13.いつかは訪れる別れ





――コポコポ、カップにお湯を注ぐ音が沈黙している部屋一帯に響く。




 台所でおもてなしの準備をしつつ、俺はお茶っ葉が切れていたことを御堂先輩に詫びた。

 あると思っていたんだけど、茶筒を見てみたら見事に空っぽだったんだ。もてなす気持ちはあるし、できることなら買いに行きたいけど、両親の給料日までまだ日がある。お茶っ葉を買い行く余裕はない。


 だから紅茶で代用。

 選んだ和菓子はイチゴ大福で、飲み物は紅茶。

 合うようで合わないこの組み合わせに謝罪し、俺はストレートティーの入ったカップを持って彼女の前に置く。


「ご要望があればミルクティーもできます」


 牛乳は冷蔵庫にあるから、そう告げるとじゃあミルクティーにすると御堂先輩は返答。

 よって俺は彼女のためにミルクティーを作り(ついでに俺もミルクティーにして)、ちゃぶ台を挟んで向かい側に腰を下ろす。紅茶と一緒に御堂先輩の土産を頂くことにした俺は彼女に白餡と黒餡、どっちが良いか聞いた。


「白が好きなんだ」


 ぎこちなく微笑を向けられ、俺も同じ表情を作り、長方形の箱から個包装されたイチゴ大福を取り出して手渡す。俺は黒が好きだから黒を頂こうかな。


 ぺりっと封を開け始める御堂先輩に倣い、俺も黒を手に取ってビニール包装を剥がす。そのまま口に……大感激だ。イチゴさんが俺の口内いっぱいに広がって美味い、超ウマイ。老舗で買ってきたものかもな、これ。


 ……ウマイ筈なのに、なんで喉に詰まるような思いをしなきゃならないんだろうな。原因は分かっているけど、分かっちゃいるけど。


 ズズッ。紅茶を啜る俺に倣って、御堂先輩も紅茶をズズズッ。

 ムシャムシャ。咀嚼、咀嚼、咀嚼。無言でイチゴ大福を食べる俺等の取り巻く空気は“最悪”の一言に尽きる。


 なんて重々しい空気なんだろう。この場にいる事が本当に辛い。


「豊福。さっきの行為だが」


 沈黙に耐えかねたのか、御堂先輩の方が先に話題を切り出してきた。

 有り難いと思う反面、開口一番に出された話題に俺はゲンナリ。よりにもよってさっきの“行為”についてっすか。流してくれたら、俺も忘れるよう努めたのに。


 謝罪されるんだろうと高を括っていた俺は、「気にしてないっすよ」素っ気無く突っ返した。冷然とした態度に酷いと思うかもしれないけど、俺には彼女、彼女がいるんだ。分かっていてあんなことをしたんだから、これくらい当然だろ。うん。


 ガシャン―。

 荒々しくソーサーにカップが置かれた。

 瞠目する俺に「気にしろ!」御堂先輩が頬を紅潮させて、唸り声を上げる。


「僕は君に口説きやら抱擁やらキスやらしたんだぞっ! もはや僕は認めるしかない……っ、僕は君を見ているとムラムラする。暴走する自分がいるっ。襲いたい僕がいるっ! 男にいたらんことをする僕なんてっ、僕なんてっ、くそう、僕はもはや本物の男になるしかない。モロッコに行くしか。男になったら少しは、この感情がどうにかなるのだろうか!」


 そ、それいつも俺が使っている台詞。取っちゃヤっすよ。……とか阿呆なことを思っている場合ではない。

 俺を見ているとムラムラ、暴走、襲う。いたらんことをしたいっ、それってどういう意味っすか! 仮にも男になって俺を襲おうとしたりしたら、それこそ宇津木ワールドっすからね! 彼女を喜ばせる世界にウェルカムっすからね!


