03.正反対カップルの誕生(かもしれない)
□ ■ □
午後の授業は上の空になることが多かった。
ノートは取っているけどちっとも頭に入らないんだ。取っている文字がただの記号に見えて仕方が無い。読めるけど理解していない、そんなカンジ。成績は下げられないんだけどな。一応補助奨学生なんだ。成績が下がったら学費免除が白紙にされちまう。
何度目かの溜息をついた。
だってなぁ。鈴理先輩に男前……じゃない、女前に一丁前に口説かれたらな。
人のことを所有物だって連呼されているけど、好きです発言もされている。金の有無で人の気持ちなんて変えられないとは思わないか? なんて言われたら、そりゃこっちだって嫌でも意識する。
軽い気持ちで接しているわけじゃない、鈴理先輩は俺にそう言ったけど、俺達は付き合っているわけじゃない。一方的に先輩からアタックを受けているだけ。
ちょっとアタックの仕方が問題あり、だけど、こんな俺のことを好きだと言ってくれる。
いやそれどころか、セックスしたいと言ってくれる……先輩、順序が間違っていると思うんだけど。本当に俺のことを好きだって言うならまず、好きから始めるもんだろ。
俺等の出逢いってキスから始まっただろ? イヤーン発言から始まっただろ? キスに次いで性交しましょう、だなんてどんなアピール法?!
「それともあれが先輩なりのアピールなのか」
俺は頭を抱えた。相手は財閥のお嬢様でやや常識に欠けた人だ。あれが彼女なりのアピール法だって言われればスゲェ納得。
でもだからってあんな口説き方あるか? 普通に口説いてくれれば、平凡男子の俺なんか、一瞬で落ちるっていうのにさ!
『攻め女のあたしに目を付けられた時から、あんたの運命は決まっている。肉食は草食を食らう運命。あんたもあたしに食われる運命なのさ。潔く諦めて存分にあたしの所有物(=恋人)ライフを満喫するがいいさ!』
嗚呼。思い出しちまった、先輩の恐ろしい呪いの言葉。もしも俺、先輩に食われちまったらどーなるんだろ。
何かが得られる代わりに、大きな代償が払われるような。元の生活には戻れないような。身の危険を感じる。
二の腕を擦りながら百面相をしていると、「豊福」目の前に国語の教師が立った。
「何をブツクサブツクサと」
怒気を纏って青筋を立てている国語の教師に俺は愛想笑い。どうやら俺は盛大な独り言を紡いでいたらしい。クラスメイトからはクスクスと笑われている。
授業に集中しろと注意し、俺の頭を軽く叩いた国語の教師は黒板に戻って行く。
俺は頭を擦りながら教師の遠ざかる背を見つめ、小さく溜息。
どうして今日に限って先輩をこんなにも意識しちまうんだろう。
こんなこと、今まで無かったのに。今まで先輩のアタックからずっと逃げることだけ考えていたから……かな。
机に肘を置いて俺は頬杖をつく。開きっ放しの教科書に目を落としながら考えるのは鈴理先輩のことばっかり。アタックに身の危険を感じる反面、先輩の本心が気掛かりで、気掛かりで。
本当に先輩は俺のことを、貧乏で平凡で取り得の無い俺を好きって思ってくれているのかな。遊びじゃないことは分かっている。
だって昼休みにあんな小っ恥ずかしいことを平然と言ってくれたんだから。
(……先輩が男前、じゃない、女前だから悩む俺が女々しく思えて仕方が無い!)
