06.あたし様noご乱心?






「――はい、はい、じゃあ明日に。でも本当に大丈夫っすか? 急に明日にしちゃいましたけど。あ、はい。ではまた明日に。おやすみなさい」




 携帯の電源を切った俺は、「明日に決まっちゃったよ」ドッドッドと心臓を高鳴らせて机に伏す。

 俺から誘った手前、緊張するってのも変な話だけど、めっちゃ緊張するーっ! どうしよう、明日になっちまったなっちまったぁああ!


 今日はゆっくり眠れるかな、緊張のあまりに眠れないかもしれない。

 だけど眠らないと明日はもっと緊張で眠れない気が。

 逃げが大得意の俺が鈴理先輩をお誘い。飯は勿論なんだけど、それよりもなによりも。


「空さん、鈴理さんは明日いらっしゃるの?」


「え、あ、ああぁあうん。と、泊まりに来れるって。明日は丁度金曜だし、土曜の補習もないから泊まりに来るって」


 そう俺、豊福空は大胆不敵にも肉食お嬢様を家に招いた上にお泊りに誘ったのだった。

 前々から泊まりには誘おうとは思っていたんだよ。以前、お邪魔して、あーだこーだやーんあっはんうっふん…………あれおっかしいなぁ、襲われた思い出しか出てこないぞ。

 いかんいかん、お世話になった記憶がある筈だろ。


 ほら目を閉じれば、来て早々働かせられた執事修行。

 竹光さんにビシバシ指導された末路は投げ飛ばし……肩を強打したっけ。んでもってコスチュームプレイを強いられ、縛られた上にキスを散々しまくった。いや、あれは俺が誘ったんだっけ。

 それから色々あって就寝時間に危うく食われそうになったという。


 ………やっぱり襲われた記憶しか出てこないっ! 俺の貞操の危機が大半を占めている!


(うわぁあああっ、風呂とか一緒に入ったんだっけ! あの時はマジっ、死ぬかと……先輩の谷間、今だって思い出せそうっ……じゃなぁあああい! 俺なんて土に還ればいいんだぁああああ!)


 頭を抱えて誘って良かったのかと呻く俺に、「どうしたんですか?」母さんがパチクリと目を瞬かせる。

 なんでもないと微苦笑を向けるものの、俺の脳内では絶叫と警鐘が絶え間なくエコーしている。

 鈴理先輩に食われないよな、俺。いや大丈夫だろ、二部屋しかない俺の家だから、両親がいる間は流石の先輩もおとなしくしてくれている筈。


 それにこれは鈴理先輩を元気付けるためのお誘いなんだ。少し暴走してもらっても構わない、ことはないんだけど、本調子に戻ってくれたらと思う。

 最近の鈴理先輩、なんかおかしいんだ。ぼーっとしていることが多いというか、物思いに耽っていることが多いというか、なんというか。

 悩みがあるのかなぁって声を掛けたんだけど、生返事をするだけで何も答えてくれなかったし。


 なにより言動がおかしい。

 例えば、そうだな……今日の昼休みの流れを例に挙げてみようと思う。

 まず俺達が昼食を取るために移動している時のことだ。俺と先輩で学食堂に向かっている最中、大雅先輩と遭遇。彼とも一緒に食べるってのが日常化しているから、三人で学食堂に向かっていたんだ。


 移動中は鈴理先輩が真ん中を陣取っていたわけだけど、不意に俺達を交互に見やって唸った。

 どうしたんだろうって思った瞬間、俺達は彼女に腰を撫で回される。悲鳴を上げそうになる俺と、「何しやがる!」怒声を上げる大雅先輩。鈴理先輩は状況を気にせず、これまた唸り声を上げて思案に耽った。と、思いきや鈴理先輩は髪をグシャグシャにしてすんごい奇声を放つ。


 発狂したというべき先輩の挙動に、ちょっち引いていると思い立ったように彼女は許婚を見て言った。


「大雅。抱かせろ」 


 ピシャーン!

 衝撃という名のカミナリに撃たれる俺と大雅先輩は揃って石化、鈴理先輩は大真面目に抱かせろと廊下で大々的に言い放った。

 一応、俺達カップルは学院では超有名人。俺の顔は知らずとも、雄々しい行動をして下さる鈴理先輩の顔は学院でも広く知れ渡っている。どれだけ彼女が俺とセックスしたいのかも知っているし、ゾッコンなのも知っている。その彼女が他の男に抱かせろと言う。


