ホットミルクと林檎飴
「さ、寒い」
二月下旬。藤原君と雪祭りに行く約束の時間。私は完全防備で待ち合わせ場所にいた。雪はそこそこ降っていて、私の睫毛は完全に凍っていた。と言うのも藤原君が待ち合わせ場所に来ないのである。時間は十四時過ぎ。約束の時間は十二時だったので二時間もここにいた計算になる。
「もう帰ろうかな」
私は待っているのが苦痛になってきた。連絡しても返事は来ず、電話を掛けても応答がない。私は段々怒りがわいてきてもう帰る、と決意して歩き出した。しかし雪祭りの会場を出て少し歩いたところで、誰かから腕を掴まれた。驚いて振り返ると、ぜえぜえと息を切らせた藤原君だった。
「ごめん、遅くなって」
「私、帰る」
「ちょっと待って」
「帰る」
私は聞く耳を持たず、また歩き出す。先日聖北大学推薦入試の合格発表があり、私と藤原君はそれに合格していた。だから今日勉強する必要もなく来ていたのだが、こんな事になるなら最初から約束なんてしなければよかった。イライラした気持ちをどこにぶつけていいか分からず、私は藤原君の手を払いのける。
「触らないでくれる?」
「ご、ごめん」
自分でもびっくりするくらいの冷たい声。藤原君はたじろいだ。私は黙々と歩く。藤原君はそれでも付いてくる。
「帰って」
私は足を止めずに彼にそう言った。
「帰れない」
「帰って」
「帰れないよ」
「帰ってよ!」
私は半ば叫ぶようにして後ろを向く。彼は泣きそうな顔で遅れてごめん、と言った。どうして遅れたか、それを訊いても答えはごめんの一言だけ。
「ウチまで付いてくる気?」
「そんな事はないけど……」
「じゃあ帰って」
「一緒に雪祭り行こうよ」
「もう行く気、ない」
「そっか……」
彼は明らかに残念そうな顔になって俯く。彼はごめんねと言って後ろを向いた。やっと帰ってくれる、と思ったその時。
「あ!有希に尋人先輩!」
私はギクリとした。この声は晴樹だ。どうしてここに。
「あれ、何か雰囲気悪くない?有希も尋人先輩も大丈夫?」
「何でもない、俺が悪いんだ」
「悪いって、何があったんすか?」
「何でもないから。ほら、晴樹一緒に帰ろう」
「あ、俺これから雪祭り行くから、二人も一緒に行こうよ」
晴樹は私たちの手を取ってずんずん歩き出して、私たちは引っ張られるようにして歩かされた。
「夏生と秋良が待ってるからさ~」
そう言って晴樹はにっこりと笑うので、ちょっとだけ恨めしそうな顔を晴樹に見せてやった。
直ぐに雪祭りの会場に着いてしまう。晴樹はきょろきょろとして夏生と秋良の姿を探しだした。二人は直ぐに見つかって、私たちと合流した。
「あ、尋人先輩に有希まで」
「どうしたの?」
夏生と秋良が口々にそう言う。私は何も言えなくてそっぽを向いた。藤原君は困ったように笑う。
「何でもないよ」
「ふぅん?ま、いっか」
「先輩何か食べたい物あります?」
晴樹が嬉しそうにそう言うので、私は仕方なく皆と付き合う事にした。
「私、林檎飴食べたい」
「あ、僕も食べたい」
夏生が林檎飴の屋台を見付けて、私の手を引く。屋台のおじさんは優しそうに笑っていらっしゃいと言って林檎飴を二つ出してくれた。
「ありがとうございます」
私たちは林檎飴をぺろぺろと舐める。久し振りに食べるそれはとても美味しかった。秋良は牛串を見付けて買っているところだ。
「私にも一口」
と言って、秋良の串から牛肉を頬張る。私は先程まで不満だった事など忘れて祭りを楽しんだ。夜になれば灯篭に火が点いて幻想的になるだろう。
晴樹と藤原君は少し離れて歩いて、何か話をし始める。気にはなったが聞く気にはなれなかった。私たち三人はあちこち歩きまわって屋台の食べ物を楽しむ。途中で晴樹たちとはぐれてしまったが問題はないだろう。
小一時間程そうしていただろうか。私たち三人は歩き疲れて会場内にある休憩所で食べ物を食べていた。秋良のスマホが鳴って、秋良はちょっと億劫そうに電話に出た。
「もしもし?……ああ、いま休憩所にいるよ。うん分かった」
秋良はそれだけ言うと電話を切って私の方を見た。
「今から合流するって」
「そっか、じゃあ私帰ろうかな」
「え、何で?」
夏生がまだ残っていた林檎飴を齧りながら不思議そうな顔をする。私はさっきあった出来事を溜息交じりに話した。
「なるほどね、だから二人の間に変な空気が流れてたんだ」
「そう、顔も合わせたくないから、私帰るよ」
「仲直りくらいしたら?」
秋良が甘酒を飲みながらのんびりとそう言う。私は複雑な気持ちになって溜息を吐いた。
「仲直りね……何で遅れたかも言ってくれないのに」
「まぁ、事情があるんじゃない?」
「有希に気があるのはバレバレだし」
「そうそう」
