09.あたし様曰く、誰に向かって命令している?



 □


 

 その夜。


 鈴理は家族とダイニングルームで夕食を取っていた。


 数日振りに家族の顔が揃い、家族団らんの時間を過ごすためにダイニングルームに集ったのだが、団らんとは程遠い空気である。

 両親と長女の咲子は波風立たない会話を繰り広げているが、次女の真衣はピリピリとした空気を取り纏い、話しかけるなオーラを放っている。末子の瑠璃は顔色を窺っては気まずそうに食事を。自分は始終ダンマリで食事を咀嚼。


 非常に鬱々とした空気である。



「鈴理、食べている?」



 母の桃子が声を掛けてきた。


 先ほどからサラダに入っていたミニトマトをフォークで突いてばかりの自分を見かねたのだろう。

 生返事をして、テーブルに肘をつく。マナー違反だと諌められたが、「大目に見てあげたらどうです?」真衣が冷然と鼻を鳴らす。


 よって空気がまた一段と悪くなった。

 半泣きの瑠璃は真衣ちゃん怖い、と零している。咲子は小さな吐息をつき、父の英也は困ったとばかりに眉根を寄せた。本人は素知らぬ顔で食事を再開。

 庇われた鈴理は他人事のようにやり取りを眺めた後、更に転がっているミニトマトに目を落とす。


 ただただ物思いに耽っていた。考えることは大雅の言われた台詞ばかり。

 自分で物事を決める。人は行動を示さなければ認めてくれない。諦めて二階堂家に嫁ぐ。反芻してみるものの、どれも消化できない。再びミニトマトをフォークで転がしながら鈴理は自問自答した。自分はどうしたい? と。


 正直に言おう。

 元カレの婚約は衝撃でどう反応すればいいか分からなかった。ショックとはまさにこのこと。まだまだ自分の中に想いがあったのだ。

 向こうは既に諦めをつけ、想い合った日々など忘れてしまったのだろうか。些少ならず逆上する気持ちが片隅にあり、なんとも居た堪れない気分になったあの日。あの時。あの瞬間。後日、事情を聞いてそれこそ責めることも想いをぶつけることも不可となってしまった。


 切ない気持ちが胸を締める。

 婚約式に呼ばれた彼もこんな気持ちだったのだろうか?


 借金を背負った彼、肩代わりした財閥の娘は自分のライバル、自分は二階堂家の婚約者。ゆくゆくは友の百合子と親族になるのかと考えると、不思議な縁だと思ったり思わなかったり。


 ミニトマトを見つめて、見つめて、見つめて、鈴理は近状を思い出す。

 テスト期間が終わっても元カレは図書室に足を運ぶことが多い。何度もそれは見かけていたし、自分もその空間を共有していた。向こうは気付いていないだろうが、自分はあの頃のように彼の背を追っていたのだ。


 経済の本ばかり手にしていた彼。

 真剣に本を読む姿は市民図書館にいた頃と変わらない。何も変わっていない。


 何度その腰に飛びついて襲ってやろうと思ったか。

 何度消えてしまっている赤い痕を、もう一度その首筋につけてやろうと思ったか。

 何度キスしてやろうかと思ったか。


 自分が二階堂家のものだということで身を引いた元カレ。

 その元カレが借金を背負い、御堂家に嫁ぐ契約を交わした。自分の人生さえ御堂家に捧げ、御堂家のため、両親のためにこれから人生を歩むのだろう。それで彼が幸せなのか、鈴理には分からない。


 大雅は言った。

 既に彼は自力で環境を変えることができない瀬戸際まで立たされている、と。

 金の切れ目が縁の切れ目と言葉あるように、金銭問題は何事も根が深い。借金が返せない彼は、自分の持っている金以外の代物を代償にして今日に至っている。


 自分はどうだろう。

 内輪の婚約式は終えてしまった。それですべてが終わったというわけではないが、何か諦めが胸を締めた。


 決して好意は消えない。

 けれど、両親の強引な行動とその現状、主張していた自分の意見が通らなかった現実に屈していた。


 どこかで甘えがあったのかもしれない。

 たとえこの現状でも彼は側にいてくれるのではないか、と。良き友人として側にいると言ってくれた彼の言葉を信じていたため、無気力に近い念を抱いていた。結果がこれである。

 自分が無気力に過ごしている間にも、環境は作られていく。



“鈴理。君はどうだい? 心境の変化はあったかい? 友人として置き続ける覚悟、もしくは斬り捨てる覚悟は生まれたかい? 今の豊福に良き後輩でいろ、なんて無謀だろうけどね。彼だってそこまで出来た人間じゃない。自分や家族の人生を背負っていかないといけない身なのだから。

君はこのまま豊福に物分りの良い後輩でい続けろ。内心では自分を想え、なんて都合の良いことを強いるつもりなのかい?”



