07.犯人はお前なのだよ!



 会場に戻る気も起きず、力なく長椅子に凭れ続けてどれくらい経っただろう。


 満ちる静寂の中、ロビーの一角でひたすら宙を見つめていた俺はそろそろ戻るか、と気持ちを持ち直し、ゆっくりと腰を上げる。


 いつまでも感傷的に落ち込んでもしょうがない。悲観的になっても一緒だ。

 鈴理先輩や大雅先輩の気持ちは知っているし、大雅先輩に比べたら俺はまだまだ恵まれている方だ。彼は意中相手に気持ちを伝えられず(伝えようともせずかな?)、ただお兄さんと宇津木先輩の関係を見守っているんだから。

 同じ恋をしている身の上として思う、大雅先輩の立場はスンゲェ辛いって。


 俺が彼の立場だったら、あんな風に二人を見守れるだろうか? 絶対に無理だと思う。俺様のくせに大雅先輩って、オトナな面があるんだな。尊敬するよ。ん?


 会場に爪先を向けた俺の足が自然と止まる。

 数メートル先に人が立っていた。

 真っ直ぐ俺を見つめてくる学ラン姿の男装女性、御堂先輩だ。なんでこんなところにいるんだろう? お手洗い? でも雰囲気的になんか違うっぽい。

 じゃあ何をしているんだろう? 謎い人だ。


「御堂先輩じゃないっすか」


 俺は彼女に話し掛けて歩む。

 推測を立てても俺の中で答えは出ないと分かっていたから、直接相手に何をしているのか訊ねることにした。そっちの方が手っ取り早いしな。

 彼女はちょっと間を置いて返答する。会場を抜け出す俺を見つけたから、追い駆けて来たのだと。


 なるほど、俺を追い駆けて来たんだ……え?

 俺はカチンと固まって、「追い駆けて来たんっすか?」再度質問。

 頷く御堂先輩は追い駆けて来たけれど、声を掛ける機会がなかなか見つけられなくて、ずっと突っ立っていたんだと。


 それなら早く声を掛けて下さいよ。

 声掛けしても怒らないのに。男嫌いの貴方様と違って、誰でもフレンドリーに受け入れているのだから。


 だけど、なんで俺を追い駆けて……?


「どうしたんっすか? 俺に何か用でも?」


「用がないと君を追い駆けてはいけないかい?」


 いや、そういうことは一抹も言ってないっすけど。

 普通に考えてそう思うでしょう。

 俺と御堂先輩の仲って非常に浅いものだしさ。寧ろ、今日初めましての関係なんだから、そりゃあ俺に用事がある以外に追い駆けて来るなんて到底考えられないんだけど。


 イマイチ心情が見えなくて首を捻っちまう。御堂先輩は何を考えて俺を追い駆け……え゛?


 ガッチーンと固まったのはこの直後。

 ぎこちなく御堂先輩を見つめる俺は、「何してるんっすか」わなわな体を震わせ、声を振り絞って相手にクエッション。

 ふうむと顎に指を絡める御堂先輩は、右の手で俺の腰をお触りお触り。まるで鈴理先輩のするようなことをするもんだから、俺はプチパニックに陥った。


「ちょぉおおおお!」


 彼女の手を払って、ズザザザザザッと壁際に避難する俺は何をするのだと声音を強くする。

 冷静な御堂先輩はさも当たり前のように返答。「触ってみたかったんだ」と。


「鈴理が執拗に触っていたからな。もしや気持ちが良いのかと思って触ってみたんだが……普通だな」


「あの人はちょっと変わってるんっすよっ! お、男の腰を触ることを趣味としているというか、なんというか……とにかくっ、鈴理先輩のやっていることは普通じゃないので!

 というか俺、男っすよっ、貴方様の大嫌いな男っすよ! なに逆セクハラしているんっすか!」


 そう訴えても、「それなんだ」まったくもって不思議な事にそれなんだよ、とワケの分からんことをほざいて近寄って来る。

 警戒心を高める俺を余所に、御堂先輩は俺の前に立つとこれまた一思案する素振りを見せた。


「失礼するよ」


 おもむろに俺の胸倉を掴んで剥くようにカッターシャツを引っ張る。

 目論見がちっとも見えなくて目を白黒にするしかない俺は、「あ。あのー」彼女に声掛け。総無視する御堂先輩はツーッと俺の首筋から鎖骨にかけて人差し指を滑らせ、「キスマークが凄まじいな」独占欲の表れか、と独り言をポツリ。


 途端に俺は頬を紅潮させる。


「そ、それはあの、えっと、ち、違うんっす、これは虫刺されで……年中無休、俺ってすっごく虫に刺されやすい血を持っていて」


「苦しい言い訳だな。頑張りは認めるが」


 ああぁあああ鈴理先輩のバカァアア!