「え」
二人の言葉に絶句してしばし放心してしまう。その間に晴樹と藤原君がここに来て、私は帰るタイミングを完全に逃した。
「有希ちゃん、ちょっと話があるんだけど」
「ここでいいじゃない」
私はむすくれた顔でそういう。彼は耳まで赤くして俯いてから、意を決したように顔を上げた。
「有希ちゃん、俺と付き合ってほしい」
「……」
私は居心地が悪くなって座り直す。暫く無言の状態が続いた。
「ダメ、かな。もし今好きじゃなくても、絶対俺の事好きになってくれるように頑張るから」
「……本気?」
「本気だよ」
「……そこまで言うなら、付き合っても良いよ」
「え、本当に?」
「二言はないわ」
私は残っていた甘酒を飲み干し、帰ろうと思って立ち上がる。
「有希帰るの?」
夏生がしょんぼりした顔でそう言った。私は帰るよと言ってリュックサックを背負う。藤原君が送る、と言って立ち上がった。私は丁寧に断ったが、彼は頑として譲らなかった。
しぶしぶ帰路に就く。藤原君が口を開く。
「ずっと前から、好きだったんだ」
「そうなんだ」
私は空を見上げながら返事をした。空は私の心模様と違って晴れ。
「あのさ」
「うん」
「毎日連絡したらうざいかな」
「分からない、された事無いから」
「そっか。俺、束縛はしたくないからさ、でもちゃんと俺の事見てて欲しいんだよね」
「ちゃんと見るよ。どのくらい本気なのか、分からないから」
「ありがとう」
私は蓮さんを思い浮かべた。隣を歩いてくれる人が蓮さんだったらどれだけ嬉しいだろう。今日は土曜日だ。無性に蓮さんに会いたくなって、私はスマホを取り出した。
「ちょっと電話」
「分かった」
私は蓮さんに電話をする。数コールもしない内に蓮さんは電話に出てくれた。
「もしもし有希、どうした」
「もしもし、これからお店に行ったら会えますか?」
「ああ、会えるよ」
「じゃあ今から行きます、今雪祭りの会場近くなので直ぐに着きます」
「分かった、雪道に気を付けて」
「ありがとうございます」
私はテンションが上がって電話を切ってから、今来た道を戻るようにして歩く。もちろん藤原君もそうする。
「ねえ、有希って、呼び捨てにしてもいい?俺の事も尋人って呼んでいいから」
「うん、いいよ」
「ありがとう」
私は蓮さんに会える喜びでルンルンと歩いた。手を繋いでも良いかと訊かれたので少し躊躇してから頷く。
那瑠さんの店にはすぐ着いた。繋いでいた手を離してドアを開ける。ふわっとコーヒーの香りがした。
「いらっしゃい、有希に尋人か。カウンターに座ってな、今蓮の事呼びに行くよ」
どうして尋人君の事を知っているのだろうと不思議に思ったが、那瑠さんはそう言ってから事務所の方に入って行く。バイトの女の子が注文を取りに来てくれた。
「私はバニラ・ラテで」
「俺はホットミルクで」
「かしこまりました」
尋人君がホットミルクを頼んだのが意外で、私は問いかけた。
「コーヒー飲めないの?」
「うん、苦くて飲めない」
「苦くないコーヒーもあるから、今度教えてあげるよ」
そう言うと那瑠さんと蓮さんが店に出て来た。よう、と手を挙げて、蓮さんは私の横に腰掛ける。
「元気にしてたか?」
「はい!」
那瑠さんが私たちの前に飲み物を出してくれた。相変わらず蓮さんに出されるドッピオは苦い香りがする。
「それにしても今日は男連れか、珍しいな」
蓮さんがそう言うので、私が溜息を吐いてから話をする前に、尋人君が口を開く。
「今日から付き合う事になりました」
「お、やっとか、おめでとう」
那瑠さんがとんでもない事を言う。
「不本意なんですけどね」
私はまた溜息を吐いた。那瑠さんは苦笑する。
「尋人は蓮に勝てるかな?」
「頑張りますよ俺」
「俺が何で出てくるんだ?」
蓮さんはドッピオを飲みながら首を傾げた。那瑠さんはまた困ったように笑って言葉を続ける。
「有希の初恋の相手が蓮なんだから、尋人は負けていられないよな」
「な、なるほど」
「ちょ、那瑠さ、那瑠さん、え、え?」
軽いパニックと恥ずかしさで私は俯いて口を開く。蓮さんが私の頭をなでてくれる。
「前から知ってたんですか?」
「ああ、尋人がここに来てから恋愛の相談に乗ってたんだ。まあ、有希の事だと知ったのは最近だったんだが」
「なんか複雑な気分」
「俺としては蓮さんに勝てるように頑張るだけなんで」
「蓮さんに勝てる人なんていないもん!」
私は頬を膨らませてそう言った。蓮さんは苦笑して、妻帯者なんだけどな、と呟く。
「そう言わずに尋人の事ちゃんと見てみたらどうだ?」
那瑠さんがそう言うので視線を蓮さんから尋人君に移す。ちゃんと見た事はなかったが、鼻筋が通っていて切れ長の目、他の女子が騒ぐのも分かるくらいの美男子だ。
