03.財閥会合事件簿



 □ ■ □


 

 俺の婚約話は誰にも告白していない。

 仲の良いフライト兄弟にも、先輩達にも、担任にも、どんなに親しい相手だろうと今回の一件は安易に公表できなかったんだ。いずればれると分かっていても、できるだけ学院生活では静かに時間を過ごしたい。その気持ちが俺の口を閉ざしてしまっていた。


 だからと言ってへんに態度を変えたわけでもない。

 秘密が増えただけで、学院生活は至って普通だ。勉強に勤しんだり、フライト兄弟と駄弁ったり、時たますれ違う婚約カップルと会釈したり。そういやちょいちょい視線を感じる。

 まーだ俺達元カレカノカップルを注目している生徒がいるのかなって疑問に思っていたんだけど、ある日俺は視線の正体に気付く。


 それは俺が図書室に向かっている時の事だった。

 背後からグスグス鼻を啜る音が聞こえて、俺は振り返った。

 すると男子便所入り口に隠れているであろう見守り隊の、つまり鈴理先輩の親衛隊さん方が立っていた。何をしているんだろ? 呆れながら向こうを観察していると、副隊長の高間先輩が目を潤ませてシクシクと泣き出す。


「隊長。何故、自分達は毎日のように豊福空を観察しているのでしょうか。何が悲しくて野郎を観察してっ」


「馬鹿! 御堂くんのご命令は絶対だぞ! 観察帳を元にレポートを書かなければっ、あの方に殺される!」


 「自分。アイドルを観察したいです」でもアイドル、最近親衛隊をここぞと無視しているんで辛いです。Mな自分は詰られたいのです。と、高間先輩。

 隊長の柳先輩が分かる、気持ちは痛いほど分かる。なんぞと言って彼とアッツーイ抱擁を交わしていた。むさ苦しい抱擁に便所に向かっていた男子生徒がドン引きしている。


 まさか親衛隊に豊福観察帳をつけられていたなんて。

 しかも指示したのは御堂先輩とか、なあにしてるんだよあの人。親衛隊を無理やり応援団に強いていた記憶はあるけど、まさかまだ繋がっていたなんて。親衛隊がおとなしく指示に従っているのは御堂先輩が怖い他ないだろう。

 なんたってあの人にベルトを持たせたら、鞭のように振るうんだからな。男には容赦しないタチだし。俺を観察しても得なんてないと思うんだけどな。俺は涙を流している親衛隊を見なかったことにして図書室に向かった。奴等と関わったらロクなことがないからな。


  

 御堂家に居候することによって俺の勉強時間は大幅に増えた。

 誰に言われたわけでもないんだけど、婚約者ならこれくらいは知っておかないといけないんじゃないかって思って自主勉に励んでいる。それは英語だったり、経済だったり、経営システムのことだったり、社会常識マナーだったり。

 具体的にどんな勉強をすればいいのか分からなくて、御堂先輩に相談を持ちかけた。


 彼女からはそんなに気張らなくて良いって苦笑された。

 いやそうは言ってもそれなりに見合う男になりたいって。既に出身とルックスでちーんなのに。

 婚約者は俺の切な気持ちを酌んでくれた。一緒に勉強しようって部屋に招き入れてくれたんだ。御堂先輩の部屋は凄かった。部屋の広さもさながら(俺の部屋の1.5倍はあったと思う)、やたら演劇に関する本が本棚に納まっているんだ。

 よっぽど演劇が好きみたいで、本当はそっちの道に進みたいんじゃないか? って思うほど。


 彼女に尋ねると、「演劇は続けていきたいんだ」食べていけなくても良い、けれどどこかで関わっていきたいものなんだと俺に教えてくれた。

 昔からお芝居を観るのが好きなんだって。演劇にはとても情熱を注いでいるみたいで、彼女の机上には台本で散らかっていた。折角だから俺は勉強の合間に演劇た部活について教えてもらうことにした。役者としての心構えとか、舞台裏とか、先輩後輩の関係とか。


