Chapter1:草食、彼氏になる

01.俺と先輩の出逢い話



 少しだけ思い出話をしよう。



 俺のこと豊福空が竹之内鈴理と出逢ったのは、私立エレガンス学院に通い始めて一ヶ月経ったある日のこと。学院が誇る立派な学食堂で彼女と出逢った。


 その前日は父さんが給料日で、すっげぇ少ないけど小遣いという名の昼飯代をくれたんだ。その額は学校の学食が一回食べられる程度。


 殆ど小遣いや昼飯代を貰えない俺にとっては超絶感動だった。

 父さんも母さんも俺に小遣いを渡す際、「たまには友達と一緒に学食を食べてきなさい」と言ってくれたんだ。


 俺の友達は大体、学食堂で昼飯を済ます奴が多い。

 みんながみんな金持ちというわけじゃないけど、俺ン家よりかは金持ち。なにより学院の学食は、元お金持ち対象学校だけあって豪華で美味い。その上、学生には優しい値段。種類も豊富だから生徒達には大人気なんだ。


 学食堂で昼飯を済ませるみんなに対して、俺は弁当持参。教室で一人もそもそと弁当を食っている。

 友達は毎度のように学食堂で一緒に食べようと言ってくれるんだけど、貧乏と胸張って言えるだけあって俺の弁当の中身は悲惨。みんなに気を遣わせてしまう内容なんだ。


 実際、気を遣わせてしまったことがあるから、俺は教室で弁当を食ってしまってから、みんなのいる学食堂へと足を運んで合流する。


 中学の時は給食だったから、そんな気遣いは要らなかったんだけど、高校になると自分で昼食持参だから困るんだよなぁ。


 でも一ヶ月もすりゃ、そういう生活も慣れちまう。

 俺は毎日のように教室で弁当を食べてから学食堂へ。そこで友達と合流、残りの昼休み時間を一緒に駄弁っている。親にこのことを話したわけじゃないんだけど、なんとなく感じ取ったんだろうな。俺に小遣いという名の昼食代をくれた。


 あんまりにも嬉しくて翌日の俺はご機嫌そのものだった。友達にルンルンでこれを話せば、「良かったな!」熱を入れて一緒に喜んでくれた。同情されているような気もしたけど全然気にならなかった。


 寧ろ、初学食は何にしようかな、って朝からずーっと考えていたくらいだった。





 学食堂。ショーウィンドウにて。



「なあなあ、エビくんエビくん。俺さ、すっごく迷っているんだけど。オムライス定食にすればいいと思うか? それともハンバーグ定食にすればいいと思うか?」


「空くん。歓喜に心躍らせる気持ちは察するけど、まず僕のことをエビくんと呼ぶのをやめてくれない? エビと同類になるじゃないか。何が悲しくてキチン質の殻におおわれた生き物と同類にされなければいけないの。名前にエビなんて字。また似たような字。一つも無いのに」


 黒縁眼鏡を押しながら俺に注意してきたのはエビくん。

 本名、笹野ささの義樹よしき。通称エビくん。なんでエビくんかというと話せば長いようで短いんだけど、おかずのない弁当を見た俺にエビくんがエビフライをくれたんだ。

 まだ友人らしい会話すらしていなかったのにも関わらず、俺の悲惨な弁当を見たエビくんが「どうぞ」快くエビフライを恵んでくれた。めちゃめちゃ嬉しかったから、その日から俺は笹野のことをエビくんと呼んでいるんだ。

 エビくんは嫌がっているけど、俺的にこっちの方が呼びやすい。


「決まったか?」


「実はまだ決まってないんだなぁ。アジくん」


 俺とエビくんに歩み寄って来たのはアジくん。

 本名、本多ほんだ 照彦てるひこ。通称アジくん。


 なんでアジかというと、エビくんで大方の察しはつくと思う。アジくんもまたおかずのない悲惨な弁当の中身を覗き見して俺にアジフライを恵んでくれた。だからアジくん。本多でもいいけどさ。も、俺の中じゃアジくんで定着しているんだな、これが。


 ちなみにエビくんとアジくんのコンビをフライト兄弟。エビくんに「ライト兄弟的ノリで呼ぶな!」とツッコまれたけど、だってなぁ? どっちもフライくれたし、俺的には気に入っているネーミングなんだ。


 まだショーウィンドウに飾られているサンプルを眺めては迷っている俺を見て、アジくんは大袈裟に呆れてみせた。


「遅ぇって。早くしろよ。席取られちまうだろ?」


「ごめんごめん。でもこれは俺にとって初学食デビューなんだよ。父さんが、あの父さんがっ……俺に小遣いを。五百円っ、嬉しくて。嬉しくて」


 口元に手を当てて、俺は感涙する。

 不況でも汗水垂らしながら働いている父さん、ありがとう。貴方のおかげで俺、豊福空は初学食デビューを飾る事ができます。美味しく学食を食べてきますんで安心して下さい。まる。


 「よ。良かったな」感涙する俺にアジくんは引き攣り笑いを浮かべ、「空くんの家は大変だよな」エビくんは同情してきた。


 馬鹿、同情するな! 同情するなら金をくれ! 恵んでくれ!