こんな自分嫌だぁあああ! 俺も男だ、少しは男になりたい! ついでに恋愛は普通の恋愛を経験したい! 身悶えて呻く俺の頭に黒板消しが飛んできたのはこの直後のことだった。
ほんと、午後の授業は上の空な上についてなかった。
放課後、帰りのSHRが終わった俺はフライト兄弟に連れられ中庭に来ていた。
俺の悩んでいる姿に気付いて気遣ってくれたんだと思う。休憩所として設置されている四人掛け木製テーブルに着くや否や、アジくんは席を立って一旦何処かへ行ってしまう。
何処へ行ったのかと思えば、紙パックのイチゴミルクオレを片手に戻って来てくれた。
「ほら」なんて差し出された瞬間、俺、泣きそうになった。
だって、アジくん、それは一パック八十円する飲み物じゃないですか。それを俺に奢って下さるなんて、貴方はどんだけ寛大な神様ですか。
この男前! 羨ましいくらい男前だ、アジくん!
「有り難く頂きます」
俺は頭を深く下げてそれを受け取った。
「アジくん。今からイチゴくんってあだ名に変えてもいいかな?」
なんでイチゴくんか? そりゃイチゴミルクオレを奢って下さったからに決まっているじゃないか!
けどアジくんは「だめだめ」って突っ返してきた。
「俺がイチゴくんになったら、フライト兄弟が解散するだろ? 俺、笹野とフライト兄弟って気に入っているんだから。な、笹野!」
ズルッとエビくんがずっこけそうになる。「君って男は」ズレた眼鏡を押し上げて溜息。
「本多は根本的に否定する箇所が間違っている」
「面白いじゃんか。フライト兄弟。揚げ物で例えられた兄弟なんてそうはいないぜ?」
「僕はエビになった覚えなんて一切ない」
「ノリは大切だって」男前にニカッと笑うアジくんにエビくんは脱力。
「イカリングを空くんにあげていたら僕はイカくんだったんだろうか」
ぼやきにアジくんが吹き出している。「イカでも良かったんじゃね?」アジくんが能天気に言うから、エビくんもっと脱力。
余所で俺は八十円するイチゴミルクを堪能。ああ美味い、八十円の味がする。贅沢なお味。イチゴミルクオレなんて何年ぶりだろう。ジーンと至福に浸っていると、エビくんが話を切り出してきた。
「空くんは竹之内先輩が好きになったの?」
理解するのに三拍ほど間が空いた。
「ゴフッ……ゲホッゲホゲホ! な、なんで⁈」
慌てふためく俺に二人は揃って「好きになったんだ」と口角をつり上げる。俺の反応を楽しんでやがる。
でも露骨に違うなんて否定はできなかった。肯定もできないけど。意識はしていると思う。だからってそれが好きかどうかは別個の問題だと思うんだ。そりゃ意識はしているよ、素直に認める。意識しているから午後の授業が災難続きだったんだ。
苦虫を噛み潰した顔を作る俺に、「おめでとう」エビくんが祝いの言葉を向けてきた。
「これで晴れて恋人同士だね。これからが楽しみだよ」
「笹野と話していたんだ。空が押し倒されておめでとさんになるのは、あとどれくらいかなーって」
こ、こいつ等。人の置かれた状況をゲーム感覚で楽しみやがって。
俺は顔を引き攣らせながら二人に言ってやる。自分達は恋人になっていない、と。
「もうなったも同然じゃないか」アジくんにからかい混じりに言われた。
「何を今更迷っているの」エビくんには鼻で笑われるし。何だよ、俺を気遣ってくれたんじゃないのかよ。不貞腐れながらも俺は二人に吐露した。なれるわけないじゃないか、って。
「身分が違うんだから。向こうはお金持ちお嬢様、こっちは貧乏一般人。どう見ても釣り合えるわけないじゃないか」
鈴理先輩はああ言ったけどさ、やっぱり金による身分はある。
財閥の令嬢が一般人、しかも貧乏人と付き合うなんて、本当にそうなったら問題も出るだろ。貧乏が恥ずかしいなんて思わない。同情してくれとも思わない。貧乏でも胸張れ! それが我が豊福家の家訓だ。恥ずかしいなんて一切思わない。
でも、やっぱなぁ、付き合うとなると話は違ってくるよな。
「じゃあ空、身分なしで考えた場合、どうなんだ?」
「身分なしで?」
俺はアジくんの言葉に目を瞠った。
