06.煌びやかなホテルで



 閑話休題。

 阿呆な会話をしている間にも車は、一旦俺の家に寄ってもらい、荷物を置いた後、いざ会場へ。

 先輩達と噂の財閥交流会に赴いた。 


「やばくない? このホテル」


「想像以上っすね、川島先輩」


 天まで届きそうなホテルを前にした川島先輩と俺は、「……」「……」見事に言葉を失っていた。

 なにこの高層ビル。見上げてもてっぺんがギリ見える見えないか、ははっ、嘘だろおい。高層ビルなんて畜生だぞ。高い所なんて大嫌いなんだからな。


 だけど、令息令嬢が集うホテルだけあって造りは伊達じゃない。


 まず目を引いたのは豪華なエントランス造り。

 煌びやかな自動扉には、洒落たことに硝子に薄らと彫刻がされている。

 薔薇と蝶か。双方、自己主張が大きい存在だというのに、この扉に掘られている彫刻にはそれを思わせない。


 向こうまでくっきりと見えるよう磨かれた硝子の自動扉を潜れば、足の裏にフィットする赤絨毯が受付やエレベーター、長い螺旋階段にまでのびている。ワックスで磨かれた床のせいで照明の反射が強い。

 よくよく目を凝らすと、自分の姿が床に映っている。毎日丹念に磨かれているようだ。


「凄いねぇ。こんなホテルに、生涯懸かっても行けなさそうなんだけど」


「本当っすよ。さすがは財閥が集うホテル」


 キョロキョロと見渡す俺と川島先輩は完全に田舎者だったけど、しゃーない。こんなすっげぇところに来たことがないのだから。


 マジすごいよなぁ、高級ホテルそのものって感じ。照明は全部シャンデリアで飾られているし。

 向こうには高そうな絵画がずらり。花の絵に海の絵、それから人なんだかよく分からない抽象画が確認できた。


 俺と川島先輩の受付は鈴理先輩達が済ませてくれた。

 彼女達から出席者の証である花のブローチを受け取って胸に付ける。その際、鈴理先輩に腰をお触りされたんだけど、無視することにした。大袈裟に反応しても喜ばれるだけだ。喜ばれるだけなんだぞ。


「拒絶がないということは、今宵の営みはOKということか。楽しみだな」


 大層な耳打ちされるまで、俺はセクハラに堪えていた。

 溜息がひとつ零れる。両想いになってから、やることなすことぜーんぶが過激になっているんだけど。鈴理先輩。


「鈴理。君の彼氏はパーティーに出席しないのか? 後日紹介してくれるとは言ったが、パーティーには来るのだろう?」


 御堂先輩が話題を振ってきた。

 ギクリと陰で体を震わせる俺を余所に(良かった。まだ関係を疑われてはいないようだ)、「ああ。出席するぞ」なんてチクショウな返答を鈴理先輩はしてしまう。

 そこは欠席と言って下さいよ、なんか気まずいじゃないっすか。


「エントランスホールで待つのか? だったら僕も待つぞ、挨拶をしたいしな」


 ニヒルに笑う王子の顔といったら。

 嗚呼、彼氏をコテンパンのフライパンにしたいんだな。

 うううっ、ばらすことを考えると胃がイデデデデデッ。ギリギリしてきた。何事もなく終わるといいんだけど。


 祈るような思いで神様に懇願していると、


「そのうち来る。いや、分かるの間違いかもな」


 ニヒル返しの笑みを浮かべて、ついでに視線を俺に流すや鈴理先輩は歩き出す。

 つまらなさそうに鼻を鳴らす御堂先輩は、肩を竦めて彼女の後について行き始めた。


 ホッと胸を撫で下ろして俺も足を動かす。

 まったくハラハラするよなぁ……最初から関係をばらしておけばこんなにもハラハラすることなかったんだろうけど、それじゃあ公の場で俺達の関係を揶揄されかねない。

 まさかこんな平凡庶民が先輩の彼氏だなんて、簡単には言えないしなぁ。


 重々しい吐息をついて俺はもう一度、ホテル内を見渡す。

 こんな豪華なホテルに鈴理先輩は行き慣れているんだろう。

 俺なんて初めても初めてだから……なんだか生きている世界が違うんだと改めて思い知らされた。思っている以上に彼女は身分の高い人間なんだ。


 刹那、ドンッと前の人とぶつかって、俺はつんのめる。余所見をしたせいだろう。


「おっと」


 前の人は俺の体を受け止めてくれた。

 ゲッ、あろうことか御堂先輩に助けられた。ゲゲゲッ、やっちまった。男嫌いの彼女にぶつかるとか、しかも体を受けてもらうとか最悪も最悪だろっ!