 それは活き活きと語ってくれた。

 いつになく王子の表情が和らいでいたから、聞き手の俺も嬉しくなったよ。

 夜食を持って来てくれた蘭子さんが御堂先輩の表情に、「愉しそうですね」本当に微笑ましそうに笑っていたよ。それだけ彼女の演劇に対する思いが表情に反映されていたんだろう。


 そうそう、先輩の部屋を訪れて一つ驚いたことがある。

 彼女の部屋は俺と同じ和式なんだけど、洋服掛けのところに先輩のセーラー服が掛けられていたんだ。

 それの何が驚くんだって話だけど、思い出して欲しい。彼女の身なりが始終学ランだってことを。つまり学校ではセーラー服で過ごしているんだ。


 俺の指摘に御堂先輩が唇を尖らせた。


「嫌だが着るしかないだろ? それが学校の校則なんだから」


 幾ら財閥の令嬢と言っても校則を覆すことはできないと御堂先輩。

 でもどうしても着るのが嫌だから、学校に入るギリギリまで学ランで過ごすんだって。二回も三回も着替えるってすっげぇ手間だと思うんだけど、男装を貫きたい彼女は手間も手間と思えないらしい。


 冗談まがいで、「俺にセーラー服姿を見せてくださいよ」と言ったら、


「豊福のセーラー服姿を見せてくれるならいいぞ」


笑顔で返された。


 セーラー服姿の御堂先輩を見たかったけど、自分も可愛かったから俺は丁重にお断りして願いを絶った。

 野郎の制服姿なんて、しかも俺が着るなんて想像するだけで吐き気ものだろ?! よってセーラー服姿は断念せざるを得なかった。先輩のワンピース姿、可愛かったんだけどな。


  

 土日は約束どおり、実家に帰らせてもらった。

 やっぱり我が家が一番で実家に帰るとホッとする。

 どんなに良い部屋や美味しいご飯を提供されても、我が家のぬくもりに勝るものはないと思う。首を長くして帰りを待ってくれている両親と水入らずの時間を過ごすのは楽しかった。

 実家を離れて、改めて俺はこの家が好きで、俺を育ててくれた両親が大好きなんだと痛感する。

 どんなに部屋が狭くて、食事が節約レシピばりでも俺は豊福家が一番安心した。


 「苛められていませんか?」「無理はしていないか?」心配してくれる両親が嬉しくて、俺はつい笑顔で大丈夫だと答えてしまう。バイトでクッタクタになっていても俺は自然な笑顔でいられる自信があった。それだけ俺は家族が大好きだった。



 こうして御堂家と実家を行き来する二重生活を送っていた俺だったけど、徐々に秘密はばれていくもんだなぁっと実感するようになる。


 例えば放課後。

 途中までフライト兄弟と帰っていたら、「空さま」お迎えに上がりましたよ、と蘭子さんが前触れもなしに現れるんだ。送り迎えはガソリン代の無駄だからしなくていいって言っているのに絶対蘭子さん達が迎えを寄越すもんだから俺は溜息しか出ない。

 御堂先輩なら携帯で連絡できるんだろうけど、俺は蘭子さん達の連絡先を知らないために迎えの車に乗るしかない。


 折角迎えに来てもらったのに無視するなんてできないだろ?


 だから俺はフライト兄弟にごめんと謝って、迎えの車に乗ることに。

 そんな日が連日続いてみろ。フライト兄弟だって俺の変化に嫌でも気付くと思う。触れて欲しくないって思っても、フライト兄弟はある日の昼休みに聞いて来るんだ。


 「迎えに来ているあの人、誰?」と。



「お前のことしょっちゅう迎えに来ているみたいだけど、あの人、誰? 美人だったけど……まさか彼女じゃないよな?」



 教室。

 昼食を取り終わった俺は自席に着いて、新書を読み漁っていた。今読んでいる本は『マクロ経済』と呼ばれる経済の本。


 「なーあ」アジくんに顔を覗き込まれてしまい、俺は読書を中断するしかない。「彼女じゃないって」変な誤解しないでよ、俺は苦笑する。


「でもさ。毎日のように迎えに来ているじゃん。しかも空さまだって……お前、あの人と密会しているんだろ!」


 アジくんに頓狂な詰問をされたために俺はとんでもないと声を上げる。


「じゃあ誰なんだよ」


 ジトーッと見据えてくるアジくんに、「知り合いだよ」それ以上も以下もないと俺は言い切った。

 「知り合いねぇ」ただの知り合いが人を様付けするか? 疑心を向けてくるアジくんがエビくんを流し目にする。


「年上好みならしょうがないんじゃない?」


 エビくんは大袈裟に肩を竦めた。

 だから、蘭子さんは俺の彼女じゃないって!


