12.草食、王子とお茶をする



 はてさて御堂先輩と帰路を歩いていた俺は、アパートの敷地に入って彼女を先導しながら会話を広げようと努力している真っ最中だ。

 行きの道中で沈黙を作ったから(想像して欲しい。ダンマリなっている俺達を)、帰りは会話を弾ませようと躍起になっていた。


 沈黙のまま家に案内しても気まずいじゃないか。

 三日前はちゃんと会話できたんだし、ちょっち騒動でギクシャクはなっていても時間が経てば、きっとまた普通に会話できる。


 そりゃあどえりゃあ大騒動を起こした元凶が御堂先輩にあったとしても、俺から砕けた態度を取れば普通に戻ってくれる筈だ。


 そうポジティブに思った俺は彼女に、


「今日は習い事は無かったんですか?」


 当たり障りの無い会話を切り出してみた。

 なるべく、忌まわしいあの騒動は気にしてませんよオーラを放って接してみる。


 だけど、彼女の態度はどうだい。

 ツーンのフン、だぜ? 言葉のキャッチボールなんてハナッからしてくれないんだぜ? ぶすくれているんだぜ?


 取っ付き難いな。

 どこぞのツンデレさん、いやツンツンさんかよもう。こっちがフレンドリーに話し掛けているっていうのに。酷い目に遭ったのにも関わらずフレンドリーに接しているっつーのに。

 ずーっとツーンのフンでいられちゃあ、俺の方が参っちまいそう。


 御堂先輩を誘ったのは失敗だったかな。

 あれか、無理して付き合ってもらっている感じか。

 だったら無理に付き合ってくれなくてもいいのになぁ。

 お茶のお誘いは気持ちを返したいがための行為であって、御堂先輩が嫌ならサクッと今日はおしまい。噂が消えるまでお互い交流を持たないとかでも全然良いのに。


「今日は休んだんだ」


 「へ?」突拍子も無い台詞に俺は間の抜けた声を上げた。

 言葉のドッジボールをしてくる御堂先輩は、


「だから今日は習い事を休んで、こっちに来たんだと言っているんだ」


 何べんも言わせるな、と怒られてしまう。


 えぇええ……今のタイミングで言葉を返してくれるんっすか?

 俺と会話をしてくれる気があるのかないのか、ちっとも分からないっすよ御堂先輩。返してくれる気があるなら、せめて十秒以内に返して下さい。じゃないと会話したいのかどうかが分からないじゃないっすか。


 俺と貴方の付き合いは浅瀬も浅瀬、謂わば二度目ましてだからお互いのことなんてよく知らないというのに。


 会話し難いと思いつつ、「俺と会うために休んでくれたんっすか?」ちょっと自惚れた発言をしてみる。

 彼女のことだから、馬鹿を言うなとか怒鳴ってき「ああ。そうだよ」


 アウチ、ナナメ上の返答っす。マジっすか。そこは素直になっちゃってくれるんっすか。反応に困るじゃないっすか。よく分からない人だ、ホンット。

 俺はコンクリートが剥き出しの階段に足を掛ける。


「そうそう俺の家は居間と寝室しかないんで、とても狭いと思いますが……適当に寛いで下さいね」


 そう言うと、足を止めた彼女は仏頂面を作り、無言で手を差し出してきた。

 奇怪な行動に俺は困り果てる。なんで彼女は手を差し出しているんだ。なにかをくれということじゃないだろうしっ、と。


 焦れた御堂先輩が右の手を掴んできた。しっかりと握ってくる。

 「え゛?」口元を引き攣らせる俺を余所に、「行くぞ」毅然と御堂先輩は階段を上り始めた。

 いや、行くのは分かるんっすけど、この手、この手はなんっすか?!


「御堂先輩」


 引き摺られるように階段を上り始める俺は、この手の意味を尋ねる。首を捻って彼女ははっきり物申した。


「さっきはできなかったが、階段での先導は当然の儀礼だから」


 つまりなんっすか、俺はエスコートされているってわけですか?


