抹茶・ラテと線香花火
橋本蓮と言う男は神出鬼没だ。今日もふと私の店に現れて、気が付いたら酒を飲んでいた。と思ったらいつの間にか会計を済ませて帰っている。私は一言くらい何か言ってから帰ってくれと憤慨していた。スマホを見ると、今日はありがとう、の一言だけメッセージが残っていて、私は溜め息を吐きながら締め作業に入る。
「稜、光里、上がっていいぞ」
「はい!」
「はーい」
二人分の賄を出してやって、カウンターで食べている姿を眺めながら、私はカウンター内の丸椅子に座り煙草に火を点けた。
「今日の賄も美味いっす那瑠さん」
「ホント、賄のレベルじゃないですよね」
「褒めても給料しか出ないぞ」
白煙を吐き出してそう言うと、二人は笑った。煙草を吸い終え、私も何か腹に入れるか、と思って立ち上がり冷蔵庫を覗く。しかし今日は忙しかったので材料はほとんど残っておらず、私は仕方なく保冷庫のニューヨークチーズケーキを食べる事にした。抹茶・ラテを淹れて、ニューヨークチーズケーキを口に入れる。
「お金払うんで俺にもチーズケーキ良いっすか?」
「ああ、払わなくて良いよ、今日忙しかったからな」
「ありがとうございます!」
私はチーズケーキを二つ出して、光里の前にも置いてやった。
「余り物で悪いね」
「いいえ、私まで良いんですか?」
「良いよ、明日には悪くなっちゃうかもしれないし」
「それなら、遠慮なくいただきます」
「はいよ」
カトラリーボックスからフォークを出して二人に渡す。二人は賄を食べ終え、チーズケーキに手を付けた。
「んまい」
「美味しいです」
「そりゃ何よりだ」
二人にコーヒーも出してやって満足した私は、先程作った抹茶・ラテを飲んで溜め息を吐く。
「何すか、溜め息吐いちゃって」
「いや、今日は疲れたなと思って」
「そうっすよね、明日休みで良かったっすね」
「そうだな」
明日は火曜なので私の店は定休日だ。私は明日何しようかなーと考えたが考えるのにも疲れて、もう一本煙草に火を点けた。
「那瑠さん、煙草美味しいっすか?」
「ん、美味しいよ」
「那瑠さんが煙草吸ってるのかっこいいんすよね」
「分かる~」
「俺も吸ってみようかな」
三年生になった二人はたまにお酒を二人で嗜んでいるようで、煙草にも興味があるらしい。
「ちょっと待ってな、今おすすめの煙草持って来てやるよ」
「良いんすか!」
「良いよ、待ってて」
私は一旦家の方に戻って目的の物を持ってまた店に戻る。
「はい、稜にはウィンストンのキャビン・レッド。光里にはピアニッシモのべヴェルだ」
「ホントに良いんですか?」
光里はおずおずと私から煙草の箱を受け取ってそう言った。私は良いよ、と言ってジッポライターも手渡す。二人は一本手に取って、慣れない手つきで煙草を持って咥えた。
「吸わないと火が点かないから、最初軽く吸って」
私がそう言うと、二人は煙草に火を点けようとスッと息を吸う。二人で一つのジッポライターから火を点ける光景は、何だかカップルのようでもあった。後に結婚するとは誰も思っていなかったが。
「あ、美味しい」
光里に渡したのはバニラフレーバーの煙草だ。タールは六ミリと少し初心者には重いかもしれないが、それを感じさせない吸い口である。
「おお?美味いぞ?」
稜に渡したのはフルーティな味わいのタール一ミリの煙草だ。軽いので案外行けるかもと思ったのである。
「美味しいです!」
二人で声を揃えた。私は笑って、それは何より、と言う。
「那瑠さん煙草の銘柄色んなのストックしてるとか、凄くないですか」
「私は気分によって煙草を変えるんだ。他にもあるよ」
三人で煙草を吸うのは何だかいい雰囲気だなあと思っていると、それを感じたのか、稜が照れたように笑いながら口を開いた。
「何だか良いっすね、仕事終わりに煙草吸うって」
「私もそれ思いました」
「ははっ、今度は好きな煙草買ってこいよ?」
「そうします」
「そうするっすー」
「おすすめありますか?」
