11. つけ込んだのは王子か、俺か


 日が暮れてしまった空を仰ぐ。

 どれほどの刻が過ぎたのだろう? 二の腕に寒気を感じた頃、さと子ちゃんが俺の浴衣から手を放し、袂に入れていたハンカチで涙を拭った。


「もう、大丈夫です。ごめんなさい」


 俺が好きでしたことだ。

 相手に一笑し、その場に尻をつける。長時間しゃがんでいたせいか、足が痺れた。浴衣が汚れてしまうけれど、是非とも座らせて欲しい。

 鯉も一向に人間が餌をくれないと知るや、池の隅で動かなくなっちまった。寝たのかな?


「すっきりした?」


 俺と同じように地べたに座るさと子ちゃんはうんっと頷いた。

 ただし自己嫌悪はしっかりと残っているようで、真っ赤に腫らした瞼をそのままに膝を抱えてしまう。彼女の口から漏れたのは、疲れたような溜息だった。


「ドジが治ればいいのに。アガリ症だし。空さまに、初対面の時だって無礼を」


 うーん、美しき笑い話として今は記憶しているよ。

 人様のパンツかぶったり、お茶を引っ掛けれたり、変態と罵られたり、散々な思い出も今じゃ笑い話だ。


「さと子ちゃんって凄いよな。此処に住み込みで働いているんだろ? こういう仕事って大変だと思うんだけど。学校は?」


 夜空を見上げながら、ありきたりな世間話を切り出す。

 彼女は快く便乗し、身の上話を語ってくれた。


「通信制に通っているんです。私の夢……舞台女優になることなんですよ」


 へえ舞台女優。

 意外だな、さと子ちゃんすっごいおとなしいから舞台とは無縁そうだけど。


 さと子ちゃん曰く、御堂先輩と同じで芝居がとっても好きなんだって。

 親の反対を押し切って上京し、舞台の勉強をしながら学校に通っているらしい。既に劇団には入っているんだって。凄いよな、感心しちまう。でっかい夢を持っているさと子ちゃんが輝いて見えた。


「私、普段がドジばかりだからお芝居をしている時、違う誰かになれて凄く楽しいんです。いつか、お芝居をしている姿を人に観てもらって感動してもらったら、と夢を見てるんですよ。住み込みで働いているのも、此処のお給料が良かったからなんです。お住まいも頂けますし」


「それこそ大変でしょ。学校に劇団、此処のお仕事が重なって」


「辛くないと言えば嘘になります。だけど自分で決めた道ですから、弱音は吐きたくないんです……お仕事では弱音吐いちゃいましたけど」


 「でもお芝居だけは絶対に……」熱弁するさと子ちゃんがハタっと我に返ってすみませんと小さくなる。

 首を横に振り、「羨ましいや」と彼女に笑みを向けた。

 俺は今までこの学校に入りたいから、親が楽できるから、この現状を打破したいからって目標を掲げてきたけど、さと子ちゃんみたいな夢は持ったことがない。だからこそ彼女が大きく見える。


 自分で決めたから、か。

 分かるよ。俺も周囲の反対を押し切ってエレガンス学院を受験した。バイトだってそうだ。誰に言われたわけじゃなく、自分で決めたんだ。自分で決めないと、人生虚しいもんな。後悔した時、きっと誰かのせいにしちまう。


「お芝居はともかく、私はこの仕事に向いていないのかもしれません」


 しゅんと落ち込むさと子ちゃんはドジばっかりだから、と自分の不器用さを嘆いた。

 けれど普通のバイトをできる気もしないらしい。以前、地元の飲食店でバイトをしてドジすぎるゆえにクビになったそうだ。

 なにより住まいと給料の良いこの仕事を失うのは手痛い。上京してまだ三ヶ月。実家に帰ることだけはしたくない。なら我武者羅に頑張るしかないのだけれど……鬱々と吐露するさと子ちゃんはすっかりしょげ返っている。


 シビアな現実に打ちひしがれているさと子ちゃんは、きっと生活が安定せず、気張ってばかりなんだろうな。

 そりゃそうだ。新しい土地で、新しい生活、学校、仕事に劇団。東京での暮らしは不慣れなことばかりだろう。性格上、積極的に友達を作るタイプでもなさそうだ。


 さと子ちゃんは頑張りすぎている。どの仕事にも気合が入っている感がするんだ。

 自分で決めた道だからって必要以上に頑張っているんだろうけど、たまにはリラックスもしなきゃな。


「さと子ちゃん、和菓子は好き?」


 前触れもない問いに「へ?」隣から間の抜けた声が上げる。

 大好きだと返事を貰うと、彼女に微笑した。


「なら良かった。俺のバイト先は和喫茶店なんだ。遊びにおいでよ、サービスするから」


 申し出に目を白黒させるさと子ちゃんに、


「屋敷の中じゃ主と女中だけど、外に出たらただの一同級生だよ。今度地元を案内してあげるから、楽しみにしててね。あ、他の女中さんには内緒だよ」


そう言って俺は遠まわし、新たな申し出をした。

 それは友達になりませんか? という、ありきたりな申し出。意図を察したさと子ちゃんの泣きっ面に少しだけ晴れ間が見えた。


 からかうために、ウサギの目になっていると相手の顔を指摘。

 慌てて顔を背ける彼女に一笑を上げると、一変して脹れ面が出来上がる。それもすぐに崩れ、一緒に声を上げて笑う。


 「携帯持っている?」「はい」「じゃあ連絡先を後で交換しよう」「はい!」「あ、でも。俺、交換のやり方わかんねーや」「そうなんですか?」「機械音痴なんだよ」「なら私がしてあげます」「ありがとう」


