人しかった君が見違えるほどだ。敬意を表したい、が、受け入れられない申し出だね。君達が破談しようがなにをしようが此方は構わない。けれど僕達の婚約は完全に成立している。固い条件の基でね。
君達の都合で婚約が左右するほど、甘い関係じゃないんだよ。鈴理。
もう充分に分かっているだろう? 財閥の都合は庶民出の彼には負担なんだよ。二度も、三度も、同じ苦痛を味わわせるつもりかい?」
眉根を寄せた御堂先輩の手厳しい発言に、「そりゃそうだが」けどよ、大雅先輩が会話に割り込んでくる。
「けども何もない」
有無言わせず、冷たく突き放す御堂先輩は小さな吐息をついて肩を竦めた。
「僕達の我が儘だけで物事が通るほど現状は甘くないんだよ。君達はその状況を目の当たりにしているだろ? 彼には背負うものがあるんだ。僕だって財閥の世継ぎ問題が残っている。申し出は受け入れられない。さあ、豊福を返してもらおうか」
「ちょ、待てよ玲。お前、あの時は鈴理と勝負してみてぇって言ってたじゃねえか」
聞く耳を持たない御堂先輩に焦ったのか、大雅先輩が一歩前に出る。
それを制したのは鈴理先輩だった。片腕を挙げて制す彼女は、「安心したぞ」
「すっかり空の王子じゃないか。誰よりも守るべき奴の気持ちを優先する。あたしがあんたの立場ならそうしていると綻んだ」
意味深に笑みを返す御堂先輩は当然だと返す。
伊達に王子宣言したわけじゃないからね、軽い嫌味を飛ばすけれど纏う茨は少ない。そんな彼女に笑みを返し、鈴理先輩は話を切り出した。
「あたし達の婚約は不本意だった。同じようにあんた達の婚約も不本意だ。純粋な婚約じゃない。あんたはそれが嫌で堪らない筈だ。特にあんたの祖父が決めた事なら。あんたはすこぶる祖父を嫌っているからな。向こうの言いなりになりたくはないだろう」
王子が素っ気なく鼻を鳴らす。図星なのだろう。
「例の件で成立した不純な婚約ならあたしが付け入る隙はある……付け入る? いや返してもらうだけだ。あたしの所有物を。
なんたってあんたは人の所有物をスったのだからな! 確かにあたしはヘタレていたが、所有物を手放した気はさらさらない。終わりにすると空と会話した気もするが、別れるとは言っていない。一言も言っていない。
スリは犯罪だぞ、玲。泥棒猫など可愛い言葉は使わん。あんたはスリをして所有物を盗んだ! だから返してもらうのだ。あたしの所有物を」
なんて、素晴らしい、あたし様の演説なんだ。
少し離れている間に、鈴理先輩のあたし様、レベルアップしたかも。言っていることがすっげぇ傲慢だ。
彼女の演説により、空気が一瞬にして氷点下までさがった。
引き攣り笑いを浮かべ、「可愛くない性格をしているね」君のような女性を口説く気にはなれないな、と片眉を微動させた。
「大体スリだって?」それは聞き捨てならない単語だとこめかみに青筋を立てる王子に事実だとを舌を出し、鈴理先輩は腕を組んでつーんとそっぽ向く。
「あたしの物を盗ったではないか。犯罪だ!」
「聞き捨てならない。君から手放したんだろ? 僕は……、そうだな、例えるのならば落し物を拾っただけだ。素晴らしい落し物だったがな」
「ならば持ち主に返すのが筋だろ! まったく、良識のない女だな」
……鈴理先輩ってこんな人だっけ?
遠目でやり取りを見守っていた俺は、傲慢なあたし様にいつまでも三点リーダーを出していた。
ついでに俺って物扱いなんだ。者扱いじゃなくて物扱い。べつにいいんだけどね。今更な疑問だし。
「玲、あたし達の我が儘だということは分かっている。だが、どうしてもあたしは決着をつけたい。あんたや玲、大雅と空の決着を。自分自身のためにも決着をつけたいのだ。三ヶ月内に破談できなかったら、あたしは婚約者の二階堂大雅を抱き、受け男にすると約束しよう!」
間。間。間。「あ゛?!」悲鳴ひとつ。
「ちょ、待ちやがれ! なんでそこで俺を出しやがる! 受けっ、はぁあ?!」
これは打ち合わせに無かったらしい。寝耳に水だと大雅先輩が間の抜けた顔を作っている。
「何を動揺している。当然の条件だろう?」
「待て待て待て。だからって俺が豊福みてぇになるのかよっ! それ、超絶俺様が可哀想じゃねえか!」
それ、どういう意味っすか! 俺に喧嘩売ってます?!
