23.お前はターミネーターか!




――ザッ、ザザザッ、バキッ。




 急斜面を転げ転げて、宙に飛ばされてそのまま急降下。

 重力に従って落ちる体二つは地面に叩きつけられた。人間の下敷きになり、呼吸さえ忘れて痛みに耐える。腕だけはこれっぽちも解くつもりはなかった。


 次第に呼吸ができるようになると、俺は朦朧とその場で呼吸を繰り返す。

 肺に酸素を入れ、二酸化炭素を吐き出す、それだけで生きている実感が湧く気がした。


 ははっ、俺もしぶといね、ちゃーんと生きているよ。

 左肩が痛むのは、二人分の体重が勢いよく滑り落ちたせいだろう。太い木の枝が突き刺さってやんの。だっせぇ。抜く元気もねぇや。

 ゼェゼェ、ひゅうひゅう呼吸を繰り返す俺の上にいる先輩は、腕から脱して顔を覗き込んでくる。


「空。大丈夫か、あたしが分かるか?」


「先輩……怪我、ないっすか?」


 あ、可愛い顔にかすり傷が付いている。


「……大馬鹿者め、あたしを守ることばかりして。ヒロインのくせに生意気なのだから」


 悔しそうに、でも憂い帯びた瞳を見つめ返して俺は綻ぶ。


「今は俺が……ヒーローです。すみませんね、ポジションを奪って」


 たらっとこめかみに伝う自分の鮮血を感じながら、したりと顔を作る。

 さあ、こんなところで足踏みしている場合じゃないですよ先輩。逃げないと。あいつ等が追って来る。


 あ、でもやっべぇ。

 体が動かない。結構なまでにダメージが出ている? ちょい休憩しないと無理?


 いやいやいや、命あっての物種。


 体が限界を訴えても逃げて、逃げて、逃げ切らないと実親の下に逝っちまう。

 そりゃ父さん母さんには会いたい。だけど俺はまだそっちには逝けないんだ。まだ育ててくれた両親と、ちゃんと向き合ってもいないんだから。

 なあ、信義父さん、由梨絵母さん、二人もそう言ってくれるだろう? そっちに逝くには早いよな?


 「……逃げましょう」無理やり上体を起こす俺の背中を支え、「一緒にだぞ」彼女はしっかりと釘を刺してくる。


「あんたが一緒に逃げると言ったんだ。一緒だからな。あたしの命令を無視して一緒にいると言い張ったんだ。一緒に逃げるぞ」


「分かっています……大丈夫、一緒に……あーその前に肩の枝っ」


「馬鹿。抜いた方が酷くなる」


 先輩の言葉をスルーして俺はグッと枝を抜き取って、その場に転がした。痛みで体が跳ねた。痛覚はびんびんと感じてくれるわけね、俺の体。

 息をつき、彼女の手を借りながら立ち上がろうと躍起になる。

 ガクガクと膝が笑っている。限界ってか? バカタレ、膝が笑っている間はまだ余裕だろ。本当に余裕がなくなったら一ミリも体が動かないに決ま……パンッ――!


 風船が破裂したような音。

 聞こえてくる銃声に雑木林で眠っている鳥達が驚いて夜空へ舞い上がった。俺達にも翼があったら、空にびゅーっと逃げられただろうに。

 こんなことを思う時点で、実は相当やばいのかも。視界がくらくらのフラフラする。


 二重三重にぶれる視界を振り切り、「行きましょう」俺は彼女に声を掛ける。「ああ」見上げてくる彼女は力強く頷いた。


「此処で終わったら、約束が果たせないからな」


 ほんっとすね、一笑を返して歩みを再開する。

 嗚呼、最悪、ぐらっと足が崩れて振り出しに戻っちまった。俺のお馬鹿。


「空!」


 しゃがみ込む俺に大丈夫かと声を掛けてくる彼女に小さく自嘲。


「ちょい眩暈が……情けないっすね」


 でも大丈夫だと笑ってみせた。

 格好をつけたんだ、最後まで格好をつけないとダサいじゃんか。


「あたしがあんたをおぶる。背中に乗れ」


 せめて。

 嗚呼、せめて。


「大丈夫っす。歩けますっす、お姫様」


 不安と心配で染まっている彼女の前だけでも格好つけないと。な?



 パンッ、パンッ、パン―ッ!

 激しくなる銃声に先輩が俺の頭を抱き締めて、周囲をぐるり。

 誘拐犯が近くにいないか警戒心を最高レベルに高めて神経を研ぎ澄ませている。息を詰め、「大丈夫。守るから」心強く励ましてくれた。

 だから先輩、今は俺がヒーローっす。大人しく守られて下さいよ、心中でツッコミながらも意識が段々と朦朧としてくる。



 頭を強打したせいか?

 そういえば今日二回も強打したっけ。内、一回は誘拐犯に容赦なく殴られた。馬鹿になったらどうしてくれるんだろう。これでも生活が掛かった特待生なんだぞ。


 ズザザザザザッ――そんな擬音がピッタリの雑音が聞こえた。


 びくりと彼女の体が跳ねる。連動して俺の体も跳ねた。

 ゆっくりと視線を上げれば、もうやだ、スキンヘッドオッサン……超しつこい。わざわざ下りてきたとかお馬鹿。究極のKY。シチュエーションに萎える。泣きたいくらい萎えるシチュエーション乙。