「しかも弁当。最近豪華だし……作ってもらってるんじゃねえの?」


 ギクリ。

 俺は何のことだとそ知らぬ顔で新書に目を落とす。 


「白々しいぞ。お前の弁当、最近五品以上おかずが入っているじゃんか。もやし炒めメインだった空の弁当が豪華。それってつまり、そういうことじゃね?」


 アジくんが爽やかな笑顔で詰問を続ける。

 確かに、俺の弁当は入学式以降悲惨だった。鈴理先輩と出会う前の弁当を知っているフライト兄弟だ。疑問を持って当然だと思う。


 はてさてどうしようか。

 此処は嘘をついて彼女だというべきか、それとも別の理由付けを探すべきか。


 どうしても今、真実を語るのは気乗りがしなかった。

 だから正直に言う。


「今は話せないんだ」


 ちょっと家庭がゴタついてて、と俺は苦笑いで誤魔化す。

 ただいつかは話す機会がくると思う。その時、話を聞いてやって欲しい。俺の我が儘な申し出に空気を読んでくれたフライト兄弟は、いつか絶対聞かせろよって明るいノリで返してくれた。


 そういうところが二人とも好きなんだよな。助かるよ、二人の明るさ。とても支えになる。


 結局俺の秘めている事情は明るみに出なかったけれど、これはその内、表に出るんだろうなって懸念するようになった。できることなら静かに学院生活を送りたいところだ。

 でもそれは俺の私情にしか過ぎない。必ず明るみに出る時が来る。

 俺は時折目に付く婚約カップルを見かける度にそれを強く思った。逃げ場はない。俺は近いうちにこの事情を二人に明かす時が来る。財閥に片足を突っ込んだ俺のさだめだ。


 そういえば最近、鈴理先輩の笑顔を見なくなった気がするけれど、彼女は笑っているだろうか? せめて大雅先輩の前では笑っていて欲しい。切な気持ちを抱く俺がいた。




 ある日の放課後のこと。

 図書室で借りていた本を返し、新たに経済の本を借りた俺はそれを通学鞄に仕舞って正門に向かった。いつものように正門付近で蘭子さんが待ってくれていたんだけど、何処となく慌てた様子。


 何か遭ったんだろうか? 蘭子さんに声を掛けると、早く乗車するよう促してくる。

 言われるがまま乗車すると、そこにはあら、珍しい。御堂先輩が乗っていた。いつもだったら部活に勤しんでいる時間だろうに。今日は英会話でもないしな。


 不機嫌面になっている御堂先輩に首を傾げながら、俺は何か遭ったのかと同じ質問を彼女にぶつける。


 「男なんて滅べばいいんだ」ぶっすーっと脹れ面になっている御堂先輩は、次いで、「豊福は滅んでは駄目だぞ」と腰に腕を巻いてくる。


 ちっとも答えになっていない。しかもどっこ触っているんっすか! セクハラ親父化してますよ、プリンスなのに!


 俺の抵抗にもまったく動じない御堂先輩は行きたくないと顔を顰めていた。


 はて、行きたくないとは?



