05.守る、守られる




□ ■ □




――守っているようで守られている、その指摘はあながち外れていないような気がする。


    

 純粋に彼を守っていると思った瞬間はいつだっただろう。

 具体的な例えを挙げるのならば、幼少の記憶を取り戻してしまった彼の傍にいた刹那が挙げられる。

 無理に虚勢を張って自我を保とうとしていた彼が崩れてしまったあの日あの夜あの瞬間、ただただ懺悔している小さな彼を抱擁していた。

 ごめんと繰り返す彼の背を何度も擦って、傷付いた心を慰めることしかできなかったけれど、それでも傍にいることで彼の安定剤にはなれていたと思う。


 ホテルで一夜を過ごしている間も、ベッドに入った後も、夢路を歩いているその時も、彼はただただ人のぬくもりを求めていた。

 先に眠りについてしまった彼の髪を梳いていると、両親の名を紡いで自然と涙を流していたあの姿。


「ダイジョーブ」


 声を掛け、そっと身を引き寄せてやると甘えるように擦り寄ってきた。

 ぬくもりを貪り、誰かに甘えることで幼少の行為を許してもらいたかったのかもしれない。


 その証拠に翌日の彼は付き合いの中でも稀に見る、甘えたがり屋さんになっていた。

 先に起床し、彼が起床するまでベッドにいたのだが一向に起きない。だったら着替えでも済ませておこうか、そう思ってベッドから下りようとした。


 すると寝巻きを掴まれてしまい、下りるに下りられず。

 視線を辿れば目を腫らした彼が起床していた。


「おはよう」


 挨拶すると、


「はよっす」


 蚊の鳴くような声で挨拶、起きる気配はなく、寧ろ寝巻きを静かに引いてくる。

 何処に行くのだと態度で示してくる彼に着替えるだけだと説明。それでも彼は動かず、手も放してくれなかった。


「空。起きないのか」


 努めて優しく言葉を掛けると、まだ起きられないと彼。否、起きたくないのだと察した鈴理は、「しょーがない奴だな」寝転がって愚図っている子供の頭を撫でる。

 無言で体を密着させてくる子供は、思い出したように体を震わした。


「ごめん」


 謝罪してくる彼、自分の行為に悔い、親を目の前で失った時の傷の深さを垣間見たようで胸が痛んだ。

 微動している瞼に唇を落とし、何度も大丈夫だと気を落ち着かせるために髪を梳いてやる。成されるがままの彼は、甘んじてそれを受け止め、不意に呟くのだ。


「先輩、何処にも行かないで。ひとりにしないで下さい」


 今ひとりにされたら、崩れてしまっている心が砕けそうだと訴えてきた。


「馬鹿だな。ひとりにするわけないだろ」


 鈴理は相手に微笑し、絶対にひとりにしないことを約束する。

 疑っているのか、彼は「絶対っすよ」と念を押してきた。勿論だと頷けば、「絶対っすからね」まだ念を押してくる。

 あまりにもしつこいものだから、


「もしやエッチでもしたいのか? ならば、そう最初から言えばいいのに」


と茶化してやった。

 答えなどとっくに分かっているものの、いつものように攻めてやりたくなるのは彼を思う気持ちから。


 即答で「ノーっす」と拒絶されてしまい、「それでこそ空だ」鈴理は笑声を漏らした。

 やや拗ねた顔を作るものの、彼はやっと安堵したように約束だと綻んで腕の中におさまってくれる。


「先輩はあったかいっすね。安心する……落ち着くっすよ」


 子供のように笑う彼を、これからも守り続けていきたいとあの時、強く願い思った。



 反対に彼に守られていると思った時はいつだったか。

 思い当たる節は幾つもあるが、特に挙げられるとしたら“誘拐事件”での一件だろう。

 あの時の彼は自分の意見など総無視して、勝手に身を挺して守り側に立った。どんなに受け身でも自分は男、何かあったら一時でいい、男のポジションを譲れと口ずさんで自分を守ったのだ。

