10.草食はおにゃのこになりたい





 □ ■ □



 財閥交流会から三日後の昼休み。

 場所:2-F(女クラ)



 前触れもなしにどどーんっと目前に大好きなイチゴミルクオレ(一パック80円也)が五個置かれる。

 更に板チョコが六枚、ミルク・ストロベリー・ホワイト・チョコレートの各々三種類の味が二枚ずつ、机上に並べられた。極めつけにこれもやると謂わんばかりの羊かんが一つ。


 はは、どれも美味しそうっすね。俺にくれるんっすか、ベリーベリーサンキュ。


 遠目で菓子を眺める俺は淀んだ空気を取り巻きながら視線を上げる。

 パンッと両手を合わせてくるのは、大雅先輩達。財閥交流会に行った面子だ。


 ごめんなさいの意味合いを込めて両手を合わせてくる三人は、それぞれ元気出せと俺に声を掛けて苦笑い。

 なんでごめんなさいされているかっていうと、この三人、三日前に憤っている鈴理先輩を俺一人に押し付けて別行動で帰った薄情者達なんだ。


 おかげで俺は鈴理先輩に事情を説明した後、散々お仕置きを食らった。ああ食らったとも。俺は立派なおんにゃのこになったんだ。思い出しただけでもグズッ……羞恥の余り涙が出そう。

 俺、男じゃなかったのかなぁ。父さん、母さん……俺は息子じゃなくて娘だったみたい。


 ううっ、でもやっぱ、先輩方が一緒だったらあんな仕置きっ、仕置きは食らわなかったのにっ……。


 ふるふると体を震わせて涙を呑む俺に、「マジごめんって」大雅先輩が謝罪してくる。

 こんなにも俺が落ち込んでいるとは思わなかったんだとボソボソ。


 宇津木先輩と川島先輩も珍しく、真摯に謝罪してくるけど、畜生っすよ。


 すぐに元気になれって方が無理だ。

 随分立ち直った方ではあるけど……翌日なんて酷かった。俺の落ち込みよう、超酷かった。

 面白半分に声を掛けてきた三人が度肝を抜くほど、俺は落ち込んでいたんだからな。


 いや、なんでこんなに落ち込んでいるかっつーとさ。



「まったくもって小説以上に可愛らしかったんだ。彼氏の嬌声。やはりリアルは違うな。あんなに必死な空、初めて見たというか。キスをすればするほど、溺れていくわ。耳をなぶれば声を出してくれるわ。乱れてくれるわ。『もう許してっす』と縋ってきた時には、本番に入ろうかと思った!」



 ががーんっ、また先輩、人に言いふらして。

 ショックを受ける俺は椅子から滑り落ちて、両膝をついた。

 「お、おい」大雅先輩が腫れ物を触るような手つきで肩に手を置いてくるけど、ずーんっと俺は落ち込んで涙ぐむ。


 落ち込んでいる理由はこれ。


 ただ仕置きを受けたから落ち込んでいるわけではなく、あの日の仕置きで、その、あれだ、声が……嬌声というべきなのか、喘ぎ声というべきなのか、とにかく声がな、出ちまったんだよ! 執拗なキスと耳の戯れでっ、声がぁあああ!


 ディープではありがちな息継ぎから漏れる声じゃなくてさ、はっきりと鳴かされたんだよ、俺。

 男のくせに鳴いちまったんだよぉおおお! 声だけはいつも抑えていたのにっ!


 気色悪い?

 ああ分かってらぁああ、本人がいっちゃん分かってらぁああ、悪いかチクショウ!

 ある程度、男の自尊心に対して執着がなくなっていた(諦めていた)と思っていたけど、こればっかしはちょっとっ、ちょっとぁああアアア!


