11.サバイバル中盤(ご姉妹の登場!)



【ダイニングルーム前にて】



 さてと先輩に腕をグイグイ引っ張られながら、俺はようやくダイニングルームとやらに到着することが出来た。

 まったく飯を食うだけに大移動だなんて、改めてお金持ちの家はデンジャラスだよ。素晴らしいね。究極に空腹時の時は死にそうな道のりだと思うけど。


 約束を取り付けたおかげさまなのか、先輩は超ご機嫌。

 彼女の笑顔を見ていると俺も誘った甲斐があるってものだけど、でも、「温泉といえば浴衣プレイ」浴衣であーしたいこーしたいの妄想が、俺にとっちゃ非常に頂けない。

 しかし俺も大人になった。ちょい大人になったのである。

 此処で「それは嫌っす」と言えば、先輩は食い付いて更なる激しい妄想を起こすことであろう。


 では、起こすアクションはひとつ。スルーである。

 そうさ、いつも此処で「嫌っす!」とか言うから、先輩の攻め精神に火を点けるんだ。心穏やかに悟りを開いて、聞き流すんだ。流すんだよ空。


「やはり温泉は混浴だろ。それで少しばかり(ピ――“放送禁止用語”――)をして、(ピ――“放送禁止用語”――)をしたり、ついでに(ピ――“放送禁止用語”――)して風呂からあがる。とても滾るな!」


 !!!!


 ほ、放送禁止用語を出すほど、いたらんことを雄々しく口走る、だと?

 い、いや駄目だ。此処は聞き流すんだ。聞き流して、何事もなかったかのように。


「で、風呂からあがった後は天の川を見て、寒さに冷えた体をほかすために和室に直行。それからは(ピ――“放送禁止用語”――)から始まり、(ピ――“放送禁止用語”――)で鳴かせたり、(ピ――“放送禁止用語”――)と、後は」


 オーケー、オーケー。

 俺は頑張ったよ。スルースキルを高めようと努力はしたよ。

 この頑張りは今の父さん母さん、そして天国にいる父さん母さんだって、認めてくれる努力だろう。


 けど、ふっ……やっぱり無理みたいだ。

 放置すればするほど、先輩の口走る雄々しい言の葉が鋭さを増して俺の羞恥心を駆り立てる。

 こうやって心中では冷静を装っているけどさ……俺、今、超顔が赤いんだぞ! あばばびびぶべぼー、もう聞くに堪えねぇえよぉおおお!


「先輩ぃいいいい! 今からお食事だっていうのに、とてもお下品っす! 仮にも女性がナニ放送禁止用語を出しているんっすか! しかも連発とかアリエナイっす!」


「おっと、嬉しさのあまりに計画をダダ漏れしてしまった。仕方が無いではないか。楽しみなのだから。空も嬉しそうだな、顔を赤らめて」


「いつものことながら羞恥のあまり暗転しそうっすよ! もーちょっとオブラートに包んでくれませんかねっ!」


「嬉しいくせに。空は素直じゃないな、ツンデレか?」


 聞いてくる先輩に俺は脱力する他、反応を示せない。

 分かっていたさ、こういう人だよ、先輩って。唯我独尊、我が道まっしぐら、独自のワールドを持つ方だよ。素晴らしいね。ほんっと。


 こんな先輩を彼女に出来て、幸せモノの俺は嬉しい限りだよ。泣けてくるくらいに嬉しい。嬉しいと言っているだろう。


 深い溜息をついて先輩と一緒にダイニングルームに入ろうとした、その時、「鈴ちゃんだ!」と声。


 先輩を鈴ちゃん。

 声からして女の子のようだけど、一体……視線を流せば俺等の来た回廊とは反対側の回廊から、パタパタと足音を立てて駆け寄って来る二つ結びの女の子。年齢は多分年下だろう。


 手を振ってくる女の子に、「瑠璃ではないか」先輩が彼女の名前を紡いだ。瑠璃、ああ、四姉妹の末子。ということは先輩の妹さんか。

 

 そういえば顔立ち、先輩に似ている気がする。

 向こうの方が幼い顔つきだけどな。んでもって可愛い顔立ちだ。

 俺達の前で立ち止まった妹さんは、客人の俺にまず「こんばんは」と丁寧にお辞儀。「こんばんは」俺もお辞儀を返して、お邪魔していると綻んだ。


 そしたら妹さんは満面の笑顔を浮かべて俺を観察した後、そのまま腰に抱きついて……え゛、ナニこの子、なんで抱きついて……。

 何この急展開。この家の人は初対面に対して何かしらヤらかしてくれる家なのか?