「これから財閥会合があるのですよ。空さま」


「会合?」


「ええ。将来を背負う二世、三世はより早く社会の仕組みを理解するため、早くから国際や企業などのプレゼンテーション。親御さまの仕事を目にしておくのです。

 即戦力が問われる世の中ですからね。子息令嬢を学生のうちから育てておくのです。

 本日は経済プレゼンがございますので、財閥の二世、三世が勉強会の意味合いで集まるのです。

 勿論、玲お嬢様も例外ではありませんし、婚約された空さまもある程度の知識を要しますのでご出席頂ければと思っています。とはいえ、身構える必要もございません。経済プレゼンの講義があるので、そこに出席すると思って頂ければ。


 前もってお伝えできれば良かったのですが、唐突に決まったことなのでお伝えすることが直前となってしまいました。申し訳ございません。


 会合は五時から七時までの二時間程度。経済のお勉強をするだけなので、他の財閥と交流する機会は少ないと思います」



「よく分からないっすけど、財閥のお勉強会と思えばいいんっすかね? うーん、ついていけるかな。俺、まだ経済の勉強を齧り始めた程度ですし」


 ついていけなかったらどうしよう。

 顔を顰める俺に、「大丈夫」初心者向けに作られていることが多いから、御堂先輩が励ましてくれる。


 そうは言っても不安だ。

 財閥の勉強会なんて高度そうじゃんか。金をかけている分、内容も濃そうだしさ。周りは理解できて俺だけぽかーんな図が容易に想像できる。困った。


「それより豊福。この会合は学生が主として集まる。大丈夫そうか?」


 省略された気遣いに、「そっちは大丈夫っす」なるようになると俺は笑った。

 そう、財閥会合ってことは高い確率で元カノと会う可能性があるんだ。会うことが怖くないって言ったら嘘になるけど、俺は過去を顧みることはできない。これが俺の進む道なんだし。


 ……最近思うんだ。

 俺、ちゃんと御堂先輩のことを見ようって。こんなにも傍にいてくれるんだ。いつまでも引き摺っているわけにはいかない。


 俺と鈴理先輩の始まりはお互いを知るための恋人からだった。

 じゃあ、俺と御堂先輩の始まりは婚約から。それから本当の意味でお互いを知る努力をしよう、そう思えるようになってきた。


 少しずつだけど胸の疼きが緩和しているような気がするし。

 いや、それとも麻痺し始めているのかな。離れている時間が当たり前になったから、心に渦巻く感情が些少ならず麻痺しているのかも。だってそうじゃないと、俺も、元カノも、御堂先輩もやっていられないじゃないか。恋愛って花火みたいだよな。


 付き合っている時は華々しく火花を散らすけど、終わるときは呆気なく終わる。儚いものだと思った。


「(こう思う俺って本当に女々しいな)……さてと、御堂先輩。いつまでセクハラしてるんっすか? 人のお腹を触ってからに!」


「僕は男の子と女の子、両方欲しいんだが。豊福」


「まるで俺が孕むような言い方っすけど、俺は男っすからね!」


「そんなこと分かっているぞ」でも触りたいものは触りたいのだと御堂先輩。


 ……鈴理先輩にしても、御堂先輩にしても、どーして人の体をお触りおさわりばっかしてくるのかな。俺ってやっぱ女性に攻められる人生なのかも。それはそれで切ない。


 俺もできたら攻めたいけど、


「そういえば豊福。僕は風の頼りで知ったのだが、君は昼食を男友達と取っているそうだな。その男友達は大丈夫か? 変態じゃないか? 君を押し倒すようなことはっ……、確か名前はアジとエビだったような。応援団があだ名しか記入していなかったから、あだ名しか分からないが。ちなみに二人合わせてフライト兄弟だとか」


 はぁああ、この人を攻めるとか絶対無理だ。俺が食われちまう。


「そうそう。今日の体育の時間の話だが」ジャージを着ている際は、首もとのファスナーを上げていた方がいいぞ。首筋が見えると、誰かが欲情するかもしれない!」


 何処から入手したのか分からない事細かな情報に俺は溜息をついた。


 攻め女の愛って時々重過ぎる。

 頭痛を感じてしまう俺の悩みは果たして贅沢なのだろうか?



