08.肉食直々にお仕置きよ



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「~~ッ空! どういうことだ、玲とあのようなやり取りをするとはっ! しかも腰を触らせただぁ? あたしが苛々しながら他の財閥と社交辞令を交わしている間になにをしていたのだっ! ……ふふっ、躾が足りなかったのかもしれんなぁ?」


「あ、いや、だから……これにはふっかいワケがあってっすね」


 会場を後にし、逃げるように飛び込んだホテル地下の駐車場にて。

 じっりじりと現在進行形で詰問をされている俺は、千行の汗を流しながら後退りあとずさり。


 途中肌が剥き出しになっている無機質なコンクリート柱に道を阻まれてしまい、逃げ道を塞がれてしまった。


 ひんやりと冷たい障害物を背に受けながら、しっかりと彼氏を追い詰めてくる彼女に俺は誤魔化し笑い。

 ちっとも誤魔化されていない彼女は素敵に無敵な笑顔を浮かべてくるけど、目が一抹も笑っていない。禍々しくもどす黒いオーラを放ちつつ、俺を瞳の中に閉じ込めている。


 これは怒っているよ、激怒している。

 余所で「ありゃぜってぇ噂になったぜ」大雅先輩、「どうしましょう」宇津木先輩、「やっちまったねぇ」川島先輩が各々吐息をついていた。


 曰く、財閥界の噂ってのはねちっこいらしい。

 だからできる限り、噂は作りたくなかったのに、まさか男嫌いの御堂財閥長女が男を襲った上に夜のお誘いをしただなんてとんでもないことだとか。


 噂は噂を呼び、きっと誇大な噂が財閥界を巡りめぐるに違いない。

 面倒なことになったと財閥界に身を置いている大雅先輩が宇津木先輩とアイコンタクトを取って肩を落としている。


 いやいやいや俺だってとんでもないことをされちまったと思っているっすよ! 傍から見ても俺はただの被害者っすからね!


 公の場で脱げとか(何処まで脱がせるつもりだったんだろう)、お前女だろうとか(男にしか見えんだろーよ)、セクハラ発言とか(腰触りたいはまさしくそれだろ!)、ワケの分からんことばっか言われたんっすよ!


 しかも加害者の御堂先輩は、回収されるや否や自分のしでかした事の大きさに気付いて、「最悪だ!」とか奇声を上げながらひとりで帰っちまうし。


 せめて状況を説明してから帰って欲しかった。逃げるなんてずるい。

 貴方様せいで俺と御堂先輩、一躍噂の人になっちまったんっすから説明くらいして帰って下さいよ! ひとりで鈴理先輩に説明しろとか、最初からひのき棒でラスボスと戦えと言われてるようなもんだ!


「ま、楽しくなってきたかもねぇ」


 笑みを零したのは川島先輩。

 彼女は頭の後ろで腕を組み、「これぞ少女漫画の王道展開っしょ」と口端をつり上げた。


 他人事だと思って、なあにが少女漫画っすか。

 好敵手が出現する二巻辺りの展開とでも言いたいんですか? 展開もなにも、御堂先輩は俺の性別と確かめようとしただけですよ。


 好意というよりは真実の追究に走っただけといいますか、暴走したといいますか、そりゃあ節々に至らん言動があったっすけど。


「とにかくだ。豊福は鈴理に事情を説明しろ。俺達には後日、説明してくれたらいい。今の鈴理の怒りは俺達の手には負えねぇし」


 ニンマリのニヤリ。

 某俺様はこっちはこっちで別に迎えを寄越してもらうから、そっちはそっちでカタをつけろと死刑宣告。


 顔面蒼白をしたのは俺。


 え、うそ、ちょ、俺を見捨てるんっすか! 先輩方がいるから、鈴理先輩はまだ行動が小さいんですよ。


 二人っきりになっちまったら、それこそ俺のピンチ! 貞操の危機にっ、あ、宇津木先輩、川島先輩っ、なんでそこで相槌を打っているんっすか! 嫌ですって、二人きりなんてっ、絶対に無理っ、無理っす!


「せ、先輩方!」


 悲鳴交じりに助けを求めるけど、「そーら」頬を包む彼女の柔らかな手が視線をかち合わせようと無理やり引き寄せてくる。


「あいつらの気遣いだ。甘んじて受け止めような……これからはあたしとアンタの時間だ」


 アイロニー帯びた笑みを浮かべる彼女が満目一杯に映る。

 この表情にドキッ、胸キュンする俺がいたりいなかったり。

 嘘です。そんな俺、まったくもっていないです。完全に血の気が引いています。背中や脇やこめかみ等々に恐怖の汗が流れています。


 嗚呼、ま、マジで食われるんじゃ。

 畏怖の念に駆られている俺の腕を掴んだ鈴理先輩は、問答無用で大股で歩き出す。


 ど、何処に行くんですか、嫌な予感しかしないっ……うわぁあああん! 先輩方助けて下さいよっ!