 護身術など身に付けていない庶民くんだというのに誘拐犯に果敢に立ち向かい、高所恐怖症だというのに自分と崖から落ちた。


 挙句、誘拐犯に発砲され負傷するという災難が降りかかった。

 踏んだり蹴ったりはっ倒されたりである。

 それでも彼は自分の身を案じてくれていた。女の子は傷を作ってはいけない、その男ならではの気遣いを垣間見せてくれていたのだ。


 どんなに攻め女でも女は女、受け男でも男は男、その精神は深く彼の中に根付いている。


 普段のリード権は譲ってくれていても、そういった男としての自尊心は譲ってくれない。物腰が柔らかいようで、彼は意外と頑固だ。

 守られたことに強い悔しさを抱いたのは、誘拐犯からの逃走劇最中ではなく、劇が幕を閉じ、彼が救急車で運ばれる時のこと。

 ストレッチャーで運ばれていた彼の様子が一変したと許婚から報告を受け、家族の前で泣き崩れていた自分は大慌てで救急車に流し目。

 彼の家族が救急車に乗り込む光景を目の当たりにし、閉じられた扉の音と鳴り響き始めたサイレンが耳に介して大脳へ。

 思った以上に重体だったのだと状況を把握した自分は泣くことさえ忘れて、許婚に詰め寄った。彼は大丈夫なのかと。


「出血はなんとかな。けど頭部の強打が災いしているみてぇ」


 言葉を濁す許婚は正直に教えてくれる。


 よって混乱と不安を招いたが、表に出さず、すぐに病院に行くと言い張った。

 そして気持ちを酌んでくれた家族と共に車に乗り込んだ際、


「落ちた時にあたしを庇ってしまったからだ」


だから、こんなことになってしまったのだと許婚に吐露。

 自分を庇わず、そのまま落ちていれば衝撃も少なかったに違いない。

 許婚に告げると、間を置いて返事をくれた。


「多分、鈴理と豊福の状態が逆だったら……俺は豊福を殴り飛ばしていたと思う」


「何を言って……空が怪我をしても良かったと言いたいのか」


 自分の問い掛けに、


「そうは言ってねぇ。けど豊福は男だ。逆じゃ駄目なんだ」


 簡潔な答えをくれた。

 まったくもって答えになっていない。男だから、女だから、そんな理由付けをされても説得力がない。彼は護身術も何も持っていないのに、それでもこれで良かったのかと相手に詰問。


 許婚は微苦笑を零して、逆じゃ駄目なのだと繰り返した。



「いざって時に守れねぇ男なんてさ、男じゃねえじゃん。なんっつーのかなぁ、男にしか分からねぇと思うぜ。この気持ち。

 きっと俺と鈴理が同じ目に遭って、鈴理が豊福のようになっちまったら……豊福は俺を殴り飛ばすんじゃねえかな」


「理解不可能だ。あたしには分からん。あたしには分からないぞ。大雅。あたしは空を守りたかったのだ、守られるでは嫌だったのだ」


 そう訴えて項垂れる。


「俺はこれで良かったよ」


 軽く頭を撫でてくる許婚は、ちったぁ女らしく守られとけと言葉を掛けてくれた。

 嫌だと主張する自分は、悔しいと相手に愚痴を零した。彼のせいでとても悔しい思いを噛み締めている。


 元気にならないと許してやらない、嗚咽交じりに許婚に苦言。

 相手の膝を叩いて、やり場のない気持ちをぶつける。

 何も言わず感情を受け止めてくれる許婚は、ただただクシャリと頭を撫でてくれた。


「大雅。あたしはもう守られてやらない。今度はな……何があっても空を全力で守る。正真正銘のヒーローになってやる」


「そーかよ。そりゃ豊福も大変だな、あいつもいざとなったらヒーローになりたいだろうに」


「譲らない。譲ってやらないのだ。絶対に」


 固く誓う自分にせいぜい頑張れとおどける許婚、悔しくてまた膝を叩いた。

 やっぱり甘受してくれる許婚は、「お前って案外男を見る目があるんだな」と茶化した。

 許婚もお墨付きの彼氏だよ、励ましてくれる許婚の優しさに涙の量を増やしたのは自分だけの秘密だったりする。


 結局、彼は大事に至らず、後日病室で見舞いに来る自分に微笑を向けてくれた。それがホッとしたり、片隅で悔しさを抱いたり。


 つらつら述べようと思っていた悪口の毒気が消散されてしまった。


 けれど、向けられた笑みで強く胸に刻んだ。今度こそ、今度こそ、ヒーローになるのだと。




(――そう、今度こそ空を守ると決めていたのに、まさか玲にあんなことを言われるなんて思ってもみなかったな)



