04.サバイバル序盤(いざ出陣!)
□ ■ □
突然だけど、例えば話をしよう。
小1になる俺が小学校に入学した頃、「わぁ。ここに6年間も通うのか」と、6年という月日の長さに呆気取られ、卒業なんて果てしない未来の話だと思い込んでいた。が、いざ小6になると「もう卒業の年なんだなぁ」6年間なんてあっという間だったなぁと思い出に浸ってしまう。
果てしない未来がまさしく現実に、そして目の前に現れて、走馬灯のように懐古の念を抱くわけだ。
当時小1だった俺には6年後には小学校を卒業するなんて日、到底想像もできなかったわけであり、おとぎ話でもされているような気分になる。
でも結局は6年後、遅かれ早かれ卒業の日を迎えてしまう。現に俺は小学校を卒業し、中学校に進学した。
つまり、何が言いたいのかというと“その日”は必ず来るというわけだ。
来年の7月10日には俺の17歳の誕生日が来るわけだし、私立エレガンス学院を卒業する日だって必ず訪れるわけだし、4年後には成人式を迎える日も当然来るわけだ。
そうさ、来るんだよ。
来ちゃうんだよ、悩んでも嘆いても頭を抱えても“その日”が来るんだよ。畜生。
「ああああっ、来ちゃったよ、今週の土曜と言っていたこの日がっ。どーしよう、今日は持久戦だぞっ。生き残れるのか、俺! 生き残らないと男の責任という二文字がぁあああ!」
俺の住むアパートの前で、豊福空と呼ばれた男は外泊道具の詰まった通学鞄を荷物に、延々頭を抱えて悩んでいた。
いやフツー悩むだろ、自分の貞操の危機が分かっているんだからさ。今晩のことを考えるとおぞましくてオゾマシクテ。流されるんじゃないぞ、とか、逃げ切るんだぞ、とか、先輩襲ってこないよな、とか、色んな不安が重なって一つの巨大な悩みが出来上がる。
その悩みがまた俺に圧し掛かって悩みに、不安プレス、悩み、不安プレス、悩み、エンドレス。
悪循環である。
「だ、駄目だろ。今日は……せ、先輩の家で楽しく過ごすって決めたじゃないか。逃げ口として……じゃない、話題づくりとして勉強道具も持っていくし。分からないところは聞いて、深夜遅くまで勉強なんかしちゃって。で、お互い疲れて寝る。うん、よしよし、我ながらグッドアイディア」
だけどもし深夜遅くまで勉強していて、「これからはアダルトな勉強でも」とか言って先輩が悪魔と化したらどうしよう。
ブンブン、俺はかぶりを左右に振ってポカポカと頭を叩いた。
そういう不埒でオッソロシイ妄想をする前に、先輩と純情で健全、ピュアな一夜を過ごす計画を立てたらどうだ豊福空!
これじゃあ『イヤヨイヤヨモスキノウチ』ルールに則(のっと)って、俺自身、実はヤられることを期待しているんじゃないかって自身に疑心を掛けちまうだろ! 期待なんてな、これっぽっちもしてないんだぞ!
……キスくらいは、しちゃいたいなーとか思っているけど。
「俺の阿呆。いっそのこと灰になっちまえばいいのに」
どーんと民家の塀に手を添えて落ち込む俺は、長いながい溜息をついた。
今日のことで悩みすぎたせいか、ちっとも眠れなかったんだよな。多分1時間くらいしか眠れていないと思う。俺、最低6時間は睡眠取らないと体がついていかないタイプなのに。
だけど睡魔の兆しさえ感じないのは、すっげぇ俺が緊張しているからだよな。
貞操の危機は置いといて、彼女の家に行くんだから、そりゃあ緊張するだろうよ。初体験のことだし。
両親には「これでも持って行きなさい」って、手土産に煎餅を持たされたけど……いや世話になるんだからこれくらい当然なだろうけど、向こうの口に合うかな。煎餅。豊福家なりにゴージャスにはしたんだけどな。
「さてと先輩曰く、田中さんが迎えに来てくれるって言っていたんだけど。時間は確か正午だったような。先輩がLINEで正午とメッセージを、あ、来た」
クラクションの音に顔を上げる。道沿いに車を寄せて、クラクションを鳴らしているのは田中さん。ちなみに田中さんは鈴理先輩を送り迎えしている運転手さんの名前だ。手を振って、俺はいかにも高そうな高級車に駆け寄る。
わざわざ車から降りる田中さんは、後部席の扉を開けて「乗って下さい」紳士に接待してくれる。こんな凡人に接待しなくても……いやはや、申し訳ない。
ぺこりと頭を下げて、俺は車に乗せてもらう。広いひろい後部席には誰もいない。先輩は家で待機しているのかな?