 慌てて上体を起こす俺は、「すんませんっ!」両手を合わせて謝る。


「お怪我はないっすか? 俺、余所見していたもんだから……」


「君は男のクセに何をやっているんだい?」


 グサッ、嗚呼、胸に25のダメージが。

 で……ですよねぇ、男のクセに女に受け止められるとかダサイっすよねぇ。自覚はあるんっすよ、自覚は。本当にごめんなさい。


「しかも君は受け身に慣れているね。よく誰かにぶつかるのかい?」


 グサグサッ、195のダメージ。

 嘘だろマジかよ。俺はそんなに受け身に慣れて……思い返せば鈴理先輩に対して受け身を取らざるを得ない態度ばっかり取っていたものだから、ある程度は慣れているかもしれない。

 だけど、だけどさ。

 今日初めて会った人に受け身について触れられるとか、あんまりじゃないか?


「は、はは……そうですね。慣れているかもしれません」


 がーんっとショックを受ける俺は、やっぱりモロッコか、女になるしかないか、娘になるしかない。ずーんと落ち込んで頭上に雨雲を作る。

 そうか、俺はこんなにも受け男として出来上がっているのか。草食系男子の地位さえ危うい受け身男になっちまっているのか。

 立派に男をとして生きていた筈だったのに、何をどうしたら、道を踏み外して……全部鈴理先輩のせいだ!


 人のせいにして心中で涙を呑んでいると、「ははっ」御堂先輩に笑われた。


 き、傷付く……人がショックで落ち込んでいるところに追い撃ちをかけないで下さいよ。そりゃあ男らしくなかったかもしれませんけど。


 恨めしく相手を見やると、びっくり仰天。

 彼女は嘲笑ではなく普通に笑声を漏らしていた。

 てっきり馬鹿にされたかと思っていたんだけど。笑うとこれまたカッコイイんっすね、御堂先輩。


「顔が百面相になっているぞ。君は短い間に色んな表情を見せるんだな。初対面から説教したり、赤面したり、落ち込んだり。豊福を見ていると君が男、ということを忘れてしまいそうだな」


「え、ああ。そうっすか? ……なんかスンゲェ複雑なんですけど。俺は残念でも男っす」


「分かっている。だが君は男という感じがしない。きっと君が主婦のようなことをしたからだろうな。なにより、君は女を馬鹿にしない。尊敬している節がある」


 言っている意味が分からない。俺は首を傾げる。


「馬鹿にする要素がありますか?」


「深い意味はないさ。今のは忘れてくれ」


 ウィンクしてくる御堂先輩は颯爽と歩みを再開した。

 男のような感じがしない、か。俺は複雑な気持ちを抱えながら、彼女の後を追う。

 やっぱりモロッコに行くべきなのだろうか? まあ、怒られなかったからよしとしよう。


 

 さて、財閥交流会の会場は15階にあるらしい。

 15階まではエレベータに乗るんだけど、このエレベータが曲者だった。


 何故か?

 答え、エレベータの中から景色が見られるから。

 何度も言うように俺は高所恐怖症。高いところは大の苦手で大嫌いだ。

 だからエレベータの構造を見た瞬間悲鳴を上げたね。なんでわざわざスケルトンにしちゃっているのこのエレベータ! イミフっ、イミフだぁあああ!


 我慢して乗れば終わる話だったんだけど、此処で一騒動起きてしまう。

 そう、高所恐怖症の俺が駄々を捏ねてしまったんだ。皆を困らせるとは分かっていたけれど、


「お、おぉお俺……無理っす。の、乗れません」


 顔面蒼白する俺は無理だと連呼して、先輩方だけ乗ってくれるよう頼んだ。

 自分は階段を使わせてもらうから。そう訴えてエレベータから逃げたわけなんだけど、鈴理先輩が俺を捕まえて大丈夫だと気を落ち着かせてくる。

 ブンブンかぶりを振る俺は、「乗れないっす」無理だとヘタレた。情けないって分かっているけど、こればっかしはどうしょうもない。


「空。皆で一緒に乗るんだ。ひとりじゃないから大丈夫。な?」


「仮にエレベータが停止して落っこちることがあっても、皆、一緒にどぼーんだぜ。怖くねぇって」


 おぉおお落ちる、ですとな?

