18.終了、そして。
「先輩、テレビ電話ってどうするんっすか? テレビと電話って一緒になっているもんなんっすか?」
「ふふっ、ほんとに空は機械音痴だな。だからこうして」
只今、車内で俺は携帯の講義を受けている。
先輩が今日テレビ電話を掛けてみるから取ってくれと言うんだけど、俺からしたらテレビ電話? なんじゃらほいそれ? って気分だ。
電話しながらテレビが観られるのか、それともテレビを観ながら電話ができるのか、機械にチンプンカンプンな俺は首を傾げるばかり。
そんな俺を笑って、先輩はテレビ電話の意味を教えてくれる。
なるほど、相手の顔を見ながら電話できるってわけか。先輩曰く、今日の夜は空の顔が見て電話をしたいらしい(多分寂しいからだろうな。明日も会うというのに)。
はー、今の携帯はそんなこともできるんだな。感心感心。
「空。ジジくさい台詞だぞ」
先輩にまた笑われて、俺は仕方がないじゃないですか、と脹れ面になった。
マジで機械わっかんねぇんだもん。
「とにかくテレビ電話掛けてみるから」
先輩は絶対取れよ、と俺にプレッシャーを掛けてくる。
そんなこと言ったって、なあ。
取れるかどうかは分からないけど、努力はするよ、努力は。携帯を閉じて窓際に置いた俺は「取り敢えず頑張ります」と苦笑い。
「できなかったら仕置きだぞ」なーんて脅してくるもんだから、マジ勘弁だ! ほんっと、仕置きとかそういう台詞好きなんだから。
しかも仕置きの意味合いが大体不謹慎なもんだから、はぁあ、先が思いやれるな。
携帯の講義が終わり、他愛もない話題で和気藹々と会話していた俺は運転手の田中さんに声を掛けられて顔を上げる。
俺のアパート前が窓向こうに見えた。到着のようだ。
鞄を肩に掛けた俺は下車して、「お世話になりました」先輩と運転手の田中さんに頭を下げる。またお邪魔しますから、先輩に綻べば、「当たり前だ」絶対に来い、と命令口調。
「おっ?!」ガッチリ後頭部に手を回して、衝突するようなキスを送ってきてくれた。
真っ赤に赤面する俺はかんなり動揺。勢い余って天井に頭をぶつけた。
アイデデッ、頭部を擦りながら大抗議する。
「なっ、何するんっすか、せ、先輩! 田中さんそこにいるっすよ!」
「誰がいたっていいではないか。公開ちゅーなど、学校では日常茶飯事だしな」
そういう問題でもない。田中さん、無言で微笑を作っているし。
「あーもうっ!」俺は真っ赤っかになってまた明日お会いしましょうと逃げるように、車の扉を閉めた。愉快犯は窓を開けてまたな、と、したり顔。
畜生、俺の反応を楽しんでくれちゃってからにっ、ドドドドド意地悪だ。
夕陽もびっくりな赤面で、「今日待ってますから」テレビ電話の件を伝える。「待ってろ」先輩はニヤリと笑って田中さんに出すよう指示。
車から離れて、俺は見送りに立つ。
「ったくもう……人目も気にせず……めちゃくちゃにしてくれるんだから」
ブツクサと文句垂れていたら、車が停車した。
なんで停車するんだろう? 何かあったのかな? 首を傾げていたら、「大馬鹿者め!」下車してきた先輩から盛大に怒られた。
え、なんでいきなり怒られ……瞠目していると先輩がなにやら手を翳してきた。
あれは俺の携帯?
……やっべぇ、携帯の講義を受け終わった後、窓際のポケットに置きっぱなしだったけ。
「これではあんたに連絡できないではないか! まったく、あたしに届けさせようとするシチュエーションか? それとも別れのキスを強請ってきているのか?」
ずんずん歩んでくる先輩に、「うっかりっす」片手を出してとお詫び申し上げた。
本当にうっかりミスで忘れただけです先輩。貴方様が思い描く妄想乙女シチュエーションではないので宜しくです。
俺の前に立ってくる先輩は、右手首を掴んで裏を返し、「携帯は常に持っておけ」と手の平にそれを押し付けてくる。
「すんません」苦笑を零す俺は、携帯を受け取ってポリポリと頬を掻いた。
「仕切りなおしだな。もう一度キスしてやる」
腰を引き寄せてくる先輩に、「ちょっ、此処では」俺は大慌てで恥らってみせる。
だってご近所だぞ。俺の家のご近所だぞ。
ちゅーなんてして、もしも誰かに見られたら俺はご近所と合わす顔がないっ!