窓際に腰掛けた俺は膝の上に荷物を置いて、運転席に戻る田中さんに声を掛けて質問をする。曰く、先輩は習い事に行っているらしい。今日は合気道の稽古だとか。
うっわぁ、大変だな。休日でも習い事とか。
朝から道場に行っている、そう教えてくれる田中さんはにこやかに綻んだ。
「今日のお嬢様は一段と気合が入っておりました。空さまがいらっしゃるからでしょう。『今日は全員に勝つ。師範も含めてな!』と申しておりました。負けてはヒーローの名が廃るとかなんとか」
「ははっ……あー、嬉しい限りっす」
意識してくれているんっすね、我がヒーローは。ヒロインの俺はほんっと嬉しいっすよ。泣けてきますっす。
本来なら、俺がヒロイン……いいんっす。いいんっす。
男のポジション譲るって言いましたもんね。男に二言はないっす。
でもちょっぴし、マウントポジションを代わって欲しい気も。というか、合気道を習っていたんだ……先輩。体力ありそう。俺、負けるかも。肉体的にも精神的にも。
空笑いする俺を乗せて、田中さんの運転する高級車は国道を走る。
弾んだ会話もなく、俺は後ろへと流れていく景色を眺めていた。
休日だというのに自転車で塾に向かう学生さんや、『7』のロゴマークがデカデカと掲げられているコンビニ、シャッターの下ろされているラーメン屋。
面白いほど色んな景色が俺の視界に飛び込んでくるけど、然程興味をそそる景色はない。
追い越していく自動車の色を見つめたり、横断歩道で駄弁っている小学生の群集を目にしたり、犬と散歩している人間を流し目にしたり。
つまりは手持ち無沙汰なんだ。
暇なら対策の一つでも練れって話だけど、今更考えても答えはひとつだろ。一週間以上悩んでも貞操の危機を守るには“逃げる”しかないって結論しか出なかったんだから。
俺の視界に工事中の建物が見えた。
あれは……。
「あれは今度アウトレットモール敷地内にできる観覧車ですよ。主に恋人をターゲットにするそうで、夜も稼働しているとか。三週間後には完成するそうです。
空さま、是非完成したら鈴理お嬢様をお誘いしてあそこに連れて行ってやって下さい。お嬢様は観覧車が大好きなので」
「は…ははっ、観覧車って言えば恋人達のデートスポットっすもんね」
でも、願いは叶えられそうにない。
観覧車になんか乗ったら俺が昇天しちまう。高いとかレベルじゃないぞ、あれ。
ナニが悲しくてお金を払ってまで高い場所に行かなきゃならないのか、俺には理解し難い。
引き攣り笑いでその場を凌ぎ、向こうに見える観覧車に目を向ける。
車輪状のフレーム、飾られているゴンドラ、稼働はしていないけど、1ヶ月内には完成してゆっくりと回るんだろうな。人間ってのは新しい物好きだから、完成した日には長蛇の列ができるに違いない。
でも先輩は好きなんだな。観覧車。
そんな話は一度も聞いたことがない……俺が高所恐怖症だからだと思う。先輩は俺に気遣ってくれているんだ。乗れない俺を困らせないために。
(克服できたらいいんだけどな)
そしたら完成する観覧車にだって乗れるし、遊園地にも行けるんだろうな。
遊園地なんて俺の乗れるものが殆どないぞ。
高いところを要する絶叫系も観覧車も駄目だから。メリーゴーランドやコーヒーカップなら乗れそうなんだけどな。
……なんで俺、高い所駄目なんだろう。トラウマがあるのは確かなんだけど、なんでトラウマがあるんだろう。根本的なトラウマを憶えていない。
父さんや母さんに聞いても、「ジャングルジムから落ちて大怪我を負ったからだよ」で終わる。
そう言われたらきっとそうなんだけど、でもそれだけ、なんだろうか。なにか忘れているんじゃ、俺はなにか。
だけどナニを。ナニを俺は忘れているんだろう。
真面目に真剣に考えても何も思い出せず、俺は欠伸を一つ噛み締めて窓のフレームに肘を置いた。忘れちゃいけないナニかがあったことは確かだった。でも今の俺じゃ思い出せない――。
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