 毎度痕は付けるなってゆーとるのに! 小っ恥ずかしい思いをするのは誰でもない、俺だってゆーとるのにィイイイ!


 心中で嘆き喚いている俺に追い撃ちを仕掛ける御堂先輩は胸倉から手を離して、意味深に俺を瞳に閉じ込める。


「こうして独占しているわりに、周囲には警戒心を持っていないんだな。まあ君が平凡な容姿だからなのだろうけれど、それにしても警戒心を持たなさ過ぎだ。鈴理は」


 今度こそ硬直する俺に、


「君なんだろう? 噂の彼氏は」


 御堂先輩にズバリ犯人はお前だ的なノリで指摘される。

 機転が利く奴なら即違うと返答して、逃げ道の弁を立たせるんだろうけど、生憎俺のスキル能力はそこまで達していなかったらしい。

 肯定も否定も出来ず、完全に狼狽しておろおろ。ヘタレ態度によって俺等の関係が肯定されてしまった。


「やっぱりな」


 途中から薄々気付いていたと御堂先輩は微苦笑を零し、俺の額を指で弾く。怒っている様子は無さそうだ。


「僕も鈍感じゃない。伊達に鈴理と付き合っているわけじゃないからな。あいつは君ばっかり見ているし、ちょっかいも出している。僕が知る限り、五回は腰を触っていたな」


 やっぱ先輩が俺にちょっかいを出したのがばれた原因だよなっ!

 先輩の馬鹿。超お馬鹿! 好敵手さん、とても勘の鋭い人じゃないっすか! ちょっかい出さなかったら、多分ばれなかっただろうにっ! あくまで多分っすけど!


「なにより、あいつの浮かれようを見ていたら、嫌でも気付くさ」


 浮かれていたのか、鈴理先輩。全然そういう風には見えなかったんだけど。

 額を擦りながら目を丸くする。


「あいつはこういうパーティーには能面になっていることが多いんだ」


 御堂先輩は憮然と教えてくれる。

 そっか、財閥のパーティーってことは間接的に鈴理先輩の御家族も関わってくる。

 鈴理先輩が最も重荷にしている家族問題が垣間見えるってことか。先輩は家族内評価を凄く気にしている人だからな。


 これ以上隠しても無意味だって分かっていたから、俺は御堂先輩に隠していたことを謝罪。

 真摯に詫びて、改めて自己紹介をさせてもらった。


「豊福空。鈴理先輩の噂の彼氏です。本当にすみません、隠していて。貴方に意地悪をしたくって隠していたわけじゃないんです。ただ公の場で俺のことがばれたら不味いと思って……パーティー後に紹介してもらうつもりだったんっすけど」


「鈴理のことだから僕を驚かしたい気持ちも、半分以上はあっただろうがな。それにしても驚いたな、鈴理の理想男性像とまったく違うものだから……君を疑うことすらできなかった」


 そりゃあ自覚しています。

 だって先輩の理想男性像は愛くるしい草食系男子っすもんね。160cmくらいのちんまり男子を想像してたんでしょうけど、すんません、俺、172cmあります。平均並みの身長でごめんなさい。童顔じゃなくてこれまたすんません。

 でもでもでもっ、草食系ってとこだけは当たっているんっすよ! 草食系ってところだけは!