 はじめて御堂先輩や博紀さん以外の人と他愛もない話で盛り上がることができた。


 財閥の令息候補になって、はじめて出来た友達とも言える。

 さと子ちゃんも嬉しそうだけど、実は俺も大概で喜びを噛みしめている。密かに身近に価値観を共有できる庶民的な友達が欲しかったんだ。周りは金持ちだし、いくら御堂先輩といえど価値観の差異はある。


 うん。御堂家にいる時間が、これまで以上に楽しく過ごせそう。


 だからかな。

 俺はさと子ちゃんを積極的に自室へ誘い、一緒にお茶をした。

 未だに身分を気にする新人女中ちゃんは幾度も躊躇いを見せたけど、主の俺が良いと言えばいいんだ。なにより彼女が世話役を任されたのは、俺の話し相手となるため。

 でなければ、博紀さんだけで世話役は充分。俺もさと子ちゃんにお世話されようとは思わない。


 気にするさと子ちゃんのために、ちゃんと蘭子さんから許可も貰った。

 向こうは俺の申し出にすこぶる驚いていたけれど、いつになく機嫌の良い姿に何かを察してくれたのだろう。さと子ちゃんに今日の仕事は仕舞いだと告げ、しっかりと話し相手になるよう命じていた。今日の失態は明日叱ると付け加えて。


 お茶会は本当に楽しいもので、俺はさと子ちゃんと芋羊羹を食べながら談笑をした。

 さと子ちゃんの演劇の話、劇団の苦労や人間関係のストレス。失敗談に、ちょっとした面白話。それから通信制高校についての悩み事等々。


 通信制は全日制高校と違って、毎日授業がない分、送られる課題をこなさなければいけないらしい。またスクーリングの日には、まとめて授業を受けなければいけないようだ。

 住み込みで働きながら劇団で演劇を学び、更に高卒資格を取るべく勉強もしなければいけない。さと子ちゃんは俺以上に多忙な毎日を過ごしている模様。

 凄いよな、夢のために此処までするなんて感心するよ。


「空さま。あの、数学はお得意ですか? その……実は三角比がよく分からなくて。二次関数のグラフも。あ、一次不等式の解き方も」


 基礎数学の殆どが分かっていないと恥ずかしがるさと子ちゃんが、次のスクーリングの日にテストがあるのだと頭上に雨雲を作る。

 快く教師役を買った俺は、小一時間ほど彼女の勉強を見た。

 本当に数学が苦手なんだと分かるレベルではあったけど、一所懸命に問題を解こうとする姿はとても微笑ましい。俺も中学時代はこうして勉強に励んでいたっけ。



「ただいま豊福。おや、子猫ちゃんとお勉強会かい? 妬けるね」



 蘭子さんの宣言より一時間遅れ、九時過ぎになると御堂先輩が帰宅する。

 待ちわびていた王子の帰宅に心を躍らせてしまう。会いたかった顔がそこにある。それだけで笑顔になれた。

 友達が出来たことも重なり、俺は饒舌にさと子ちゃんを御堂先輩に紹介する。

 なんでもお見通す王子だから、すぐにこっちの機嫌の良さを見抜いた。優しく眦を下げ、「後で僕もまぜさせてもらうよ」


「豊福。僕は夕食に行くよ。君はその子と」


「あ、俺もまだなんです。ちょっと待って下さい。さと子ちゃんもまだだよね? 食べておいで」


 筆記用具をペンケースに仕舞い、教科書や参考書を重ねる。

 そうだそうだ、お茶はしたけど飯はまだだ。小腹が空くはずだ。


「なんだ。食べてなかったのかい」


「御堂先輩を置いて食べれないでしょう?」


「僕は構わなかったのに」


「源二さんや一子さんだって、できる限り一緒に食べるようにしているじゃないっすか。ああいう時間は夫婦にとって些細な楽しみなんでしょうね」


 言って大後悔、御堂先輩の意味深長な笑みが向けられたのだから。


「ということは、豊福も楽しみにしてくれているんだ」


 ほらもう、こうしてすぐ人のあげ足を取る!

 しょうがないじゃないか。王子を差し置いて、居候だけノコノコと飯を食うなんて図々しいにも程がある。

 それに、ああもう、そうだようるへぇよ待っていたんだよ。楽しみにしているんだよ、悪いかバーカ!


「はやく行きますよ。今晩の飯は何かっ、ひぁっ!」


 王子の脇をすり抜けて障子に手を掛けた瞬間、右の耳に生温かい吐息が掛けられた。おかげで大変よろしくない声を上げてしまう。

 瞬間湯沸かし器のように血を沸騰させてしまう。さ、さと子ちゃんがいる前でなんて声を!