光里はわくわくした顔で訊いてくる。私は何が良いかなあと思いながら、やっぱりピアニッシモかなあと思いながら口を開いた。
「どんな煙草が好みだ?フルーティなのが良いとか、メンソール、バニラ系、シトラス系が良いとか」
「シトラス系良いですね、でもメンソールも気になります」
「ならやっぱりピアニッシモかな。ピアニッシモのルーシア・メンソールならシトラス系でメンソールも入ってる。元々ピアニッシモは女性向けだしな」
「なるほど」
光里はメモをスマホで取りながら聞いてくれた。稜は俺にもおすすめ教えてください!と言うので、先程と同じ質問を稜にもする。
「俺はバニラ好きなんでバニラのふんわり感を味わえるやつが良いっす」
「ならウィンストンのキャスター・ホワイトかな」
私は検索して出した画像を二人に送信しながらそう言った。
「お、ありがとうございます」
「これでコンビニとかで買う時見て分かりますね」
「そうそう、銘柄だけ伝えても番号で言ってくださいって言われる事多いからな、一応」
「ありがとうございます」
二人はにこりと笑ってお礼を言い、煙草の白煙を吐き出した。なかなか様になっている。私たちは煙草を吸い終えて、二人は帰っていった。
一人残った私は、明日休みなのを良い事に、蓮に今から飲みに来ないか?と電話を掛ける。蓮は近くで飲んでるからすぐ行けるわーと言って、プツンと電話を切った。私は良し、じゃあコンビニで何か買って来ようと思い外に出た。暑い。もう夏だなあと思いながら鍵を閉めて、蓮に何か食べる物買ってくる、とメッセージを送る。
「何が良いかな」
コンビニに着いた私はおつまみコーナーを見て、ジャーキーと山形のだし、レンジで温められるご飯やら何やらを買って店に帰った。店に帰ると、蓮が既に店の前のベンチに腰掛けていて、早いな、と声を掛ける。
「近かったから」
「そうか、呼び出して悪かったな」
私がそう言うと蓮は笑って、那瑠と飲む方が有意義だと言ってくれた。
店の鍵を開けて、蓮を招き入れて早速ジンライムを二杯作る。蓮はお腹が空いていたのか、私が持ってきたビニール袋を漁って、だしとご飯じゃん、と嬉しそうに言った。私は頷いて、ご飯を温めて器に移し替え、だしを掛けて蓮に手渡す。蓮は美味そうと言って食べ始めた。
「蓮、今日何で飲みに来たんだよ、昼間」
「ん、暇だったから?」
「何で暇なんだ?仕事はどうした?」
私は問い詰めるように訊いた。蓮は笑って、仕事辞めてきたわ、とカラッと言ったので、私はびっくりした。
「や、辞めた!?」
「ああ、そろそろこっちに腰落ち着けようと思ってな。聖北総研に入る事になったわ」
「聞いてないぞ」
「初めて言った」
「みんなには報告したのか?」
「いや、那瑠が初めて」
「報告くらいしろ」
私は溜め息を吐きながら蓮の隣に腰掛ける。全く、お前って奴は、と言いたいのを堪えて、ジンライムを飲んだ。
「まあまあ、五年か?いろんな国のSEの仕事してきて、英語も堪能になったし、そろそろ恋しくなったんだわ」
「そうか」
「と言う訳で、俺は今日から此処で寝泊まりします」
「ん、もう良いよ、勝手にしな」
私はそれを聞き流していたが、冷静になると、結婚間近なのか?という考えが頭によぎった。
「も、もしかして、結婚?」
「そのつもりで帰ってきてんだが」
「うわ、何かやだな」
「嫌だって何だよ、結婚指輪、首に下げててくれてるじゃん」
「ん、まあ、そうなんだけど」
私は首元で光るリングを手に取ってみた。実感が湧かない。しかし、このにんまりと笑っている男を眺めているうちに、あ、結婚するんだ、と思い始めてきた。
「暫くは会社に篭ると思ってて、すぐには結婚式挙げてやれないけど、ちゃんと帰ってくるから」
「そ、そうか」
嬉しいやら悲しいやら。私の感情の波を知ってか、蓮は私にごめんな、と言ってきた。私は良いよ、こういうのは慣れてる、と返す。
「慣れてもらっちゃ困るんだが」
「仕方ないだろう、五年も待ってたんだ」
「待たせて悪かった」
「良いって」
