05.再び車内
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午後6時15分ちょい過ぎ、車内にて。
タイムセールという名の戦が終わり、リムジンは俺の家に向かう。
理由は戦利品を我が家に置くためだ。さすがに荷物を積んだままパーティーに行くことなんて、ヒトとしても、俺自身としても、到底できっこない。
ましてや彼女の車だ。鈴理先輩が良いと言っても、そこは譲れない。生鮮食品もあるしな。早いところ冷蔵庫に突っ込みたいところだ。
「随分と買い込んだな。それで千円以内におさめるなんざ、すげぇもんだ。俺は二度と経験したくねぇ戦だったが」
大雅先輩が足元に置く荷物を足でさす。
当たり前じゃないですか。なにせ、一週間分の生活用品が此処に詰め込まれているのだから。68円のトイレットペーパーも買えたし、父さん母さんの喜びそうなカップ麺も買えたし、歯磨き粉も激安だったから補充用に買えた。
贅沢を言えば、二人の好きなお菓子か何かを買えれば良かったんだけど……ま、これで充分だろう。
「無事に買えて本当に良かったです。もう、冷蔵庫の中が空に近くて、今日を逃せばどうしようかと。麦茶のパックも買えたので、久しぶりにちゃんとしたお茶が飲めます。なにぶん、我が家はパックを色が出なくなるまで使うもので、最後の方は殆ど水の味しか」
「空、頼む。みなまで言うな。切なくなる」
妙に哀愁漂った鈴理先輩が言葉を制するものだから、俺は急いで話題を替えることにした。いかんいかん、こっちにとっては当たり前の喜びでも、財閥の令息令嬢には別の意味で捉えてしまうんだっけ。
「ほら見て下さい」
ビニール袋から、三個入りのプリンを取り出す。
「セール対象だったから、ちょっと贅沢して買ったんですよ。これで高級感を味わおうと思います。知っています? プリンって、醤油を垂らせばウニの味になるんですよ」
実は俺はこの食べ合わせが大好きで、三個入りのプリンを買う度に一個はそれでウニの味を楽しんでいる。
意気揚々と先輩達に話すと、静まり返る財閥組。同じ庶民出の川島先輩だけが大笑いしてきた。
「超ウケるんだど。あんた、食べ合わせで贅沢しているわけ?」
「だって本物のウニとか、目玉が飛び出るほど高いじゃないですか。俺だって雰囲気だけでも、高級感を味わいたいんですよ。明日の晩御飯のおともは、これで決まりっすね」
「きしょい! 白飯と一緒に食べているとか!」
ゲラゲラヒィヒィ腹を抱えて笑う川島先輩に、俺は一度やってみて欲しいと熱弁する。
本当にウニの味がするのだと大主張し、あれは美味しいのだと持っているプリンを何度も指さす。
と、隣に座っている鈴理先輩が俺の肩にそっと手を置いてきた。視線を流せば、あたし様が重々しく一言。
「空。それはな、ウニじゃない。醤油を垂らしたプリンだ。ウニじゃない」
さも、俺が詐欺にでも遭っているような口ぶりである。
「あの……ウニじゃないことは知っていますよ? けれど俺は雰囲気だけでも」
「あたしが今度ウニというものを食べさせてやろうではないか。空、だから知っておけ。それはウニじゃない」
「豊福。ウニってのはよ、毬栗みてぇな形をした生き物で、海に住んでいるんだ」
「大雅さん。毬栗じゃあ空さんに分かりにくいですよ。えっと、ウニというものは球体に棘がついている生き物なのですわ」
何故に俺は腫れ物のように扱われているんでっしゃろう。
遠目を作ると、川島先輩がまた噴き出して大笑い。膝を叩き、同情されている可哀想等々言われるという。
「僕が教えてやる。ウニはこれだ」
挙句、スマホのネットで検索したウニの画像を御堂先輩に見せられたのであった。
どいつもこいつも同情してくれてからに。同情するなら、いっぺん醤油かけプリンを食べてみてくれよ。本当にウニの風味がするから。
話は戻り、パーティーに向かうリムジンには新たな乗員が増えた。