「そっ。お前って、身分だの、お嬢様だの、あれこれ理由付けて結局のところ逃げているからさ。まずはお互い平等だってラインから考えてみようぜ。お前と鈴理先輩は平等。同じ立場。美人とか身形とかそんなこともなし。ぜーんぶ同じ。そうだとしたら空、お前はどうなんだ?」
アジくんの問い掛けに俺は口を閉ざす。
理由を付けて俺、逃げていたのかな。そう指摘されたら、そうかもしれない。俺、先輩に対して逃げる癖があるから。いや向こうが押せ押せ攻め攻めだったりするから反射的に逃げちまうんだけどさ。
「同じ立場だったら」
俺は鈴理先輩のことを考えてみる。
もしも同じ立場だったら、俺、先輩のことどう思っているんだろ。鈴理先輩のあれやこれや思い出が蘇る。
いきなりキスされて、所有物宣言されて、性交しましょうなんて誘われ、いや襲われて。毎日のように追い駆け回されて。攻め女(肉食)と自負、俺を受け男(草食)と言って食べたがっていて。欲と貞操の攻防戦を繰り広げていて。
………。
俺は身震い。思わず二の腕を擦った。
「先輩が普通の女の子なら、俺、一発でOKしていたと思う。思うよ。嫌い? 好き? それ以前に俺、身の危険を感じていますが何か?」
「……まあ空くん、心中は察する。だけど意識はしているんだろ?」
エビくんが優しく俺に問いかけた。
そりゃ意識はしていると思う。こうやって身の危険を感じているところからしてもそうだし、女の子としても、今日少しだけ自覚したような、しなかったような。
あんな濃厚な毎日を過ごしているんだ。意識しない方がおかしいと思う。
「取り敢えず意識は芽生えていると思う。好き嫌いは別としてさ」
「先輩から好きだって言われたのか?」
「一応……言われたけど」
「だったら迷うこと無いじゃないか。空くん、まずはお付き合いしてみるんだ。君はあれこれ考えて逃げてしまう悪い癖がある。何っていうのか、草食動物の本能ってヤツかな。危険が来る前に逃げるっていうアレだよ。君は厄介事が起きる前に逃げてしまえ、みたいなところがある。少しは危険に立ち向かわない」
エビくんの助言に俺は片眉をつり上げて、声を窄めた。
「エビくんよ。俺は男女のポジションを逆転されそうになっている上に、相手は『王子』『俺様』『鬼畜』その他諸々教育上に宜しくないことに憧れている肉食系女子に襲われかけているのですが。君が俺の立場なら逃げないとでも?」
「……あーゴッホン。少しは距離を置く必要もあるよね」
「おいおい笹野」
咳払いするエビくんにアジくんは呆れ返りながら肩を竦める。そして俺にこんなことを言ってきた。
「男女のポジションを逆転されるのが嫌なんだろ? じゃ、お前が肉食系男子になればいいんだ」
「お、俺が肉食系男子に?!」
肉食系男子ってどんなんだ。
よくテレビで耳にするけど、実際どんなのかイマイチ想像が。あれか? がっつく系? 肉食系って考えてまず思い付くのは、あー、やっぱり鈴理先輩かなぁ。あの人、自分で肉食って言っていたし。
つまり鈴理先輩のようになれば良いのか? 押せ押せ攻め攻めになれば肉食系男子ってことだよな。
だけど、相手は鈴理先輩だぞ。俺、先輩相手に肉食に生まれ変われるんだろうか。
うんぬん思い悩んでいるとアジくんがニカッと男前に笑った。
「そうやって空みたいに悩むこと、なんて言うか知っているか? 恋煩いっつーんだよ」
「こ、恋煩い⁈」
「そーそーっ、恋煩い。だって何だかんだ言って空は先輩を意識しているみたいだし。竹之内先輩を意識している時点で、しかも嫌悪していない時点で空の運命って決まっていたんじゃないか。竹之内先輩がどうしてお前のことを好きだなんて俺は知らないけど、先輩はお前が良いんだって言っているし、キスだってしているし、男女の営みがしたいからって追い駆け回している。理由付けて逃げてないで、まずは自分の気持ちを知るために付き合うってのも手だと思う。お互いが恋に落ちて恋人、だけが恋愛じゃないだろ?色んな恋愛があってこそ、恋愛って面白いと思うぜ」
優しく、だけど強く励ましてくれるアジくんは本当に男前だ。
俺もアジくんみたいに男前になってみたい。俺、別に肉食にならなくても良いんだ。男のポジションと女の子の前で男らしく振舞えれば、草食でも全然OK。アジくんみたいに男前になれたらなぁ!