「せ、センッパイ!」


 度の過ぎる悪戯に腹が立つやらなんやら、振り返って怒声を張る。

 悪びれる様子もない王子から啄むように唇が奪われ、その怒りもポーンと飛んでいってしまった。

 それどころか、「僕も同じ気持ちだ」くしゃりと頭を撫で、先に部屋を出て行ってしまう。Oh no! なんてことを……さと子ちゃんの前でなんて行為を。


「ああぁああの空さま。わ、私は何も聞いてませんよ。見てもいませんよ」


 わなわなと羞恥に震える俺を気遣い、さと子ちゃんが耳を塞いで目をぎゅっと瞑ってくれた。が、バッチリと聞かれたことも、見られたことも、把握済みである。

 寧ろ、その優しさがつらい。ああ、もう、まじでつらい。


 夕飯時はこのネタで盛大にお小言を吐かせてもらった。

 二人きりならまだしも、今日できたばっかりの友人の前で悪戯をしなくてもいいじゃないか! 右から左に聞き流す王子は、全然反省してくれなかったけどさ。



 飯が終わると、再びさと子ちゃんと合流。


 今度は御堂先輩の部屋でひと時を過ごす。

 最初こそ怖気づいていたさと子ちゃんは、俺を盾にしてブルブルと身を震わせていた。彼女の立場からすれば、御堂家の正統な血を継いでいる先輩は仕えて当然の人間。部屋に上がる行為は無礼にも程があると思っていたんだろう。


 けれど、俺が御堂先輩に上京のことや劇団のことを教えると、すぐさま彼女は話題に食らいついたんだ。御堂先輩がお芝居スキーにホッとしたのか、さと子ちゃんもすぐに打ち解けて口を開いてくれた。

 今では笑顔を零して御堂先輩と舞台の話をしている。二人の空気はすっかり友人だ。スマホを振ってLINEのアカウントを交換していた。


 御堂先輩の部屋には台本が散乱しているんだけど、暫く彼女達は読み合いっこしていたよ。

 今やっている舞台だけでなく、その資料。設定。スケジュール等々、記された本達がひしめき合っている。

 それを手に取って二人で大盛り上がり。本当にお芝居が好きなんだな。



 のらりくらりと三人でトランプを終えた頃、不意にさと子ちゃんが俺達に質問を飛ばす。


「お二人はどこでお知り合いになったのですか?」


 女の子が大好きな恋バナが始まったのだと察し、俺はつい苦い顔をしてしまう。

 困ったな。こういう類いの話題は苦手だ。知り合ったきっかけも、なんというか、かんというか「友人伝いだよ」

 惜しみなく答えたのは御堂先輩だった。そして、これまた惜しみなくさと子ちゃんに教える。


「元々豊福は友人の彼氏でね、縁あって交流会の日に顔を合わせた。最初の会話は酷いもクソもなかったな。まさか喧嘩を売られるとは思いもしなかったよ」


「はい端折った。いかにも俺が悪いような言い方をしてくれちゃって。最初に喧嘩を売ったのはどっちっすか」


 「僕だったな」ケタケタと笑い、王子は足を組んで胡坐を掻く。


「しょうがないじゃないか。僕は男嫌いなんだから」


「なら、なんで空さまを?」


 御堂先輩の笑みが濃くなる。


「理由はいくつかあるけど……そうだね、一番の理由は守りたい衝動に駆られたから。僕は豊福の、誰かを守りたいと思う"うそつき"な姿に一目惚れしてしまったんだ。既に誰かのモノだったけれど本気で奪いたいと、初めて思った」


 だから虎視眈々と狙っていた。奪える機会を。そして紆余曲折の末に婚約したのだと王子。

 この人は本当に大事なところを端折ってばかりだ。それじゃあ、まるで御堂先輩が無理やり俺を誰かから奪ったような物の言い草だ。


 違うのに。

 御堂先輩は誰より、俺が辛い時に傍にいてくれた。今も傍にいてくれる。

 それだけで俺は本当に幸せだと思えるようになった――もう、ただの先輩後輩じゃ無理だ。俺が満足しない。


「私の目にはお二人が相思相愛に見えます。どちらもお二人で過ごす時ほど、とても楽しそうにしていますもの」


「へえ、周囲の人間にはそう見られているのか。良かったな、豊福」


 うっ、これは決まりが悪い。

 御堂先輩の気持ちを知っておきながら、未練がましく元カノを想っている俺がいるせいで相思相愛になれていない。

 最近は断ち切れそうなところまできているんだよ、これでも!


「ああ、でも一つ勿体ないと思うことが……ちょっと接し方に壁があるんですよね」


 曰く、さと子ちゃんは俺達の呼び合う姿に隔たりを感じるとのこと。

 婚約しているのだから、もっと親しく呼び合えばいいのに。彼女は俺を指さし、「敬語も不必要なのでは?」と指摘してきた。


 言われてみれば、俺達は苗字呼びだ。結婚後もそれじゃあ不味い、よな。

 鈴理先輩の時は"無理やり"下の名前で呼び合う事件が遭ったから、自然とそうなったけど……うーん、それでも先輩に対しては基本的敬語だな。

 チラ、チラ、御堂先輩と視線を交わしてダンマリ。


「今日は学校で何をしたんだい? 空」


 先に壁を壊してきたのは御堂先輩だった。俺はモタモタと返事する。


「そういう玲こそ、何をしたの?」


 シーン。

 一室が静まり、いや、俺達が静まり返ってしまう。

 駄目だ、慣れない。先輩に対してタメ口とか慣れないし、呼び方も馴れ馴れし過ぎる! 大体呼び捨てで良かったのか? それとも玲さんか? 一つ年上だから玲さん、か?!

