09.初おでーと物語(その2)




 さてさて先輩の一方的なタジタジ攻めを受けていると、オーダーしていたヴォンゴレ・ロッソというイカツイ名前の付いたパスタがやってきた。


 異文化の壁さえ感じたヴォンゴレ・ロッソとは一体どんなものなのか。いざ拝見してみる。


 ……うーんっと? アサリがパスタに入っているな。トマトっぽいソースにパスタに絡めている、だけのよーなー。

 ナニ? ヴォンゴレ・ロッソってのはアサリ入りミートソースのことなのか? だったらミートソースパスタあさり入りと、メニューに表記すりゃいいじゃんかよ。随分期待したというのに。美味しそうだけど。


 パスタの入った皿と睨めっこしていたら、先輩が笑いながらおしぼりで手を拭き始めた。


 どうやら俺の心境を見透かしたらしい。



「ヴォンゴレ・ロッソはイタリア語だ。ボンゴレとも表記するのだが、意味はアサリ。正確には“二枚貝”という意味だ。そしてロッソの意味は赤。つまりヴォンゴレ・ロッソとは二枚貝入りトマトソース和えパスタということだ。ちなみにトマトソースを使わないのがヴォンゴレ・ビアンコ。ビアンコはイタリア語で白という意味になる。他にもバジリコを使ったヴォンゴレ・ヴェルデ(緑)、ヴォンゴレ・ネロ(黒)といったパスタもあるぞ。まあ、洒落た名前を付けた方が店的にも見栄えがいいだろ。なにぶん日本というのは西洋に憧れている面があるからな」



 淡々と説明してくれる先輩って超物知りだな。

 こっちはミートソースをボロネーゼって呼ぶことさえ知らなかったのに。さすがはお嬢様だな。

 とにかくヴォンゴレは貝を使ったパスタってことだな。アサリパスタ。よしよし、覚えておこう。


 俺は知識をまた一つ蓄積させながら、両手を合わせて頂きます。早速ヴォンゴレ・ロッソを頂くことに……ん? えっーとお箸、おはし、は。


「空。フォークならそこにあるじゃないか」


「え? あ、ああっ、どもっす」


 実は目で必死にお箸を探していました、なんて言えない残念貧乏学生の俺は慌ててフォークを手に取った。


 ですよねぇ。お箸なんて此処にないですよねぇ。

 でも食いにくくないっすか? フォーク。俺の家、めん類を食べる時は全般お箸なのだけど。


 つくづく日本人っておかしいなぁ。同じめん類のそうめんやうどん、ラーメンはお箸で食うってのに。なーんで西洋かぶれにフォークで食べるんだろう。

 あ、しかも先輩、スプーン使っている。

 はあ? 何それ。パスタにはスプーンも使う規則なんっすか? たかがめん類なのに?


 目を点にしていたら、ヴォンゴレ・ロッソを頂いている先輩が石化した俺に気付いて笑声を漏らした。


「空、普通に食べればいいさ。日本ではスプーンを使って食べたりするが、イタリアではフォークのみを使用するが、此処は日本だしな。そう硬く食事をしても美味くないぞ? 今日はデートなのだからな。気楽にいこうではないか。硬くなるなら、ベッドの上で緊張しろ。今晩が楽しみだな」


「それもそうっ……すね、じゃない。先輩。やる気モードは解除して下さいっす!」


「イヤヨイヤヨモスキノウチ。そう期待するな、空。時期に夜は来る」


 だから違うと言っているのに、この不謹慎お嬢様はっ!


 おっとダメダメ。

 下手に食って掛かったら足元を掬われて返り討ちに遭うんだからな。

 軽く咳払いをした後、俺は不慣れな手つきでフォークを使う。んでもってパスタを巻いて口に運んだその瞬間、ぶわっと視界に花が咲いた。


 それなりのお金を払うだけあって美味い。ああ、幸せ。パァッと空気に花を咲かせていると、「美味いか?」声が掛かってきた。

 俺はうんうん頷く。泣きそうなくらい美味いんだけどっ、やべぇヴォンゴレ・ロッソ。カッコつけた名前だけあって美味いじゃないかよ!