「あたしは攻め女だぞ? あんたは必然的に受け男になるだろう。大雅が言ったではないか。付き合ってやるって。だったら最後まで付き合え。あんたとあたしは運命共同体だ」
当然の如く鈴理先輩がのたまうもんだから大雅先輩が引き攣り笑いを浮かべた。
「俺が抱く方だっつーの」どうにか反撃の糸口を見つけても、「阿呆だろ」あんたみたいな男があたしを抱けると思っているのか? 図体だけはでかいがな。と、まあまあ、あたし様は一歩も引く様子がない。
寧ろもしも駄目だったら立派な受け男として教育してやるから安心しろ、と不要な励ましを送っていた。
「こいつとだけは結婚できねぇ」
結ばれた日には何されるやら、某俺様は悲壮感を漂わせている。
いや、鈴理先輩は悪い人じゃないと思うっすよ大雅先輩。受け身だって慣れてしまえば、まあ、なんてことない(わけでもないけど)。
「玲。あたしは覚悟を決めてあんたを呼び出したんだ。それこそ、この三ヶ月で勝負を決めてしまうつもりだ。あたしはまだ空が好きだ。が、自分の不甲斐なさゆえにこんな事態を招いてしまった。あたしと空の間に生じた亀裂はあたし自身にある。それは空にも申し訳なく思っている。身分のことを気にしていた空の不安に気付いてやれなかった。
だが簡単に諦められるほど、あたしの気持ちも安くない。
だからプライドを賭けて宣戦布告をさせてもらう。必ず三ヶ月内に婚約を白紙にし、あんたと勝負をして空を迎えに行くと。
それまであんたは正式に婚約を結ぶのもよし。空を落とすのもよし。キスは勿論、セックスも、あー……し、仕方がないから許してやろう。婚約しているのだ。それくらい当然だろうし、何をするのもあんたの自由だ。不覚ながらあんたは空を支えてくれたようだからな。
しかし、セックスしようが何をしようが簡単には終わらないぞ。玲。それだけ本気だとあんたにぶつけておく」
一呼吸置く鈴理先輩の顔は堂々としていた。一点の曇りもない。
「この宣言に反し、三ヶ月以内に破談できなかったら、もしくは空が完全に玲に落ちたのならば、あたしはこの身を引こう。以降は一友人としてあんた達を祝福し、応援していく立場でいるつもりだ。
あんたの本気があたしより劣っているのならば、あたしは容易に空を取り返せるだろうがな」
黙って聞いていた御堂先輩が肩を震わせる。
次の瞬間、大きく笑声をあげた。
どこからその自信は生まれるのやら。それでこそ僕の好敵手だと一頻り大笑い。目尻に溜まった涙を親指で拭い、「いいね」僕としては君と張り合ってみたくなったよ、シニカルに口角を持ち上げる。乗り気になったようだ。
「僕も反則プレイで豊福の側にいるようなものだからな。これくらいの刺激は欲しかったんだ。豊福の心を完全に奪っているわけじゃないしね」
「ならば受けてくれるな?」
「いいや」御堂先輩は首を横に振った。
むっと眉根を寄せる鈴理先輩に、「僕は受けてもいい」寧ろ勝負を受けたい側だ。けれどね、彼の意思は無視できないんだよ。王子がこっちを見てきた。それまですっかり蚊帳の外に放られていた俺はやっと自分が話の輪に入れたことを実感する。
三つの視線を受け止め小さく息をつく俺に、「空」あたし様が同意を求めてきた。間髪容れずに返事する。「お受けできません」
「おまっ。鈴理にとっちゃ、一世一代の告白だぞ。チャンスぐれぇいいじゃねえか」
「大雅先輩。ぶっちゃけ、俺は自分のことで一杯いっぱいなんですよ。今の俺は二財閥の行く末より、御堂財閥の将来が大切なんです。御堂先輩の言うとおり、俺には俺の背負うものがあります。その勝負一つで未来が変わるかもしれないのならば、余計に反対です」
それになんのために、俺が身を引いたと思っているんだ。
苦々しく笑って提案者に詰問した。彼女の父親の英也さんは鈴理先輩に幸せになってもらいたいから二階堂財閥に娘を託している。俺も幸せになって欲しいから、友人でいようと思った。
婚約を破談するということは、それらの気持ちを蹴るということ。その覚悟はあるのだろうか?
