04.草食vs王子




 まるで毒気をすべて浄化するような花咲く笑顔で言うものだから、俺は別の意味で言葉を失ってしまう。



 反則だと思った。


 お互いの関係を御堂先輩に隠しているからって、こんなにも直球に告白する、しかも目の前で告白をする、吐露する。なんて反則だろう。反則、レッドカード、一発退場と同レベルの域だ。本当に先輩は反則っす。

 どうして先輩はそう、真っ直ぐに俺のことを想ってくれるんっすか? こっちが困るくらい、気持ちがストレート。

 あたし様はこんな不意打ちを仕掛けてくるもんだから、こっちの身が持たない。


 胸が熱くなって、体液がぜんぶ沸騰しそう。細胞さえも煮えちまいそうだ。今日一番の赤面かもしれない。 

 この顔の赤さが御堂先輩の目に触れて、関係がばれないかどうかが心配だ。


「あんたにもいつもノロケているよな?」


 したり顔で意気揚々と語る先輩、なんっすかもう、超意地悪っすよ!


「……知らないっす」


 俺は苦虫を噛み潰したような顔を作ってそっぽを向いた。腕を組んで一の字に口を結ぶ。

 これ以上、俺が突っ掛かっても馬鹿を見るだけだ。顔の火照りがおさまらない。


 と、鈴理先輩がいきなり悶え始めた。

 何がどうしたんっすか、先輩。声を掛ける間もなく、「オアズケされている気分だ!」地団太を踏む。


 口には出していないけど、彼女のオーラが物語った。

 赤面している彼氏を攻めて攻めて攻めるのが攻め女であるからして、この状況は攻めるのが当たり前。なのに攻められないとはなんたる事態だ! 触りたい、嗚呼、触りたい。あたしは彼氏に触りたいのだよエンドレス。


 内なるところで、理性の葛藤があっているらしい。


 だめっすよ、先輩。

 此処で攻めちゃあ御堂先輩にばれちまいますからっ……うわぁあああ、そんな恨めしそうな目で俺を見ないで下さい!

 いつも好き勝手させているでしょーよ、少しくらい我慢を覚えて下さい!


 御堂先輩も鈴理先輩の暴走についつい、


「鈴理、そんなにも君はケダモノだったか?」


と訝しげに訊ねていた。


 どうやら俺と鈴理先輩のやり取りには疑心を抱かなかったらしい。

 先輩の理想男性像が理想男性像だしな。今のやり取りで疑心を抱かれるであろう可能性のあるケースとして、挙げられる一例は俺が先輩に片思いしているってところか。

 だったら赤面も説明がつく。もし疑心を抱かれたら、これで通すか。


 はてさて、御堂先輩はようやく“俺”という存在に気付いたらしく(やっぱり俺……気付かれていなかったんだ)、一応「どうも」と挨拶をしてきてくれた。初対面だから挨拶くらいはって思ったんだろうな。愛想も畜生もないけど、挨拶は掛けてくれる。


 だったら俺も挨拶をせねばなるまい。

 「こんにちは」俺は頭を下げて、軽く自己紹介。皆の後輩で貴方とは一つ学年が違う、と愛想良く告げる。

 素っ気無い態度で相槌を打つところからして興味はないようだ。

 ですよねぇ、僕に近付くなオーラムンムンですもん。典型的な男嫌いなんだなぁ。


 思った矢先、「君は貧相な面だな」と毒づかれるもんだから、ビシッと笑みが固まる。毒づかれた。もう毒づかれた。


「なんというか、幸せとは無縁な面をしている。フン、一生働き蟻でいそうな男だな」


 二重の意味でショックを受ける。

 俺ってそんなに幸の薄い男に見えますか? しかも、しかも、働き蟻の譬えは悔しいながらも当てはまっている。

 そうだよ。どうせ働き蟻だよ。我が家は貧乏暇なし、働かないとやっていけない家だよ。


 しかし初対面でよくもまあ、人のことを働き蟻と。

 じゃあなんっすか、貴方様は女王蟻っすか? だったら大層な身分っすねぇ。


 心中で毒吐きながらも、表では「そ、そうっすか?」右から左に受け流す。食らいついたら最後な気がする。


「豊福。あんた時間、大丈夫なの? そろそろじゃない?」


 俺を助けてくれたのは川島先輩。

 ハタッと気付いた俺は、急いで時間を尋ねる。タイムセール五分前だと教えてもらい、慌てふためいた。

 た、た、大変だ。早くスーパーに行かないとセールが始まる始まっちまう。

 我が家の一週間が掛かっているんだ。逃したらマジでもやし炒め一週間、んなの地獄だ!