「蓮さんの方がカッコいいもん」
私はツンとそっぽを向く。ふふっと那瑠さんが笑った。
「蓮はモテるなあ」
「まあ、嬉しい限りだ」
クスリと笑う蓮さんに癒される。
「乗り越えるの厳しそうだな、尋人」
「……頑張ります」
尋人君はそう言ってホットミルクに口を付けた。それから私たちは他愛のない話をしながらのんびりとした時間を過ごした。那瑠さんはお客さんにコーヒーを淹れながらこちらの話を聞いている。
「そろそろ帰ろうかな」
私は立ち上がってコートを羽織る。お会計をしてもらって蓮さんと那瑠さんに挨拶をして店を出た。尋人君は私の手を取って、歩き出した。
「蓮さん、カッコいいよな」
「でしょ!カッコいいし憧れてるんだよね」
「分かる気がするよ」
尋人君は溜息を吐く。越えられるかなあとぼやく彼が、何だか可愛く思えてきた。
「頑張ってね」
「頑張るよ」
何だか好きになれそうな気がしてきた。今度はどんなアプローチをしてくれるのだろう。
私たちは聖北高校前のバスの乗り、聖南中学前で降りた。送って行くよと言われたのでそれに甘える事にする。
「ねえ、私のどこが好きなの?」
私が気になって訊いてみると、彼は頬を赤くして口元を隠すと、ボソッと呟いた。
「努力家で可愛いところ」
「そうなんだ」
「うん」
そっかそっかーと言いつつ私は何だか嬉しくなった。純粋に人に好かれるのは嬉しい。私たちはそれから黙々と歩いて、気が付けば私の家の前まで来てしまっていた。
彼は名残惜しそうに私の手を離して、じゃあねと手を振る。私もまたね、と言って手を振り返した。
「ただいまー」
「おかえり有希」
葵ちゃんがエプロン姿で出迎えてくれた。そして興味津々で口を開く。
「サッカー部の藤原君に告白されたって聞いたよ~」
「え、何で知ってるの」
「晴樹から聞いたの」
「晴樹め」
晴樹はリビングのソファに寝転がってゲームをしていた。夏生と秋良は部屋にいるのだろう。
「逹君にはまだ内緒にしててね、なんか怖そうだから」
「分かった」
葵ちゃんはクスクスと笑ってキッチンに戻っていく。私はリュックやコートに付いた雪を払って自室へと向かった。ピコンとスマホが鳴った。私は着替える手を止めてスマホのスリープを解除してチャット画面を開いた。尋人君だ。
「今日は遅くなって本当にごめん。でもとても楽しかったし、益々有希の事好きになった日だった。本当にありがとう」
私は笑みを零して返信する。
「こちらこそ怒ったりしてごめん、でも今度からは遅れないようにしてね。私も楽しかった。ありがとう、おやすみ」
葵ちゃんが下の階からご飯できたよーと言ったのが聞こえて、私は急いで着替えを済ませる。着替えを済ませキッチンに行くと、美味しそうな香りがしてきた。
「ハヤシライスかな?」
「正解」
葵ちゃんはフフッと笑ってお皿にハヤシライスを盛った。私はそれを受け取って自分の席に座る。
「今日は逹君が残業で遅くなるって言ってたから、先に食べちゃおう」
葵ちゃんの一言で、私たちはいただきますと言いスプーンを動かした。皆黙々と食べていて、私もそうしていたのだが、葵ちゃんがぼんやりと口を開く。
「それにしても有希に彼氏かぁ。何だか嬉しいな」
「そう?そこはショック受けるとかじゃないの?」
私はスプーンを置いて水を飲んでから返事をした。葵ちゃんは笑顔になって言葉を続けた。
「逹君ならショック受けるかもね~。でも私は有希がこれからどんな恋愛していくのか楽しみだよ」
「俺も」
晴樹もそんな事を言うので私は気恥ずかしい気持ちになる。もしかしてとは思うが。
「晴樹、尋人君が私の事好きっていうの知ってたの?」
晴樹はハヤシライスを口に運びながらしれっと答えた。
「バレンタインの時から知ってた」
「最近じゃん」
「うん。有希の連絡先教えてもらえないけど燃えるって言ってたから、俺から有希には何も言わないでおこうって思った」
「そうだったんだ」
「うん」
葵ちゃんがにんまりと笑って私を見る。
「うまくいくといいね、青春って感じがして羨ましい」
「うまくいくかなぁ?分かんないけど。葵ちゃんだって逹君と恋愛したんでしょ?」
「まあまあ、その話は今度ゆっくりね」
葵ちゃんは顔を赤くさせて早口でそう言った。逹君と葵ちゃんの学生時代が気になった。今度那瑠さんの所に行ったら訊いてみよう。それにあのお店には苦くないコーヒーがあるって事を尋人君にも教えてあげないとなと思った。尋人君はどんなコーヒーを好きになるかな、なんて事を考えながら私はハヤシライスをおかわりした。
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