 だって先輩だって初対面からちゅーだろ。

 竹光さんは執事の新人扱いしてくるし、妹さんは腰にぎゅーっ。


 いやいやいや、ありえないありえないアリエナイからね!


 先輩の方も見れないからね! 向こうから冷気が流れ込んでくるけど、これは俺のせいじゃない! 不可抗力! 俺は被害者!


 「あのー」おずおずと妹さんに声を掛けてみる。

 そしたら妹さん、「大雅ちゃんとは違うカワユさある!」キャッと声を上げた。


 カッコイイの分類に入る大雅先輩を可愛いと言えるとは、凄いなこの子。


 俺も可愛い?

 あっらぁ、それは目の錯覚もしくは気の迷いだよ。フツーの男の子だもの。

 でも妹さんは興奮気味に「いいな、いいな」物欲しそうな目で俺を見上げてきた。


「瑠璃も男の子欲しい。いいなぁ、瑠璃の学校、女子校だから男の子いないんだよね。ねえねえ鈴ちゃん、この人ちょーだい」


 ちょーだい、だってさ。

 ははっ、俺はつくづく物扱い……べつにいいけどね。


「馬鹿、駄目に決まっているだろう。空はあたしの所有物、つまりは彼女だぞ。絶対に駄目だ。その代わり大雅をやるから、大雅で我慢しろ。今度連れて来てやるから」


「やった! 約束ね!」

 

 大雅先輩も物扱い、どんまいっす大雅先輩。

 いいんっすか? 許婚さんをそんな扱いにして。


 三点リーダーを連続させる俺は、いつまでも腰に抱きついてくる妹さんを指差し、「これはどういうことっすか?」先輩に説明を求める。

 鈴理先輩は妹さんを引き剥がしながら(妹さん「うぇええっ、もうちょっといいじゃんかー!」)、淡々と説明してくれた。

 

「瑠璃は男の子スキーでな。男の子が大好きなんだ。ああ、男好きとはまた違う、純粋な男の子スキーだということを補足しておく。大雅のことも可愛い言うし、竹光のこともイカす紳士だと賛美するのだから。ちなみ瑠璃はあんたの二つ下で齢14。つまり中二だな」

 

「ははっ、男の子スキー」


 肉食系女子に続き男の子スキーか、これまた濃いキャラがきたな。

  

「ねえねえ空ちゃん、歳幾つ? 高校生? 身長何センチ? 体重は? ねーえ」


 空ちゃん……ああ、俺のことね。一応俺、先輩なんだけど、まあいいか。

 妹さん改め瑠璃ちゃん(と呼ぶよう言われた)の質問に、今年で16だよ、高1だよ、身長は172cmだよ、体重は58キロだよ、律儀に答えてやる。


 うんうんと頷いてくる瑠璃ちゃんは、どっから取り出したメモ帳にそれを走り書きし始めた。なんのメモだよ、それ。

 しかも「フルネームで名前書いて」と言われたもんだから、メモに署名。メモ帳を返してやれば嬉しそうに受け取る。うん、俺的になんのメモなのかすこぶる気になるんだけど瑠璃ちゃん。

 

 瑠璃ちゃんも夕食を取るということなんで、俺達は三人仲良くダイニングルームに入る。


 するともう既にお二方、先客がいた。

 ひとりは分かる、竹光さんに扱かれていた時に見掛けた女性、緑の黒髪を持つ立ち振る舞いがとても印象的だった次女の真衣さんがそこにはいた。

 ということはもうひとりは……いかんなくアダルトムードを発している女性はやっぱり何処か先輩、そして瑠璃ちゃんに似ていることから、長女の咲子さんだと推測することができる。


 二人は俺等が入ってくるや否や席を立った。

 律儀にお辞儀してくる。客人の応対を心得ているらしい。財閥の令嬢だからこその振る舞いなのかも。

 なんだか庶民の俺にはちょいついていけない接待だ。


「こんばんは、お邪魔しています」


 おずおず挨拶をすれば、長女の咲子さんがこんにちはと朗らかに挨拶を返してきた。


「ようこそ、竹之内家へ。昼間の騒動をお聞きしております。大変無礼な接待をしてしまったそうで。ご無礼をお許し下さい」


「あ、いいえ。此方こそ騒動を起こしてしまい申し訳ありませんでした」


 ぺこっと頭を下げる俺に、「此方の責任ですので」咲子さんは苦笑を零して謝罪を口にしてくる。


 ほんとうに気にしていないのにな。

 微苦笑を返す俺は、改めて咲子さんと真衣さんにお邪魔しているとご挨拶。変に緊張しているのは、お相手が鈴理先輩のお姉さん達だからかもしれない。瑠璃ちゃんは砕けた挨拶をしてくれたから、そんなに緊張しなかったけど。



