08.我が家にお嬢様がやってくる!(その2)




 それこそ真剣に見つめて見つめて見つめ返して、手を引いた彼女がゆっくりと唇を塞いでくる。


 最初は触れるだけ、重ね合わせるだけ。

 次第にそのキスが深くなっていくことを俺は知っている。

 いやもう体で教え込まれたっていうか? 身をもって経験しているっていうか? なんていうか?


 無理だのなんだの言っても結局拒めないんだから、俺ってヘタレの受け身男なのかもしれない。

 だからって腰を引かれる、その動作は頂けないっすけど。


 バードからディープに変わる瞬間は大抵息づきの合間。その間、鈴理先輩はふと閃いたような面持ちを作った。

 あんまり好い予感じゃない。タッチだけのキスの間際に、「空。リード権は自分にあるとさっき言っていたな?」と切り出してくる。


 そういう話題を確かにデート中言ったけれど、それが……どうしたのだろう。


「体勢ならば少しだけ譲ってやってもいいぞ」


 どういう意味っすか? うわっとっ、ぉおおおっ?!


 視界ががくんと揺れ、俺の体勢は崩れる。

 何が起こったかも分からず、ただ打ち付けた膝小僧が痛いと思案を巡らせる。が、すぐに大混乱も大混乱。


 だって俺、先輩を敷いてキスを、キスをしてっ、なにこの体勢っ、なにこの展開ぃいいいい?!


 不慣れな体勢に大パニックを起す俺を面白がる先輩は、「譲るのは体勢だけだ」と言い、今度こそ深いキスを仕掛けてきた。

 もう何がなんだか分からない。後頭部に手を回して舌を忍ばせてくる彼女とキスして、キスして、キスして……呼吸が苦しくなって喉を鳴らす。


 「せんぱっ」そろそろギブアップってところで先輩がそっと唇を放し、一笑。


「たまには、此方も刺激的だろ?」


 ドッドッド。

 心音を鳴らしている俺に、「あたしはいつものが好きだがな」と先輩は回していた手を背中に下げた。


 どうすることもできず、俺は彼女を見下ろすしかない。

 鈴理先輩は長い睫を微動させ、ふっくらとした唇を歪曲にすると骨張った指を伸ばしてボタンへ。すべてのボタンを外してしまう動作に、いつもなら止めに入るんだけど、いや、だって彼女が下にいて。


「おっ、俺、退きます」


 どうにか我に返った俺は体中の熱を感じながら、素早く上体を起こす。


「だめだ。もっとこの状況を楽しもう」


 ヒトの腕を掴み、あたし様が俺の体を強引に引き寄せる。

 危うく彼女を体重で押しつぶしそうになり、それを阻止するべく、両肘を畳につける。

 後頭部に二本の手が回った。無遠慮に右の耳を食まれ、大袈裟に肩が震える。


「や、やめて下さい……耳は反則です」


「空の両手が塞がっている今、触り放題だな」


 ふふっと笑う吐息が耳に掛かり、むず痒い気持ちになる。

 体勢は俺が押し倒している、なのに、攻めているのは下敷きになっている彼女だ。いつもと正反対の立ち位置なのに、ヤラレている立ち位置はまったく変わらない。


「こうして人を見上げる光景も悪くはない。空の必死な顔がよく見れる」


 柔らかい唇が耳から離れ、ゆるりと顔を覗き込まれる。

 こっちは唐突な行為についていけず、あっぷあっぷしているところだというのに、それすら彼女にとって悦びの種になるらしい。

 「悪趣味ですよ」人の困っている姿を見て楽しいのか、相手に問えば、満面の笑みが返って来る。


「あたしの趣味は空だからな。色んな状況に立ち、様々な空を目にしたいんだ。あんただって、そういう女を好きになったくせに。悪趣味はお互い様だ」


「俺の場合は落とされたんですよ。貴方様か、ら強引、に」


 反論すら聞かず、あたし様が剥き出しの首筋を味わうように舐めてくる。 

 それはまるで、今まさに捕えた獲物を食わんとするための下準備。赤い舌でじっくりと下から上に、首の筋を沿うように舐めては甘噛みをしてくる。

 「しょっぱい」至らん感想を述べ、ぶら下げているネクタイを引き抜く。既に全開となっているシャツを剥き、彼女は鎖骨にその舌を滑らせた。


「赤くなった」


 やがて舐める行為に飽きたあたし様が、傍若無人に肌を吸い始める。 


「またそれをやる」


 絶対に制服じゃ隠せない目立つ場所につけてくれるもんだから確信犯と罵るほかない。困るのは俺なのに。

 苦笑いを浮かべれば、「空にマーキングしているのだぞ」悪い虫が寄らないようにするための予防線だ、と鈴理先輩が目元を和らげた。

 なにより主張したい。これは自分のものだ、と。


「忘れるな空。あんたは何処にいようと、あたしのものだ。学校にいようが、家にいようが、外出していようが、あんたはあたしの獲物。世間がどう思うと、絶対に逃がさないさ」