 サァッと血の気を失う俺を余所に、「大雅!」鈴理先輩は大喝破。飛び膝蹴りをお見舞いしていた。


 紙一重に避けながら、「俺は励ましたんだって」彼は両手を上げて無抵抗を示している。気遣いが余計に恐怖心を煽いだんですけど。大雅先輩。

 落ちるに過剰反応を起こした俺は、一層乗れないと泣き言を漏らしたわけだけど、「落ちない」鈴理先輩が根気よく説得に掛かった。


「空は勇気を持って高所から景色を眺める事ができただろう? だから乗れるさ。すぐに着くから」


「高いじゃないですか……すみません。怖くて無理です。俺は階段を」


「大丈夫。空ならできる。あたしは信じている」


 俺にだけ聞こえる声で、怖いなら手を繋いでおいてやるからと励ましを頂く。

 ここまでしてもらったのだから、俺も泣き言ばかり並べるわけにもいかない。


 「がんばるっす」鈴理先輩に小声で呟く。

 「そうか」良い子だと褒めてくれる彼女は、待っている皆の下へ俺を連れて行く。


 俺は皆に愚図ついた詫びを告げて、再度エレベータとやらに挑戦。

 スケルトンの構造に眩暈を覚えつつガタブルでエレベータに乗った俺は、わざわざ景色の見えない四隅に移動させてもらって始終震えていた。


「な、長いっす……先輩。ま、まだっすか」


「もう少しだ。頑張ろう空」


 しかも鈴理先輩にしっかりと手を繋いでもらったもんだから究極に情けなかった。


 ご、ごめんなさい、ヘタレで。

 だけどこれだけはっ、今すぐ直せそうにないっすっ!


 実は一部始終の光景を御堂先輩が目撃していたんだけど、残念なことに俺はそのことに気付かずにガタブルブルでエレベータをやり過ごしていた。




 恐怖を乗り越え、どうにか皆で会場があるフロアへと到着。


 これまただだっ広い会場とシャンデリア、高そうな絵画が俺達を出迎えてくれた。

 会場に入れば満目一杯の丸テーブルにホワイツテーブルクロス、その上には様々な料理が並べられている。

 どんな料理が並んでいるかというと、あー俺の知識の限り、伝えられそうな料理は生ハムとモッツァレラチーズのサラダに、ロース肉? 唐揚げっぽいヤツ? あれはなんだ、フルーツの盛り合わせでいいんだろうか? ダメだ、殆ど伝えられそうなものがない。見たこともない料理ばっか。

 美味しそうと思う前に、外国人が初めてその文化の料理を目の当たりにしたような衝撃が俺と川島先輩に走っていた。


「わぁおこれヲ食べるンデスカ? ボクタチが食べる? ウソミタイユメミタイ」


 という気持ちが占めちまって占めちまって。


 簡略的に言えば想像を絶する料理ばっかだったんだ。

 平然と会場に入る鈴理先輩や大雅先輩、宇津木先輩、御堂先輩は揃いも揃って「まあまあな料理」だってご感想を述べていたんだけど、果たしてこれが“まあまあ”なレベルだろうか。


 じゃあ普段食べている俺等の料理は“下の中”だとでも?

 それも大層失礼な話だけど、こんな料理を見せつけられたら、“下の中”を認めざるを得ないかもしれない。


「アリエナイ」


 料理達に率直な感想を述べる川島先輩。

 本当に庶民出身者が一人でもいてくれると心強いもんだ。


「料理でこっちの世界観が分かりますね」


 俺も率直に感想を述べた。キラキラのつやつやした料理たちに目を皿にするしかないもんなぁ。


 はてさてご馳走が目の前にあるんで、んじゃあ早速食べますか。なーんてことにもならず。


 まず七時ジャストに開催の挨拶。次に代表の財閥のご挨拶があって、各々近状の報告会、んでもって此処を貸し切らせてくれたホテル支配人のお言葉等々。まるで体育祭の開会式にでも出席しているんじゃないかってくらい長ったらしい挨拶があった後、ようやく立食パーティーが始まった。