 


 財閥会合は某大手企業ビルの一室を貸しきって行われるらしい。


 さすがは財閥会合。金のかけ方が一回りも二回りも違う。

 一体幾ら支払って一室を借りたのか、誰がその金を出したのか、非常に気になるところだけど今の着眼点はそこじゃない。エントラスホールに溜まっている人間達に問題がある。


 右に視線を配れば華のウンタラお嬢様学校の生徒が数名。左に視線を配れば紳士で噂だっているウンタラお坊ちゃん学校の生徒が数名。

 見渡す限り金持ち校で名を轟かせている生徒ばかり。通っている制服で判断しちゃいけないのだろうけど(俺だって元金持ち校の生徒だし)、さすがは財閥会合に集うジュニア達だよな。見事に金持ち校の生徒ばかりだ。


 それだけじゃない。

 醸し出す空気がいかにも財閥の令息令嬢。耳を澄ますと聞こえてくる会話が異常も異常なんだ。



 「昨日ゴルフに行ってさ」「何処の?」「専属の私有地で」「ああ、この前土地を買ったって言っていたな」「また親父が買ってくれてさ」「いいよな」「お前のところだってポルシェを買ってもらったんだろ?」「まだ免許も持ってねぇんだぜ? 運転できねぇのに買って貰ってもなぁ」


 「この前はお茶会に誘ってくれてありがとう」「喜んで頂けて嬉しいわ」「今度は私の別荘でお茶しましょうね」「軽井沢だったかしら?」「いいえ、伊豆よ」「まあ良いところじゃない!」「お茶会をしてくれた熱海も良いだったわ」



 ……俺、金持ちとお友達になれない!


 周囲にいるお金持ちといえば、鈴理先輩や大雅先輩、宇津木先輩に御堂先輩となるのだけれど、日常会話にこんな異常な会話は飛び交わなかった。性的な意味では不謹慎な単語が飛び交っていたけれど、それにしてもこれは酷い。


 庶民出の俺にはついていけない世界である。

 私有地でゴルフ? ポルシェを買ってもらった? お茶会に別荘? なんじゃならほい、アメリカンジョークならウケねぇよレベルだ。

 我が家なんて聞いて驚け。運動はスーパーのタイムセール、お茶会は自宅、自家用車ならぬ自家用チャリで日々を過ごしている。すげぇだろこれ。金持ちには絶対にマネのできないことだろ! へっ、ザマーミロ!


(このボンボンどもめ。不況の波に揉まれている庶民の苦労を味わってみろ!)


 性格の悪い俺は心中で盛大に悪態をつきまくる。僻みと言われたらそうかもしれない。

 エントランスホールに集う人間を見ただけでUターンしたくなった俺は、ふと御堂先輩の姿が見えないことに気付く。あれ、おかしいな。さっきまで隣にいた筈なのに。

 お付き人の蘭子さんに視線を向ければ、「またお嬢様は……」蘭子は悲しゅうございます、と着物の袖で目元を押えていた。

 なにやらヤーな予感がして婚約者の姿を探す。彼女の姿は容易に見つけることが出来た、が、なにやら女子の人盛りが。まさかと思うけれどあれは。


「玲さま、御機嫌よう。今日も凛々しいお姿で」


「貴方に会える日を心待ちにしておりました。どうぞ会合は私とお茶を」


「ま、抜け駆けは宜しくなくってよ。鷲見(すみ)財閥のご令嬢」


「八城財閥の貴方様こそ玲さまに色目を使わないで下さる? 最初にお声掛けしたのは私ですよ?」



「喧嘩は良くないよ。折角の可愛らしいお顔が崩れてしまうじゃないか」


 

 嗚呼、帰りてぇ。

 額に手を当て、彼女の周りに集まっている令嬢達から背を向けた。

 御堂先輩、ファンであろう令嬢達に迫られてやんの。彼女も女性に甘いから一々ご挨拶して口説いているよう。女性が女性を口説くってどーよこれ。彼女が学ランを身に纏っているだけマシな光景に見えるけど、婚約者としては複雑。超複雑。嫉妬ではなく困惑が胸を占めている。


「お嬢様には空さまがいらっしゃるのに」


 あれを浮気と称さずになんと言いましょう!