なにより俺があの時、どんな思いで別れ話をしたか。
最後だからと何度も何度も溺れるようにキスをしたのか。良き友人でいようと思ったのか。無理してでも笑顔で貫いていたあの日すらあった。
……やっと御堂先輩の想いを受け取れる余裕が生まれ始めてきたんだ。王子を好きになりかけている。そっとしてしておいて欲しい、俺を引っ掻き回さないで欲しいというのが本音も本音だ。
「すまない空。我が儘や無理を言っているのは承知の上だ。しかし、あたしは今の道が幸せだとは思えないのだ。大雅と婚約した道は、あたしが選んだ道ではない。ゆえに幸も不幸も誰かのせいにしてしまうだろう。あたし自身、その道に自分の気持ちを置いていないのだから。今のままでは不幸せなんだ。あたしは未だにあんたのことが好きなんだよ」
俺も大概で勝手なことをしてきたけど、それを上回る身勝手さっすね、鈴理先輩。
お付き合い以前から分かっていたことっすけど、改めて思います。貴方はとても身勝手な人です。ほんっと勝手だ。腹が立つ一方で愛しさを感じる自分が馬鹿でしょうがない。
嗚呼、忘れかけていた気持ちが再び脈を打ち始める。麻痺していた御堂先輩への想いが解かれそうで恐ろしい。
けれど次の瞬間、脳裏に過ぎるのは過労で倒れた母さんや、俺に謝罪していた父さんの姿。御堂夫妻の優しさ。そして俺を受け入れてくれた御堂先輩の笑顔。
俺は鈴理先輩の隣を並んでいたあの頃の“俺”じゃない。
「やはりお受けできません。好意は嬉しいですが、俺には守るべき人達がいるんです。分かるでしょう? 貴方には貴方の守りたい人がいる。同じように俺には俺の守るべき人達がいるんですよ。もし勝負のことが御堂夫妻に知られたら申し訳も立たない。あなた方の都合に付き合えるほど、俺もお人よしじゃない」
「……空」
「母さんが倒れた日のことを憶えていますか? あの人は俺を取り戻すために、馬鹿みたいに働いて倒れたんですよ。分かります? 俺一人の行動で家族が左右されるんです。そういう立ち位置にいるんですよ」
どんなに悲しそうな表情を浮かべられても、俺には受けられない申し出だ。
悪役に立たせられようと構わない。現実的にも許しがたい話しだし、俺の優先すべきことは御堂家財閥の将来なのだから。
話は終わりだと言い、早く解放してくれるよう手足を動かした。
受けられない物は受けられないし、他人の都合に合わせるほどお人よしでもないんだ。こうしていても時間が過ぎるだけだと主張する。
するとズンズンと大股で大雅先輩が歩んできた。こっわい顔をして来るもんだから、もしやキレて殴りに来たのか? と身構えてしまう。案の定、右手で胸倉を掴んできた。これはやられる。
「た、大雅。暴力は駄目だ!」
「チッ、暴力に運ぶなら僕もこの話はなかったことにするからな!」
二人の喝破する声と、
「何かあれば俺が責任を取る。だからあいつの、最後の我が儘を聞いてやってくれ」
大雅先輩の小さな声が重なった。
二人にはよく聞こえなかったみたいだ。
俺様は小声も小声で俺に自分の気持ちを伝えてくる。
今まであいつはとても落ち込んでいた。自分の人生の価値すら見失っていたほど、財閥や両親に絶望していた。
その彼女がやっと立ち直りかけている。我が儘だって分かっている。都合にばかりつき合わせているのも理解している。申し訳なくも思っている。お前にだってご両親のこと、婚約のこと、将来のことがあるのも分かっている。
けれどこの機会を逃させたくはない。
「豊福、これっきりだ。俺達の都合で振り回すのはこれっきりにする。だから……お願いだ」
そう言って手を放してきた。
まさか俺様からそういう頼まれ方するとは思わなかった。今の調子じゃ、俺が土下座しろっつったらしてくるんじゃないか?
