08.俺様曰く、ふたりで一つの問題




「――よく来てくださいました。大雅さま。どうぞ、ご案内いたします」




 竹之内家を訪れた大雅は召使・晶子の案内の下、婚約者の自室に向かっていた。

 会合のため。勉強会のため。ではなく、純粋に遊びに来ていた。

 婚約者という立ち位置にランクが上がろうと、一幼馴染としての気持ちは変わらず、疚しい気持ちを抱くこともなかった。二階堂家次男は鈴理と話すために遊びに来ていたのだ。


 晶子に鈴理の最近の様子を尋ねる。

 相変わらず家にいる時は部屋に引きこもってばかりだと晶子は返事した。家族とは、特に両親とは殆ど口をきかない。彼女は眉を下げた。


「旦那様も奥方様も、ここまで鈴理さまが落ち込むと思っていなかったのでしょう。お食事も以前の半分以下。ご姉妹と話す機会はあれどご両親とは婚約式以降、滅多なことでは目も合わせません。

 このような事態になるのではないかと懸念する方もいらっしゃいました。

 誰よりも鈴理さまのお傍にいる教育係りのお松さん。執事長の竹光さんです。彼等は婚約式を挙げると耳にした際、再三再四旦那様や奥方様に警告しておりました。「これで本当に宜しいのでしょうか?」と。

 あからさま反対の意を唱えることはありませんでしたが、時期ではないのではないかと助言はしていたのです。


 お二方の懸念は的中してしまいました。

 ご両親のご決断は親子関係に亀裂を生むことになったのです。


 それだけではありません。

 鈴理さまと一番仲の良かった次女真衣さまも、妹の塞ぎように目も当てられない。こうなってしまったのは親のせいだと、ご両親に反発心を抱いてしまったのです。長女の咲子さまは努めて中立な立場を取っておりますが、末子の瑠璃さまはご両親に不信感を抱いているご様子。

 正直、今の竹之内家のご関係は芳しくありません。


 我々としては家族円満に食事をしてくださる日を待ち望んでいるのですが、それはまだまだ遠いようです」


 なるほどな、大雅は息をつく。

 鈴理は他人に対しての思いやりは強く、人のためならあたし様を発揮して突っ走る女だ。それが彼女の長所なのだが、一方で自分のことになるとしごくナイーブになる。昔から家族評価を気にしていた奴だ。ただでさえ劣等感ゆえ、両親には強く反抗できない節があった。

 いつかはそのことで傷付くのではないかと懸念していたのだが、ついに現実となってしまった。


(豊福との恋愛、激濃かったしな。そりゃ引き離されたら落ち込むだろうよ。あれでも命張った仲だぞ)


 忌まわしい誘拐事件を思い出し、大雅は荒々しく頭部を掻いた。

 彼女に追い撃ちをかけるように好意を寄せている男が婚約したものだから、現実は容赦がないものだ。

 正直、元カレには甘えていた。鈴理が立ち直るまでは恋愛もなにもなく、健気に彼女を想って支えてくれるだろう、と。


 だからこそ彼の婚約話を聞いた時には腹が立って仕方が無かったのだが、冷静に考えてみれば、此方の都合を元カレに押し付けていたことは否めない。

 向こうには向こうの都合があるし、好意そのものは彼自身のものだ。鈴理と別れた今、誰を想うと彼の自由なのだ。



(玲と婚約、か。まさか、豊福の家に借金ができちまうなんて)