 そりゃあ通行人の生徒数人が立ち止まったよ。

 俺も目前で浮気されるとは思わなかったし、大雅先輩も抱かせろなんて命令されるとも思わなかった。

 誰もが絶句している中、逸早く我に返った大雅先輩が「阿呆か!」テメェには彼氏がいるだろうとご尤もなことをのたまう。


「なあんで俺がテメェに抱かれなきゃならん! 俺は抱く専門だっ! 豊福はどうした豊福は!」


「空はいつも抱いている」


「え゛、俺等はまだいかがわしい営みをしたことがない筈っすよ」


 絶句の上に混乱している俺を余所に、「ええい煩い奴だ」少し試したいだけだと告げ、硬直している大雅先輩に歩み寄ると膝裏を蹴り飛ばし、体勢を崩す彼を抱き上げた。

 そう鈴理先輩は大雅先輩をお姫様抱っこしたかっただけのようだ。


 目を白黒させている大雅先輩は、サッと我に返って「すぐに下ろせ!」じゃねえと酷い目に遭うからな、なーんて喚き散らしていた。


 ちなみに俺自身はついつい二人と距離を置いてしまう。

 いつもされる側に立たされているから分からなかったけど、女に姫様抱っこされる男の図って激アンバランス。お世辞にも微笑ましい光景とは言えない。寧ろ、爆笑ものかもしれない。


 大雅先輩の体躯が大きく、鈴理先輩の体躯が小さいってのもあるよな。不平衡なこと極まりない。

 必死に下ろすよう喚いている大雅先輩を見ているうちに、俺の笑いのツボが刺激され口を歪曲にして、とうとう爆笑。


 俺は光景に腹を抱えて笑い、「テメェ!」後で覚えてろと大雅先輩は怒気を纏っていたという。

 鈴理先輩だけは難しい顔をして、意味深に吐息をついていたっけ。


 これだけでも十二分に鈴理先輩の様子はおかしいと分かる。


 だけどもっとおかしかったのはこの後。 

 学食堂で俺は弁当、鈴理先輩と大雅先輩は定食を食べていると、味噌汁を啜りながら我が彼女が頓狂なことを零した。


「食べ終わったら抱かれてもいいかもな」


 盛大に咽た俺と大雅先輩の心情は察して欲しい。

 だって攻め女の持論を掲げている鈴理先輩が、「抱かれてもいい」と仰ったんだぜ? 驚くどころの話じゃない。天変地異が起きたって不思議じゃない。もしかしたら明日、世界的規模のトップニュースとして宇宙人が侵略に来るのかもしれないな。ワレワレハ宇宙人侵略キタアルヨ、と挨拶されるかも。


 とにもかくにもどっかーんな発言をされて俺達は本日二度目の石化。

 「鈴理先輩」具合でも悪いんっすか? おずおずと聞けば、彼女は何を思ったか箸を握り締め、荒々しく食器をトレイへ。こめかみに青筋を立てた彼女は、俺を睨んで「やっぱり嫌だ!」大喝破してきた。


「あたしが抱くが良いのだ! 空のくせにあたしを抱きたいなどとはケッタイな! お誘いか!」


「えぇええ?! 今の過程で俺が叱られる要素なんてひとつもない筈っすよ! お誘いもしてないじゃないっすか!」


「大雅も大雅だ! あんたは、あー、あー……とにかくあたしを怒らせたな!」


「テメェ……単にそれ、八つ当たりをしたいだけだろうが」


 煩い煩いうるさーい!

 テーブルを叩く鈴理先輩は、「あんた達なんてなぁ」揃って女にヤられたら良いのだと毒づき、脹れて食事を再開。


「空は後であたしとスるからな!」


 なーんてフンッと鼻を鳴らす始末。

 でもすぐに溜息をつき、「神様は」何故アダムとイブを作ったのだろうか、といきなり哲学的な話を持ち出して肩を落とした。


 

「べつにアダムとイブを作ったことに異論はないのだが、立ち位置がなぁ。男は女を守る。女は男に守られる。神様はどうしてそういう法則を作ってしまったのだろう。女は弱い生き物なのだろうか。いいや、昆虫のとある世界では交尾を終えたメスはオスを食らってしまうらしい。体的にもメスの方が大きいらしいし。うむ、何故人間もそのようにならなかったのか。カニバリズムを求めているわけではないのだが、人間の世界にも女は男を食らってしまうという法則が欲しい。主よ、あたしは食らいたい人間なのですよ」


 

「……大雅先輩。幼馴染みとして、今の彼女をどう見ますっすか?」


「……ご乱心、としか言いようが」


 

「こうなれば革命を起こすしかないのか! 世界でも征服して法則を変えれば、世の女は皆、攻め女になるのか! よし、だったら何から始めるっ、修行してかめはめ波の取得からでも始めれば良いのか?!」


 

「……悪質な風邪にでもかかったのかもしれないな」


「……あれ。風邪なんっすか?」


 

「はぁああ。そんな馬鹿なことがあるか。あたしは宇宙人ではない、取得は不可だ。幾らあたしでも不可能という文字が辞書にある。ナポレオンの名言に茶々を入れたくなる。人間誰しも不可能はある、と。不可能と言う奴は愚か者? ええい、だったら人類皆、愚か者だ」


 

「……鈴理の変人っぷりには慣れている筈なんだが。あれはちょっと変の度を超してやがる」


「……病院の何科に連れて行けばいいんっすかね。俺、真面目に心配になってきました」


 