「無理ですよ」「ああ」「無茶っすよ」「分かってる」「勝手過ぎますよ」「悪い」「俺の気持ち分かるでしょう?」「それでも、だ」「許されないんっすよ」「ごめん」「でも引かないんですね」「頼む」「俺の立場すら考えてくれない」「何か遭ったら俺が責任取るから」
「何が責任を取るっすか。俺の行動一つで家族がどうなると」
「俺が助ける。お前と、お前の家族を。ぜってぇに。約束する」
「……胡散臭い約束っすね。取り敢えずこれ、解いて下さい」
静かに訴えると大雅先輩がネクタイの拘束を解いてくれた。
やっと自由になれたと手首を鳴らし、足首を軽く回す。
シャツのボタンを留めつつ、皆勝手だと俺は愚痴った。あからさま声が不機嫌になっているのは感情が露になっているからだろう。
「結局、だあれも俺の都合を考えてくれない。なんだかんだで自分達の我が儘に付き合えと言ってくるばかり。なんっすかね、本当に」
非常に不愉快だと肩を竦めた後、「俺は御堂財閥のもの」如いては御堂先輩のもの、決定権は俺にないとぶっきら棒に伝えた。
御堂先輩が望んでいるのならば、此方は見守るのが最良の策。
今の俺は御堂家に尽くさないといけない立ち位置だ。止めたいのは山々だけど、御堂家長女の意思を無視することはできない。すべては御堂先輩の返事次第なんだ。
「御堂先輩はこの勝負を受けたいんですか?」
「ああ。受けたいよ。僕は鈴理から君との関係を奪うことには成功した。だけど、心は奪えていない。君の心は君自身のもの。無理やりじゃなくて、僕の力で此方に向けさせたい」
「勝負をしなくても落ちかけているのに?」
「このまま安全に君を落としたとしても、僕は鈴理には勝てないと知っているよ。あいつなら博打に出る。現にそうして君を手に入れた。そうだろう?」
頑なに勝負を受けたいと王子。
落ちかけている旨も伝えているのに、彼女は俺のため、自分のため、何より好敵手のために、勝負を受けようとしている。
ああ、そうか。御堂先輩にとって鈴理先輩は好敵手でありながら、一方で友人。放っておけない存在なんだろう。
俺には分からない女の友情を目にし止める術はない。参った。
怒ればいいのか、嘆けばいいのか、それとも復活した鈴理先輩を見て喜べばいいのか、どうすればいいのか分からないよ。
「分かりました。俺は御堂先輩の気持ちを尊重します。もう何も言いません」
あたし様俺様を一瞥すると向こうの表情が和らいだ。
礼を言われたけれど、それには鼻を鳴らして受け流す。
俺の返答をある程度、見透かしていたのか御堂先輩が肩を竦め、「三ヶ月以内だ」君達の本気とやらを見せてくれ。と二人に告げる。
「普通に考えても内輪の婚約式を終えている君達が、三ヶ月以内に破談できるとは思えない――それでも三ヶ月だ、鈴理。君がそう期間を決めた以上、延長は許されない。婚約を白紙に費やす期間は今日から三ヶ月。
それまでに婚約をまっさらにして豊福を迎えに行くなり、奪いに来るなり、好きにするがいいさ。君の本気を僕に見せてみろ。
君だけ奔走するのはフェアじゃないから僕は僕で三ヶ月、正式な婚約式を挙げられるよう努力しよう。不本意ではなく、今度は本意だと言えるように。
だが一つ忘れるな、鈴理。
豊福は“例の件”で身動きが取れないということを。ご家族のこともある。軽率な行動は控えてもらうぞ。破談できたら僕と勝負させてあげるよ。豊福を賭けてね」
「あーあーあー。そんなこと言っちゃって。源二さんや一子さんに叱られても知らないっすからね。これでも契約を交わした関係なのに、もし負けたらどうするんっすか。お二人への言い訳は先輩が考えて下さいよ」
嫌味を飛ばしてもなんのその。
「僕が負ける人間に見えるかい?」自意識過剰な発言をして俺を見てきた。「勝つことを願ってますよ」憮然と肩を竦めて返事する。