 世間、その単語に違和感を覚える。

 首に腕を回してくる彼女を至近距離から見つめ、「俺を落とした責任は取って下さい」 それこそ攻められている俺は、世間からヘタレの腰抜け男だと引かれるだろう。また彼女のことを可愛げのない雄々しい肉食女だと揶揄するだろう。


 まったくもってそのとおりだけれど、俺達カップルは男女逆転ポジションで落ち着いている。納得せざるを得ない(主に俺がな)、先輩が望んでいるならしゃーないって割り切っているわけだ。

 世間からすると異色でも、俺はこの関係を否定するつもりはない。カレカノの俺達が納得しているならそれでいいと思っているんだけど。


「分かっている。だが、しっかりと宣言しておかなければ。空、あんたは誰でもない、あたしのものだ」


 言葉の裏に何か、見えない気持ちが隠れている。

 けれど俺には彼女の本心が見えない。彼女は今、何を思っているんだろう? 


 心に一点の曇りが出てくる。この曇りは俺自身の不安なのかもしれない。

 同じように彼女も不安を抱いているのだろう。それが何かは分からないけれど、なんとなく俺も関わっているような気がした。


 双方の漠然とした不安を払拭するため、俺は両肘を動かし、その手で彼女を抱きしめた。

 支えが無くなり自分の体重が向こうに掛かってしまうけれど、構わずおねだりを口にしてみる。


「なら、下さい。貴方のものだという証を」


 耳元でくぐもったような笑い声が聞こえた。


「空、今のおねだりは60点だぞ。可愛さが欲しい」


 なんだよ、元気じゃないか。

 羞恥心を抑えてまで頑張ったのに、点数を付けてくるとか、恐るべし我が彼女。

 おねだりのポイントを知っている俺は唸り声を漏らす。可愛さって、あれだよな。たぶん、あれ、あれだよな。何回言っても慣れないんだけど。


「先輩が言えば可愛いのに、なんで俺が言わないと……」


「では、あたしが言えばエッチするんだな。だったら言ってやってもいい。上目遣い付きで」


 それとこれは別問題なんですけど!

 上目遣いは見てみたいけど、代償が大きすぎる。


「分かりました、分かりましたよ。先輩、ちょーだい」


「何を?」


「……あーもう、証をちょーだい」



「投げやりな言い方ではやれんな。あたしが求めている空のおねだりは、もう羞恥心でいっぱいいっぱい。勘弁してくれ! と、顔を真っ赤にした姿で“ちょーだい”とねだる。これぞ理想の空のおねだり像なのだよ。