 グスンと涙ぐむ蘭子さんは悔しそうに木綿のハンカチを噛み締めていた。空笑いを浮かべつつも、「大目に見てあげましょうよ」彼女は本当に女の子が好きみたいですし、と慰めの声を掛ける。浮気なんて大袈裟だ。

 彼女は真摯に女の子が好きで、会話を楽しみたく接しているだけなのだから。口説きに問題はあるけれど、彼女が楽しんでいるならそれで良いと思う。


 寧ろ、問題があるとすれば俺だ俺。

 熱烈なファンがいると知った手前、安易に御堂玲の婚約者です、と名乗ることは命を捨てるも同じだ。

 隠し立てする必要性はないだろうけれど、命は惜しいものである。ただでさえ鈴理先輩の親衛隊とのイッターイ体験があるゆえ、女子達の取り巻きに近寄ることすらできない。おざなりで下僕と促すのも手だよな。うん。女子を敵に回すなんて俺にはできないよ。


 軽快な口調で挨拶をする御堂先輩は、「すまない」今日は可愛い子猫ちゃんとお茶はできないんだ。と、歯が浮くような台詞を吐いていた。

 子猫ちゃん! 今時のイケメンさんでもそんな単語は吐かないのに!


「なら、私達とお部屋までご一緒しましょう」


 ただでは引き下がらない御堂先輩のファン、恐るべし。

 王子様は苦笑を零して各々頭を撫でるとごめんね、と謝罪してその申し出すら断った。

 落胆の声を上げるファン達を余所に早足で俺達の下に戻って来た御堂先輩は、「ごめん豊福」ひとりにさせてしまって、と手を取ってくる。もう一度言うけど手を取ってくる。ファンが向こうにいるのに、だ。


 ギョッと驚く俺は慌てて手を振り、「俺のことは気にしなくていいっすから」と、行為を拒む。


 けれどかたく手を握ってくる御堂先輩は、人の腰に手を回して引き寄せてきた。

 「照れなくてもいいのに」可愛いらしいね、ウィンクする彼女にそうじゃないと冷汗を流した。

 おずおずと取り巻きを一瞥、殺気を放っているファン達がそこにはいた。今の彼女達ならスーパーサイア人になっても不思議じゃない。戦闘能力は軽く53万は超していることだろう。


 じわりじわりと感じる殺気に千行の汗を流す。どうしようか、やはり此処は空気を読んで「俺はこの人の下僕なんだぜ」オーラを出すべきか? そうすれば万事丸くおさまるような気が、ちゅっ。


 黄色い悲鳴ならぬ、青い悲鳴が、エントランスホールに響いた。

 目を点にして額を押える。「機嫌はなおったかい?」と御堂先輩。


 え、何を言って……。



「嫉妬していたんだろう? 僕が女のところに行って」



 ふらっと体勢を崩し、近場の柱にしがみ付く。


 「まだ怒っているのかい?」もう一回でこちゅーしてやろうかと首を傾げる彼女の余所で、俺はズーンと落ち込んだ。

 なんてことをしてくれたんだ、この人。勘違いにも程がある。俺は嫉妬ではなく、この場をどう乗り切ろうか必死に考えていたというのに。嗚呼、俺は殺される。ファンの怒りどころか殺意を買った。いつ背後から刺されてもおかしくない。


 お金持ちとお友達になれないとは思ったけれど、これから財閥界で生きていくんだ。一人くらい心許せる友人が欲しいもの。なのに出鼻がこれじゃあ、お友達どころか反感を買う一方だろう。特に女性からは。


 シクシクと泣きつつ、俺は腕を引いてくる彼女に引き摺られるまま歩き出した。

 蘭子さんとはエントランスホールで別れる。此処から先は財閥の子息令嬢の域、目付けはお供できないらしい。見送ってくれる蘭子さんに手を振り、重い足取りで先輩と部屋を目指す。



「あれ。男嫌いの御堂玲だぜ。なんで男と一緒にいるんだよ。まさか噂の、あいつか? どこの財閥の子息だよ」



 エレベータ前、遠巻きに観察してくる財閥の子息のひとりが訝しげな顔を作った。


 噂。

 そうだ、俺はこの人と噂になっていたんだっけ。

 あの時はまさかこの人の婚約者になるなんて想像もしていなかった。

 なら今は? 俺はこの人の婚約者だ。家の諸事情を背負って向こうの条件を呑んだ。不釣合いでも今は婚約者だ。俺の恐怖心は微々たるもの、もっと大切なことがある。


 開いたエレベータに乗り込む。

 幸いなことに外界の見えない閉鎖的なエレベータだった。無機質な壁で囲まれた空間は高所の恐怖心を和らげてくる。

 きっとそれだけじゃない。無遠慮に御堂先輩が手を握ってくれた。高所に、現実に、未知の世界に恐れている俺のために。「大丈夫」傍にいるから、彼女の丸び帯びた声音にはにかんだ。それだけで元気をもらえる。