「美味いっす。とても幸せっす。ほんと食べ物には感謝感謝っすね。あ、これって詰めてもらえるんっすかね? できますよね、お金払っているんだし」


 俺の発言に先輩の食べる動きが止まった。 


「……待て空。持って帰るつもりか、そのパスタ」


「え? だってもし余ったら勿体無いじゃないっすか! なんか俺、感動の余り胸が一杯になって。食べられなかったら持って帰るつもりっすよ。今日はタッパー持参してないんで……できたら向こうが用意してくださると嬉しいっす。でも無理なら、近くの百円均一で買ってくるしかないっすよね。んー、それも勿体無い気がするっすけど」


 それに持って帰れたら両親にも食べてもらえる。お持ち帰りプラス親孝行、わぁお素敵に無敵な二重にお得!

 意気揚々に答える俺はうんうんと自己完結するように腕を組んで頷いた。



 だって今回のデートの費用は両親が出してくれたわけだし、せめてお礼に何か持って帰りたいじゃないか。いや勿論お土産に何か買うつもりでもあるけれど……ただなぁ、問題はお持ち帰りの際、タッパーを本当に買うべきかどうか。タッパーは我が家に沢山あるんだ。


 便利極まりないタッパーといえど、百円均一で売っているキャツは百円もする品物だし。

 いや、正しくは百円上乗せ五円された品物。

 もっとお金を掛けずに持ち帰る方法は無いんだろうか。


 タッパーを買わず、尚且つ家に持ち帰る方法。


 あ、そうだ、閃いた。もしもの時はラップに包んでもらおう。飲食店なんだからタッパーが無くても、ラップくらいあるだろうし。よし決めた、この手でいこう。ポンッと手を叩いて自分の案に自己満足する俺だったけど、向こうに座っていた先輩は何故か、引き攣り笑い。

 え、なに、そんなにおかしいこと言った?

 キョトンと先輩を見つめれば、ふーっと先輩は遠目で窓辺をちらり。


「なあ、空。あんた、ケチと言われたこと、ないか?」


「え、あ、うーん……時々あるっす。俺的にはそのつもりはないんですけど、友達や両親にケチってちょいちょい言われたり言われなかったり」


「うむ。的確な返答をありがとう。おかげで、すこぶる納得しているあたしがいる」


「け、ケチじゃなく倹約家なんっすよ。なのになーんでか皆、ケチって言うんっす……先輩も、俺のことケチだと思いますか?」


 ちょい不安になって先輩に質問をしてみる。仮にも目前の方はお嬢様だ。ケチ、じゃなくて、節約術とかいう単語は無縁だろうし、今の一面で失望しちまったかも。俺自身悪い面だとは思わないけど、環境や育ちが違うと価値観が違う。

 遠目を作っている先輩を見ていると、もしかしてもしかしたら失望されちまったかも。刹那、先輩は「かもなぁ」とケチの面を迷わず肯定、反して柔和に綻んできた。


「確かに傍から見れば非常識のドケチ精神にしか見えないが、それも空だ」


 くるくると手際よくフォークでパスタを巻いたと思ったら、先輩はそれを俺の口元に押し当ててきた。「あ」母音を言われて、反射的に「あ」言葉を発する俺。口内にフォークごとパスタを押し込められて、気持ち的にアッチッチ。なのに先輩は更に気持ちに火をつける。


「そうやってドンドン曝け出せばいいさ。どんな空も見てやるから。あたしはあんたのことは、誰よりも分かっている。だからもっと曝け出せよ」 


 暖はもういらないのに、小っ恥ずかしいことを平然と彼女は言い放って俺の体温をグングン上げていく。いくんだ。モグッとパスタを噛み締める俺に、「空、節約とは何をするのだ?」是非聞かせて欲しいと先輩が話題を切り出してくる。


