02.恋うらら食堂



 四時限目終了のチャイムが鳴る。


「今日はここまで」


 先生の合図と共に学級委員が号令。挨拶が終わると、クラスメイト達は机上に載っている教科書等々を片付けながら近所の奴等とのびのび駄弁り始める。今から昼休みだ。 


 和気藹々のほほんと喋っているクラスメイトを尻目に、俺は急いで片付けをしていた。


 なんでって、そりゃ身を守るために、今すぐ教室を出ないといけないから!

 グズグズしていたら来ちまうんだ。誇り高々に『攻め女』と自称している肉食動物が。あの肉食動物が今こっちに向かっていると想像しただけで……うぅ、俺の背筋に冷たいものが走る。


 相手が美人というのが救いだと思うけど、それにしたってあのあたし様な性格、勘弁して欲しい。美人が台無しだって。


 俺は大きく溜息をついた。

 あの“ろくでもない出逢い”から、俺の毎日の学校生活は戦場と化している。目を閉じればホラ思い出す。登下校での先輩の待ち伏せ攻撃。毎度まいど、靴箱に先輩が待ち伏せているんだ。んで開口一番に「挨拶はキスで始まりキスで終わる」なんてメッチャクチャなことを言ってくる。


 フッ、大声で言うもんだから毎回注目の的だぜ。悪い意味で泣けてくる。


 ある時は移動教室での偶然と思えない鉢合わせ。移動する度に先輩に会うってどういうことだよ。もしかして俺、見張られているんじゃねえの? 時々視線を感じるし……考え過ぎかもしれないけど。

 ある時は昼休み始まった途端の奇襲攻撃。この時間が俺にとってイッチバン悩ましい時間なんだ。先輩の猛烈アタッが凄いから! 嗚呼、何度濃厚なキスをされたか……両手両足の指は足りないくらい襲われかけたぞ。俺。



 まだまだ思い出(という名の被害)はあるけど、とにかく数々のことを先輩はしでかしてくれたから学校中で噂が立っちまった!


 『二年の竹之内財閥の娘と一年の一般人が付き合い始めた』ってさ!



 先輩がどっこでもアタック&アピッてくるせいでクラスの中じゃ既に公認の仲。


 「早く付き合ってあげなさいよ!」鈴理先輩寄りの女子達からは反感を買うし、「羨ましい、でも同情もするぞ!」男子達からは羨望と同情を向けられる。


 嬉しくないかって言ったらそりゃ……先輩は美人さんだし、ナイスバディだし。

 だけど肉食だし、あたし様だし、傍若無人、何よりお金持ちのお嬢様だ。貧乏人の俺とは不釣合いだって。 

 まあ、気紛れなんだろうな。お嬢様にとって豊福空っていう凡人男子生徒が物珍しかったんだろ。もう少ししたら、きっと飽きるんだと思う。それまでの辛抱だ。先輩くらいの容姿だったら男も選り取り見取りだろう。


「それは違うと思うぜ。空」


「うわっツ! アジくん、いきなりなんだよ」


 アジくんの腕が俺の首に回ってくる。どうやら俺が心の中で呟いた「男も選り取り見取り~」の台詞を表に出していたみたい。バッチリとアジくんの耳に入ってしまった。

 ニカッと男前に笑うアジくんは、「鈴理先輩はお前が好きなのさ」励ましの言葉を送ってくれる。

 何を根拠にそんなこと言ってくれるんだよ。眉根を寄せる俺に、「どう見ても君が好きなんだって」エビくんも俺の肩に腕を置いて話に加担してきた。



「なんたって向こうは世の男が見惚れちまいそうな別嬪さんだぜ? その別嬪さんが星の数いる男の中から空にアタックしているんだ。そりゃそれなりに理由があって惚れちまったに違いないって。羨ましいよなぁ。俺も美人にアタックされてみたいって」


「本多の言うとおり。空くんはラッキーボーイだ。性格に一癖、二癖、飛んで百癖あっても悪い相手じゃないと思う」



 悪い相手じゃない、ねぇ。初対面に男女の営み発言をしたり、会う度に猛烈なアタックをされたり、問答無用で濃厚なキスをされたり、男のポジションに立ちたいって熱弁する鈴理先輩が悪い相手じゃない、ねぇ。