 ボロクソに言われる事は間違いなしだ。覚悟はしとこう、覚悟は。

 贅沢を言えばお手柔らかにお頼み申したい。俺の心は鋼鉄じゃない。どっちかっていうとガラスハートだ。


 こっそりと十字を切っている間も、御堂先輩は「君が鈴理の……」興味津々に俺を観察。

 普通だなぁっと感想を述べられてしまった。普通以外の感想はないらしい。それはそれで寂しい気がするけど、酷評されるよりはマシかも。


「男の君が受け身に慣れているのも理解できた。鈴理の彼氏だからこそ慣れているんだな。あいつは意中の男に対して攻め女になりたいと言っていたしな」


「そ、それを言われるとなんとも……かんとも……弁解すらできないっす」


 呻く俺に一笑を零す御堂先輩は、「だから腰を触られたりしているのか」言うや否や、また腰をお触りお触り。


 だぁああからやめて下さいって!

 俺は鈴理先輩だから仕方がなしに許している……普段だったら女性にセクハラさせるとかノンセンキューっすよ。セクハラされるとかダッサイじゃないですか。


 手を掴んで、「駄目っす!」もう絶対にしないで下さいと御堂先輩に念を押す。

 第一男の腰を触っても面白くも楽しくもないでしょーよ! なにより、俺は御堂先輩が大嫌いな男だっていうのに! 

 俺の訴えを聞いた御堂先輩はちょっと拗ねた顔で、「僕がしては駄目なのか?」セクハラに対して不満を漏らす。


 いやいやいや、だから俺は貴方様の嫌いな男だし、他の女性にセクハラされたとか鈴理先輩の耳に入ったら俺の貞操が危ない、ガチ危ない。

 嗚呼、想像するだけでも身震いだ。仕置きもんだぞこれっ!


「お、犯される」


 ブルブルに震える俺に、「君が犯すのではないのか?」素朴な質問を飛ばされた。

 そんなところに反応しないで下さいよ、言ったこっちが恥ずかしいじゃないっすか。

 背丈のある御堂先輩と視線を合わせ、小さく唸る俺は赤面してリード権はすべて彼女にあるのだと暴露。


「鈴理先輩の幼馴染みなら知っていると思いますけど、彼女、男ポジションに憧れています。だからその、俺が女ポジションに立っていて。男らしくないってことは分かっているっすけどっ、彼女が望んでるんだから仕方が無いじゃないですかぁあああ! どぉおせ俺は受け男で、彼女は攻め女! 俺はヒロインで、向こうはヒーローですっ! うわぁああああ何言わせるんっすか?!」


「最後は殆ど逆ギレではないか。君は女に攻められて嫌ではないのか?」


 嫌もナニももう、ある程度その環境に慣れちまった残念男だ。

 今更嫌と言ってもなぁ……今はそういうカップルもいていいんじゃないかと割り切っている。リードする女の人がいても良いと思うし。


「なによりも彼女の我儘に応えたいんですよね」


 俺自身も彼女が好きなんだ。

 少しくらい(少し?)自尊心が傷付いても、彼女の笑顔が見られるならそれでいい。

 いざって時にポジションを交替してくれたら、それで。


 ヒーロー的な女性がいる。

 それでもいいじゃないか、俺はそんな女性に恋をしたんだ。最初こそ鈴理先輩の言動に戸惑う俺がいたけど、今は、いまは。


「男だから女だから、そんなこと気にしちゃやってらないっすよ、鈴理先輩の彼氏は。うふふっ、例え姫様抱っこされたとしても、女装されそうになっても、押し倒されてやっばい展開になっても、何があってもリード権は向こうにあります。そう、俺にリード権なんて、リード権なんて……ちょっちもないんっすから」