 そんなにこやかな笑顔で見送らないで下さい!

 俺がこれからどんな目に遭うか分かってるんでしょー! あの鈴理先輩っすよ、鬼畜や俺様やドSに憧れている鈴理先輩が仕置きをしないわけないじゃないっすかぁああ!


 ヘルプ、ヘルプー!

 俺のSOS信号を誰もが受信してくれるけど、それだけ。

 さいならさいなら、お達者でと言わんばかりの笑顔で手を振ってくれる。み、皆、薄情者!


 あわあわしている間にも、鈴理先輩は持ち前の腕力で俺を引き摺り、乗ってきた高級車の前に立つ。

 車内で待っていた運転手の田中さんが出てきて、わざわざ扉を開けてくれた。


 それだけでも申し訳ないのに、「少し席を外してくれ」とご命令するもんだから、もっと申し訳なくなった。


 べつに席を外さなくてもいいんっすよ田中さ……あああっ、じゃあホテルのカフェでお茶をしても大丈夫でしょうか? なんて殺生な事を仰らないで下さい! 気遣いは無用っすよ、俺の身がマジで危ないんっすから!


 だけど鈴理先輩は勿論だと頷き、「すまないな」笑みを浮かべて謝罪。


「ゆっくりと休んできてくれ。そうだ、父のカードをアンタに貸す。これで支払いを済ませてくれ。他に買い物があれば、カードを使ってくれ。アンタにカードを貸しても、悪用はしないと分かっているしな」


「有り難いお気遣いです。じゃあ、お言葉に甘えて。私の娘に土産でも買って来ようかと思います」


「ああ、そうしてこい。ホテル内に有名な洋菓子店があるようだしな」


 和気藹々先輩と会話を交わした田中さんは、クレジットカードを彼女から受け取り、俺に会釈してホテル内へ。


 いってらっしゃいとヒラヒラ手を振る鈴理先輩は完全に田中さんの背が消えたのを確認。その後はこっそりと逃げようとする俺の体を、開かれた扉に押し込んでバタン。

 無情にも扉を閉めやがりましたとさ。おしまいおしまい。


 物語であれば、此処で終わる事ができるんだろうけど……嗚呼、残念、これは現実だ。

 話は終われない、とまらない、逃げられない。


 暗い車内でもバッチシ分かる先輩のドドド不機嫌、そしてあくどい笑み。

 二人きりになった瞬間、肉食獣は本領を発揮してきた。「さてと」の掛け声で俺に迫ってくるもんだから、反射的に車内の奥へと避難。


 一般の車よりかは広いけれど、やっぱり車内は狭い。すぐに追い詰められた。

 これから修羅場でごぜぇーますよね。状況は把握しなくても理解できます。


「せせせせ先輩っ! お、俺の話を聞いてもらえますか! う、浮気とかそんなのはしていませんと、まず前置きとして言っておきます!」


 テンパっている俺に、「当たり前だ」先輩が唸り声を上げる。


「玲となあにしていたんだ?」


 不機嫌丸出しの問い掛けに今度は俺は呻き、ちょっとばかし間を置き、逆に質問。


「あの、つかぬ事をお聞きしますけど……俺、ちゃんと男に見えます? 御堂先輩から女疑惑を持たれたんっすけど」


 「はあ?」間の抜けた声を出す鈴理先輩に、仕方がなく事情を説明。

 なんだかワケの分からないことを言われて女疑惑を持たれてしまったのだとボソボソブツブツ。嫌悪しないイコール、女疑惑を掛けられるのも変な感じだけど、事実だから先輩に包み隠さず伝えておくことにする。

 じゃないと後から酷い目に遭いそうだしな。今も遭いそうだけど!