 お仲間はどこへやら。

 どことなく焦ったような顔を作るスキンヘッドオッサンは視線を上げて崖を睨んだ後、迷うことなく俺等に視線を投げた。

 ギュッと彼女が相手を睨んだまま俺の頭を抱き締めてくる。舌を鳴らすスキンヘッドオッサンは、「来い」銃口を俺等に向けたまま歩んできた。


 嫌だと首を振る鈴理先輩と、荒呼吸を繰り返す無言の俺。

 苛立ちを覚えたのだろう。足元ギリギリに発砲してくる。

 それでも動かないガキを見たスキンヘッドオッサンは、どっちが適した人質か分かったんだろう。体が崩れる俺に対し、彼女の体が向こうへ引かれる。


「先輩に触るな」


 口だけは一丁前に元気なものだから、その場に崩れ、それこそうつ伏せ状態になっても相手に悪態を吐く。

 体を起こそうともがき苦しむ姿は、ダサイこと極まりないに違いない。


「彼女を離せハゲ。汚い手で触るんじゃねえよ」


 普段の俺からは信じられないくらい生意気口で相手を睨む。

 一々癇に障る奴だと銃口の照準を俺に合わせるスキンヘッドオッサンは、すぐ楽にしてやると安全レバーを下げた。


「っ、な、そ、空を撃つな! 空っ、逃げろ!」


 先輩の懇願とオッサンの行動、どっちが早かっただろう。

 あれ、これ、昼間のデジャヴ? 今度こそ俺は撃たれるのか? だとしても、先輩だけは、どうか先輩だけは。



――パンッ!



 つんざく銃声、それから前触れもなしに真っ白になる視界。俺の意識がぶっ飛んだわけじゃなく、辺りが急に明るくなる。


 瞠目してしまった。

 発砲したのはスキンヘッドオッサンではなく、第三者からによるもの。

 ぎらついている向こう側を見やれば、眼球を刺す無数の眩しい光。正体は巨大なライト、よくドラマの撮影の時に用いられそうなでっかいライトだ。


「ここまでだ。少年少女を解放しろ」


 真昼のように明るくなるその場をグルッと囲むように、見知らぬ大人達が出現する。

 動くなと誰かが声音を張り、銃口をスキンヘッドオッサンに向けていた。警察のようだ。複数の警察が一斉に、銃口をオッサンに向けている。

 もしかしてオッサンが焦っていたのはこのせいか? 警察に見つかっちまったから、血眼になって俺達を探していたのか?


「ハッ、これが見えねぇってか?」


 人質となっている先輩の頭に銃を押し付けるスキンヘッドオッサンは、ちょっとでもお前等が動いたら撃つと勝気に脅す。

 見え見えの虚勢には声の震えが宿っていた。

 余裕はなさそうだ。警察に囲まれちゃ余裕の「よ」も失くすだろう。


「人質はこいつだけじゃない」


 輩が顎で俺をしゃくってくる。

 スキンヘッドオッサンは俺にとって彼女が(んでもって彼女にとって俺が)どういう存在か、十二分に把握しているから、


「こいつの頭に風穴をあけられたくなかったらこっちに来い」


と俺に脅しを仕掛けてくる。


 人質は多い方がそっちにとって有利だもんな。ああくそ。


 俺は無理やり上体を起こす。   

 その際、さっき抜いた木枝が視界に入ったから気付かれないよう手を忍ばせた。


 ふらっと立ち上がって、荒呼吸のまま俺は一歩また一歩誘拐犯に歩んだ。

 途中何度か転びそうになったけど、あんまり向こうに焦らしプレイしても、痺れを切らして銃をぶっ放すかもしれない。

 相手が切れる前にさっさと歩くことが得策だろう。


 思うように動けない警察と、逃げる隙を窺っている先輩、挙動不審気味の犯人、そして木枝を握り締める俺。

 四者四様の光景はまさしく修羅場というべき言葉がピッタリだ。


 ふと向こう側で警察が人質救出のために隠れて動こうとする。

 遺憾な事に神経をピリピリさせていたスキンヘッドオッサンに気付かれてしまった。


「動くなっつってるだろうが!」


 自分の本気を見せ付けるために銃口を俺に向けてくる。

 小さな動きがスキンヘッドオッサンに多大な刺激を与えたんだろう。逃げられないと知りつつも、必死に抵抗しようとしていたその昂ぶる感情は爆ぜ、躊躇なくトリガーを引いて俺に発砲。


 そのコンマ単位秒前。

 彼氏の危機に気付いた鈴理先輩が、無理やり拘束の腕から抜け出すため、オッサンの体を力いっぱい突き飛ばす。

 よって軌道が逸れ、銃弾が俺の足元へ。


「くそアマ!」


 傾いた体を持ちなおしたオッサンは、標的を彼女に変更する。

 そうはさせない。


「先輩に手を出すんじゃねえ!」


 俺はほぼ反射的に地を蹴ると、持っていた太い木枝を相手の顔面に向かって全力投球。幼稚な投てき技は、回転しながら相手の顔面に直撃した。

 不意打ちに、スキンヘッドオッサンもこれまた本能という名の自己防衛が働いて、顔面の中でいっちゃん柔らかい場所を守ろうと瞼のシャッターが下ろされる。


 後は無我夢中だった。


 ぶれぶれの視界を振り切り、「空!」男の腕から逃げ出した鈴理先輩の下へ。

 彼女は誰にも渡さない。その可愛い体躯を腕に閉じ込めるのも、そして華奢な腕で閉じ込められるのも、俺の特権だ。


 押し倒す勢いで小さな体躯を抱きしめる、同時に銃口が火を噴いた。

 直線状を描く弾丸が肉体を貫いていく。その感触に気付く前に限界に達していた俺の体は、彼女を巻き込んで力なくその場に崩れた。

 垣間見えたのは鈴理先輩の真ん丸と見開いた眼、美味しそうな唇に、重力に従って靡く柔らかな髪。

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