秋良の全国大会
俺は最初何を言われているか分からなかった。名前を呼ばれて、立ち上がって、何百人といる観客の前から壇上に行く。
「表彰、星川秋良様、貴方は此度の全国高等学校総合文化祭に於いて、特別優秀な成績を修めましたのでここに表します」
金のカップを受け取る。落とさないようにしっかり持ってお辞儀をする。そして壇上から降りて自分の席へと戻る。自分の腕の中でキラキラ光るカップ。眩しくて目を細めた。
「やりましたね!秋良先輩!」
「あ、うん」
部活の後輩、油井美穂が隣でガッツポーズをとる。
「何だか実感わかないや」
「特別優秀賞ですよ!もっと喜んでください!」
「や、やったー」
「めちゃくちゃ棒読み!」
美穂はケラケラと笑って俺の手の中にあるカップを眺めた。
「でも本当に凄いですよ、放送部門で賞を取るのは難しいって瑞穂先生が言ってましたもん」
「確かに言ってたな」
俺は今日ここに来られなかった顧問の齋藤瑞穂先生を思い浮かべる。いつも放送部の部室でパソコンをいじる俺を気にかけてくれていた先生だ。瑞穂先生は今産休を取っていて、今日は顧問ではない東条璃音先生が付いてきてくれている。東条先生は俺の後ろの席でニコニコと笑っていた。
「やったじゃないか秋良」
「はい、やりました」
「齋藤先生に良い土産話が出来るな」
「はい!」
俺は大きく頷いて喜んだ。カップを眺めている内に段々と実感がわいてくる。俺は三年生の夏休みの大半を学校の部室、パソコン室で過ごした。3DCGのアニメーションを自作するためである。顧問がいない状態でどれだけの事を出来るか分からなかったが、まさかここまで良い賞を取れるとは。
「秋良先輩!もう閉幕式終わりましたよ」
「あ、うん」
俺は放心していたようで、気が付けばホールの灯りが点き東条先生も立ち上がって、俺の方を心配そうに見ている。他の部員たちも心配そうにしていたので、俺は急いで立ち上がり皆の背を追いかけた。
ロビーに出た。外の光が眩しい。目を細めて目を慣らす。段々慣れてきた目で俺は皆を見渡す。部長としては不甲斐ない性格ではあったが、何とか全国大会まで皆を連れてくる事が出来た。高校最後の夏休み、全力で取り組んできて良かった。そう思って皆の顔を順番に見て、ありがとう、と声を掛けた。
「皆、本当にありがとう」
美穂が半泣きで何かを言おうとしている。
「せんぱ、先輩、本当にこれっ、これで引退なんですね」
「ああ、そうだな。引退だ」
今度は他の部員たちも涙ぐみ始めて俺は戸惑った。
「お、おい、皆。何で泣くんだよ」
「引退じだら寂しいでず~」
皆口々に寂しいと言って、美穂は本気で泣き始める。
「大丈夫だって、皆本当に寂しがり屋だな」
俺は美穂の背中を撫でてやりながら苦笑した。苦笑していたはずが目頭が熱くなってきて、ポロリと一粒涙が零れる。俺の涙が絨毯にシミを作った。
東条先生がそろそろ行くぞ、と言って俺たちはバスに乗り込む。我先にと俺の隣に美穂が乗ってきた。
「先輩、大学とか、進路先決まってるんですか?」
「ん?いや、決まってないけど、たぶん聖北大かな」
「聖北大学……頑張らなくちゃ」
語尾が聞き取れなくて訊き返したが、美穂は何でもないです!と言って鞄を抱き締める。俺はその様子でなんとなく言いたい事を察した。俺は思い上がらないように、平常心を保ちながら流れる外の景色を眺める。
「皆今日は休日だったがお疲れ様。秋良以外の皆は賞が取れなくて残念だったが、また来年この大会に来られるように頑張ろう」
東条先生がそう言って皆を見渡した。
「僕の方から顧問の齋藤先生には報告してある。皆喜べよ、この後の打ち上げに顔を出してくれるそうだ。」
「おお!」
