12.サバイバル中盤(貴方の本音)
夕食後。
美味しいデザートのプリンを食べ終わった俺は、暫し先輩とダイニングルームで談笑を続けていた。
姉妹さん方ともちょいちょい会話を交わしながらの談笑は楽しかった。先輩は姉妹と一線引いているけど、話してみれば悪い人じゃない。寧ろ愉快な人達だ。
けど先輩自身が疎外感を抱いているから、彼女は姉妹とあんまり喋らない。俺が交じってもそれは変わりなかった。
しょうがないことだと思う。
こればっかりは先輩自身が、家族に対する見方を変えないと。
例えていうのならば、先輩の家族に対する考えは俺が高所恐怖症を乗り越えるようなもの。
俺が高所に対する見方を変えない限り、トラウマは乗り越えられない。先輩はそれと同じだ。
極力先輩と話すよう努めながら、竹之内家四姉妹と談笑していると、ノック音。
中に入って来たのは、いかにも紳士的な中年男性と、優しそうな中年女性。彼等が四姉妹のご両親だっていうことはひと目で分かった。だって先輩達が一斉に立ち上がったんだもん。
……これは、俺も立つべきなのだろうか? いやでも、タイミングを逃して……ああっ、どうしよう。
オロオロするヘタレを余所に、四姉妹はご両親に会釈。
ご両親も会釈を返して、オロオロとしている俺に挨拶をしてきた。
「こんばんは。鈴理から聞いていますよ豊福空さん。いらっしゃいませ」
そう挨拶してくるのは先輩のお母さん。名前は確か桃子さんだ。
朗らかな挨拶に続いて、先輩のお父さん(名前は英也さん)も「こんにちは」すっごく優しそうな笑みで挨拶してきてくれた。金持ちのイメージ(俺の金持ちご両親のイメージ『意地悪/うちの娘と別れんか!/この貧乏人が!/金目当てか?』etc...)からかけ離れている。
良かった、ちょい安心。
ほんっと俺って昼ドラの見過ぎだよな。金持ちが意地悪とか、そういった固定観念は捨てるべきだ。ホッと胸を撫で下ろして、俺も挨拶を返す。お邪魔しています、と。
ご両親は俺に笑みを向けた後、先輩のお父さんが先輩に話を振った。
「彼が鈴理のボーイフレンドだね。彼にはご迷惑を掛けないように。それと、遊びもほどほどにな」
「お、お父さま。鈴理は本気で彼とお付き合いしていると仰られていましたよ。私、咲子はしかと耳にしておりました」
……あり?
「そうよ。鈴理。何事も程ほどにね」
「……お母さま。鈴ちゃん、あんなに話してたじゃんか」
「毎日話されていたのに、その言い草はあまりですよ」
俺と鈴理先輩の関係、ご両親の中じゃ遊びになっているのか?
あれれ? ボーイフレンドと言われているし。彼氏とは思われてないのか? それとも先輩が関係を話してなかったり?