 俺と川島先輩はわぁい食べましょうそうしましょうと、無遠慮に食事を始めるんだけど、財閥チームはそうもいかないみたい。各々挨拶回りをしていた。


 大変そうだな、皆。

 愛想笑いを振り撒いて見知らぬ財閥二世、三世と言葉を交わさないといけないんだから。あの大雅先輩も引き攣り笑いで応対しているもん。御堂先輩はもっぱら、女の子ばっかに挨拶しているみたい。男には見向きもしていない。


「大変っすね」


 俺は山盛りのロース肉をフォークで刺し、もぐもぐと光景を眺める。


「だねぇ。庶民で良かった」


 川島先輩は同情し、大量の高級フルーツをフォークで刺してこれまたもぐもぐと食事を進めていく。


 俺達のメインは夕飯だから、こうして能天気に食事ができるわけだけど、財閥二世、三世は未来がかかってるみたいだもんな。メンドクサそう。

 最初こそ同情していた俺達だけど、各々美味過ぎる食事に感激してテーブルから料理を取り分けることに熱中していた。ロース肉、マジで美味い、美味いや。これ父さん、母さんの土産にしよう。


「あ……、向こうに先輩のご姉妹がいる」


 テーブルからテーブルに移動していた俺は鈴理先輩の姉妹を見つける。

 会場の奥に竹之内家姉妹が肩を並べて、どっかの財閥さん方と談笑していた。挨拶しに行きたいけど、なんだか挨拶しに行けそうな雰囲気じゃない。邪魔したら悪そうだ。挨拶できる余裕がありそうなら、挨拶しに行こうかな。


 ドン―ッ、体に衝撃が走った。


 つんのめりになる体をどうにか持ち直して、俺は零れそうになるロース肉を気にする。

 どうにか床には零さなかったみたいだ、セーフ!


 首を捻ると同時に、「すみません!」ぺこぺこと平謝りされた。見るからに頼り無さそうな優男さんはズレた眼鏡を掛け直して、「前をちゃんと見てなくて」と微苦笑。

 そういうことなら仕方が無い。スーツを身に纏っている優男さんに大丈夫だと綻ぶ。

 向こうは安心したように胸を撫で下ろし、「さてと」何処にいるんだろう、周囲をキョロキョロし始めた。


「もう来てると思ったんだけど、えーっと……あ、いたいた。大雅、たいがーっ、うわっちっ!」


 ブンブンと手を振ろうとした優男さんは、足を縺れさせて大転倒。その場にずっこけてしまった。

 ちょっと大丈夫かよこの人。俺はテーブルに皿を置いて、「大丈夫っすか?」手を差し伸べてやる。何から何まですみません、ぺこぺこ謝るその人の顔立ちは整っていた。んでもって大雅先輩を呼んだ。ってことは、まさか、この人。


「やーっと来やがったか。兄貴」 


 声に反応した大雅先輩がこっちにやって来る。

 遅れちゃったとへらへら笑う優男さん。


「遅れたじゃねえだろうが! あれほど遅刻するなっつったのにっ」


 怒鳴る大雅先輩に萎縮して、だってさぁっと、指遊び。


「道に迷ったんだもん」


 ボソボソと弁解するもんだから、大雅先輩、青筋を立てて拳骨一発。

 ゴチンと頭を殴られた優男さんは酷い、酷いや、と頭を押さえている。


「お、お兄ちゃんを殴っていいのかいっ。大雅っ!」


「寧ろタコ殴りにしてやりてぇよ、ド阿呆!」


 嘘だ……この人っ、まさかのまさかっ、大雅先輩のお兄さん?!

 ゼンゼン似ていないんだけど……顔的な意味じゃなく、性格的な意味で。宇津木先輩の許婚さんって、この人なのかよ?!