 勝手なことを言うなと思った。

 大雅の言う通り、本当に自分を待っているのならば、張り合いたいのならば、気持ちを奪いたいのならば、ストレートに物申せ、舌打ちをしたくなった。



“俺は鈴理先輩も大雅先輩も好きっす。できることなら、傷付けたくない人達です。これから先、お二人は財閥を背負って生きないといけない……令息令嬢です。そのためにどうしても俺の存在は邪魔になる。”



 彼も勝手だ。

 市民図書館で、学院で、図書室で、どれだけ自分が彼を見ていたか知らないくせに。


 


“我の強いお前だ。他人に人生決められちゃ癪だろ?”




 まったくもってそのとおりだ。


 癪である。

 今の状況も、流されるままの自分も、取り巻く環境もすべて、すべて、すべてに癪である。癪すぎて涙が出そうだ。


 嗚呼、何だこの状況は。

 いったい誰に向かって指図しているのだ。


 これが自分の幸せか? いや違う。自分の幸せはこれではない。自分で何も決めていないゆえに胸に広がるのは空虚感である。とてもとても虚しい。

 幸せなどなれはしない。自分は幸せにはなれない。仮に彼を忘れて大雅を受け入れても、それは脆く崩れてしまうだろう。例えば別の男を好きになっても同じ。このままでは繰り返してしまう。


 カラン、手からフォークが滑り落ちた。

 家族の視線が集中したが、鈴理には構う余裕などない。感情処理ができないのだ。今の自分はコンピュータの症状で例えるとシステムエラー。積もりに積もった感情が処理できない。どうしてもできない。


「す、鈴ちゃん。お腹でも痛い? 泣かないで」


 瑠璃の焦った声音によって、自分が泣いていることに気付く。どんなに家族評価が低くても両親の前では決して泣かないと決めていたのに。

 いや、今はそんなことを気にしている場合じゃない。


 とにかく不愉快すぎて爆ぜそうだ。

 ついでに自分に叱咤してきた大雅のカッコ良さにも腹立たしい。自分より数倍大人に見えたではないか。自分がカッコ悪い。ええい、カッコ悪い。

 彼に惚れた理由を思い返すだけで、自分の不甲斐なさが際立ってしまう。自分は彼の何に惚れ、何に羨望を抱いた? 理不尽な環境にも屈せず、ひた向きに努力しようとする姿勢に惚れたのではないか。守りたいと思ったのではないか。ああいう姿勢を自分も見習おうと思ったのではないのか。


 なのに、自分は何をしている? 両親の目が怖くて、嫌々と言いつつ従順となっている。

 これ以上、家族評価を下げたくない一心で。心の奥底では好感を持って欲しいと願っている自分がいるのだ。


 きっと両親は自分が従順になればなるほど、理想像になればなるほど、好感を持ってくれるだろう。


 けれど、それは本当の自分ではない。

 自分の本当の姿は傍若無人、唯我独尊、わが道まっしぐらのあたし様なのだ。



「す……鈴理さん。大丈夫ですか」



 かつて一番仲の良かった次女に声を掛けられると、ようやく鈴理は口を開くのだ。


「もう、やめます。従順ぶるの」


 ゆらっと立ち上がり、涙を手の甲で拭った。

 突拍子もない言葉に家族が困惑しているが、「あたしの人生はあたしのものです」誰の人生のものでもない。これ以上、誰かの言いなりになるのはごめんだと吐き出す。

 それが例え血の繋がった親子だとしても、自分の人生は自分個人のもの。他の誰のものでもない。



「ずっと家族評価を気にしていましたが、もういい。そんなの関係ない。これはあたしの人生――好き勝手したいと思います。どうぞ愚女と罵ってください」



 言ってやったりと満面の笑顔を作り、履いていたスリッパをポイッ、ポイッと投げ捨てる。


 「スリッパって邪魔なんですよね」あたしは素足で歩く派だと鼻を鳴らし、こんなことも気軽にできないと。座っていた椅子の上に飛び乗ってダイニングルームを一望する。「鈴理!」母の怒声もなんのその。昔はこんなことばっかりして叱られていたことを思い出し、つい笑声をもらしてしまう。