 目的のフロアに足を踏み入れる。

 御堂先輩の男嫌いが災いしているのか、隣を歩いている俺は大層注目を浴びた。エレベータに同乗した財閥の皆様からも、フロアの廊下で立ち話をしている財閥の皆様からも、一室前で受付をしている財閥の皆様からも。



――財閥の世界に生きると決まったその日から覚悟していた、いつかは関係がばれる。


  

 受付の場で署名する。


 初めて見る顔に受付担当が家柄を尋ねてきた。俺が返事する前に、御堂先輩が説明してくれたおかげですんなりと入室許可が下りる。

 指定された会議室に入ると、そこにも財閥の令息令嬢が談笑していた。集まりは上々のようで思った以上に人数がいる。部屋の造りは広さを覗けば、いたって普通だ。どれだけ某大手企業ビルの一室を借りても、並べられた長テーブルやパイプ椅子は市販で売られているものと変わりない。


「あいつだよ、あいつ。ホールで騒がれていた奴。新人財閥の子息。どこの財閥だろうな」


「初めて見る面だけど、頭は良さそうじゃん。あれ、エレガンス学院の制服だぜ」


 一々々々々々、人の家柄を気にするんだな。財閥の方って。

 溜息をつきたくなる。いっそのこと庶民出身の豊福空です、と高らかに自己紹介をしようか? 気分爽快しそうだ。


 ふと気付く。

 集った財閥の中に見受けられた、馴染みある顔ぶれ。

 「豊福」気遣ってくる声に視線を流し、「俺は大丈夫です」貴方が傍にいてくれるから、小さく笑みを零す。婚約が成立し、財閥界に足を踏み込んだあの時から覚悟していた。いずれ関係がばれる、その日を。


 未だに引き摺っているお互いの気持ち。双方、心情を察していた。

 だからこそ、この現実を知れば相手を傷付ける未来を俺は知っている。俺自身も相手を傷付けたと片隅で自己嫌悪するだろう。


 けれど俺は過去を顧みれない。

 俺には俺の守るべき人達がいる。恩を返したい人達がいる。支えたい人達がいるのだから。


 野次馬の声に興味をそそられたのだろう。顔ぶれが此方に注目してきた。

 「おまっ、」パイプ椅子を引いて立ち上がったのは大雅先輩。目を真ん丸お月さんにしているのは宇津木先輩。そして息を呑んで瞬き一つせず俺を見つめているのは元カノ、鈴理先輩。


 予想していた反応に微苦笑を零す。分かっていた、こうなることは分かっていたんだ。


  

「なん、で。豊福が此処にいるんだよ」


 

 これは財閥会合だぞ。


 目で訴えてくる訴えに答えるため、俺は先輩達に歩んだ。数歩で足が止まる。手首を掴んできたのは御堂先輩だ。

 心配をしてくれているのだろう。俺は大丈夫だと相手をチラ見、頬を崩して挨拶をするだけだと目尻を下げる。


「違う。豊福は勘違いをしている」


 鋭い声音が返ってきたのはその直後。力任せに手首を引いて体を引き戻してくる御堂先輩の行為に目を瞠ってしまう。否、重ねられた唇に驚愕。


 触れるだけの口付けは周囲から悲鳴やら、野次やら、名を紡ぐ声やら。


 後頭部に回されていた手が、そっと俺の髪を引いて距離を作る。

 鈍痛を感じたけれど、そんなことは二の次、三の次。


 目を白黒させて相手を見つめる。

 勘違いをしている、王子は言葉を繰り返して一笑を零した。




「彼女の下に行かせたくない。君の泣き顔を見たくない。傷付く姿を目の当たりにしたくない――豊福、これは僕の我が儘だよ。だって君は僕の大事な婚約者なのだから」



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