 ふーん。

 意味深に鼻を鳴らす鈴理先輩は納得しない声音で、「玲とずっと一緒だったのか」不機嫌に聞かれる。

 ずっとじゃないけど、まあ一緒にはいたです……はい。


 でも、それもしょーがないじゃないっすか。

 先輩は大雅先輩と一緒だったんだし、彼女に俺達の関係もばれちまったんだから。関係を明かさない代わりに飯を一緒に食えと言われたんだ。譲歩案としては良いものだと思ったんだけど。


 それでもまだ不機嫌オーラを漂わせる彼女に、「怒っています?」おずおず質問。


「怒っていないように見えるか?」


 聞き返されて、俺はブンブンと力強く首を振った。

 スンゲェ怒っているように見えるっす……ふ、不可抗力ながらも、嫌な思いをさせてごめんなさいです、はい。


 詫びてもムッとしたままの彼女は、「玲と噂になるなんて」そんなの許せるかと毒づき、逃げ腰になっている俺の体を引き寄せてくる。

 そのまま肩口に顔を埋めてきた。サラサラとした絹のような髪が俺の肩口を擽る。


「噂であろうと、あんたはあたしのものなのに。玲と噂になるなんて屈辱だ。キャツに腰を触らせたなど、言語道断だぞ」


 うーむ、超不機嫌だな。

 これはご機嫌取りをしないといけない感じかな。

 なので不貞腐れている先輩に、「俺。先輩だけっすよ?」などと少女漫画チックなことを言ってみる。此処で可愛らしい女の子が言えばキュン、なんだろうけど……大変遺憾な事に俺が言うとロマンチックもキュンチックもなにもない。


 しかも勇気を振り絞って物申したのに、当然だと怒られてしまった。

 うぬぬ、どうすればご機嫌を取り戻してくれるんだろうなぁ。あたし様は。


 思い切ってセックスしましょう、とか? いやいやいや! そりゃ幾らご機嫌取りでもやっちゃあなんねぇぞ!


 他にっ、他になにかないか! 受け男ができる、胸キュンなこと! おにゃのこがやりそうなこと!

 俺がやったら吐き気ものだけど、鈴理先輩ならきっと喜びそうな胸キュンがなにかないか!


 例えば、「先輩だけなのごろにゃあ。俺だって寂しかったんっすよ」と甘えまくってみる。

 ……想像するだけで鳥肌が立つから却下。


 んじゃあ、「実は先輩を振り向かせるために嫉妬させようとして」と口実を作ってみる。

 ……ンな阿呆な、俺はどこぞの乙女、じゃね、乙男だ。


 あとは、「お詫びとして今度デートするっす」と物で釣ってみる。

 ……駄目だ、俺、随分ツケがあるし(物や好意を貰うとデートだのなんだのでツケにしてもらうことが多いんだ)、デートじゃ向こうも満足しない。


 どうすればいいんだ。


「イッデッ!」 


 いきなり首筋を噛まれた。

 ちょ、い、痛いっすっ! 容赦なく噛みましたね、びっくりするくらい痛かったんですけど! 今のは痛恨の一撃でしたよ!

 抗議してみるものの、「このまま痕になればいいな」ひっじょうに頂けないお言葉を頂戴してしまう。本当に痛かったんっすよ……今の。


 ちょっと視線を落として彼女を見下ろす。

 コアラみたいにしがみ付いてくる先輩のオーラはまだ怒っていた。

 でも、並行して不安も感じられる。先輩の根っこは寂しがり屋だから、俺が御堂先輩のところに行くとでも思ったのかも。そんなことないのになぁ。


 仕方が無いので受け男らしく、「もっと痕付けます?」と聞いてみる。

 既に首筋から鎖骨辺りはキスマークだらけなんだけど、まあ、これで不安が拭えるなら羞恥は我慢しよう。が、これは悪徳な罠戦法だったらしい。


 俺の言葉を聞いた刹那、「誘いがなってないぞ」ニヒルに一笑して見上げてきた。不安オーラはどこへやら状態だ。

 目を点にしている俺に、フフンと彼女は得意気な顔を作る。


「まあ、誘い方は不合格だが、そうやって空からお誘いしてくるとはな。所有物らしい詫びの仕方だ。最初の経験がカーセックスとは濃厚だが不服はない。いいぞ、シようか」


 こ、このぉおおお悪魔はぁあああ!

 どうして強引にそっち方向に持っていこうとするんっすかね。俺がスチューデントセックスは断固として拒否をモットーにしていると知っているくせに!


 ムリムリムリ。

 青褪めながら訴えると、見越していたのか、「そうか。無理か」じゃあセックスは諦めてやってもいいぞ、と自分の主張をアッサリ辞退してくる。

 マジで? 超優しいっす先輩! 成長しましたね! ……なんて思えないのは、先輩の表情に裏があると分かっているからだろう。


 こんなにも先輩がアッサリと引くわけない。

 いつでも何処でもどんな時でも食べちゃうんだぜゴーゴーお嬢様だ。何を目論んでいるやらっ! 

