02.当たり前になっていた
ケッタイなやり取り提案はあったけど実際は何事もなく、俺達は昼休み終了のチャイムと共に各々教室に向かった。
鈴理先輩と途中で別れた後、大雅先輩と階段を上っていく。平然と階段を上る俺を横目で見る大雅先輩は「上りは本当に平気なんだな」と話題を切り出してきた。
こっくり頷いて、俺は踊り場で足を止める。
「上りは全然平気なんっす。怖いなんて微塵も思いません。ただ……」
そっと振り返って俺は急斜面を怖々見下ろす。
なんでもない急斜面の下を見るだけでぐらっと視界が揺れた。二重三重にぶれる視界と多大な恐怖に、俺は思わずよろめく。
なんだ、なんなんだ、この恐怖感。
下を見るだけで鼓動が変に高鳴る。眩暈、それに耳鳴りが。口内がカラカラに渇き切っていくような。
「おっと」
後ろに倒れそうになった俺を受け止めてくれた大雅先輩は、本当に重症だなと微苦笑を零した。
ハッと我に返った俺は、「すんません」上体を戻して頭を下げる。
気にする素振りも見せない大雅先輩は、取り敢えず階段を上ってしまおうと肩に手を置いてきた。
小さく頷いて俺は彼と共に階段を上りきる。
さっきの恐怖感がまだしこりとして心中に留まっていたけど、気のせいだと思い込んだ。そう思い込まないとなんだか、スッゲェ悔しいんだ。ほんとうに悔しい。
階段を上りきった後、大雅先輩は素朴な質問を向けてくる。
「テメェの高所恐怖症ってさナニからきてるんだ?」
躊躇したけど俺は大雅先輩に打ち明けることにした。
幼少の時、ジャングルジムから落ちて頭に大怪我を負ったことがトラウマになっているからなんじゃないか、と。
トラウマが恐怖症を引き起こしているには違いない。それは断言できる。
だけど打ち明けた内容に大雅先輩は釈然としない態度で質問を重ねた。
「んじゃ、テメェ、高所恐怖症が酷くなる前に頭でも打ったのか?」
「いえ、そんなことないっすけど。あ、竹光さんに投げ飛ばされたような。んー、だけどこれが原因とは思えないんっすよね」
まったくもって自分自身のことなのに謎い。何が原因で症状が悪化してしまったのだろう。
うんぬん悩んでいると、「案外答えは近くにあるんじゃないか」と大雅先輩。彼を流し目にすれば、可能性として言っているだけだと肩を竦める。
「まあ、こればっかは本人が乗り切るしかねぇからな。俺がどうこう言っても……なあ?」
「そうっすね」
苦笑する俺に大雅先輩はまたクエッション。高所恐怖症を治したいと思ったことはあるか?
豊福アンサーは当然イエス。
だってこれが治れば、普通に窓際の席だって陣取れるし、景色だって悠々見られるし、それに遊ぶ幅だって広がると思うんだ。田中さんから聞いた話、先輩は遊園地が好きらしい。観覧車が特に好きだとか。
だけど俺がこんなへなちょこなばっかりに、遊園地に行きたいとかそういうお声はヒトコトも聞いたことがない。寧ろ好きだって事も知らなかった。遊園地に乗れる乗り物が少ないもんな俺。
「お前さ、ほんっと鈴理が好きなんだな」
不意打ちに、俺は目を丸くした。
「声に出てる」
指摘されて俺は今考えていた事が大雅先輩に筒抜けだったことを理解。
慌てて口を閉ざしてみるけど、時既に遅し。
大雅先輩は「あいつはマジで観覧車が好きだぜ」と苦笑い。付き合われて何度も乗ったことがあると教えてくれた。
ちょいそれに嫉妬する俺がいたけど、態度には出さなかった。
嫉妬したところで俺が先輩にしてやれることなんて何も無い。一緒に観覧車に乗れるわけでもない。
「そんなに好きなんっすか? 鈴理先輩」
「ジェットコースターよりも好きだぞ。なんでも、観覧車のてっぺんで見た景色が絶景なんだと。俺には街がちっちゃく見えるだけなんだけど、あいつは乗る度に感動してたよ」
……高所恐怖症じゃなかったら、先輩を喜ばすことができたのかな。
俺は口をへの字に曲げて思案にふける。
そしたら大雅先輩がまた一笑して、「どんだけ鈴理が好きなんだよ」と肘で小突かれた。