私はグイっとジンライムを呷ってグラスを空にしてしまい、もう一杯作ってまた蓮の隣に座った。
「煙草吸っても良い?」
「ん、ああ、此処喫煙可の店だから」
「ありがてえ」
蓮はそう言ってアメリカンスピリッツの箱を取り出して一本咥える。アメスピも良いよなあと言うと、分かる、と返された。そこで私は先程バイトの子に煙草を教えてやったと言う話をした。
「悪い店長だ」
蓮は苦笑しながらそう言う。
「興味深々だったし、嗜好品として私は気に入ってるし、最初は良いやつ教えてやんないと」
「それもそうかあ」
「そうそう」
先程光里に渡したピアニッシモの箱が置いてあったので、私もそれを一本咥えて火を点けた。美味しい。
「いやあ、俺もなかなかアメスピから離れられなくてね、良いやつ教えてよ」
「マルボロのゴールド・ボックス」
「試した事無いわ。今ある?」
「いや、あったかな、ちょっと見てくる」
「頼むわ」
私は家の方に入り、煙草が並んでいる戸棚からゴールド・ボックスを見付けて店
に戻る。
「あったよ」
「これ吸い終わったら貰うわ」
「オッケー」
私たちはそれから煙草の銘柄について語り合った。あれが不味かったとか、美味しかったとか。璃音は最近何を吸ってるかとか。
「へえ、璃音禁煙するとか言ってなかった?」
「無理っぽかった」
「仕事のストレスえぐそう」
「楽しくやってるみたいだけどな」
「それなら良いんだが」
蓮は煙草を吸い終え、ゴールド・ボックスの箱を手に取った。
「もう吸うの?」
「いや、もう少ししてから」
「だよな」
私はちょっと安心する。あんまり人に言えた事ではないが、吸い過ぎには注意してほしい所ではある。みんなも吸い過ぎ注意な。
ジンライムをそれぞれ三杯飲んだ所で、二人でゴールド・ボックスの箱を開けた。ジッポライターから火を点け、二人して白煙を吐き出す。
「あ、美味いな」
「だろう?私も気に入ってる銘柄だよ」
「クセが無いって言うか、吸いやすい」
「そうなんだよ、クセが少なくて煙草って感じを求めてる人には物足りないかもしれんけど、私は好き」
「良いね」
暫く無言で煙草を吸った。私たちは沈黙さえ心地好いくらいお互いの事を知っている。
「あーやっぱり、蓮といると落ち着くな」
昼間のやさぐれていた感情がどっか行ってしまった私は、蓮にそう言った。
「そりゃ良かった」
「ああ、ありがとう」
「どういたしまして、と言っておこうか」
私はその言い方が何だかツボに入って暫く笑いながら煙草を吸う。
「そんなに笑わなくても」
「いや可笑しくてさ」
時間は深夜二時、そろそろ寝る?と訊いてきた蓮に、明日は休み?と訊き返した。
「明日はフリー」
「それならもう少し飲もう」
「オッケー」
ジンライムを作り、煙草を楽しみ、会話も弾んだ。
「いやあ、充実した一日だった」
「それは何より。風呂借りて良い?」
私は二つ返事で良いよと言って、家の方に入る。私も風呂に入りたかったが、もうこんな時間だし明日の朝シャワーを浴びよう、と思ってベッドで蓮が来るのを待った。
「結婚かー」
呟いた言葉は誰にも聞かれる事は無かったが、私の心に重くのしかかった。決して嫌なわけではないが、蓮といる自分を想像出来ないのが事実だ。これからは帰ってくるのか、と思うと嬉しい感情もある。
「お待たせ」
「早かったな」
「シャワーだからな」
私のシャンプーの香りってこんなに良かったっけ。そんな事を考えながら、蓮の腕の中で丸くなるのだった。
次の日の朝、まずキッチンの換気扇の下で煙草を吸ってからシャワーを浴びた。まだ六時半、蓮はまだ起きてこないだろう。そのつもりでシャワーを浴びてリビングに行くと、もう蓮は起きていた。
「お、早いな。おはよう」
「おはようさん」
「眠れた?」
「ああ、眠れた。久々にぐっすり」
「そりゃ良かった」
私はコーヒーを淹れるために店の方に行って、蓮も呼んだ。蓮はのそのそと歩いてきてカウンター席に座る。
「ドッピオで良いよな?」
「ああ、良いよ」
私はドッピオを作り蓮の前に置き、自分用に抹茶・ラテを淹れた。