 俺の印象大丈夫だろうか。

 一応ポジション的に彼氏なんだけど、その、なあ? 貧乏庶民の凡人が妹さんとお付き合いしているとか、しているとか、悪印象なんじゃ。

 昼ドラでよくあるパターンだけど、アウチ、嫌だぞ、そういう風な理由で不仲になっちまうの。やっぱお互いに適度な好印象を持ちたいじゃんか。な?


「ねえ空ちゃん。もっと質問していい?」


 緊張を破ってくれたのは瑠璃ちゃん。メモ帳片手に俺を見上げてくる。

 俺が何か答える前に、「失礼でしょう瑠璃さん」真衣さんが咎めた。


「空さまはお客様なのだから、ちゃんと御持て成しをしないと。瑠璃さんはいつも男の子のことになると、見境なく突撃してしまうのだから」


 やけに丁寧な喋りだな、真衣さん。妹に対してもさん付けだなんて。

 うちの母さんも俺や父さんをさん付けするからあんま違和感は無いけど。

 

「それを言うなら咲ちゃんだって一緒じゃんか! 咲ちゃん、生粋の女の子スキーなんだし! こうやって興味があることはメモした方がいいって教えてくれたの咲ちゃんだもん!」


 おいおいおい、待て待て待て。

 長女の咲子さんが生粋の女の子スキー、だと?


 ゴッホンと咳払いする咲子さんは、「瑠璃。口を慎みなさい」と注意を促す。

 その隣で呆れ返った真衣さんが「咲子お姉さま……」、ジトーッと相手に視線を送っていた。決まり悪そうに咲子さんは咳をコホコホ。かんなりわざとらしい。


 呆気取られていた俺は鈴理先輩から座ろうのヒトコトを頂戴し、取り敢えず席に着かせてもらうことにした。

 するとご姉妹も着席。向こう側に咲子さん、真衣さん、瑠璃ちゃんが座って、俺が座っている側に先輩が座っている。


 ……嗚呼、四姉妹+α(つまり俺)で食事とか、誰が想像しただろう。

 どこぞの馬鹿はこういうだろう。「ハーレムだな!」と。


 確かに四姉妹、各々顔立ちが良くてついつい見惚れてしまいそうだよ。

 先輩を除いて女性群を見た時、次女の真衣さんが俺の好みだなぁとか片隅で思うよ。


 けどな、実際に此処に座ってみろ。

 ハーレムどころか、姉妹の前でへましないかどうかで緊張しっぱなしだよ。

 うっわい美人いっぱいなんだぜ、とか思う余裕もないよ。ご両親がいないだけましかもしれないけど、まさかの展開だよ、これ。


 うへっ、緊張してきたせいか食欲がた落ちなんだけど。

 どうしよう、なんか戦闘から離脱してきたくなってきた。変に汗も出てきたし。


「それにしても鈴理さんが彼氏さんをお作りになるなんて、お話を聞いた時は本当に驚いたわ」

  

 話題を切り出してきたのは真衣さん。

 「本当だよね!」そういうタイプじゃないのに、と瑠璃ちゃん。

 「青春と言いましょうかね。こういうの」咲子さんは微笑を浮かべた。


 一方、鈴理先輩は曖昧に笑ってその場を受け流す。

 そういえば先輩、さっきから姉妹と積極的に喋ろうとしないな。口を閉ざしている事が多い。もしかして一線引いているんだろうか?