 とある日、英会話から帰宅した鈴理は夕飯を取らず、愛犬のアレックスの下で一戯れ。

 その後、シャワーを浴びて寝巻きに着替えると、携帯を片手にお気に入りの水辺のテラスへ。

 縁に腰掛け、携帯を弄りながら素足でちゃぷちゃぷと水面に触れた。気持ちがささくれ立った時はいつも此処に来るようにしている。澄んだ水と静かに広がる波紋が自分を慰めてくれるから。


 大きな溜息をつき、携帯を閉じてちゃぷちゃぷと水で遊んでいると「お嬢様」声を掛けられる。


 顔を上げれば教育係のお松が背後になっていた。

 第二の母とも言えるお松は、夕飯を取っていないと知ったのか、ちゃんと食事はするようにとお小言を頂戴してしまう。


 食べたくないとそっぽを向けば、


「駄目です。ちゃんとお食べになって下さい」


隣に腰をおろしてきた。


 ぶうっと脹れる鈴理に、「我が儘ばかり言っていると空さまに言いつけますよ」笑顔で脅してくる。


 それは困った。

 彼の耳に入れば、口喧しく「食べ物の有り難味を知りなさい!」と言われることだろう。


 ちゃぷちゃぷ、ばちゃばちゃ、水面を蹴る。

 波紋が二重三重四重に広がり、向こうの花壇縁にまで届いた。花壇で眠っている花々は気持ち良さそうに首を垂らしている。


「どうしましたか。最近のお嬢様は、物思いに耽っていることが多いですよ」


 問い掛けられ、鈴理は何でもないと答えを返す。

 だったらちゃんと食事は取るでしょう、しつこいお松の追究に鈴理は唇を尖らせた。今しばらくダンマリとお松の鋭い眼光を受け止めていたが、不意に、


「空はどうしてあたしと付き合っていると思う?」


 第二の母に尋ねた。

 キョトン顔を作るお松だったが、すぐに頬を崩して返答。


「お嬢様を好いているからでございますよ」


 嬉しい答えにも、気持ちは晴れない。


「あたしは空に許婚のことを黙っていた。黙秘したままアタックもして、付き合う口実を手に入れて、正式に付き合うことになったのだが……あたしは許婚がいたままだ。この状況、空には心苦しいものなのだろうか」


「大雅さまとの関係でお悩みなのでございますか?」


 首肯。

 鈴理は許婚の存在が彼を苦しめていると指摘された先日のことを思い出し、どんより曇り顔を作る。



『鈴理、豊福が許婚の存在を気にしていないと思っているのかい? まさか、彼が気にしてないとでも本気で思っているのかい?』



 当事者同士は許婚というより、好(よ)き悪友で接しているつもりなのだが、表面上でも“許婚”という関係は彼自身にとって重荷になっているのだろうか。

 許婚とも仲良くしている彼自身からはそんな素振り、一抹も垣間見えなかったのだが。

 自分の知らないところで悩んでいたり、不安を抱いていたりしているのだろうか。


 なによりも、好敵手がその一面を知っている。

 悔しい一方で、自信を喪失してしまう。傍にいた時間は自分の方が長い筈なのに。


「空はああ見えて、あまり人に弱さを見せない奴だから……あたしに隠しているのかもしれない。だが、あたしは空が好きなのだ。不安があれば言ってきて欲しいというか、なんというか」


「ふふっ。それは空さまも同じことを思っていることでしょう。なにせ、最近のお嬢様はぼーっとしておられますから。お松はいつもあなた方を見守っていますけれど、空さまも大層お気になされているご様子でしたよ」


 「それに」許婚の件は言っても困らせるだけと思ったのでは、お松は言葉を重ねた。



「許婚の一件はお嬢様お一人の問題ではないですから。旦那様や奥方様、二階堂家の皆様とも直結しておりますし」


「空は家族を大事にする男だから、あたしの家族を思って何も言わないのかもしれない。父さまや母さまは、空との関係をお遊びだと見ているしな。

 三女に期待なんかしていないくせに、財閥の面子だけはやたら気にして空との仲を認めてくれない。命を張ってくれて守ってくれたというのに。ばあやは……やはりお遊びだと思うか?」