ふふっと笑声を零す御堂先輩は勝つのは僕だけね、とウィンクして鈴理先輩に宣戦布告をした。
「彼を“解放”するのは僕だよ。鈴理。君達が破談で奔走している間に決着をつけてやるさ。“解放”することができたら今度こそ、僕達は本当の関係になれる。そう、手段は一つ。見つければいいのさ。不幸のどん底に貶めた“人間”の行方をね」
“解放”の意味を察しない俺じゃない。
彼女は豊福家が追った借金について述べているんだ。確かに俺達に借金を押し付けた張本人を見つけ出すことができたなら、俺達家族は借金から解放される。判を押していないことを法的に証明することができれば慰謝料請求だって夢じゃない。
けれど、それは無理だと踏んでいた。蒸発した人間を探すことがいかに難しいか、高校生の俺でも容易に見当がつく。
だけど御堂先輩は本気らしい。
俺が無理だと促しても聞く耳を持たず、「僕は優しいからね」手段も一緒に教えておいてあげる。勝負と並行して行動してもいいよ、と不敵に笑った。
同じ表情を作る鈴理先輩は破談と同時に勝負をつけてやると意気込んでいた。
言葉が出なかった。
勝負の決着は婚約破談と俺の家の“借金問題”なのだと理解し、なんて反応すれば良いか分からない。人の家庭事情を勝負事に持っていくんじゃないと怒ればいいのか、それとも。
「勝つのはヒーローと名乗るあたしだ。なにせ、あたし達は王道カップル。幾多の苦難を乗り越えてこそ、真のヒーローとヒロインは結ばれるのだ。第二ヒーローの立ち位置など、大体決まっている。どんなに優しくヒロインに接しようが行く末は失恋だ!」
「勝つのは王子と名乗る僕だよ。今の世の中テンプレカップルなんて受けが悪い。第二ヒーローがヒロインと結ばれることだって多い。今まで散々勝手なことをしてきたその性格じゃ、結ばれるどころか勝負しても敗北の二文字しか見えないね」
「腹黒女。言ってくれるではないか」
「泣き虫毛虫いじけ虫が、いけしゃあしゃあと何を言っているんだい?」
ばちばち、途方に暮れている俺の目の前では攻め女の火花が散っている。
これはあれか。俺のために争わないでイヤー! な展開か。
「空の性感帯を開発したのは、誰でもないこのあたしだ。あいつはあたしでないと満足できない。はぁ、許してと乞うあいつの姿をもう一度目にしたいものだ」
「豊福は随分キスが下手くそなんだね。誰かさんは、キスのやり方を教えていなかったようだ。これからは僕がちゃんと教えてあげないと」
「……チッ、ディープをしたな。空のキス下手はわざと放っておいたのに。縋る姿が可愛いから、わざと、敢えてわざと」
「あ、やっぱりわざとか。確かに縋る姿は可愛かった。初心者の僕より、断然下手くそだとは……うーん、教えるのも勿体ない気がしてきた。鈴理、あと何処が性感帯だって?」
「言ってやらん。あーんなところとか、こーんなところか、そーんなところとかを弄って赤面する空を見るのはあたしの特権なのだから」
「……チッ、容赦していた僕が馬鹿みたいだ。もっと積極的に触れないと。開拓していない場所が絶対にある筈だ」
ぎゃー! やめて、俺の性感帯のことで争わないで! こっちが死ぬ、恥ずかしさのあまりに爆死する!
「万が一の話だが、もし白紙にできても“勝負”によってあんたに負ける可能性もあるだろう。その時はこれをあんたに譲る」
負けたらこのアルバムを玲にスペシャルなプレゼントする、と鈴理先輩。
「アルバム?」首を傾げる御堂先輩の余所で、「あれ見覚えがあっぞ」大雅先輩が遠目を作った。なんのアルバムなのだろうか? 疑問に思っていた次の瞬間、ページが捲られ、俺は絶句せざるを得ない。
あ、あれは俺の写真じゃないか! しかも撮らせた覚えのない写真ばかりっ!