 そりゃ悪い人じゃないとは思うよ。男子は勿論、姉御のような器の大きさと懐の深さは先輩後輩同学年関わらず女子にも大人気だし(俺はそんな一面、見たこと無いけど)。

 悪い人じゃないのは分かる。


 ただなぁ。肉食な面やあたし様な一面を知っている俺からしたら、鈴理先輩は百癖以上に癖がある。ありまくる。彼女が好き嫌い以前に癖があり過ぎて俺の中で処理できないというか、恋愛対象として見られないというか。


 悶々と思考を巡らせる俺に、「早くくっ付いちまえって」アジくんがニヤッと笑い、「付き合ったら発見があるかも」エビくんが愉快そうに黒縁眼鏡のブリッチ部分を押した。

 フライト兄弟め、俺の不幸を楽しんでいるな。

 俺は両サイドにいる二人を交互に睨み付けた。



「お前等、他人事だと思って」 


「まあまあ。人の不幸はなんたら~って言うだろ? それにお前だってヤじゃないんだろ? 白昼堂々学校でキスをしているらしいじゃないか!」



 アジくんの言葉に俺は面食らった。

 まさかそこでキスの話題を振ってくるとは。不覚にも動揺。顔中に熱が集まっていく。


 だってあれは向こうが勝手にしてくるんだよ。嬉しいかと言われたら、ああ少しは嬉しいさ! 悪いか! 俺も男だ。健全な男子なんだ。美人さんのキスで喜ばないわけ無いだろ!


 でも素直には喜べない。だって男の俺のポジションは先輩に奪われているのだから。

 先輩好きです。お弁当を作ったんで食べて下さい、みたいな、可愛らしい女の子の攻めじゃないよ。まさしく『俺様』『男前』が似合う雄々しい攻め。『デリカシー』に欠けている男らしい攻め方だ。

 普通の女の子じゃ言わない台詞を連発してくるんだぜ? デレデレというより、タジタジ。困るし途方に暮れる。


(先輩が女の子らしく告白してきてくれたらなぁ。俺も即付き合っていたと思うんだけど)


 なにせ相手は肉食お嬢様だし。あたし様だし。変わっているし。なんか色々危ない思考のお方だし。

 直後、俺はハッとした。

 こんなことをしている場合じゃない。さっさと教室から退散しないと鈴理先輩が来ちゃうじゃないか! 昼休みはイッチバン猛烈アタックを食らう時間なんだからな! 早く弁当持って中庭にでも避難しないと。


 フライト兄弟の腕を振り払って俺は弁当と水筒の入った紙袋を手に、いざ出発! 



「あたしに気付くまでの時間、二十二秒か。まあまあの時間だが、もう少し早く気付いてくれても良かったのではないか?」


 ………。


 振り返った瞬間、目前にスマートフォンを持って時間を測る鈴理先輩がいるのですが、俺はどういったリアクションを取るべきでしょうか。驚くべきでしょうか。絶叫を上げるべきでしょうか。それとも絶句するべきでしょうか。スルーするべきでしょうか。


 ……どうすればいいんでしょう。


 カチンと固まっている俺に対し「逃げなかったということは所有物の自覚が芽生え始めたな」鈴理先輩はニンマリと口角をつり上げた。



 いやいやいや。残念なことに俺、今からさあ逃げよう! と、していたところです。弁当と水筒の入った紙袋を見て分かりませんでしょうか?