「抹茶なんて珍しいな」
「最近ハマってんだ」
私は朝食も作ってしまい蓮の横に腰掛け、いただきますと言ってから朝食を食べ始める。蓮も手を合わせて食べ始めた。美味いと言って食べてくれるのは嬉しいものだ。
私たちは黙々と朝食を食べ終えて、食後の一服を外のベンチでする事にした。
「今日も暑くなりそうだな」
「そうだね」
ゴールド・ボックスを吸いながら、二人で空を見上げる。ぷかぷかと白煙が登っていって消えた。儚い線香花火のようだなと思って、今日花火をしよう、と蓮に提案する。
「花火なんて大学以来だ」
「そうだろう?たまにはしよう」
昼間、私たちは花火を買いに行き、ついでにカフェ巡りをした。最近何が流行っているのかを知るのは大事である。ブラックティー・ラテを頼んでみたり、紅茶を頼んでみたりして、カフェ巡りは多くの収穫があった。ウチも今度ブラックティー・ラテを販売してみよう。
私たちが家に帰る頃には日は傾いていて、花火をするにはちょっと早い気もするが、花火をする事にした。
「蝋燭立てるよー」
「はいよー」
蓮の気の抜けた返事。それにももう慣れた。私たちは子供の様に花火をして、最後に線香花火に火を点けた。静かだ。ジリジリと燃える線香花火、儚すぎる。ぽたりと火種が落ちた。また次の線香花火に火を点ける。半分ほど線香花火が無くなった頃、蓮が口を開いた。
「何か、寂しいな」
「……そうだな」
「何か、話したい事とか、無いの?」
「線香花火みたいに、私は死にたいかな」
「何だよ、それ」
「潔く死にたいな」
蓮の少し怒った顔。私はごめんねと謝った。
「その希死念慮いつから?」
「物心ついた時から」
「……そうか」
蓮には私の生い立ちを話してあったので、蓮はそれっきり何も言わずに、ただ線香花火に火を点ける。
「これから、那瑠が生きてて良かったって思えるようにする」
「そんな事出来るの?」
「出来るかどうかは重要じゃない。そうしたい。いや、そう思ってもらえるように行動する」
「そうか」
私の持っている線香花火で最後だ。私はそれに火を点けた。その線香花火は最後に相応しく長持ちして、まるで蓮の言葉を受けて燃えているようだった。満足した。火種が落ちて、バケツの水にジュッと消えて行った。
「さーて、煙草吸ってご飯にしますか~」
私は立ち上がりながら明るい声でそう言ったが、蓮は立ち上がらない。
「どうした?」
「絶対幸せにする」
蓮の固い意志を聞いて、私は微笑んだ。
「ありがとう。その言葉だけで充分だよ」
蓮は泣きそうな顔になって私に抱き着いた。身長的には覆いかぶさってる様に見えるだろう。私は蓮の背中をさすった。蓮は鼻をすすって、泣いているようだった。
「何だよ、泣くなよ、蓮が泣いてるとこっちまで泣きたくなるだろう」
「この行き場の無い悲しみは俺にしか分からんだろう」
「蓮……」
私は先程の線香花火を思い出して、キッと唇を噛んだ。血が滲んだ。
「あー、マジで俺ダサいな。ごめんな」
「良いよ」
蓮は私から体を離して、涙を拭って笑ってくれた。
「あー、血が出てる」
「蓮のせい」
「舐めて良い?」
「ダメに決まってるだろう」
私たちは笑って花火の始末をして、店に入る。コーヒーを淹れながら夕食を作り、朝と同じように食事をとった。コーヒーを飲み終わればお酒を手に取り、また煙草を吸いながら語らう。こんな時間がもっとあれば良いのに、と思った。蓮はテキーラを飲みながら溜め息を吐く。私がどうした?と訊くと、こんな時間がもっとあれば良いのに、と答えた。
「ははっ、私も同じ事考えてた」
「マジ?」
「そうさ、蓮がいると落ち着くって言っただろう?」
「俺も那瑠といる時が一番落ち着くし、一番幸せ」
「そりゃ何より」
「早く帰ってこられるようにするからさ、もう少し待ってくれな」
「ああ、待ってるよ」
そうして私たちの長い夜が始まったのだった。
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