 さも当たり前のように俺のことを聞いてくる先輩。

 嗚呼いつもそうだ、先輩はそうやって当たり前のように俺の中に入ってくる。戸惑う暇もなく入ってくるもんだから、普段の俺じゃ絶対に話さない高所恐怖症のことも、血縁のことも、さらっと彼女に話してしまった。


 なんか先輩に侵食されている気分。侵食、いや先輩色に染まっているのかもな。

 ぎこちなく視線を逸らして、俺も先輩のようにくるくるっとぎこちなくフォークを回してパスタを巻く。んでもって、またもや先輩の真似っこをする俺は、それを差し出して「語り出すと」止まらないっすよ、と忠告。


 受け身なりの反撃だったりする。キョトン顔を作る先輩は一変して破顔。



「ああ、上等だ」



 そう言ってフォークを銜える先輩の仕草に可愛いと思う俺がいる。



 内緒話。

 キスしたいとか、抱き締めたいとか、激不覚なこと思ってしまったんだけど……初デートで浮かれているのかも。ほんっと攻め攻め押せ押せな困ったさんの彼女にどっぷりはまっていく俺がいる。いるんだ。


 彼女と視線がかち合い、俺は思わず照れ笑いを零した。



 □



 さて此方は、某テーブル。



「(お・の・れッ……豊福空っ、鈴理さまとあんなにイチャイチャのラブラブっ。しかも食べさせ合いっこ、だと⁈ 死刑ものじゃないかっ、キィイイイッ!)」


「(落ち着け高間。向こうに声が聞こえてしまう。嗚呼しかし、これはなんったる苦行なのだろうか! 廃人になりそうだ!)」



 グググッ。

 メニュー表を握り潰す、いや破り捨てる勢いで握力を籠めていく姿が二つほど見受けられた。

 謂わずも『鈴理さま見守り隊』の親衛隊隊長と副隊長である。二人のおでーとを邪魔するべく、変装までしてパスタ店に入った二人の胃はストレスのあまりによじれそうだった。何故ならば我等のアイドルが憎きあやつとイチャイチャラブラブオーラを以下省略。食べさせ合いっこなんて天に召されそう以下省略。まずデートという時点で以下省略。ショックのあまりに泣きそうである。いやもう若干泣いていますがなにか?


 だったら、デガバメなんて止めれば良いという話なのだが、そうは問屋が卸さない。


 我々は『鈴理さま見守り隊』、アイドルを見守る立場、そしてこっそりと彼女を守る騎士でもあるからして……つまり結論から言えば、あの一年坊がアイドルとお付き合いしているという真実を抹消したいのだ!


 そのためなら何だってしてやる。ああ、してやるとも。あんなイチャイチャを見せ付けられようとも、苦行という名の辛酸を味わおうとも!誰がなんと言おうとも此方の暴走……ゴッホン、信念は曲げられないのである!


「(先程の騒音揶揄作戦は失敗したな。周囲の声を耳にすれば彼女は失望すると思ったのだが)」


「(寧ろ聞こえていないようでしたよ隊長……泣きたいですよぉお!)」


「(泣くな高間。泣いても現状は変わらないのだぞ! ……よし、作戦Bを決行する)」


 うんっと頷き合う二人は、メニュー表を眺めながら、やや声のボリュームをアップする。


 「なあ思うんだ、タカ」「なんですか先輩」呼び名を一々変えて、切り出した話題は向こうにとって痛烈であろう話題。

 向こうに聞こえるように会話をする。


「今度彼女とデートをしようと思うのだが、センスの無い服装では男が廃ると思うのだよ。例えば、彼女が私服で、僕が制服じゃあ、彼女にも申し訳ない。周囲の目にも毒だし、僕は勿論、彼女も悪く言われるかもしれない。『なんであんな男と付き合っているんだ? センスがないのではないか?』と」