 だけど、しょーがないじゃないか。

 目隠しをされていたんだから、キスや食まれる感触がいつも以上に感じちゃっ……嗚呼、でも声が出ちまったのは自分でも予想外だった。


 びっくりしたさ。

 情熱的なキスされてる途中で脇腹を擦られてさ。ビクッと体が反ったんだよ。

 それだけでも驚きなのに先輩、味を占めてちゃって、悪戯がちょいちょいっ……上半身だけの悪戯だけで良かったとは思いつつも(下半身までされていたらあばばばっ!)、度の過ぎる悪戯に声が。


 マジ、あの時はカオスだった。

 体が反ったことに嬉々溢れさせる先輩が、調子付いてあれやこれやキスをしながら執拗に体を触ってくるもんだから、抗議しようとかぶりを振って口を開いた。

 同時に彼女が耳を食んだんだ。


 そしたら俺、


『せんぱっ。ちょっ、も、いい加かあぁっくっ、ぁ!』


 悲しきことかな、声が出ちまって……先輩も俺もカッチンと硬直の驚愕。

 状況を把握した俺は顔から火が出るんじゃないかってくらい赤面し、鈴理先輩は物凄く嬉しそうな声で、


『空の声、今、鳴いたな? 鳴いたよな!』


『うっ……その』


『空が鳴いた! ついにあたしが鳴かせた! 嗚呼、思えば長い道のりだった。ふふっ、そうかそうかそうか。空が鳴いたのか。もっと聞きたいっ! 空、もっと鳴け!』


『い、今のは放送事故っすからっ、ちょ、や……やめっ、先輩ィイイイイ!』


 なによりも耳を嬲られた時は酷かった。

 俺、ほんっとうに耳が弱かったみたい。視界が奪われていたから、弱くなっていたのかも。


 とにもかくにもっ、俺は、俺はヤっちまったんだっ! 受け男としてまた階段を上った!

 イェーイ、受け男万歳っ……はは、乙俺。男の俺バイバイネ。ウェルカム女の俺ネ。ん? オカマの俺? なんでもいいやもう。


「もう駄目だ。俺の人生終わった」


 頭上に雨雲を作って落ち込んだ。それはそれは落ち込んだ。

 かれこれ三日間、俺はこの調子。家でもこの調子。だから父さん母さんに心配されたよ。ごめん、父さん母さん、んでもって混乱させてごめん。

 落ち込んだ俺が突拍子もなく、「俺さ。娘になってもいい?」とかほざいたもんだから、二人に超驚かれたよ。まさしく度肝を抜かせちまったよ。まさか息子がそんなって顔されたよ。


 ちょっち回想してみると。




【あの日あの時あの瞬間の豊福家】



「空さん、どうしたの? 落ち込んでいるみたいですけれど」



 夕飯の途中、落ち込んでいる俺に気付いた母さんが声を掛けてきてくれた。


 なんでもないと言いたいけれど、男の自尊心HPがゼロ寸前の俺には大丈夫の一言も言えず、ただ黙々と飯を食うだけ。

 見かねた父さんが、


「空。遠慮は要らないんだ。お前は私達の息子なんだから」


と優しく言ってくれる。


 だけど自分が喘いだという、あのショックに耐えかねている俺はずーんと落ち込むだけ。

 父さん母さんの前じゃ滅多に落ち込まないけど、流石に今回の一件は自己嫌悪も自己嫌悪。嗚呼、肉食女に食われる草食男ってこんなにも哀れな末路を迎えるのかと悲観。悲観。羞恥。悲観。苦悶。悲観。


 女の子に鳴かされる男ってどうよ。

 可愛い? ド阿呆のベラボウ畜生。なわけねぇでしょーが。

 情けないとか、無様とか、んなレベルでもない。俺は真正のM男なんじゃないかと人生に絶望っ! 思い出しただけでも自分の喘ぎキショかったです。


 すんません、生きててごめんなさいレベルにまで達していた俺はグズッと涙ぐんで両親にとうとう言っちまったわけです。


「父さん、母さん。相談があるんだけど」


「どうしたんですか。空さん。何でも言って下さいな」


「空はうちの大切な息子なんだ。どんな時でも味方になるぞ」


「ごめんっ……もう、息子じゃ無理だよ父さん。俺、娘になりたいんだ」


 「え」「へ」困惑する両親に、


「男じゃあもうやっていけない。だから娘にっ、うわぁああっ、ごめんよぉおお! 馬鹿息子でごめんっ!」


 俺はちゃぶ台に伏して嘆く始末。


 当然のことながら父さん、母さん、大絶句。

 ついで、「ど、どうしたんだ!」「なにがあったんですか?!」そりゃあもう、ちゃぶ台を引っくり返すがごとく俺に詰め寄ってイジメられたの、悩みでもあるの、娘ってナニ等など二人は大根乱! あ、ちげぇ。大混乱!

