12.初おでーと物語(その5)





「すまなかったな、空」




 隣に座る鈴理先輩から謝罪された。


 視線を流せば、シュンと肩を落としている先輩がデートの空気を壊してしまったこと、高所恐怖症を気遣えなかったこと、それから許婚のことについて詫びられる。許婚がいたことについては驚いたけど、前者二つについては然程気にしていない。


 俺だって身形身分その他等々のことで空気を壊しちまったしさ。高所恐怖症も、覚悟の上で追い駆けた結果だ。泣いた俺が悪いんだし。


 だけど先輩の気が治まらないのか、やっぱり詫びを口にして言葉を重ねてくる。


「大雅があんたの家庭の財力を蔑んだこと、許してやって欲しい。悪い奴ではないんだ。ただ財閥の子息になると、どうしてもそういった点を幼少から叩き込まれるからな」


「はあ、金持ちの子供も大変っすね。べつに俺は気にしていませんけど。だけど、許婚がいるのに俺と付き合って本当に大丈夫なんっすか? しかも庶民の凡人と付き合っているなんて、ご両親が」


「大丈夫だ。大丈夫でなければ、とっくにばあや達に止められている。それに以前にも言っただろ。家柄など端っから気にしていない。気にしているのならば、あたしはとっくに……空を諦めていると。両親はあたしに期待などしてないだろうしな」


 そういえば、さっきもそういうこと先輩、言っていたな。


 「財閥の子はな」遠目を作って語り部に立つ先輩は、そっと身の上話を切り出した。

 曰く、財閥の子は将来の財閥を背負うために期待という圧力を掛けられて生きている。物に不自由はない、けれど時間に自由がない。時の自由を代償に、財閥の将来を背負う勉強に励むとかなんとか。 昔から先輩はそれが駄目で駄目で、どうしても時の自由を欲してしまい、両親を困らせていたとか。



「あたしは昔から変わった性格の持ち主でな。好奇心旺盛のじゃじゃ馬で、まったく令嬢っぽくないと教育係達の手を焼かせていた。本当に駄目だったんだ、そういう風に令嬢扱いされることも。姫のように振舞われることも。女性らしく振舞うことも。あたしには姉妹がいてな。上に二人の姉、下に妹の四姉妹なのだが、飛び抜けてあたしは男勝りな性格。姫らしく振舞える姉妹たちとは違って、どちらかと言えばあたしは男のように振舞う方が好きだった。性格の問題だから仕方が無いとはいえ、両親は困りに困ってな」



 確かに先輩はヒーローに憧れている。ゆえに女性らしく振る舞え、と言われても難しいだろう。



「一令嬢として竹之内財閥を任せるには、些少ならず不安を抱いたのだろう。期待を寄せてこなくなった。嬉しい反面、見切られたのだと寂しい念を抱いたものだ。そして我が儘なことに、期待は両親の愛情と思っていたあたしは悲しい気持ちに駆られたんだ。多忙な両親の愛情を感じられるのは期待感が一番だったからな。父さまと母さまの期待に応えられる娘にはなれなかった。自分を偽ってまで、演じられたら良かったのだが、あたしもプライドが高くてな。本来ならエレガンス学院ではなく、姉妹たちが通っている隣町の女学院に通う予定だったのだが……自分の肌に合わないと理解していたからやめたんだ」



「先輩」


「後悔はしていない。あたしはエレガンス学院で新たな友に会えた。あんたにも会えた。この道に悔いはないさ。悪いな空、つまらない話を聞かせてしまったな」


 なんとなく先輩の脆い部分を垣間見た気がする。


 金持ちには金持ちの、貧乏には貧乏の家庭事情ってのが存在するんだな。育つ環境が違っても、何かしら障害にぶつかっては苦しんだり悩んだり辛酸を味わったり。何処も同じなんだよな、きっと。


