Chapter4:Sweet Dreams,Baby
01.草食は悩む
ハードでガチサバイバル、持久戦を要された先輩との楽しくも疲労の溜まったお泊り会も幕を閉じ、今日も同じような日常が繰り返されている。
繰り返されている筈なんだけど、お泊り会を契機に俺、豊福空は大変困った事態に陥っていた。
べつに先輩の家に泊まりに行ったせいとか、そんなんじゃない。
ただ俺のメンタル面で大変困った事態に陥っていたんだ。
最初こそ気のせいだと思って日々を過ごしていたんだけど、二、三日するとこれは気のせいじゃないぞ。どうしようなレベルになっちまっている。
今もそう。
学校を向かうために家を出た俺は、部屋に鍵を掛けて階段に向かったんだけど。いつもなら手摺を掴んであっという間に下りられる階段を目にした瞬間、俺は悲鳴を上げたくなった。変に汗が出て思わず手摺を引っ掴む。
「大丈夫だぞ」
高鳴る心臓を抑えながら、俺はゆっくりとゆっくりと段に足を掛けて下を目指した。なるべく下を見ないよう努めて。
これでもう分かると思うんだけど、俺は大変困った事態に陥っているわけだ。
はぁーあ、どうしてこんなことになっちまったんだろう。
よりにもよって高校生にもなって、高校生にもなって――。
「なに、高所恐怖症が酷くなった?」
昼休み。
ざわついた学食堂で先輩とお昼を取っていた俺は自分の悩みを打ち明けた。
だって先輩が浮かない顔をしているぞ、と指摘してきたんだ。なんでもないと隠し通す自信もないし(公開ちゅーするぞと脅されたし)、先輩には俺のトラウマを話している。
彼女なら聞いてくれると思ったんだ。
それに俺自身も誰かにこのことを相談したかったんだと思う。両親には心配掛けるから、こんなこと相談できないし。
先輩の作ってくれた特製お弁当を口に運びながら、「酷くなったんです」肯定してガックシ肩を落とす。
そう、俺、豊福空の悩みは高所恐怖症、トラウマが酷くなってしまったことだった。
俺の高所恐怖症はわりと重症で一階以上の窓の景色を見るだけで恐怖心が煽られる。
だけど階段の上り下りに支障が出るほどのものではなかったんだ。
上る時は普通に上れるし、下る時だって手摺を掴んでいれば駆け足で下ることが出来る。手摺が無い時はちょい歩調が遅くなるけど、支障は出なかったんだ。
なのにここ数日。
手の平を返したように俺の高所恐怖症は酷くなった。原因は分からない。
ただ階段を下ることが極端に怖くなってしまったんだ。
あの急斜面を見るだけで眩暈がするほどなんだから、なかなかの重症。
うーん、どうしたものだろう。
「これまで以上に窓に近付くことも怖くなって……自分の家の窓さえすっげぇ怖いんっすよ。動悸がやばくなるというか」
俺の悩みを聞きつつ、先輩はダシ巻きを口に運んで咀嚼。
嚥下した後、「心当たりは本当に無いのか?」質問を飛ばしてきた。首を横に振る俺は全然原因が見当たらないのだと吐露する。
「親衛隊との一件で体育館倉庫から落ちた時だって、こんな風には酷くはならなかったんです。情緒不安手時期に入ったんっすかね、俺」
それしか原因が見当たらないのだけれど。
深く溜息をつく俺に先輩はちょいとダンマリ、んでもってそっと口を開く。
「いつ頃からだ?」
これまた質問が飛んできた。言い辛いけど、正直に「先輩とのお泊り会後の話っす」と返答。
「あ、でもべつに先輩とのお泊まり会が原因だとは思いません。多分俺のメンタルが弱ってる時期に差し掛かってるんっすよ」
「鈴理が情事の最中、テメェにトラウマでも植え付けたんじゃね?」
皮肉った第三者の声。
顔を上げれば俺の隣に大雅先輩が立っていた。失礼しますも何も言わず俺の隣を陣取ってくる大雅先輩は、割り箸を割ってカツ丼を掬い取っている。
機嫌が急降下したのは鈴理先輩。
「なんであんたが此処に来るんだ。余所で食え、余所で」
あたし様の御命令に大雅先輩はフンッと鼻を鳴らした。
「俺が何処で食おうとカンケーねぇだろ? それに豊福は俺とダチになって下さいって頼んできたんだ。一緒に食ってやらんと、先輩の面子が立たないだろ。な?」
ナニ、そのいかにも俺が大雅先輩を尊敬しているような口振り。
相変わらずの俺様っぷりに引き攣り笑いする俺は、「そうっすね」メンドクサイことにならないよう相槌を打つことにした。限りなく棒読みだったけど、俺の努力は認めて欲しい。
「だろ?」ニッと笑う大雅先輩は俺の背中をバシバシ叩いて、弁当の中に入っているダシ巻きを取っていった。
ちょ、それ、先輩が俺に作ってくれたダシ巻きっ、楽しみに取っておいたのに!