どんだけ好きかってそりゃあ、恋人なんだし……いやでもお互いを知るために付き合い始めたわけだけど、気に掛ける人ではあるよ。好きか嫌いかって聞かれたら、そりゃあ好きだ。
でも先輩と同じ気持ちに達しているかどうか。
俺の言葉に大雅先輩は意味深に鼻を鳴らし、「実は俺さ」重く口を開く。
「鈴理とキスしたことがある。俺もあいつも、お互いに好奇心でファーストキスを捧げたんだ。」
「へっ、え、う……嘘っすよ! だって先輩っ、俺が最初って」
とんでも発言に思わずオロオロ狼狽。
嘘、だって先輩、ファーストは俺だって、ま、まさか気を遣って嘘をついたのか? いやでも、そんなことない。彼女に限ってそんなこと「ぷははっ!」、大雅先輩が清々しく大爆笑してきて下さった。
おい、まさか今の……。
「ダッセェ豊福。引っ掛かってやんの」
「大雅先輩、騙したっすね!」
「だってテメェが嘘ばーっかつくから? ちょい苛めてやったんだよ。そんなに動揺しておいて、まだ鈴理のこと好きって認めてないのか?」
だったら強情な奴だと意地悪い笑みを浮かべて、大雅先輩はじゃあなっと手を挙げて自分の教室に戻って行く。
俺はといえば足を止めてポカンと彼の背中を見送る他術がない。大雅先輩の仰るとおり、俺、今すっげぇ動揺した。
それってやっぱ俺が先輩の彼氏だからなんだけど、それだけじゃない。
嫌だと思った。鈴理先輩と大雅先輩がキスした、その事実が嫌だって思っちまったんだ。先輩が俺とファーストだっていう事実に安堵していた分、ショックが大きくて。
あれ、俺、鈴理先輩のこと、困った攻め攻め女だって思っているけど、思っている以上に好きなんじゃ。
キスだって拒むことは無くなったし(TPOは考えて欲しいけど)、男の自尊心が傷付けられつつも、先輩が男ポジションで喜んでくれるならって、渋々女ポジションを譲っている。
セックスはごめんなさいだけど、でもいつも傍にいたいと思っている。
寂しそうな先輩を見たら尚更、支えになりたいと思う俺がいる。
純粋に先輩の傍にいたいと思う俺が、俺が、おれがいる。
俺は、おれは彼女のことが。
そっか、俺は先輩が好きなんだ。もうとっくに落ちてたんだ。
お得意の逃げで向き合う事を拒んでいたけど、俺はとっくに落ち掛けている、じゃなくて、落ちているんだ。鈴理先輩に。
自覚しちまえば、案外答えはスンナリと出てくる。
アジくんに助言されて付き合いは始めた俺等だけど、今は、俺の意思で先輩とちゃんとお付き合いしたい。
ああっ、どうしよう、俺、好きなんだ。
大雅先輩に発破かけられて気付いた。俺、鈴理先輩が好きなんだ。本気で恋しちまっているんだ。
佇む俺はひとりで頬を紅潮させながら、人気の無い廊下まで逃げることにした。
今はこの顔、誰にも見られたくない。
フライト兄弟には特に見られたくないぞ、この顔。
(先輩が好きって改めて自覚すると、なんか小っ恥ずかしいな)
廊下を駆けながら、俺は自分の気持ちを相手に伝えるかどうか考え始める。
彼女をハッキリ好きって自覚した今、俺はいつまでも俺の気持ちを待たせている彼女に想いを伝えなければいけないだろう。
でも、まだ、まだ俺には欠けている気がする。
彼女を告白するに当たっての、感情がまだ欠けている気がする。想いが弱いっていう表現もおかしいけど、まだ何か足りないんだ。
だけどナニが足りないんだろう? グルグルと思案を巡らせ、俺はひとつの結論に達する。
「観覧車……先輩好きって言っていたな。俺も一緒に乗りたいな」
鈴理先輩が観覧車の絶景を目にした時、彼女はどんな風に喜んでいるんだろう? 大雅先輩は何度も見ているらしいけど、俺は一度も目にしたことが無い。なんか損している気分。
高所恐怖症さえ治しちまえば、俺だって……俺だって。
「やるっきゃないか」
いつまでもこいつと連れ添うわけにもいかないもんな。
俺は本気モードになって握り拳を作った。そうと決まれば、早速原因探しだ。
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