バスの中で歓声が上がる。皆優しい瑞穂先生が大好きだし、先生も俺たちの事を可愛がってくれていたので久し振りに顔を見られるのは嬉しい。
「先輩、もし……」
「ん?」
「あ、いや、瑞穂先生が来るの、楽しみですね!」
「ああ、そうだね」
美穂は先程からそわそわしている。何か言いたげな雰囲気だが、あまり突っ込んで聞く気にはなれなかった。
「先輩って、その、好きな人とかいないんですか」
「え、いや、いないけど」
「そ、そうなんですね!」
俺はドギマギしながら答えた。美穂が嬉しそうにしているので、何となく居心地が悪い。恋愛には疎い俺だったので、こう恋愛系の話をされるとそわそわする。
バスに揺られて数時間、やっと聖北高校まで戻ってきた。この後は近くの食べ放題の焼き肉店で打ち上げの予定だ。
「秋良、そのカップ、校長室に持っていくが、自分で持っていくか?」
東条先生が俺に向かってそう言うので、俺は首を振った。東条先生にカップを預けて、俺は校門前に揃っている部員の元に寄る。皆自転車で学校に来ているので、このまま店に行くつもりだ。今日この場に居るのは俺を含めて七人。俺たちは早速移動する事にした。横並びにならないように、誰も置いていかないように、俺たちはゆっくり移動する。時々後ろを振り返りながら、俺は自転車を漕いだ。
十数分で目的地に着く。店の入り口に瑞穂先生を見付けて、俺たちのテンションは上がった。
「皆久し振りね!」
「お久し振りです瑞穂先生!」
口々に挨拶をして、瑞穂先生を囲む。瑞穂先生も嬉しそうで、俺は何だか安心した。
「この後東条先生も合流してくださるそうだから、先に入って待っていましょう」
皆元気に返事をして店内に入る。受付をしている内に東条先生もタイミングよく入ってきたので、皆揃って店内を歩いた。
席に通される。俺は瑞穂先生の隣に座って、色々話したいと思った。俺を真ん中にして反対側には美穂が。
「それにしても、特別優秀賞を取ってくれるなんて、先生びっくりしたわ」
「はい、俺もびっくりして、最初何が何だか分かりませんでした」
瑞穂先生はおっとりとそう言う。俺は照れながらも答えた。美穂はファーストオーダーの肉を焼きながらのんびりと言った。
「先輩、ずっと放心してましたもん」
「ふふ、それは放心しそうな程嬉しい事ですもの、仕方ないわ」
二人にそう言われて、俺は気恥ずかしくなる。俺はポツリと呟いた。
「引退、したくないなぁ」
「そうね、寂しくなるわね」
俺の言葉にちょっと寂しそうな表情で瑞穂先生が言う。俺の他に三年生は居なかったが、放送部はとても居心地が良かったので何だか名残惜しい。
「これからは受験勉強に打ち込まないとね」
「はい、まぁでも、息抜きにたまに顔出そうとは思ってます」
「本当ですか!やった」
美穂が心底嬉しそうにしているので、俺は微笑んだ。
「そんなに嬉しく思ってくれて、俺も嬉しいよ」
「そりゃもちろん!」
美穂は焼けた肉を皆の皿に移す。俺たちはありがとうと言って肉を頬張った。
暫く俺たちは近況報告と雑談で盛り上がった。隣の席の東条先生たちも盛り上がっているようだ。残り時間が来たところで最後のオーダー。皆満腹に近い。
「秋良君は進路希望出した?」
瑞穂先生がふと俺に訊いた。俺は口の中の物を飲み込んで答える。
「はい、聖北大学で」
「学部は?」
「工学部にしようかと」
「そっかそっか、頑張ってね」
瑞穂先生は優しく笑ってくれた。俺はそれが嬉しくて頑張りますと答える。美穂が最後の肉を俺の皿に盛って食べてくださいねと言った。
「さすがにお腹いっぱいだね」
皿を空にして皆を見る。瑞穂先生もお腹を苦しそうに撫でて頷いた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫。ありがとう」