「豊福、目が遠いぞ」


「ああすみません。意識が向こうに飛んでいました。

 とにかく、俺はこれでいいんです。女性がリード権を持っちゃいけない法律もないですしね。男らしくないと言われれば、確かにそうなんっすけどね」


 頬を掻いて誤魔化し笑いを浮かべる。

 たっぷり間を置いて御堂先輩は「君は」本当に女を馬鹿にしない人種だな、と目尻を下げた。

 なんで馬鹿にしなきゃいけないのか分からないけど、御堂先輩の男嫌いは何やらワケがありそうだ。


 今は聞ける雰囲気じゃないけど、ひとつ言いたい。女性は強いと思う。

 女は男よりも断然強い。誇大に言っているわけじゃないし、腕力とかそういう問題でもなくって、精神的に強いと思う。

 なにより子供を産むってことができるんだ。女は本当に強い。母さんを見ていたら分かる。


 気持ちを伝えると、「そうか」彼女は笑みを零した。

 なんだか嬉しそうな笑み。これはお友達になれるチャンスかもしれないな。


 やっぱなぁ、ギクシャクよりお友達になった方が何かと楽しいじゃんか。

 大雅先輩とだって、本当ならライバル関係にあるけど、こうして友好関係を築き上げてるんだし、彼女とだって友好を深められるチャンスかも。


「鈴理の下には行かなくてもいいのかい?」


「え? ああ、先程も言ったように。俺と彼女の関係は公にできませんので。今はただの後輩です。下手に傍に行けば怪しまれますから」


 苦々しい笑みを浮かべると、御堂先輩は何かを察したようだ。

 強引にヒトの腕を引くや、俺がさっきまで座っていた長椅子に腰をおろす。


「立食パーティーだと足が疲れるな」


 立ったままの食事は苦手だと王子。

 無理やり俺を座らせ、此処で休憩だと頭の後ろで腕を組んだ。

 目尻を和らげる。彼女なりの配慮に気付いてしまった。この人の根っこは優しさで出来ているに違いない。


 こうして俺は男装少女と肩を並べて時間を過ごす。

 ちょっと足を向ければ、煌びやかな会場がそこにあるけれど、もう少し此処で休みたい。あの空間は貧乏くんには眩しすぎる。


「豊福は、どうして鈴理を好きになったんだい? あいつは財閥界じゃ僕と並ぶ変人で有名だぞ」


 変人という自覚はお有りなんだ。

 俺は出掛かった言葉を呑み込むと、わざとらしく息をついて「突き落とされましたんです」


「あの人の痛烈な攻めによって、俺は振り向かざるを得なかったんです。人前で公開ちゅーをするわ、押し倒すわ、放送禁止用語を連発するわ。あの時は凄まじかったなぁ」


 今も凄まじいけれど。


「もう少し大人しくなってくれたら、俺も苦労はしないんですけどね。ほら、セクハラだってしてくるでしょう? 御堂先輩が目の前にいるのに!」


「あれは我慢できるタイプじゃないからな。確かに触りたくなる腰ではあるが」


「ご冗談を。貴方様には可愛いおにゃのこの腰がお似合いですよ」


 「それもそうだ」「でしょう?」「柔らかいものな」「俺だって触るなら女の子の腰がいいですよ」「それは君が男だからだろう?」「あ、そりゃそうだ」


「だったら鈴理の腰を触ってみればいいじゃないか。あいつは一応女の子だぞ?」


 意地の悪い質問に、俺は顔から火が出そうになった。


「さ、さ、触れるわけないじゃないっすか……女の子に自分から触るとか、ちょ、ほんと無理です」


 自分からキスしたことはあれど、腰を触る。鈴理先輩の腰を触る。

 ちょっとだけ触りたい気持ちはあるけれど、でも、触ったら最後、俺は押し倒されてあーれおよしになって、だろう。


「ウブだねぇ君は。反応がえらく可愛いじゃないか。顔が赤いぞ」


 むにゅ、隣から右頬を抓まれてしまう。


「後輩を弄りたくなる鈴理の気持ちを分かるな」


 分からないで下さいよ、苦労するのは俺なんですから。

 じっとりと王子を睨むと、彼女は面白おかしそうに笑い声を上げた。

 友好を深められそうな一方で、御堂先輩の後輩弄りを目覚めさせそうで怖い。それだけはごめんだ。弄られるのは鈴理先輩だけで十分!