「あ、それ思います。彼女に気を遣わせるというかー、なんというかー」


「やはり服装は大事だな。彼女に見合う且つ釣り合う男にならなければな」


 効果はバツグンのようだ。近くで食事をしつつ談笑をしていた空が、なんだか居心地悪そうな顔を作る。これぞ、『お前の身の程を知りやがれ作戦B』である。ちなみに作戦Bは省略形なので宜しくである。



 こうしてカップルの姿を客観的に教え込むことで、向こうの空気がギスギス。おでーとの空気もギスギスしていき、デートどころか関係はおじゃーん。


 まったくもって自画自賛ではあるが、完璧(パーフェクト)な作戦だ。自分達が直接手を下すこともなく、周囲の目を気に始めて空気がギスギスしていくのだから!



 ああほら、思った傍から空が「なんかすみませんっす」改め服装のことを、我等のアイドルに謝罪している。アイドルはちょっと不機嫌になって「無用な謝罪は受け取らないぞ」なんて男前、じゃない、女前な発言を。


 ……ん?


「空は何を気にしているのだ? 周囲に浮気心を持つくらいなら、あたしだけを見ておけばいいではないか」


「浮気心って、先輩! いやでも、俺の服装で、もしかしたら……先輩……悪く言われているかもしれないっす。先輩は素敵にバッチシな服装なのに、俺……うーん、KYな服装と言いますか」


「だから、周囲に浮気心を持つなと言っている。気にしているなら、先程店で服を買えば良かったな。あんたの体払いで」


「かっ?!」



 ……んん?



「あまり周囲に耳を傾けて不安を抱くようなら、この場でべろちゅーしてやる」


「ぶふっ! ぱッ、パスタが変なところっ、ゲッホゲホッ、ゲッホ! ……せ、先輩っ、な、なんてことを」



 絶句する柳と高間の姿なんて露一つ知らない鈴理は、堂々とニヤリ顔で言うのだ。



「要するに周囲の声など微々たるものだと、その体に教えてやればいいのだろう? まったく所有物のくせに、周囲の声で不安を抱くとは生意気な。空、準備と覚悟はいいか?」


「よ、よくないっす! ご、ゴメンナサイっす! もう言いませんっ、ほんっとに言わないっすからっ! そ、そのー……此処ではちょっと」


「ほぉー。此処では嫌? では後ほどたっぷりさせてくれるわけだな?」


「い……いや、そういうわけでも」


「選択肢は二択だ。此処でスるか、それとも後でスるか。ちなみに後者の方が過激になるぞ。なにせ、公ではない場でヤるつもりなのだから」


 「う゛……」空は自分の発言がどれほど失態だったのかを思い知りながらも、後者を選び、モゴモゴと何度も謝罪を繰り返す。

 ニンマリとあくどい笑顔を作る鈴理は、「後が楽しみだな」したり顔で食事を再開。


 こうして柳と高間の望むギスギスした雰囲気が完成したのだが、種類が、種類が違う。あれでは恥じらいと欲と恋人故のギスギスムード。寧ろギスギスという名の甘いムード。


 アウチ、どうしてこうしてああなった!


「(……隊長。これはもしや)」


「(分かってはいると思うが、失敗だ)」


「(鈴理さまにあんなことを言われてっ……切ないですよ。隊長。ついでに羨ましい)」


「(まったくだ。一度でいいから、豊福空のポジションに立ってみたいものだ)」


 ガックシ二人は肩を落とし、水滴がびっしりついているコップを手にするとグイッとお冷を一気飲み。自棄飲みとも言う。

 はてさて通り掛ったその店のスタッフは、他のテーブルの食器を片付けながら思った。


 この二人、さっきからメニューを見ているだけで、まったく注文する気配が無いのだが……お客なのだろうか? と。不審がられていることなど気付かない二人は、いつまでも深い溜息をついていたのだった。まる。

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