言わずも御堂先輩である。彼女は鈴理先輩の彼氏について詳しい話が聞きたいらしく、わざわざこっちの車に乗り込んできた。
此処には野郎が二人もいるのだから、彼女にとって不快なこと極まりないだろうに。
しかも俺の真正面に座っているという……場所を移動するべきだろうか。
不意に御堂先輩と目がかち合う。
瞬く間に視線を流され、ツーンとそっぽ、鼻を鳴らされた。
謝られた時は友好を築き上げられる可能性を見出した気分だったけど、やっぱり男嫌いは男嫌いのようだ。超素っ気無い。会話には入ってくるものの、一個人と話す様子もない。
根っからの男嫌いなんだろう。残念だけどオトモダチにはなれそうにないようだ。
「ほら空。これ」
王子に気を取られていた俺の膝に、鈴理先輩の戦利品であろうトリのむね肉が置かれる。
「くれるんっすか?」
これは先輩が買った代物だろうに。品を指させば、彼女は眦を優しく和らげた。
「あたしは貴重な体験をさせてもらっただけで満足だ。これは礼だ」
口実だというのは見え見えだった。
本当は俺のために譲ってくれているのだろう。
けれど、それは同情じゃなく、彼女自身の純粋な気持ちだと分かっていた。
だからだろう。素直に笑顔を零して受け取る俺が「俺様のもやる。百合子、お前も豊福にやれ」
良い雰囲気を打ち崩すように、大雅先輩から納豆パックを顔面にぶつけられる。
箱が鼻の頭にぶつかり、思わず身もだえてしまった。
何をするんだと涙目になりながら俺様を睨めば、逆に凄みある眼が向けられた。含みある目は伝えてくる。今のお前等は先輩後輩関係、下手に空気を出すんじゃねえ、と。
あくまでパーティーが終わるまで、御堂先輩には真実を伏せる方向でいくようだ。
取り敢えず、納豆パックを頂戴したので、これは有り難く受け取っておく。明日の朝飯はこれで決まりだ。
と、俺は隣から禍々しいオーラを感じ取る。
ぎこちなく視線を流せば、足を組んで苛立っているあたし様が一匹。これは、あれだな。空気を邪魔されたことに対するお怒りだ。
「何故にあたしが我慢せねばならぬのだ」
「鈴理。君は何に我慢しているんだい?」
盛大な独り言を拾った御堂先輩の疑問は当然だろう。
「喧しいわ。あたしは今、内なるところで理性と闘っているのだよ! ええい、今すぐにでも押し倒してくれようか!」
ひとつだけ言いたい。これは俺のせいじゃない!
このままでは話の流れ的に関係を疑われそうなので、話題を出すことにした。
「川島先輩以外、皆財閥の令息令嬢ですけれど、昔からのお付き合いで?」
ナイスなことに宇津木先輩が話に乗ってくれた。
相槌を打つ彼女は、各々幼少からの付き合いだと話してくれる。それこそ物心つく頃からの付き合いだそうで、それはそれは顔なじみなのだとか。
財閥交流会などのイベントが催される時は、この面子で移動することが多いそうな。
「皆、小中学は私立の一貫教育を受けていたので、一緒に過ごすことが多かったのですよ。玲さん以外はエレガンス学院を選び、彼女は聖ローズマリー学院を選んだため、今では顔を揃えることが少なくなりましたが」
へえ、聖ローズマリー学院。
そこって女子校でも偏差値がトップクラスのところじゃん。
確か私立だったよな。頭良いんだな、御堂先輩って。女子校を選んでいることには納得だ。男嫌いなら女子校は天国だろう。
「本当は鈴理もそこに通う筈だったんだ。張り合う相手がいなくてツマラナイ」
小さな溜息をつく王子とは対照的に、鈴理先輩は自分はエレガンス学院を選んで良かったと一笑を零す。
「そこで守りたいと思える彼女に出逢えたのだからな」
先輩、彼氏ね。彼氏。
誤解を生むよ、その台詞。
「本当に恋人にゾッコンなんだな。写メはないのか?」
「あるぞ。それはもう、可愛い写メが沢山ある。まず寝顔があるだろう。クッキーを食べて感動する姿もあれば、意味深に首を傾げて顔を覗き込む姿もあるし、キスであっぷあっぷになっている必死な姿もある。