 思った傍から、「実はな。やってみたいプレイがあるんだ」ほぉおらきた。


 セックスではないけれど、ヤーらしいプレイ。狭い車内だからこそヤりたいプレイがあるとか。


 やっぱそうくるよな。

 先輩が簡単に引くとは思えなかったんだ。攻めてこその攻め女、攻めてこその肉食女子だし、俺は彼女の攻めに毎度困らされているんだ。簡単に引くわけないって。


 取り敢えずご要望は聞いてみよう。

 叶えられるかどうかは置いておいて、聞かないと話は始まらないしさ。


 深呼吸を一つし、彼女にどんなプレイだとおずおず尋ねる。


 途端に彼女は目を輝かせて、イソイソごそごそブレザーのポケットから木綿製のハンカチを取り出した。

 それをナナメから折り畳んで鉢巻状にしてしまうと、「これで視界を隠して欲しい」仕置きはこれなんだぜと言わんばかりの笑みで、とんでも発言投下。俺はどっかーんと爆発したくなった。


 なんですと? 視界を隠して欲しい? それってつまりあれっすよね。所謂目隠しプレイというものじゃ。


 い、嫌だぁあああ!

 視界を隠されるとかっ、何されるか分からないじゃないっすか!

 セックスしないといいながら、結局はあれよあれよと食われるかもしれないじゃないっすか! 絶対に嫌だっ、目隠しプレイなんてっ……目隠しなんて超卑猥!


 蒼白する俺に、「視覚を隠すことでな」他の神経が研ぎ澄まされてより相手を感じられるらしいぞ、と彼女はわくわくとしながら説明してくださる。


「人は大部分の外界情報を視覚で収集し、己の中に吸収するらしい。その視覚を奪われたら、他の神経が視覚以外で補おうと過剰反応するというわけだ。文庫化が決定されたケータイ小説にそのプレイが載っていてな、いつかは試したいと思っていたんだ」


 あんの悪魔本め。

 お手軽お気軽に携帯で閲覧できる小説サイトで、どんな小説を書いているんだ。

 でもって先輩、どんな小説を読んでいるんっすか! 甘酸っぱい青春ものとか、ほろ苦い感動系とか、爆笑コメディ系とか、そういうのもあるでしょーに。


「あたしは空の過剰反応している様を見たい。どうだ、セックスなしであたしも喜べる優しい仕置きだろ?」


「~~~そりゃそうっすけど、なんったる羞恥プレイ! お、俺の身悶えを見て楽しいっすか! 男が悶えるんっすよ、カワユくないっすよ、先輩好みの男性理想像じゃないんっすよ。ぽにゃ可愛い系が身悶えるならまだしも、へ、平凡野郎が身悶えるなんてっ」


「あたしはウキウキするほど楽しいぞ。空の身悶えを見るだけで、あたしは興奮する」


 こう言ってのける彼女は本当にスバラシイ攻め女っす。

 ガチ泣きしたくなってきた。マジですよ。ホントですよ。間違ったって嬉し涙じゃないっすからね。


「嫌ならセックスだからな? カーセックスがしたいのならば、そっちを取ってもいいんだぞー?」


 うぐっ。

 先輩っ、逃げようとする俺の道を塞ぐのがとつてもお上手になりましたね!

 セックス、オア、目隠し。嗚呼、究極の二者択一!


 セックスを取れば俺のモットーは打ち砕かれ(責任取れないっす!)、目隠しを取れば何をされるか分からず、恐怖の時間を味わうことになる(どんな悪戯されるんだっ)。


 追々セックスに持ち越されるような気もっ、うわぁああああっ、なんでこの二択しかないんっすか! 愛と慈悲と優しさがあるならっ、もっと別の選択肢を下さいよ! 今の俺なら、メイド服やアリス服、浴衣だってどどーんと着ちゃえますよ! 女装ウェルカムっすよ! 受け男、キショくなるであろう女装男を演じてみせますっすよ!


 こんな選択肢しかくれないってことは……や、やっぱり先輩、すんげぇ怒っているんっすね。三倍増しで身の危険を感じているっす、俺。


「既に車内の視界は悪いんだ。目隠しをしても然程、変わらないと思うんだがな」


 そう、促してはくるけど相手は鈴理先輩だ。下心あっての選択肢に決まっている。

 どうするんだと目と鼻の先まで顔を近付けてくる鈴理先輩は、どっちをしても良いんだぞっと最高の脅し文句を投下。

 よって俺は唸り声を上げながら承諾するしかなかった。


 だってこのままじゃ両方されちまうんだぞ? 危険な賭けではあるけど、まだ健全な道が繋がっているであろう目隠しを選択した方が俺のため、彼女ため、未来のためだ。


 よしよしとご満悦に笑う鈴理先輩は早速目隠しするよう、鉢巻状になったハンカチを手渡してくる。


 ゴクリ、固唾を飲む俺は、どうか何事もありませんようにと祈りつつ、恐る恐るそれを受け取った。彼女に警戒心を募らせながら、ぎこちない手つきで視界を覆い、キュッと後ろで結び目を作る。