 大雅は真新しい思い出のページを捲った。


 空の母親が過労で倒れて数日。

 彼は母が順調に回復している旨と改めて迷惑を掛けた謝罪、車を出してくれた感謝をしに、わざわざバイト先の団子を手土産に持って自分達の下に赴いた。

 律儀な彼は取り乱してしまったことについても真摯に詫び、みっともないところを見せてしまったと決まり悪そうに笑っていた。

 そして成り行きで借金事情を知ってしまった自分達に、どうか公言はしないで欲しいと願い申してくる。


 恩人の御堂家の顔に泥を塗るような真似はしたくないと言ってきたのだ。

 勿論、公言するつもりなど毛頭ない。安心してくれるよう告げると、彼は心の底からホッとしたような面持ちを作っていた。


 これは鈴理に内緒なのだが、その後、自分は空個人を呼び出し、十分程度話している。

 意図的に知らされていなかったこととはいえ、理不尽な怒りを向けてしまったのだ。此方も詫びなければ、と思った。


 けれど謝罪はできずに流れてしまった。

 彼と会話した際、『本当に知られたくなかったんっすよね』俺の家に借金があることを、と話題を切り出された。同情されたくなかったのか? 大雅が問い掛けると、『それもありますけど』一番は相手を悲しませたくなかった。空は泣き笑いし、言葉を続けた。


『俺の家に借金があると知れば、鈴理先輩、余計な心配をするでしょう? ただでさえ家庭問題で大変なのに。なら、簡単に心変わりした俺を恨んでくれた方がマシだと思いました』


『豊福……けどよ』


『恨んでくれることで前に進めるじゃないっすか。鈴理先輩は未だに俺のことを好きでいてくれる。メリットも何もない男を、一途に想っているんっすよ? 見ていられないっすよ。あの人の悲しむ顔』


 もうあの人の気持ちには応えられない。応えたくても、応えられない。


『それに大丈夫っすよ、俺がいなくても。あの人は大雅先輩が傍にいる。本当の意味で理解しているのは先輩、貴方です。俺じゃない。貴方が傍にいてくれたら、きっとあの人は大丈夫。今は立ち直れないかもしれない。

 でもあの人はわが道を進むあたし様。強い人。俺を踏み越えて、次に進んでくれる。俺はそう信じています。全部俺の我が儘なんっすけどね』



『――俺、やっぱテメェに鈴理を任せてよかったわ。心底思う。一時でもあいつの恋人になってくれて、あんがとな』


  

 これからもしょうがないから、仲良くしてやるよ。俺様と友達でいたいだろ?

 努めて傲慢に申し、『今度からは味方だ』何が遭ってもお前の味方でいてやる。財閥界で困ったことが遭ったら言って来いよ。玲との仲も俺は見守る立場を取るから。そう言って後輩に笑いかけた。


『責めてくれた方がまだ心軽いのに』


 本当に泣きそうになった後輩の顔を今でも忘れられない。今でも。



(玲なら豊福をでぇじにする。豊福も次第次第にあいつの良さに惹かれて恋に落ちるだろうな)


 

