那瑠の日常

「那瑠ちゃん、五番の席にこれお願い」

「はい!」

 私は大学から近いあ・ら・かるとという店でバイトをしている最中であった。今日は聖北地区全体の祭りがあり、真夏で猛暑だと言うので空調の効いたカフェは、どこも満員に近い状態である。足を休めるのにも丁度良いので、一番アーケードに近いこの店は混雑の極みであった。

 私もコーヒーを淹れたり、智弘さんが作った料理を持って行ったりするのだが、一向に客が引ける様子はない。午後三時、今日さえ乗り切れば、明日からは暇だろう。

「那瑠ちゃん休憩取った!?」

「取れてませんよ、こんな状況で!」

「ごめんだけど、あと少し頑張って頂戴!」

「承知しました!」

 私の他にもバイトはいるのだが、コーヒーを淹れられるのは私しかおらず、コーヒーを頼む客が多いので休憩にも行けずにいた。私は作り間違いをしないように努め、他のバイトの子からのオーダーを捌いていくのだった。


 夜七時。私の休憩時間になった。その頃には昼間の忙しさもなくゆったりとした時間が流れていた。

「那瑠ちゃん、お疲れ様」

「ありがとうございます」

 智弘さんからアメリカンのアイスを貰う。私はそれをその場で少し飲んだ。

「あー生き返りますね」

「本当に那瑠ちゃんが今日入っててくれなかったらコーヒー淹れてくれる人いなくて大変だったと思う、ありがとう」

「いえいえ、いつでも暇してるんで入れてくださいって言ったの私ですから」

「そうだけども、まさかこんなに混むとは思ってなかったわ」

「去年の倍くらい来ましたよね」

「そうね、去年は雨が降ってその雨宿りのお客様が多かったけど、今年は暑いからねえ」

「本当に暑いです」

 私たちは今日の反省点などを次の祭りの時に活かそうと色々話し合った。

「やっぱり一人くらい他にコーヒー淹れられる人雇うべきでは?」

「そうねえ、今のバイトを育てるには時間がないし、その方が良いかも」

「あとは休みの日に入ってくれるバイトを雇うとか」

「それよね、みんな今日のシフトにバツ付けちゃって、泣く泣くお願いしたからね」

「私みたいな暇人をですね」

「那瑠ちゃん自分の事暇人って言うけど、大学の課題はちゃんとやってるんでしょうね」

「やってますよ!」

 そろそろ就活でしょ、どうせならウチに就職して欲しいわ、と智弘さんは付け足す。

「就活、何処もピンと来なくて、説明会とかには足を運んでるんですが、此処よりも良い就活先が見つからないのも事実です」

「だったら決まりね、今の給料の倍出すわ」

「倍!?」

「その位ウチに欲しい人材よ」

 智弘さんの目は本気である。だったら私も本気で此処に就職するか考えよう。

「考えておきます」

「良い方向にね」

「それは、まあ、確約出来ませんが」

 私はそれから今日の休憩を取るために休憩室へは向かわずに、勝手口から裏に出て煙草を吸った。

「就職かー」

 あんまりピンと来ていない。葵は夜間の専門学校に他に通っているらしいし、蓮も留学をして外国に行くかもしれないと言っている。璃音は聖北高校の教師になりたいと言っていて、桜は言わずもがな財閥の跡取りとして働き始めるだろう。逹はどうするんだろうか。逹は今の所何処に行きたいとか、あの会社が良いとかは言っていない。今日は土曜日だから実家に帰って訊いてみるか、と考えながら煙草の灰を灰皿に落とす。

「あ、お疲れ様です、那瑠さん」

「お、拓海、お疲れ」

 拓海は私の二個下の聖北カフェ&スイーツ専門学校の生徒で、私とはコーヒーについて語り合ったり、スイーツのレシピについて語り合ったりするバイト仲間だ。語り合えるという点においては唯一話が合うかもしれない。拓海は私と同じように片手にアメリカンを持っている。器用に片手で煙草を出して火を点け、溜め息の様に白煙を吐き出した。