 緩めに結んでおこうと思ったんだけど、「しっかり結ばないと後が怖いからな」先手の読心術を打たれたから、ちゃーんと結びましたとも。


 木綿製のハンカチで覆われた視界は、文字通り何も見えない。視界の明暗は微かに分かるけどそれだけ。視覚による外界の情報収集は完全に絶たれた。

 何故だろう、鼓膜を振動する音がさっきよりも鮮明に聞こえている気がする。物と物が擦れるような音、息遣い、判断のつかない雑音、どれも鮮明に聞こえるような。


「どうだ、空。見えているか?」


 顔を覗き込まれた気がしたから、「見えてませんよ」体を引きつつ返答。

 視界が遮断された途端、全神経が聴覚に向けられる気がした。触覚も若干、使われている気がする。


 あ、今、車内灯が点いた。

 音で分かったし、先輩の動く気配も感じられたし、やっぱ視界の明暗は分かるっぽい。瞼やハンカチで視界を覆っても、分かるもんは分かるんだな。


 って、なんで車内灯を点けるんっすか!

 け、消して下さいよ、ただでさえ小っ恥ずかしいことしてるんっすから! 外から車内が見えたりするかもしれないじゃないっすか。

 まさか、最初からこれを狙って……だったら、とんだ性悪攻め女っすよ!


 ふと気配が動いた。反射的に俺は伸びてきた手を掴む。

 「むっ」不機嫌な声が鼓膜を波打たせる。


「本当は見えているのではないか」


 べしべしと空いた手で俺の頭を叩いてくる先輩はムードが台無しだろうと猛抗議。

 アイタッ、アイタッ、そんなこと言われてもっ、分かっちまうもんはしょーがないでしょ。

 視覚が奪われている分、他の神経が総動員してるもんだから、嫌でも分かっちまうんっすよ。


「こういう場合、視覚を奪われたあんたはオロオロとあたしに翻弄されるものだろう! 文庫化になっているケータイ小説もそういうシチュエーションだったぞ! なのに何故、糸も容易く動きを読むのだ。目隠しプレイを舐めているのか!」


「りっ、理不尽な怒りを向けないで下さい。羞恥を呑んで目隠しをしているだけでも、俺、超偉いと思います」


「なにを言う。これは仕置きだぞ。偉いもなにもあるか! ええい、何か縛るものはないか。抵抗は燃えるが、今は狼狽している空を翻弄したい気分なのだ!」


 ぶ、物騒なことを仰るお嬢様一匹警戒注意報! 警戒注意報! 警戒注意報!

 目隠しに加えて拘束プレイとか、どんだけヤらしいことをシたいんっすか。縛られるなんてぜぇってヤだぞ。ナニされるか分かったもんじゃないっ!


 普段だったらサービスしないけど、鈴理先輩の怒りを買った手前なので、


「分かりました。(セックス以外の)抵抗は極力しませんから」


最大の譲歩案を出した。

 なんて俺、良い子だろう。自分の身が危ないっつーのに、こんな阿呆なことを言うなんて。天国にいる実親も褒めてくれるに違いない……呆れているかもしれないけど。


「早くしないと田中さんが帰ってきますよ」


 時間も気にするよう促すと、ようやく先輩は仕方が無いと拘束プレイを諦めてくれた。


 ホッと胸を撫で下ろすと同時に、彼女の体が密着。

 息を呑む間もなく骨が軋むまで抱き寄せて、首筋に唇を落とし、そっと肌を吸ってくる。唇の温度って思った以上に低い。触れられると、冷たさにどきりとする。肌を吸われる感触も変な感じ。肌を上唇と下唇で挟むようにして、ちゅっと吸ってくるんだ。歯に当たる感触にすら今は意識してしまう。

 緊張に体が強張ってきた。いつもは視覚から攻められて光景を目にし、ド緊張するけど、今回は聴覚と触覚。ドドド緊張する。


 これだけで結構、余裕がなくなってきた。 


「先輩、そこにいます?」


 分かり切っているけど、なんとなく会話が欲しくなって俺は相手に声を掛ける。

 笑声が耳に飛び込んできた。「ああ。いるよ」丸び帯びた声質は、俺を酷く安堵させる。ぎこちなく相手を抱き締めようと腕を持ち上げれば、「抵抗はしないんだろう?」しっかりとそれを制されてしまった。

 いや、これは抵抗じゃなくて、純粋に恋人同士のスキンシップをしたかっただけなんだけど。


「今日はパーティーは楽しめたか?」


 不意に切り出される話題。

 腰辺りに手が這ってくる。そこ好きっすねぇ、男の腰なんて触っても楽しくないだろうに。触ってナニが楽しんだろう?