目を点にする俺の隣で椅子の引く音が聞こえたのはこの直後のこと。
犯人は勿論、鈴理先輩。
「ボーイフレンドではなく彼氏です」
素っ気無く返す彼女は、俺の腕を掴んで強く引いてきた。
「父さまや母さまに何度も話したのですが、やはり記憶にないようですね。ではもう一度申します。あたしは真剣に彼とお付き合いしております。なので、遊びという発言は撤回して頂きたいです。あたしも、彼も、真剣なのですから。
――分かっていました。あたしの話に興味のないことくらい、分かっていましたよ。ですが今の発言は我慢なりません。あたしに対してでなく彼にも失礼なのですから」
そのまま歩き出すもんだから、俺は椅子から転げ落ちそうになる。
どうにか体勢は整えたけど、先輩は家族に見向きもせずさっさと歩き出す。ということは、俺も歩みを開始しなければならなくなるということで。
「す、鈴理。ちょっと待って」
先輩のお母さんの声に反応しない。
彼女は俺の腕を強く掴んだまま、扉を勢い良く開けて逃げるようにダイニングルームから出てしまう。
姉妹の呼び止める声にも、ご両親の声にも反応しない先輩は、ただただ俺の腕を逃がさぬよう掴んだまま、さっさと早足で回廊を突き進んでいく。
痛いほど腕を掴んでくる先輩の手が震えていることに気付いたのは、暫し回廊を歩いてからのこと。
無言で歩く彼女の後姿を見ていた俺だったけど、そっと先輩の名前を啄ばむ。
すると鈴理先輩は足を止めて、「すまないな」振り返る事無く俺に謝罪してきた。その謝罪は上擦っていた。
「遊びなどと言われたくなかったから、二週間ほど前から、そう空と約束を取り付けた日から毎日のように両親や姉妹に話していたんだ。彼氏のあんたのことを。毎日まいにち、好きなことをあたしなりに必死になって話していたんだが。結局、理解してくれたのは姉妹のみ。両親には届かなかった。信じてもらえなかったようだ。日頃の行いが祟っているのかもしれん。期待されていないからこうなる。分かってはいたんだ。だが、あんたには迷惑を掛けてしまったな。不快な思いをさせてしまった。すまない」
「先輩……」
「だがな、空。あたしは、一度だって、いちどだって」
一向に振り返ってくれない先輩は、気丈にこの話は終わりだと言い放った。上擦った声音のままで。
俺は軽く目を伏せた後、歩みを再開しようとする先輩の手を握り返して制した。「なんだ?」まだ振り返らない先輩に、俺は優しく伝えた。
「先輩はいつだって俺に対して真剣だった。それは俺が一番知ってます。俺を好きだと、こんなにも好きだと言ってくれている。俺にはちゃんと伝わってますっす。理由を付けて逃げてバッカだった俺に好きって言ってくれた貴方の気持ちは、俺に届いてます」
「………」
「届いているから、誘ったんっすよ。冬の天の川、一緒に見に行きましょうって。届いてるから、俺は先輩に男ポジションを譲っているんっすよ。届いているから、俺は今、貴方の傍にいるんです。気持ちだって傾きかけている。貴方に落ちようとしている、俺がいるんっす」
ねえ、先輩。
貴方が俺に教えてくれた。周囲の目なんて微々たるものだと。
身分バッカ気にする俺に、浮気心を持つなと言って気にするなと笑ってくれた。
だから俺も言いたい。
誰が何と言おうと、貴方の気持ちは俺に届いている。
貴方が遊びで俺に近付いた。最初こそ、そう思っていた時期があった。身分身形その他諸々のことを気にしていた俺だ。物珍しさに近付いてきたのかと思っていた時期があった。
でも、今は違う。
貴方は俺を好きと言ってくれた。困った攻め攻めを見せてくれるくらい、好意を寄せてくれた。何よりも俺の傍にいてくれる。
「俺は貴方の気持ちを信じています。例え、貴方のご両親に言われようとも遊びで傍にいてくれているなんて一抹も思いません。だから、安心して下さい。俺は貴方の気持ちに疑心なんて抱いてませんよ」
沈黙。静寂。閑寂。
どれが似つかわしい言葉だろう。俺は静まり返る空気に抱かれながら、相手の反応を待つ。
ただひたすら前を見つめている彼女は、微動だにせず佇んでいたけど、不意に歩みを再開する。
俺は黙って相手の歩調に合わせた。