「セール?」


 なんの話だと御堂先輩は首を傾げる。

 すぐにでも会場に行くのではないのか、素朴な質問に鈴理先輩が事情を説明し始める。一分一秒でも早く行きたい俺だけど、先輩方を置いて行くのも失礼だと思うんで、その場で足踏み。

 彼女の説明が終わるのを今か今かと待ちわびる。


 「ふーん」事情を聞いた御堂先輩は俺を一瞥した後、くだらないと肩を竦めた。

 「そうですか? 楽しそうですよ」宇津木先輩が味方してくれるけど、御堂先輩はそんな野蛮な場所に行ってどうすると意見。


 噂に聞くタイムセールとやらは激安商品を奪い合うものだと聞く。

 行為自体が野蛮、つまりそこに行く奴は野蛮人だと言うもんだから、俺はカチンのブチン。

 なんだ、と? 今、なんっつった? 生活が掛かっている庶民に対して野蛮? 聞き捨てならないっすよ、今のは。


「そこの男装少女さん。野蛮って言葉は取り消してくれます?」


 ググッと握り拳を作っている俺は、こめかみに青筋を浮かべつつ、満面の笑顔を作って見せる。


「そ、空。アンタ、切れていないか?」


 珍しくあたし様がおずおずと顔色を窺ってくる。

 切れている? いえいえ、まさか、切れていないですよ。切れては。激怒しているだけで。


「今、貴方は日本中の主婦を敵に回しました。タイムセールがどれほど大切なのか、貴方は知らないでしょう」


 スンゲェうざったそうな顔をされたけど、俺は御堂先輩に詰め寄って物申す。


「いいっすか、毎日まいにち飯を食うってことはすんげぇ大変なんですよ。思っている以上に食費ってバカにならない。例えば120円のジュースを一ヶ月買い続けると、約いくらになると思います?」


「……3600円?」



「それがどうしたって顔、今しましたね! しちゃいましたね! 3600円っすよ、飲み物だけで1ヶ月3600円。馬鹿げた数字っすよぉおおお! 飲み物だけでこんなに掛かっちまったら家計は火の車っすよ!

 家庭の奥様方は家計簿を見て、『あら……今月もピンチ。何を節約しましょう』と頭を悩ませるんっす。


 大体は自分の洋服や装飾品、旅行等々を節約に回す。


 それでも今の日本は不況。

 夏や冬のボーナスだって出るかどうかも分からない。春のボーナス? なにそれ美味しいのレベルです。昔は出ていた春のボーナスなんてサライの空にサヨナラっすよ! 相当良い職場じゃないと出るわけもない。


 それだけならまだしも、夫の給料が減らされていることもっ、最悪リストラされることだってある。老後のことを考えると年金暮らしなんて今の世の中、ちーっとも期待が持てない。だからそのための貯蓄だって増やしておきたいし、子供の教育費、将来のこともある。


 金は天下の回りものって言いますけど、ゼンゼン庶民には回ってこないっす! 寧ろ金取られてばっか!

 誰っすか、金は天下の回りものって言った奴!

 いつまで経っても金なんてびた一文入ってこないっすよ! ドチクショウっすよ! こっちから歩まない限り、待てど暮らせど金は気配すら感じさせないっす!


 じゃあ宝くじを買って一攫千金を狙う? ……宝くじに当たる確率なんて千万分の1っすよっ。庶民みーんなが当たるならまだしも千万分の1。分かりやすく例えるならば、100kgの米の中からある1粒の米粒を探し出すようなものっす!

 無理でしょ? 宝くじに薄望み懸けるなんて、無謀でしょ?! そんな確率に頼っている暇あったら、少しでも節約に心がけた方がマシっす!


 嗚呼、お先真っ暗なニッポン……だけど働いてくれている夫のため、愛する子供達のためっ、美味い物は作ってやりたい。それが主婦の切なる願い。

 だからタイムセールというものがある。安いものを仕入れて、美味いものを家族円満に食べる。最高じゃないっすか! それを野蛮だのなんだの、チョー失礼っすよ!」



 長い演説のせいで、息が上がってしまった。

 ゼェハァと呼吸を置く俺に、落ち着けと大雅先輩が恐る恐る促してくる。ギッと睨むと、向こうの背筋が伸びた。

 今の俺は俺様を怯えさせるほどの鬼面を作っているらしい。 


「タイムセールに参戦いしてる殆どの方が女性。生活を背負った女性が、揉みくちゃにされながら、けれど家庭のために頑張っているんっす。戦う女性を馬鹿にしてるんっすか! うちの母さんがセールに参戦してくれたことで、幾たび我が家を救ったことか!」


「いや、馬鹿にはしては……ない。僕は女性が好きだしな」



「うそつけっす! 女性を愛してやまないお方なら、どーしてタイムセールを野蛮などと称したっすか! ええいっ、男の俺が参戦するからっすか? 男が生活を背負ってタイムセールという名の戦場に飛び込んではいけないんっすか!