 その表情からしたら分からないと思うでしょうけど、ちょ、マジないって。この状況。


 スマホを上着のポケットに仕舞った鈴理先輩はガッチリと俺の腕を掴んできた。

 勿論、逃亡防止対策だと思う。この時点で今日の昼休み時間はオワタ。逃げられねぇ。ということは、どうにかして貞操だけは守らないと。こんなことを考えるだけでも男としての自尊心が多々傷付けられるんだけど。


 鈴理先輩からアタックされて今日に至るまで、男としての自尊心が、男としての何かが傷付けられっぱなしなんだけど。俺。


 心中で泣いている此方に対し、鈴理先輩は涼しげな顔で出入り口を親指で指した。


「今日は有意義に食事の時間が取れるから学食堂に行くぞ」


「学食堂っすか?」


「あんたと一緒に食事をしたことがなかったし、良い機会だ。少しは会話も楽しまなければな」


 珍しく不謹慎な台詞を言わなかったな、鈴理先輩。


 でも言われてみれば、そうだよな。


 いつも先輩から逃げているから一緒に食事なんてしたことなかったよな。食事が終わった頃に先輩が俺を見つけては追い駆けてくる毎日だし(結局捕まるんだけどさ)。

 先輩もどこかで飯を取って、俺を追い駆けているんだと思うけど。鈴理先輩と飯か。うーん、悩みどころだぞ。俺、弁当だしな。



「それとも食事前に運動という名の「学食堂、喜んでお供します!」



 ビシッと敬礼する俺に、「良い返事だ」鈴理先輩は満足気に頷いた。


 この時の俺達は甘いというより主従関係に近い空気があったと思う。

 付き合っているというよりも親分と部下みたいな感じ。でもでも不謹慎な言葉を教室で言われるくらいなら、俺は先輩と有意義な昼食時間を取るぞ。ああ取ってみせるさ。今だって俺と先輩はクラスの連中から大注目を浴びているんだ。不謹慎なお言葉を言わせるわけにはいかない!


 俺は先輩と一緒に、クラスの連中の注目を浴びながら教室を出た。


 囃し立てるような声やら黄色い悲鳴やら妬ましい声が聞こえた気がしたけど、一切無視した。無視するほか術を知らなかった。



 





 学食堂。


 俺と先輩が学食堂を訪れると、いつものようにそこは人でごった返している。

 空席がチラホラとあるみたいだけど、基本的に学食堂は人で賑わっている。いつ来ても学食堂は人気なんだな、と思い知らされた。


 鈴理先輩と俺は奥に突き進み、見晴らしの良さそうな窓側の席を陣取った。


 弁当の俺に対し、鈴理先輩は日替わりランチセットを頼んで自分の元に置いている。オムライスやらパンやらサラダやらヨーグルトやら、スッゲェ美味そうなんですが。オムライスとか年に数回しか食べられないぞ!


 ううぅ、オムライス美味そうだな……駄目だ。


 見るな俺。物欲しそうに見ては駄目だ! 俺には弁当があるんだ! 食えるだけありがたいと思え! ……でも、先輩のランチセット見ていると食べにくいよな。今日の俺の弁当の中身、いつもよりちょっと豪華だといいんだけど。


「ん? どうした、空。食べないのか?」


 向かい側で食事を取り始める鈴理先輩が不思議そうにパンを千切っていた。


「いやぁ……ちょっと」


 俺は誤魔化し笑いを浮かべながら、弁当と睨めっこ。此処で弁当を食べないというのも手だけど、それはそれで向こうに気を遣わせるな。


 だからって此処で弁当を食っても気を遣わせる気がする。


「具合でも悪いのか? だったらあたしが介抱してやるぞ? 手取り足取り腰取り」


 介抱に含みが入っていたような気がするのですが、俺の気のせいでしょうか? 手取り足取り腰取りが、どういう意味なのか聞きたくも無い。ブルッ、嗚呼、寒気。


 「元気ですよ!」俺は笑いながらヤケクソで弁当箱の蓋を開けた。


 瞬間、俺は勿論鈴理先輩も固まった。どうやら日本国の経済不況の波は我が家の弁当にまで打撃を受けているらしい。本日の弁当はいつも以上に悲惨である。まる。まだ日の丸弁当なら救いもあったに違いないである。まる。


「空……あんた。それが昼食か?」


 顔を上げれば、俺の弁当の中身に顔を引き攣らせている鈴理先輩の姿。

 なんとなく決まりが悪いぞ。やっぱり気遣わせちまった? 遣わせちまったよな……その表情からして。俺の弁当を見たら、だいったい皆、同じような反応をするんだ。フライト兄弟もそうだったしな。