 暫く御堂先輩と長椅子で駄弁り、頃合いを見計らって二人で会場に戻る。


 その際、彼女にひとつお願いをした。

 俺と鈴理先輩の関係を会場では明かさないで欲しい、と。俺は勿論、鈴理先輩と大雅先輩の立場も不味くなる。それだけは避けたい。

 承諾してくれた御堂先輩はその代わり、自分と食事を取るよう条件を付けてきた。どうってことない条件だったから、俺も承諾。一緒に立食することになった。


 新たに皿とフォークを取って料理を取り分ける俺は、ふっと視界端に見慣れた人物を捉え、視線を上げる。


 少し離れた丸テーブルに川島先輩の姿を見つけた。

 豪快に笑って宇津木先輩、それから楓さんと談笑しているようだ。盛り上がっているのか、バシバシ楓さんの背中を叩いて川島先輩は笑声を上げている。


 二人があそこにいるってことは……あ、会場の奥に鈴理先輩と大雅先輩の姿を見つけちまった。

 まだ挨拶まわり、もしくは談笑をしているみたいだ。

 なんだかお互い愛想笑いが見え見えで、早く離脱したいって表情をしている。


 ほんとう絵になるよな。二人が肩を並べるとさ。 


 おっといかんいかん、ネガティブになるところだった。ポジティブにいかないと飯が不味くなる。


「御堂先輩はもう大丈夫なんっすか? 財閥の皆さんに挨拶しなくて」


 隣でデザートを取り分けている御堂先輩に声を掛けると、小さく頷いてきた。


「あらかたは挨拶したからな。女性限定だが」 


「ということは男にはしていないんっすね」


 苦笑いを零した俺は自分と一緒にいて大丈夫かと改めて質問。

 何度も言うけど、俺も男なんだ。気分を害すようなら距離を取るつもり。俺も悪く言われるのはイヤだしさ。


「君はいいんだ。男という感じがしないから」


 御堂先輩は返事する。

 非常に複雑な事を言われて俺は顔を顰めた。あんまり嬉しくない、受け男でも一応男なんだけど。

 スモークサーモンをフォークで刺しながらぶすくれていると、「そんなに拗ねるな」襲いたくなるだろうと微笑まれた。

 ……襲いたくなる? いやいやいや、フカヨミ乙だ。言葉のあやだろう。俺はスルーすることにした。


「わっ、御堂先輩。これは何ですか。なんか、カップからふわふわしているものが出ているんですけど!」


 テーブルの上に載っている皿に、俺は名も知らぬ料理を見つけ目を輝かせた。

 持っている皿をそのままに、カップを手に取る。見るからにふわふわとした生地が、程よく焼かれ、カップからはみ出ていた。

 多分菓子だろう。馴染みあるホットケーキよりも、ふわふわしている。


「それはスフレだ。チーズスフレ。食べたことないの……そうか。食べたことないんだな。分かった分かった。だから、それをいっぺんに持とうとするんじゃない」


 両親のお土産としてスフレを持って帰ろうとする俺に、御堂先輩がストップをかける。

 え、だって食べ放題ならスフレを幾つ持って帰ろうが自由じゃ。

 俺の目的は夕飯代を浮かすことと、両親へのお土産を戦利品として持って帰ることなんだから。


「家に荷物を置いた際、タッパーを幾つも持ってきたんです。これで詰められる分だけ詰めようと……あ゛、しまった! 通学鞄はカウンターに預けたんだっけ! あれにタッパーを入れていたのに!」


 やってしまったと頭を抱える俺に、「しょうがない子だね」王子が眦を和らげる。


「僕が後から包んでもらうよう頼んであげるよ」


「本当ですか! ありがとうございます! 後、このサーモンと、向こうのローストビーフと、ああお寿司も」


「はいはい。可愛い子のお願いだ。ちゃんと叶えてあげるさ」


 ……可愛い子?

 そりゃあ御堂先輩、目薬を点さないといけないレベルっすよ。

 此処でツッコむのもなんだかなぁと思って、俺はスルースキルをいかんなく発揮。話題を切り替える。


「御堂先輩のご趣味はなんっすか? スポーツですか?」


「よく分かったな。僕はスポーツが大好きなんだ。それから演劇も好きだな。演劇部に入っているんだ。豊福は部活に入っていないのか?」


 部活かぁ、楽しそうっちゃ楽しそうだけど。

 俺はうーんと唸って首を横に振る。


「部活って何かとお金と時間を取られるのでしていないんっすよ。俺は特待生ですから勉強の時間は割きたくないですし。でも部活って楽しそうっすよね。演劇かぁ……御堂先輩はどんな役をしているんっすか?」


