24.今夜限りの王子様
地面に叩きつかれる衝撃によって、軽く遠のいていた意識が戻る。
「空、空!」
ひっきりなしに俺を呼ぶ先輩は、身を捩って顔を覗き込んできた。
その拍子にぬるっとした俺の鮮血が彼女の制服を汚す。出血していることに気付いた彼女は、手の平でそれを確かめるや、荒呼吸を繰り返すへたれくんに死ぬなと縋ってきた。
大丈夫、俺は死なない。単に右腕を撃たれただけだから。
ただ。
「いってぇ……もう、むり。痛くてどうにかなりそう」
右腕が焼け爛れているみたいに痛い。
力なく四肢を投げ出して、ただただ定まらない焦点をあちらこちらに流す。体勢を変えるために仰向けに寝転がった。痛みのあまりに呼吸も止まりそうだ。
畜生、十年分くらいの怪我は負ったんじゃね?
もうイヤだ。痛いのはイヤだ。俺は受け男だけどMじゃないんだ。痛いのは大嫌いなんだ。誰だよ、痛感が快感とか思い始めた奴。
精神的Mはまだ分かるけど、身体的Mの気持ちはちっとも分かん……やっぱ精神的Mも分かんねぇや。大切なことだから二回言うけど俺はMじゃないんだっつーの。
「せんぱい、けがは?」
うつらうつらと縋っている彼女に声を掛ければ、「あたしはどうでもいいんだ!」怒鳴られてしまった。
泣きそうな顔を直視してしまったために、なんとも決まり悪い。
だから俺は今の心境を正直に答えた。
「ぶっちゃけ……腕でよかった。一瞬心臓を撃たれたかと………超怖かったっす」
あの時、咄嗟の判断で木枝を投げ付けていなければ、犯人の手元を狂わせていなければ、俺は心臓、もしくは腹部に穴をあけられたに違いない。そう思うだけで恐怖だ。
同調してくれる先輩は顔を歪めながら何度も、「そうだなっ。そうだなっ」と首を縦に振り、相槌を打ってくれた。
「あたしも、脳天に風穴をあけられるかと思った。ぶっちゃけると、かなりの恐怖だった。悔しいがっ、あたしを助けようとしたあんたの姿は男だったぞ」
「ヒーローっすね……俺」
「馬鹿。ヒーローはあたしであんたはヒロインだ」
そこだけは頑なに否定してくれるんっすね、先輩。
「じゃあもうヒロインでいいっす。ヒーローを守るヒロインってのも悪くないでしょう?」
軽い口振りに先輩は安堵した様子だ。俺も安堵の笑みを返す。やっと心から笑えた気がした。
向こうでは一斉に警察が動いていた。
半分は犯人確保へ。半分は各々人質の下へ。
あのオッサンは発砲した直後、隙を突いた警察に取り押さえられたようだ。意味不明な言動を吐きながら、手足をばたつかせている。
頭を押さえつけられている姿は、哀れとしか感想が出ない。
どんなに威張っていても、力で脅そうとしても、結末があれじゃあ惨めもいいところ。
明日の朝刊にでも本名が出て、独房行きなのだろう。社会復帰する頃にはいいおじいさんかも。
一方、レスキュー隊を含んだ警察は俺達の下に。
重たそうな機械を抱えてやってくる隊は撃たれた俺の右腕を取り、傷口の具合を診て止血。次いで脈を測り始めた。異常に脈が速いらしい。脈の速さうんぬんかんぬんが体にどんな影響をもたらすかは知らないけど、あんま芳しい状態ではないとか。
頭部や体を強打しているから検査が必要だ、隊の人がそんなことを言っていた。
「君、動かすよ。僕の声が聞こえているかい?」
やや声音を張ってくる隊員に頷く。
担架に載せられる体は、本当に悲鳴を上げていて、微動にすら痛みを覚えた。
軽く応急処置をされている間、隊から話を聞くことに成功する。
曰く、さっき崖の上から聞こえてきた銃声の数々は俺達に発砲していたわけじゃなく、誘拐犯と捕まえに来た警察達とドンパチしていたらしい。
なんでもGPS機能で俺達の居場所を突き止めていた警察は、周辺でずっと待機していたとか。隙をみて俺等を奪還しようとしてくれていたらしい。
GPSを通しながら、念入りにどう奪還しようか打ち合わせしていたところ、前触れもなしに俺達に動きがあって出動が決まったそうだ。
俺達の行動は無駄じゃなかったわけだ。逃げ出したおかげで早期奪還に繋がったんだから。
警察は二手に別れ、一手は俺達の保護。一手は犯人逮捕に動いていたという。