 俺は愛想笑いを浮かべて頬を掻いてもう一度弁当に目を落とす。


 本日の豊福空の弁当の中身。もやし炒めの詰め合わせ。味付けは塩コショウ。もやし以外におかずは梅干……以上。

 いつもだったら白飯が一面に敷き詰められていたり、真っ二つに切られた食パン一枚とラップに包まれたバターが入っていたり、キャベツが人参の炒め物が弁当箱の面積を占めているんだけどな。


 今日に限ってもやし炒めの詰め合わせ。


 しかも母さん。俺に気を遣っているのか、もやし炒めだけじゃ可哀想だと同情し、詰め込んだもやしの真ん中に梅干を埋め込んでいる。少しでも見栄えを良くしようとしてくれている。日の丸弁当だと思って食えと懇願のメッセージが込められているように見えた。


 これで腹の足しになるかと言ったら、食わないよりかはマシだろ! いいか、食えることに意味がある。有り難いと思わないと罰が当たるんだぞ!


「先輩知っています? もやしってどんなに不況の波を受けても価格が安定した食材なんっすよ。寧ろ安く手に入るから、不況になるともやしブームが起きるそうです。もやしダイエットなんてものがテレビ特集でありました。それでは頂きます。あ、気にしないで食って下さい。俺の弁当はいつもこんなもんですからッ、て、あ、先輩!」


 不意に前方から伸びた手が俺の弁当を取り上げていく。


 「返して下さい」慌てる俺に対し、鈴理先輩は弁当を自分の前に置くとおもむろに手を叩いた。


 すると窓の向こうからヌヌッ……と老婆が現れる。

 茂みに隠れていたのか、頭には枝やら葉っぱやらは沢山付いている。一瞬、妖怪が現れたかと思ったんだけど。


 驚く俺に対し、鈴理先輩はお婆さんを紹介してくれる。


「ばあやだ。あたしの教育係をしている。呼べばいつでも何処でもやって来てくれる頼もしい奴だ。口煩くもあるがな」


「お嬢さま。そのようなご紹介はあんまりでございます。わたくしはいつでも何処でもお嬢さまのためを思って奔走しているのでございます」


「分かっているよ。あんたの功績には頭が下がるばかりだ」


「なら宜しいのですが。空さま、初めまして。ばあやのこと深堀ふかぼりまつと申します。以後、お見知り置き下さいまし。お嬢さまの命により、ばあやはいつでも貴方さまを見守っております。それはもう我が子のように」


 目を輝かせてくるお松さんに俺は引き攣り笑い。アータの子供になった覚えはないんですけど。


 もしかして、最近ひしひしと感じていた視線って、お松さんのだったんじゃ。うっわぁ学校で下手なことできないぞ。見張られている俺って一体……はっ、まさか濃厚なキスをされていたところも、この人に始終見られていたんじゃ。 


 だとしたら十中八九、非は鈴理先輩にあると此処に記しておく。


 嗚呼、本当に見られていたのかな? そうだとしたらスンゲェ恥ずかしいんだけど! 


 悶絶する俺に対し、鈴理先輩はお松さんに俺の弁当と自分のランチセットを交互に指差して何やら耳打ち。


「かしこまりました」


 そういうや否やお松さんは弁当とランチセットが乗っかっているトレイを同時に宙に放り投げた。何をするのかと見上げた瞬間、お松さん、妙な奇声を上げながら飛び上がって弁当と定食に向かって、人間業と思えないスピードで何か作業をしている。


 奇声を上げながらの作業は非常に怖い。存在が既に妖怪っぽいのに(失礼なものの言い方だけど)、あの目の据わり方。恐怖心を煽られる。


 しかも手さばきが早いから、一体全体何をしているのかも分からない。


 絶句している俺を余所に、音なく可憐に着地したお松さんは弁当とトレイを見事にキャッチ。そのままトレイを先輩に、弁当を俺に返してくれた。


 絶句していた俺は更に絶句することになる。

 なんと、俺の弁当箱の中に先輩のオムライスが半分に分けられたい状態で入っていたのだ! うそだろ? パンやサラダやヨーグルトまで! 勿論、俺の家のもやし炒めまで入っている。綺麗に詰め込まれている。どうやって分けたの? 短時間で作業をこなせたお松さんって、本当に妖怪ですか? 今のは妖術の一種か何かですか?