 たかが一階から二階に上がるこの過程で、俺は女性にエスコートされっ、とてつもなく情けない構図だ、これ。

 鈴理先輩ですらこんな気遣いはしないのに。


 いや、彼女の場合はこそばゆいエスコートではなく、強引な姫様抱っこで何でも事を済ますんだけどさ。

 ああっ、無理に手を振り払ったら、空気を悪くするだろうし。口が裂けても鈴理先輩には言えない光景だよな。


「それに君は高いところが嫌いなのだろう?」 


 上る途中で立ち止まった御堂先輩は、今度こそ体ごと振り返って俺にクエッション。


「だから僕は君の手を取るんだ。恐怖にまみれた顔など、僕は見たくないから」


 柔和に綻ぶ王子は歩みを再開する。

 呆けている俺はイケた台詞に胸きゅん、するわけもなく、脳裏に我が彼女の姿がちらついてドッと冷汗。脳内の攻め女がシニカルに笑って、『また鳴かされたいんだな。いいぞ、大歓迎だ』と指の関節を鳴らしている。


 ブルッと身震いしつつ、俺は疑念を抱く。

 なんで、王子に少女漫画チックな台詞を向けられてるんだろう、と。


 本当に俺に気があるわけじゃないよな。

 自惚れたくないけど、男嫌いの彼女がこんな台詞を幾度も向けてくる……嗚呼、ツッコミたいところ。

 だけど、指摘してさっきみたいにパニくられても困る。何も聞かなかったことにしよう。


 奇妙奇怪なエスコートも終わり、階段を上り切った俺は、キレイサッパリ今のやり取りを忘れるために家の鍵を開けてお客を部屋に招き入れる。


 あ、やっべ。玄関が散らかってやんの。アポなしだからしょうがないとしても、せめて散らばったサンダルやスニーカーを寄せて、お客さんが通りやすいようにっ?!

 上体を起こして直立する俺はギギギッ、振り返って相手を凝視。

 ツーンと背を向けている御堂先輩は腕を組んで、その場を凌ごうとしているけどそうは問屋が卸しませんよ。


「い、今、触りましたよね……俺の腰」


 途端に開き直った御堂先輩はべつにいいだろうと、何故だか逆ギレ。

 「女じゃあるまいし、何度触ったって減るもんじゃないだろう!」とかなんとかほざきますけど、減りますっ、俺のHPが減ります! 主に仕置きの面でHPがっ! ばれた時が怖いんっすからね!


「やめて下さい。俺、貴方のせいで彼女に怒られたんですから」


 絶対に腰は触らないでくれと懇願。


 ぶすくれている御堂先輩は、鈴理には自由に触らせているではないかと鼻を鳴らしてきたけど、そりゃあ彼女だから許しているんっすよ。

 彼女であっても逆セクハラに対して物申している部分はたっくさんあります。


 ましてや二度目ましての方に腰を触られるのは、ちょ、大勘弁! 仕置きとかもっと大勘弁だっつーの!


「今度触ったらガチ怒りますからね」


 念を押して約束を取り付ける。

 完全にヘソを曲げた面持ちを作る御堂先輩は、「君が誘ったんだ。僕は悪くない」なーんて身勝手なことをのたまって責を俺に押し付けてくる。


 こんのジコチュー王子はッ……いつ・どこで・誰が・どのような状況で貴方様を誘いましたか。


 煮えるような感情を噛み締めていると、「ほらまた誘う」ワケの分からないことを言われた上に、腰に腕を回されてグイッと引かれた。

 向こうは手馴れた手つき、俺も慣れた光景、ではあるけど全然嬉しくないっ! お相手が鈴理先輩ならまだしも、他者の女性にされるとか論外! 狭い玄関で何してくれるんっすか!


「わ、悪ふざけはやめて下さいって」


 同じくらいの背丈だから視線も合わせやすい。

 軽く両手を上げて、悪ふざけをしてもお互いになんの利得もない。寧ろ損害が出るだけだと主張。なによりも俺は男、貴方様の嫌いな男、こうしているだけでも嫌悪でしょ。キショイでしょ。至近距離なんて最悪でしょ。バリバリの野郎っすよ、俺!