 それにより、あたりの理性は切れ、あれよあれよとエッチムードに」



「尚更、投げやりな言い方をしますよ! 人をなんだと思っているんっすか!」


「む? それは勿論、声と腰が大変にエロく「もういいです。聞いた俺が馬鹿でした」



 がっくりと肩を落とし、俺はわざと彼女に全体重を掛ける。これくらいの仕返しは許されるだろう。

 「おねだりは?」鈴理先輩が早くしろと命令してくる。

 くそう、妙に悔しいんだけど。たまには羞恥心を味わうがいいっすよ、先輩。


 対抗心がむくむくとこみ上げ、普段の俺にはない行動力が発揮される。

 目についたあたし様の右の耳に目を向け、優しく甘噛み。「ひゃ!」びっくりしたような、感じたような、食まれた感触に先輩が思わず可愛い声を上げる。

 予想以上の声に俺も、先輩も硬直。恐る恐る彼女の顔を覗き込めば、顔をトマトのように真っ赤にしたあたし様がそこにはいた。


「そ、そぉおお空! このあたしの耳を不意打ちに噛むとは、どういうことだ! 誰の許可を得てっ、得てっ!」


「だ、だ、だって俺は先輩のものですけど、先輩も俺のものでしょう! す、少しは悪戯しても良いかなー? って……その、あれっすね。結構可愛い声を出すんっすね、先輩」


 嬌声とは言わないけれど、あのびっくり声は是非もう一度聞きたい。

 先輩が俺を鳴かせようとする気持ちが少しだけ分かった気がする。まあ、断固として男の嬌声はキショイと主張させてもらうけどさ。

 「最悪だ!」なんてことをしてくれたのだ、と俺の腕の中にいた鈴理先輩が身を捩り、人の片頬を思い切り抓んでくる。


「空のくせに、あたしを攻めてくるとは何事だ。大体なんだ、この体勢。あたしを押し倒すとはふざけているのか!」


「この体勢は自分がそうしたんでしょうよ! いいじゃないですか、少しは恥ずかしい思いをしても。俺はいつもですよ、い、つ、も」


 上下に頬を動かしてくる彼女に、思わず反論する。

 本当に悔しかったのか、「もういい。もうしてやらん」彼女は鼻を鳴らして、ずりずりと俺の下から這い出た。


 そうこうしている内にヤカンが音を鳴らし始める。

 火を止めにいかないと、片膝立ちになり、コンロの方に目を向けた。その一瞬が命取りになった。


 小さな体躯を持つ先輩に横からタックルされ、見事に体が畳に叩きつけられる。

 痛みに眉を顰める間もなく、鈴理先輩が俺に馬乗り。いつもの体勢になるや、強引に唇を奪ってくる。

 コンロに掛けているヤカンが気になってしょうがない俺は、タンマだとストップを掛ける。

 火を止めたら、キスをして良いから。その意味を込めて両肩に手を置く。が、抵抗と思ったのか、瞬く間に両手が押さえられ畳に縫い付けられた。


 ねっとりした舌が上唇と下唇を割って、歯列をなぞってくる。それを越えて上あごをくすぐられると、電流が走ったかのように体が跳ねた。

 やがて奥に逃げている俺の舌を追い詰め、ゆっくりと絡めてくる。応えるために舌を絡める。輪郭をなぞられると、言い知れぬ快感が背筋に走った。


 生理的に涙が滲んでくる。酸欠で死にそう。嗚呼、唾液が口端から零れて気持ちが悪い。


「相変わらずキスが下手だな。鼻で息をすればいいのに」


 合間の息継ぎをくれる鈴理先輩がおかしそうに笑う。

 答えられる状況じゃない俺は呼吸を繰り返すばかり。脳に酸素がいっていないせいで、視界がくらくらする。


「煽ったのは空だ。責任は取れ」


 耳を食んだことに根に持っているらしく、仕返しとばかりに唇を耳元に寄せた。吐息を吹きかけてくる。

 ぶるっと身震いを起こしてしまう。


「男女ともに耳は性感帯。性別や個人によって差があるらしく、感じる奴は感じるが、感じない奴はまったく感じない。空は前者に当たる。いや、感じるよう調教されたというべきか」


 軽いタッチで右の耳殻を触る、その感触に体が震えた。

 唇ではむはむ、とされると、ぞわっと腰にくるものがある。

 特に耳核を指で挟まれながら、優しく舐められるともう駄目だ。声が出そうになる。

 絶対に声だけは出さない。口を結んで必死に唾を飲み込む。体が火照ってきたのは、気のせいだと思いたい。


「や、ヤカンの火を止めさせてください。もう、沸騰しっ、ば、ばか。何処を捲っているんっすか」


 勢いよくシャツをたくし上げ、鈴理先輩が人の臍にキスをする。


「やめ……っ、せんぱっ、そんなところ」


「此処がどうしたのだ?」


 顔に熱が集まる。

 分かっているくせに、なんでそんな意地悪を言うんっすか。


 羽のように微々たるタッチで腹部を触れてくる一方で、ツーッと彼女の舌が縦横する。

 焦らすように臍の周りを舐められたかと思ったら、それ自体を舐められた。呼吸とは別に込み上げてくる熱い吐息が忌まわしい。


「空はきっと思い出すのだろうな」


 胸上までシャツを捲くり、そこにキスをしてくる先輩が愉快気に笑った。


「此処でご家族と過ごす度に、あたしとの行為を。空は此処でされたことを思い出しては身悶えるんだ。家でやるとそういう美味しいイベントが出てくるから良いものだ。な?」


 想像してしまった。沸騰しそうなほど体が熱くなる。今の俺は耳まで赤くなっていると思う。

 これが所謂言葉攻め、というヤツなのかもしれない。


 かくかくと小刻みに震える体を必死に抑えようとするけど、まったく効果なし。

 体が問答無用に火照っている。もう気のせいと誤魔化せない。興奮、しているのか? やめてくれよ。流されたら最後だぞ。先輩はいつだって乗り気なんだ。俺が防波堤にならないと、ほんっとにやばい。