 もっぱら男役をしていると目尻を下げる御堂先輩は、「特に王子役が多いな」と俺の皿からスモークサーモンを掻っ攫って口内に入れる。

 あ、自分で取って下さいよ。料理は沢山あるんだから。


 愚痴を零しつつも、彼女の台詞にはなるほどっと相槌。

 そんな感じがする。だって男装しているしな、御堂先輩。顔立ちも良いから、演じている姿はカッコイイんだろうなぁ。


「公演はしないんっすか?」


 一般参加が可能なら、是非行ってみたいと申し出てみる。

 「あるぞ」日程はまだ決まっていないが、決まったら誘うから、御堂先輩はくしゃりと笑って約束してくれた。それは楽しみだ、俺も頬を崩す。


 普通に喋ると御堂先輩って良い人だ。

 男嫌いって難点があるだけで、それを除けば気さくな女性だと思う。

 勿体無いなぁ、性格で損しているなんて。本当に勿体無いと思ったから、彼女に今思ったことをストレートに伝える。

 すると御堂先輩は「男は嫌いだ」むっすりと脹れ面を作った。


「僕がどうして男に優しくしてやらないといけないんだい? 断じてお断りだ。男なんて全員滅べばいい」


「ははっ、そんな殺生な。俺も滅ばないといけないじゃないっすか。まあ、無理に男嫌いを直せなんて言わないっすけどね。俺も高い所が嫌いです。それをすぐに直せって言われても無理ですし。でも御堂先輩なら素敵な人が現れそうっすけどね」


「君のような素敵な人物が現れるとは思えないがな」


 肩を竦める御堂先輩の隣で、俺はあれおかしいぞ、と顔を引き攣らせた。

 さっきから口説かれている気がしないでもないんだけど、これは気のせい……なんだろうか? 襲いたいやら、可愛いやら、素敵やら、そんなことを言われているけど。


 大丈夫。俺は男としてカウントされていない。と、いうことは、あれか、からかっているんだな。

 後輩弄りを目覚めさせてしまったんだそうだきっとそうだ。

 自分自身に言い聞かせ、テーブルの皿から一口サイズのチョコレートを抓む。それを口に入れると、御堂先輩から笑われてしまった。


「豊福。チョコがついているぞ」


 親指で口端を拭われる仕草が、とてつもなく甘い。

 その指を舐める行為に俺は絶句した。なんだこのやり取り。今日初めましての人間同士がやる行為じゃないぞ。


 ついに物申す。


「からかうのはよして下さいよ」


 キョトン顔を作る御堂先輩に、俺は悪ノリでへらへらと笑いながら異議申し立て。

 襲いたいやら、可愛いやら、素敵やら、そんなことを言ってからかっても何も出ない。そりゃあ受け男だけど、そう言われて嬉しいかと言われると否だ。


「今のもキザですよ。いつも女の子にしているんです?」


 周囲の雑音に交じって笑いを零すと、ようやく事態を呑み込めた向こうが石化。

 舐めた指と俺を交互に見やり、零れんばかりに目を見開くと口元を手の平で覆う。


「なっ、何を僕は今……しかも口説いた、だなんて」


 まさかそんな、だって女にしか口説きは出てこない筈なのに……とかなんとか言ってプチパニックに陥っている。

 あ、嘘、無自覚だったんっすか。

 そ……そりゃあえーっと、あの、すんません。今の言葉は忘れて下さい。


「み、御堂先輩」


 目を白黒させている彼女に声を掛けた瞬間、御堂先輩は「まさか!」声音を上げて皿をテーブルに置き、ずんっと俺に詰め寄ってきた。


 おもむろに手を伸ばしてくる。

 警戒心を募らせる間もなく、胸部辺りをぺたぺた。


「やはり無いな」


 おかしいなぁと首を傾げてくる御堂先輩だけど、俺の方がおかしいなぁだよ。

 なんでこの人は俺に触ってくるんでっしゃろう?

 ゲッ、なんでこの人は俺のボタンを外しっ……此処会場っすよ?! 場所お構いなしにそんなことするの鈴理先輩以外知らないんですけど!


「な、何するんっすか! ちょ、やめて下さいって!」


「実はサラシを巻いて男の振りをしているんじゃないかと思って。男装趣味のある僕のように、君も男装趣味があったり……豊福、ついでだから白状してしまえ。君、実は女だろ?」


 んーんーんー?