「見事だ。ご苦労」


 鈴理先輩はお松さんに礼を言う。


「恐縮でございます」


 お松さんは頭を下げると、全開になっていた窓に足先を向け、窓枠を跨いで外へと出て行ってしまった。


 呆然とやり取りを見送っていた俺はようやく我に返り、弁当の中身を指差して「これって」先輩に尋ねる。俺を気遣って半分ずつにしてくれたのかな。先輩のトレイには俺の家のもやし炒めが皿にのっている。だったら申し訳ないんだけど。


 眉をハの字に下げる俺に対し、鈴理先輩は気にするなと微笑を向けてきた。


「あたしが半分ずつに分け合いたかっただけだ」


「なんだか悪いっすよ。俺の弁当と先輩のランチセットを均等に半分にしてもらっちゃって……どう考えても先輩が損しています。気遣わせてしまいましたね」


 「すみません」謝る俺に鈴理先輩は何を言っているんだとまた一笑。


「あたしがしたいことを勝手にしただけだ。好きな奴とこうやって分け合って食べる。それは普段の二倍食事が美味くなる。これは同情ではなく、あたしのしたいことをしたまでだ。意外といけるぞ。このもやし炒め。あまり、もやしというものに接触する機会が無いからな、とても新鮮だ」


「鈴理先輩……」


「あたしが二倍美味しいと思うように、あんたも普段の二倍食事が美味しいと思ってくれたら嬉しい」


 鈴理先輩の微笑と想いの込められた言葉に顔が熱くなる。


 いつも不謹慎な言葉を向けられているせいか、こういった優しさには慣れていない。全力で戸惑う自分がいる。これが先輩の素だとしたら卑怯だよな。こんな優しい美人さん女性に落ちない男はまずいないと思うぞ。


「頂きます」


 箸を取りケチャップライスが顔を出しているオムライスを、米粒を落とさないよう器用に掬う。巻いてある玉子と熱を持ったケチャップライスの程よい塩梅が堪らない。自然と頬を崩してしまう。


 「美味いか?」顔色を窺うように聞かれたので俺は大きく頷いて感謝を態度で示した。いつもよりも昼飯が美味く感じる。勿論、それは目前の料理がお値段相応に美味いことも理由に挙げられる。けれど、それ以上に先輩の気持ちが伝わったからだろう。


 「美味しいです」態度では足らず、言葉と笑顔で返した。俺の返答に鈴理先輩は目を細めて笑った。


「そうか。空が美味いと思ったなら嬉しい。沢山食え」


 なんでそんなに男前、いや女前なんっすか。不覚にも胸キュンする俺がいる。先輩にドキドキしている俺がいる。だっていつも攻め攻めな先輩しか見てないからさ。

 こんな人にキスされていると思うと、顔も火照るよな。マジで火照っちまうよな。


「腹いっぱい食ったら、体育館倉庫でヤろうな」


 俺は固まった。見事に固まった。ぎこちなく先輩を見やればシニカルに笑う女性一匹。


「腹が減っては戦ができぬ、というやつだ。しっかり蓄えとけよ」


「え?」


「何、昼食の礼はいらない。体で払ってくれたらそれで」


「なッ……じゃあこれっ」


「言ったろ? あたしのしたいようにした、と。恩はしっかり返そうな、空」



 は、は、は め ら れ た !



 クッ、まさかこんな形で貞操の危機が訪れようとは!

 折角先輩の好感度が上がり、人知れず彼女のやさしさに胸を躍らせていたのに。これは策略だったのですね! 先輩、恐ろしい子! 油断ならない子!


