25.悪夢だった一夜から





 □ ■ □



―――小5だったか小6だったか、俺はあることを知り、超驚いたことがある。



 何を知って驚いたか? 子供を育て上げるその費用の大きさの額についてだ。

 どこから情報を仕入れたかは憶えていないけど、大体ひとり子供を育て上げるのに約三千万円だろうな。習い事を習わせたり、私立、公立に行かせたりすることで個々人の額に差は出てくるけど一般常識的に掛かる養育費は約三千万円だそうだ。


 驚きの金額だよな。車は普通に買える金額だ。

 一軒家なんかも買えちゃうよな?


 こうした情報を知ると、改めて子供を育てるのって大変なんだと思う。


 俺の両親もすっげぇ大変だったんだろうな。

 血の繋がっていない、いや若干繋がっている子供(父さんにとって甥っ子に当たる俺)を引き取ったことやお金の工面は勿論だけど、メンタル面でも相当苦労したに違いない。


 だって入院している間はずっと実親に会いたいって泣いていたし、退院しても実親が迎えに来てくれるのをいつまでも待っていた。

 大好きな叔父叔母の優しさは知っていたし、分かってもいたけど、彼等が親だとはなかなか受け入れられなかった。


 突っ返す度胸もなかったけど、優しくしてくれる彼等に「ありがとう」の一言も言えなかった。


 最初の方は面倒な子供だったと思う。

 二人だって当時はとても若い。引き取った年齢は二十代前半だった。自分達の自由な時間だって欲しかったはずなのに、父さんも母さんも俺を息子だといつも言ってくれた。

 俺が親だと認めていなかったあの頃から、ずっと息子だと受け入れ、認めてくれていたんだ。


 両親を喪って寂しがらないように、いつも傍にいてくれて、名前を呼んで、甘やかしてくれた。俺はそんな彼等に何を返せるんだろう? 何ができるんだろう? 何してやることが親孝行なんだろう?

   

 




「空、退屈しのぎに沢山ケータイ小説を持って来てやったぞ。それだけじゃ飽き足ると思ってな、コミック版も持ってきた。ちなみにこれはやるから心配するな」



 どどーんとベッドサイドテーブルに大量の悪魔本、じゃね、ケータイ小説本とコミックが積まれていく。

 ああ嘘だろ、また増えたよ。昨日も持って来て下さいましたよね? まだ読み切ってないんっすけど。家にもまだ読んでいないケータイ小説文庫があるんっすけど。


 俺は引き攣り笑いで取り敢えずお礼を告げた。

 明日も持ってくる、満面の笑顔を作る彼女にストップを掛ける。

 これ以上持って来られても、読み手が困るだけだ。それに明日はもう必要ないよ先輩。

 

「明日には退院しますよ」


 俺の言葉に、「そうか!」彼女は嬉しそうに笑みを零した。つられて笑みを零す。



 あの忌まわしい誘拐事件から数日が経った。

 思い返しても、まだ夢を見ていたんじゃないかと思う、嘘のようで本当に起きたどんちゃん事件。

 一連の事件で俺は怪我を負い、入院を余儀なくされた。暴行を受けたり、崖から転げ落ちたり、銃で撃たれたり……無理に無理が祟ったらしい。


 一番やばかったのは崖から転げ落ちて頭と体を強打したことだとか。

 銃で撃たれたことよりも、そっちの方がやばかったそうな。実は落ちた崖結構な高さがあったらしく……思い出すだけでも胃がキリキリする。

 人間死ぬ気になりゃあ、なんでも出来るっつーけど、もっかい同じ場所から転げ落ちろって言われたら、当然無理だと即答する。もう無理。俺はただの人間で高校生。アクションごっこは懲り懲りだ。



 一方で先輩は擦り傷程度だったから、一日、二日、学校を休んでまた元気に学校に登校しているとか。

 学院で話題になっているみたいだけど、あんまり先輩に事件を聞いてくる人はいないそうな。


 そりゃそうだ。

 当事者に事件のことなんて聞けるわけないだろう。聞けたら、どんだけデリカシーのない奴だって俺は罵るね。


 あれ以来、先輩の周辺のガードマンが増えたらしい。

 先輩はチョー窮屈だと不満を漏らしていたけど、暫くは我慢するとか。ご両親や姉妹の心配を沢山受けたようだ。散々姉妹には泣かれたと苦笑交じりに教えてくれた。

 特に次女の真衣お姉さんにはワンワン泣かれて、それは大変だったらしい。


 まだまだ家族の間に溝はあるけれど、先輩自身何か思うことがあったのか、少しだけ自分から歩んでみてもいいかもしれない。それこそ無条件に仲良く出来ていたあの頃にもう一度に戻るため、努力してもいいかもしれない。