 片隅で疑念を抱きながら、「ご馳走は美味かったです」見たこともないご馳走ばっかりで驚いたと感想を述べた。

 更に、「世界が違うっすね」俺は今日の感想を短縮して述べる。俺と先輩の住む世界は一緒のようで、やっぱり違うんですね、と。


 それ以上の言葉は出なかった。それ以下の感想もない。ただ一文にして気持ちを伝える。それだけで彼女に伝わる気がした。


「住む世界が違えば、一緒にいられないのか?」 


 問い掛けに俺は、「さあ」曖昧に返答。

 一緒にいられるかもしれない、でも一緒にいられないかもしれない、微妙なところだと答えた。

 どちらにせよ、庶民の俺には眩し過ぎる。先輩のいる財閥の世界は。


 俺の心情に「関係ないんだ」住む世界なんて関係ない、先輩はゆるやかな手つきで右頬を撫でてくる。

 彼女の姿は見えないけど、きっと今、真っ直ぐと俺を見つめているに違いない。あたし様らしく、世界なんて関係ないとのたまっている。そうに違いない。


「あたしはな空、あんたがいれば何処の世界にいようと関係ない。そう、思っている」


 敢えて口には出さないけど、俺は関係があると思っている。

 何故か、先輩と俺の住む環境、世界、背負うものが違うから。きっとそれは先輩と俺の価値観の違いだと思う。

 俺がこんなにも関係があると思っちまうのは、先輩の財閥の将来を垣間見たせいだろう。俺と先輩の住む世界は違う、そしてそれは隔たりのある世界。


「あたしにとって大切な世界は、空があたしの所有物であり続けるという世界。だから許さないさ、玲と噂になることだって絶対に。本当は公の場で堂々と宣言したかったくらいだ。あんたはあたしの彼氏だって」


 細い指先が触れるか触れないかのタッチで、そっと唇をなぞってくる。

 「あんたが思っている以上に」指が頬を滑って、「あたしは」首筋に、「独占欲が強いぞ」そしてシャツにまで伝い落ちる。


 上から三つまでボタンが外された。

 止めたかったけど、極力抵抗はしないと言ったのは俺だから好きにさせることにした。鎖骨に指を這わせて、「まだ痕が残っているな」先輩は笑声を漏らす。


「おかげで消えないっすよ」


 消えそうになったら、また痕を付けるんだ。消えるわけがない。


「御堂先輩にこれ、見られちまったんっすけど。凄い独占欲の表れだなって言ってましたよ」


「玲がこれを……あいつは良し悪し関係なく空に興味を持ち始めたな。まったく、あいつとあたしの好みは似ているから。それなりの覚悟は必要だろうな。空、あんたも覚悟しろよ」


 覚悟?

 その意味を理解する前に、激しいキスが到来した。


 初っ端からディープキスという凄まじい攻撃技を繰り出してくるわけだけど、此処でひとつ大きな問題が発生した。

 ディープキスって意外とキスを交わす時、その、あれだ。あれ。

 水音とでもいえばいいんだろうか? 絡みつく舌から音が奏でられ車内を満たす。


 俺の忙しない息継ぎと、相手の熱い吐息、交わす度に鳴る水音。

 視覚を遮られている俺にとって、聞こえてくる水音は鮮明も鮮明。狭い車内だから余計に音が耳に纏わり付く。


 それだけじゃない。触れられる箇所が熱い。

 絡められる舌も熱ければ、重ねられた肌も熱い。呼吸すら熱い。おかしい、体の芯すら熱い気がする。


 溜まった唾液を嚥下する。

 口端から零れたのか、それが伝い流れる感触を感じた。


 不快。気持ち悪い。拭いたい。

 けれど先輩はその時間すらくれない。


 俺が音を気にしていることに気付いたのだろう。

 ちゅっと音を立てて人の鎖骨を吸ってきた。それが幾度も繰り返され、肩が無意識にぴくぴくっと震えてしまう。


「っ、」


 驚きの声を上げそうになる。

 彼女の手がカッターシャツという障害を乗り越えて侵入してきた。聴覚ばかりに気を取られていたせいで反応が遅れてしまう。背中に回った右の手は、じかに肌に触れてきた。くすぐったい。