「じゃ、じゃあ、これはお返します。まだちょっとしか食べていません」


 弁当箱を返そうとするも、却下だと鈴理先輩。


「人から貰った物を返すというのは道理に反していると思うが? そしてあんたのもやし炒めの半分はあたしの物だ。無論、あんたもあたしの所有物。好きにして何が悪い」

出た、あたし様! ああもう、どの口が道理なんて言っているんだい⁈


「嵌める先輩もどうかと思うっす!」



「嵌めるとは人聞きの悪い。あたしは本能に忠実なだけだ。あたしはあんたとセックスがしたい。ただそれだけのこと。どれだけオアズケをさせられていると思っているんだ! 攻め女の忍耐もそろそろ切れてしまいそうだ。いいか、空。今のあたしは美味そうな肉を目の前にオアズケさせられている肉食動物なのだよ!」



 バン――‼


 テーブルを叩いて立ち上がる鈴理先輩は、それは、それはお行儀が悪いことに椅子に足を掛けて熱弁。

 ググッと握り拳を作り、「これからは女が主導権を握る時代だ」男だけがエロイエロイエロイ……そんな戯言を言う時代は終わった。女だって実はヤラシイ生き物。これからは女も攻めていかなければ。



「大体、今どきの男は草食系が多いのだ。彼女など持たずともいいと思う男が増えている。そんな男どもに不満を抱く女は多いだろう。だから女は変わらなければならない! 諸君、今の男どもは受け身だ! そんな男を変えることは困難。ならば自分を変えるしかない! 男が欲しいなら肉食の如く襲え! 押し倒せ! 自分の尻に敷いてしまえ! これからは女子の時代、攻めの主権はあたし達にあるのだ!」



「あの、先輩。誰に訴えているんっすか?」


「無論、世の中の女性だ。男が動いてくれると信じてやまない健気な女を見ると、あたしはむしゃくしゃする。受け受けしい女ばかりが溢れている世の中ではない。欲しいなら、何故男を食らう勢いで奪おうとしない?」


 世の中の女性が先輩のように物騒な女の子になったら、世の男性の皆様は泣きますよ。号泣ものですよ。


 かくして誰でも利用可な学食堂で攻め講義を説いてくれた鈴理先輩のせいで、俺達のテーブルは周囲に大注目。素知らぬ振りをしているようで、無数の眼がこちらをチラ見している。「あれって噂の二人だよね」ヒソヒソ声が耳に飛び込んできた時の居た堪れなさと言ったらない。


 嗚呼もう俺達、ただでさえ噂になっているのに、こんなところで不謹慎な言葉を言うんだから!


「せ、先輩の主張したいことは分かりました。だけど、俺じゃなくても良いじゃないっすか。先輩は美人さんなんっすから、男なんて選り取り見取りでしょ。貴方の美貌をもってすれば、靡かない男なんていないと思いますし」


 「確かにな」いそいそと椅子に腰を下ろした鈴理先輩は腕を組んで相槌を打つ。自分の容姿に対する自覚もあれば、男が向けてくる熱い視線も感じている。深々と語る先輩に俺は引き攣り笑い。そこは素直に認めるんだ。


「しかしあたしは誰でもない、空がいいのだ。でなければ誰が好き好んで公共の場でキスや不謹慎な発言などするものか」

あ、自分のふしだらな挙動に自覚はもっていらっしゃるんですね。


「何故、空が良いか。それを問われると一口に説明し辛いが、簡略的に言えばあんたが好きだからだ。空が好きなことに理由などいるか? あたしはあんたが気に入った。他の男子には感じないトキメキを覚えた。今もトキメキを感じているぞ。だからあんたを好きだと発言する。キスも求めるし、性交も求める。あんたが好き、それ以上も以下もない。理屈などないのだ」


 あんたが好きだから求めるのだと鈴理先輩。

真摯に見つめられると、返す言葉を失う。令嬢の気まぐれで俺を翻弄しているからじゃなさそうだ。


「空は何が不服だ? あたしの外貌か? それとも完璧過ぎるボディか? ……まさか経験済みか? 実は彼女がいるとか? あたしの所有物のクセにそれは許し難いことだぞ、空」


「お、俺と先輩は付き合ってないじゃないっすか! それに俺は彼女なんてデキたことありません。先輩にファースト、セカンド、サード、それ以降のキス、全部奪われましたよ」