 呆気に取られていた俺は奇声を上げて半狂乱になる王子を宥めながら、


「気の迷いっすよ。きっと財閥界で噂を作っちゃったから、動揺しちゃって変に男に目覚めただけです」


 愛想笑いで助言。


 実は俺がそうあって欲しいとは口が避けても言えず、どうどうと彼女に声を掛ける。

 本当にそうなのだろうか、苦虫を噛み潰したような顔を作る御堂先輩は軽く吐息をついて手に持っていたイチゴ大福にかぶりつく。なんと雄々しい食べ方。男らしいっす。


「僕は鈴理のいう“攻め女”に当て嵌まる点もあるからな。もしや、不覚にも君に対して恋愛感情とやらが目覚めてしまったのではないだろうか。調子が狂ってばっかりだ」


「(それだけはやめて欲しいっす。切に)本当にそうなら、それを本人に暴露しないっすよ。普通恥ずかしくて言えないもんっす」


「なるほど。確かにそれもそうだ、僕は断然女の子が好きだし」


 誤解を招きそうな発言をして、御堂先輩は一気にイチゴ大福を口腔に押し込んでしまう。湯気立っている紅茶で喉を潤す御堂先輩は、チラッと俺を一瞥。


 ソーサーにカップを戻すと、女に比べたら可愛げもなにもないしなぁっと毒を吐いてきた。


 ホッと俺は胸を撫で下ろす。

 いつもの御堂先輩に戻ってくれたようだ。変にセクハラされるより、毒づかれた方が断然マシだ。

 よし、さっきの言動は一斉消去しよう。俺は何も覚えていない。覚えちゃないんだぞ。


 ふっと息をつき、俺はもう一つ、助言を重ねた。きっと御堂先輩は男友達を作りたいのだと。

 異性としてではなく、気兼ねない男友達を作ろうと行動を繰り返してちょっと暴走しているだけ。初めてそんな気持ちを抱いたから戸惑っているんだと頬を崩す。女性にする行為を男性にするのは、いつも女性にしている行為を男性にもしてスキンシップを図ろうとしているんじゃないだろうか。


「だが僕は幼馴染みの大雅に君と同じ行為をしたいとは思わないぞ」


 御堂先輩の素朴な質問が飛んでくる。

 「うーん」首を捻る俺は、自分がおとなしめの男子だからし易かったんじゃないかと指摘。


 そういうものだろうか、納得しない顔で腕を組む御堂先輩はやっぱりお前、女じゃないのかと俺を指差してくる。

 しつこいにもほどあるっすよ。俺は男ですって。あんなに人の胸部を触っておいて、なんなら脱ぎましょうか? 此処、俺の家なんで上半裸になるくらいなら可能っすよ。全裸は室内であろうと露出魔になりかねないので却下ですけど。


 不機嫌に訴えれば、「よし脱げ」間髪容れず、御堂先輩は俺の案を受け入れた。

 まったくめんどくさい人っすね。これを機に女って言うのはやめて下さいよ。

 溜息をつき、俺はカップの中身を一気に飲み干すとソーサーにそれを戻して、ブレザーをぞんざいに脱いで畳に投げ放る。カッターシャツもボタンを外して同じように放ると、下着のシャツも脱いでワイルドに上半裸になってみせた。


 マジマジ熟視してくる御堂先輩は、やっぱり胸はないと肩を落としてちゃぶ台に肘を突く。

 だから言ったでしょ、俺は男だって。もういいっすか? 服着ますよ? ぺったんこだって分かったでしょ?


「それにしても凄いな。そのキスマークの多さ。目を瞠るぞ。いったい幾つ付けられているんだ」


 「ひーふーみー」キスマークを数え始める彼女のせいで俺は目元を赤くした。

 急いでシャツを着て、キスマークを隠すけど完全には隠し切れない。俺自身も分かっている。それでも隠したかったんだよ。すごい数だってことは知っているしさ。


 これは鈴理先輩の気持ちの表れだ。

 欲求不満がキスマークに出ているというかなんというか、セックスは勘弁して欲しいから、キスマークは甘受している。結果、こうなっちまったってかんじ。


 イソイソとカッターシャツに腕を通していると、「本当にアイツに愛されてるな」面白く無さそうに彼女は鼻を鳴らした。


「君に関心がいったから、僕とあまり競り合ってくれなくなったのかもしれない。何度勝負を持ち掛けても、最近の鈴理は流してしまうんだ」


 ぶう垂れている御堂先輩は、続け様に言う。なんで君は鈴理の傍にいるんだ、と。

 勿論、俺が彼女のことを好きだってことは分かっている。だけれど鈴理先輩には許婚がいる。いずれは別れる運命になる。

 辛辣で現実味ある台詞に、ボタンを留める手が止まりそうになる。

 でも踏み止まった。手つきは遅くなるけど、留める手は継続している。


「やっぱりいつかはそうなるんでしょうか」


 俺は相手の顔を見ずに質問返し。

 間を置かず、正直に返答してくれる御堂先輩の気遣いに感謝しながら、俺は胸に引っ掛かっていた気持ちを彼女に吐露した。これは鈴理先輩には、そして大雅先輩には絶対に言えない気持ち。