ちょっと後ろを歩きつつ、ダンマリの先輩と足並みを揃える。きっと腕には先輩の手形がついているだろう、その握ってくる握力の強さに痛みを感じながら、俺は先輩と回廊を歩き続けた。
何処に向かっているか? それは先輩の御心のままに。
どれほど歩いたのか、見慣れない回廊をひたすら歩き続ける先輩は、外界が見える渡り廊下を渡り始めた。
夜風が吹き抜ける渡り廊下の向こうに見えるのは、池? いや水辺? 末端ではテラスのような場所が俺達を待ち構えていた。
そこのほとりで、俺と先輩は腰を下ろす。
縁に座っているから、俺の足元ちょい先には張られた水面が顔を出している。
そしてそれは夜風に吹かれて小さく波立っていた。外灯があるから、視界はそんなに悪くない。テラスの周りに植えられている花々から隅から隅まで結構見えていたりする。向こうに花達は静かに眠っているように思えた。
寝息を立てているであろう花達を恍惚に眺めて、「綺麗な場所ですね」俺は相手に話し掛ける。
返事はそんなに期待していなかったけど、「お気に入りの場所なんだ」ようやく先輩は重い口を開いてくれた。
「何か嫌な事があったら、水辺のテラスに来て気持ちを落ち着けるようにしている。水を見ていると落ち着くんだ。此処でうたた寝なんかもよくする」
「風邪ひくっすよ。そんなことしたら」
「そのことではばあやによく叱られる」
やっと微苦笑を零すまでになったらしい。
先輩は困ったように笑った。
そしてさっきの詫びを、ここでもう一度告げてくる。
俺はその詫びを受け取らず、ちょい彼女の心に踏み込んで、「先輩は寂しかっただけっすよね」話題を切り出した。
「俺には兄弟とかそういうのがいないっすからよく分かんないっすけど、でも何かと家族同士で評価とか、期待とかで格付けされたら寂しいと思います。そしてご両親に思いが伝わらないってのはもっと寂しいもんだと思うっす。さっきから思っていましたけど、先輩、ご家族と一緒にいる時は凄く寂しそうっす」
それを見ていた俺も寂しい気持ちになった。
苦笑いを零して彼女の瞳を見つめる。
こっちをジッと見つめ返してくる先輩は、ちょい困惑した目で「なんで分かるんだろうな」参ったと潔く白旗を挙げた。
先輩は教えてくれた。
期待に応えられない自分も嫌だったけれど、それ以上に家族同士で期待のランク付けをされるのが嫌だったんだと。
昔はそんなこともなく、家族で和気藹々と談笑していたのに、いつからその時間さえ期待のランク付け会合になってしまったのか。
上下を決めてしまえば、必ず疎外感を抱く者がいる。自分がそうだ。期待に応えられない自分は両親にとって不要物なのではないかと疑念を抱くことも多々。
一体今、自分はなんのために習い事こなしているのか。此処にいるのか。竹之内家三女として居座っているのか。分からなくなってしまう事があるという。
ポツポツ吐露する彼女は、「令嬢なんてやめてしまいたい」そっと弱音を漏らした。
「財閥でなければ、もう少し居心地の良い家庭だっただろうに。それに財閥のため、令嬢として習い事ばかり。時間に追われてばかりだ。正直に言うと性格上、あたしの肌には合わない生活だ。本当の意味で家族や自分の時間が欲しいよ。と、こうして環境に卑屈になってしまっても仕方が無いのにな。空とは大違いだ」
「そんなことないっすよ。情けない俺をさっき見せたでしょう? 結構卑屈になってますよ。親の前じゃ絶対出さないだけで、取り巻く環境や周囲のことで卑屈になったり、内心で金があればぁああ! とか思ったりすることも多々っす。先輩と同じっすよ」
「そうか」「そうっす」顔を見合わせて、笑声を漏らした。
生きる環境が違っても、案外悩みって共通してたりするもんなんだ。
貧乏学生の俺も、金持ち令嬢の先輩も、家庭環境で一喜一憂している。
勿論、卑屈だけじゃなくて、この環境で良かったって思えることも沢山ある。先輩もきっと一緒だ。
ただ大人になるにつれて世界の視野が広がり、伴って感情も複雑化していく。
だから卑屈になることも多々。子供の頃よりも多くなる。それだけなんだ。
やっといつもの先輩らしく笑ってくれてホッとしていると、「空は不思議な奴だな」彼女は俺にこうのたまった。