「いや今日忙しかったっすね」

「そうだな、目が回りそうだったよ」

「俺は回ってました」

 二人で笑って、空を見上げる。まだ暑い。

「那瑠さん此処に就職するんすか?」

「どうだろうなー、考えておくとは言ったけど、本当に此処で良いのか精査する必要があるな」

「そうっすよねー」

「でも給料倍は魅力」

「今いくら位稼いでるんですか?」

「だいたい十二万位かな」

「那瑠さんの能力だったら二.五倍は出してもらわないと」

「交渉してみるか?」

 私はそう言ってクスクス笑った。つられて拓海も笑った。私たちの吐き出す白煙は、登って行って消えていく。私の煙草が一本無くなって、拓海にお先に、と言って店に戻った。

 ブレスケアを噛んでからまた接客に入る。今日のシフトは夜九時までなので、あと二時間くらい頑張らなければならない。

「いらっしゃいませ~」

 ちりんと鈴が鳴って、反射で言葉が出てくる。見覚えのある装いの男は誰かと思えば蓮だった。

「よう」

「よ、いらっしゃい」

「いらっしゃい蓮君」

「こんばんはっす智弘さん」

 蓮はカウンター席に座り、ドッピオを頼む。説明会帰りなのか、スーツ姿の蓮も良いな、なんて考えながらドッピオを淹れていると、何、惚れた?と蓮がにやりと笑った。

「馬鹿、んなわけあるか」

「デスヨネー」

「ほら、ドッピオ」

「サンキュ」

 蓮は熱いドッピオを冷ましながら飲んで、智弘さんと何やら会話している。

「蓮君就職先決まりそう?」

「はい、順調ですよ」

「那瑠ちゃんにウチに就職してくれるように言ってくれない?」

「給料二.五倍なら就職しますよ」

「二.五倍かー、考えておくわ」

「那瑠の淹れるコーヒー美味いですからね、手放したくないの分かりますよ」

「そうなのよね、手放したくないわ」

 そっちで会話しててくれ、私はそう思いながら、客の居ないテーブルを片付けに行く。いやしかし、二.五倍なら就職するわな。悪くない。

 私はコーヒーカップを食洗器に入れたり、カウンタークロスでグラスを磨いたりして過ごし、退勤時間になった。

「では、お先に上がります」

「お疲れ様ー」

「お疲れ様ですー」

 私は外で律儀に待っていてくれた蓮にありがとうと言って歩き出した。

「今日那瑠の所泊って良い?」

「ん、私今日は実家に帰ろうかなって思ってたけど、良いよ」

「ホント?」

「ああ、別に今日帰らなくても良いし」

「ありがとう」

 蓮は嬉しそうにそう言って、私の手を取る。ぶらぶらと子供の様に手を揺らしながら私たちは歩き始めた。

「智弘さんの所に就職すんの?」

「いやあ、どうだろう」

「給料上がるよ?」

「勝手知ったる所に就職するのも良いけど、マンネリ化するのが嫌なんだよ」

「智弘さんなら新しい課題与えてくれるっしょ」

「それはそう。私の成長楽しみにしてくれてるから。悩ましいな」

「まあ、俺は智弘さんの所に就職してくれれば嬉しいけどね」

「何で?」

「会いに行きやすい」

「それだけ?」

「そう」

 私は特大の溜め息を吐く。人の事情で就職してなるものか。


 私の家に着いて、蓮は早速と言ってウォッカの瓶を戸棚から出してきた。私は苦笑して、せめて夕飯食べてからにしてと言い、夕飯を作り始める。今日は何を作ってあげようか。冷蔵庫を覗くと、まだ捌いていないラム肉の塊があったので捌くことにする。二キロ強あるそれをまな板の上に転がして、捌き始めた。丁寧に筋を取って、血合いも取って、綺麗になったそれを一口大に切り、醬油とみりん、酒、それに生姜を袋に入れて揉みこむ。暫く寝かている間に味噌汁とご飯を炊き、酒を持って蓮の隣に座った。