俺達が崖から落ちた直後、一手は誘拐犯を見つけ出し、奴等を追い駆け回していたそうな。リーダーを除くお仲間はすぐ捕まったそうだけど、犯人だけ崖から下りてしまい、俺達の下にやって来た。
後は説明を聞くまでもない。
担架で運ばれる俺は隊の人に連れられ、先輩と一緒に雑木林を抜けて道路に出る。
ちょっとだけ意識が朦朧としてきたけど、道路の光景を目にした俺はそれさえ忘れて大きく見開く。
そこで目の当たりにしたのは真っ赤な光、レッドランプだらけ。パトカーに救急車にその他諸々なんだかてんやわんやになっている。
先輩が攫われたからってのも一理入っているんだと思う。なんたって先輩は竹之内財閥の三女だからな。
「来た。鈴理っ、豊福!」
道路に出てきた俺達に逸早く気付き、駆け寄って来たのはなんと大雅先輩。なんで貴方様がこんなところに……。
車輪つきのストレッチャーに移されながら首を傾げる。隊の人はすぐ俺を救急車に乗せたかったみたいだけど、ちょっとタンマをしてもらった。
彼は美形も台無しな泣き笑い顔で、「心配掛けさせやがって!」俺と先輩に毒づき、無事だったかどうかを確認。
無事を確認すると、良かったと息をついてまず先輩とかたく抱擁を交わしていた。
普段だったら絶対拒絶するであろう彼女も、「ごめんごめんっ」心配掛けたことを謝罪して抱擁を返していた。
「鈴理。俺は勿論、お前の御家族もっ、スッゲェ心配していたんだからな。そこでっ、ほら」
ある一点を指差す大雅先輩、向こうには確かに鈴理先輩のご両親の姿が。
彼女を見るや否や、お母さんの方が安堵し切って大号泣。その場に崩れて泣いていた。お父さんも目が潤んでいる。近くには竹光さんとお松さんの姿も。二人とも三女の無事に涙していた。
ああ……皆、すっごい心配していたんだな、彼女のことを。
期待感とか疎外感とかで悩んでいた彼女のことを、すごく心配していたんだな。
やっぱりご両親は先輩のことを愛しているんだよ。擦れ違っているだけできっと家族を思う気持ちは双方同じなんじゃないかな。
「行って来い」
大雅先輩が彼女の背中を押した。
ぎこちなく一歩前に出る鈴理先輩に、「行って下さい」俺も背中を後押ししてやる。
「俺は大丈夫ですから」
言葉を掛けると「すぐ戻るから」そう言って家族の下に駆け出した。
気丈に振舞っていた先輩も、今回の事件には多大な不安を抱いていたんだろう。
泣き崩れている母親の下に駆けて、一言、二言、会話を交わし抱擁し合っていた。近くにいた父親と一緒に、無事を喜び合っていた。
怪我は無いかどうか訊ねる両親に、「空がずっと守ってくれて」でも彼氏がボロボロだと嘆き、怪我を負ってしまったと喚き、ワッと声を上げて泣き始めた。
いつも勝気・強気・あたし様の彼女が声を上げてわんわん泣き始めた。
これにはちょい驚き。
大声で泣くこともそうだけど、そっちで泣くんっすか、俺のことで泣くんっすか、先輩。
――いやでも、俺が彼女の立場だったら同じ理由で涙していたに違いない。ごめんなさい、先輩。心配掛けちまって。
はぁっ。痛みに堪えながら、俺は瞬きの回数を多くした。超絶眠くなってきた。疲れたのかな。
だけどそう簡単に眠らせてはもらえないようだ。
鈴理先輩の家族に目を向けていた大雅先輩は、こっちに視線を流し、「傷だらけじゃねえかっ」ヘーボン顔のくせにチョー男前上がっていると皮肉ってくる。
俺は力なく笑った。ヘーボンは余計っす、どうせ美形の貴方には敵わないっすよ。
大雅先輩は鼻を啜って言葉を重ねた。それは後悔で染まっていた。
「あん時俺も鈴理について行けば良かったと後悔した。まさかテメェ等が攫われるなんざ思わなかったんだ。鈴理がいつまでも戻って来ないから、不安になってきてみれば……。
マジで後悔した。追々聞けば、二人とも誘拐されたと聞いて、居ても立ってもいられなくてさ。ずっとお前やあいつの両親と一緒に、無事を祈っていたんだ……こんなになっちまいやがって。無事でいろっつーんだっ、怪我なんかすんなよ! 鈴理と豊福が怪我ねぇよう、この俺が祈ってやったっつーのに!