 俺は目尻に溜まった涙を拭うと、ハンバーグ定食に決めて二人と一緒に学食堂へと入った。

 昼休みともなれば、学食堂は人でごった返している。和気藹々としながら駄弁りながら飯を食う生徒達があちらこちらで見受けられた。


 食券を買った俺達は、それぞれ頼んだ定食を係りのおばちゃんから受け取って席に着く。

 夢にまで見た学食に俺のテンションは最高潮に達していた。ハンバーグを一切れ口に入れて大感激。


 嗚呼、これが三百五十円のお味なんだな。学食のお味なんだな。美味い。


 ジーンと感動に浸りながら感想を述べれば、「350円のお味って」アジくんが苦笑いを零した。


「空。お前、もっと別の感想があるだろ。350円のお味って」


「いや……他に感想が思いつかない。とにかく美味い。うん。フライト兄弟、俺は生まれてきて良かったよ」


「誰がフライト兄弟だ。その名前で呼ぶな」


「いいじゃんかよ、笹野。俺、アジくんってのもフライト兄弟ってのも、結構好きだぜ」


「本多。お前は自分の名前に違和感を持たないのか?」


「これも一つのご愛嬌だろ」


 ニッと笑うアジくんは男前だと思う。

 イケメンじゃなくて男前。笑うお顔なんてキング・オブ・ザ男前。しかも優しい。だって俺にアジフライ恵んでくれたもんな!


 対照的にエビくんは秀才肌って感じ。ツーンと空気が取り纏っている。傍から見ればツンツンくん。でも中身は優しい。だって俺にエビフライ恵んでくれたんだもんな!   

 俺はホックホクでハンバーグ定食を食べていた。嬉しさのあまり、始終顔の筋肉が弛みっぱなしだった。


 半分くらい定食を食べ終わった頃、アジくんが「サラダと白飯はおかわり自由なんだぜ」って教えてくれた。


 丁度、白飯のおかわりが欲しかった俺は茶碗を持って席を立った。やっぱハンバーグにはライスだよな。一緒に食べてこそ美味さが引き立つ!


 ルンルンと軽い足取りで受付カウンターに向かっていると、突然真横から衝撃を受けた。

 人とぶつかったんだということは分かったんだけど、その人に謝罪する前に俺は視界に映った零れそうなフルーツの盛り合わせの皿を慌てて手を伸ばした。どうにか放り出されたフルーツの盛り合わせを上手くキャッチすることができた俺は何一つ床に落ちてはいないことを確認すると胸を撫で下ろした。

 そして謝罪を口にし、ぶつかった人物に皿を差し出す。


 直後、俺は面食らった。


 目を瞠ってしまう美人さんが俺の前に立っていたからだ。相手のネームプレートカラーに視線を流す。今年の新入生のネームプレートカラーは黄。彼女の持つネームプレートカラーは赤。一学年上の先輩だと認識できた。

 こんな人とぶつかってしまったなんて、事故だと分かっていても申し訳ない。


「す、すみませんでした。気を付けます」


 態度を改めてしまうほど本当に超美人! 嗚呼もう、女優さんみたいに美人! 目を合わせれば、クスッと小さく笑われた。

 わぁああ、笑うお姿も美人なんすね!

 赤面した俺は何度も頭を下げて、おかわりもせず逃げるように席に戻った。

 空っぽの茶碗を片手に戻って来た俺に、駄弁っていたアジくんとエビくんは揃って不思議そうな顔を作る。


「おかわりはいいの?」


 エビくんの問い掛けに俺は必死に頷いた。

 美人さんにぶつかって情けなく動揺している、なんて言えないよな。

 でも誰だって動揺するぞ。あんな美人さんにぶつかったらさ。得をしたのか、損をしたのか、分からない出来事だったな。


 長々と重い溜息をついて身を小さくしていると、「あの……」「えーっと」フライト兄弟の戸惑いの声が聞こえた。おずおずと顔を上げて、二人の戸惑いを目にする。


 激しく動揺した。

 たった今さっきぶつかった美人先輩が、前触れもなしに俺達の前に現れた。

 も、もしかしてぶつかった時に制服でも汚しちまったのか! それともトレイに入っている飯のどれかが零れちまったとか?


 それだったらごめんなさい! 残金150円ですができる限り弁償はします!