 まったく慣れない呼び合いに俺は大混乱、御堂先輩は照れ臭そうに笑って頬を掻く。


「これは恥ずかしいな。むず痒くなる。もう少し、時間が経ってからにしようか豊福」


 もーっと恥ずかしいことをしてくれるくせに、王子も呼び名については照れるんだな。

 内心で驚きつつも、俺は微苦笑を零して呼び方を元通りにする。レベルが足りなかったようだ。

 これで恋バナはお仕舞い、かと思いきや、さと子ちゃんは積極的に次の質問を飛ばしてくる。


「お二人ってどういうお付き合いをしているのですか? まるっきりカレカノが逆転しているような……さ、さっきのキスとかごにょごにょ。前は空さまを押し倒しごにょごにょ」


 どっ、一番触れて欲しくないところを!

 頭を抱える俺を余所に、「周りとはちょっと違うぞ」よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに御堂先輩の目が輝いた。

 「と言いますと?」同じ目の輝きを持つさと子ちゃんが彼女に質問を重ねた。完全に女子トークのスイッチ入ったよこれ!


「僕は王子で豊福は姫なんだ。立ち位置的に言えば、僕が男ポジションで、豊福が女ポジション。立場が逆転している。そう、例えばさと子が豊福の立ち位置なら」


 壁側に座っていたさと子ちゃんに迫って、どーんと縁に手をつく。

 迫られてあわあわと慌てふためく彼女に、「こういうやり取りをしているんだ」さと子さんの顎を掬ってにっこり微笑む某プリンセス。その破壊力はさと子ちゃんをマインドクラッシュするほどだ。

 傍観していた俺も顔を赤くしてしまった。やっべ、なんか様になっているよ。あの図。いかんいかん、女性同士なのにあの図。宇津木ワールドの逆を妄想した俺乙!


 ぷしゅーっと頭から湯気を出しているさと子ちゃんは解放されるや否やは両頬を包んで、「なんて激しいんでしょう」二人の関係はとてもお熱いんですね、と何やら納得した様子。


「しかも立場が逆転。禁断の扉を開けた気分です」


「そんなに疚しい関係じゃないよ! ちょ、ちょっと俺が押されているだけで!」


 聞いちゃない。

 彼女は顔を赤らめながら、全力で俺達の応援をすると言ってくれた。嬉しいんだけど、ゼンッゼン嬉しさがこみ上げないのは何故だろう?

 今日泣き虫毛虫になったことなど忘れ、すっかり元気になったさと子ちゃんがもっと聞かせて欲しいと、根掘り葉掘り恋愛模様を聞いてこようとする。


「そうだね、それじゃあ豊福の魅力についてでも語るか」


 誇らしげな顔を作る御堂先輩を全力で止めたのは言うまでもない。




 十と一時を回り、さと子ちゃんが一足先に退室する。

 自分の部屋に戻る時も彼女は俺達とまた話して欲しいと一笑してきた。


 口調は敬語のままだけど、俺達の関係は彼女の中で友人と固定されたようだ。

 御堂先輩もそれも望んでいたし、これで少しはさと子ちゃんも肩の力を抜いて仕事ができるんじゃないかな。心置けない人間がひとりでもいると気が楽だろうから。

 明日からの仕事もめげずに頑張って欲しい。


「優しいんだな豊福」


 さと子ちゃんと親しくなった理由を見越した御堂先輩が綻んでくる。本当に察しの良い王子だ。

 だけど、俺は誰かさんの真似をしただけだ。俺も、誰かさんのおかげで肩の力を抜いて今の日常を過ごせている。


 なにより勿体無いと思ったんだ。

 御堂先輩もさと子ちゃんも演劇が好きなのに、それこそ同じ屋の下にいるのに、演劇のことが話せないなんてすっごく勿体無い気がした。


 二人きりになったことにより、さっきまで盛り上がっていた熱が冷めていく。

 ひとり欠けたせいか、それとも俺が御堂先輩を意識しているせいか。どちらにしろ、あんまり長居していると先輩に変なところを見せそうだ。


「俺もそろそろ」


 静かに腰を浮かす。手首が掴まれ、無理やり座らせられる。


 早鐘のように心臓が鳴った。

 ぎこちなく首を動かせば、御堂先輩が柔和に微笑んだまま見つめてきた。

 ガラス玉のような瞳を恍惚に見つめ返す。じんわりと掴まれている箇所が熱くなってきたけど、それすら気にならない。どうしても目が放せない。


 ゆるりと彼女の空いた手が伸びてくる。

 撫でるように頬に触れてくる王子の、やや冷たい体温は、火照った俺の顔には心地よい。

 「逃げないの?」得意だろうと彼女。意地の悪い質問だ。逃がすつもりなんてないくせに。

 「攻めないんすか?」好きでしょうと俺。仕返しがてらに質問を投げる。首を絞めることは百も承知だった。


「ガードが強いくせに、この状況には警戒心は抱かないんだね」


 それとも単に鈍いのかな?