 ですよね? 同意を真衣に求めると、呆けていた彼女が柔和に頬を崩す。


 ニッと笑い返し、椅子から飛び下りると食事もそのままに扉へ向かう。

 何処へ行くのだと父が呼び止めてきた。ドアノブを握り締め、そっと顧みる。



「父さま。今のあたしはどのような栄光ある未来が待っていようと、幸せになどなれないのです。このままでは終われません。あたしは、今も空が大好きなのです」


 

 そう、玲に負けたままでは癪だ。

 簡単に身が引けるほど、自分も弱い恋をしていない。何せこっちは市民図書館で彼を眺めていたのだから。それも半年近く。春の訪れと共に姿を晦ました彼と再会したのはまさに偶然という名の奇跡だった。が、今度は奇跡など起ってくれる筈がない。

 あの時のように市民図書館で彼を待つ行為はもうやめだ。自分らしくない。来ないなら、自分から探しに行けばいい。あの時と違って確かな居場所を知っているのだから。


 大体、土壇場で受け身になってどうするのだ。

 それが攻め女のすることか? 守るといったくせにドチクショウである。

 女々しい自分から脱して、いつもの雄々しい自分にならないでどうする。自分の人生だろう。

 もしこの恋が散るなら、華々しく自分の手で散らしてやろうではないか! 大雅も男を見せたのだ。自分も女を見せないでどうする。



「これから彼とよりを戻すために頑張ろうと思いますので、お覚悟を」



 にやっと口角をつり上げる鈴理のあたし様っぷりに両親は唖然。

 一方、姉妹は三女の素顔に瞠目、ついで静かに綻んだ。久しぶりに彼女の素顔を見た。

 だからだろう。真衣は頑張って下さいね、と綻び、「もしかして駆け落ちするの!」瑠璃は目を輝かせ、「馬鹿ね」駆け落ちだったら内緒に行動しないと、と咲子が可笑しそうに肩を竦めた。


 駆け落ち。

 それは盲点だった。その手もあったか。手段には入れておこう。


「そうなるとあたしは竹之内の名を捨てなければならないのか……まあ、それはそれで味のある人生を歩めそうだ」


 ふふっと笑い、鈴理は扉を開いた

 向かう先は自室。大雅に電話をし、自分の今の気持ちを伝えよう。彼ならこう言ってくれる筈、「やっとお前らしくなったじゃねえか」と。


 そうだ。これからだ。

 自分の人生は自分で切り開く。好いた彼のように死に物狂いで努力してみよう。今の環境を変えてみよう。例え恋が実らずとも、努力をするしないでは気持ちの決着に明確な差が生まれるだろう。その時こそ婚約した二人を祝福してやれる。

 ぺたんぺたんと足音を鳴らし、回廊を走る鈴理は途中で教育係のお松に出くわす。素足で走る鈴理に大層驚くお松に笑って相手に抱きついた。


「ばあや。随分心配を掛けた。あたしはもう大丈夫だ。自分らしく、もう一度頑張ってみようと思う」


 主語がなくとも話の意図が伝わったのだろう。

 お松は皺の入った目尻を下げ、「本当にお転婆な方ですね」そんなお嬢様がばあやは好きでございますよ。嬉しい言葉を掛けてくれる。


「あたしの我が儘を許すばあやのことも好きだぞ」


 少しばかり口うるさいがな、ウィンクして彼女から離れると今度こそ自室に駆けた。


 さあ、待つことはもうやめて、今度は迎えに行こう。

 だって自分は彼のヒーローなのだから。もう一度、受け男として姫になってもらうために走らなければ――。


 


 ところかわってダイニングルーム。


 奇想天外、おとなしかった鈴理が一変して素を曝け出した事態に真衣は大笑いしていた。

 纏っていた不機嫌は何処へやら。思い出しては笑声を漏らし、目尻に涙を浮かべた。困惑している両親すらも笑いのツボである。


「鈴理さんらしいですわ。やはり、あの子はあれくらい元気でなくては」


 空気が緩和されたことに瑠璃は嬉しいのだろう。話に加担した。


「いいよねぇ鈴ちゃん、あんなに燃える恋をしているなんて。瑠璃もしてみたいよ」


「ああなれば最後、鈴理は自分の納得のいく道を見出すまで止まらないわ。お父さま、お母さま、これから大変ですよ」



 だって、逆境こそ恋は燃えるものですから。




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