ががーん、ショックを受ける俺を余所に大雅先輩は鈴理先輩の弁当からもダシ巻きを取っていく。玉子焼き系が好きらしい。
鈴理先輩は傲慢な態度を取る大雅先輩に呆れつつ、「先ほどの発言の意味は?」と問い掛け。
ダシ巻きを咀嚼する大雅先輩は、「だから」割り箸で先輩を指した。
「鈴理がスッゲェえげつないセックスをこいつとしたから、こいつのメンタル面が弱っているんじゃねえの? シたんだろ。この前の休日に」
「シ、シてませんよ大雅先輩! 今も俺と先輩は健全に」
「豊福のここ、キスマークだらけだぜ? んー?」
大雅先輩がニヤッと口角をつり上げて、俺の首筋を割り箸で指してくる。
お行儀が悪いです、大雅先輩。なんて言えず、俺は頬を紅潮させて「これはその、」ちょっとした戯れがありまして、とモゴモゴ。恥ずかしさで身を小さくする俺に大笑いする大雅先輩は、肘で小突いてきた。
「とかなんとか言って、ヤられちまったんだろ? どんな情事だったのか、後でこっそり教えろよ?」
だから違うと言っているのに!
カァッと顔を赤くしてダンマリになる俺は、取り敢えず食べることに集中した。美味しいよ、この胡麻和えサラダ。美味しい、超美味しい。ブロッコリーとかマジ美味い。
一方鈴理先輩はド不機嫌で、「次こそ食ってやる」と意気込んでいた。これだけで大雅先輩は察したんだろう。
「なんだ。逃げられたのかよ。マジダッセェ」
ゲラゲラ笑声を上げた。
煩いと先輩は大雅先輩の丼からカツを取り上げて、口に押し込む。
「あんたこそ、さっさと百合子をものにしたらどうだ? ここぞとばかりにドヘタレをかますくせに」
「っ、べ、別に百合子はカンケーねぇだろ……それにテメェも知ってるだろうが。あいつは兄貴の許婚だ」
驚愕の事実。
え、嘘、宇津木先輩も許婚がいたのかよ。財閥の子息令嬢って絶対に許婚を作らないといけない規則なのか?
しかもお兄さんの許婚。ということは、え、大雅先輩ってお兄さんの許婚さんに恋慕を抱いて?
「奪ったらいいだろう」
憮然と言う先輩に、「出来たら苦労しねぇよ」大雅先輩は苦笑を漏らしてカツとご飯を掻き込んだ。
「それに、あいつを困らせたくねぇよ」
取って付けた弁解に、鈴理先輩はちょっと間を置いて「あんたらしくないな」苦笑いを返した。
「かもな」大雅先輩は肩を竦める。なんか聞いちゃいけない会話を耳にして居た堪れなくなったんだけど。
「んでもってあいつは、あれだ。兄貴だって苦労する趣味の持ち主だからっ……あー…あの趣味は俺も理解しかねる」
「え? 宇津木先輩って、変な趣味をお持ちなんっすか?」
「なんだ知らないのか?」大雅先輩が意外だな、と俺を見つめてくる。
「空は知らなかったな」鈴理先輩も俺を見てきて、まあ空なら言っても大丈夫だろ、とこっそり宇津木先輩の素性の一部を教えてくれる。
「あいつは腐女子なんだ、空」
……ふじょし?