 こてんと首を傾げてくる御堂先輩の長い髪が、畳に向かって垂れる。結んでいる彼女も好きだけど、結んでいない王子も色っぽくて好きだな。ほんと。


 軽い現実逃避の後、俺は大袈裟に肩を竦める。


「白々しくカマトトぶった方が良かったっすか?」


 いくら受け男でも部屋に引き留められる意味が分からないほど、初心(うぶ)な馬鹿じゃない。そういう意味で引き留められたことも分かっているし、俺は承知の上で座りなおした。若干無理やりなところもあったけど、本当に嫌なら力いっぱい手を振り払っている。


「分かっていますよ、全部。そういう空気だってことも分かっています」


「そういう空気って?」


「……御堂先輩。ホンット意地悪さは天下一品ですね。感心するんですけど」


「ふふ、可愛い子ほど苛めたくなるんだ。豊福が僕を意識しているなら尚更」


 ばれている、俺が王子を意識していることが。

 だったら隠し立ては不要だよな。意識しているのは本当のこと。下手に否定しても意地悪されるだけだ。


「僕が気になる?」


「ならない方がどうかしていると思いますよ。俺に、これだけのことをしてくれているんだから。貴方は優しい。辛い時にはいつも傍にいてくれた。それに」


「それに?」


「先輩は異性として俺を見てくれる――だから俺は貴方に甘えてしまう。本当は駄目だって分かっているのに、いつかは身を引かなきゃいけない身分だって分かっているのに、俺は貴方の優しさにつけ込んでしまう。誰よりも傍にいたいと願ってしまう」


 御堂先輩が好きになってくれた男は、こういう汚い男なんだと相手に伝える。

 俺が抱く願望は許される我儘なようで、許される我儘じゃない。ひとりの女性に対する想いをなかなか断ち切れない、優柔不断な男なのだから自己嫌悪。未だに生半可な気持ちでいる。

 それなのに御堂先輩の好意につけ込んでいる。好かれていることを良いことに、のうのうと日常を過ごしている。


 王子が気になり始めた自分がいる、それに後ろめたさがあるのは鈴理先輩の影があるから。それも一理あるけれど、奥底では怯えている。俺はこの人を利用しているんじゃないか、と。

 借金のカタうんぬんとか言っているけど、本当は以前の問題なんだ。


「僕が優しい、ね」


 何を言っているのだと御堂先輩が妖艶に笑った。

 そのままの意味として受け取って欲しいのに、王子は優しいという単語を拒絶する。それどころか、すべては下心からだと不敵に口角を持ち上げた。


「好意につけ込んでいる? 違うね、君は全然ズル賢くない。つけ込むというのはね、弱っている相手の心の中に無理やり入り込むことなんだ。どんなことも見逃さずに。それこそ借金の事情すらも逃さずに」


 そう、自分は相手の弱味につけ込んで利用している。

 此方に好意を向けさせるために、破局の出来事も、借金の事情も、婚約すらも全部利用している。これが本当のつけ込みだと御堂先輩。勝ち誇ったように綻び、顔を覗き込むように身を乗り出した。

 チキンが身を引くと、彼女は逃がさないとばかりに詰め寄る。往生際の悪いチキンが座ったまま後退。

 あっという間に壁側に追い込まれ、鬼ごっこは終わった。


「これが優しい姿と言えるのなら、君はもう少し見る目を養うべきだ。僕は優しいんじゃない。君につけ込んでいるんじゃないか、と悩ませてしまうように仕向けているだけ。悩めば、君は僕だけを見る」