「絶対に話したくない弱い一面まで、あんたになら話してしまう。不思議な奴だ」
それはお互い様だ。
「俺だってそうっすよ」目尻を下げて、語り部になる。
「高所恐怖症のことも、両親のことも、今まで誰にも話したこと無かった。家庭環境での卑屈だって、先輩が初めてっす。先輩は本当に不思議な人っす。いつの間にかこんなにも心に入り込んでいるんっすから――だから、ねえ、先輩。もっと先輩に触れてみてもいいっすか? 体じゃなくて、先輩の心に。俺はもっと貴方のことを知りたい」
初めて伝える、俺の欲情。
優しい夜風とあったかい外灯の光、そして目を削いでいる先輩の面持ち。全部が全部、水辺のこの世界に溶け込んでいる気がした。
俺達を映し出している水面が、俺の台詞に恥ずかしそうな顔をして波打っている。
同じように先輩も不意を突かれたような顔をして、やや赤面。
「それはあたしが言う台詞だ」
ナニをカッコつけて言っているんだと毒づかれる。
「空は受け身男なのだぞ、そういう台詞を聞いて胸キュンする立場なのだぞ、ええい、なんだこの敗北感」
ぶうたれている先輩に、「たまにはいいじゃないっすか」今だけ男のポジション譲って下さいよ、と苦笑する。
「絶対にヤダ」
フンっと鼻を鳴らすは、頬を赤らめたまま自分は攻め女なんだと大主張。
攻める立場であって、攻められる立場ではない。ああないとも。ケータイ小説のイケメン男子のようにカッコイイことを言うのは自分なんだと。胸キュンさせるのは自分なんだと。
ということは、先輩。
今の俺の台詞に胸キュンとかきちゃっているのかな?
赤面する珍しい彼女の姿に笑っていると、「くそっ」まだ悔しそうに舌を鳴らす先輩が俺の手を掴んできた。
ぎゅっと握って距離を詰めてくる様子に、俺は新たな一笑を零す。先輩なりの照れ隠し攻めなんだろうな。手を握り返して俺は彼女に仕掛ける。
「また家族のことで寂しくなったら、俺のこと、思い出して下さいね。先輩は不要物じゃない。俺には必要な人です」
強く手を握り締められた。返事はない。期待はしていなかった。
返事がなくたって分かるんだ。先輩は今、きっと悔しそうに赤面しているに違いないんだから。熱が帯びる結ばれた手をそのままに、俺はただただ先輩と水辺のテラスで時間を過ごしていた。
ゆるやかに流れる時間の中で、俺達は手をいつまで結び合っていたんだ。いつまでも、そう、
「うああぁあああやはりあたしが攻める方がいい! なんでこんな小っ恥ずかしい思いをしないといけないんだ! 空、あたしに今触れたいと言ったな? だったらあたしもあんたに触れる権利はあるだろう! というか、権利はある! 所有主なのだから!」
いつ……ま、でも、そうだったら良かったのにね!
「先輩っ! なんでイイムードを自分から打ち消すようなっ、ど、どっこ触っているんっすか!」
「空の腰だ! ついでに背中も触ってやる!」
「ぎゃっ、先輩のエッチィイイ! 服の中に手を突っ込むとか論外っす! 俺は先輩の心にっ、触りたいっ、うひゃっ!」
「今のは嬌声か!」
「違うっすよ! 擽ったかっただけっす! マジでど、どこ触ってッ、こ、これ以上好きにはわわわわああああ?!」
パッシャン―!
水辺に落ちた俺は座り込んだまま、腰まで水に浸かっている現状に溜息。
「大丈夫か?」
落ちた俺に一笑し、逃げるからだぞ、と手を差し伸べてくる先輩にまた溜息。
あーあーあー、どーしてこうなるんだろうね。
折角先輩の前で男を見せたっていうのに、結局カッコつけることもできなくてお水にどぼん。
俺って男の風上にも置いてもらえないのか? 受け男はおとなーしく女のポジションにいろって? ははっ、むない。
でも、ま、
「空。ほら、手」
「あざーっす。麗しき俺のカレシさま。手の掛かるカノジョで申し訳ないっすね」
しっかりと手を握ってくる先輩の笑顔で、なんか全部がどーでも良くなった。
先輩はやっぱこうして笑ってくれている方がいいや。困った攻め女でもさ。
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