 ぶっちゃけ話……なんて頼り無さそうな人なんだ。

 おいおいおい、二階堂財閥長男がこれでいいのかよ。


 ちなみに優男さんの名前は二階堂にかいどう かえでさん。

 俺の五つ年上、大雅先輩の四つ年上で、今年21歳になるんだとか。そんな風には見えないんだけど。寧ろ、大雅先輩の弟さんに見えるんだけど。それくらい彼の身形は頼りなかった。纏うオーラもなんだかなぁって感じだし。

 「ったく」舌を鳴らす大雅先輩は、「で?」本当はなんで遅れたんだと質問。


「兄貴は方向音痴じゃないだろ?」


 凄みをきかせる。

 気迫に押された楓さんは頬を掻いて、「人に道を尋ねられて」そこまで送って行ったのだと白状した。


「その人、すっごく急いでいたみたいだから連れて行った方が早いなぁっと思ってさ。僕が遅れる分には構わないけど、その人が遅れたら可哀想だろ?」


「また始まった。兄貴のお人好しっぷり。はぁーあ……百合子が首を長くして待ってるっつーのに」


 呆れ返る大雅先輩は早く行ってやれと背中を押す。それは大変だ、申し訳ないことをしたと楓さんは大慌てで駆け出した。


「百合子さんっ、ゆりこさーっ、うわっぢ、ごめんなさい!」


 またしても人にぶつかりそうになった楓さんは、ぺこぺこと相手に謝りながら宇津木先輩の下に向かう。

 彼に気付いた宇津木先輩は可笑しそうに笑い、楓さんを笑顔で迎えていた。


「慌てて来たんですね。ネクタイがめちゃくちゃですよ」


 宇津木先輩に指摘されて、あわあわと楓さんはネクタイを解く。

 そしたら宇津木先輩、自分が締めてあげますからと、綺麗にネクタイを結び始めた。

 恥ずかしそうに頬を掻く楓さんは、いつもすみませんと照れ笑い。どうやらいつもの光景らしい。


 俺は流し目で大雅先輩を見た後、


「お兄さんって物凄いおっちょこちょいなんですか」


 ありきたりな質問を飛ばす。

 大袈裟に溜息をつく大雅先輩は重々しく肯定した。


「兄貴はいっつもああなんだ。誰よりもお人好しで、ドジばっか踏んで……二階堂財閥の先導に立てるのか懸念されているほどのおっちょこちょい。弟の俺が二階堂財閥を任せられるかもしれねぇくらい頼りない。兄貴も努力はしているんだけどな。


 けど、あれが長所なのかもしれねぇ。

 ドジでマイペースな兄貴だけど、どんな奴にも優しくできる奴だからな。人の痛みをよく知っているし、嬉しい時には一緒に喜んで、悲しい時には一緒に泣く、そんなバカだ。人からは好かれやすい。何かあれば自分のことなんてお構いなしに手を差し伸べる。人のことになるとスッゲェ強くなるしな。

 そうやって俺や許婚のことも守ってきた。認めたくない現実だけどな。


 だからこそ兄貴だったら赦せるんだよ、百合子のことは。

 

 最初から兄貴と百合子の間には割って入れねぇって分かっているしさ。兄貴自身にも多分、俺は幸せになってもらいたんだって思っている。

 嫉妬もするっつーのに、なんでだろうな。百合子や兄貴がああやって笑っている姿見ると、心底ホッとするんだ。俺自身、あの光景が嫌いじゃないのかもしれない。

 いつか百合子が義姉になる日が来るなら、俺はそれを十二分に覚悟しているつもりだ。兄貴の面子を立たせる、弟ってそういう身分でもあるんだと思う。一般家庭に生まれたらこんなことにならなかったかもしれねぇけどな。


 ま、兄貴が頼りないばっかりに……百合子、俺と兄貴のあらやぁだ妄想を作っちまうんだけどな。いつも俺が兄貴を食べちゃいます設定でっ、泣けてくる」


「大雅先輩……」


「おっと、こうしちゃいられねぇ。鈴理のところに行かないと。これでも許婚だからな。傍にいねぇと。あ、勘違いするなよ。俺とアイツは悪友なんだからな」


 安心しろの意味を込めてウィンクする美形先輩は鈴理先輩の下に戻って行く。


 ぱちぱち。ぱちぱち。

 瞬きをして彼の背を見送った俺は、フォークでロース肉を刺して口に運ぶ。ついでにレタスも刺して口内へ。

 そのまま咀嚼咀嚼そしゃく。嚥下した後、視線を鈴理先輩に向ける。


 比較的男に多く囲まれている気がしないでもない彼女と、その輪の中を裂くよう肩を並べる大雅先輩。

 許婚として、各々財閥の顔として談笑を交わしている。上辺だけだっていうのは表情で読み取れるけど、それでも、二人が並ぶとやっぱ絵になる。美男美女カップルって単語は彼等のためにあるようなもんだ。


 こうして現実と向かい合うと落ち込むなって方がちとばかし無理だ。俺だって複雑な感情を持った人間、ああいう光景を見ると自分に自身を失くす。口が裂けてもあの二人には言えないけどさ。


 ああくそっ、落ち込むな。折角のご馳走が不味くなる!