 「そこまでしても欲しいんだ」満目一杯に映る王子の両手が、「豊福が欲しい」人の顔を挟むように壁の上で添えられる。

 逃げ道を失った俺は間の抜けた顔で相手を見つめ返すことしかできない。

 お、かしい。肚の黒いところを見せられている筈なのに、恐ろしいとも、気持ち悪いとも思えない。


 それどころか心臓が痛い。馬鹿みたいに心臓が鳴る。顔が熱い。息が上手くできない。この人の本気を素肌で感じる。今までにないほど。


 ああ、そうか。俺は鈍感だ。

 御堂先輩は俺に攻める発言をしておきながら、こっちの気持ちを考慮して、普段は容赦してくれているんだ。


 俺達の関係は家のことが先に立っている。婚約は借金を媒体にして成立したもの。感情よりも先に家柄が立ってしまったものだ。俺達の感情が不一致している。

 だから御堂先輩は俺の感情と自分の感情が一致するまで、辛抱強く待ってくれている。惜しみなく優しさを向けているのは、一致する機を待っているから。

 そしてその機を見出したら、すかさず食らいつこうとする。今がその瞬間。まさしく攻め女と呼ぶに相応しい王子だ。


「趣味……悪いっすよ。もっと別の相手を好きになれば良かったのに」


 空気を誤魔化すために、苦し紛れの悪態をつく。

 優勢に立っている御堂先輩は余裕綽々に反論した。


「ンー、豊福も大概で女趣味が悪いよ。鈴理といい、僕といい、押しの強い女ばっかり気になって」


「……否定はできないですよ。もっと可愛げのある女の子が好きだった筈なんですけどね」


「今じゃ豊福が可愛げのある女の子だもんな。いつ見ても女物の浴衣姿は可愛いと思える」


「それ、御堂先輩だけっすから。女中さん達には不評を買っているん、で、すけどぉ」


 目と鼻の先に顔を近付けられ、俺の視線が斜め下に落ちる。

 努めて王子の胸元は見ない。見ないぞ。浴衣だとむっちりした乳が見えやすいことを俺は知っているんだ。ぽろり、なんて見たら顔に出る。

 「こーら」なんで逸らすのだと頬を挟まれた。なんとなくだと愛想笑いを浮かべるも、王子の真顔に何も言えなくなる。

 ううっ、この空気は……ちょっと不味いかも。


「豊福。僕を意識していると知った以上、もっと君の心に踏み込むよ。僕とちゃんとキスをしよう」


「きぃ、す……さっきしましたよね」


「僕と君がするキスは、いつだって不意打ちなものだから。意識し合うキスがしたいんだ」


 どうして本人がいる前で堂々と言えるのかな。そんな小っ恥ずかしいことを!

 羞恥を噛みしめる俺を余所に、「僕は鈴理と違って紳士だ」なによりステップを大事にするのだと王子。ケダモノ行為は主義に合わないと主張した。

 過去を思い返す俺は、ついつい遠目を作ってしまう。あれ、結構ケダモノ行為があったような……なかった……ような。


「意識し合うところまできたんだ。次のステップを踏んでキスをしよう。不意打ちじゃないキスを」


 そう、だな。

 昼間にもフライト兄弟に言われた。いつまでも引き摺るんじゃない、前進しろって。

 彼女を意識していることだし、ちょっとキスをしてみよう。王子を知ったら、もっと好きになれる自信が「舌は僕がいれるよ」……ステップとは一体なんぞや?


「麗しの王子様。あの、意識し合うキスが欲しいと仰られたじゃないですか。何故に舌が出てくるので?」


「豊福がいれたいの? うーん、ならそれでもいいよ。ただし、僕は初めてなんだから、お手柔らかに」


 やだもうこの人! ディープキスをする前提にお話をしている!

 普通さ、意識し合うキスって言ったら、触れるだけのものじゃん? なんでいきなり深いちゅーのお話になるの? ステップを踏むって言ったじゃん!


「先輩、まだディープは早いと思うんですけど」


「僕は君のために我慢しているよ?」


「だっ、だけどディープですよ。べろちゅーを」


「僕は君のために凄く我慢しているよ?」


「いきなりべろのちゅーは……」


「僕はいつまで我慢すればいいのかな?」


 にっこり、美人淡麗なお顔に微笑まれる。

 目が禍々しいオーラを纏っているのだから、これはまさしく脅しである。


 俺は腕を組んで思案する。


 正直に言おう。

 鈴理先輩とディープキスした経験は、両手足の指を合わせても足りない。とにかく沢山経験した。が、実を言うとディープキスの経験はあれど、相手のお口にINしたことはないのである。受け男ゆえぜーんぶ受け身だったんですよ、はい。お口にウェルカム側だったんですよ、はい。それが当たり前だったんですよ、はい。


 御堂先輩は初めてだと仰る。

 同性の恋人経験は存じ上げないが(御堂先輩なら普通にありそう)、異性の恋人は光栄なことに俺が初めて。


 ならば、ならば……経験のある俺がリードするのが道理だろう。


 ただし、何度でも言う。

 俺は経験あれど! 相手のお口にINはない! 自分のお口にウェルカムだった! ついでに鈴理先輩から「キス下手くそだな」と言われていた!

 そんなどうしようもないへたれがリードできるのだろうか。いや、できるわけがない。できるわけがないのである。ましてや快感を与えるなんて、俺にはとてもとても。おう、攻めるって結構大変なんだな。学んだ。

 アイタタ、ついでに胃が痛くなってきた。


「御堂先輩。最初に断っておきますけど、俺ってすんっごいへたれなんですよ。だから、べろちゅーの経験はあれど、ちっとも相手のお口にはお邪魔したことがなくって。ああ、でも頑張ろうと思えばやれないこともないような気もしないような、どうしようもないような、すみませんごめんなさい申し訳ございません。勉強してくるんで、また次回に」


「またも何もない、今回するんだ。鈴理とは短期間でしたんだろう? 僕もしたい」


 懇切丁寧にへたれ事情を説明したというのに、王子ときたら短い返事で拒絶をする。こっちがどれだけ恥を忍んで説明したと!