 本当の意味で恋に落ちたとしても、自分は祝福してやるのだろう。一先輩として。


 だが問題は鈴理である。

 このままでは前にも後ろにも進めない。時が止まったまま、一刻一刻を過ごしていくことになる。



 鈴理の部屋に到着する。

 晶子がノックして応答を待つが、声は返ってこない。何度ノックしても同じ結果に終わる。

 「おかしいですね」ご不在でしょうか。首を傾げる晶子に、「いや。いるなこれは」と大雅が答えた。


 きっとあいつは中にいる。

 何年も付き合っているのだ。それくらい空気で分かる。

 大雅は晶子に飲み物を持って来てもらうよう頼んだ。此処は一人で自室に乗り込んだほうが良さそうだと踏んだからだ。


 一礼して去る晶子の背を見送るとドンドンドン、ドンドンドン、ドンドンドン、大雅は連打ボタンするように高速でノックした。


「おい鈴理、いるんだろ。俺だ。メールで行くっつったよな? 開けろ。じゃねえと勝手に開けちまうぞ」


 内鍵を掛けていたら蹴破ってやるから覚悟しな。

 そう脅してノックを続けていると、「近所迷惑だ」もっと静かにノックしろと応答が返ってきた。


「ったく。いるなら返事しろっつーの」


 軽く扉を爪先で小突き、開けろと命令する。

 間を置かず扉が開かれた。そこに立っていたのは不機嫌に眉根を寄せている鈴理。何故か上はブラのみ、下は短パン姿だった。寝ていたのか、髪があちらこちらにはねている。

 大雅は憮然と息をつき、「シャツくらい着ろよな」と文句を零した。


「しかもブラ、ピンクかよ。へえ可愛いじゃん」


 ジーッと胸を見つめて観察する大雅に、「あんたな」マジマジ胸を見るなんて失礼だぞ、と鈴理が肩を竦めた。


「欲情しても相手はしてやらんぞ」


 そう言って自室に戻って行く。

 「テメェを抱く気になんねぇよ」取り敢えずシャツは着ろ。と指摘。

 今から着るところだとクローゼットに向かう鈴理は部屋に入ったら座っとけと言い放ってきた。当然そのつもりだと大雅は返事して部屋に入ったのだが、すぐに足を止めてしまう。


「うっわ、なんだよこの部屋。きたねぇ! 何処もかしこも本だらけじゃねえか!」


 床もベッドも机上も本、本、本。

 足の踏み場も危ぶまれそうなのではないかと疑念を抱くほど、鈴理の部屋は本で散らかっていた。

 この中で生活していたのかよ、あきれ果てる大雅は本の一冊に手を伸ばしてタイトルを確認する。偶然にもケータイ小説文庫を取ってしまったため、大雅の目に『わぁお王子と素敵な甘い時間』というタイトルが飛び込んできた。


「せ。センスねぇ」


 もっと良いタイトルは無かったのかと大雅は頬を引き攣らせる。


「ん? こっちはアルバムか? 誰の」


 手に取った赤い水玉表紙のアルバムを開くと束になった写真が絨毯に落ちた。

 視線を下に向けると、そこには元カレの写真。写真。また写真。逃げる姿から弁当を食べる姿、勉強する姿に居眠りしている姿。自宅であろう部屋で着替えをしている姿。キスマークにエロイと記入されている写真も……はてさてどこから隠し撮ったのだろうか? 元カレが見たら喪心してしまいそうな写真の数々に大雅は静かに目を閉じた。


(俺が旦那になっちまったら、隠し撮りとかされるんじゃねえか? 末恐ろしい)


 なにせ、キャツは攻め女。

 腐っても男ポジションに憧れる女のである。必然的に、夫になるであろう自分は受け男を強いられるに違いない。

 暗い未来に身震いし、何も見なかったことにしようと散らばった写真の上にアルバムを戻した。


 こうして寄り道をしつつ、本を踏まないよう気を付けながらソファーに向かう。

 此方は比較的に本の被害を受けていなかったため、安心して腰を下ろせた。

 改めて部屋を見渡すのだが、本当に本だらけである。ハードカバー、ソフトカバー、文庫問わず、本が散乱している(アルバムがあるがあれには触れないでおこう)。気を紛らわせるために本を読んでいたのだろうが、少しは片づけにも目を向けるべきである。


 そのためトレイを持って部屋を訪れた晶子も部屋の惨状には度肝を抜いていた。

 テーブルに和菓子と飲み物を並べて退室していく晶子を見やった後、大雅は和菓子に目を向ける。


 “いづ屋”と記された黒糖饅頭の包装紙。

 確か元カレの勤めているバイト先の名だ。

 黒糖饅頭の隣に置かれた紙パックに目を向けると、『イチゴミルクオレ』と表記された飲み物が自分を訝しげに見ている。まるで黒糖饅頭と俺を一緒に飲むのか? あん? と詰問されている気分である。