「憧れだ」目を輝かせてアジくんを見つめていると、
「男に気持ちを持っていかれるのは許しがたいことだぞ」
と柔らかな声。
俺はドキ―ッ、と鼓動を高鳴らせた。思わず持っていた紙パックを落としそうになる。
どうにか紙パックを掴んで俺は慌てて立ち上がった。視線を上げれば、俺のぎこちない行動に笑声を漏らしている噂の先輩の姿が。
俺のいるところ必ず先輩が現れてくれるよな。
ま、まさか先輩の教育係、お松さんが俺を見張っているんじゃ。有り得そうで恐いんだけど。周りをキョロキョロ見渡してお松さんの姿を探していると、フライト兄弟が俺の背後に回った。
「いやぁ羨ましいねぇ」とアジくん。「美人さんのお迎えだなんていいなぁ」とエビくん。
二人揃って俺の背中を押してきた。
勢いよく押されてしまったせいで俺はつんのめる。
先輩とぶつかる前に足を踏ん張らせて態勢を整えた。先輩にぶつからなくて良かった!。ホッと胸を撫で下ろしつつ振り返ってガンを飛ばす。って、あいつ等、いないし! フライト兄弟め、逃げやがったな!
絶対に俺の状況を楽しんでいるよな。俺の悩みを親身になって聞いてくれたのか、それとも今の状況を更に面白くするために掻き回してくれたのか。
多分あいつ等のことだから、前者三割、後者七割だろ。俺と先輩をくっ付けて面白い状況を更に面白くしてやろうって魂胆だろ!
ちぇっ、明日覚えていろよ。
舌打ちを鳴らして俺は視線を戻す。そこには面白おかしそうに俺のことを見ている鈴理先輩の姿があった。意識していると自覚した途端、何だか妙に緊張してくるんだけど。
やっぱ美人だよな、先輩。獰猛な肉食獣だけど。
「お? イチゴミルクオレか。どれ一口」
「あ、それ俺の飲みかけっ」
飲んじゃったよ。俺のイチゴミルオレ。今度はいつ飲めるか分からないのに。大事に飲みたいのに。じゃなくて、俺の飲みかけなのに! 間接キス! ……まあ、もっと濃いヤツしているから問題ないとは思うんだけどさ。
「うむ、美味」
笑顔を作る鈴理先輩は俺を探していたことを伝えてきた。
どうしても話したい事があるから、意味深に言う先輩に俺は一抹の不安を覚えた。
どうしても話したいってことは重要な話だよな。
何だろう、先輩が俺に話したいことって。先輩に意識をし始めたから感じる不安も二倍だな。先輩が好きかと聞かれたら、まだそこまでには至ってないけど。
「空、先程な。上級生に告白された」
「へっ?」
動揺。
持っていたイチゴミルクオレのパックがグシャッと潰れ、中身がパックの外に飛び出る。手がイチゴミルオレで濡れるけど、動揺の方が勝った。
だってさ、毎日追い駆け回されていた肉食お嬢様に、いきなり上級生に告白されちまったなんて言われてみ? 誰だって動揺するって。
ということは、あれか、あれだよな。あれ。心変わりしました。上級生と付き合いますって報告だよな? だよなぁ。
俺の家貧乏だし一般人だし、先輩金持ちだし令嬢だし、だけどなんでこんなに動揺……あっれー? 俺、思った以上に先輩のこと意識していたのか?