 テンパっていると、「したいな」御堂先輩が一笑を零してきた。


「豊福とキスしたい。キスしたら、君がどんな表情をするのか知りたいんだ。見せてよ」


 大層な口説き文句は嬉しいけれど、俺にリードなんてできるかな。テクニックというものもまったくないし。ええい、男なら黙ってやってみるのもありか! ……下手くそとか言われたら心がぽっきり折れて、オカマの道に走りそう。


 一喜一憂、ディープキスに迷いを見せていると王子が右の手で顎を掬ってきた。

 タンマタンマタンマ! 諸手を大きく振り、考え直すよう訴える。俺は本当にディープの経験はあれど、相手のお口に突撃する舌技(というべき行為)は持ち合わせていない。

 やるなら、そのお勉強をしてからに「豊福は何を勘違いしているの?」


「僕は君がやりたいのなら受け入れる立ち位置を譲る話をしているだけであって、べつに豊福のテクニックを期待しているわけじゃないよ」


 少しは期待して欲しい、この男心。

 持ち前の矜持が傷付けられた気分である。そら下手くそってゆーたけど、ゆーたけど……。


「仮に君がやる側に立つとしても、この場合テクニックは皆無だと相場は決まっている。だからこそ、僕は安心して君にリード権を渡せるんだ。可愛いだろうな。豊福があっぷあっぷしながらキスを頑張る姿……しまったな。それを見るためにわざと引いてみるのも手だったか」


「ダダ漏れ! 肚の黒さがダダ漏れ!」


「失礼だぞ豊福。夢を見ていると言ってくれ」


「ひ、ひとをなんだと思って」


「勿論、僕の可愛いお姫様だよ――無理強いはしない。嫌なら拒絶して」


 唇に人差し指が押し当てられる。

 心構えをしろ。離れた指先がそれを教え、瞬く間に相手の唇が呼吸を塞ぐ。

 片手で数えられる、触れるだけのキス。視線は交わったまま。俺の気持ちを最優先にしてくれる王子は、今までそれ以上のことをしなかった。


 宣言通り、此処で拒絶をすれば彼女は止めてくれるだろう。

 狡いよな、俺が強く拒絶できる性格ではないことを知っているくせに。


 お互いさまか。俺だって曖昧な態度を取って、御堂先輩の好意を誤魔化している節がある。

 だからこそ、御堂先輩は合意の上のキスが欲しいとねだる。俺が求めて、彼女が求める。それは俺と鈴理先輩の関係にあって、俺と御堂先輩の関係にはなかった。今まではそうだった。

 もうあの頃の俺達じゃない。王子と同じように、俺も意識している。これは合意だ。今夜をもって、ひとつ壁を越える。


 ぎこちなく手を伸ばし、長い髪を指に纏わせながら相手の頭部に添えた。

 微かに瞠目する眼が和らぎ、触れるだけの唇がねちっこく擦り合わせてくる。吐息が混じり合い、これからの展開を容易に想像させた。

 大変チキンな俺は此処にきて久方ぶりのディープキスに上手くできるか、感覚は如何なるものだったのか、それを思い出すべく、そして相手に幻滅されたくない一心で尻込みしてしまう。だって本当にキスは下手くそ以下省略。変なところで完璧主義が出てしまった。


「まったく。これだから二番手は苦労する」


 すべてを見抜いている王子は、"また"自分以外の人間を意識していると指摘。欲しいのはテクニックじゃない、自分に向ける意識、気持ちだと彼女は妖艶に口角をつり上げた。


「君は先のことを頭で考えてしまうタイプなんだね。なるほど、直球感覚派の鈴理と相性が良い筈だ。僕もどちらかと言えば、豊福タイプだから相性はある意味最悪。でも似たタイプだからこそ分かるんだ。どうすれば流せるのか、を」


 そのために今日まで下心を持って接してきた。

 御堂先輩は惜しみなく黒い欲を口にすると、人の体を潰れんばかりに抱きしめてきた。距離を埋めるように。


 息つく間もなくキスを交わし、「感じて」生温かい舌が口腔に侵入、「君が感じているのは」初めてとは思えない手際の良さと、「僕自身だよ」彼女の心情が流れ込んでくる。

 本気だと宣言してくれた彼女は、本当に我慢してくれていたんだ。積極的なキスがそれを物語っている。

 

 目を白黒させている間にも舌が歯列をなぞる。

 久しぶりすぎる感触に体が跳ねてしまうのは生理的現象だろう。すっかり息継ぎの仕方を忘れてしまっていた俺は、相手の体を押し返してタンマと意思表示をするのだけれど、彼女は余計に体を密着させた。


 奥へ引っ込んでしまっている俺の舌を探り出すと、根元を擽って輪郭を確かめるように舐め取ってくる。

 ひゅっ、ひゅっ、喉を鳴らした俺は息が続かず、どうにか解放されたくって顔を振った。が、固定された手は一向に剥がれない。動けば動くほど固定する手は強くなる。まるで逃げるなと言っているようだ。こっちは酸欠で死にそうなのに。

