05.サバイバル序盤(どうしてこうなるの!)
――何度も聞こえてくる「空さま」の声。
ゆさゆさと体を揺すられて、俺は沈んでいた意識を浮上させた。
白っぽい靄の掛かった視界を目にしつつ、それを晴らすように目を擦って欠伸を噛み締める。
なんだよ、まだ寝ていたいんだけど。心中でグズる俺だったけど、鼓膜に「到着しましたよ」の単語が飛び込んできて覚醒。
ハッと顔を上げれば、「おはようございます」運転手の田中さんがにこやかに俺を見下ろしていた。
ね、寝ていたのか俺っ!
1時間睡眠がこんなところで災いを呼ぶなんて……しかも田中さんに起こしてもらうなんて。
「すみません」
大慌てて頭を下げてイソイソと荷物を持った。
気にする素振りもなく田中さんが下車する。倣って俺も下車すると、見慣れない景色が飛び込んできた。
此処は住宅街らしく一軒家があちらこちら。しかも新築ばかりだ。汚れのない綺麗な二階建て、三階建て一軒家達が俺を興味津々に見返してきていた。
とても静かで吹き抜ける風の音と、何処から聞こえる布団の叩く音くらいしか音がない。先輩の住む家はこの一軒家達の何処かのようだ。意外と普通だな。
こういっちゃなんだけど財閥の娘って言うから、てっきり度肝の抜くような住居かと思っていたのに。
「どれが先輩の家っすか?」
俺の質問に、「此方ですよ」田中さんが振り返って後ろを右手で指す。
首を捻った俺は思わず、通学鞄を落としてしまった。
ワッツ・ホワイ・ジャパン?
奇妙奇怪な単語を頭の中で並べて口に出してみるけど、理解が追いつかない。
俺の背後にそびえ建っていたのは大きな鉄門。
その向こうに見えるのは広そうな中庭に洋館らしき屋敷。綺麗に刈られている芝や花壇、木々を遠目で見つめた俺は数秒前の俺を罵りたくなった。
なあにが普通だよ。先輩は期待通りの、いえ期待以上の財閥の娘だよ。スッゲー家に住んでいるよ。家って安易に言っていいのか分かんないけど。
呆気に取られる俺に、田中さんは鉄門を開けて「玄関に向かって下さい」と綻んできた。
「此処から道沿いに200mほど歩いて下さいませ。歩いていると洋館が見えますので、そちらの玄関扉を叩いて下さい。空さまが到着したことは既に連絡しているので」
「え゛。200m先って、だってそこに洋館が見えますよ。あれは」
「あれは使い達の洋館でして。
ニコッと笑う田中さん。
きっとジャパニーズを俺にスピーキングしてくれているんでしょうけど、ちーっとも理解できません。玄関まで200mは歩かなきゃいけないとか、200m……大体グランド一周分だよな。
つまり「ただいま」と帰って来た人間が、学校のグランドを一周してから家の中に入るようなものだ。どんだけ広いんだよ、此処。
何坪あるのか是非とも知りたいね。実際は何坪あるのか、聞くのも怖いけど。
「これから私はお嬢様を迎えに行かなければなりませんので」
ご一緒したいのですが、苦笑する田中さんに「大丈夫っす」俺は自力で玄関まで行くと笑みを返した。道沿いに歩けばいいんだよな。200mくらい歩いた先に母屋があるから、そこの玄関を叩いて「ごめんください」と言う。完璧だ!
俺は此処まで送ってくれた田中さんにお礼を言うと、早速未知なる領域、じゃね、先輩の家の敷地に足を踏み込む。
入って直ぐに気付いたこと。それは。
「スッゲェ。此処、この庭、シンメトリーになっている」
豆知識。シンメトリーというのは左右対称のことだ。
右左均等につりあいの取れた庭たちに俺は感動を覚える。道であろう石畳を歩きながら、俺はニッポンとは思えない庭の西洋風景に感嘆の声しか出なかった。
さすがは竹之内財閥の住居。庭への金の掛け方がまるで違う。
幾らか買っているんだろう……とか思うのは俺が貧乏くさいせいだろうか。
双方に見える小さな噴水を通り過ぎ、置物であろう小人さんたちに手を振り、のんびりぶらぶらと道を進むこと約五分。母屋が見えてきた。
さっき見た洋館よりも豪勢で大きな建物に、俺は絶句しかできない。レンガ造りで三階建の洋館はちょいと古そうだけど威厳のある風貌。正面から見たカンジでもどどーんとでかい……一体全体どれほど広いんだろう。
嗚呼、俺はもしかして西洋風竜宮城にでも来たのかもしれないな。
玄関前のレンガ階段で立ち尽くし、ただただ洋館を見つめていると「やっと来たかのう!」
しゃがれた声で話し掛けられる。
首を捻れば、黒のジャケットにズボン、灰色のベスト、白のワイシャツ、ネクタイ、所謂執事服を着こなしたご老人が歩み寄って来た。
「こんにちは」挨拶する俺に、「遅いぞい!」時間は押していると急かされる。
……遅いって何が? もしかして200mの道のりを制限時間内で歩かないといけない規則でもあるんでしょうか?