ああでも豊福、てめぇが鈴理のことを守ってくれたんだな。畜生、受け身ばっか取っているくせに、なあにカッコつけているんだよ。そこだけ男になるとか反則だろう。やっぱりお前は鈴理の彼氏だよ。許婚の俺が認めてやった鈴理の彼氏だよ。俺なんかよりも、お前の方がずっと鈴理にお似合いだ。保証してやるよ」
「大雅先輩……」
「頼むからさっさと元気なれよ。仕方ないから、また一緒に飯を食ってやるから。だから絶対元気になれよ、俺がこう言うんだから、有り難く受け取れよ。お前から言ったんだろ、ダチになりたいって。
だから俺も言ってやるんだ、心配してやるんだ。喜べよバカヤロウ」
すっかり涙声の俺様先輩に俺は微苦笑を零した。
いつダチになりたいって言ったっけ。細かいことは気にしないけど、大雅先輩のご命令だ。早く元気になれるよう努力しないと。
「今度何処かに遊びましょう。後輩のために元気になったらどっか連れてって下さい」
俺の誘いに、「いいぜ。ドバイがいいか? ハワイがいいか? カナダがいいか?」そこら辺に別荘あるから、と大雅先輩。
うーん、遊ぶ範囲が広過ぎる。予想外っす。ご近所すっ飛ばして国内すっ飛ばして海外……俺はパスポートを持っていないんっすけど。
「そうだ。もうすぐお前のご両親もこっちに到着するぞ。本当は俺達とすぐにでもこっちに来る予定だったんだが、お前のお母様が一件の電話のやり取りで倒れちまって。さっき目ぇ覚ましたって言ってたから、すぐに来てくれると思う。ちゃんと元気な声、聞かせてやれよ」
大雅先輩が両親のことを教えてくれるんだけど、俺は生返事。両親と再会できることが嬉しくないわけじゃない。できることなら、すぐにでも大丈夫だったよ、と笑いかけてやりたい。
でも体力の限界だ。眠い。
「豊福?」
付き添ってくれる大雅先輩の訝しげな声音をBGMにしながら、俺は瞼を下ろした。
隊の人が異変に気付き、すぐさま救急車に怪我人を運ぶとストレッチャーを動かし始める。
ガタゴト揺れるストレッチャーと俺の体。
目は閉じていても救急車に乗ったんだと雰囲気で分かる。
初めて救急車になんか乗ったな。
あ、嘘。昔、救急車に乗った。俺が頭に大怪我を負って……と言っても、爪先も覚えてないんだけどさ。
遠退く意識の中、沢山の雑音が俺の聴覚を支配する。
例えば焦る大雅先輩の声だとか、隊の人の指示だとか、ざわつく空気だとか、大好きな先輩の呼ぶ声だとか。
ああ、それから悲鳴交じりの声が聞こえる。それは俺を探し求める声で、女性特有のソプラノが雑音を掻き消していた。
……母さんの声?
ぐらっと救急車が揺れ、派手で大きな物音が聞こえたと思ったら、大声で必死に名前を呼ばれた。
揺すられているのに、嗚呼、目を開けなきゃいけないのに、駄目だ。瞼にさえ力が入らない。
遅れて聞こえる聞きなれたテノールは父さんのもの。
母さんを宥めるような会話が聞こえるけど、子供のように母さんは嫌がって俺の体に縋った。
「良かった。ちゃんと生きている」
でも一目こっちを見て欲しい、目を開けて欲しい。嗚咽を漏らして怪我人を掻き抱いた。心配で心配で生きた心地がしなかったと泣きじゃくってくれる母さんと、「頑張ったな空」涙声の父さんの声。
「父さんはな。犯人に文句を言いたいよ。空に一千万だなんて、とても安い値だと。息子の命を助けられるなら一億だって惜しまないのにな」
幾ら金を積んでも息子の命は金では買えない。戻って来ない。
その台詞にどれだけ父さんの心配が籠められているか分かってしまう。
今更恐怖が襲ってきた。二度と父さん母さんに会えないんじゃないか、そう思うだけで鳥肌だ。
どうしよう、なんか言いたい。
無理やり起きて何か言いたい。でも目が開かない。何を言えばいいのか分からない。
目を開けて何を言いたい? 心配掛けてごめんなさい? 怖かった? また会えて良かった?
それとも俺、全部を思い出したんだよ?
どれも違う気がした。
なんだろう、何を言えば……そうか分かった。
プッツリと切れる意識の中、俺は両親の名前を紡いだ。
口にできているかは謎い。頭だけの妄想ワールドで留まっているかもしれない。それでも両親の名前を呼びたかった。言葉なんて後でなんとでも言える。ただただ今は息子を心配し、何度も名前を呼んでくれる両親の名を、俺も呼びたかった。呼びたかったんだ。
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