 晶子さん、言っていたよな。

 自ら家族と接触しない性格だって。姉妹と接触しているとなんとなく疎外感を抱いてしまうみたいだって。


 どことなく元気のない先輩を見たくなくって、「おかげ様でラブラブっすよね」と話題を振ってみる。小っ恥ずかしい言葉だけど、元気付く言葉が他に見つからなかったんだ。

 俺の言葉を聞いた先輩は途端にいつもの先輩に戻って、「当たり前だろう!」意気揚々と口を開く。


「あたしと空はそりゃあもう、熟読しているケータイ小説のカップルのようにラブラブだ。ヤることはある程度ヤっている。後はベッドインのみ。今宵が楽しみだな、空」


「お、お馬鹿! 先輩のお馬鹿! ご姉妹の前でナニ言っているんっすか! 俺と先輩はスチューデントっす! スチューデントである限り、俺達はプラトニックラブを貫き通すと決めたじゃありませんか!」


「まったく……そのようなケッタイな約束は取り交わしていないぞ? 空」


「ケッタイなこと言ってますかね?! 俺!」


 腕を組む鈴理先輩はやれやれとばかりに肩を竦めた。

 おかしい、なんで俺が呆れられるポジションにいるんだい。俺は当たり前のことを当たり前のように言っているだけなのに。

 嗚呼、ホラしかも先輩のせいでご姉妹さん方が唖然としちゃってる。責任取って下さいよね。



 赤面して悶絶している俺を余所に、瑠璃ちゃんが「鈴ちゃんがよく喋っている」と目を見開いていた。

 しかもあんまり見たこと無い姿だと目をキラキラさせている。なんか嬉しそう。

 更に余所の余所で咲子さんと真衣さんが安堵した表情を作っていた。


 そんなに普段の先輩って姉妹と喋っていないんだろうか?

 真衣さんは微笑ましそうに俺と鈴理先輩を見て、ヒトコト。


「そうなの。では、今日空さまが鈴理さんを食べてしまうのですね。あんなに雄々しい鈴理さんが、そうなの、押し倒され……優男に見えるけれど、やはり男の子なのですね。男の子はそうあるべきです」


 のたまう真衣さんのお言葉、すこぶる意味が分かりません。え、俺が先輩を、え? ええ?

 絶句している俺の隣で、「真衣姉さん」何を言っているのだと先輩が大反論する。


「あたしが空を食べるんです。いつも言っているじゃないですか、あたしは攻め女だと。空は受け男ですよ」


「男の子は攻め、女の子は受けであるべきだと思うわ。俺様、王子、鬼畜、ドS、そういう男の子に振り回されてこその女の子だと思うの。そんな男の子って胸キュンじゃない」


 いつか無理やり押し倒されてみたい。振り回されてみたい。俺のものになれと言われてみたい。

 ポッと頬を赤らめる真衣さんを遠目で見た後、俺は先輩に質問する。「所謂受け女ですか、彼女」と。大きく頷く先輩は真衣姉さんとはいつも趣向が逆になるのだと吐露。

 おかげで趣味がちっとも合わないとかなんとか。

 なるほどね、要するに先輩とまったく逆の趣向の持ち主だってことだろ? 肉食系男の子が好きで、自分は草食系女子ってことなんだろ? そうなんだろ?


 ははっ、笑える。

 竹之内家の四姉妹をヒトコトで紹介すると、

 

長女⇒生粋の女の子スキー


次女⇒草食系女子(肉食系男子を好む)


三女⇒肉食系女子(草食系男子を好む)


四女⇒生粋の男の子スキー


 なんて愉快で個性的な四姉妹方……、皆キャラが濃いって。さすがは先輩の姉妹だ。

 イマイチ、まだ生粋の男女スキーの内面を見れていないからなんとも言えないけど、きっと蓋を開けたら濃いキャラしているんだろうな。


 瑠璃ちゃんで何となく、濃いキャラだってのは察し付いたし。

 草食系女子の真衣さんは言わずも、だろ。


 なによりこの四姉妹、不謹慎なことを言った先輩にツッコミを入れないのね。誰も入れないのね。

 やっぱりこの四人は姉妹だよ。まごうことなき先輩のご姉妹さん方だよ。


 空笑いでその場を凌いでいると、召使さん達がお食事を運んできてくれた。彼等の中には晶子さんの姿も。

 優しい笑みを向けてくれる晶子さん、そして召使さん達は俺達に会釈するとカートを押して食事を並べ始める。


 かごに入ったロールパンやクロワッサンに、粉チーズが掛けられたサラダ、それからコーンスープ。


 あ、ロールキャベツが出てきた。

 それから焼き魚? みたいなのもテーブルに並べられる。うっわぁ、ご馳走だな。


 先輩曰く、もっとご馳走にしようと思ったらしいんだけど、俺が萎縮するだろうから敢えて馴染みある料理にしたとか。

 気遣いはすっげぇ嬉しいんだけど、遺憾な事にわりかしあんま馴染みの無い料理ばっかっす。ロールキャベツとか何年ぶりだよ。口が裂けても言わないけどさ。


 すべての料理が並べられると召使さん達は退室していく。


 俺等はイタダキマスをしてお食事を始めるんだけど、誘く困ってしまった。


 だって、此処にはお箸がない。

 ナイフとフォーク、それにスプーンくらいしかないんだ。俺はお箸で食べたいんだけど。一番食べ易いから。


 取り敢えずパンを千切って口には入れているけど(パンめっちゃうまぁああ!)、どうしようかな。

 焼き魚に皆、ナイフとフォークを使っているし。なんで焼き魚にナイフとフォークを使うんだろう? 焼き魚といえばお箸じゃね?