「まだ、余裕がありそうだな。空」


 ツーッと上下に背中をなぞり、耳元で先輩が挑発を含んだ台詞を掛けてくる。


 そんなことはない。既に飽和状態だ。

 意味合いを込めて首を横に振るけど、


「うそつけ。まだ余裕があるだろ?」


 空いた手が片頬に添えられた。

 そっと、ではなくしっかり添えてくる手に不安を感じる。何をされるのか、まったく読めない。


 背中に回っていた手が耳の後ろに添えられた。感触を確かめるように撫でてくる指が彼女のこれからの行為を教えてくれる。


「待って下さい先輩っ!」


 血相を変える俺に、「指の愛撫はいらないか?」とかケッタイなことを言われた。愛撫ってっ、やっぱり、耳をねらっ?!!

 ちろっと縁を舐められ、そのまま無遠慮に舌が侵入してくる。


 ただでさえ耳を愛撫されると違和感を感じるのに、今は視界が利かない。余計に意識してしまう。音にも感触にも。


 逃れようと顔を振るけど固定された手は振り払えず、ぬちゃっとした音を鳴らして人を翻弄させる。ぞわぞわする。本当にぞわぞわする。尾てい骨あたりが甘く疼く。

 身を引いて必死に逃げようとすると、彼女が上体を崩しに掛かった。情けないことに容易く上体は崩れる。

 もう身を引いて逃げることもできず、熱い舌を甘受することしかできなくなった。


 音、音、音が浸食。

 奏でる音が俺を追い詰めていく。ぞくぞくが止まらない。足の指先を丸め、相手のブレザーを握り締める。


「音に犯されている気分になるだろ? ふふっ、空は今、犯されているんだ。あたしに聴覚から」


 ふーっと吐息を掛けられる。濡れそぼった耳に当たるだけで背筋がぞわぞわした。


「俺が嫌がっていることにっ、気付いていますよね?」


 執拗ともいえる行為にしかめっ面を作る。


 すると先輩、


「空の嫌がらないことをしたって仕置きにならないではないか。なにより、空の耳はあたしの手で開拓すると決めているんだ。性感帯があると知っていて開拓しない馬鹿が何処にいる?」


 遮る布の向こうで彼女が妖艶に破顔した気がした。

 残りのボタンを外され、首にかかったネクタイも取っ払われ、体はシートに縫い付けられる。

 ふと片足がスースーすることに気付いた。どうやらローファーが片方脱げているようだ。押し倒された拍子に脱げたのかも。

 嗚呼畜生。リードされているこの現実。受け身男はいつだって女ポジションなんだぜ、乙。


「うぐっ!」


 いきなり口に二本の指が突っ込まれた。

 はい、これは五本指の何処になるでしょう? アンサー、多分人差し指と中指だと思われます。一番口に突っ込みやすいだろうから。

 なんで指を突っ込まれたんだ。先輩の意図が見えない。


 嘔吐(えず)きそうになった。

 お構いなしに二本の指は俺の舌を探って挟んでくる。

 困惑する俺を余所に、先輩は指で挟んだ舌を弄びながら、「空、憶えろ。これがあたしの指だ」傲慢に命令をくだした。


「指も、舌も、体温も、音も、何もかもその五感であたしを憶えるんだ。そして事あるごとに思い出せ。あんたが誰の物かを」


――これが俺の彼女、独創的な持論を掲げる攻め女、あたし様。


 変わり者の彼女に突き落とされる勢いで恋に落ちた俺はしがない受け男。

 たとえ世間体的に逆転したカップルで周囲に引かれるような行為を強いられていても、俺は彼女に落ちてしまった。

 リード権を奪われてもいい。こうして俺を翻弄してもいい。女扱いも多少のことなら我慢しよう、多少のことなら。


 なにより彼女の望むことを叶えたい。それくらい思っても、許されるだろ?