目をパチクリさせる俺は「なんですかそれ?」右に左に首を傾げる。
無知な俺に先輩は懇切丁寧に教えてくれた。曰く、宇津木先輩は隠れ腐女子でボーイズラブというジャンルが大好きらしい。ボーイズラブってのは男同士でイチャコラする恋愛ジャンルだとか。
そういや先輩に一度教えてもらったことがあるけど、でも、それが苦労する趣味に繋がるんだろうか? だって人の趣味なんて人それぞれじゃん。他者がどうこう言う筋合いなんてないと思うんだけど。
宇津木先輩がそういう趣味を持っても俺は、なんとも思わないよ。
俺の率直な疑問に、「何も知らない奴はいいよな」大雅先輩はガックシ項垂れた。
「テメェ、知らないだろ。あいつに妄想されてる哀れな男共の話を。俺や兄は勿論、テメェも被害者なんだぞ」
「へ? ……え゛、俺も妄想されているんっすか?」
だって俺、既に鈴理先輩との妄想で引っ張りだこなんだけど。
「ふっ、この話は仕舞いしようぜ。俺が泣きたくなる」
くらーいくらーい声で言われたから、俺はコクコクと頷いて話を打ち切ることにした。
詳細を聞きたいような気もしたけど、触らぬ神に祟りなし。俺自身のためにも今の話は無かったことにしよう。そうしよう。
話は戻し、大雅先輩は俺に高所恐怖症の話題を振ってくる。
「真面目に話をするがお前、高所恐怖症が酷くなったって……単なるメンタル面の話か? 情緒不安定なら今までだってあっただろ?」
「そうなんっすよね。でもほんっと、階段の高さが怖くなっちゃって。上れるけど、下りる時が……あ、下りられないってことはないんですよ。ゆっくり手摺を掴んで、下を見ないよう努力すればなんとかなります」
「そうは言ってもこの学院は五階建てだぞ? 階段の上り下りは多々あるだろうが」
「不味い……っすよね。どうしよう」
肩を落とす俺に、
「焦ってもしゃーないよな。じゃあ、ちょい時間を置いてみたらどうだ?」
大雅先輩が助言してくれる。
もしかしたら時間が解決してくれるかもしれないと大雅先輩はフォローしてきてくれる。同じように鈴理先輩も「時間が経てば元に戻るさ」と笑みを向けてきてくれた。
それもそうだよな。焦ってもしょうがないし、時間が解決してくれるかもしれない。
長年高所恐怖症と連れ添ってきたんだ。簡単に克服することなんて無理だろう。
二人の助言を素直に聞きいれて、時間が解決することを待つことにした。
大丈夫、きっと時間が解決してくれる。長い目で見て取り敢えず、1ヶ月様子見してみようかな。
「あ、そうだ。どーしても階段が下りられなかったら、鈴理に頼めばいいじゃねえか?」
「え?」間の抜けた声を出す俺に、ニンマリと大雅先輩。
「姫様抱っこで一緒に下りてもらえよ。学校の名物になんじゃね?」
カラン。
箸を滑り落とす俺の向かい側で、「それは名案だ!」鈴理先輩は目を爛々とさせて手を打った。高所が恐怖というのならば、高所に良き思い出を作ればいい、彼女は指を鳴らして俺に言う。
「早速この後してやるからな。安心しろよ」
い、嫌だ。絶対に嫌だ
良い思い出どころか、別の意味でトラウマになっちまうから! 身震いする俺に大雅先輩は大爆笑、鈴理先輩はしたり顔を作って虎視眈々と獲物を見つめてきた。
畜生、大雅先輩の余計なヒトコトで俺、この後全力で逃げないといけねぇじゃんかよっ、ド阿呆! 大雅先輩のドアホーウだ!
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