「饅頭にイチゴミルクオレ。最悪の組み合わせだな」


 率直な感想を述べると、「文句があるなら食うな」ぶすくれる未来の奥様が鼻を鳴らした。


「あのよ。一応聞くけど、この饅頭、豊福のところで買ってきたのか?」


 あっさり肯定した鈴理は自分で買いに行ったのだと教えてくれる。


「お母さまのこともあったし、元気にバイトをしているのか気になってな。なにより働く空が見たくてな」


 わざわざ変装して行ったのだと鈴理は得意げな顔をする。

 自分で丸椅子を持ってそこに座る婚約者を流し目にした大雅は、「変装ねぇ」よくやるぜ、と苦笑した。


「で? どうだったんだ?」


「うむ。たまたま販売エリアにいたから、そこで菓子を買った。元気は元気だったぞ。笑顔で挨拶をしてくれた。

 しかしまだまだ接客には慣れていないようで、あたしがショーケースに立つと体を強張らせたんだ。緊張していたらしい。また『菓子を全種類。此処ある数の三分の二ずつ包んで欲しい』と言ったら、ひどく狼狽していた。そして言われたのだ」



『賞味期限はどれも三日以内ですよ。ちゃんと食べられますか、鈴理先輩?!』



 と。



「完璧にばれてるじゃねえかよ! 変装はどうした変装は!」



 「サングラスを掛けていったんだぞ?」某お昼番組で活躍しているタモリはサングラスがあるなしで人相が分からなくなるらしいから、同じ原理でサングラスを掛けていったというのに。

 しかもタモリとお揃の真っ黒なサングラスを掛けていったと鈴理はキリッと顔を引き締めた。


「それ、変装どころか目立つだろが」


 さぞかし空も驚いたことだろう。大雅は当時の状況が容易に想像できた。


「売り上げ貢献のために飲食フロアにも行った。空はやはり緊張していたようで、一つ一つに戸惑っていた。初々しいな」


「いや気付け。そりゃテメェに戸惑っていたんだ。グラサンを掛けて現れたテメェに戸惑っていたんだよ」


 深い溜息をつく大雅に対し、「空は玲の婚約者だというのに」土日はバイトに勤しんでいるそうだ。鈴理は神妙な顔で黒糖饅頭に手を伸ばした。

 それこそ平日の空いた時間もバイトに入ることがあるらしい。こっそり店主から聞いたのだと鈴理は、饅頭を半分に割って片方を口に入れた。


「空。実家の生活費を稼ぐためにバイトを継続しているようなのだ。借金のことは婚約で解消されたらしいが、生活は変わらないまま。元々生活が苦しくなったためにバイトを始めたそうだぞ。空はとても両親思いだからな。自分の時間を削って働いているんだろう」


「苦学生ってヤツだよな、あいつ。学校ではそういう風に見えないけど……それで? テメェはバイト姿を見てどう思ったんだ?」


 諦めでもついたか?


 意地の悪い質問を飛ばすと、「腹立たしいと思った」予想外な質問が返ってきた。

 動きを止める大概に対し、「とても腹立たしかった」バイトに勤しんでいる姿を見て、本当に腹が立った。バイト、借金、婚約、それらを背負っていることすら気付けなかった自分に、そして気付かせなかった彼に腹立たしかった。

 いやそれ以上に好敵手は彼の苦を知り、側にいて支えていた。気付かなかった自分と、気付けた好敵手の差に愕然とした。


 ただただ嫉視したのだと鈴理は言う。

 辛い時に側にいてやれなかった。前回も、今回も、それが悔しい。


「おかげで憂さ晴らしのように、ケータイサイトでヤンデレ小説ばかり漁るようになった。まったく、あたしも執念深い女だ」


 確かに。端々で犯罪まがいなことはしている。


「や、んでれ? なんだそれ。ヤンキーがデレているのか?」


 恋愛小説に疎い大雅だが、ツンデレはツーンのデレ。クーデレはクールのデレだと知識にはある。そのためヤンデレはヤンキーのデレだと思っていた。

 しかし鈴理の答えを聞いて硬直してしまう。


「病んでいるほど相手のことを好きになってしまう。それをヤンデレと人は呼ぶ。ふっ、人の愛とは深いものよ。今、あたしが読んでいる小説は相手のことを病的に求め、束縛し、ついには監禁」


