カプチーノと花見

「いらっしゃいませ」

「斗真、久し振り」

「那瑠さん!」

 私は私の店から独立していった荒北斗真の店を訪ねた。春一番、独立したての初々しい姿を見て、私は大きくなったなあと感慨深く思い、早速カウンター席に座りダブルショット・ラテを頼む。

「那瑠さんダブルショット・ラテ好きですよね」

「ああ、好きだよ」

 聖南高校の傍にあるこの店は、高校生をターゲットにした値段設定にしてあった。私の店もそういう意味では同じである。紆余曲折を経てこの店をオープンしたが、斗真は何だか元気が無いようにも見えた。

「斗真、元気無いのか?何かあった?」

「いえ、那瑠さんの姿見たら、ユーモレスクで働いていた事を思い出して、戻りたいなと」

「なんだ、そんな事か」

 私は励ましの言葉を送った。斗真が気持ちよく働ければそれで良いんだが。

「おまちどうさまです」

「ありがとう」

 ダブルショット・ラテを淹れてもらって、私はそのラテ・アートの上手さに驚いた。

「上手くなったなあ」

「練習しましたよ」

「私もラテ・アート練習したなあ」

「蓮さんに飲ませたんでしょう?」

「そうさ」

 私たちは顔を見合わせてクスクスと笑う。そんな事もあったな、と思い返していると、斗真が口を開いた。

「彼女がカプチーノ好きで、練習台になってもらいました」

「私と同じじゃん」

 ケラケラと笑ってそう言うと、やっぱり支えてくれる人って大事ですね、と斗真が言う。

「そうだな、斗真の傍にもそんな人がいてくれて良かったよ」

「そうですね、彼女がいなかったら店も建てられなかったと思います」

「私もみんながいてくれなかったら、店建ててないもんなあ、分かるよ」

「蓮さんとか?」

「まあ、蓮とか桜とか、よく飲みに来てくれてる人たちさ」

「よく覚えてますよ」

 斗真がそう言ってくれたので、私は何だか嬉しくなった。私たちはひとしきり近況報告をし合って、コーヒーを楽しむ。

「いやあ、それにしても、店の雰囲気良いじゃないか、私好みだ」

「那瑠さんの店が好きで建てたようなもんですから、好みになって当たり前なんですよ」

 斗真はそう言って苦笑した。私もその言葉に苦笑し、そうかあと溜め息を吐いた。

「それなら通わなきゃな」

「何言ってるんですか、火曜は休んでくださいよ?」

「いいや通うね。私はカフェ巡りが好きなんだ」

「頑として引かないですよね、那瑠さん」

「何とでも言え、私は通うぞ」

「ありがたいです」

 斗真は笑ってくれた。私もホッとして、またコーヒーを飲む。しかし、美味しいコーヒーを淹れられるようになったんだなあと思った。ラテ・アートも申し分ないし、これは私の店からも常連が少なくなるかもしれないなとも思った。少し寂しいが、斗真の店が繁盛してくれるならそれでもいい。

「那瑠さんの店はどうですか、お客さんはいつも通り入ってますか?」

「ん?ああ、入ってるな」

「僕の店も早く忙しくなると良いんですけど」 

「そのうちなるさ。気長に行こう」

「ん、そうですね」

 斗真の顔が明るくなった。私も微笑んで斗真を見る。

「早く那瑠さんくらい美味しいコーヒー淹れられるようになりたいです」

「もう十分美味しいじゃないか」

「でも目の前に、もっと美味しいコーヒー淹れてくれた人がいるんですよね」

「ははっ、買い被りすぎだよ」

 私は苦笑してそう言った。斗真は真剣な顔になって、いや、那瑠さんほど美味しく淹れられたら本望ですね、と言う。

「斗真は斗真の味を出せばいいんだよ、私の看板背負ってるわけじゃないんだから」

「精進します」

「おう、ファイト」

 私たちはそうして穏やかな午前を過ごして、私は昼を食べさせてもらって桜の並木道を見ながら帰って来た。

 どさっとソファに凭れかかる。しかし化粧くらい落とすか、とコットンを出して化粧を落とし、もうどこにも行かなくても良いようにしてからコーヒーを淹れる為に店に向かった。