「当然告白はー」
「う、受けたっすよね? そうっすよね。先輩、美人ですし、相手もきっと」
すると彼女は、俺の反応にどことなく嬉しそうにはにかんだ。
「何を言う。断ったに決まっているだろ。告白してきたヤツはあたしとまったく合わない。まずあたしの求めている草食系男ではない。それに好きなヤツがいるからな。まあ、あたしの好きなヤツは今まであたしに無関心かと思っていたが、それは杞憂だったようだ。どうやらあたしの好きなヤツもあたしに何か想う点があるらしい。あたしが見る限り、脈がありそうだ」
鈴理先輩は意地悪くクイッと口角をつり上げた。
「えー……と」動揺していた俺は冷静を取り戻すべく、ぎこちない動きで視線を落とした。
自分の手中におさまっている潰れた紙パック、それがどういった意味合いを持っているのか気付き、俺は大パニック。
あ、あ、ありねぇ! この人、俺にカマかけてきやがったよ! 嗚呼っ、俺のイチゴミルクオレ! 勿体無い、今ので八十円のご馳走がどれだけ流出したか! 怒ればいいのか、羞恥を噛み締めればいいのか、それとも嘆けばいいのかぁああ!
いや、これは動揺したのは俺が悪い。先輩にカマかけられたとはいえ、動揺した俺が悪い。
でもなんで動揺したかって聞かれるとそりゃ、カマかけられた内容が内容なわけで。少しならず意識をしちゃっているわけで。
じゃあ好きか嫌いか聞かれたら、まだはっきりとは分からないわけで!
大だいパニックを起こす俺の手を取り、鈴理先輩はポケットからハンカチを取り出してイチゴミルクオレで濡れた俺の手を拭きながら言葉を続ける。
「しかし受けた告白であたしはあることに気付いた。あたしは空に伝わるような告白が足りなかった、と。あたしを好きだと言ってくれた奴は十二分にあたしが好きだってことが分かる告白内容だった。比べて、あたしは告白内容と気持ちが不足していたようだ。あたしなりに告白をしていたつもりなんだがな、今日の昼休み、空が身分その他諸々を口にしたものだから……言葉と気持ちが不十分だったために空を不安にさせていたのだな」
「いや、その不安っつーか。なんっつーか」
不安っていうか妥当な意見を口にしただけだと思うんだけど。
身分とか、容姿とか、釣り合わないとか、全部本当のことだし。
でも語りに立っている先輩の表情を盗み見たら、やけに罪悪感。だってションボリと落ち込んでいるみたいだから。
もしかして俺があんなことを言ったから、先輩を不安にさせちゃったんじゃ……、俺ばっかりじゃないんだよな。
きっと俺のことを好きだって言ってくれる先輩だって少しならず恋煩いを抱いている。
相手は貧乏少年だけど、先輩はこうも真剣に想ってくれているんだ。伝え方はちょっと過激だけどさ。俺、いつも先輩から逃げていたけど、逃げることで先輩を不安にさせていたのかもしれない。
「不安にさせて悪かったな」
男、じゃない女前に謝罪してくる先輩に俺はそんなことないと首を横に振った。それでも先輩は詫びを重ねる。
「ちゃんとあんたをあたしの所有物だと伝えないばかりに、あんたを不安に。竹之内鈴理、一生の不覚だ。もっと大々的に伝えれば不安をさせずに済んだというのに!」
………。
いやぁーそれはちょっと。所有物呼ばわりはちょっと。何か間違っている。間違っているから。
「先輩……もしかして所有物呼ばわりも告白のつもりだったんじゃ」
何を今更、鈴理先輩はやや不機嫌な顔を作る。
「当たり前だ。流行りのケータイ小説では『俺のものは俺のもの。お前のものは俺のもの』というジャイアニズムが多発しているのだぞ? それで天然主人公は鈍感ながらも意味を理解し、恥じらいながらも胸キュンになる展開が王道なのだが。まさか、空、所有物という単語では気持ちが伝わりにくかったのか? うーん謎だな、謎。空は天然系か? 鈍ちゃんなのか?」
いえ、先輩が根本的に気持ちの伝え方を間違っているだけです。一体全体、俺に何を求めているんですか、先輩。
まさか恥じらいながらも胸キュンして欲しかった? ジョーダン! 俺は乙女じゃないぞ!