 ぺらぺらと矢継ぎ早に喋って主張、某王子は軽く瞼を下ろして長い睫毛を微動。

 ゆっくり持ち上げた瞼から覗く硝子玉のような瞳が俺を捉えた。肩を掴んで押し返そうとする俺の手を取り、指を絡めて、御堂先輩は頬を崩す。


「悪ふざけでなければやめなくてもいいのかい?」


「はいっ? ちょ、なんっすか、その小学生並みのお言葉は! 人の足を掬うような発言はやめてくだぁああ?!」


 体が宙に浮いた。

 そうか俺もついに武空術を手に入れたのか。お空も自由自在に飛べるようになっちゃったんだな! だったらお次は気円斬を取得できるよう修行しないとな! じゃなくって……おい嘘だろっ、なんでこんなっ。


 持っていた和菓子の箱と父さんのシャツの入った紙袋、そして脱ぎかけのローファーが片方が玄関に落ちた。


 横抱きにされた俺は状況を把握できず、目を白黒白。混乱した頭で相手を見上げる。

 イソイソと自分のローファーだけ脱ぐ御堂先輩は、勝手に人の部屋に上がり込む始末。


「あ、あの。これは一体なんの悪ふざけっすか」


 俺の疑問に彼女は満面の笑顔で答える。


「鈴理はいつも君にこうするのだろう? だったら僕だってできる権利あると思わないかい? だって僕と彼女は好敵手なのだから」


 ゼンッゼン弁解になってないっすよ。権利ってなんっすかね、権利って!

 大焦りで下ろして欲しいと訴える俺に、「やっぱり君は」襲いたくなるオーラを持ってるとぎゅうぎゅうこの体勢で俺の体を締め付けてくる。苦しいやら、脳裏の鈴理先輩が憤っているやら、状況にプチパニックやら、もはや俺だけでは収拾がつかない。


 なんでこんなことにっ……もしやまたご乱心っすか。

 俺はおにゃのこじゃないっすよっ、御堂先輩、お気を確かに!


 何度も御堂先輩を呼んで、正気に戻ってもらおうと腕の中で暴れてみる。

 あくまでも軽く暴れる程度。幾ら男装をしているとはいえ、相手は女性だからな。怪我はさせたくない……財閥の娘を怪我させたら追々、高額な慰謝料を突きつけられそうだ。


 嗚呼、こういう時、男って損だよな。

 どんなに傍若無人に振舞う女性でも気遣わなきゃいけないんだから!

 こうして涙を呑みつつ努力している俺の行為はこの直後、物の見事に霧散される。


 何故かっていうと、それは。



「豊福が男だなんてやっぱり嘘だよな。こんなにも、嫌悪しないんだから。なあ、お姫さま」



 Chu!


 額に柔らかな唇が落とされて、俺は絶句。

 な、な、なんてことをしてくれたんっすか。お、おぉおお俺、彼女持ちっ……いや日本にはあまり馴染みのない文化かもしれないけど、キスを文化としている北欧等々ではキスをする場所によって意味がある。


 オーストリアの劇作家。

 フランツ・グリルパルツァーのキスによる格言はこうだ。


『手の上は尊敬のキス。額の上は友情のキス。頬の上は厚意のキス。唇の上は愛情のキス。瞼の上は憧憬のキス。掌の上は懇願のキス。腕の首は欲望のキス。さてそのほかは、みな狂気の沙汰』


 ということは、俺が彼女にされたキスは“友情のキス”ということになるわけだけど。

 そうは言っても日本にキス文化というものは浸透していない。何処にキスされようとキスは“愛情”のキスに思われがちなわけだから、その、つまり、俺のされた行為は完全に仕置き対象になるってことでっ!

 赤面どころか顔面蒼白する俺、同じようにやっと正気に戻った御堂先輩は自分のした行為に青褪めた。


 所構わず、腕の中の俺を畳に落として(せめて静かに落としてください。一階の人に迷惑でしょう!)、ガタガタブルブルと体を震わせた後、玄関口でしゃがみ込み、「僕はなんてことを」相手は男なのに……嗚呼、もう駄目だ。ズーンと落ち込んでしまった。


 落ち込みたいのは、こっちっすよ御堂先輩っ!

 どぉおおしよう、鈴理先輩に事が知れたらっ、嗚呼、違うんっすよ先輩。俺は被害者っす。向こうが一方的に……ッ、だから仕置きだけは勘弁を。男の俺が鳴いてもマジキショイだけっすよ。ほんとっすよ。誰が聞いてもそう言いますっすよ。


 半泣きの俺もその場でズーンと落ち込み、頭を抱えて脳内の我が彼女にひたすら弁解していたのだった。


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