「これはあたしの大事なコレクションだ。学校生活は勿論、プライベートで盗った、おっと間違えた。プライベートで撮った空の写真がたんと詰まっている。例えばこれは空が数学を受けている姿。こっちは学食堂でメシを食っている姿。これなんて空の執事服姿だ。我が家の召使服を好んで着たんだぞ」
好んで着た覚えはないんですけどね! あれを着た原因は竹光さんの勘違いっすよ!
「中でもこれはスペシャルでな」鈴理先輩がアルバムから一枚の写真を取り出した。
それは体操着姿の俺。写真写りからしてバスケをしている模様。パスされたボールをジャンプして受け止める姿が一枚の紙に閉じ込められている……極最近の写真だな、あれ。今、まさにバスケの授業をしているもん!
「す、鈴理。それはスペシャルじゃないか!」
と、ここで御堂先輩が声を上げた。
ただバスケをしている俺の姿の一体何処がスペシャ「腹チラじゃないか!」………………腹チラ。
「その写真。ベストショットで豊福の腹チラを上手く捉えているッ…、なんてグッドでスペシャルな!」
「そう。チラリズムは非常に萌えだ。簡単には撮れないぞ、この写真! ヘソが見えるか見えないか、このラインが堪らないのだ! 他にも秘蔵の写真がいっぱいだ。負ければこれをあんたにプレゼントする。それほどあたしは本気だ!」
「美味し過ぎる」さすがは豊福と同校生、こんな美味しいイベントショットが撮れるなんて。あれは欲しい、絶対に欲しい。御堂先輩が燃えた。間違った方向に燃えていた。勿論俺は「……」である。
「じゃあ君が勝てば僕はこれをプレゼントしようか」
王子がスマホを取り出す。
画面をタッチすると、待ち受けにしている画像を筆頭に秘蔵の画像をやると画面を突きつけた。
先輩達と一緒に画面を覗き込む。
「ゲッ!」俺は声音を張った。画面の向こうにはやや浴衣が乱れた俺がっ、あぁああ、これは俺が足が痺れた時の! いつの間に撮ったんっすか!
「な、なっ、空の卑猥な画像か?! 無防備にも片足をあげてっ、なんてエロイ格好だ」
「ち、ち、違うっす! エロくないっす! あれは足が痺れて動けない俺なんですよ! 御堂先輩が意地悪して足を掴んだ結果、こんな無残な画像になったんっす!」
「正座慣れしていない初々しい豊福を写メにおさめてみた。同棲しているんだ。これくらいのイベントがあってもいいだろ? 君が勝ったら、この秘蔵の画像をやろう。滅多にお目にかかれるものじゃないぞ」
「言ったな?」だったらあたしが勝ってそれを渡してもらおうじゃないか、握り拳を作って闘争心を滾らせるあたし様が後で泣くなよと不敵に笑う。
「泣くのはどっちだろうな」同じ表情を作る王子は、せいぜい頑張ることだと結っている長い髪を微風に揺らして皮肉を零した。
俺はといえばその場で両膝をついて涙を流していた。
お二人とも闘争心を滾らせる理由が不純。もっと女性らしい振る舞いをして下さいよ。こんなこと、普通の女性はしないっす。攻め女とかそんな問題じゃない。これは立派な盗撮だ。
「なあ豊福。受け男ってあんなことされなきゃいけねぇのか? だったら俺、死んでも受け男にはなれないんだが」
「お前、あんなことされて幸せか?」しゃがみ込んだ大雅先輩が俺に尋ねてくる。
バカヤロウっす。幸せっすよ。女性からこんなに愛されてるんっすから、幸せっ……ただちょっと愛が重い。漬物石くらい重い。いや鉛……とにかく重い。
「盗撮はちょっとっ……ちょっと」
「やることが犯罪の域だもんな。リード権を奪われるだけでも苦痛なのに」
そうなんだよな。彼女達のやることはえげつないこと極まりない。
ズーンと落ち込んでいると、「豊福帰るぞ」御堂先輩に声を掛けられた。どうにかショックから脱し、ゆらっと立ち上がった俺は鞄を持つと逸早く教室の扉へ向かう。
背後では、
「鈴理。同じ学校だからと言って豊福を襲うなよ」
今は僕のものだから、しっかりと釘を刺していた。