「ふふっ、空。ムニエルを切ってやるから皿を貸せ」


 俺の様子を見た先輩が笑いながら、皿を寄越すように言ってきた。


 むにえる? どれのことだ?

 目をパチクリしてむにえると呼ばれた料理を探していると、「これだ」そう言って焼き魚の載った皿を取っていく。

 ええっ、名前があるんっすか? むにえるって言うんっすか?


「適度には切ってやるが、どれほどの大きさが良いか要望はあるか?」


「え? あ、なんかすみません。こういうの、慣れてなくって。えーっと、大きさは、そうっすね……十等分、いや十五等分……うーん二十等分くらいでお願いしますっす」


 先輩が固まる。

 あり? 我が儘言い過ぎたか?


「……空、それでは一口サイズになるぞ?」


「それでいいんっすよ。だって、小さく切った方が口に運ぶ回数が増えますっす。ということは、沢山食べた気がするじゃないっすか! 俺、いつもご馳走の時はそうしてるんっすよ。特にハンバーグとか、滅多に食べられないから小さく切って沢山食べた気にするんです」


 同じ量でも沢山食べた気がするなんて、幸せな食べ方でしょう?

 満面の笑顔で言えば、「お前という奴は……」じわっと涙目になる先輩が、大きくムニエルをナイフで切り始めた。


「おかわりは沢山あるから、どんどん食え。遠慮はするな。後ほどデザートも出るんだ。存分に食え」


「え、でも」


「頼むからこれ以上、切ない気持ちにさせるな。あんた、かなり幸せそうに言ってるが、聞いているこっちはすこぶる切ない。切ないぞ」


 やっぱり婿養子として取るか、取るしかないか。

 ブツブツと独り言を呟いている先輩は、ムニエルを切り終わると皿を返してくる。大きく切られたムニエルに目を落としていると、「絶対に遠慮はするな」しっかりと先輩が釘を刺してきた。


 そ、そんなこと言われても、ああ、一切れが大きいんだけど、も、勿体無い気もするんだけどっ!


 ただこのままだと先輩に気遣わせるから、遠慮なくイタダキマス。

 フォークでムニエルを刺して口に運ぶ俺は、「なんだかスッゲェ贅沢っす」微苦笑を零した。


「気持ちは板チョコを升目も気にせず一気食いしている気分ですね。贅沢食いっす。あ、すっごく嬉しいですよ。遠慮せず頂きますんで!」


「……空、なんだ。その板チョコの升目というのは」


「あれ? 先輩には言ってませんでしたっけ? 俺、升目に添って一日一枚ずつ割って十日ほど持たせるんっす。なんかその場で全部食っちまったら、勿体無い気がして。今度はいつチョコが食えるかと思うと……だから小さく小さく割って日を持たせようとするんです。十日も持つと、その間のおやつはいらないですしね!」


「そうか、そうだな。十日も持てば、その間のおやつはいらないな。空は家庭に優しい考えを持っているのだ」


 「そうっすかね」褒められてついついへらっと笑う俺は、「やっぱり切ない」と先輩がこっそりと涙を呑んでいたことを知る由もなかった。


 俺達の会話を聞いていた向かい側のご姉妹さん方が苦労しているんだな、と同情を向けてきたんだけど、残念な俺はまったく気付くこともなかった。

 

 不慣れなナイフやフォーク、スプーンを使って食事を進めていると、「そういえば」咲子さんが話題を切り出してきた。

 