大きくなったお腹を、俺は触らせてもらった。丁度赤ちゃんがお腹を蹴った時だった。
「わ、動いてる。痛くないですか?」
「たまに痛いときあるけど、大丈夫よ。元気な証拠で私は嬉しいわ」
「そうなんですね」
「そうそう」
俺はちょっと感動して瑞穂先生のお腹から手を離す。俺は男だから出産は経験できないが、神秘的で素敵だなと思った。
俺たちは会計を済ませ外に出た。
「皆今日はありがとう、それに秋良君、特別優秀賞おめでとう。とてもいい報告が聞けて嬉しかったわ。それに皆も元気そうで良かった」
「ありがとうございます」
「瑞穂先生はいつ復帰なさるんですか?」
美穂が瑞穂先生に問いかけた。瑞穂先生は困った顔をして口を開く。
「今の三年生の卒業式には間に合わないかもしれないわね」
「そうなんですか……」
「でも来年には復帰予定よ、だから顧問も復帰出来るわ」
「それは嬉しいです!」
俺はちょっと残念な気持ちになった。卒業式には皆で写真を撮りたいと思っていたからだ。しかしここには部員皆が集まっている。俺はそれを良い事に皆で写真を撮りたいです!と言った。
「いいですね!撮りましょう!」
美穂が助け舟を出してくれて、俺たちは瑞穂先生を囲むように並ぶ。東条先生が俺のスマホで写真を撮ってくれた。俺はそれを皆に転送する。皆喜んでくれたのでホッとした。俺はこっそりそれをスマホの待ち受け画像にした。我ながら皆の事が好きなんだなと自覚する。
「じゃあ、ここで解散かな」
瑞穂先生の言葉で皆帰る支度を整えた。東条先生も気をつけて帰るんだぞと言って、車に乗り込む。皆が散って帰っていくのに対して、美穂は一人ぽつんと残っていた。
「どうした、美穂、帰らないのか?」
俺は不思議に思って言葉を掛ける。美穂はこちらに向かってきて俺の肩に頭をこつんとぶつけた。
「もう、会えないんですよね」
「いや、部室には顔出すって」
「私、それだけじゃ嫌なんです」
「というと?」
俺は何が不満なのか分からず問いかける。しかしこれはちょっとやばいのではないか?
「私、秋良先輩の事が、好きなんです」
そう来たか、そう思ってしまった。確かに美穂はかわいいし優しい素敵な女の子だ。しかし妹の様な感覚でいた俺にとって、その言葉は言って欲しくなかった。
「それは、恋愛的な気持ちで?」
「はい」
「兄貴的な好きではなく?」
「はい」
「そっか……」
俺は暫し思案する。美穂は不安そうに俺を見ていた。
「嬉しいよ、正直。でもこれから受験勉強もあるし、構ってあげられる時間はあんまり取れないと思うんだ」
「そう、ですよね」
美穂は残念そうな顔になって俯いてしまう。俺は俯いて欲しくなくて、その頬を掴んで俺の方に向けさせた。むぎゅっと頬を掴む。
「そんな顔しないで」
「秋良先輩、そんなことされたらキャパオーバーで爆発しそうです」
「ごめんごめん」
俺は手を離して謝る。美穂の顔は耳まで真っ赤で可愛い。
「それでもいいなら、付き合う?」
「え……いいんですか。私重たいですよ、束縛だってしちゃうかもしれないですよ」
「いいよ、俺でいいなら」
美穂の顔は見る見る内に笑顔になってきた。良かった。俺にでも誰かを幸せに出来るんだ。俺はそっと美穂の頬にキスをする。
「~~~~!!!!」
「可愛いよ、美穂」
「秋良先輩の馬鹿ぁ!」
「照れ隠しだね」
「う、うるさいです!」
俺たちはわいわいと言い合って、ふとした瞬間に笑い出した。何だか心がポカポカする。
「秋良先輩、ツーショット写真撮ってもいいですか?」
「ああ、良いよ」
美穂はスマホを取り出して、内画面にカメラをセットした。俺はとびきりの笑顔で、美穂はちょっと照れた笑いで写真を撮る。