俺にだって普通の恋愛をして、女の子をリードしていきたいって願望はあるんだ。それを行動に移せないだけで、片隅で願望は抱いている。って、やっば、俺、先輩にずっと手を拭かせているよ。
先輩は話している間も丁寧にイチゴミルクオレで濡れた俺の手を拭いてくれているし。
「もういいっすよ」
ありがとうございます、そう続く言葉は宙ぶらりんになった。持っていた潰れかけの紙パックが地面に落ちる。俺はそれを拾う手立てがない。
だって先輩が俺に抱き付いてきたんだ。拾うことなんてできないだろ。ぎゅっと腕の力を強くしてくる先輩を横目で見ながら、俺はこっそりと深呼吸。
お、お、落ち着け。落ち着け。落ち着け。
俺は今、美人さんに抱き締められているだけだ。いつもだったらもっと濃厚なスキンシップをしているんだぞ。
だから落ち着け。落ち着け。落ち着け! 俺の心臓、うっるせぇぞ!
「先輩?」声を掛ければ更に腕の力が強くなる。
「家柄など端っから気にしていない。気にしているのならば、あたしはとっくに、空を諦めている」
その言葉は哀愁漂っていた。抱き締めてくる先輩が急に小さく見える。俺は無償に先輩を抱き締めたくなる衝動に駆られた。そして妙に守ってやりたくなる気持ちになった。
どんなに肉食系攻撃型女子でも先輩は女の子なんだよな。
こういう時こそ、俺、男を見せたい。受け身って自分でも自覚しているけど、少しくらい男を見せたいじゃないか。
けど、俺が行動を起こす前に先輩が顔を上げた。
「やはりこの態勢は気に食わん」
言うなり、腕を解いて俺の片手を手に取り、片手を腰に伸ばし……ちょ、そのパターンはまさか。まさか!
嫌な予感を感じる間もなく先輩は俺の腰に片手を回して、取った手を口元に当てた。
「やっぱりこれがしっくりくるぞ。攻め女たる者、男のポジションをぶんどることが一つの運命だしな! あんな女々しい告白があろうか!」
ほらぁ。きたよ。
先輩の大好きな、男女逆転ポジション。これが俺的に萌えるか? 燃えるか? 嬉しいか? 勿論、嬉しいし萌え燃える……ンなわけないでしょーが! 俺的に逆転ポジションの逆を望むよ! 傍から見ても目に毒な光景だって。
「勘弁して下さいっす!」
身を捩って先輩の腕から逃げ出そうとするんだけど、「照れるな」先輩は俺の反応を可笑しそうに笑うだけ。
あーチックショウ、俺だって男だろ。隙を突いて先輩の唇を奪う反撃くらいしてもいいだろ。
でも実際やろうかと考えた時、俺の中でブレーキが掛かっちまう。だってそんな度胸が無いんだよ。そんな大胆不敵なことができたら今頃、俺は鈴理先輩を押し倒せているって!
……ははっ、目前にいる肉食獣を押し倒すことなんて、俺には到底できないことだけどさ!
そんなことしたら、俺、逆に押し倒される。食われちまう。嗚呼、俺の馬鹿、このヘタレ、受け身男! 男おんな! 心中で自分に罵声を浴びせていたら、「気持ちが伝わるまで空に伝えるから」爛々と目を輝かせて俺を見つめてくる鈴理先輩がそこにはいた。その目、すげぇ恐いんっすけど。
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