 大雅は想像してしまった。

 鈴理が後輩を山奥の別荘に誘拐し束縛、ついには監禁生活をしてしまう光景を。


「最初こそ監禁された彼女は相手に恐怖を覚えていたのだが、その内、好意を受け入れてしまうのだ。手錠を嵌められているのにも関わらず、それすら愛情を感じてしまうという」


 更に想像してしまう。

 ベッドの柵と手錠で繋がれた後輩が、それを愛情だと思うようになる姿を。そしてそれを愛情だと口にする鈴理を……大変である、鈴理も後輩も精神が病んでいる! それが愛情? いや異常である!

 大雅は小説に感化されやすい幼馴染をぎこちなく見やった。楽しげに語る鈴理は「これからどうなるか気になってな」読むなら、URLを送るぞ? と携帯を手にとって自分に差し出した。



「あたし的には女が男を監禁するヤンデレ小説が読みたかったのだが、これもなかなか「鈴理、早まるんじゃねぇっ! 人生もっと楽しまないと損だぞ!」



 「何を焦っている?」眉根を寄せる鈴理に、「感化されやすいだろうが!」頼むからそれだけはよせ。三財閥跨ってお家騒動になるぞ! と、声音を張った。


 阿呆かと鈴理が一蹴してきたのは直後のことだ。


「心配せずとも現実と小説の世界くらい弁えているわ」


 唸る彼女は、「あたしは手錠ではなく」首輪で相手を束縛したい派だしな、と余計な情報を寄こしてくる。

 本当に世界を弁えてくれているのだろうか? なにせ自分の婚約者は恋愛小説の俺様や鬼畜、ドS等などに憧れる攻め女なのだ。油断はならない。


 変に汗を掻いてしまったため、大雅は紙パックに手を伸ばしてイチゴミルクオレで喉を潤す。

 「なあ大雅」ふと声を掛けられ、声の主に視線を流す。「腹が減った」意味深に物申してくるため、黒糖饅頭を食えばいいじゃないかと促した。「食っていいのか?」再三再四、聞いてくる鈴理に疑念を抱きながら肯定。

 すると遠慮なく頂くと大雅の腕を取るとそのまま噛もうとした。紙一重に避けた大雅は何をするのだと冷汗を流す。


「何って、今、あんたが食っても良いと言ったではないか。あたしは攻め不足により空腹だ。だから有難くあんたの腕を噛もうと」


「そっちの空腹かよ! 俺を噛んでどうするんだよ」


「噛んだ後、隙を突いて押し倒し「もういい。聞いた俺が馬鹿だった」


 額に手を当てて吐息をつく大雅に、もう飢えて飢えて飢えて仕方がないのだと鈴理は嘆く。

 肉食にも程があるだろう。これでは本当に肉を求めている肉食獣である。今までは後輩の体で飢えを凌いでいたようだが、今は解消できる人物がいない。つくづく面倒な婚約者だと大雅も嘆きたくなった。