 頭部に添えていた手が滑り、王子の腕の上に落ちる。同じように口端から、飲み込めない唾液が零れ落ちる。

 応えることすら忘れていた。忘れてしまった。俺はいつもどうやって応えていたっけ。


「ははっ、豊福は本当にキスが下手くそなんだ。鼻で息をすることもできないなんて可愛いね。本当に経験者かい?」


 舌を引き抜き、御堂先輩が嬉しそうに笑った。

 息も絶え絶えになっている婚約者の背中を擦り、落ち着くまで続けてくれる。

 対して甘んじる俺は初めてにも関わらず、普通に深いちゅーができる王子に嫉妬。応えることすらできなかった自分にへこみつつ、相手に凭れてぬくもりを貪った。


 少しずつでも、受け入れていこう。

 貴方の好意、行為、こういを受け入れて、いつか、俺も同じ気持ちに立てればいい。

 夫婦になるその時までに、彼女が伝えてくれる好意を俺も抱けているといい。少なくとも、俺は彼女に対して徐々に一端の女性を想う気持ちが芽生え始めているのだから。



 ただし、あくまで今の俺達は高校生である。

 どんなに婚約していようと、将来はいい夫婦になろうね、とお約束していようと、十代の洟垂れ少年少女。大人とは言い難い思春期真っ只中の学生なのである。清い関係を保ちたい年頃なのである。


「ゲッ、御堂先輩。俺の部屋で何をしているんっすか」


 歯を磨き、就寝の準備を終えた俺が自室に戻るとそこには寝支度をしている婚約者の姿。

 俺の寝床であろう敷布団の上でごろにゃあしている彼女は、先に毛布をかぶって今か今かと帰りを待ってくれていたらしい。

 わざわざ自分の枕を持参してくれているところが確信犯である。


「早く寝よう」


 おいでおいでと手招きしてくる御堂先輩に眩暈を覚えつつ、「なんで俺の部屋に?」当たり障りのない質問をしてみる。


「なんでって。勿論、君と一緒に寝るためだよ。何か問題でも?」


「大有りっす! 若かりし男女が一つの布団に寝るってのはどうかと思うんっすよ! そりゃ俺達いつかは夫婦になりますけど……でもでもでもやっぱ無理っす! お部屋に戻って下さい!」


 「イーヤーダ」僕は此処で寝るのだと駄々を捏ね、布団に潜ってしまう。

 あーもう……俺はこの部屋以外に寝る場所がないんっすよ。顔を顰めながら毛布をひっぺ返す。


「ほおら部屋に戻るっす」


 障子を指差して退室命令を下すと、ぶすくれた王子が「鈴理とは寝たそうじゃないか」どっから仕入れてきたのか、イッターイところを突いてくる。

 顔を引き攣らせる俺に、「彼女は良くて僕は駄目なの?」追い撃ちを掛けてきた。


「ねえ豊福。僕じゃ魅力皆無?」


 男装少女のクセに、この上目遣い攻撃。俺は嘆きたくなった。

 あの小悪魔をどうにかして欲しい。十中八九襲う目的なのは目に見えているんっすけど!


「変なことはしないで下さいよ」


 しょうがないから許可を下ろし、けれどしっかりと釘を刺す。どんなことがあっても、早々セックスなどと至らん真似だけはしない。

 断固としてスチューデントセックスはお断り! それが俺の中のモットーである。


「まったくもって警戒心が強いな、君は。大丈夫、僕は襲いはしない。君から求めさせるよう少しばかり手を下すだけだから」


 布団の中に滑り込む俺に、意地悪い笑みを浮かべてくる攻め女。

 体が硬直してしまった。逃げ腰になり、布団からそろそろと抜け出すと押入れに入っている予備の毛布を取りに行く。無論、彼女が許してくれる筈もなく、帯を掴んで俺の体を引き戻した。

 「ひっ」項を舐められ、身を竦めてしまう。ちゅっと唇を寄せてくる艶かしい行為に千行の汗を流した。

 やばい、このまま無事に夜を明かせるとは思えない!


「先輩、勘弁してくださいよ!」


 敷布団の上で泣き言を連ねる俺は、迫ってくる必死に御堂先輩の肩を押す。

 ニコニコッと笑顔を作っている御堂先輩はあろうことか、人の喉に甘噛みして反応を楽しんでくる。

 「学生の間は駄目ですって」ムリムリだと相手を拒むと、「僕はいつになったら君を食べられるんだい?」御堂先輩が脹れ面になった。


「婚約しているんだから、つまみ食いくらい良いだろ?」


「え、だ、だから。学生の間は健全に」


「高校を卒業するまで待てと?」


「ちゅ、ちゅーしたでしょう?」


「……豊福はあれで僕が満足していると思っているのかい? 思っているわけないよな。こんなに我慢している僕を知っておきながら」


 片眉をつり上げる御堂先輩に、えへっと俺は手を組んで誤魔化し笑い。 


「ほ、ほら。若いうちからシなくたっていいじゃないっすか。高校を卒業したら、えーっと大学生? 専門学生? 駄目だ、学生じゃん……えーっと“学生”を卒業したらかなぁ。いやでも結婚するまでは健全の方がいいのかな。じゃあ、結婚後ということに」


「君に任せているといつまで経ってもおあずけになりそうだ。もういい、君の意見は聞かない」


「え゛? あ、ちょっと、何処触ってぎゃぁああ勘弁して下さいぃいい!」


 俺達が本当の夫婦になる道のりはとても遠いようだ。


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