「あれ、もう飲むの?」

「ああ、ご飯炊けるまで」

「良いね」

 私たちはそれぞれ好きな酒を持って乾杯してから酒を飲む。胃袋が熱くなってくる頃ご飯が炊けたので、ラム肉を唐揚げにした。

「おー美味そう」

「絶対美味しいよ」

「すんごい自信」

「そりゃね、作り慣れてるから」

「じゃ、いただきます」

「いただきまーす」

 熱い出来立てのラムの唐揚げを肴に、酒も進んでくる。私は煙草を吸いたくなって、ご飯を食べ終えるとベランダに出た。蓮も外に出てきて一緒に煙草に火を点ける。

「あのさ」

「うん?」

 蓮が言いにくそうに視線を泳がせている。

「就職先、海外でも良い?」

「それは蓮の自由でしょ」

「決まりそうってか今日オンライン面接でさ。英語話してるうちに楽しくなってきて」

「楽しそうな所に就職するのが良いと思うよ」

「那瑠は説明会とか行ってる?」

「うん、行ってる」

「どっか良い場所ありそう?」

 私は白煙を吐き出してから、うーんと唸って考えた。あまり良い所は無くて、楽しそうと思える会社も今の所見つかってない、と言うと蓮は、そうかと空を見上げる。

「留学してからインターンとか行ったけど、海外に魅力ありすぎる」

「そうかあ、何か寂しいな」

「日本にいて欲しい時そうするけど」

「いや、良いよ。蓮の好きな所に就職しな」

「海外でも?」

「ああ」

 蓮は俺も寂しいなーと言いながらも嬉しそうだ。

「家族は何か言ってんの?」

「いやもう好きにしろと言われてる」

「そうか、まあ、放任主義だもんな、蓮の所」

「小っちゃい頃は違ってたんだけどな」

「放浪息子とか言われ始めてから変わったよね」

「それいつの話」

「高校くらい」

「確かに変わったかも」

 ケラケラと笑いながら灰を落とす。大学入ってからあっという間だったな、と言うと、蓮も頷いて、そうだなと言った。

「高校よりも短かった気がする」

「四年のはずなのにね」

「そうそう、高校ん時はさー、毎日青春してたなー」

「そう?私は今でも青春してるけど」

「まあ、俺もだよ」

「何だよ、もう終わったかと思ったじゃん」

 くすくすと笑って煙草を吸い終え、部屋に戻る。戻ってまた酒を飲み始めた。

「酔えないね」

「そうだな」

「一回で良いから酔いたい」

「俺も」

「蓮は去年の秋に酔ってウチに来たじゃん」

「そんな事もあったなあ」

「それからワンナイトはしてんの?」

「嫌な事思いださせんな、してねえよ」

 蓮はしかめっ面をしてそう言い、私は笑った。蓮はしかめっ面のまま酒を飲み、はあと溜め息を吐いた。

「なんだかな~!」

「いきなりなんだよ」

「何でもないけどさ」

「急に真顔になるなよ、面白いだろ」

「何だよそれ」

 蓮はふっと吹き出して笑った。私も一緒になって笑った。こんな日々が続けばいいなと思った。

「そういやさ」

「ん?」

 おもむろに蓮が口を開く。

「今度のライブ、頑張ろうな」

「ん、ああ、頑張ろう。最後だしな」

 私は軽音サークルに所属していて、今度最後のライブがある。私はギターボーカルとして曲を作ってきたが、最後だと思うと寂しい気持ちになった。蓮も軽音サークルに入りながら自転車部に所属していて、インカレにも出た。結果はふるわなかったようだが、どこかすっきりしているようでもある。

「一杯ジンライム頂戴」

「はいよ」

 私は冷めてしまった唐揚げを一つ放り込んでから立ち上がった。ジンライムを慣れた手つきで作り、蓮の所に持っていく。蓮はありがとうと言って私から酒を受け取った。

「はー、ラムうめー」

「もう冷めちゃったけど、温め直す?」

「いやいいよ」

「そう」

 私と蓮は暫く無言で酒を楽しんだ。ラムの唐揚げも無くなり、もう寝るかーと言うと、蓮はもう一本吸ってくると言うので私もお供することにする。

「もう夏なんだなー」

「そうだよ、何だ今さら」

 私は苦笑した。煙草の白煙は登っては消えていく。

「いやもう暑いな」

「暑いねえ」

 温い風が私たちを包んでいた。この時期は夜になっても暑い。

「就活終わったらみんなで飲もうな」

「ああ、良いよ」

「みんなどこ行くんだろううな~」

「さあな」

「那瑠は智弘さんの所で」

「だから、何で蓮が決めるんだよ」

 私は本当に笑ってしまって、蓮の肩を小突いた。蓮は、でもまんざらでもないっしょ?といたずらっぽく笑う。

「まあね。就活の厳しさ味わっておきたかったけど、智弘さんの店居心地良いからな」

「決まりだな」

「そうかもな」

「さーて、寝るか」

「ああ」

 蓮は灰皿にポイっと吸殻を入れて、私と共にベッドに入った。薄いタオルケットだけをシェアして、私たちは眠りに就く。扇風機の風が気持ちよかった。


 次の日の朝六時、私は蓮を起こさないようにそっとベッドから這い出て煙草を吸いに行った。朝の涼しさがあると良かったのだが、期待外れだ。煙草を吸いながらニュースをチェックして、目に付いたものを片っ端から読んでいき、煙草をもう一本吸って部屋に戻った。蓮が起きてくる前にコーヒーを淹れてやろう。鼻歌を歌いながらコーヒーを淹れていると、蓮がガバッと起き上がった。