「身分なんて今の日本にはない。そう思っていました。財力の有無関係なしに、人は誰でも平等で公平なのだと綺麗事を片隅で思っていました。

 でも鈴理先輩も大雅先輩も、財閥の令嬢に令息。未来を背負う財閥の二世、三世。一般庶民の俺とは立場が違う。

 財閥は後世のために自分達の地位の礎を確保しておかないといけないんっすよね。


 俺は鈴理先輩が好きです。大雅先輩も友達として好きです。二人とも大切だから、もしも家の都合で正式に婚約をしなければいけなくなったとしたら……俺は身を引くしかないと思ってます」



「……奪うことはしないのかい?」



「奪う? 俺みたいな財力のない男が、彼女の人生を奪って何になるんでしょうか。

 今は俺も先輩も子供で冷たい社会に飛び出していないから、生ぬるい学内でぬくぬくと身分や家柄を考えずに過ごしていますけど、嗚呼、いつかはくるんっすね、お別れ。想像もできないっすけど。


 だけど綺麗事が好きでコドモな俺は思うんです。

 気持ちだけで通る世の中じゃない……そんな殺伐な気持ちを抱いて荒んでいくのも真っ平ごめんなんだって。

 俺のせいで“また”誰かの人生をメチャクチャにさせたくはないっすけど、だけど俺だってそう簡単に譲れないんっす。この気持ち。


 いつか終わるその日まで、なんて考えたくない。だからいつまでも続けられる関係にいられるよう努力しよう。まだ死ぬほど努力もしていないし、鈴理先輩の気持ちに疑心も持ちたくない。死ぬほど努力して、それでも駄目だったらその時はその時――今は終わりを考える余裕なんてないんっす。未来に怯えて過ごすなんてヤじゃないですか」



 相手に吐露するようで、実は俺自身に言い聞かせる、自分の気持ち。


 片隅では怯えているんだ。身分・隔たりのことで。

 財閥交流会で見せ付けられた世界の違いに、俺はいつか終わりが来るんじゃないだろうかと近未来に怯えている。草食は逃げることをモットーにしているから、現実に逃げたくてしょうがない衝動に駆られる時もある。


 でも逃げたって一緒だろ? 変わらないだろ? 無意味だろ? だったら何かアクションを起こさないと。


「今だから言えるんっすけど、俺は最初こそ彼女から逃げまくっていました。だって受け男だとか言われた挙句、貞操を狙われるんっすよ?

 そりゃあもう毎日が死に物狂いでした。今もセックスに関しちゃ逃げまくっていますけど、当時は女扱いされるのすっごくヤでした。


 でも徐々に気になり始めちゃって、友達の助言でお付き合いしてみようと思ったんです。お付き合いから始める恋愛もいいんじゃないかと言われて、じゃあそうしてみようって付き合ったところ、いつの間にか落ちていました。

 攻められっぱなしで女扱いばっかしてくる彼女ですけど、でも彼女が喜んでくれるなら俺はポジションを譲るっす。俺はヒロインでいい。先輩のヒロインでいいです。


 いつも傍にいてくれた彼女はあたし様をいかんなく発揮しながらも、俺を支え、守ってきてくれたヒーロー。そんなヒーローの傍に俺はずっといたい。

 努力もしないで嘆くより、努力して後悔した方が胸張れると思いませんか。御堂先輩」


「―――……」


 古びた窓辺の向こうから垣間見える夕空。


 大空を舞うのはカラス達だろうか。

 群で動き、自分達のねぐらへと帰って行く。脱ぎ捨てたブレザーをそのままに、ソーサーの隅に置いていたイチゴ大福を手に取って口に押し込む。イチゴの甘酸っぱい酸味が胸に浸透する気がした。思った以上に感傷に浸っているのかもな、俺。


「君は」


 不意に聞こえてくる御堂先輩の声、視線を戻せば微苦笑を零す王子がそこにはいた。


「本当に鈴理が好きなんだな。傷付くと分かっていても傍にいるなんて……口を開けばあいつのことばかり優先にしている」


「往生際が悪いんっすよ俺。それに、彼女の我が儘は聞いてあげたいですから。俺のできることなんて、高が知れているっすけど」


 苦笑を零し、俺は相手に礼を告げた。

 キョトン顔を作っている彼女に、「気を遣ってくれたんでしょう?」貴方は優しい人なんっすね、と目尻を下げた。

 男嫌いではあるみたいだけれど、この人は根本が優しいのだと思う。じゃなきゃ、憎まれ口を叩きながら気を回してくるか?