だけどそこは鈴理先輩、強引にキスしてきて下さった。
顔がマジやばくなったのは言うまででもない。嗚呼、真っ赤以上の表現って何があるんだろうな。ディープキスじゃないだけマシだけど、それにしてもああっ、恥ずかしい。
しかも愉快そうに人の顔をジロジロ見てくるもんだから、もっと顔が赤くなる。
「ふふっ、そそる顔だな」
「……もっと別の言い方にしてくれません?」
「では鳴かせたくなるエロいか「やっぱいいっす!」
俺の絶叫と同時に、後ろからつんざくようなクラクションが聞こえた。
え、何がっ。
驚く俺の体が壁側に引き倒されたのは直後のこと。
目を白黒させる俺を余所に、「まったく!」壁に押し付けながら俺の体を庇う先輩は盛大に舌打ちを慣らした。
先輩曰く、俺の後ろからやって来た車が猛スピードで駆け抜けていったとか。
向こうは脇見運転をしていたらしく、ガンガン音楽を鳴らしながら携帯をチラチラ見ていたらしい。俺等の存在にすぐ気付けず、クラクションを鳴らして退くよう命令してきたらしい。
「マナーがなっていない」
フンッと鼻を鳴らす先輩は、大丈夫かと俺の顔を覗き込んできた。動揺しながらも、俺は曖昧に笑う。
「と、突然のことだったんで、ちょっとびっくりしてしまって。でも大丈夫っす。ありがとうございます、先輩。助かりました」
「いやいいんだ。ほんっとああいう輩を見ると腹が立つな。運転手は見るからにチャラ男だったし。ああいう男は掘られてしまえばいいんだ」
掘られるの意味がイマイチ分かっていない俺は、取り敢えず憤慨している先輩を宥める役目に回る。
運転手の田中さんも一部始終を見ていたのか、血相を変えて俺達の下にやって来た。大丈夫だったか、轢かれなかったか、問い掛けに先輩はフンとは鳴らして地団太を踏んだ。
「あいつを叩きのめしたいっ! マナーを守らん奴はあたしが天誅を下す!」
そう怒りを露にする先輩に、田中さんはホッと胸を撫で下ろす。無事だって分かったんだろう。俺と同じように苦笑を漏らしていた。
一騒動があったけど俺は無事に先輩と別れ、早足でアパートに向かう。
びっくりした。
あんな狭い道でまさか車が猛進してくるなんて……、怖いよな。狭い道だっていうのに携帯を弄くって脇見だなんて。
向こうは小さなことだって思うかもしれないけど、小さなうっかりが大事故に繋がるんだ。
俺の両親だって交通事故で、交通事故で。
ほんっと道端で話していた学生の俺等を轢いてしまったら、どうしていたんだろうな。あの運転手。一度奪っちまった命は、絶対に戻って来ないっていうのに。
先輩が咄嗟の判断で壁際に寄せてくれなかったら俺、車とぶつかっていたかも。
それだけじゃない、先輩だって轢かれていたかもしれないんだっ。
先輩が壁際に―……。
“危ないっ、久仁子! ……兄さんっ、義姉さんっ!”
寄せてくれなかったら、
“誰か、誰か救急車をっ! 車に轢かれたっ!”
それだけじゃない……、先輩や俺だって……。
“お父さん……お母さん……なんで向こうで寝て……血が出て”
……?
階段にのぼろうと段に足を掛けた俺は、動きを止めて痛むこめかみを擦った。
何だ今の。脳裏に会話……会話が……今のは一体。
急に襲ってきた頭痛に耐えるために瞼を下ろせば、薄っすらと蘇る光景。あれは、えっと車と、人盛りと、それから道路に。それから、それから。
それから、俺は何を忘れているのだろう?
ゆっくりと瞼を持ち上げて、俺は誘われるように振り返り、茜空を見上げる。
何かを忘れている俺を、叱咤するように空がこっちを睨んできた。あまり優しい顔じゃない。
ふわっと吹き抜ける冷たい夕風を体で感じながら、俺は日が完全に暮れてしまうまでその場で佇んでいた。
日が俺にそっぽ向いて沈んでしまうまで、いつまでも。
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