 老婆は目尻を下げた。



「お嬢様はお気づきでしょうか? 今が一番、一生懸命に日々を過ごしているのですよ」



 お松は皺だらけの手で鈴理の右手を取った。


「鈴理お嬢様が恋をしてからというもの、毎日が本当に楽しそうでたのしそうで。家ではつまらなさそうに時間をお過ごししていましたので、少しばかり心配しておりました。許婚の一件はあるでしょうけれど、お松は思います。お嬢様は素敵な恋をしているのだと」


 悩みも不安もひっくるめて素敵な恋をしていますよ、励ましに鈴理は力なく笑みを返す。

 どことなく安心したのは第二の母の言葉に限りない慈愛が含まれていたからだろう。理解者がひとりでもいてくれると心強いものだ。


「やっと実った恋だ」


 だからこそ玲には負けたくない、吐露する鈴理にお松は相槌を打ってくれる。心中ではセックスもしたいし、と呟き、水面を大きく蹴る。


 大粒の水飛沫が宙を舞い上がって水面に落ちた。吹いてくる夜風を頬で受け止めていると、何処からともなく着信音が聞こえた。

 自分のスマホだ。ディスプレイ画面に表記された名前に、噂をすればなんとやらだと微苦笑してタップする。


『こんばんは』


 聞こえてきた声は元気の塊そのもの。

 英会話お疲れ様っす、そう言葉を投げ掛けてくれる彼は何をしていたのかと尋ねてきた。 ちなみに今自分は勉強にうんぬん苦しんでいたところだったと報告してくる。やっぱり化学は意味が分からない、嘆いている彼に一笑する鈴理は返答した。


「丁度良かった空。今な、ばあやに叱られていたところだったのだ。夕飯をいらないと拒んだだけなのに」


『夕飯を拒むと言いました? なぁに馬鹿なことをしているんっすか! イイですか、食べられるってことは有り難いことなんっすよ! 具合が悪いとかなら話が別っすけど』


「うむ、ダイエットをしようかと」


『うっし、先輩。明日は開口一番に俺もお小言を言ってやるっす。食べ物の有り難味を知りなさい!』


 ヤンヤン喚いてくる彼氏は予想通りの言葉を吐いてきた。

 彼に心配と叱られたくて自己申告した状況に微笑していると、『ああそうだ』忘れるところだったとお小言をやめて、話題を切り替えてくる。


『鈴理先輩、この一週間で空いている日を教えて下さい』


 珍しい、彼からのデートのお誘いだろうか?

 鈴理はテンションを上昇させながら、「ラブホにでも行くか?」とノリノリで言う。


『なんでそっちになるんっすか』


 やや呆れる彼は、チガウチガウと否定。デートの誘いでもないと言った。おや、それでは一体……。


『あのっすね、母さんがハガキの懸賞ですき焼きセットを当てたんっすよ! 凄いでしょ、すき焼きっすよ! すき焼き!』


 鈴理にとってあまり珍しい食べ物ではないのだが、『牛肉が詰まってたんっすよ!』大興奮している彼の気持ちを察して、おめでとうと言葉を掛けてやる。

 そんな彼は家族にお願いして、今日食べる予定のすき焼きを延長したのだと告げてきた。


 何故かといえば家に彼女を呼びたくって……と照れた声で笑った。そう、彼は鈴理を夕飯に招こうとしているのだ。



『それなりに日持ちはするんっすけど、なるべく早く食べた方がいいと思いまして。先輩のスケジュールをお尋ねしようと。

 あ、無理に空けなくてもいいっすよ。突然の誘いですし。だけど折角のご馳走なんで、先輩を呼びたくって』



 彼の好意をじかに感じた鈴理は瞳に光を宿らせ、「行く」絶対に行くと主張。

 隣で綻んでいるお松とアイコンタクトを取って、明日にでも行くと答えた。

 この一週間はスケジュールに融通が利くのだとうそぶいて、いつでも行けると相手に告げた。


 真に受けた彼氏はだったら、もう一つお誘いしたいことがあるのだと照れながらポツポツ内容を語ってくれる。


 それを耳にした鈴理は、


「当然OKに決まっている!」


立ち上がって目を爛々と輝かせた。

 濡れた足もそのままに、軽快な足取りで自室に戻り始める鈴理の背を見送るお松は微苦笑を零して後を追う。



「本当に竹之内家一おてんばなお嬢様ですこと」


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