「お父さまと、お母さまは? 真衣。貴方と一緒だったでしょう?」


「お二人はまだお仕事の真っ最中なの。私は会合の途中で抜け出してきて……ちょっと疲れてしまったから。じきにお戻りになると思うわ」


「そう。あまり無理しないようにね。貴方、竹之内財閥を任される立場とはいえ、まだ学生なんだから」


 「ありがとう」真衣さんは微苦笑を零す。どことなく疲労交じりの笑みだった。

 真衣さんは大学生なんだそうな。

 なのに財閥の将来のために会合とか、取引先への視察とか、色んなことをこなしているらしい。


 聞けば、咲子さんや瑠璃ちゃんもそれに似た勉強はさせられているらしい。勿論先輩も例外じゃない。四姉妹各々勉強させられているらしいんだ。


 令嬢って本当に大変なんだな。

 向こう側にいる三姉妹はあれやこれや、勉強や仕事の愚痴を零している。



 ふと俺は隣に視線を流した。

 そこにはダンマリと食事を進めている先輩の姿。能面を被ったような表情を作っていたもんだから、スゲェ驚いちまった。家内ではそんなにもクールで無表情な顔を作っているんっすか?


 極力空気になって食事をしている先輩に俺は目を細める。


 姉妹達の会話に交じりたくないんだな。

 自分の家族への評価が、いや、両親への評価を思い出しちまうから。ご両親が先輩をどう思っているかは知らないけど、でも、先輩はご両親に期待されていないと思っている。見切られたと思っている。愛情をもらえないと思っている。

 令嬢のあるべき姿になれなかった罪悪感から、気持ちを、我が儘を、感情そのものを一切吐かないんだろう。家族に対して消極的な先輩は妙に余所余所しい。


 あたし様のくせに家族に対しては健気なんだ、先輩は。そしてとても、とても、寂しい人なんだ。

 嗚呼もう、まったくあたし様を見せない先輩なんて、ちっとも先輩らしくない。全然先輩らしくないよ。


 俺はサラダに入っていたトマトをフォークで刺すと、「先輩」明るく名前を呼んだ。


 我に返る先輩がこっちを向いたと同時、「どーぞ」それを差し出して微笑した。

 首を傾げる先輩に、「あり?」俺はおどけてみせる。


「先輩駄目ですよ、空気読まないと。此処で俺がトマトを差し出したら、先輩はパクっと食べないと。受け男、豊福空、勇気を出して突撃したのに……そうっすか、期待してたのは俺だけっすか。残念っす」


 フォークを引けば、「あ、こら!」先輩がむすくれた顔で俺の手首を掴んできた。


「いきなり空が仕掛けてくるから、状況が読めなかっただけだ。誰が手を引いて良いなど言った? 大体な、仕掛ける時の掛け声が『どーぞ』とはどういうことだ。普通は『あーん』だ。いいか、『あーん』だぞ。仕掛ける時はこの掛け声で来い」


 説教を垂れてくる鈴理先輩に笑って、「じゃあ。あーんっす」再度レッツトライ。

 まだむっとしていた先輩だけど、次第に破顔に移り変わってトマトを口に入れてくれた。これで満足してくれるかと思いきや、「次はこれがいい」とムニエルを指差してきた。元気を付けさせるための行為だったけど、元気を付けさせ過ぎたかも。


 微苦笑を零す俺は、「了解っす」従順にムニエルをフォークで切り、一口サイズにしていく。


「まだか? 空」


「んもう、そんなに急かさないで下さい。食べ易いよう、切ってるんっすから。できました。先輩、あーんっす」


 満足そうにパクついてくる先輩のいつもの表情に俺も嬉しくなった。

 やっぱり先輩はその表情の方がお似合いだよ。能面のような顔なんて似合わない。ちっとも似合わない。

 「次はどうするっすか?」俺の問いに、「そうだな」先輩が腕を組んで悩み始めた。


 その様子に目尻を下げつつ、俺は別の話題も切り出す。

 それは、さっき出した話題。約束を交わした話題。


「先輩。俺っすね、冬の天の川の他に見たいものがあるんっす」


「ん? 何が見たいんだ?」


「ダイヤモンド・ダストっす。細かい氷の結晶が太陽の光できらきら輝いて見える細氷現象。あれを一度見てみたいんっす。いつか一緒に見に行きません?」


「だったら良い所があるぞ。あたしの家の別荘の一つにダイヤモンド・ダストが見られる場所があるんだ。あたしはそこで何度か見たことあるんだが、そこに空を連れてってやる。それはそれは見事でな」


 無邪気に語り出す彼女は「空の夢を叶えてやる」と、あどけない笑顔を見せた。

 うん、先輩はそうやって笑っていて欲しい。いつまでもいつまでも、色付いた表情をして欲しい。いつまでも、そう、いつまでもさ。


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