だったら、すみません。
のんびりとシンメトリーの庭に感動を覚えながら歩いていました。
取り敢えず謝罪をすれば、ご老人は「最近の若い者は……」と愚痴を零し、「こっちじゃ」と誘導。庭の方に歩き始める。こっちって、え、玄関じゃ……ええっ?
「何をしとる! 早くせんか!」
「え、はいっ。今行きますっす!」
駆け足で老人の下へ。
そしたら「言葉遣いに減点じゃ!」思いっきり頭を叩かれた。アイッテー! なんで俺、叩かれないと……。
「ナニするんっすか、イッダダ!」
「最近の若者言葉じゃろうが、その語尾に『――っす』を付けるのはやめい! 見っとも無い!」
えええっ、そんな、外泊する彼氏の言葉遣いを見られるんっすか。そりゃあ厳しいっすよ竹之内財閥。運転手の田中さんは何も言ってなかったし、鈴理先輩だって何もそんなこと。
途方に暮れる俺を急かし、さっさと歩くご老人の名前は
なんだか釈然としないと思いつつ竹光さんの後をついて行った先に待っていたのは、植え途中であろう花壇の群。
沢山の花の苗が花壇の土に埋まりたそうな顔をしているけど、こんなところに連れて来て……俺にどうしろと。
「よし、荷物はそこに置いて早速花壇を作るんじゃ。いいな、20分以内じゃぞ」
「お、俺が? ……や、やります! 20分以内っ、頑張ります!」
ギッと相手に睨まれたらやらざるを得ないだろ!
なんで来て早々こんな目にっ……もしかしてあれか、召使の新入りと勘違いされているのか。それとも彼氏だから……試されているのか? どっちにしたって逆らえる雰囲気じゃない。
急いで建物の壁に荷物を置き、俺は腕捲りをして作業を開始する。
「いいな、20分以内じゃぞ!」
念を押されて、「はいっす!」元気良く返事をしてみたけど、「言葉遣い!」怒鳴られて言い直しを余儀なくされた。
ほんっと、なんでこんな目に。
俺は花壇の傍に置いてあるスコップを手にして、手早く作業開始。背後では鬼のような顔で監視をしている竹光さんが俺の作業を見守っているんだ。へ、ヘマはできない。
(先輩っ、どーなっているんですか。泊まりじゃなくて俺、まさか花婿修行ならぬ彼氏修行させられているんっすかね! お嬢様とお付き合いってそんなに厳しいんっすかね!)
グスンと涙ぐみつつ、俺は息苦しい空気の中、作業に没頭することにした。
こうしてワケも分からず作業を開始すること25分後、5分ほどロスしつつ無事に花の苗を花壇に植え終わることができた。勿論竹光さんには褒められ……る、わけもなく、5分も時間ロスしたことにお小言を頂戴したのだった。
次に待っていたのは力作業。
花壇の傍に置いてあった肥料袋を倉庫に運ぶというシンプルな作業だったんだけど、これがすこぶる辛かった。肥料袋の重さは一袋約10キロ。一個や二個ならまだしも、花壇はあちらこちらにあるし、それに伴って肥料袋もあちらこちらにある。手押し車で何度も倉庫と花壇を往復するだけでも重労働だ。
作業が完了する頃には疲労がドッと出てきた。これまた20分以内に終わらせろと言われていたんだけど、残念なことに30分掛かっちまった。
だってしょーがない。花壇が何処にあるのか把握してないんだから、まず探すのに手間取ったんだ。
竹光さんからは「情けない」貧弱男だとレッテルを貼られた。
そう言われたらまさしくそうなんだけど、そこまで言わなくていいじゃない! 俺は遊びに来ただけなのに!