 キスの数なんて既に忘れてしまった。毎日のように襲われかけているんだ。数えている暇なんてない。


「じゃあ良いではないか。体育館倉庫で初セックスというシチュエーションが嫌か? 今流行りのケータイ小説ではありがちで燃えるパターンなんだがな。仕方が無い。空き教室にするか。放課後、空いている人気の無さそうな空き教室は」


「あー、多分視聴覚室あたりが人気が無さそう。って、そうじゃなくって! 俺が言いたいのは!」


「何だ、もしかして無理やり押し倒されるシチュエーションが好きか? よく言うよな。“イヤヨイヤヨも好きのうち”だと。なるほど、空は鬼畜系が好きなんだな。それならそうと言え。あたしも丁度、そういう話を読んで鬼畜への興味が」


「誰もそんなこと言ってないですからああああ!」


 「では何だ?」キョトンとしている鈴理先輩に俺はガックリと項垂れた。


 駄目だ、この人とまともな言葉のキャッチボールができた例(ためし)がない。どう話しても流れは性交に持っていかれる。うかうかしていると俺、真面目に食われる。食われちまうぞ。貞操の危機だぞ。何か逃げる手、手はないのか。何か手は。


 ……ッハ、そうだ。先輩は金持ちじゃないか! 俺とは不釣合いだぞ! それをぶつけてやればいいんだ!


 俺は咳払いをして気を落ち着かせると、静かに先輩と向き合う。彼女から貰ったオムライスを口に入れながら(嗚呼、オムライスが美味い。美味過ぎる)、おずおずと話を切り出した。


「好きって言ってくれるのは嬉しいんですけど」


「付き合う返事はハイかイエスだ。空」


 選択肢がねぇんですけど、それ。


「俺、先輩とは不釣合いっすよ。庶民の中でも貧乏ですし。先輩は有名な財閥のお嬢様でしょう? 別に貧乏が恥ずかしいとは思いませんけど、釣り合えるとは思えません」


「何だ、そんなことを不安に思っていたのか?」


 どうってことない問題だと先輩が肩を竦めた。


「だって先輩は財閥のご令嬢ですよ? 俺なんかが釣り合えるなんて……弁当だって見たでしょ? 落胆するびん」


 言い終わるか終わらないか、最中で顎を掬い取られて口を塞がれた。

 瞠目する俺に対し、先輩は上唇と下唇を舐め取って俺と視線を合わせる。交わる視線は限りなく柔らかかった。


「金の有無で人の気持ちなんて変えられないとは思わないか? 安心しろ、あんたが思うような軽い気持ちで、あたしはあんたに接しているわけではない。本気であんたを所有物発言している。もしそれで不安なら、あんたにちゃんと……ん? おっと、チャイムが鳴ったな」


 残念だ、折角良いところだったというのに。随分長く話していたようだな。食事も平らげていないというのに。腰に手を当てる鈴理先輩は次のチャイムで教室に戻ると、椅子に座りなおしてフォークを手に取った。


「もやし炒めだけでも頂かないとな」


 折角半分にしたんだ、勿体無い。

 そう言ってもやし炒めを口にしている。オムライスの方が数十倍美味いだろうに、鈴理先輩は真っ先にもやし炒めを口に運んでいた。


 一方、俺は赤面したままぎこちなくオムライスを口に運んでいた。


 だって先輩から貰ったものだし……な。

 俺は弁当だから持ち帰ることも出来るけど、できることなら此処で食べてしまいたい。先輩と一緒に食べたいっていうか何ていうか。


(反則だよな。ああいう風に言ってくるなんて。ほんと男前、じゃない女前)


 本当に俺のこと……、好きって言ってくれているのかな。

 もしも言ってくれているなら……って、もう、俺が女みたいに悩んでどーするんだよ! これじゃまんま立場逆転だっつーの!

 チラッと前方を見やれば先輩と見事に視線がかち合う。先輩が女性らしく笑ってくるもんだから、うっと俺は言葉を詰まらせてしまう。誤魔化すようにオムライスを掻き込んだ。


 冷え切っていたけど、オムライス、凄く美味しかった。

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