「今日はダブルショット・ラテを淹れてもらったから、甘い物にしようかな」

 そう呟いて私は抹茶フラッペを淹れる。抹茶フラッペを飲みながらニュースをチェックしていると、蓮からLINEが届いた。こんな午後一の時間に珍しい。

「今日飲み会あるから帰り遅くなる」

「はいよー」

 私はそれだけの返事をして、またニュースをチェックし始めた。経済学部に在籍していた癖は未だ健在で、株価や金融のニュースは欠かさず目を通すようにしている。今日も平均株価が上がっている。良い事だ。このままインフレが続いたら、私の店のメニューも値上がりかなあと思ったが、出来る所まで粘ろうという気持ちの方が大きかった。豆代も高くはないが、まだ何とかなっている。常連さんが来て買って行ってくれるお陰でもあるし、飲んで行ってくれるお客様のお陰でもあった。

 さて、何をしようか。午後からは予定が入っていないし、蓮も遅くなると言うので特に何もする事がない。私は仕方なく、CDラックに積んである流さない物を仕舞って、新しく仕入れてきたCDをセットしたり、カップも新調したりして過ごした。

 夕方になり、お腹も空いてきた所で、今日はラム肉を捌こうと思う。骨すき包丁を出して、久々にラムレッグブロックを捌いた。訳三キロの肉塊が四等分になった所で焼肉用にするか唐揚げ用にするか悩み、どうせジンを飲みながら食べるんだし唐揚げにしようと思い唐揚げ用、一口サイズに切る。衣を付ける前に醤油、みりん、料理酒に生姜を入れた袋に肉を突っ込み、揉みこんで暫く寝かせた。寝かせている間にサラダとオニオンスープを作り、十分ほど経ったところで肉を片栗粉を付けて温めた油にそっと入れる。パチパチと油の跳ねる音を聞きながら、凡そ二人分くらい揚げてしまった。どうせ蓮が帰ってきたら飲むだろう。その為だ。そう思って揚げ物を順調に行っていると、スマホが鳴った。

「はい、もしもし?」

「あ、蓮だけど」

「はいはい、分かってるよ」

「今日飲み会無くなったから直で帰るわ」

「オッケー、食事用意しとく」

「ありがとう、んじゃ、また後で」

「はいよー」

 丁度良く唐揚げも揚がった所だ。私はご飯がある事を確認して、ご飯を温め始める。まだ蓮が帰ってくるまでには時間があるので、どうせだったら炒飯にしようと思い直した。炒飯を作る為に玉ねぎや葱をみじん切りして炒める。ラム肉をこま切れにしたものも投入し、さらに炒めた。ご飯に卵を掛けて混ぜて玉ねぎが炒められた事を確認しご飯を入れる。ご飯を入れて炒めて味を付け完成。すると店のドアが開いて、蓮が帰って来た。

「ただいまー」

「お、おかえり。丁度ご飯出来上がった所」

「おお、ありがてえ」

 蓮は荷物を一旦家の方に置いてきて、私が料理を並べたカウンターの前に座った。私は冷めないうちに食べようか、と言って二人で手を合わせる。

「いただきます!」

 蓮はサラダを食べてからスープ、唐揚げ、炒飯と一周手を付けて、どれも美味い、と言ってくれた。作り甲斐あるなあと思っていると、蓮がにやりとこちらを向いた。

「一人じゃこんな豪勢な料理作らんでしょ」

「まあね」

 私の心が読めるらしい。まあ、蓮の考えている事も私は手に取るように分かるのだけれど。

 ラムの唐揚げだけが残って、蓮はジントニックを要求してきた。私は二つ返事でジントニックを作り、蓮の前に出す。私も自分の分を作って、また蓮の隣に座った。

「んじゃ、今日もお疲れさん」

「お疲れ様」

 私は唐揚げ温め直すか、と訊いたが蓮はこのままでも美味いから良いよと言って、ぐっとジントニックを呷る。私もつられてお酒を呷った。

「くぅ、美味いね」

「美味しいって言ってくれるのが何より嬉しいよ」

「そりゃ那瑠の作るものは何だって美味いさ」

「そうか?」

「そうさ」

 蓮は唐揚げも食しながら、ジントニックをぐいぐいあけていく。

「そういや、今日斗真の所に行ってきたよ」

「ほう、どうだった」

「私好みの店だった、通うよ」

「そうか、退職して独立したんだもんな」

「ああ」

 そして帰り道の桜が綺麗だったことを報告した。

「聖南並木道あるもんな」

「そうそう、凄い綺麗だった」

「これから行くか?」

「い、今から?」

「酒持ってさ、花見しようぜ」

「良いけど、本気?」

「那瑠が行きたくないなら行かなくて良いよ。ただ見頃ならライトアップもされてるだろうし、今の時間良いんじゃないかなと」

「お酒は持ってかないなら行く」

「よし、んじゃ行こう」

 私たちはそうと決まれば、と早速準備をして出発した。聖南までは少し距離があるのでバスに乗る事にする。バスに揺られて二十分、聖南高校の付近までやって来た。並木道までは歩きだが、こんなに人がいるとは思わなかった。