 返事のかわりに指を舐め、やんわり食んで応える。

 くちゅくちゅっと指が口内で蠢く。その内、指の腹が上顎をなぞった。まるで擦るようにそこを愛撫してくる先輩は「ヤラシイ光景」と笑い、執拗になぶった。


「んっ、んっ、」


 比較的、敏感な箇所を擦られる。

 また口の中に唾液が溜まり始め、口を閉じてそれを飲み込むことも出来ず、口端から零れていった。

 先輩が舌で拭ってくれるけれど指の動きは止まらず、眉根を寄せてしまう。不覚にも気持ちがいいと思う自分がいた。


 ふと動きが止まり、ずるっと指が口腔から出て行く。口寂しくなる。まだ相手の一部を味わっていたいのかもしれない。


 だから俺から動いた。

 手探りで、彼女の首筋に手を回して肩口に顔を埋める。視界が利かなくなると感触だけでなく、嗅覚も発達するようだ。彼女の匂いが、そっと俺の鼻腔をくすぐった。


「先輩だけっすよ。攻められていいと思える相手は。何をされてもいいと思えるのは、貴方だけ。好きです」


 鈴理先輩に頬を崩して告げると、


「当然。あんたはあたしを好きでいるしかない」


 あたし様らしい発言と共に、彼女は幾たびの唇を重ねてくる。荒々しいキスは照れ隠しかもしれない。

 息が続かなくなるまで、キスを繰り返した俺達は暫し抱擁しあって温もりを共有。俺達は極めて健全なやり方で、ひとつになった。


「鈴理先輩、あったかいっすね」


 見えない分、抱き締める感触で分かる。彼女の体は、とても柔らかい。


「空もな」


 鎖骨を指先でなぞり、鈴理先輩はちゅっ、と肌を吸ってくる。

 また見える位置に痕を付けたな。困るのは俺なんだけど。

 新たにキスマークを残し、そっと俺の髪を梳いてくる鈴理先輩は幾分機嫌を直したらしい。


「空はあたしのだぞ」


と、台詞に笑声が含んでいる。


 「はい」俺は素直に返した。先輩に落ちた時から、いや落ちる前からきっと俺は彼女に捕らわれていたよ。

 「先輩は俺のっすよね?」質問に、「返品不可だ」笑声を零した。うん、機嫌は直ってくれたみたい。


「先輩の顔が見えないっすね」


 俺は目隠しの存在に苦笑い。

 せっかくのムードなのに、相手の顔が見えないなんて。


「怖いか?」


「いいえ、怖くはないっす。先輩に触れているから」


「なら、肌で感じればいいさ。そのための目隠しだぞ」


 そういうものだっけ目隠しって。

 ああそうかも、目隠しプレイなんて所詮下心ありの行為だしな。

 まだキスの余韻が残っているせいか呼吸が整わない。軽く荒呼吸を繰り返していると、「さあもう一度キスから始めようか」と鈴理先輩。


 え、もう一度キスから? ……ま、まさか今やったことをもうワンリピートするつもりじゃ。


 顔を引き攣らせる俺にフフンと鼻を鳴らし、「仕置きはこれからだぞ」鈴理先輩が無慈悲なことを告げた。


  

「あたしの最大の目的は、キスと耳で欲情してしまう空を作り上げることだ。そうすれば、嫌でもセックスしたくなるだろ? 寧ろお誘いとかしてくれた日には、日々持参している道具やらなんやらでかなり張り切るぞ。

さあ、欲情できるよう頑張ろうな。田中が戻ってくるまで20分はあるだろうから、20分、余す事無くキスと耳を堪能してヤらしー体になるようお互い努力しよう」



 そんなえげつない目論見があったんっすかっ! 

 ちょぉおおお、そんな悪巧みを聞いた後にもっぺんキスから始めるとか無理。絶対無理っす。

 仕置きだろうがなんだろうが、今すぐに目隠しは取りますよ。


 冷静に考えれば、被害者の俺がなあんで仕置きなんて。

 御堂先輩が全部悪いのであって俺に非はない筈。もう十二分に仕置きは受けっ、うわああっ、ちょ、ちょぉおお先輩!


「んんんっ!」


 くぐもった悲鳴を上げる俺に焚き付いたのか、彼女は合間合間に「二度と他人に触らせないようにしてやる」などと高らかに大宣言。


「よりにもよってあの好敵手に触らせたんだっ。たーっぷり、体に教え込んでやるからな。あんたがあたしの何か、身の程を持って知れよ」


 お、怒っている! 見えないけど彼女のオーラに怒気が纏っている!

 先輩っ、俺が思っている以上に怒ってっ、「イ゛っ」耳齧ってきたしっ! なんか艶かしい空気になってっ、うわぁあああ田中さあぁああん早く戻って来て下さい! じゃないと俺っ、おれっ、マジで食われるっ!

 セックスはしないって先輩は言ってくれたけど、この雰囲気じゃ彼女の理性がどれだけ持ってくれるか。


 いつも思うけど、俺ってどぉおしてこう、自分で自分の首をしめちまうようなことをしちまうんだろっ――!



 どう後悔しても後の祭り。

 俺は過去にないほどの仕置きを食らい、スンゲェ恥ずかしい思いをしたんだけど、それは後日談としていずれ語らせてもらおうことにしよう。

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