 今、なんって言った? 俺が女? まさか、俺はまごうことなき男っすけど。 


「藪から棒になんっすか。俺、男っすよ。頑張ったって女には見えないと思います」


 ちゃーんとついているもんついてますし、声変わりもしていますし、此処では大声で言えないけど鈴理先輩の彼氏とゆーとるじゃないっすか。


 顔立ちだって完全男だと思うんだけど。

 生まれて一度も女だと間違われたことはない。女扱いされることは高校に入ってから多々だけどさ、間違われたことはないよ。

 れっきとした男だと申し出れば、「だがしかし」おかしいではないかと首を傾げられる。


 ナニがおかしいのか俺には意味不明だ。寧ろ、女だと間違われる方がおかしいんだけど。

 「絶対におかしい」独り言を漏らす御堂先輩は、女でなければ何故どうしてこんなにも嫌悪しないのだ。何故自分は豊福を口説いたのだブツブツゴニョゴニョ。

 変な人だな……訝しげに御堂先輩を見ていると、「やはり女だろ?」ちょっと脱いでみせろと、作業の手を再開。


 だ、だから俺は男なんだってっ!

 誰がどう見てもっ、間違うことのない男っ……ぎゃあああっ! なんでこの人、シャツのボタンっ、やめやめっ! 全力死守!


「ちょっ、何するんっすか! 逆セクハラ反対っすよ!」


「女々しいことを言うんじゃない。男ならばどーんと脱げる筈。やはり君は……だったら僕自身の説明もいく!」


「なにがどう説明がいくか俺に一から十まで説明して下さいっすっ! 俺は、お、お、男っすから! こんなごっつい女がいたら、全国の女性の方々に申し訳ないっ、貴方様も力強いっすね!」


 さすがは鈴理先輩と渡り合っている好敵手。ほんっと彼女を思い出させるような力の強さ!


「脱げと言っているだろう!」


 男のクセにみみっちいことを気にする奴だな、と悪態付かれる(こんな時だけ男扱いとか卑怯だ!)。

 だがしかし、脱げと言われてこんなところで脱げるほど俺の肝も強くは無い。「俺は男っす!」貴方の大嫌いな男っすから、半泣きで訴えてみても、「納得がいかない」と突っ返されてしまう。

 俺の方が納得いかないんだってっ、なんでああなってこうなってそうなった!

 あばばっ……御堂先輩っ、そうやってシャツ、引っ張らないで下さい! ぼ、ボタン千切れたらどうしてくれるんっすか! 縫うのは俺なんっすからね!


 ヤンヤンギャンギャン騒ぎながら攻防戦を繰り広げていると、「うわっ」ふと第三者の声。

 動きを止めた俺と御堂先輩がぎこちなく視線を向こうに流せば、あははのは……最悪、会場にいる方々が俺達を大注目しているじゃアーリマセンカ。


 たらっと冷汗を流す俺等に対し、パーティーの出席者であろう一人の財閥青年が口を開閉させて指差す。そして絶叫。


「あ、あ、あの御堂財閥の長女がっ……男嫌いのひとり娘がっ……お、男を襲っているっ!」


 ほっらぁあああ!

 あの青年も一目見て俺を男と言っているじゃないっすか。俺は正真正銘の男……じゃないええぇえええっ、これはスンゲェ不味い誤解をされて。

 スクープだと繰り返す青年のおかげ様で会場がざわざわざわざわ。


 血の気が引くとはまさにこのことだと思う。

 サァーッと青褪め、絶句している俺と御堂先輩は静かに視線をかち合わせ、三拍くらい呼吸を置いた後、「先輩のせいで!」「君のせいで!」お互いに責を相手に擦り付けた。 


「君がさっさと確認させないからっ、ケッタイな誤解をっ……責任取れ!」


「な、何言うんっすか! 御堂先輩が変なこと言い出したせいですよ! ……どぉおおしてくれるんっすか、此処には俺の彼女がいるのにっ!」


 こんな空気を作っちまったら嫌だって彼女の耳に、嗚呼、向こうから殺気を感じるような気が。

 ドッドッド、危機と緊張のあまりに高鳴る鼓動。

 ガタブルで視線を投げれば、大雅先輩が青い顔でやばいと指で俺に合図。


 我が彼女を直視した俺は大後悔した。

 だって満面の笑顔でフォークを握り締めている。そのフォークが若干曲がっている気がしないでも……。

 おぉおおお俺は被害者っすからねっ、鈴理先輩ィイイイ!