「凄い人だかりだな」

 蓮がそう言う。

「そうだな、お酒なんて飲んでる暇無かった位だ」

 私たちは並木道を歩いて、桜の写真を撮ったり、舞い落ちる花びらを憂いたりしながら桜を堪能する。桜はひらひらと舞っていた。風が強いせいもある。

「こんなに風が強いと早く散っちゃうね」

「そうだな、もったいねえ気もするが、桜はそんなもんだろ」

 と、その時。

「那瑠!蓮!」

「桜?」

 桜の声がした。何処にいたか分からなくて、私たちは暫くきょろきょろした。

「こっちです、こっち」

 声のする方へと向かっていくと、桜と璃音が並木道の端の方で酒盛りをしている最中であった。

「蓮の背が高いお陰ですぐに分かりましたよ」

「こんな所で酒盛りして、珍しいな」

「ええ、今日財閥の花見会があって、その終わりにちょっと璃音を呼んだのです」

「俺たちも混ぜてよ」

「勿論です」

 私たちは桜たちの輪に混ざって、缶チューハイを手にした。乾杯をして一口、甘酸っぱいフルーツの味が広がる。

「桜の花、散っちゃいますね」

 桜が残念そうな顔をする。

「そうだな、でも今を楽しんでおこう」

「そうしましょう」

 私たちは近況報告をしあって、暫くお酒を楽しんだ。桜は璃音よりも飲んだらしく、ほんのり頬が赤い。

「桜、ちゃんと帰れるか?」

 私は心配になってそう訊くが、桜はそんなに飲んでませんよ、と言う。

「僕が送り届ける予定だ」

 ぐっと缶チューハイを空けて璃音がそう言った。それなら安心か、と思っていると、桜は心配しないでくださいな、と言いにこりと笑って見せる。

「夜桜も綺麗ですね」

「ああ、そうだな」

 私はそう言って缶チューハイを一本飲み干した。雑談しながら花見を楽しんでいると、桜が時折寂しそうな顔をするので、きっと母親の事を思い出しているのだろうと思って何も言わないでおく。

 私たちは遅くまで飲んだ。日付が変わる頃にやっと桜が帰りましょうか、と言ったので、お開きになる。この時間になると、もう人だかりは無くなって、静かになっていた。

「ではお二人とも、お気を付けて」

 聖北駅前までバスで向かい、そこで桜たちと別れる。

「桜も璃音も気を付けて」

「ありがとう」

「ありがとうございます」

「またな」

 私たちは手を振って歩き出した。

「あーまた明日から仕事か」

「嫌なの?」

 私の言葉に蓮が訊いてくる。私は笑って嫌じゃない、と返した。

「たまには店閉めたら?」

「嫌だよ、私はお客様と話をするのが好きなんだ」

「ストレスとか無いの?」

「無いな、あるとすれば……うーん、無いな」

「無いんかい」

 私と蓮はケラケラと笑う。なんだかこんな時間が愛おしい。

 私たちは家に着いて二人で交代してお風呂に入ってから、もう眠たくなってきたのでベッドに入った。

「おやすみ、蓮」

「おやすみ、ゆっくり休めよ」

「ああ、ありがとう」


 次の日の朝、苦いドッピオを淹れながら豆を焙煎していると、蓮がのそのそと起きてきた。

「おはよう、よく眠れた?」

「ん、ああ、おはよう。眠れた」

「そりゃ良かった」

 私は淹れたてのドッピオを蓮の前に出してやって、焙煎し終わったコーヒー豆を容器に移し替える。ショットを追加した苦い香り。蓮はデミタスのカップでグイっとドッピオを飲み干して、私が作った朝食を食べて出社していった。