 夕飯を浮かせるために此処にやって来たんだ。今日はとことん食べてやるんだぞ。んー、そうだな。肉ばっか食ったから、次は魚……あ、そこにお寿司がある! 向こうにはケーキの盛り合わせもあるじゃん。

 うっし、食って食って食いまくってやるぞ。料理は食べるために出されてるんだ。食べないと勿体無い!


 変に自棄を起こした俺は、暫し食事に専念することにした。


 思った以上に食べられなかったから一旦休憩。グラスに入ったジュースを飲み干すと、豪華な会場をこっそり抜け出し、そのフロアのロビーへ。

 静まり返っているロビーの一角に備え付けられている長椅子に腰掛け、背面に凭れてふーっと息をついた。


 なんだろうなぁ、このモヤモヤ。

 改めて先輩の住む世界をまざまざと見せ付けられて、ちょっと落ち込んでる自分がいる。

 お互い両想いなのに各々住む世界が違う。それだけでこんなにも自信を喪失しちまうなんて。


 庶民と財閥の世界って違いがないようで、大きな隔たりがあるんだな。


 あんまり考えたことなかったけど、鈴理先輩は大雅先輩の許婚。ということはいつか、先輩は大雅先輩と正式に婚約して結婚しちまうのかな。大雅先輩が宇津木先輩をいつか義姉として迎えると覚悟しているように、俺も覚悟していた方がいいのかな。

 二人はああ言ってくれるけど、各々財閥という面子がある。


 現に向こうのご両親からは俺と鈴理先輩の仲、ただの“ボーイフレンド・ガールフレンド”で認識されてるみたいだし。恋慕を抱いていても、正式に恋人とは認められていない。あやふやな態度を取られている。


 アジくんに平等で接するよう言われたけど、現実に“身分”という壁を感じる今日この瞬間。

 想い合っていても超えられない問題っていうのが絶対存在する。子供の俺達なら尚更だ。両想いになった後の方が問題の層が深いなんて。

 それとも、俺の考え過ぎなのかな。

 駄目だ、大雅先輩の恋情を聞いてしんみりになる俺がいる。


 ……こんな風に悩む俺は乙女か! あ、ちげぇ乙男(オツオトコ)か。


 自己暗示をかけてみよう。

 いつか終わるその日まで、なんて考えたくない。

 だからいつまでも続けられる関係にいられるよう努力しよう。まだ死ぬほど努力もしていないし、鈴理先輩の気持ちに疑心も持ちたくない。まずは努力だ努力。じゃないと辛いじゃないか。ネガティブなことばっか考えるのってさ。


 とはいえ、やっぱ落ち込むよなぁ。


 上辺であろうがなんだろうが和気藹々と他の財閥さん方と談笑している美男美女許婚を目の当たりにしたらぁ、そりゃあアータ、普通貧乏くんだってなぁ、普通貧乏くんだってなぁっ!


 俺のハートだってそんなに強くない、落ち込む時は落ち込む。

 別にこの顔を恨むわけじゃないけど、向こうの美貌にはちょい恨み節を唱えたくなるというかなんというかっ、美男美女なんて畜生と思っちまうというかっ、……こんなことを思う俺って超心狭ッ!


 嗚呼、だけどホンット神様もいけずだよなっ。

 財力はともかくなんで容姿でピラミッド層を作ったんだろっ……おかげでこんなにも苦労する俺がいるじゃんかよ。

 ただでさえ財力で身分差を感じるっつーのに、容姿にまで差をつけられたら、俺、先輩と何で釣り合えばいいのやら。


 はぁ。口から漏れる小さな吐息が空気と溶け合う。

 いっそのことごちゃごちゃと考えている俺の気持ちも溶け消えたらいいのになぁ。

 感情を持つ人間って単純なようで複雑な生き物だからメンドクサイ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る