ゼェハァと息をついていると、気遣いなのか飲み物を俺にくれた。
わりとイイ人なんだと実感する間もなく、飲み物を飲んだ後は泥だらけの手を洗うよう強要され、厨房へと連れて行かれた。
「あの全部洗うんっすか。これ」
「言葉遣い」
「……竹光さん、これらの食器を全部洗うのですか? ちなみに何分で洗えば宜しいんでしょう?」
馬鹿丁寧な敬語を使えば、竹光さんもちょい俺を見直してくれたのか、「そうじゃな。15分か」腕時計を見て御命令。
嘘だろ、この食器の山を15分で洗えと?そんな神業なことできる奴がいたら俺の前に出てきて欲しい。喜んで替わってやるから。
はてさて俺は飲食店のような大きな厨房の一角で、しかもご立派過ぎる流し台の前に立たされて洗い物を強制された。
やっぱり人違いをされているみたいで、「今日は特に忙しいんじゃぞ」食器を洗う俺の傍で竹光さんが懇切丁寧に教えてくれる。
ナニが忙しいんですか? と聞けば、
「今日は三女・鈴理お嬢様の大事なご来客が来られるのじゃ。どうやら彼氏様らしく鈴理お嬢様の気合の入れようは、それは、それは凄まじいんじゃ。もうご到着しているようでのう、今、接待しているところじゃろう」
……いや、接待してないと思うよ。だってその客は俺だから。自惚れじゃなかったら、一応先輩の彼氏なんだけど。
見えないんだろうな、先輩の彼女に、分かっているけどさ、分かってはいるけど、ムナイ。
でも本当に忙しいんだな。
フツー俺の名前くらい聞くだろうに、仕事を優先させるとか……それだけ先輩が俺のために何か準備をしてくれているのかな。だったら少しだけ自惚れたいかも。
さてと俺は本当のことを言うべきなのか、それとも今は黙って食器を洗うべきなのか。二者択一を迫られたのだけど、「遅い!」怒鳴られちゃあ、後者を選ぶしかない。いいんだ、家でも皿洗いはよくしているし、働かざるもの食うべからずだろ。貧乏暇なし。
つまり働けってことだろ! ああ働いてやる、俺は働くことに慣れている。
吐息をついて俺は一心不乱に食器を洗う。早く先輩、帰って来ないかな。
合気道の後だから疲れているかもな。お茶くらい淹れてやりたいけど、この食器の数からして先輩の方が先に帰って来ちまうかもしれない。
でもお疲れ様とは言ってやりたいな。頑張ってきた先輩にさ。彼女の顔を思い浮かべ、俺は目尻を下げた。先輩も頑張っているんだ、俺も頑張ろう。勘違いのせいで理不尽な理由で家事をさせられているけど、しゃーないよな。俺も頑張ろう。ポジティブに思う。思わないとやってらんねぇってもう。
この時、来客の俺が行方不明になっていると召使さん達が騒然としていたらしいんだけど……当然ながら食器を洗っている俺がその騒動を知る筈もなかった。
ちゃっちゃかと皿を洗ってしまった後は、お着替えらしい。
竹光さんに連れられ、折角母屋まで来たのにUターンして最初見た召使さん達の洋館に足を踏み込んだ俺は、召使さん達と同じ服にお着替え。黒のジャケットにズボン、灰色のベスト、白のワイシャツ。最後にネクタイを締めてもらって、立派な新米執事の完成だ。
うっしゃ時給が幾らは知らないけど、頑張って働くぞ! ……なんて思えるわけもない。
あーあ、どうしよう、俺、誰と勘違いされて新米執事をさせられているんだろう。姿鏡の前で自分の執事服姿に、ポリポリと頭部を掻きつつ溜息。堅苦しい姿だな。似合わないの。
早く自分の正体を明かす契機が欲しいんだけど、今の竹光さんは超ピリピリしている。
ちょっとでも仕事以外のことを口に出せば喝破されそうだもん。締められたネクタイの先を指で弄っていると、「忙しいがある程度知識が必要じゃ」話題を切り出される。
「いいか、お主がこれから働く竹之内家は由緒ある財閥でのう。旦那様の名前が竹之内
鈴理様は嫌でも顔を覚えているんだけどな。一応、彼氏だし。
「擦れ違う際は立ち止まって会釈。そしてご挨拶。これは必然じゃ。おっと、お主の口癖は直すんじゃぞ。間違ったってお嬢様方の前で言ったら……その時は制裁じゃからのう」
制裁とは何をする気なのだろう。怖いんだけど。
身震いをする俺を余所に竹光さんは竹之内家のルールを事細かに教えてくれる。教えてくれるんだけど、ちっとも頭に入ってこない。
しょーがないじゃないか。早口で捲くし立てるように言われるんだから。いっぺんに覚えろって方が無理だろ。
目が回りそうな条約を述べた後、竹光さんは「お戻りじゃな」大きな窓の外を見て目を眇める。
誰がお戻りに……俺も窓の外に目を向けた。
そこには本を片手に石畳道を颯爽と歩く女性の姿が。印象的だったのはその立ち振る舞いよりも何よりもその緑の黒髪。日本女性を物語る艶やかな長い髪に見惚れてしまった。綺麗な髪だな。あの人。
「真衣お嬢様じゃ」
竹光さんは女性の名前を教えてくれる。ということは、あの人は竹之内財閥の次女か。
「ご挨拶をしたいところじゃが、またお出掛けになられるじゃろう。ご多忙の身の上じゃから」
「そうなんっ……げほげほ……そうなのですか」
「真衣お嬢様は持ち前のカリスマ性から、ご両親の期待を特に買われているからのう。これからご両親と社会勉強のために、隣町で開かれる財閥会合に出られるそうじゃ」
チンプンカンプンの単語を出されたけど、とにかく姉妹の中で特に期待されている人なんだな。凄いっちゃ凄いけど、期待されている姉妹が出てくるってことは……疎外感を抱く姉妹だってやっぱりいるわけだよな。鈴理先輩、自分でご両親に期待されていないと言っていたし。
折角の家族なのに、家内でランク付けされるなんて心苦しいだろうな。
金持ちには金持ちの事情がある。大雅先輩がそう言っていたけど、ほんと、そうだな。根の深い事情がありそうだ。
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