 ガルルッ。唸り声が聞こえてきそうな彼女が自分の婚約者だと思うと気が重い。


「欲求不満なら抱いてやろうか? 仕方がないから抱いてやってもいいぜ。どうせいずれは夫婦になるんだし」


 オブラートもへったくれもない台詞を吐くと、「あたしが抱くのだ」リード権はあたしにあると鈴理がきっぱり言い切った。

 それは困った。自分だってリード権を持ちたい一端の男なのだから。


「俺は無理だぞ」


「あんたは夫になる男だろ? 空だって受け男になれたのだ。大雅だってできる」


 ポリポリと頬を掻き、空元気を振舞っている鈴理を一瞥した大雅は「なんでさ豊福のこと」そんなにも好きになったんだ? と話題を切り出した。

 触れられたくない話題なのだろう。かたく口を結んでしまった。飽きもせずに視線を相手に留めると、観念したようにあたしにだって分からないと返事した。


 最初は小生意気で嫌いだと思っていたのに、気付けば目で追っていた。毎日のように目で追っていた。

 図書館で勉強をしている姿が、努力している姿が何よりカッコ良かったのだと鈴理は吐露する。


「努力して環境を変えようとしていた、あの姿」


 そこに惹かれたのかもしれない。

 自分にはない直向さを持っている彼に、きっと惹かれたのだ。


 語り部に立つ鈴理は、そっと包装を開いて饅頭にかぶりついた。


「いつだって空は環境に屈せず、努力で解決しようとした。今回だって随分辛い思いをしただろうに、努力すると言っていた。そこが好きなんだと思う」


「なるほどねぇ。俺にはただの平凡苦労男にしか見えねぇけどな。でも、あいつのテメェを想う気持ちは高く評価しているぜ。あいつもわりとお前にゾッコンだったしな。けどよ、結局向こうは婚約しちまった。俺達と同じように家庭事情を背負って」



 彼はもう、鈴理の気持ちに応えられないところまで落ちてしまった。



「あいつは根が優しいから、お前のことを気遣って今の今まで婚約の真相を告げなかったみてぇだしな。気揉みさせるより、恨まれた方が後腐れねぇと思ったんだよ。

 豊福も言っていただろ? これからは御堂家にすべてを捧げるって。あいつにはあいつの人生がある。家族のため、自分のため、未来のために御堂家に仕えていくしかねぇんだよ。


 この際、ハッキリ言うぞ。

 鈴理。豊福のことは諦めろ。あいつに深入りするだけ、お前が傷付くだけだ。豊福もそれを望んじゃない。


 なにより、あいつはもうお前のものじゃない。玲のものだ。


 男にはすこぶる厳しいあいつだが、豊福には心を許せている。

 あいつも豊福がガチで好きになっちまったんだよ。見ただろ? あいつの傍にいる姿を。男嫌いのくせに優しそうな面していたじゃねえか。


 玲なら豊福を大事にするだろう。

 その内、豊福もあいつの良さに惹かれて恋に落ちるだろうさ。


 そういうことに関しちゃ玲は巧みだからな。豊福の幸せを考えるなら身を引くべきじゃないか?


 なあ鈴理。悪いことは言わねぇ。豊福のことは忘れちまえ。ああいう男、他にもいるって」


 大雅が努めて優しく言うと、「そんなこと分かっている」できたら苦労はしない! と突っぱねてきた。

 何もかも分かっているのだと鈴理は喝破する。これ以上、部外者の自分が深入りするべきではないことくらい、玲に彼を託したほうがいいくらい、分かっているのだ。


 けれど諦められないから苦しいのだ。

 似たような男がいてもそれは豊福空ではない。自分が好きになった男は彼だけなのだ。


「執着と言ったらそうかもしれん。だが、諦めようとする度に思い出が溢れ返るのだ。キスした日々も、当たり前のように傍にいた日々も、守り守られていた日々も。誘拐された日の時すらも」


 短期間ではあれど、濃い時間を過ごしてきた。

 諦めすら一蹴してしまうあの日々。簡単に忘れられる筈もない。こればっかりは現実として受け止められないのだと彼女は声を荒げる。


 どうやら逆鱗に触れてしまったようで、もう話したくない。帰れと椅子の上で胡坐を掻き、彼女から背を向けられてしまう。


 ある程度、予想していた態度に肩を竦め、「あたし様も形無しだな」すっかり男に骨を抜かれちまって。俺の知る鈴理じゃねえや、と皮肉を零す。

 反応を示さない鈴理に構わず、「俺さ。百合子が好きなんだわ」前触れも無い身の上話を出した。やはり反応しない幼馴染に、「時々無性に消えたくなる」なんで兄貴の許婚を好きになっちまったんだろうな。俺、邪魔だわ、そう微苦笑を零し、気持ちを吐露する。