「よっし、今日も頑張ろう」

 自分の頬を軽めに叩いて、バイトの子が来るのを待つ。今日の早番は片平祐樹が入ってくれている事を確認した。

「おはようございまーす」

「おはよう祐樹」

「身だしなみチェックお願いします」

「はいよ、爪、頭髪、エプロン、オーケーだ。今日もよろしく」

「よろしくお願いします!」

 元気な声で返事がきて、私は今日も平和な一日が過ぎれば良いなと思った。今日もよく晴れて気持ちが良い。

 祐樹にブラックボードへ今日のおすすめメニューを書いてもらい、外に出しに行くのを見守って、私はカウンター内で仕込みを始める。祐樹が外の掃除や店内の見回りを終えたタイミングで今日の朝の一杯は何が良いか訊いた。

「ホワイト・モカ・ラテをアイスでお願いします」

「オーケー」

 私はアイスドリンクを作りながら、祐樹と他愛のない話をする。祐樹は聖北大学の夜間の学生なので朝から入ってもらっていた。最近の講義の話やサークルの話など、話題は尽きなかった。

「さて、開店時間だ、今日もファイトな」

「はい!」

 開店と同時にお客様が入ってきて、私たちは元気に挨拶する。

「いらっしゃいませ!」

 カウンターに座った一人の女性は、どことなくそわそわしていて、何だか言いたげであった。

「ご注文は何になさいますか?」

 私はおどおどしている彼女にそう訊いて、カプチーノを頼まれたので早速作り始める。

「あの……」

「はい、どうかしました?」

 私はコーヒーを一口飲んだ彼女が何か言おうとしているのを見て暫し待った。

「私、荒北斗真の彼女なんです」

「えっ、これはどうも、初来店ありがとう」

 にこりと笑って見せると、彼女はホッとした顔で言葉を続ける。

「上杉美紅と申します、斗真がお世話になったお店に一度来てみたかったんです」

「ありがとう。星川那瑠です、今後ともご贔屓に」

「カプチーノ、斗真が淹れるのよりも美味しいです」

「ふふ、それは斗真が可哀想だ」

「斗真と待ち合わせしてるんです、今日彼も来ますよ」

 美紅はそう言って嬉しそうな顔をした。私は昨日斗真と会ったことを告げると、大層びっくりされる。

「斗真の淹れるダブルショット・ラテが美味しいんだよなあ」

「そうなんですか?私カプチーノばっかり飲まされてて」

「そう言ってたよ、練習台になってくれてるって」

「今度は飲ませて貰わなくちゃ」

 私たちは意気投合して、暫くコーヒーについて語り合った。何でも彼女はカフェの専門学校に通っていたことがあるらしく、斗真の指導もしてくれたらしい。私の指導があっての斗真だと言ってくれたので嬉しかった。

「いらっしゃいませ~」

 カランカランと鈴が鳴って、斗真がやって来る。斗真は何だか照れくさそうな顔になってこちらに寄って美紅の隣に腰掛けた。

「変な事言ってませんでした?」

「いや?カプチーノ飲まされてるとしか」

 私はそう言って安心しな、と笑った。斗真はホッとした顔になって溜め息を吐く。

「那瑠さんカプチーノお願いします」

「カプチーノで良いのか?」

「はい、本物の味を飲みに来ました」

「本物も何も、斗真のカプチーノだって美味しいだろうに」

 クスリと笑ってカプチーノを淹れる準備を始めた。カプチーノにラテ・アートを施して出してやると、斗真ははあ、と溜め息を吐いて、物憂げな顔になる。

「どうした」

「那瑠さんみたいなラテ・アート描きたいんですよね」

「練習しな」

「練習、付き合ってくれる?」

 斗真は美紅の方を向いてそう言った。何とも情けなさそうな声であった。

「勿論だよ」

「ありがとう」

 斗真はそう言って一口カプチーノを飲む。

「あーやっぱり那瑠さんの淹れるカプチーノが一番美味い」

「ふふ、私もカプチーノにしたけど、美味しいね」

「そ、そんなに褒めても何も出ないぞ」

「美味いカプチーノがもう一杯出てきます」

「そんな事ある訳ないだろう」

 私たちは斗真の冗談に笑った。

「那瑠さん、お昼ご飯の時間になったら、オムライス二つ良いですか?」

「ああ、勿論」

 斗真は、オムライス、此処の食べたら他で食べられなくなるよ、と美紅に言っている。美紅も楽しみにしているようなので、これはとびきり美味しいオムライスを作ってやらねばなと思うのだった。

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