06.サバイバル序盤(お怒りですって)
着替えと竹之内家の豆知識を学んだ俺は竹光さんと一緒に母屋に戻る。
驚くことに、母屋で目の当たりにしたのは大騒動だった。室内だと言うのにも拘らず、召使達があれ此処にもいない。やれ此処にもいない。
どうしたものかと声を上げ、ばたばたと走っている。
一体全体どうしたのだ、竹光さんが
「先程。鈴理お嬢様がお戻りになられたのですが……とてもお怒りの様子でして」
「なんじゃと?」
先輩帰っているんだ。
怒っている理由は、なんとなく分かるような気が。
「実は。彼氏様が母屋に来られていないようで。それについてお嬢様が」
嗚呼やっぱり、俺はゲンナリと肩を落とした。余所でメイドさんがオロオロと竹光さんに話を続ける。
「鈴理お嬢様はてっきり客間に彼氏様がいると思っていたそうなのですが、お部屋に行っても誰もいなかったそうで。不思議に思って私どもに尋ねてきたところ……誰も客間にご案内していないが判明致しまして。ことを知った鈴理お嬢様がお怒りになられました」
楽しみにしてくれていた分、俺がいなかったからプッツンきたんだろうな。先輩。
「只今、総出で彼氏様を探しているのですがお姿が何処にも見られないのです。田中さんがお屋敷前までご案内したことは確かなので、門から母屋までの道のりで何かあったのではないかと……200m区間ではございますが、もしかしたら人攫いに遭遇したのではないのか」
こ、此処にいます。人攫いなんて滅相もない!
「ただの迷子なら良いのですが、携帯に連絡しても一向に繋がらないそうです。鈴理お嬢様はとても心配しておられます。執事長、いかがなさいましょう。此処の防犯システムは完璧ですので、人攫いはないかと。迷子、もしくは手違いで別の部屋におられるかもしれませんが、なにぶん屋敷は広いもので。総出で捜してはいますが、私どもはお名前のみしか存じません」
鈴理先輩の怒りは尋常じゃないらしい。召使たちを萎縮させるほどのようで、説明している
「困ったのう。鈴理お嬢様は御姉妹の中で一番、寛容ある方じゃ。そのお嬢様が機嫌を損ねられている。相当のものじゃ。簡単には直らんぞ」
「あの……すみません」
「一刻も早く彼氏様を見つけ出さないと……今のお嬢様は私どもでは手がつけられません」
「なら、わしが行こう。主等は引き続き彼氏様の捜索を続けるのじゃ。ああ、お前さんはお嬢様の気を落ち着けるための茶を淹れて部屋に来い。淹れ方は彼女に聞くんじゃぞ」
「え、あ、ちょっと」
新人研修は後回しだ。竹光さんは溜息混じりに台詞を吐いて駆け出す。完全に置いていかれた俺は竹光さん以上に深く重い溜息をついて額に手を当てた。
どうしてあのじいさんは俺の話をちっとも聞いてくれないんだろう。せっかちな性格なのかもしれないけど。
それにしたって俺の話をちょっとくらい聞いてくれたっていいじゃないか! 勘違いしたあんたのせいで大騒動になっているんだからな!
「あーあ」ガックシ肩を落とす俺に気付いたのか、
苦笑を零す俺は、「いいんっすよ」貧乏くじを引くタイプだからと目尻を下げた。
取り敢えず、お茶を淹れようかな。
先輩にお疲れ様のお茶をさ。折角の執事だ。ちょいと演出したいじゃないか。
……死んだってメイド服は着ないけどさ。ああ着ないとも。おにゃのこポジションでもな、ぜぇえったい着てやんねぇ!