 障害の種類が違うだけで、何処の家庭でも何かしら事情が存在する。


 目前の水景を見つめる。さざ波を立たせている水面は、きらきらと太陽の光を反射させてとても綺麗だ。



「先輩。俺がどうしてエレガンス学院に入ったか、話しましたっけ?」


「ん? 補助奨学生を狙ってではなかったか? 金銭的な面を気にしてのことだろう?」


 うん、その通りだ。けれど、それだけじゃ説明不足なんだ。俺が本当に学院を目指した理由は、それだけでは説明不足。


「正直に言えば、都立校でも十分でした。行けないことはなかったんっすよ。でも俺は、両親に金を使わせたくなかった。俺のために金を使うなんて“無駄遣い”だと思えて」


 視線が俺を捉えて放さない。微苦笑を零し、俺は鈴理先輩と瞳を交わす。


「俺が養子だから、と思ってしまうんっす」


 困惑と驚愕の含んだ眼が俺を射抜いた。「養子だから?」遠慮がちに聞き返される。俺は大きく頷き、本当の子供ではない苦心を表に出す。


「俺にとって今の母さんは“叔母”。同じように父さんは俺にとって“叔父”。本当の親子じゃない。それがネックなんっすよ。大好きには違いないんですけどね」


 交通事故に巻き込まれ死んでいった両親。

 残され、身よりがなくなった俺を快く引き取ってくれたのが今の両親だった。

 施設行きもありえたのに、昔から生活がひっ迫していたというのに、二人は俺を拾って子供にしてくれたんだ。両親は謂わば恩人。大好きで、大切で、感謝しても足りないほどの感情を抱いている。


 けれど、何処か心苦しいと思うこともある。


「血縁がないわけじゃないっすけど、やっぱり本当の子供じゃない俺を育てるって苦労したと思うんですよ。あの頃の二人は若かった。今も若い。これからだってあるのに、子育てを選んじゃって。だから俺なりに、お金を使わない道を考えて学院を選んだんっす。しごく不純っすけどね」


「どうして、その話を。あたしに?」


 「なんとなく知っておいて欲しかったんですよ」俺自身のことを彼女に知ってもらいたかった。先輩が家事情を話してくれたように、俺も家事情を話したくなった。彼女が話してくれることで、俺はより先輩を知ることができた。


 じゃあ、同じように話そう。じゃないとフェアじゃない。そういう気持ちに駆られたんだ。



「先輩は俺のヒーローなんでしょう? なら、ヒロインのことをもっと知って欲しいもんじゃないっすか」



 先輩が変わり者だということは、付き合う前から知っていた。

 それを承知の上でお付き合いを切り出したのは俺。相変わらず、女扱いはしてくるし、無茶ぶりなヒロインを強いようとするし、恋愛厨なことばかり口にするし、毎度貞操の危機だし。俺を困らせてばかり。


 参っちまうよ。男の矜持もくそもない。



 なのに一喜一憂する彼女に心躍る俺がいる。


 しょーがないから、ヒロインになってあげようじゃないか。

 可愛くも、美人でもない、残念平凡なヒロインだけど、ついでに男でもあるけれど(男の娘でもないよ!) 、ヒーローを望む彼女の願いを叶えてやりたい。全部は無理だろうけどさ。


 そりゃ扱いには超嘆くかもしれないし、逃げる時だってあるかもしれない。いや……大半は逃げると思うけど、それでも極力は彼女の我儘を聞いてあげよう。セックスその他諸々の不埒な事は置いておいて、ヒロインポジションに立ってあげよう。


「俺は貴方のことをもっと知りたい。だからあなたも俺のことを知って下さい」


 誰のためでもない、本気で好きだと言ってくれた、肉食系お嬢様のために。


 けれど先輩、覚えていて。

 貴方の根は女性。何か遭ったら、そのポジションは俺に返してください。一時でいい、俺にヒーローをさせてくださいね。


 呆けた顔で語り部を見つめていた鈴理先輩だったけれど、見る見る顔が赤くなっていく。今度は怒りじゃない。好意に対する赤面だ。どうやら獰猛お嬢様の守備力はすこぶる低いようだ。攻撃力は神並に強いというのに。


 顔が赤いとからかってやれば、「煩い!」空のくせに生意気だと彼女。無遠慮に背中を叩き、その感情を必死に隠そうとする。


 そんな彼女に俺は一つの疑問を投げかける。



「先輩。どうして俺を好きになってくれたんっすか?」



 一年前から片思いを抱いていたと言ってくれたあたし様。ということは、中学生の時に俺と彼女は出逢っている。けれど俺の記憶にはない。何処で俺達は出逢ったのだろう? 彼女ほどの美人さんなら忘れるのも難しいと思うけど。