あいつはキスがど下手くそでな、息継ぎのタイミングがいつも分からず、酸欠になるのだ。鼻で息をすればいいものを、一生懸命に応えようとして息継ぎを忘れる。涙目になるあいつの姿は究極に可愛い。あたしはあいつの泣き顔が一番興奮するのだよ!」
意識が遠のきそうである、誰がそこまで答えろと。
許可した覚えのない写メ事情もさながら、まさか人様の前で自分のキス事情まで晒されるなんて、これをいじめと称さずになんと呼ぼう。
「あるなら見せろ」御堂先輩は呆れながら右手を差し出した。顔を拝む気満々である。
「見せても良いが」鈴理先輩はうーんと腕を組み、小さく唸る。
「あんたに見せたら、欲情しないとも限らないしな」
「だっ、誰が欲情するか! 僕は男嫌いだぞ。寧ろ、そんな姿を目にしたらキモイと鳥肌が立つと」
「なっ?! あたしの可愛いヒロインがキモイわけないだろう! あいつの一生懸命さを目にすれば、女の誰もが攻めに目ざめ……られたら困る。あいつはあたしのものであり、あの姿を目にして良いのもあたしだけ。ぐぎぎっ、自慢したいが見せて自慢することはできん! だがキモイという言葉は撤回したい、この複雑な心境……」
我が彼女は髪を振り乱し、頭を抱えてしまう。
嗚呼これが俺のカノジョなのか。いや、カレシなのか。改めて自分達は異色なカップルなのだと思い知らされる。
大雅先輩が、爪先で俺の足を小突いてくる。
生きているか、視線がそう聞いてきたので、俺は軽く肩を竦めて満面の笑顔を作った。もうヤケである。
「てかよ。なんで玲までこっちに乗ってくるんだよ。胸糞悪い。自分の車で行けばいいだろうが」
此処で大雅先輩が御堂先輩に喧嘩を売る。
話題を替えるためだとしても、今のはちょっと下手くそだ。
冷静な御堂先輩は、「言っただろ?」鈴理の彼氏について噂を確かめたい、本当ならばじっくり話を聞きたい、と。
「君はもう、僕の言ったことを忘れたのかい? 物覚えの悪い男だ。まだ犬の方が賢いぞ。ああそうだとも、男なんて犬以下だ」
「はっ、そーかよ。だがな男がいねぇと子孫は生まれねぇんだよ。男女あっての子孫繁栄だっつーの。テメェは女とでも結婚するのか?」
「そういう君は麗しきお兄様と結婚するのでは?」
「るっせぇ。そりゃ百合子の妄想の中だけだ! 俺は女が好きなんだよ」
ギリギリと奥歯を噛み締めて青筋を立てる大雅先輩に御堂先輩は嘲笑するだけ。
どうやらこの口論は御堂先輩の勝利らしい。自分から喧嘩を売ったのに、こうも容易く負けちまうなんて……大雅先輩、ダサイっす。
それとも向こうの気が極端に強いせいかな。
「鈴理以上に可愛くねぇ女だな。テメェなんざ、一生懸かっても彼氏なんかできねぇだろうよ」
こんな男勝りには恋すら無理だ、好きっていう奴すらいないね。ああいないね。
負け惜しみの捨て台詞を吐いて腕を組む大雅先輩に対し、「彼氏なんかいるものか」仏頂面を作る御堂先輩。
男なんて滅べばいいんだと舌を鳴らす彼女に、宇津木先輩はまあまあと仲裁に入った。
「そう言わず、玲さんにも春が訪れますわ。なにせお変わり者の鈴理さんが恋をしたくらいなのですから。いつか、きっと玲さんの性格を受け入れてくれる男性が出てきますわ」
その前に男嫌いを直さないと、どうしようもないと思うんだけど。俺は心中でツッコんだ。
「そうそう。超攻め攻めでリード権を持ちたがる鈴理を受け入れる、超受け身な男が出てくるくらいだしねぇ」
川島先輩……ちらちらと俺を見ないで下さい。ばれるじゃないっすか。
唸りたくなる気持ちを必死に抑えながら、俺は車窓に視線を流して現実逃避。これ以上、会話を耳に入れていたら赤面しちまいそうだ。
「うひっ!」
瞬間、頓狂な声音を上げてしまう。
途端に視線が俺に集中したけど、「なんでもないっす」慌てて愛想笑いを振り撒き、しっかりと片手で荷物を持つ。もう片方の手を腰に回し、おイタしているおててを捕獲。さり気なく隣人さんに笑みを向けた。
「どうした空。あたしに何か用か?」
こ、こ、この悪魔っ!