「よっこらしょ。零しそうだな」
「ふふっ。気を付けてね」
トレイにお茶とお菓子を載せて回廊を歩いていた俺は、
鈴理お嬢様は四姉妹の中で一番おてんばさん。
頼り甲斐はあるけど突発的な行動が多いらしく、召使さん達を困らせることも多々だとか。男勝りの雄々しい性格をしているから、令嬢という雰囲気皆無らしい。
それから意外な事実、自ら家族と接触しない性格らしいんだ。四姉妹の仲は各々良いらしいんだけど、自分から話し掛けたりするタイプじゃないとか。
劣等感からかもしれない、と晶子さんは苦笑を漏らす。
「鈴理お嬢様は、旦那様や奥様から期待されていないとお思いだから。姉妹と接触しているとなんとなく疎外感を抱いてしまうのみたいなの。仲は良いのだけれど」
「そうなんっすか」
「しっかり者だから弱い心を見せない方だけれど、きっと寂しい思いを抱いていると思うの。いつも寂しそうだったもの、鈴理お嬢様。でもね、最近は彼氏様ができたから、そうでもないみたいなの。今日だって凄く楽しみにしていたんだから」
目尻を下げている晶子さんに俺はこっそりと頬を赤くした。やっぱ気恥ずかしいよな、こういう話。寂しさが俺で紛れてくれていたなら、本望だけど。
内心で照れていると、「どうしたの?」と、晶子さんが不思議そうに声を掛けてきた。
ブンブン首を横に振って、俺は回廊をぐるっと見渡す。凄いよな、廊下に絵画、照明にシャンデリア、燭台らしきものまである。さすがはお嬢様の家だよな。
と、回廊の向こうから怒声が聞こえてきた。
途端に晶子さんが溜息をつき、俺に「無礼のないようにね」と注意を促してくる。
すんません、晶子さん。俺のせいではないけど、俺が行方不明なせいでこんな事態に。
俺達は鈴理お嬢様のお部屋前に立った。そっと晶子さんがノックをしてみる。
応答なし。
もう一度してみるけど、やっぱ応答なし。再度挑戦。結果は一緒。仕方がなしに晶子さんが扉を開けると、耳のつんざくような鈴理先輩、じゃね、鈴理お嬢様の声が飛んできた。
「だからナニをしていたと聞いているのだ、竹光! 何故、誰も空を客間に案内していない?! あたしは事前に言っていた筈だぞ。今日は大切な客が来ると!」
「申し訳ございません。今、お捜している最中ですので。お嬢様、落ち着いてくだされ」
「落ち着いていられるか! っ、どれほどこの日を待っていたと思っているのだ。本当は今日だって習い事をキャンセルして、空を迎えに行きたかったというのにっ……まさか竹光、あんた、またせっかちを起こして空を追い帰したりなんてことは」
「滅相もございませんのう、お嬢様。この竹光。今回はそんな失態などひとつも起こしておりませんぞ!」
……ははっ、あのじいさん、せっかちでちょいちょいヤらかしているのね。
微苦笑を漏らして、俺と晶子さんは部屋の隅に移動。小さな丸テーブルにトレイを置く。
俺等の姿に気付かない鈴理お嬢様はドドド不機嫌に、持っていたクッションをベッドに放って腕を組んだ。
さてと、どうやってお嬢様を驚かせようか。うーむ、折角だし、こう、どどーんと笑い話になるような驚かし方を。
いやいや、もう普通でいいっか。俺は一度置いたトレイを持って、お嬢様に歩み寄る。
「あ。駄目よ」
晶子さんに止められたと同時に、「不届き者め!」竹光さんが俺の前に立って仁王立ちした。こ、怖っ。
「お主、此方の許可なくお嬢様に近付いて良い身分じゃないんじゃぞ。まだ研修中じゃというのに!」
痛烈な拳骨を食らうけど、どうしても俺が淹れたお茶を飲んでもらいたいんだよ。熱々の内にさ!
俺は「すみません」竹光さんに一応謝罪して、サッと脇をすり抜けると不貞腐れている鈴理お嬢様の前に立った。
後ろで怒声が聞こえるけど、でも、無視だ無視。泊まりを楽しみにしてくれたご多忙なお嬢様に、俺はトレイを差し出して綻ぶ。
「習い事お疲れ様っす。お嬢、あー……この場合は俺のカレシと言った方がいいっすか?」
声に弾かれた鈴理お嬢様は、俺の顔を見つめて、見つめて、みつめて、瞠目。
「お騒がせしました。心配掛けてごめんなさい。俺は此処にいますよ」
目尻を下げたその瞬間、「馬鹿者め。心配したじゃないか」彼女は持っていた俺のトレイを引っ手繰ってベッドに置くと、俺に飛び、つく前に、俺の体が後ろに放り投げられた。
うぇいなんで?! 思う間もなく、ガン、ゴン、ドン!
出入り口扉に頭と背中をぶつけ、痛みのあまり俺は身悶え。
犯人は勿論、早とちりせっかちの竹光さん。今の空気をちーっとも読んでくれていないのか、まだ不届き者だのなんだの新人だからだの言ってくれる。しかも言葉遣いが減点だそうな。
あーあ、もうツッコむ余地もなし。肩を押さえていた俺は重々しい溜息をついて竹光さんに視線を送る。そこにはお小言を垂れる竹光さんと、その背後で指の関節を鳴らしている鈴理先輩。
「た・け・み・つッ、お前という奴は」
未だに空気を読んでくれていない竹光さんがきょとん顔を作った。
対照的に空気を読んだ晶子さんがすっかり青褪めて、「竹光さん」その方がお嬢様の彼氏様ですよ、と助言。
「いやいやまさか」笑声を漏らす竹光さんは、この少年が彼氏様なわけがないとひらひら手を振った。
「第一彼氏様の名前は豊福さまじゃぞ? この少年の名前は……あー……少年、名はなんじゃった?」
「豊福、空です」
「そうそう、豊福空さ………………」
かちーんと固まる竹光さんに、
「申し遅れました。俺の名前は豊福空です。今日、ここに泊まりに来る予定の者だったんですけど……」
と、苦笑いで自己紹介。
レモンを丸呑みしたような表情を作るご老人の背後では、指の関節をしきりに鳴らしているあたし様が仁王立ちしている。
「この騒動、やっぱりアンタのせいじゃないか」
ある程度の状況を察してくれたのか、先輩はフルフルと握り拳を作って青筋を立てる。
「竹光っ、そこになおれ―――!」
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