「うっ!」


 硬直する体。

 明らかに快楽を宿した声音は嬌声だと誰が聴いても分かる。

 最悪だ。声を出してしまった。目を白黒させている俺の右耳の付け根を鈴理先輩が美味しそう舐めている。


「い、嫌だ先輩。そこっ、そこはっ」


 じゃあこっちだと言わんばかりに耳の付け根から耳殻に舌を滑らせた。

 ぐるっと縁をなぞり、そのまま舌を中に滑らせる。内が一番弱く敏感で、感じやすいと先輩は知っている。彼女が俺の性感帯を暴いたんだ。知らないわけがない。

 感じやすい耳核と内を交互に舐められ、「ぃ、ぁ」食いしばる歯の間から声が漏れる。

 とても短く、けれど抑えられずに零れる嬌声。恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。でも、止まらない。一度声を出したら我慢をする方が難しい。


「変に声を我慢するとあんたが辛いぞ?」


「み、耳元でっ、ひっ……しゃっ、しゃべらないでっ、くだ、さい」


 空気を媒体にして鼓膜を振動させ、音を伝える一連の動作すら今の俺には快感だ。

 楽しげに笑っている鈴理先輩が荒々しく、そして強く内を舐めあげてくる。我慢していた声が表に出た。


 やばい、おかしい。変になる。頭がおかしくなる変になる。

 もう舐めないで欲しい。同じ場所ばかり舐めないで欲しい。そこばっかり舐めないで欲しい。敏感がもっと敏感になる。

 次からそこを舐められただけで快感を思い出しそう。触れられただけで声を出しそう。俺の分身さんが本当に彼女を求めそう。セックスをしたくなりそう。


「やめっ、せんぱっ。も、許して、ください」


 だってもう既に、俺の中で理性と本能が葛藤を始めている。


「空、しゃぶって」


 指が唇に添えられる。

 そんな厭らしいことができるわけねーでしょうが。アータの指は俺の口内を引っ掻き回すと知っているんっすよ!


 無理だと泣き言を連ねるが、「舐・め・ろ」強く命令され、仕方がなしに人差し指を食む。


「銜えるだけじゃ舐めるにならない」


 彼女にねっとりと耳を舐められ身を竦めた。

 おずおずと舌を出し、指にそれを這わせる。中指が後から入ってきた。俺の舌を指で挟み、やわやわと揉んでくる。唾液を飲もうとするとそれを制するように指が動いた。ああ、唾液が飲めない。零れてしまう。


 耳に這う舌は遠慮することを知らず、指と連動するように意味深な這い方をした。

 ひぅ、内側を舐められ喉を鳴らす。唾液が零れた。もうやだ、恥ずかしい。逃げたい。死にたい。


「ヤらしい」


 うっ、うっ、声を漏らす俺にご機嫌のあたし様。

 舌を引っ張り出し、そこに自分の舌を這わせるという高度な技を見せ付けてきた。びくんと体が揺れ、芯が熱くなる。厭らしい光景に興奮する自分がいた。



「空はな、こうして攻められる姿が一番可愛いんだ。声を上げる姿も、乱れる姿も、理性と本能の間で揺れている姿も――何度でも言う。空、あんたはあたしのものだ。あたしをその体に刻め。

 そして、いつか、食われることを覚悟しておけ。なんなら今でもいい。あたしはいつだってあんたを食べたい」


 ずるっと口から指を抜き、鈴理先輩が今日一番の笑顔を作る。  

 食われている。俺は今、この人に食われ、て、いる。俺はこの人のものなんだ。


「先輩、もっと」


 理性が崩れ、求めてしまうのは男としてなのか。それとも先輩が謳うヒロインとしてなのか。


「ちょーだい。貴方のものだという証拠を、ちょーだい」


 長い髪に指を絡め、さっき言えなかったおねだりを今ここで口にする。

 恍惚に彼女を見つめれば、笑みを深める先輩がゆるりと口端に付着した唾液を親指で拭ってくれた。

 嗚呼、俺は鈴理先輩に食われている。


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