「待ち受けにしよっと!」
美穂はそう言って今撮った写真を俺にも送ってくれた。我ながらいい笑顔だ。
「いい顔してるね」
「あ、ありがとうございます」
「うん、可愛いよ」
「秋良先輩って意外とさらっとそういう事言うんですね!?」
「他の人には言わないよ」
「そうじゃないと困ります!」
ぷいとそっぽを向かれた。だがその耳が赤くなっているのを俺は見逃さなかった。
帰り際、まだ帰りたくないという美穂のわがままでカフェに来た。聖北高校の近く、那瑠さんの店だ。
「いらっしゃいませ~」
那瑠さんののんびりとした声が聞こえてきて、俺と美穂はカウンター席に座った。
「お、秋良。珍しいな」
那瑠さんはエスプレッソマシンを拭いていた手を止めてこちらを見る。
「彼女です」
「え、え、えと、美穂って言います」
「おお、星川那瑠だ、ご贔屓に」
美穂はドギマギしながら挨拶するので那瑠さんは笑っている。
「緊張しないで。何飲む?」
「えっと、おすすめは何ですか?」
「甘いものが好きならウィンナコーヒーとかバニラ・ラテ、ちょっと苦いのが好きならモカ・ラテかな」
「じゃあバニラ・ラテでお願いします」
「俺カプチーノで」
「承りました」
那瑠さんはそう言ってあっという間にコーヒーを淹れてくれた。
「おまちどおさま」
「ありがとうございます」
「わ、良い香り」
那瑠さんはごゆっくり~と言って違うお客さんにコーヒーを淹れ始める。
「星川さんって事は、秋良先輩の親戚ですか?」
美穂があちち、と言いながらカップに口付けてそう言った。俺は頷いてカプチーノを啜る。
「そう、俺の父さんの双子のお姉さん」
「そうなんですね、ここ、とても落ち着きます」
「でしょ、俺よくここに来るんだよね」
ふふっと笑って俺は美穂を見た。コーヒーが熱いのか、しきりに息を吹きかけている。
俺は那瑠さんに追加でショートケーキとスコーンを注文した。那瑠さんは保冷庫からケーキを出して、スコーンは温める。俺たちの前に置かれた洋菓子に美穂は嬉しそうな顔をした。
「食べていいですか?」
「うん、スコーンは貰うね」
「あ、はい、ありがとうございます」
俺からショートケーキを受け取り、一口。
「甘くて美味しい!」
「口に合って良かった」
那瑠さんが俺たちの事を微笑んで見ている。俺は何だか気恥ずかしくなってコーヒーを飲んだ。
楽しいひと時を過ごした俺たちは、そろそろ家に帰ることにした。
「秋良先輩、あの……」
「ん?」
「お昼休みとか、昼食食べてからでいいんで、毎日図書館で勉強とかどうですか?」
「ん、いいね、そうしようか」
「やった!」
美穂は嬉しそうにしてこちらを見る。少しでもそばに居たいと思っているのだろう。俺もその期待に応えたいと思った。
俺は美穂を家に送り届けてから自分の家に帰った。もう夕方六時、少し遅くなってしまった。
「おかえり秋良、大会はどうだった?」
キッチンから母さんの声がする。俺はキッチンに向かって椅子に座り、ピースサインを送った。
「特別優秀賞貰った!」
「え!すごいじゃない!おめでとう!」
「ありがとう」
えへへと笑う俺に母さんはよかったねぇと声を掛けてくれる。もう一つ、大事な知らせがあるのだが、俺は恥ずかしくて言えなかった。ピコンとスマホが鳴ってチャットの知らせが来る。俺はそれを見て嬉しくなった。
「母さん、あのさ」
「うん?」
俺が彼女が出来たと言ったら母さんはどんな反応をするだろう、びっくりするだろうか。
俺はやっぱり何でもないと言ってスマホをしまった。明日から美穂に会える。それが嬉しかった。
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