「愚かと罵ったナポレオンに聞きたい。愚かなあたしはどうすればいい! 返事をせんか! こら!」



「……鈴理先輩。見ているだけで痛々しいっす」


「……泣くな豊福。俺も無性に泣きたくなる」


 

 ぐわぁあっと呻いてテーブルに撃沈する彼女は、「守られる側など」言語道断だとシクシクと嘆く。掛ける言葉もないとはこのことだ。撃沈している彼女に俺達は顔を見合わせた。本当にどうしたんだろう、鈴理先輩。


 むくり。

 頭上に分厚い雨雲を作っている鈴理先輩が、静かに上体を起こした。にへらと笑ってくるお嬢様に、同じ顔で笑みを返す(若干引き攣り気味)俺達の間に沈黙ができるのは自然現象だと思って欲しい。節々で己の中の中学二年生を暴走させた鈴理先輩は、呆気取られている俺達にいつまでもにへらへらと笑い掛けてくれた。


 どうしたんっすか、何かあったんすか、聞いても彼女はにへらへらと笑うだけ。

 挙句、頭の螺子が緩んでしまったのか、螺子がどっかに飛んでしまったのか、はたまた大雅先輩の言うようにご乱心してしまったのか、かめはめ波が実はできるのではないかと思い立ち、危うく美人お嬢様が見みる少年ごっこをするところだったという。


 隣に座っていた大雅先輩が全力で止めてくれたものの、鈴理先輩らしからぬ行動に俺は混乱も混乱だ。

 今日以外にも度々目の当たりにしている物思いに耽っている様子、そして彼女らしかぬ言動からして、何かを悩んでいるようには思えるんだけど。


 

 ここ数日の彼女の挙動不審に俺は憂慮を抱いていた。

 キスしたり押し倒したり攻めたり等々は、ちゃーんとしてくるんだけど何かがおかしい。彼女は思い悩んでいるように思える。小さな悩みだったらすぐに打ち明けてくれるんだろうけれど、あの様子からすると深い悩みがありそうだ。誤魔化すために言動がおかしくなっているような気がしてならない。


 彼女が抱く大きな悩みとして考えられる一つの要因は、ご家族のこと。

 鈴理先輩は家庭を窮屈だと思っている。四姉妹一の変わり者である彼女にとって財閥の常識は心苦しいと本人から聞いていた。彼女は家族、もしくは家庭のことで悩んでいるのかもしれない。


 心に踏み込んでみたいけど、彼女の抱く問題はデリケートだ。

 俺自身も経験があるけど、身内のことについて他者から触れられるのって抵抗感があるんだよな。


 だから俺は聞けずにいた。

 初めて見る鈴理先輩の挙動に戸惑いを覚えているっていうのもあるんだけどさ。


(それに、やたら鈴理先輩……)


 俺は母さんに風呂に入ってくると告げて、洗面所に向かった。

 洗濯機や洗面台、タオルや下着が入っているラックがひしめき合っているその場所で上半裸になると、洗面台前に立った。

 「うわっ」凄い数だと声音を上げる俺は、鏡面の向こうにいる自分の首筋から鎖骨に掛けて指でなぞった。相変わらず目立つ場所に付けてくれるよなぁ、鈴理先輩。キスマークと称される内出血があちらこちらで華を咲いているじゃないか。下手すりゃ痣になりそうだよ、ほんっと。


 最近じゃ両親の目を誤魔化すのも苦しくなってきたこの痕に目を細めて、俺は実体の鎖骨を手の平で擦る。


(ここ数日……キスマークを付ける先輩の行為が過激になっている気がする)


 付ける数が多くなったわけじゃない、だけど付けられる時の痛みが増した。

 最初こそ気のせいかと思ったけど、チクリと針で刺されるような痛みの鋭さを感じる度に気のせいじゃないと実感。

 先輩は故意的に強く吸っている。いつか吸われた上に噛まれるんじゃないだろうか、懸念を抱くほどジクリと痛むキスマークの行為に俺は違和感を覚えて仕方が無かった。


 単なる先輩の気まぐれならいいけれど、いいんだけど。


(……もし、これが気持ちの表れだとしたら)


 先輩は俺に何かメッセージを伝えているんじゃ……考え過ぎかな。

 御堂先輩が現れてから何かと攻め度が増した気はするけど、それにしても過激になったな。この行為。

 鏡面の向こうに視線を向ければ、酷く情けない顔を作る俺がいた。ブンブンとかぶりを振って、俺は頬を叩く。俺が落ち込んでどうするよ。明日は先輩が来るんだぞ、テンションをハイにしていかないと。


 本調子になってもらうためにも御持て成しをしないとな!


 ……先輩の中で『御持て成し=俺→イタダキマス』にならないといいけど。


 楽しみであり、ちょっぴり……嘘、多大な不安を胸に抱く俺はオッソロシイ想像をしてしまい、ゲンナリと溜息をついたのだった。



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