 だけどいっちゃん気がおさまっていないのは御堂先輩らしい。


「すべて君が悪い! 君は女なんだろう? そうなんだろう?」


 捲くし立てる彼女は、ずんずんと俺に詰め寄ってくる。

 だから俺は男だって! 訴えても全然聞いてくれない御堂先輩は、絶対に嘘だと喚き散らかした。


「君が男ならば、何故男嫌いの僕は君に触れて嬉しいと思ったんだい?!」


「はっ?!」


「腰は女の子の方が柔らかいことも知っているのに、また触りたいと思っているし!」


 なんっつーこと言うんだ、この人。変態さんっすか。

 なるほど、失礼ながらも鈴理先輩と同じ人種っすか。


「それに平凡な君を不覚にも非常に可愛いとも思っている。現在進行形で!」


「か、可愛い? それは眼科にいくべきかと」


 おっかしいな、可愛いって女の子や子供、童顔の男を指すと思うんだけど。

 誰か辞書、電子辞書を持っていません? んでもって俺と目前の方に可愛いって意味を教えてやって下さい。


「なによりっ、君を無自覚に口説いたとかっ……僕の口説きは女性専門だ! ということは、やはり君は女なのだろ!」


「もう無茶苦茶っすよぉおお! 俺は男ったら男っすっ、女じゃありませんからぁああ!」


 「だがヒロインだろ!」「それは彼女限定の話っす!」「君はおかしい!」「俺がっすかぁあ?!」「イミフだ!」「俺の台詞っす!」「僕は認めないぞ!」「そう言われても俺は男ですって!」「嘘だ!」「本当っす!」「じゃあ脱げ!」「此処では脱げませんって!」「女々しい!」「そりゃわるうございましたね!」「受け身!」「どーせ受け男っす!」「情けない!」「自覚ありっす!」「だがそこもかわッぁあああ?!」「え゛ぇえええ?!」


 はい、此処で一旦CM。休憩に入ります。言い合っている俺達が持ちません。

 ゼェゼェッとお互いに息をついて深呼吸、視線を合わせた。 

 わなわなと小刻みに震えている御堂先輩は肩で息をした後、ちょっと冷静になろうと一呼吸。


 だけど、冷静になればなるほどありえないと身悶え。

 豊福が本当に男ならば、自分がまさか、男を口説いたことに。ああなんたることだ。そんなこと今まで一度たりとも、一度たりともっ!


「男なんて滅べばいいと思っているのに」


 地団太を踏み奥歯をギリリッと噛み締め、彼女は勢いよく俺の両肩を握った。

 突然の行為に驚く間もなく、彼女は爆弾発言を投下してくれる。


「今晩僕と一夜を共にしろ。君が本当に男かどうか、僕の心がどうなってしまったか、真相を突き止めたい!」


 唖然呆然どよめき。

 騒然とする会場の一角で豊福空は真っ赤っかの思考停止、御堂玲先輩は真顔で真剣にお誘い。


 どこからともなく聞こえてくる皿の割れる大袈裟な音に、「お、落ち着け鈴理!」大雅先輩の焦る声、「放せ!」もう我慢ならんと怒気を放つ鈴理先輩の声、その他諸々の雑音が俺達を取り巻く。


「駄目か?」


 御堂先輩がズイッと迫ってくるけど、い、い、意味分かっているのかよっ、この人!

 駄目か? ……だ、駄目に決まっているじゃないか! お、おぉおお俺は彼女持ち、健全な一夜を過ごすとしても、そ、そりゃあ承諾できないっすからぁあ!


 そう思えど今の爆弾発言、俺には刺激が強過ぎた。

 肯定も否定もできず、ただただ唖然と御堂先輩を見つめて赤面。


「俺と一夜を共にする意味っ、分かっています?」


 声を振り絞って疑問を投げかけることにより、御堂先輩はハタッと意味を咀嚼。


「一夜……共に……」


 頬を上気させるや、わなわなと体を震わせ、「来い!」周囲の目を振り切るように俺の手を取って駆け出す。

 誰かが一夜を共にするつもりだと声を上げたけれど、そうじゃない。俺達は逃げ出した。誰の目の届かない場所まで。


 追って来た大雅先輩達がホテルロビーで真っ白な灰になっている俺達を見つけ、回収してくれたのは数分後の話だった。


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