なにをいけしゃあしゃあとっ……現在進行形で腰を触ってからに! お馬鹿をしないで下さいよ、目の前に御堂先輩がいるっていうのにっ!
ははっと笑う俺に、にこっと笑い返す鈴理先輩。
鞄で隠しているものの、彼女の悪さする手は俺の手から逃れてお触りお触り。
あああっ、もう、くすぐったいのなんのって、俺はやめろとゆーとるんっすよ! ほっらぁあ訝しげに御堂先輩がこっちを見ているし!
「鈴理、君は一体何をしているんだ? そんなにも後輩の腰を触って」
ばれた。フツーにばれた。
彼女の悪戯が当たり前のように見えているという……うわあぁああああ最悪っす、どうしてくれるんっすか鈴理先輩!
わなわなと震える赤面の俺に対し、鈴理先輩は冷静沈着。手を戻して、腕を組むと意気揚々口を開いてこうのたまった。
「空は女にセクハラされたいと願望を持つ変わった性癖の持ち主なのだ。後輩思いのあたしは気遣って腰をお触りお触りと」
「なに、冷静に阿呆なこと言っているんっすか。そうやって後輩イジメするのも大概にして下さい。先輩はいつも俺を弄るんっすから。こういうことは、ご自慢のカノジョにして下さいよ。カノジョ様に」
平然と呆れ返ってみせる俺の演技力は、なかなかなものである。
御堂先輩から見れば、後輩弄りが大好きな先輩に苦労している男子高校生として、認識されることだろう。
ただし、自分の首を絞めた状況でもある。
あくどい笑みを浮かべるあたし様は、「そうだな」カノジョにするべきだなと喉を鳴らすように一笑を零した。
「後輩イジメも程々にしておかなければ、向こうが嫉妬するかもしれん。あいつを、さてどう鳴かせようか」
「……先輩の変態」
つい出てしまった小さな本音。
すぐさま言葉を嚥下し、軽く口笛を吹いて誤魔化す。危うく鈴理先輩のS心に火を点けるところだった。
が、相手にはしっかり言葉が届いていたらしい。
じっとりとした意味深長な眼がいつまでも向けられる。これは不味い。非常に不味い。この場を乗り切っても、後から絶対に仕置きが来る。
取り敢えず御堂先輩に関係をばれるわけにはいかないので、苦し紛れに笑ってみせた。
「とにかく俺にセクハラは駄目っす。こういうことはカノジョとして下さい」
「良かろう。イジメたい気持ちはあいつにぶつけるとしよう」
もはや手遅れだ。仕置きは逃れられない。
内心大号泣。
表向き愛想笑いの俺に、しごくご機嫌の鈴理先輩はどんな仕置きをしようかなぁ。悪魔はニタリニタリと笑みを浮かべている。泣きたい、嗚呼とつても泣きたい、俺はどうしてこう……鈴理先輩に振り回される運命なのだろう。
貞操の危機が訪れないことだけを願うよ。マジで。
小さな溜息をついて身を小さくする俺に同情の眼が二つ、三つ、飛んできた。
同情するなら助けて下さいよ、先輩方。興味津々に俺を見てくる御堂先輩はいるしさ……ん? 御堂先輩が俺を見ている?
顔を上げて彼女と視線を合わせる。
ジーッと相手に見られるもんだから、なんだか居心地が悪い。
もしかして関係を疑われた? 思った直後、御堂先輩は神妙な顔を作り、一言。
「安心しろ、君の嗜好は誰にも公言しないから」
「いらないフォローどーも! 先輩の優しさが超心を抉ったっすっ!」
俺の絶叫によって車内が笑声に包まれた。
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