 すると鈴理が微かに反応した。こちらをチラ見してくる。


「先の視えた末路なのに、馬鹿みてぇに義姉予定の女を思う男。その存在は兄貴にも、百合子にも邪魔の他なんでもねぇ。あいつ等は少なからず相思相愛なんだからよ」


「……奪えば良いではないか」



「できるわけねぇだろう? 俺は兄貴にも百合子にも幸せになって欲しいんだから。自分で決めたんだよ、俺は兄貴から百合子を奪うより、兄貴と百合子を見守ってやるべきだって。

 兄貴は百合子と俺をいつも守った。

 ヘラヘラしてっけど兄貴がマジになると俺でも怖ぇって思うくれぇ、やってくれる男だ。兄貴の実力を認めているし、百合子も少しならず兄貴に気持ちを寄せている。

 じゃあ俺に出来ることはなんだ? 関係を壊すこと? んなこと俺は望んじゃねぇ。守ってくれる兄貴の背中を見て、俺はこいつと百合子を見守りてぇって思った。しょーがねぇから貧乏くじ引いたってことで、二人を支える役回りに立ったんだ。自分で決めてな。

 そりゃ嫉妬しねぇって言ったら嘘になる。けど自分で決めたから虚しさはねぇよ。自分で決めたんだから。


 じゃあ、お前は?


 鈴理、テメェの諦められない気持ちは執着じゃねえ。自分で決めて物事を終わらせていない不満が、そうさせているんだ。テメェは不満なんだよ。親が敷いたレールの上を歩んでいることに。そりゃそうだよな。望んでもいないのに豊福と別れさせられたり、俺と婚約しちまったり」



 それでも、自分達は夫婦となる関係だ。


「テメェがどんなに嫌がっても俺はいつかお前を抱くし、お前は俺に抱かれる。逆もあるかもしれねぇがそれ置いといて、つまりそういう運命だ。婚約した以上はな。財閥は世継ぎと繋がりを重視している。俺の両親もお前の両親も例外じゃねえ。


 俺達は夫婦になる、いずれ。


 正直、俺は気が引けるぜ。

 はっきり言ってお前のことは女として見るより、家族として見ている方が気持ちが強い。家族同然のお前を抱く気にはさらさらなれねぇんだよ。

 でもお前のことは大事だ。お前が傷付くことがあれば、俺は容赦なく相手に食って掛かると思う。てめぇみたいな女に対してそう思う俺がいるんだぜ? 頭がどうかしちまったんじゃね? とか思うけど、それを認めざるを得ない手前がいるわけだ。


 もし、お前が俺の婚約者になることで幸せになれるんだったら、この運命を俺は受け入れるつもりだ。“本当に幸せになれるんだったら”な。


 けどきっと、俺達は夫婦になっても上手くいかねぇと思っている。どっちかってっと悪友のままの方が上手くいく、きっとな」


「大雅……、あんた。何が言いたい? 回りくどいぞ」


 鈴理にずばり指摘され、大雅は静かに答えた。



「お前のやりてぇことにとことん付き合ってやる。そう言ってんだよ。婚約、解消してぇんだろ?」


 

 静寂。沈黙。無音。

 室内に音が掻き消えた。

 瞠目して体ごとこっちを向いてくる婚約者にしたり顔を作ってやる。「できるわけ」頭から否定しようとする彼女に、「やってもしねぇで分かるのか?」そりゃ一人じゃ無理だ。大雅は素っ気無く返した。


「これは俺と鈴理、そして二家族の問題だ。が、結婚するのは間違えなく俺とお前だ。結局は俺達の問題で納まる。なら、俺達が足掻くしかねぇよ。結婚しなくても財閥は存続していくんだって親父達に見せ付ければいいんだ」