 その日の豊福家は大パニックに陥りましたとさ。めでたしめでたし……全然めでたくねぇや!


 

「嗚呼。こんなにも早く男を終える日が来るなんて。オネェになってみようかな。オカマバーって儲かるんっすかね……あらやだ、そこの旦那、いい男ねぇ」

 

「うをおいっ! 気を確かに持て!」


 大雅先輩に励まされたけど、俺はちっとも男じゃなかったんですよ?! もはやオカマになるしかない、性転換手術は金掛かるし。

 だから体は無理だけど、心は絶賛無料で乙女になること可能! タダならそっちに走るよ! チョウチョウチョー頑張っちゃいますよ!


 半狂乱になってオネェになってやると宣言する俺に、「大丈夫ですよ」宇津木先輩が喘ぎがなんだ。そんなのちっとも恥ずかしいことじゃない。ビシッと言い放った。


 ……恥ずかしいことと思うんっすけどね。

 以前、先輩に食われても良いと思った俺だけど、こんな試練に見舞われるなら、食われるの、ちょっと躊躇してきたぞ。

 スチューデントセックスはNGだから、学生中はシないけどさ。


 グズっと洟を啜る俺は「なんでそんなこと言えるんっすか?」疑念を剛速球並にぶつける。

 女神のような笑みを浮かべ、両膝を折って俺と視線を合わせてくる宇津木先輩は柔和にニッコリ。


「鈴理さんと正式にお付き合いするって時点でご覚悟はできていたのでしょう? それに世の中には空さんのように喘ぐ男の人は沢山いますわ。わたくし、多々見てきましたもの!」


「それってお相手は野郎っすよね! 宇津木先輩のご趣味の話っすよね!」


「大雅さんだって楓さんを多々鳴かせてき「百合子っ、テメェ妄想も大概にしやがれ―――ッ!」


 怒声を上げる大雅先輩に、「照れちゃって」おほほっと宇津木先輩はのんびりのほほんと笑声を漏らす。

 青筋を立てる某俺様はわなわなと体を震わせ、「なにが悲しくて兄貴を鳴かせにゃならんのだ」ありえないと地団太を踏んでいた。


 ははっ、相変わらず仲良しこよしっすね。お二人さん。

 溜息をつく俺は腰を上げて、パッパッとズボンについた埃を払う。「まあさ」それまで傍観者に回っていた川島先輩が、軽く笑みを俺に向けてそんなに落ち込む必要はないって、と改めて励ました。

 他人事だと思って、恨めしく相手に視線を流すけど、向こうは素知らぬ顔で鈴理先輩を顎でしゃくる。


「鈴理、超嬉しそうじゃん。あんたがどんなにキショイ思っても、あいつはそうじゃなかった。それでいいんじゃない?

 周囲がどう思うと鈴理はあんたのことラブだから、念願の戯れができて嬉しかったみたいよ。うち等もあんたが嬌声漏らそうが、何されようが今更だって思っているし。あんただって満更ではなかったんじゃない?」


 揶揄されて俺は呻いた。

 人の羞恥を笑い話にしてっ……べつに、先輩とあーだこーだするのに文句はないっすよ。文句は。


 ただ、肉食系女子に攻められた草食系男子の悲しいサガを改めて思い知らされたもんだから、ちょっち(いや。だいぶん)嘆いていただけです。


 今回のことは不可抗力ながらも、俺が悪いんですし、っと?!!