 うやむや決意を俺に耳打ちしてくれた。

 あくまでうやむやだから、本当に出来るかどうかは疑問らしい。思うだけなら簡単だからなぁ……と先輩は繰り返していた。

 俺はそれでもいいと思った。だって歩もうと思っている時点でプラスだと思うから。


 入院している間、何人かの人に見舞われた。

 聴取に来た刑事さんを除けば鈴理先輩、先輩のご両親姉妹、フライト兄弟に、クラスメート。それから大雅先輩や川島先輩、宇津木先輩。そうそうイチゴくんも来てくれたんだ。アポなしで来てくれた時はかんなり驚いたよ。


 どうやらアジくんがメールで連絡したみたいなんだ。花畑さんと一緒に来たもんだから、申し訳なさで頭をペコペコと下げるしかなかった。


 ちなみに俺の病室は個室。

 個室って料金が高いらしいんだけど、先輩のご両親があれやこれや手を回してくれたから料金は工面され免除されているそうだ。


 申し訳ない気もしたけど、向こうの言い分としては体を張って娘を守ってくれたから、らしい。これからも鈴理と仲良くしてね、ご両親にそう言われて俺は苦笑いを零すしかなかった。

 お言葉を頂戴する限り、まだボーフレンドという称号からは抜け出せそうになさそうだ。


 こうしてバタバタとした日々を過ごしていたのだけれど、次第に落ち着いて今は穏やかに時間を過ごしている。


 誘拐事件が傷になっていないわけじゃない。 

 ふっとした瞬間に恐怖心を思い出してしまう。特に銃口を向けられた畏怖が今も脳裏にこびり付いている。ありゃ怖かったってもんじゃない。

 でも皆が支えてくれるし、当事者の先輩自身も頑張って乗り越えようとしているんだ。

 どうにか俺も乗り越えられそうだ。


 ……まあ、今しばらくはこの記憶に苦しまされそうだけどさ。 



「空、果物を食べよう。蜜柑を取り寄せたんだ。待ってろ、今剥いてやるからな」


 毎日、見舞いに来てくれる鈴理先輩はこうして俺の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれる。

 嬉しいんだけど蜜柑を取り寄せたって……お取り寄せ商品っすか、その蜜柑。八百屋さんじゃなく産地直送の物を持って来てくれているんじゃ。


「その右手じゃ剥けないだろうしな」


 ギブスをしている右手を流し目にする先輩は、さっさと果物カゴから蜜柑を取って皮を剥き始める。

 右腕を撃たれたせいでトホホ、ギブスをしている俺は現在生活に四苦八苦している。右手は利き手だ。飯を食うにも何をするにも一苦労している。

 学校に復帰したらもっと苦労するだろうな。特に筆記なんてマジ憂鬱なんだけど。こんな手で勉強できるのか?


 綺麗に蜜柑の皮を剥いてくれた先輩は、「よし」満面の笑顔で房を差し出してくる。

 「あざーっす」左の手で受け取ろうとすればペチン。ええええっ?! 叩き落とされた意味が分からない。


「空。こう言ったら口に入れてやるぞ」


 先輩はニコッと一笑。


「“先輩の手で、俺の口にその蜜柑を入れて下さい”。恥じらいながら言ったら食わせてやる」


「なんっすか。そのやけにオゾマシイ羞恥プレイもどきは」


 台詞は普通なのに、全然普通に聞こえないのは何故だ。


「それは空があたしを求めているような台詞に仕向けているからな。濡れ場も、是非それに似た台詞を言って欲しい」


 無理に決まっているでしょ!

 下心感ありありの台詞を蜜柑を通して言うとか、絶対にイヤなんだけど。


「じゃあいらないかなー」


 弱々しく発言してみる。

 当然向こうが許してくれる筈もなく、従えないと言っている悪いお口はこれか? 顎に指を絡めて引き寄せてくる彼女に、俺はドッと冷汗。


 ヤ、ヤダなぁもう。

 いーつもの肉食先輩に戻っちゃってからくさ。

 ちょっと前まで男女逆転の逆転、つまり普通の立ち位置になっていたのに……ははっ、やっぱ返さなきゃいけないっすよね。男ポジション。


 もうちょっとだけ味わいたかったんっすけど。


「よし。その口、少しばかり仕置きしてやろう」


 え。


「やややややっぱ言います! その普通の台詞でありながらヤらしーく聞こえる台詞を言わせて下さい」


 もう遅い、房を銜える彼女は悪魔のようにニンマリ笑った。

 しぃしししし仕置きって何するんっすか、こっちは怪我人なんですけど。


 キョドる俺を余所に、先輩は一房口内に押し込む。

 そのまま唇を重ねてくるんだけど、俺の口腔一杯には蜜柑の味。ちょぉおおお先輩っ、これはっ、これはっ! うわっ、うわぁああああ! 



(※暫くお待ち下さい)



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