 本調子を取り戻した鈴理先輩は舌を出した。「今は秘密だ」


「空があたしのところまで落ちてきたら教えてやる。今は言ってやらん」


「えー、ケチ」


「ケチにケチと言われたらおしまいなのだよ」


 腕を組む彼女が「ヒロインならヒーローを喜ばせるようなことをしても良いよな」と、横目でチラ見。また無茶ぶりを……ポジションは譲ってあげるけど、そういう我儘は頭を悩ませる。


 今か今かと反応を待つあたし様に押され、俺は必死に考える。


「わ、先輩。カッコイイ素敵!」


「まったく嬉しくないのだよ」


「ヤンッ、センパイキャッコイイステキ!」


「……言い方を換えても一緒だ。空、少しばかりキモイぞ」


 えぇええ頑張って裏声を使ったのに! 羞恥を呑んで頑張ったのにっ、その反応は傷付く! 冷たい目で見らえるとかショック過ぎるんですけど!

 ど、どうしよう。ヒーローを喜ばせるものってなんだ。俺がヒーローになって考えればいいのか? もし俺がヒロインにこう言われたらときめくもの。先輩がときめそうなもの。ヒーローがドキッ、きゅん、となるようなものは……あ。


(あー……思いついたけど、これ俺がするの? 俺がやっちまうの? またキモイと言われそうだけど)


 「先輩」「なんだ?」意地の悪い笑みを浮かべて、苦悶している俺を捉えてくるガラス玉のような瞳にぎこちなく甘えてみる。



「キスしてください」



 燦々と降り注ぐ太陽の光よりも眩い破顔が俺の視界を覆う。

 真っ昼間にも関わらず、俺達は木々の香りに包まれ、そよ風を受けながら水辺のベンチでキスを交わした。この光景を見て何人が分かるだろう? 彼女がヒーローで、俺がヒロイン的なポジションにいる、のだと。


 ぎこちなく右の手をのばし、彼女の左の手と重ねる。先に重なっていた唇からこぼれる吐息。相手の体温。世界の音。どれを取っても心を躍らせる。弾力ある唇が離れては、悪戯気に戻ってきた。


「可愛い空」


 人のド緊張した顔に一笑してくるあたし様に、「嬉しくないっす」俺は苦笑を返す。こっちはいっぱいっぱいだというのに。

 なのに彼女は俺を可愛いと連呼した。男の娘というわけでも、美形というわけでも、小動物系というわけでもないのに。平凡くんを可愛いと嬉々し、永遠に続けばいい時間だと彼女はおどける。


「空、今度家に泊まりに来い。来週は無理だが、再来週の土日ならば空けられる」


 「え?」瞠目してしまう。

 泊まり、に? 俺が先輩の家に?! え、えぇええええ?! そんな滅相もない! 女の子の家に泊まるなんて、しかもお嬢様の家に泊まるなんて、申し訳なさと同時に別の意味で危機感を覚える。


「もっと空を知って良いのだろう? だったら、もっと親密にお互いを知る時間を設けても良いではないか」


 そ、そうは言ったけれど、だからってなんでお泊りの話になるんっすか。

 知りたい知って欲しいという発言はそういう意味で「それとも何か? やっぱり今日、ラブホで熱い一晩を過ごしたいか?」卑怯な問い掛けだ。俺に拒否権なんてないじゃないか。顔を顰めると楽しげに笑う彼女と視線がかち合う。襲わない確証はあるのか、相手に聞いても先輩は笑うだけ。


「触れたいのは仕方がないではないか。空が、どうしようもなく好きなのだから」


 完全に逃げ道が塞がれた。


「その代わり、今日のラブホはなしっすよ」


 彼女にしっかりと釘を刺し、遠回しに承諾する。


「ならキスをしようか。今日は初デート、仕切り直しだ」


 眦を和らげ、鈴理先輩は幾度目の口づけを送ってくる。

 泊まりだなんてサバイバルもいいところだろう。先輩が俺を食うか、俺が先輩に食われるか、草食が逃げ切るか、肉食が捕獲しちまうか。


 恐ろしい再来週の土日。正しくは土曜の夜。

 でも今は近未来の恐怖より、目前の至福を噛みしめることが俺にとって大切のようだ。薄目を開けていたその瞳を瞼の裏に隠し、水景のベンチでキスを交し合う。



 初デートなんだ。


 学院ではできないような、糖分多めのやり取りだって許されるだろう。

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