「びっくりした」

「那瑠!怪我はないか?!」

「怪我?してないけど」

「良かった、夢か」

 ホッと溜め息を吐いた蓮から詳しく聞くと、どうやら私が料理中に包丁で手を切ったらしい。私はそんな事無いよとひらひらと手を振って見せた。

「どんだけリアルな夢だったんだよ」

「かなり」

 私は淹れ終わったコーヒーを蓮に渡して、ソファに座る。

「私は子供の頃から包丁で手を切った事が無いんだ、安心してくれ」

「そうか……」

 足を組んでコーヒーを楽しんでいると、蓮が口を開いた。

「足組むと骨盤歪むからやめて」

「今に始まった事じゃないだろう」

「これから気を付けて」

「お前は私の何なんだよ」

「婚約者」

「違うだろ」

 ケラケラと私は笑って、足を戻した。何となく蓮の言う事は聞くようにしている。それにしても婚約者とは、面白い事を言うものだ。私はコーヒーを飲みながらニュースをチェックし終え、今日は昼番だから昼頃店に行くと蓮に伝えた。

「俺は何しよう」

「好きな事したら」

「一緒にレポートでも書きに行こうかな」 

「それも良いね」

 蓮はコーヒーを飲み干して立ち上がり、シャワー借りる、と言って風呂場に行ってしまった。私も蓮が上がってきたらシャワーを浴びるとしよう。まだ七時ちょっと前、私は暇を持て余して、ゲームでもしようかな、ご飯作ろうかな、とか考えた。

「ご飯だけ作っとくか」

 私は朝食を作るためにキッチンに立つ。と言っても作れる物は少なく、サラダとベーコンエッグとオニオンスープ、トースト位だ。トーストは蓮が上がってきたら焼くとして、サラダとオニオンスープを作ってしまおう。そうと決まれば、と私は玉ねぎを切って水に放り込み、火にかけた。人参も少し残っていたので切って入れてしまう。コンソメと塩、胡椒を振って蓋をした。暫く煮ている内に蓮が上がってくる。

「お、良い匂い」

「オニオンスープだよ」

「良いね」

 私は火の様子を見ててもらうように蓮に言って、シャワーを浴びに行った。シャワーで汗を流し、髪、体、それに顔も洗ってシャワーを浴び終える。物の数分で上がってきた私に、蓮は驚いた顔をして、はええな、と言った。

「スープどうよ」

「良い感じ」

「良し」

 私はキッチンにいる蓮とバトンタッチしてベーコンエッグを作り、トーストを焼き始める。蓮はバターを塗ってから焼く派らしいのでバターを塗ってから焼いた。オニオンスープが出来上がったのでスープカップに流し入れて蓮に持って行ってもらう様に言い、トーストをオーブントースターから出して皿に乗せ、これまた蓮に渡す。

「美味そー」

「こんなの誰が作っても同じさ」

「それはどうかな?」

「簡単な物しか作ってないよ」

「俺にこの味は作れないな」

 蓮はオニオンスープを一口飲み、そう言った。

「食べるのが早いよ」

「すまん」

「まだサラダ出してない」

「すまん」

 私は溜め息を吐いて、まあ良いよ食べな、と言い、サラダを持って蓮の隣に座る。

「いただきます!」

「はいどうぞ」

 蓮はトーストを齧っては美味いと言い、オニオンスープを飲んでは美味いと言い、全く、五月蠅い奴だ。まあ、美味いと言って貰えるのは嬉しいのだけれど。

 私たちは直ぐに腹を満たし終わって、時間は九時位になった。食後の一服をしている時、蓮がぼんやりと空を見上げて、あー何かずっとこうしてたいな、と呟いた。

「何、幸せなの?」

「ああ、幸せだね」

「そうか」

 私はクスリと笑う。こんな些細な事で幸せを感じてくれるのは嬉しい。私と一緒にいるからか、はたまた美味しいご飯を食べたからなのかは分からなかったが、蓮が幸せそうにしていると、私も幸せな気分になる。

「私も幸せさ」

「そう?」

「ああ、蓮が幸せそうにしてると私も幸せだ」

「そうか、じゃあ結婚しよう」

「何言ってんだ……」

 私はまた溜め息を吐いた。帰ってこない奴なんかと結婚するか、と言うと、蓮はニカっと笑う。

「俺、絶対那瑠の所に帰ってくるよ」

「そうかい?」

「そうさ」

 私もつられてふふっと笑った。そうだと良いな、と思いながら空を蓮と同じように見上げる。今日も暑そうだ。

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