「あ、あの」


 美人先輩が俺の前で身を屈めた。視線がかち合う。ガラス玉のような瞳が一笑を零すと、骨張った指が伸びてきた。間の抜けた声と相手の行動、どちらが早かっただろう? 彼女の手が後頭部に回ると同時に顔を引き寄せられ、視界はブラックアウト。


 すぐに晴れたけど俺の目は点。ついでに隣近所にいる奴等も思わず目が点。美人先輩が何も言わず、断りもなしに俺にキスをしてきたんだもの。驚くでしょ? ふつう。


 自分の口角を舐めて美人先輩は自己完結するように頷くと、俺を挟みように両腕をテーブルについて顔を覗き込んできた。


「あんたは、これからあたしのモノだ。拒否権はない」


 美人先輩が初めて俺に声を掛けてくれた台詞が、これ、だった。

 待て待て待て。あたしのモノとは何ぞやもし。拒否権はないとは何ぞやもし。俺は間をたっぷり置いて口を開いた。


「……はい?」 


 その時の俺の顔は世界中の誰よりもマヌケ顔だったに違いない。


 「分からん奴だな」美人先輩は目と鼻の距離にまで顔を近づけて、可愛らしい、いやあくどい笑顔を作った。


「あたしの所有物になれと言っている。一年C組豊福空、お前はそういう星の下で生まれてきたんだ。これは運命だ。諦めろ」


 ちょ、なんで名前知っているんっすか。てか、美人先輩って口を開くとやけに男前。俺様、いや、あたし様。

 まだ呆けている俺に美人先輩は焦れたのか、制服の首根っこを掴んで椅子から引き摺り落としてきた。なんて強引な!


 尻餅つく俺に対して美人先輩は気にすることもなく、俺を引き摺って歩き始める。

 ああっ、俺のハンバーグ定食! 俺、まだ全部食べてないっ、てかこの人なにぃいい?!


 ほっらぁ、周囲の注目を浴びちゃっているからぁあ! フライト兄弟も目が点々になっちゃっているから!

 ほんともう、なんなんだよぉ、この人!


「あの先輩ッ、何処に行くんっすか!」


「言っても分からんようだからな。手っ取り早くあんたの体に教え込もうと思う」


 な、なんか危ない発言っ……俺の予感が外れてくれますように。願いを込めて俺は何をするつもりなのかを尋ねる。

 振り返った先輩はニヤッと笑った。まるでその笑みは悪代官のようだった。


「あたしの下で存分に鳴くがいいさ。なに、最初は優しくしてやるつもりだ。あたしも鬼じゃない。男女の初営み、所謂初セックスというものは誰しも緊張を覚えるもの。最初は優しく、な? まあ鬼畜には憧れる故に追々そういう道に進むとは思うが」


 口を開けば開くほど、美人先輩、男前。俺様。いや、あたし様……この人は初対面に向かってナニ不謹慎な発言しているんだよ!


「おっと、その前に飯を食ってしまわないとな。いや先にヤッてしまうべきなのか。お前はどっちがいい? 空」


 トレイに乗った食事と俺を交互に見て、美人先輩は俺に選択肢を与えてくれた。

 ろくな選択肢が無い気がするのは俺の気のせいだろうか。


「勿論、どうぞどうぞお食事を堪能して下さい」


「なるほど、先にセックスを取るか。あたしは構わない」


 俺も構いませんよ。どうぞお食事……ちょっと待って!


「どういう耳してるんっすか! 俺はお食事を選びましたっ。所有物ってナンッスか⁈」


「それを教えてやるために体で」


「ヤらないでいいっすから! 先輩、女性ですよ! ナニ言っているんですか!」


「女がセックスを求めて何が悪い? 男がエロイ生き物だと世間一般論は廃れた。女だってエロイ生き物だ。本能で生きる動物なんだぞ」


「俺と先輩は初対面っすから! 俺、知らない人とセックスなんてできませんっ!」


「馬鹿、もう知り合っただろ?」


「俺は貴方様のこと存じ上げませんっすよ!」


「あたしは二年F組の竹之内鈴理だ。あんたは一年C組豊福空。ほらみろ、これで知り合いとなった。互いの名を知ったのだからな」


「屁理屈っすよそれ! 俺、ゼンッゼン先輩のこと知りません!」


「諸々の詳細はベッドの上で語り合えば良いじゃないか。そのための男女の営みだろ」


「何故にすべての物事をそっちの方向に持っていこうとするんですか?!」


 学食堂の真ん中で俺達は堂々不謹慎な台詞を吐き捨てあっていた。

 オブラートに包むも何もヘッタクレもない。周囲から大注目を浴びていたけど、その時の俺達には周りが見えなかった。欲と貞操の攻防戦を繰り広げていたから。


 これが俺、豊福空と鈴理先輩の出逢い。ロマンチックも何もない。寧ろ、ろくでもない出逢いを俺達はしたんだと思う。



 この日を境に俺の学園生活は一変することになったんだ。


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