 玲は言った。

 環境を変えるにしても、人に認められるにしても、行動と結果が重視だと。

 口ではなんとでも言える。だが行動が伴わなかったら一緒だ。人は口ではなく、起こした行動の結果で判断するものなんじゃないか、と。



「あれって玲なりのお前への助言だ。玲はお前が自分の前に現れるのを待っているんだよ。簡単に豊福を手に入れたいなんざ思ってねぇし、お前のこともどっかで心配してんだ。お前へのライバル意識が高くて高飛車な言い方しかできなかったようだが、あいつは待っている。お前のことを。


 お前をちゃんとくだして豊福をものしたいんだよ。


 分かるか? あいつの気持ち。

 ライバルと友人の気持ちが混ざってそんな態度を取ったんだ。玲が白々しく借金の件で救済があるって言ったのはそのためだ。お前にチャンスを与えたんだよ。メリットなんてねぇのにそうするってことは、どっかでお前が姿を現してくることを望んでいるんだよ。


 お前だって豊福のことを変に諦めきれていないのは、自分で選んだ道じゃないからだ。

 失恋するにしても、なんにしても、この未来は親父達が勝手に決めた道であって俺達じゃない。だからお前は余計に納得しちゃねぇんだよ。


 さっき兄貴たちの話題を出したな? 俺は自分で納得したからこそ、諦めがついている。お前はどうだ?


 なあ鈴理、どうせなら自分達でやりきって挫折しちまおうぜ。

 死ぬ気で行動を起こして、それでも駄目って時もある。

 その時は自分達の力不足だったって認めて、親父達の指示に従おう。裏で俺達が子供だったって嘆けばいい。

 まだ何もしちゃねえじゃんかよ。俺もお前も。本気で、それこそ死ぬ気で環境を変えようとしたか? お前、豊福が好きなんだろ? 努力する姿が好きだったんだろ?

 じゃあ、お前も倣って努力すればいい。あいつに見せ付けて惚れ直させりゃいい」



 大雅はそれが本来あるべきお前のあたし様像だろうと茶化す。



「いつもの凄まじい行動力はどうした? 最近のお前、超おとなしかった。らしくねぇよ。お前なら豊福から友人でいようって言われても、突っ走って相手を物にすると思っていたけど、全然だったじゃねえか……それって家族のことがあってだろ? けど俺達が結婚して財閥が幸せかって言ったら、絶対そうとも限らねぇ。絶対なんてねぇ。どうする? 二階堂家と御堂家、どっちも破産したら。それこそ俺とお前で借金生活だ! そういう未来がないとも限らないぜ? つまり何が起きるか分からないってことだ」


「……大雅」


「手前の人生だ。お前の好きにしていいんじゃね? どうする、鈴理。全部を諦めて婚約者の俺に抱かれるか。それとも手前で決めて、俺と結果を出してみるか。成功したら万々歳。失敗したら、あー、しゃーねぇから優しく抱いてやる」



 「このままじゃお前は後悔するぜ?」自分で決めない人生を歩んじまったらさ。我の強いお前だ。他人に人生決められちゃ癪だろ?


 呆けつつも静聴している鈴理にそう告げると、飲みかけのイチゴミルクオレに手を伸ばした。

 まったく健気にも元カレの好きなものを飲んでいるようだが、やっていることが無いものねだりだ。らしくない。鈴理はもっと行動力のある我が儘お嬢様なのだ。欲しいなら欲しいなりの行動を示せばいい。今までのように。


「豊福はどうしょうもねえ」


 あいつは既に雁字搦めの環境にある。努力じゃどうしようもない域だ。



「でも俺達はまだちげぇだろ? まだお前は間に合う。よーく考えて決めろ、鈴理。お前自身の中でどうしてぇか。その答えによっちゃ付き合ってやるさ」



 相手の反応を見ず、大雅はグラスの中身を飲み干す。

 口内に広がる甘さに思わず、「番茶が飲みてぇ」と零してしまった。


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