「豊福……」


 物言いたげな御堂先輩に、


「身分なんてなければこんな悩み、持たずに済んだのかもしれませんね」


とおどけてみせる。


「鈴理先輩みたいな美人さんとお付き合いできるだけでも、幸せ者なんっすけどね」


「豊福、君はそこまで鈴理を。そうか。あいつをそこまで。許婚がいる現状にも、君は黙っているんだね。彼女の将来のために。だから財閥交流会の時、ひとりであんな哀しそうな顔を。不安のくせに気付かないようにしたり。気持ちを隠したり……だから僕は調子が狂うのか。だから僕は君のことを」


 「え?」最後の方が聞こえなかった俺は、もう一度言ってくれと聞き返す。なんでもないと返す王子は小さな吐息をついた。


「とてつもなく面白くないな。何も知らない鈴理も、現状にも、そして苛立つ僕にも」


 一変して舌を鳴らす御堂先輩はミルクティーを飲み干し、そろそろお暇すると腰を上げた。

 もうっすか。もう一杯くらい紅茶、飲んでいけばいいのに。


 だけど彼女は帰る気満々のようだ。

 さっさと鞄を持って玄関口でローファーを履く。


 急に余所余所しい態度になる彼女は、「本当に調子が狂うよ」俺を流し目にする。


「決めたよ。豊福」


 決めたって何を決めたんっすか。

 目を点にする俺は首を捻るばかり。御堂先輩はもう決めた、嘆かないし迷わない開き直ってやると早口で決意、そっと体ごと俺に振り返る。


「最後にひとつ。君は女の王子をどう思う?」


「どう……え、そりゃあカッコイイんじゃないですか? 俺の彼女は一応ポジション的に言えばヒーローっすよ。ヒロイン扱いは男の自尊心ズタボロになるっすけど、一々性別を考えていたら先輩の彼氏なんて無理っす。って、あ、御堂先輩」


 話の途中で「邪魔したな」、彼女は玄関扉を開けて出て行ってしまう。

 急いでサンダルを履いて後を追うけど、もう御堂先輩は階段を下り始めていた。その背に向かって和菓子のお礼を言うけど、振り返ることはない。


 なんなんだ。ツンツンしたりセクハラしたり余所余所しくなったり、忙しい人だな。

 ぽりぽりと頬を掻く俺は階段を下りて行く先輩に手を振って部屋に戻った。


 深く考えてもしょうがない、ぼちぼち夕飯の支度でもするか。



 □ 



 ところかわってアパートを出た玲は携帯で連絡を入れると、道端に停めてある車に歩み寄り、後部席のドアを開けるよう窓をノック。

 慌てた様子で中にいたお目付けの蘭子がロックを解除し、玲を招き入れるものの、その表情は芳しくない。


 何故ならば、彼女がこんなにも早く戻って来ると思わなかったのだ。

 習い事を休すませてまで足を運んだのに、もしや喧嘩でもして飛び出してきたのではないだろうか。

 折角の恋がもう散ったとか。嗚呼、それは困った。男嫌いが悪化する。


 そわそわする蘭子が、「どうでした?」楽しく談笑できましたか? と、平常心を装って令嬢に尋ねる。

 生返事をする玲は座席に腰掛け、車の扉を閉めると運転手に発進するよう指示。


 よってエンジンが掛かったままの車は、数秒もせず動き始めた。


 腕と足を組む玲は、話し掛ける蘭子を無視して車窓に視線を流す。


「一々性別を気にしていたら、手遅れになるかもしれない。僕にあんなことを言うなんて。惚気られてしまったな。当てられた気分だ。守ってやりたくなったじゃないか」


「玲お嬢様?」


「――お人よしうそつきめ。僕の調子をとことん狂わせたんだ。責任を取ってもらわないと」


 もう、あーだこーだ悩むのはやめにしよう。

 眼光を鋭くしつつも、退屈していたこれからの毎日が楽しくなりそうだと玲は不敵に笑ってみせた。


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