将軍の足にすがった男
明治45年日露戦争に勝利をもたらした東郷平八郎の屋敷に二人の男が招かれた。
小栗貞雄と小栗又一の二名である。
この二人は幕末の幕臣小栗上野介忠順の養子と実子である。
東郷は二人を前にこう語った。
「日本海会戦で我々が勝つことができたのは製鉄所、造船所を作った小栗忠順翁の影響が大きい。君たちの御父上に感謝の意を表す」
そういってこうべを垂れた。
横須賀の製鉄所が作られたのは慶応元年である。
実子の又一は生まれていない。
おそらく二人はなぜ東郷に呼ばれたか分からなかったと思う。
彼らの父は薩長が主力の官軍に無実の罪で処刑されたからだ。
慶応3年大政奉還が行われ翌4年から鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争がおこる。
錦の御旗を掲げる官軍に慶喜は驚いた。
実は錦の御旗というものは「太平記」に書かれているだけで実物は無い。
薩摩の大久保利通が知恵を出し京友禅とかの反物に菊のご紋を刺繍した真っ赤な偽物である。
しかしそれを掲げる官軍を攻撃することはすなわち朝廷そして帝を攻撃することになるからである。
大阪城では慶喜以下老中と会津藩主と桑名藩主などが集まり軍議を行っていた。
「薩長は帝を担いで天下を乗っ取ろうとする逆臣ぞ。なにゆえ我らが奴らに降伏せねばいかんのだ。わしはたとえ矢玉が尽きわし一人になっても戦い抜いてみせるわ」慶喜のこの一言にその場は歓声に包まれた。
「皆の者よいか。明日我らは薩長を迎え打って出る。今宵は皆休み英気を養え」
そして夜が更けた時老中と会津桑名両藩主が突然慶喜に呼び出された。
彼らが向かうと慶喜は甲冑に身をまとっていた。
「こんな夜中に何事でございますか?」会津藩主松平容保は慶喜にそう尋ねた。
「今宵わしは船で江戸に向かう。」
一同はあっけにとられた。
「しかし大将がいなければ戦には勝てません」容保は反論した。
慶喜はどかっと体を床に落とすと
「この戦、我らは勝っては困るのよ」
「どこに勝って困る戦がございますか?」容保は語気を荒げた。
「賢くも帝に弓引いたならば徳川は終わりじゃ。もはや大政は天子様にお返し申した。ここで戦うより江戸に帰ってだんまりを決めたほうがやがてできる藩主会議の場で我らの力が強くなる」
「しかし。。。。」
「いうなーーーー」容保の言葉を慶喜は大きな声で遮った。
「わしとて家臣だけを戦場に残すのは忍びない。しかしここにおる者だけがわが家臣ではない。徳川の家臣を生かすためには今は忍べ」
そう慶喜は容保の肩をたたいた。
そして慶喜以下老中会津桑名両藩主はその夜のうちに逃げるように蒸気船で江戸に向かった。
次の日慶喜以下主だった者がいないことに兵士は混乱した。
結果として会津藩家老神保修理が切腹している。
1月12日江戸城において軍議が開かれた。
そこに小栗忠順がいた。
「上様。この上野介に一つ策がございます。」
こういったのが小栗忠順である。
「上野介策とはなんじゃ?」
「我ら江戸の幕軍はいまだ無傷でごさいます。薩長が箱根から降りてきたら陸軍でこれを攻め、榎本らの幕府艦隊を駿河湾に進め大砲で攻撃すれば薩長は散り散りになりましょう。あとは残党を処分すれば我らは勝ちます」
「やりましょう」と大きな声を上げたのは幕府艦隊を率いる榎本武揚である。
それに大鳥圭介も賛同した。
その場が勢いづいた。
「ならぬ。」とポツリ慶喜はいった。
「上様?」
「ならぬーー」
「何故でございます?我らが勝てば帝を取り戻せます。」
それまで脇息に体を預けていた慶喜は立ち上がった。
「今国内で無駄な戦が起こり日本国が二つにわれてどうなる?諸外国にいいようにされるだけじゃ。それで徳川が生き残って何の価値があろうか?」
「しかし戦わねば我らはどうして長らく徳川から扶持を受けたかわかりません。死んで先祖に合わす顔がございません」
「だまれ、だまれ」
「だまりません、この小栗又一、これでも三河武士でござる」
「わしはつかれた、寝る」
と慶喜が立ち上がり出ようとした。
この足元にすがって退出を拒んだのが小栗である。
「この無礼者ー」と言って慶喜は小栗がつかんだ足をふるって払うと小栗を蹴った。
「おぬしは今をもってすべての職を解く。」
といって慶喜は退出した。
「それならば、切腹をご命じくださいませ」と小栗の声を聴きながら慶喜は廊下を進んでいった。
日本陸軍の父である長州藩の大村益次郎は用兵の天才であり医者でもあった。
慶喜は小栗の意見を入れず勝の恭順の策をとった。
勝が大村との交渉の時にこの話を出した。
勝が江戸弁で作戦を伝えると大村の額から脂汗がたらたらと流れてくる。
「大村さん、どうしたんだい?」勝は大村がこうなるであろうということはわかっていた。
「い、いや」といって汗をぬぐった。
「いやーおいらも小栗さんの作戦はすげえと思ったね。もし慶喜様が小栗さんの作戦をとってたかと思うと。。。。」
「わ、我らの首が今は胴についておりませんな」
「へーあんたもそう思うかい?」
勝は平気な顔をしていたが少しだけ眼光が鋭くなった。
「小栗さん、あんたの策はこの勝が活かせたぜ」心の中で勝はそう思った。
慶応四年閏四月四日。上野国権田村においてろくに取り調べられることなく処刑された。享年42。
最後に妻子の助命だけを願い小栗上野介忠順は上野の地に没した。
しかし彼の作った横須賀のドッグはいまだに活躍している。
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