不機嫌に返事する鈴理先輩はキスもボディタッチもすべて我慢すると言って鼻を鳴らしている。
そんな彼女に嫌味ったらしく笑う御堂先輩は、「お手並み拝見だね」三ヵ月後が楽しみだと肩を竦め、扉の枠に寄りかかっている俺の下に足先を向けた。「勝手なんっすから」愚痴る俺に、「ごめんごめん」でも刺激が欲しかったのだと御堂先輩がおどけて廊下に出た。
彼女を追おうとした足は、背後にいたあたし様によって止められてしまう。顧みることはない。
「空。勝手ばかりするあたしを怒っているか?」
「怒っていないように見えますか?」
「いや」激怒しているように見える、彼女が苦々しく笑った。
そのとおりだ。俺は怒っている。激怒まではいかないけれど、それなりに腹を立てている。
「勝手な人だと分かっていた筈なんっすけどね。貴方の行動力の大きさには度肝を抜かされてばっかりですよ」
一方で……結局俺は鈴理先輩の我が儘には弱い男だ。遺憾なことに。
「先輩は馬鹿っすね。一人の男のために、自分の人生を棒にふろうとしているんっすよ。おとなしく大雅先輩と婚約しておけば、約束された将来の道が続いているのに。俺なら、さっさと諦めてしまうところっすよ。執着するほどの価値もありませんし」
「あたしには価値がある。あんたにすら分からない、大きな価値がな」
「俺は婚約者贔屓しますよ。貴方の応援はできません。俺は御堂先輩の婚約者。家族のこともあります。知ってのとおり、俺は家族至上主義。こんな馬鹿げた宣戦布告、俺は嫌ですけど御堂先輩がどうしてもと言うので承諾します。
貴方の覚悟と気持ちも分かりましたしね。三ヵ月、何が起きるか分かりませんが、何も変わらなかったらもう俺にアプローチするのはやめて下さい。貴方の気持ちを受け取れるのはこの三ヶ月間だけ。三ヶ月を踏ん切りにさせてもらいます。それでも良いっすか?」
「ああ、そうしてくれ。その方があたしも引き摺らずに済む」
「俺は御堂先輩のことを好きになっている。それを忘れないで下さい」
「知っている。あんたの雰囲気を見れば。けど、まだあんたの心にあたしがいることも見て分かる。だから狙うのだ。いや、あんたが誰を見ていても構わない。あたしはあたしの意思であんたのヒーローになりたい。豊福空は必ずあたし自身の手で奪い戻すさ」
厳しいことを言っているのに、彼女の声は清々しいまでに明るい。きっとあどけなく笑っているのだろう。覚悟は生半可な物じゃないんだな。
だから俺はつい、余計なことを言ってしまうんだ。
「今の貴方の気持ち、受け取っておきますね」
今度こそ御堂先輩の後を追う。
野次馬の視線を無視して王子の隣に並ぶ。「必ずっ」かならず迎えに行くから、追って来たであろう鈴理先輩が俺に向かって宣言してきた。
無理だと思った。
簡単に英也さん達が婚約を破談するとは思えないし、俺は俺で借金の件がある。御堂先輩は俺の借金を気に掛けてくれているみたいだけど、現実はそんなに甘くない。肉食お嬢様の決意は無謀だと思う。
なのに彼女に何か言いたくなるのは、俺の麻痺していた一感情が疼いたからだろう。
「体には気を付けて下さいね」
足を止めず、振り返らず、けれども相手に聞こえる声で俺の気持ちを伝える。
応援はできない。何故なら俺は御堂先輩の婚約者だから。俺の気持ちを伝えることも不可。何故なら俺は御堂家のために生きろと言われているから。迎えに行くと言う彼女に待っていると返事することも無理。何故なら俺はこの現状を打破することなんて不可能だと考えているから。
なら、相手自身の体を心配しよう。
彼女は無理すると食事すら抜いてしまいそうだから。
ちゃんと食事をして、睡眠をとって、元気よく健康的に過ごしてくれたら、俺はそれでいい。これ以上の幸せは望まない。
でもね、鈴理先輩。
本当は貴方に言いたかった。ここまで想ってくれて本当にありがとう、と。
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