 奇襲・変化球ともいうべき小さな体躯が俺にタックル、そのまま体を持ち上げてきた。

 犯人は勿論、謂わずも俺の彼女。満面の笑みを浮かべて、「空はあたしのだ」らんらんと見上げてくる彼女は小躍りするように俺を持ち上げたまま、その場でグルッと一回転。

 「うわっち!」落ちそうになったから、思わず相手にしがみ付く。それを狙っていたのか、しっかりと俺の体を抱き締めて笑声を漏らす。


「せ、先輩勘弁です。下ろしてください。目に毒な光景っすよ、これ」


「嫌だ。あたしは空をこうしていたんだ」


 この三日間、俺とは反比例で先輩はご機嫌一色だった。

 単に彼氏の嬌声を聞けたから、じゃなく……こうしてご機嫌な様子を見ていると恋人同士のスキンシップが一歩進んで嬉々を抱いているみたい。

 なんだかんだで俺、行為からは逃げているからな。彼女には嬉しかったみたいだ。


 攻めモードとは違った笑み。子供みたいに喜んでくれるから、結局俺は諦めて彼女の我が儘に付き合っちまうんだよな。どんなに恥ずかしい思いしても、さ。


「空の嬌声っ、もっかい聞きたい。そーらっ、鳴いてくれっ! 今度はな、ちゃんと携帯で録音しておくから! 何度だって聞けるようにしておきたいのだ!!」


 前言撤回。

 我が儘に付き合いきれないこともあります。ネバーギブアップ!


「い、嫌っすよ!」


 録音とかされた日には羞恥のあまりに昇天するっ!


 青褪める俺に、「ヤると言ったらヤるのだ」あたし様は命令だとニヤリ。

 早速今から録音会をするなんぞとほざきだしたものだから、ちょ、マジっすか。何処でヤるんですか?! まさかの学内っすか?!


 そ、そんな殺生なッ……空き教室でヤろうがなんだろうが、そんなことされた日から不登校になっちまいますよ。


 身を捩って腕から脱しようとする俺を押さえ込み、「これも愛だぞ」スンバラシイ告白をしてくれるけど、愛が間違った方向に重い!


「センッパイィイイイ! ま、マジで勘弁っ、お願いですぅうう!」


「うーむ。空、悲鳴ではなく嬌声があたしは聞きたいのだ。悲鳴は飽きた」


「飽きたとかそういう問題じゃないです! 俺は何度だって悲鳴を上げますよ! 先輩の悪趣味っ、肉食女っ、あたし様ジコチュー!」


 毒づいても状況は変わらず、先輩は鼻歌を歌って教室を出ようとする。

 断固として録音会を阻止したい俺はドア枠にしがみ付いて抵抗姿勢、行きたくないヤりたくない死にたくないとブンブンかぶりを振った。


「こら! 抵抗するとは生意気だぞ」


 怒鳴ってくる彼女を総無視して俺は自分自身のためにドア枠にしがみ付く。


「あーあ、平和だねぇ。あいつ等もようやるわ。豊福も早くヤられちまえばいいのにねぇ。そしたらちったぁ鈴理もおとなしくなるっつーのに。逃げれば逃げるほど、あいつを焚きつかせてるって知っているんかねぇ」


 呆れて頭の後ろで腕を組む川島先輩。


「でもあれがお二人らしいですわ。見ている側としてはああでなくっちゃ、面白くないですし。ねえ、大雅さん」


 微笑を浮かべる宇津木先輩が大雅先輩に同意を求める。

 直視した彼は軽く頬を紅潮させて、「おー」生返事。


 「あらどうしたのですか?」「いやべつに」「お顔が赤いような」「教室が暑いんだよ」「ああ、空さんに見惚れて」「っ、テメェはどうして毎度まいどっ。お、俺は!」「俺は?」「おおぉお俺は、その」「その?」「~~~なんでもねぇ!」


 和気藹々と会話を交わしている二人に、こっちもおアツイことっと川島先輩は肩を竦めていた。


「ま。平和が続けばいいんだけどねぇ。なんか、一荒れきそうなんだよね」


 彼女の予感は俺を含む誰一人の耳にも届かなかった。


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