 今日、このセールを逃したら俺の家は一週間もやし炒め確定なんっすからね! ちなみに二日前まで電気、水道、ガスを止められていましたがなにか?」



「は? そんなことがあるのか?」


「あっはっはっは、ありますね。俺の家では日常茶飯事! 原始的な生活を送っているとでも仰います?」


 眉根をつり上げて、ジトーッと彼女を見据えれば、眼光の強さもしくは剣幕に押されたのか、「野蛮は言い過ぎたかもしれないな」としどろもどろ。

 そんな彼女の目の前に千円札を突き出す。


「御堂先輩、千円札はお持ちで?」


「……あるが」


「だったら、ちょっと勝負でもしましょうか。これは我が家の全財産。これで一週間分の生活費を賄います。ちなみに三人分の食費も含まれています。

 御堂先輩、俺と勝負をして下さい。ルールはタイムセールでどちらが安く、多くの品を勝ち取れるかです」


 目を点にしている王子様に、「無理にとは言いません」セールは野蛮ですしね。俺は言葉に茨を巻き付ける。


「まあ、主婦や男の俺が参戦できるんですから、先輩が逃げるとは思えませんけど」


 途端に向こうの機嫌が急降下した。

 「分かった」即答する御堂先輩は、男対する対抗心が点いたらしく、俺の勝負に受けて立つ。


 すると、どうだ。

 それまで傍観者となっていた鈴理先輩が自分も参戦すると挙手してくる。

 好奇心旺盛な大雅先輩や宇津木先輩も加わるというので、勝負は一層賑やかなものとなる。


「あーあ。後悔しても知らないんだ」


 タイムセールの真の恐ろしさを知っている川島先輩が、どうなっても知らないと肩を竦めて笑っている。


「圧倒的にあんたの有利じゃん」


 肘で小突かれ、俺は口角を持ち上げた。



 かくしてとんでもないことになったタイムセール。

 結果的に言えば、財閥組の惨敗だったのは言うまでもない。

 ケロッとした顔で詰めた荷物を両手に提げる俺に対し、あらあらまあまあ、お嬢ちゃん坊ちゃんは髪がボサボサ。

 セールという名の戦の恐ろしさを体感した彼等は、口を揃え、「庶民は凄い」と感想を述べていた。


 一応、何かしら戦利品は持っているようだけど俺には及ばない。

 ふはは、これがタイムセールの恐ろしさだ。分かってくれたかな、財閥のぼんぼん方?


 けれど実を言えば、俺はあんまり勝負にこだわっていなかった。

 見え見えの勝負だった上に、これは向こうにとって不利も不利。俺の勝ちは見えていた。

 だから言うんだ。庶民の生活を馬鹿にした、というか、軽はずみで言ってしまったであろう王子に。


「主婦は凄いですよね。いつも、こんな戦に参戦しているんですから。俺は、家庭を守る母親を尊敬しますよ」


 お金持ちにはお金持ちの苦労がある。

 同じように庶民には庶民の苦労がある。こっちの苦労も知らず、“野蛮”なんて言い草はして欲しくなかったんだ。

 皆必死なんだ。俺に毒づくならまだしも、さっきの台詞は男女関係なく生活を背負っている人たちに対して失礼極まりない。


 御堂先輩は良識のある人のようだ。

 彼女は決まり悪そうにぽりぽりと頭部を掻きつつ、


「分かった。僕の非を認めよう。君の言うとおり、生活を背負っている人間を蔑む権利など僕はないだろうからな」


男嫌いとはいえ悪い人じゃないらしい。

 ごめんなさいをしてくれたから、俺も大満足だ。


 一変して笑顔を作り、「俺も生意気言いました」ごめんなさいをして口にして、はい、仲直り。

 男を毒づく気もそがれたのか、「君は主婦みたいな男だな」と苦笑された。


 おっとそれには異議ありっすよ。


「せめて主夫と言って下さい。御堂先輩。けれど半分当たってますかねぇ。俺、受け男……なんでもないっす。とにかく俺はタイムセールに命を懸けているんっすよ。今日の戦利品はえへへへ、やばいです。肉が買えたんですから」


 なにより、父さん母さんにスタミナをつけられる。


「俺、両親至上主義なんっすけど、二人が喜んでくれる顔が見たくて見たくて。あの人達が笑顔になってくれるといいな」


 破顔すると、御堂先輩が面食らった面持ちを作ってくる。

 「君は」ナニか言いたげだったけど、俺の意識は戦利品に集中していた。いつまでも、そっちに集中していた。





「あいつは、豊福は変な後輩だな。鈴理」



「ははっ、そうだろ。空は面白いんだ。まあ、少しケチな面もあるが、あいつはああいうことになると一生懸命になる。あいつの前で庶民生活を侮辱したら、かんなり怒るから気を付けとけよ」



「空? あいつの下の名前は空というのか――豊福空、か」



 鈴理先輩と御堂先輩の、聞こえるか聞こえないかの会話は、残念な事に突っ走っている俺には届かなかった。

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