江戸の残影
昭和20年4月敗戦の色が日々濃くなっていた時である。
小磯内閣の後継を決める会議が行われていた。
その中に鈴木貫太郎の姿があった。
近衛若槻などが枢密院議長の鈴木貫太郎を時期総理にという話をあげた。
理由はかつて鈴木が陛下の侍従を務めていて陛下の信任も厚いというものであった。
「いかかですかな?鈴木さん」近衛らは鈴木に攻め寄った。
「と、とんでもないことです。私みたいな年寄りが何のお役に立ちましょうか?」
当時鈴木は77歳。そして江戸生まれで国会議員ではない。
「それでもあなたしかいません」近衛文麿は汗を流しながら説得した。
鈴木は机をどんっとたたくと「私は帝国海軍の軍人にすぎません。軍人が政治に関与すれば国が乱れる基になります。私はお断りする」といって杖に力を入れ立ち上がった。
陸軍の東条英機は元陸軍大将の畑という人物を次期総理候補として挙げた。
「総理が我々陸軍以外の者になったのならば陸軍はそっぽを向きますぞ」
そういって近衛らに迫った。
その発言を聞いて岡田啓介はいままでの鬱積したものを吐き出すように大声で反論した。
「畏くも陛下のご命令で総理になる者に対してそっぽを向くとは何事であるか?
陸軍が間抜けだから戦いに負けるのだ。恥を知れ」と東条に反論した。
さすがのカミソリ東条もこれには返す言葉がなかった。
この結果を受け昭和天皇は鈴木を召し出した。
鈴木が陛下の前に立ち一礼した。
昭和天皇は立ち上がり鈴木の手を取った。
「鈴木、お前の気持ちはわかる。しかし今お前以外にこの戦を終わらせることができる者がおるだろうか?この京城の中にも日本のどこにもいまい。朕の気持ちをうけてはもらえぬであろうか?頼む」
昭和天皇は頭を下げた、が鈴木は「陛下」といって止めようとした。
「わかりました、不肖鈴木貫太郎老骨に鞭打って戦を止めさせます」
といって鈴木は杖に体を預けながら深々と頭を下げた。
こうして鈴木貫太郎内閣は組閣した。この時鈴木貫太郎77歳2か月、総理就任最高齢のこの歴史はいまだに破られていない。
鈴木貫太郎内閣組閣直後アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が亡くなった。
鈴木はそのことを知ると共同通信の短波放送にて談話を発表している。
「今日、アメリカが我が国に対し優勢な戦いを展開しているのは亡き大統領の優れた指導力があったからです。私は深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。しかしルーズベルト氏の死によってアメリカの日本に対する戦争継続能力が変わるとは考えておりません。我々もまたアメリカ国民の覇権主義に対して今まで以上に強く戦います。内閣総理大臣 鈴木貫太郎。」
ナチスドイツのヒトラーはルーズベルト大統領の訃報に口汚く発言している。
この放送を聞いたドイツ人作家トーマス・マンは鈴木の談話にいたく感銘をうけたらしい。
その後鈴木は東条らの陸軍にお世辞を使い、ある時は「徹底抗戦あるのみ」と机を叩き激怒した。
東条はご機嫌だったがもちろんこれは陸軍をだます行為であった。
年よりらしく耳が遠くなっただの物覚えが悪くなっただのを言い訳にして着実に終戦工作を続けていた。
その間長崎広島に原子爆弾が落とされた。
そして8月10日昭和天皇の前でいわゆる「御前会議」が行われる。
結論はなかなかでないため鈴木は天皇の「ご聖断」を仰いだ。
昭和天皇は涙を流しながら「朕の意見は先ほどから外務大臣の申していることに同意する」といってポツダム宣言受諾が決められた。
昭和20年8月15日午前全国のラジオに「玉音放送」が流され敗戦が決まった。
それと同時に鈴木内閣は総辞職し暫定の東久邇宮内閣が組閣された。
昭和23年4月17日肺臓癌で死去享年81歳。
死の直前「永遠の平和、永遠の平和」とはっきりとした声でしゃべったといわれている。
この物語もそろそろ終わりにしたいと思うが最後は鈴木貫太郎の言葉で占めたいと思う。
「我々は敗軍の将ですよ。今は田舎にひっこんで畑を相手にしております」
彼の死後12年後従一位が贈位された。
賊将 若狭屋 真夏(九代目) @wakasaya
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